第十九話 「一年A組」
そこかしこから漂ってくる食欲をそそる匂いに、智也は腹の虫を鳴らしながら食堂へと踏み入った。
先生から預かった赤い硬貨を握り締め、券売機を通り過ぎる。そうして言われた通りカウンターに赴けば、確かにそこには数種類のパンが小型のショーケースに並べられていた。
「これか。どれもうまそうだな……」
どことなく下宿屋にあるものと似たような印象を受けつつ、目当てのものをそこに見つける。よほど人気なのか、あんパンだけが多めに品揃えされていた。
「――あの、」
「すみません……いつものください」
レジ台こそないが、販売員らしき年配の女性がいたので声をかけようとした智也は、ほんの僅差で先を越されてしまった。
口振りからしておそらく常連客か。学園内にある食堂で、そう称していいのかは定かではないが。
と、智也がそんなことを考えている間に、隣の生徒は赤い硬貨と引き換えに大量のパンを購入していた。
「おまちどおさまー」
「おいしい」
早速購入した一つを頬張る少女の姿に、智也は嫌な予感を覚えつつショーケースの方へ目を向ける。
そこには、さっきまで大量にあったあんパンが根こそぎ買い占められた跡が残っていた。
「なんてことだ……」
横を向けば、口元にあんこを付けた少女が不思議そうな顔でこちらを見つめてくる。その手にぶら下げた袋の中身は、智也の想像通りで間違いないだろう。
「あの、あれってもうないんですか?」
「ごめんなさいねぇ、今ので最後なの」
「最後って……」
十六ほど並んでいたはずのあんパン。まさかあの小柄の少女が、それを全部一人で食べきるつもりなのか。
想定外すぎてしばらく放心していたが、売り切れてしまったものは仕方がないと断念した。
「先生には別の物で我慢してもらうしかないか……」
さすがに訳を話せば許してもらえるだろうと考えて、どれを買うべきかと物色する。そんな智也の耳に、今度は聞き覚えのある声が入ってきた。
「ククク……漆黒の使途よ、また相見えたな」
「うわ、卒業まで二度と会わない予定だったのに」
さっきまで横にいたあんパン少女はいつの間にか居なくなっており、代わりに姿を見せたのは、不治の病を患った黒紅色の髪の女生徒――不知火だ。
言葉の通り、智也は入学式にて別れの挨拶を告げたつもりだったのだが、どうやら不運にも遭遇してしまったらしい。同じ敷地内にいるのだから、こうなる可能性を危惧してはいたが。
「どうやら我と貴様は、運命の赤い糸で結ばれているようだ」
「だれか今すぐ断ち切ってくれ」
「ただの比喩表現じゃ! 露骨に嫌がるな!」
本気で不快感を示した智也に、不知火がそう憤慨する。
智也としては、冗談でもこの変人とは結ばれたくなかったのだが。
「桃ちゃん! はぁ、やっと追いついた……」
「ふん、遅かったではないか」
「だって……十一周はしんどいよさすがに」
「何を言っておる。アレは身体強化の極意――その秘技を授かるために必要な儀式なんだよ葵ちゃん!」
「うんうん、そういう設定だったね」
息を切らしながら駆け寄ってきた柑子色の髪の女生徒――不知火のクラスメイトだろうか。
何やら楽しそうに会話を始めたのを横目に見て、その隙に手早くおつかいを済ませてこの場から逃げようと智也は考えた。
「――すみません、カレーパン三つとクロワッサンと塩パンを二つずつ下さい!」
「まいどねー、全部で千百八十円だよ」
「そこは円なのか。ていうかお金……」
元の世界と同じ通貨単位に驚きと安心感を得たが、しかし硬貨の方は未だ得体が知れない。手元にあるのは赤いのが二枚だけ、果たしてこれで足りるのかどうか。
と、思い返してみれば、先ほどのあんパン少女も同じ色で購入していたようだった。そこで智也は思い切って二枚とも手渡すことに。
「はい、お釣りとパンね」
「……ありがとうございます」
カウンターの引き出しをレジスター代わりに使っているのか、そこから取り出した複数の硬貨が智也に返される。
その中に混じっていた緑色のものに眉をひそめつつ、二人に気付かれない内にその場から去ろうとして、
「それで桃ちゃん、何かあったの?」
「何かとはなんじゃ?」
「だって、さっき叫んでたでしょ?」
忍び足で去ろうとしていた智也の肩が、ピクリと動く。
それに対して不知火は「聞いてよ葵ちゃん」と言って、ずらかろうとしていた智也の背を指差した。
肌に感じる刺すような視線が、一つ増える。
「彼奴が我のことをぞんざいに扱うのだ」
「ちょっと君、私の桃ちゃんに何したの?」
「いやいや、別に何もしてないぞ」
「そうなの?」
「ううん、入学式のときも無視された!」
