第百十四話 「当たり前じゃなくなった日」
「リヴ魔法学園に囚われた、私の兄を助けてください」
そう繰り出された少女の言葉を、理解できずに混乱する。
「え、学園……? 兄貴??」
脳内が疑問で埋め尽くされて処理に手間取る。
寄越された真剣な眼差しを見るに、冗談や適当を言っているわけではなさそうだ。今一度先の言葉を咀嚼して、智也は思慮を巡らせた。
「一応聞くけど、俺のことじゃないよな」
「やだなぁ。貴方は将来を約束した間柄じゃないですか~」
「そうだよな……血の繋がりもないし、便宜上兄弟ってことにしてるだけだしな」
「婚約関係という観点で考えれば、一応親族ではありますけどね!!」
勝手に何を捗らせているんだと白い目を向け。いちいち反応していてはキリがないので取り合わず、耳に残った発言だけを復唱する。
「ていうか今、捕らわれてるって言ったか?」
「はい」
「学園に?」
「はい」
「……反省室のことか?」
思えば似た髪色をしているので、件の男と何か関係があるのかと尋ねてみる智也だったが、少女はまるで心当たりがないと言わんばかりの顔。どうやら見当違いらしい。
「いささか信じ難いな。誰が? なんのために?」
「学園の総責任者ですよ」
「学園長が……!? よほど悪いことでもしたってことか……?」
「逆ですよ」
目を剥く智也にあくまで淡々と答える少女。
言っている意味がわからず眉をひそめていると、なんらかの言葉を飲み込むように目を瞑ったあと、その瞳に夜闇を映し口火を切った。
「不思議だと思いませんか」
「なにがだよ?」
「何も問わず、何も言わずに、一文無しだった貴方を宿泊させた人のことを」
それは、どう考えても、この下宿屋の家主のことを指していた。
瞬間、露骨に表情を険しくする智也。少女はそれに構わず言葉を続ける。
「おかしいと思いませんか。血の繋がりもない、赤の他人にお金を恵んでくれる人がいるなんて。みんな、自分が生きることに精一杯なはずなのに」
「――口が過ぎるぞ。あの人たちは、俺のことを孫とか、自分の息子のように思ってくれて……それで親切にしてくれたんだろうが」
「心優しい人間が一人もいないとは思っていません。ですが、あまりに都合が良すぎるとは思わなかったんですか?」
「……何が言いたいんだよ」
そう問い詰める眼差しを一瞥し、少女はまた黒瞳を窓の外に投げた。
――月明かりのない空は、どこまでも暗く、冷たい色をしていた。
「この世界は嘘で塗みれている。以前にも言ったはずです、目に映るもの全てが真実とは限らないと。あの学園がどういう意図で建てられたのか――知っていますか?」
「知るわけないだろ。俺が来る前からあるんだから」
「では、なんのために魔法使いを育成していると思いますか?」
「――教育だろ? 学びと成長の場なんだから、あってしかるべき機関じゃねぇか。もちろん、俺からしたら他にはない不思議な力が学べる場ではあるけど……この世界に置き換えて考えれば何らおかしくはない」
一言一言、妙に険のある言葉選びだ。どういう経緯で兄弟と離れ離れになったかは知らないが、言うに事欠いて四方に噛みつくなんて、どうかしているとしか思えない。
一層不審がる智也。少女はそれでも勢いを止めなかった。
「――組織ですよ。有り体に言えば、軍事学校です」
「おいおい……いよいよどうしたんだよ。今日のお前、なんかおかしいぞ」
「おかしいのはこの街の方ですよ。戦闘員として従軍することになるとも露知らず、我が子を差し出している……むしろ、それと知っていながら献上しているようにも見えます。だから貴方に優しくしてくれたのも――」
「いい加減にしろよ。何があったのか知らないけど、穿った見方をしすぎだろ。どこの家庭に喜んで我が子を差し出す親がいるんだよ。そもそも、本当に学園はそんなことをしているのか? その根拠は?」
「信じてくれないんですか?」
「信じるもなにも、いきなりこんな話されたって……。軍事学校とか従軍とか、縁もゆかりもない話だろ。なんのための徴兵だよ」
