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第百十話 「『~Eclat Ciel~』」



 結局、次の目標とすべきものは見つからなかったなと頭の片隅で考えながら、腹を空かせて食堂へと向かう智也。

 午後からはまた別の場所に集まるらしく、それまでの時間をどう潰そうかと思案して。流れ的にあの三人とお昼を共にするつもりでいたのだが、授業が終わるや否や水世は疾風のように去っていき、久世は先生に用があると言って居残っていた。


 ならばせめて雪宮だけでもと声を掛けようとした頃には、既に東道たちに連れ去られてしまっていて。仕方なく一人で行動することに。


「やっぱり声かけてきてあげよっか?? わりと暇そうにしてるよ、彼」


「ちーちゃん、そんな気にせんくて大丈夫やって。ただ最近喋ってないって言っただけやから……」


 ほどほどに賑わう食堂の中を歩き進み、券売機と睨み合っては「うーん」と唸り声を上げる。

 以前と打って変わって大金を手に入れた智也には、今やどんな特盛メニューも思うがままに食べられるのだ。しかしだからこそ、無数の選択肢に贅沢な悩みを抱いてしまうのだった。


 そんな折、ふとカウンターの前で同じような表情を浮かべていた知人を見かけ、その横顔を見つめながら「パンもありだな……」と更なる誘惑に惑わされ。それに気付いた少女がやや驚いたような声を発する。


「あ……ともや」


 久しぶりに顔を合わせたなと、側頭部で一つに纏めた淡藤色の髪を見ていると、一言「怪我……」と呟き具合を確かめるように視線を這わせる。そんな少女へ智也は肩を竦めて、


「怪我ならもうなんともないよ」


「……そう」


「あの赤髪は一緒じゃないんだな」


「赤髪じゃなくて……茜」


 独特な会話の間と温度感を思い出し、そういえばこんな感じだったなと肌に馴染ませていたところ、雨音は少し怒ったような口調で言葉を続けた。


「茜なら……先生の代わりに次の授業の準備……してる」


「あのひと娘にそんなことさせてるのか」


「……知ってたの?」


「知ってるも何もそっくりだしな……主に怖いところとか」


 聞こえないように言ったつもりだったが、口を曲げ、目くじらを立てたその顔を見るところバレているようだ。智也は素知らぬ顔で目を逸らした。


 どうも、相方のことになると過敏に反応するらしい。寝食を共にしているくらいなのだから、二人の間には相当な絆があるのだろう。それでいうと智也は、まるでなにも知らない女と一緒にいることになるのだが。