確かにそれは事実ではあるが、初対面でいきなり「悠久の時を経て邂逅したのだ!」などと言われては、壁を作られても仕方ないだろうと智也は主張したい。
「我はただお喋りがしたかっただけなのに……」
「おい、それは語弊があるだろ」
「言い訳は不要よ。桃ちゃんに仇なす者は私が成敗するわ」
「血気盛んだなおい、ちょっと待てって!」
らしくもない物哀しげな表情をする不知火に「卑怯だろ」と不満を漏らすも、残念ながら友達の方は向こうの味方である。
とはいえ、まさか食堂で戦闘を始めるわけはないだろうと高を括っていたが、どこからともなく取り出した『布団叩き』が、智也に突き付けられた。
「いま、変な魔武器だなって思ったでしょ」
「滅相もございません」
とんだ言いがかりだと、首を振った智也に猜疑の目が向けられる。
しばらくじっと見つめられ、その結果信用されたのかどうか、一端武器は下げられた。ほっと安堵しつつ、それにしても妙な形だったなと心の中で呟く。
「まぁいいわ。でももし桃ちゃんに何かしたときは容赦しないから」
「肝に銘じておきます」
苦笑交じりにそう言って、足早に食堂を後にする。
ただあんパンを買うだけなのに随分と時間がかかってしまった上に、目的の物を入手することもできなかった智也。藤間辺りに「遣いも碌にできねぇのかよ」と言われそうで気が重かった。
「――それで桃ちゃん、あれが例の黒霧智也くんなの?」
「ククク……よく知っておるではないか」
「うん、タコができるくらい聞いたからね」
「奴こそが漆黒の使徒なのだ!」
「ふーん」
声高に語る少女と同じ蒼い瞳を持つ友人は、その目を訝しげに細めた。
✱✱✱✱✱✱✱
「悪いな黒霧。パシりみたいに使っちまって」
「自覚あったんすね」
まぁいいじゃねーか。と笑う先生に、お釣りと思われる青硬貨八枚と緑硬貨二枚を手渡し、頼まれた物――とは異なるものが入った袋を差し出した。
「すいません、あんパンは売り切れたみたいで」
「そうなのか。別になんでもいいぞー」
「……ありがとうございます。いただきます」
思いの外あっさりした反応に面食らいつつ、智也もその中身から一つを頂戴し、その場に腰掛けた。
「おまえそれいっほえたりんほあ?」
「まぁ……はい」
正直言えば足りないが、人のお金で食べるのに贅沢はできない。そもそも、智也はあの赤硬貨でどれくらいのものが買えるのかすら、知らなかったわけだし。
「んな遠慮しなくて良かったのによ。食うか?」
「先生こそ、あんパン好きなんですか? ……六個って結構しんどくないっすか」
「食ったことないか? あそこのあんパンすげー美味いんだぜ」
「へぇ……」
気を遣ってくれたのだろう。何個か分けてくれようとしていたが、智也はそれにかぶりを振った。
それから先生は「さすがに六個は多かったかもな」と言って口の端を吊り上げると、覇気のないその目を智也とは別の方向へ向ける。
「藤間ぁ、食うか?」
「ンなもんいらねぇよ」
もしかしたら、元から藤間たちに分け与えるつもりで頼んできたのではないかと智也は思っていた。いつの間にか、二人を囲っていた炎の檻も消えていることだし。
と、智也が密かに先生の優しさに感動する中、相変わらず不貞腐れた態度を取る藤間は、そっぽを向いてせっかくのご厚意を無下にしていた。
「あー腹が減りすぎてお腹と背中がピタゴラスな件について」
「そのままじゃ午後の授業に響くだろ。ちゃんと食って備えとけ」
そう言って、藤間の返事を待たずに持っていたパンを放り投げる先生。
いくら個包装されているとはいえ、食べ物を投げる行為は見過ごせない。だが、そうでもしなければ藤間は確実に受け取らなかっただろう。
放物線を描いて飛ぶカレーパン。当たり前だが投擲物ではないので飛距離は伸びず、藤間の元に届く前に落下してしまう。
「馬鹿かよテメェ!」
それを、座っていたにも関わらず、咄嗟に床を蹴って飛び込んだ藤間は背中で床を滑りながら、その手で見事にキャッチしてみせた。さすがの身体能力である 。
「あー俺も腹減ったなぁ」
受け取ってしまったカレーパンをどうすることもできず、悩んだ挙げ句に渋々と口をつけたそんな藤間の様子に、先生は美味しそうに同じものを頬張った。
「俺も腹減ったなぁ」
初級魔法が上手く使えなかったり、藤間が荒れたり、変な女に絡まれたりと朝から色々あったが、美味しいものを食べているときはどんな人でも幸せを感じられる――と、智也は思っている。
だから今この瞬間だけは、体育館が幸せに満ちているような、そんな気がしていた。
「俺も腹減ってるんですけどねぇ!?」
「このカレーパン、スパイス効いてて美味しいっすね」
「だろ? また気が向いたら他のも買ってみるといい」
「聞いてます? そこのお三方。いま貴方たちの心に訴えかけていますよ」