「貴方は知っているはずですよ」
「なにを……」
「魔物を――殺すためです」
その、酷く冷たい声と表情が、智也の全身を撫で、戦慄させた。
外敵から守るために頑丈に作られた城壁と、それを守護している門衛。各地で増殖している魔物と多方面に拡大している被害。
他にも色々と勘繰れば、それらしきものへと繋げられる情報はある。けれど、百歩譲って学園長が秘密裏に画策していたとして、街の人は関係ないだろと智也は言いたい。
とてもじゃないが、あの人たちが子供を粗末にするとは思えないのだ。
「じゃあなんだ……お前はその兄貴とやらを助けてもらうために、俺をあの学園に入学させたってことか」
「それが私の二つ目のお願いです」
「一つ目だか二つ目だか知らないけど、生憎とそれを聞き入れる義務も義理もないんだが?」
「願い事は三つまで言っていいんですよ?」
「……俺は神様でも仏様でも魔人でもねぇよ」
そう言って、智也は重苦しいため息を吐いた。
魔物という人類に仇なす害獣を討伐するための、その戦力として生徒を育成している――――それが事実かどうかは分からないが、智也の胸に嫌なしこりが残ったのは確かだった。
その夜は、寝も寝られなかった。
✱✱✱✱✱✱
――頭にまとわりついた疑念や不安を払拭するように、走り込みに勤しむ智也。
本当は先生と会って話がしたいところだったが、何故か今日はいつもの場所にいなくて。早朝から一人、ひたすらに自分を追い込んでいた。
「仮に会えていたとして、何をどう尋ねればいいのか……」
なにもしない時間を作るとすぐに昨日の会話が脳裏に甦ってくる。
なんとなく、下宿屋の家主と顔を会わせるのも気まずくて、気付かれぬまま家を飛び出してきた。
幸い昨日買ったパンが余っていたので空腹には困らず。まるで――胸に生じたしこりのように、硬いパンへとかじりつく。美味しくない表現だと思ったが、事実、香りや味わいを楽しむことはできなかった。
彼女はなぜあのタイミングで話してきたのか。兄弟を大事に思っているなら、いの一番に頼んできてもおかしくないのに。
その理由について智也が考えを巡らせていると――どういうわけかソイツは絡んできた。
「よっ、朝から精が出るね~」
「お前……どの面下げて来たんだよ」
「見ての通りのイケてる面だが?」
くだらない返しに不興顔を向け、智也は頭を掻いた。今はこんなやつのことに思考を割いている余裕はないのだ。
これが、まだ他のクラスメイトだったなら気を紛らわすこともできたというのに。本当になんの目的で現れたのかと、眉間に深く皺を刻む。
「いやーたまの早起きもいいもんだな! 毎日ああやって走ってるのか?」
そうだ、智也が来てからかなり時間が経ったとはいえ、まだ登校時間には少し早い。この男は早くから何をしていたのか。――よくよく思い返せば校舎の方から歩いてきたような気もするが、
「おーい、シカトはひどくねー?」
「できればお前という存在を記憶から消去したいくらいだよ」
「おいおい……俺たち親友だろ? 冗談きつすぎんよ」
「誰と誰がだよ。――お前と黒いローブを着た奴が密会していたこと……忘れてねぇぞ」
結局、その件について考えるつもりはなかったものの、こうして対面していれば自然と意識はそっちに流れてしまう。
眼光鋭く睨み付ける智也。神道は肩を竦めて苦笑った。
「はは……でも、まだ話してないんだろ? あの担任にも」
「……」
単なる当て推量か。しかし事実として的を射ている発言に、智也は思わず押し黙る。対抗戦への練習で忙しくて頭から抜け落ちていたのだ。――いや、結論を後回しにして、一旦考えないようにしていたんだったか。
もう何ヵ月も前のことのように思えるあの日の残像を、木の上に見る。
「別に言いたきゃ言ってもいいんだぜ。俺は、変わらず無関係を主張するけどな」
「初めてじゃない、何度か話したことのあるような口振りだった。それじゃ通らねぇよ」
