第十三話 「鵺のような存在」
午前の授業を終え、智也は学園の大食堂へと訪れていた。
テーブルと椅子のセットが複数並べられているそこは、腹を空かせた生徒が集まるちょっとした溜まり場だ。
と言っても大食堂の広さにしては、生徒の数はまばらである。
「見た感じ、他の組の生徒も少しはいるみたいだが……」
適当に空いている席に腰掛け、周囲を見回す。どちらかと言えば埋まっている席を探すほうが難しいほど、空席ばかりである。
「秋希ちゃん、どこに座る~? 選び放題だよ~」
「ほんとだ。まさか食堂までこんな広いなんてね」
「昔はもっと生徒の数も多かったのかな~?」
近くを通り過ぎた二人組――昨日も一緒にいるところを見かけた、クラスの女子だ。
余程仲が良いのだろう、楽しそうに話す二人の会話を耳にして、自然と智也の視線はその手元に向いていた。
二人が運んでいる盆に乗っているのは、それぞれが購入した昼食だろう。
リヴ魔法学園の学食は食券システムを導入しており、入り口近くにある券売機にて食券を購入したのち、出来上がった料理と交換ができる。
当然あの二人もその流れで席についたはずだが、智也はというと、
「流れで足を運んだものの、逆に自分の首を絞めている感が否めない……」
鼻先に漂う食欲をそそる香りに、タイミングよく智也の腹が鳴る。
学食はサイドメニュー含め数多くの種類が用意されており、魅力的なメニューが表示されている券売機は、さながら夢の詰まった宝箱のようだった。
そんな券売機を素通りし、こうして席についているのは、もちろん智也が文無しだからである。
お金がなければ紙切れ一枚手に入れることもできないのだと、十四歳にして、智也は初めてお金の大切さを知ることになった。
「まさか異世界で社会勉強するはめになるなんてな……」
押し寄せる空腹感に腹を押さえ、どうにか寝て誤魔化そうと考える。
そうして瞼を閉じ、暗闇の中へ身を投じて――ふと、頭上に気配を感じた。
テーブルに突っ伏した智也を誰かが見下ろしている。そんな嫌悪感があり、顰めたままの顔で上を向くと、そこには気持ち悪いほど嫌らしい笑みを浮かべた神童が立っていた。
「いま失礼なこと考えなかったか!?」
「キモい割には鋭いな」
「キモさは関係ねぇだろ! てか心の声聞こえてるんですけど!?」
口やかましく声を荒げる神童に、智也がわざとらしく大きなため息を溢す。
と、何故か彼は誇らしげな顔を浮かべて、ポケットの中から取り出した何かをテーブルの上へと置いた。
「ふっ……そんな態度とってていいのかよ?」
「――なんだ?」
それは、青い色をした硬貨だった。
表面には数字のニが刻まれているが、一見してただのコインにしか見えない。
「これはこの世界での通貨だ。お前、いまお金なくて困ってるんだろ?」
それは文無しの智也にとって、喉から手が出そうなほど欲しいものだった。
しかしながら、タダで貰えるとは智也も思わない。わざわざこうして見せびらかしてきたということは、何か狙いがあるのだろう。
「お前の目的はなんだ?」
「俺の目的か? それは――」
訝しみながら尋ねた智也に、神童が意味深げに笑う。
それから、真剣な表情に切り替わった様に智也は身を固くして、
「一緒に飯食おう!」
「――は?」
どんな企みを巡らせているのかと思いきや、返ってきたのは何のことはない、食事の誘いだった。
もちろん、用心深い智也は安易に釣られたりはしない。
「お前の分も奢ってやるからさ~」
「一つ聞きたい。俺の分まで払って、一緒に食べるメリットがお前にあるのか?」
そのニヤついた笑みが、余計怪しさを増していると気付いていないのだろうか。
依然、神童はその表情を変えないまま、
「お前と飯が食える……っていう理由じゃ駄目か?」
「寒気を覚えた」
「すいませーん、聞こえてまーす」