「B組……ともやと戦った人、反省室送りになったって……」


「あぁ、神崎のことか? ……らしいな」


 明後日の方向を見やり考え事をしていると、雨音が話を元に戻してきた。ああ見えて心配してくれているのだろうかと、そう考えながら智也はまた思いを馳せる。


 ――神崎竜士。

 不真面目そうな印象を裏切らない、狡い手段を用いて対抗戦のマッチアップを意図的に変えてきた男。

 彼の反則行為はそれだけに留まらず、無用な暴力をやめるよう警告されてなお、握った拳を解こうとはしなかった。


 たしかな実力こそあったものの、あまりの卑劣な行為に、どうやら暫しの禁足を命じられたらしい。あの性格で、素直に大人しくしているとも思えないが――。


「わたし……あいつ嫌い……」


「なんだ、そうなのか? だから俺の肩を持ってくれたのか」


「敵の敵は……敵だから……」


「全員敵じゃねぇか!」


 思わず声を出してしまう智也を前に、雨音は冷然とした態度で「わたしの味方は茜だけ……」と呟く。

 ――そんな二人の立ち話を、ぼけーっと眺める別の女生徒。


「なんだかんだ気になってんじゃん」


「べ、別に私は……」


「てか誰?? あの子。初めて見たんだけど」


「ふむ。対抗戦には出ていなかったようだね」


 同じ方向に首を傾けながら、肩越しにその様子を窺い見ていた東道は、真逆から聞こえた意想外な声に腹の底から声を出した。


「うわっ!! なんだ久世くんかぁ……びっくりするじゃん。もう用は済んだの??」


「すまない、そこまで驚かれるとは……。僕も相席しても構わないかな?」


「男子が恋バナに混じっちゃダメだよー。一緒するのはいいけど」


 その言に、他に相席していた男子生徒を見やっては怪訝そうな顔をする久世。すぐ隣では、その内の一人である国枝がお盆を持って立ち上がり、奥の席へと移ろうとしていた。


「あぁ、僕に構わなくても大丈夫だよ」


「ううん。そこ使って」


 ――親切とも素っ気ないとも取れる言葉の肌触り。久世は物思わしげな表情を浮かべ、少し躊躇ってから椅子に腰掛けた。

 盆の上、小分けに盛られた和を意識した品々に、「意外と少食じゃん??」と東道の声。


「特別そういうわけではないけれど、たしかに大喰らいではないかもしれないね」


 斜向かいで黙々と匙を口に運んでいる栖戸を見て、久世が一笑。それを受けた東道はテーブルに両肘を付きながら、顎を乗せて羨ましげにぼやいた。


「でもさ~、ゆきみーも久世くんもいいよね~。好きなもの好きなだけ食べられるんだから。ウチは兄弟多いからさ。対抗戦に出られたら弟たちにも贅沢させられたんだけど……あ、これは僻みね。ウチじゃ勝てなかったと思うし」


 本人は冗談っぽく笑っていたが、久世は何とも言えぬ顔をしていた。その傍ら、兄弟という単語に反応した雪宮の手が、一瞬止まったのは誰も気付かず。

 言い淀むような素振りを見せた末、久世が提言する。


「お金のことなら――」


「ダメダメ。いくら友達だろうと金銭の貸し借りはしないって決めてるから。ってかそこまで困ってないんだけど~」


「……今のは無礼だった」


「もー真に受けすぎ~!」


 肩を叩いて破顔する東道。久世は藍色の髪を触りながら眉尻を下げた。


「せっかくのご飯なんだから美味しく食べよ?? ね、未柰」


「あっ……」


 そう言って視線を向けた先。燃え尽きる寸前の蝋燭が風に吹かれて消えゆくような――そんなか細く儚い声を出した紫月の、その眼差しが意味するところを理解した東道は落胆したように吐息をついた。


「あちゃー、そうこうしてる間にどっか行っちゃったじゃん。だから言ったのに~」


 東道の呆れ果てた声色に、紫月は口を噤み、下を向いて前髪を弄りながら視線を彷徨わせていた。



 ✱✱✱✱✱✱



「まさか本当に二人で行くことになるなんてな……」


 隣を歩く華奢な少女を見やってそう呟くと、雨音は萩色の瞳をこちらへ寄越し、小首を傾げた。

 なんてことない話だと智也は流しつつ、二人はとある目的地へ赴くため、学園の外へと繰り出して。


「それにしても、全部売り切れなんてことがあるんだな。雨音の他にも熱烈なファンがいたってことか」


「たぶん……そうじゃない」


 食堂の一角に設けられたパン売り場。小型のショーケースとはいえそれなりの数と種類が取り揃えられていたはずだが、今日は何故か早い時間から完売していた。それを誰かが買い占めたのだと推測する智也の言に、雨音は瞑目して否定の意を示し、今度は智也が眉をひそめる。


 しかしそれに対する解はもらえずで、雨音はただ「行けばわかる」と一言。せかせかと歩いていく背中を見つめ、頭を掻いてからそれに付いていった。



 この街に来てからもうしばらく経つが、あまりの行動範囲の狭さに通学路以外の道を智也は把握していない。

 それは元いた場所でも同じだったため、母親に周りをよく見なさいと呆れられたりして。それもあってランニングを始めたが、結局見る景色はさほど変わらず。なんて、無意識に過去のことを思い出していると、分かれ道を左に曲がる先導者。