「そんな敵意丸出しにしてくれるなよ。言ったろ? 俺に敵対心はないってさ」
「それは学園に対しても含まれるのか?」
緑青色の瞳をわずかに大きくさせた神道は、動揺にも見えたその表情を隠すかのようにゆっくりと瞬いた。
昨日のそれで頭に残っていたものを何とはなしに口にしただけだったが、智也には今の仕草が妙にきな臭く感じて。
「お前……何か知ってるのか」
そう追求する智也に、彼はいつもの調子で茶を濁す。
「知っていると言えば知ってるし、知らんと言えば知らんな」
「こっちは真面目に聞いてるんだよ」
「じゃあ逆に聞くが、俺がうんとかすんとか言ったところで、お前はそれを信用できるのか?」
「それは……」
それは確かにそうなんだが、余計な悩みの種が増えたせいで頭がいっぱいなのだ。
あんな話、他の生徒にするわけにもいかないし、その点目の前の男なら、なにも気にする必要がない。信じる信じないはともかくとして、何か知っているのなら聞きたかったのが本心である。
「はぁ、自分で言っといてあれだが悲しくなるわ。……何が知りたいんだよ?」
額に手をやり大きなため息をこぼす神道。と、どういう風の吹き回しか珍しく彼の方から耳を傾けてきた。
智也は、言葉を選ぶ時間を設けてから口開いた。
「この学園は……なんのために作られたんだ? 学園長の黒い噂は本当なのか?」
「理由については創立者にでも聞かんと分からん。噂については否定はしない」
「要領を得ないな……」
「噂はどこまでいっても噂だからな。自分の目で見ない限り絶対じゃない。仮にそれが目撃者や関係者から聞いた話だっていうなら、真実味が増すけども」
なにかを試すような目でこちらを見やる神道に、智也は顔を伏せ、言いあぐねた。
「ま、警戒心の強いお前なら、なにかに巻き込まれたり誰かに騙されることもないんじゃね?」
「……」
既に怪しい少女に巻き込まれ、知らない世界へと連れ去られてしまった後なのだが……なんて、内心で自嘲して。特に話す道理もないため口には出さずに。
「……礼は言わないが、変わりにお前がなんで知っているのかは詮索しないでおく」
「その方が助かる。聞かれても答えられんからな」
そう言うと、神道は通学路の方へと視線をやり、ぽつぽつと集まりだした同級生たちに反応していた。
✱✱✱✱✱✱
「おはよー。昨日の課題できた?」
「全然。風核とか流核とかもう意味わかんないし」
昇降口。まとまって登校してきた数人の女生徒が明るく溌剌とした挨拶を交わしている。そこに、若い青髪の男性が通り掛かって――耳を聾する黄色い声が沸いた。
「おはよう」
「あ、おはようございます!!」
柔和な笑顔を浮かべた男性はそのまま大階段を上ろうとして、智也たちに気付き一目すると、また、口元に弧を描いて。
「ねぇ、今の先生かっこよくない? 上級生の受け持ちかな?」
「えーそう? 私はA組の先生の方が好みかな~。ほら、名前なんて言ったっけ。あの黒髪の――」
「けっ、いけ好かない野郎だぜ。誰だよあの男」
去り行く後ろ姿と話に花を咲かせる女生徒とに、神道が不満気に顔をしかめる。それに一言だけ呟いて、智也は歩を進めた。
「魔力測定のとき居ただろ。……ってなんで当たり前のように肩並べて歩いてんだよ」
「いーじゃん減るもんじゃないんだし。ほら、俺たちの教室はあそこだぜ!」
「百も承知だしお前は廊下にでも立ってろ」
言いながら教室に入ると、意外とほとんどのクラスメイトが揃っていた。どうやら神道のせいで相当時間を無駄にしたらしい。
と言っても、あれ以上ひとりでやることもなかったのだが。
「おはよ、智也。朝から賑やかだね」
「こいつが纏わり付いて離れないんだよ」
虫を払うような仕草を取る智也を見て、久世が微笑んだ。
「今日は? 第一じゃないのか?」
「特に指示は出されていないね」
「ふーん、さすがにまだ教室には来ないか」
黒板の方を見ながらかぶりを振った久世は、続く智也の発言にわずかに首を傾げた。