平然と臭い台詞を言い放つ神童に、智也が思わず鼻をつまむ。その仕草を見た神童は「臭いはしないだろ!」と言っているが、不思議なことに考え始めると本当に臭っているような錯覚を覚える。
「なぁ、いいだろ~? 今ならもれなくタダだぜ? なんとお一人様限定!」
よもや、智也が首を縦に振るまで諦めないつもりなのか、
しつこい勧誘にげんなりした智也は、仕方なく一つ提案を出すことに。
「分かったよ、面倒くせぇな。確かに俺は金欠だし、空腹で死にそうだ」
「だろ?」
「だからお前に面倒くさいけど奢ってもらうことにする。ただ、面倒くせぇは向こうで面倒くせぇ食ってくれ」
「どんだけ面倒くさいんだよ! つーか離れて食ったら意味ないじゃん! じゃん!」
汚物でも見るかのような顔をする智也に、神童が不満を喚き散らす。そんな騒がしい神童に負けずとも劣らない喧騒が、券売機の方から聞こえてきた。
「おい、早く金入れろよ。後がつかえてんの分からねぇのか?」
「でも……」
どうやら券売機の利用を躊躇っている紫月を、藤間が急かしているようだ。
見たところ、使い方が分からないだのという問題ではなさそうで。
「あの野郎……! また未奈ちゃんイジメやがって!」
くだらない。と視線をそらす智也と違い、神童はそれに気付いた瞬間、行動に移していた。
「ちょっと行ってくるわ」
そう言い残して駆け出す神童の背を、智也は静かに見つめる。
ただただ、その場で傍観するだけだ。
「おいコラこの……松男! 未奈ちゃんが可愛いからってイジメてんじゃねぇよ!」
「買わねぇならどけよ雑魚」
神童が口にした妙なあだ名に、智也は首を傾げる。
しかし壁を叩いて紫月を脅している藤間には、その声が届いていないよう。
「聞いてんのかよ、この松男!」
藤間の真後ろまで寄っても反応はなく、逆に紫月が顔を伏せながら、逃げるように食堂から飛び出していった。反射的に伸ばされた神童の手は、その背に届かない。
「あっ、未奈ちゃん! 松男……お前のせいで!」
「さっきからうるっせぇんだよテメェ! 松男って誰だよ!」
「ハァ~? お前のことなんですけど。そんなことも分からないんでちゅか~?」
「……いや分からないだろ」
鬼の形相で振り返る藤間に、神童が小馬鹿にしたようにそう言う。さすがに今の件に関しては、智也も同情せざるを得ない。
寸前まで怒り心頭に発していた藤間も、彼のちんぷんかんぷんな発言には呆れ返ったようで、憐れむような眼差しを向けている。
「……何言ってんだテメェ」
「分からないなら教えてやろう。松男って言うのはな、松ぼっ」
「馬鹿馬鹿しい。付き合ってられるかよ」
「あ? おい、聞かねぇのかよ!」
鼻を鳴らし、ボタン式の券売機を拳で叩いた藤間は、手早く食券を回収してカウンターの方へ歩いていく。
考案したあだ名の解説をしようとしていた神童は、その場に取り残されて口を尖らせるが、すぐにその顔を智也の方に向けて、誇らしげに胸を張った。
「してやったりな顔してるけど、お前ただ引かれただけだろ……」
「何言ってんだ。任務完了だぜ、隊長」
「やめろ、お前と一括りにするな。ていうか俺も引いてるんだよ」
「そう邪険にするなよ~、ほんとは俺のこと待ってたんだろ? なんせ俺がいないと、飯食えないもんな!」
頬杖をつきながら冷たい視線を飛ばす智也に、帰ってきた神童が敬礼を返す。それをぞんざいに手で払って追い返そうとするが、またもや気持ち悪い笑みを浮かべてそう言ってきた。
自分の弱みに付け込まれているような気がして、智也は心底嫌な気分だった。
「そんな顔するなよ、ちゃんと二人分の食券買ってきたってのにさ。『あんみつライス』と『メンブラン』だぜ、どっちが良い?」
とはいえ、お金がなくて困っていた智也に親切にしてくれているのは確かだ。その点に関しては、口には出さなくとも幾ばくかの感謝の念がある。