「うるさいぞ神童。どうせ真面目に授業受けねーんだから、昼抜きでも大丈夫だろ」
「俺だけ扱い酷くね!?」
その後、神童の喚く姿に藤間が鼻を鳴らしたことでまた一悶着起きていたが、何はともあれ一件落着である。
先生の表情にも少し安堵の色が伺え、取っ組み合う二人に苦笑いを浮かべる――そんな一連の様子を、智也は静かに眺めていた。
✱✱✱✱✱✱✱
「いきなりだが、今からお前らには三人一組に分かれてチーム戦を行ってもらう」
「ほんとにいきなりですね……模擬戦ってことですか?」
「模擬戦は八日後、って言ってたよ~?」
午後の授業が始まるや否や、告げられた急な予定に生徒の間で囁き声が生まれ、次第にそれがざわめきへと変わる。皆、期待と不安の入り混じったような表情だ。
それもそのはず、入学してから日は浅く、昼前に習ったばかりの魔法でいきなり実践をしろというのは、いくらなんでも気が早い。
「これは今度の模擬戦のための練習試合だ。まずは現時点でのお前らの実力を見せてもらおうと思ってな」
「つまり本番のための練習のための練習ってことっスか? ん? 練習のための練習のための……よくわかんなくなってきたっス……」
「そういうわけだ、あんま気張らずやってもらえばいい。つっても、一応は選抜の参考にするけどな」
「そう言われたら気張るしかないんだが……」
不敵に笑う先生に、智也は聞こえないように愚痴を溢し、押し寄せる不安に潰されそうになった。
「チーム分けは俺が適当に考える。ルールに関しては基本的には本番と同じだ。……で、その本番のルールなんだが」
言いながら、指を三本立てる先生。おそらく勝敗を分けるポイントが三通りあるのだろうと智也は推察するが、
「勝利条件は三つある。一つは有効打を二回決めること。もう一つは当日背中に張り付ける『魔法紙』を破壊すること……あと最後は、相手が降参宣言をするか試合の続行が不可能と判断された場合だ」
「せんせーい、ゆうこうだってなんスかー?」
「魔法紙ってなに??」
「先生、神童くんが立ったまま寝てるんですけど」
「順番に説明すっから落ち着け。あと神童は叩き起こせ」
仲良し二人組が神童の肩を揺さぶるが、涎を垂らしたまま熟睡している。先生はそれにため息を一つ溢してから、
「『魔法紙』ってのは魔力に反応して色を変える性質をもった、特殊な紙のことだ。ぱっと見、普通のと変わりないけどな」
「へ~そんなのあるんだ。てか『魔法紙』壊すだけでいいなら、絶対そっちのが良くない??」
「逆に自分が、あっけなくやられるって可能性もあるがな」
「あー、そっか」
一発逆転の可能性を秘めているが、それと同等のリスクを常に背負っているわけだ。
それに気付いた東道が得心したように唸り、先生は「ま、今回は使わないけどな」と補足して、
「有効打についてだが、言葉の通り相手に対して有効と判断できる一撃だったかどうかが基準となる。もちろん攻撃魔法でだ」
「なるほどっス?」
「本番では有効打二回で決着はつくが、今回は手軽く一発で脱落とみなす。練習ってのもあるが、なんせチーム戦だからな」
「じゃあ、先に有効打を三人に当てれば勝ちってことですか?」
「そこが、今回のミソだ」
そう言うと、先生は再び不敵な笑みを浮かべた。
それを不振がるように二人組が顔を見合わせて首を捻っている。
「さっき三人一組でチームを組んでもらうと言ったが、その中でひとりリーダーを決めてもらう。それが何かって言うと」
「先にリーダーを倒した方の勝ち……」
「そういうことだ」
説明を聞いていて思わず漏れた智也の呟きが、先生に拾われる。
ただ、それだけではまだ薄いので、もう一つ何らかの隠し味があるのだろう。智也は先生の顔を見ながらそう読んだ。
「お前らには、それぞれリーダーを伏せた状態で戦ってもらう」
「え~面白そうじゃん」
「俺は久世さんと一緒がいいな~」
「じゃあ私も!」
「ふ。参ったな……そう慌てずとも僕は逃げないよ」
チーム分けは指名制じゃないだろ、と心の中で冷静につっこむ智也。それでも、虎城たちに指名された久世が満更でもなさそうな顔をしているのを見ると、自然と藤間と同じような表情になっていた。
「んじゃ、チーム分けを発表するぞ」
十五人それぞれの顔を、灰の眼が順に見据える。
そうして時間の経過と共に緊張感が高まる中、初めての魔法戦闘の――その組分けが言い渡された。
「Aチーム――国枝大樹、黒霧智也、七霧零。
Bチーム――虎城海斗、七種麗華、藤間影虎。
Cチーム――紫月未奈、神童隆、水世怜。
Dチーム――久世聖、清涼鈴風、千林秋希。
Eチーム――栖戸心結、東道千春、雪宮蛍。以上だ」