智也は、朝から先生の姿が見えなかったことを軽く説明し、久世が「なるほど」と納得の声。暇を持て余した神道は、黒板に下らない絵を描いて虎城とバカ笑いしていた。
「或いは、また街の外に出ているのかもしれないね」
「それならまぁ……いいんだけど」
妙な胸騒ぎを感じる。何事もなければいいのだが。
――そんな風に気を揉んで、忙しなく教室を歩き回って、気付けば時計の針は一周していた。
なにやら隣のクラスも騒がしい。仮に外に出ているにしても、前みたく代理の教師が来るわけでもない。いくら遅刻しがちなあの先生でも、さすがに今日は遅すぎる。
次第に他の生徒も異変を感じ始め、東道が率先して職員室に向かおうと席を立ち上がったとき――灰の眼の男はようやく現れた。
「あ、先生来たみたい」
「もー遅すぎ。教師がそんなでいいの??」
「せんせい、今日は何を教えてくれるんですか? この前言ってた召喚魔法? それとも――先生?」
待ちくたびれた生徒から矢継ぎ早に言葉を投げられながら、教卓に立った我らの担任は、
いつになく生気のない顔をしていた。
「――よく聞け。明日から授業の内容を変更する」
「え?」
「最初は戸惑いを覚えるかもしれねぇが、自分の命を守れるようにちゃんと全員俺が見てやる。お前らにはしっかりと基礎を叩き込んできた……何かあっても臨機応変に戦えるはずだ」
「ちょ、ちょっと待ってください! 命とか戦うとか、一体なんの話をしているんですか!?」
「千林……お前も姉がいるなら分かるだろ」
「分かりませんよ! ちゃんと説明してください」
ドク、ドク、と、人知れず鼓動が早くなる。
やけに遅刻してきたかと思えば急に声の調子を落とし、いかにもな雰囲気を漂わせながら神妙な面持ちで口火を切った担任。それと千林のやり取りを遠く耳にしながら、「まさか」「いやそんなわけが」と胸を押さえて現実から目を背ける。
しかし、そんな智也のささやかな抵抗も虚しく、穏やかな日常の終わりは告げられた。
「……お前らには明日から実戦に備えての訓練を行ってもらう。具体的に言えば、対魔物を意識した戦闘訓練だ」
「魔物って……外に出るってこと!?」
「そうだ。ゆくゆくはサンクヴェルトにも出向いてもらうことになるだろう。だがまずは、専用の施設で……」
「でも私たち、まだ入学して一ヶ月だよね……?」
「そうだよ、いくらなんでも早すぎでしょ!」
「今年度は優秀な魔法使いが数多くいるからこその判断だ。それに清涼、虎城。お前らも一流を目指すなら、避けて通れない道だと分かるだろう?」
声を上げた二人の生徒は、それぞれ渋い表情を浮かべて沈黙した。
重苦しい空気が満ちる中、いまの話に顔色一つ変えることのなかった男が珍しくも自分から言葉を放つ。ずいぶん久しく感じる――猛獣の唸り声のような力ある声だった。
「別に俺はなんだっていい。手っ取り早く一流になれるんならな。だがテメェはそれでいいのかよ? あんなクソ回りくどいやり方で、時間稼ぎしようとしてた癖によ」
椅子の上に片足を立て、ギラつく黄土色の双眸を教卓の上へと向ける茶髪の少年。
灰の眼の男はその鋭い眼差しに、黙して語らず目を伏せた。
「……今日の授業は中止だ。全員一旦帰れ」
頭の整理がついていないクラスメイトたち。
今日一日、これからが始まりだというのに突然の帰宅を命じられ、誰も彼もが困惑していた。
有無を言わさず教室から出ていく担任。呆気にとられ、誰も後を追いかけることはできなかった。
「本当に帰るの……?」
誰かが言った惑いと不安の混じった声に、皆がみんな顔を見合わせ、躊躇いながらも席を立つ。
クラス対抗戦という山を一つ越え、成長を実感し、更なる高みを目指して次なる一歩を繰り出そうとしていたところだったのに。
授業や練習を通して心の通う仲間が増えてきて、初めて学校生活というものに楽しさを見出だせていたところだったのに。
何もかもが、うまくいっているとそう思っていたのに。
当たり前になっていた日常が、崩れていく音がした――。