それにしても、今まで聞いたことのない料理名だと、智也は眉を寄せた。
それもどう考えたって組み合わせるべきではないものがミックスされているような気がして、気が気じゃない。
ここが異世界だからなのかと思案するが、下宿屋の手料理はまともなものだった。となると、学食のメニューが異色なのか。
「いや、さっきの二人は普通だったな……」
周りの生徒を確認しても、そんなゲテモノを好んで食べている者はいない。つまるところ、これは神童のチョイスということになる。
何故あえてその二つを選んだのか問い質したいところだが、まだ現物を見たわけじゃないので、ゲテモノと判断するには尚早かもしれない。
「分かる、分かるぜお前の気持ち。悩むよな~だって両方うまそうだもんな!」
いったい智也の何を理解したというのか。勝手な憶測で納得し、一人で盛り上がる始末。
そもそも、こんな怪しいものをメニューに加えた関係者もどうかしている。
奢ってもらう手前、贅沢や文句を言う資格はないのだが、できることなら冒険せず、堅実なものを選んでほしかったのが智也の本音だ。
「ん? もしかして両方食いたいのか!? 欲張りさんめ~」
「――。お前ってさ、凄いよな」
相変わらず見当外れなことを喋る神童を暫し見つめて、智也は無意識にそう呟いていた。
それは、あえてイロモノを選んだ神童への皮肉ではなく、無駄に高いテンションに関してでもない。
「昨日もそうだったけど、普通ならわざわざ面倒事に首を突っ込もうなんて思考にはならないだろ。現にあのときも、さっきも、お前以外は誰一人として動こうとはしなかった」
「んあ、未奈ちゃんのことか? だって女子を守るのが俺たち男の役目じゃん」
智也の問いに、さも当然かのように答える神童。
確かにその心構えは立派だが、彼を突き動かす原動力が何か他にあるような気がして、智也はその言葉を素直に飲み込めない。
もっと大きな要因があるのではないか――そんな根拠のない疑心が、智也の顔を一層険しくさせる。
「ま、お前も一緒じゃん」
「――なに?」
意外とまともに会話のキャッチボールができるのだと思っていたときだった。
突然投げられた神童の変化球に反応出来ず、智也はそれを掴み損ねる。
一緒とはなんのことか。まさか、紫月を助けようと動いたことではあるまい。
面倒事を嫌い、誰よりも近くにいたのに手を差し伸べなかった智也は、同じ括りにはなれない。
「……なんのことだ?」
「特に意味はない! それより飯食おうぜ、飯。俺メンブランな」
再度問いかける智也に、神童は笑みを浮かべて誤魔化してきた。
問い詰めることもできたが、結局まともな答えが返ってくるとは思えなかったため、そこで断念。
そこまでして知る必要のある話でもないだろうと割り切って、智也は神童から受け取った食券を手に、カウンターへと向かったのだった。
――その後、再び席に着いた智也たちのテーブルの上には、二種類のゲテモノ料理が並べられていた。
「あんみつライス」。
その名の通りライスにあんみつがトッピングされており、綺麗に丸められた白米が、どうやらバニラアイスを模しているようだ。
サクランボやミカンといったフルーツも乗っているが、どう考えてもお米が場違いである。それらを盛るためのお皿もお椀ではなく、ガラス製のおしゃれな物だ。
そして神童が美味しそうに食べていた「メンブラン」。
要はモンブランと麺を掛け合わせた物のようで、見た目こそ上手く表現できているがその実、あの独特な甘さが魅力的なマロンクリームが、蕎麦の麺によって代替えされている。
つまるところ、ただの汁なし蕎麦であった。
「そこまで来たらもう蕎麦でいいじゃねぇか!」
という智也のつっこみが、静かな食堂に響き渡った。