 いつも遠目に見ていただけの並木道を、物珍しそうに見回す智也へ逆に好奇の目が向けられる。


「……いや、こっち通るの初めてだったからさ」


「……変な人。いつも、どこから来てるの……?」


「どこって、あっちの路地だけど」


 そう言って智也が後ろを指差すと、雨音は汚いものを見るような目付きで半歩後退った。


「な、なんだよ」


「あっちは芥場……普通は通らない……」


 どうりでいつも臭かったのか。と心の中で叫びつつ、なんで今まで誰も教えてくれなかったのかと苦虫を噛んだ。

 思えば、いつかの早朝で、廃棄物らしきものを漁っていた同い年くらいの少年を見かけたこともあったなと思い出しながら、


「じゃあ雨音たちは下宿屋からどう通ってるんだ? わざわざ向こうから大回りして――」


「……道ならそこにある」


 目を向けた先。森に沿うような形で植えられた並木の間、おそらく中央広場方面まで繫がっているであろう脇道が伸びていた。

 全く気付かなかったと視野の狭さを恥じながら、次からはこちらを使おうと苦笑い。そうして歩みを再開した智也たちは、住宅街へと入っていった。


 正面に見える大きな門。それと同じものを智也は知っているが、あれとはまた別の関所だろう。話に聞いていた東門か、と口の中で呟きつつ、迷いない足取りで街路を進む背中を追う。


「……着いた」


 東門に繋がる表通りから一本入った道沿いに、件の店はあった。

 格子窓の付いた木製のドアに蕾型のブラケットライト。隣には小窓が縦に二つ並んでいて、前にはオープンと書かれた立て看板が設置されている。入口はこじんまりとしているが、ドアの左手には大きめの窓が取り付けられており店内の様子が窺えた。

 種類の異なる複数の照明や突き出し看板、ドア横のブランチツリーなど、それら装飾を合わせて俯瞰した印象としては、


「随分可愛らしいお店だな……男一人で入るのは躊躇われるけど――」


 幸い今はその必要がないと、隣に立つ少女を見やる。

 雨音の方は何度か来ているのか、まるで我が家の扉を叩くが如く勢いで、ずいずいと店内に入っていく。


 開けた瞬間、香ばしい匂いが空気の流れに乗ってきて、智也の顔に纏わりついた。正確には、纏わりついたと錯覚するほどの馥郁だったのだ。

 天にも昇る心持ちで思わず意識を失いそうになるが、垂れそうになった涎を吸いつつどうにか踏みとどまる。気付けば、智也の両手には雨音が持たせたであろうトレーが挟まっていた。


「ともや……どれにする……?」


 手にしたトングをかちかちと鳴らしながら、爛々と目を輝かせる雨音。同じように黒瞳をかっぴらきながら、側にあった陳列棚へと視線を移す。

 平らなバスケットの上、いくつもの種類のパンが個性豊かな顔を見せている。悩ましい。実に悩ましいと、一つ一つ注視しながら智也は考えあぐねた。


 中には学園や下宿屋の食堂で目にしたものもあったが、気のせいでなければ値上がりしているように見受けられる。元が安かったからさして変わりはしないが、もしかしてこれが雨音の言っていた理由なのだろうか。


「ふん。ふん。ふん」


 優柔不断な智也に反して、一心不乱にあんパンだけをトレーに乗せていく雨音。それを受け取りながら、揺るぎないなと苦笑した。


 無限の胃袋と無尽蔵のお金があるなら全種類味わいたいところだったが、そうはいかないため泣く泣く候補を絞っていく。味の保証はされているため、どれを選んでも満足感が得られることに間違いはないだろう。


「どうだ、うまそうだろ」


 と、ついつい目移りしていた智也へ不意に声が掛けられて、我に返ると共に、耳に届いた音を幻聴かと疑った。


「あ!! え!?」


 店の雰囲気とは不釣り合いなそのイメージから、まさかその人がこんな場所にいるなんて思いもせず。燃える炎のような真っ赤な髪の女性を見つめては、困惑の二文字で頭の中が埋め尽くされる。


 自分と売り物とで忙しなく首を動かす智也に、見知った女性は「どれも私が丹精込めて作った一級品だよ」と誇らしげに笑う。それから、頬杖をついた姿勢のまま藤の瞳を深く閉じて、


「その後調子はどうだ。ちゃんと春香に治してもらったか?」


「あぁ……はい」


 さっきの衝撃が冷めやらず、上の空気味な返事になったが女性は「そうか」と得心したように相槌を打った。


「いやそんなことより――ここ、桐明先生のお店なんですか? ていうかいま私が作ったって……」


「そうだよ。歴としたパン職人さ」


「でも教師の仕事は……?」 


 言ってすぐ、だから娘に手伝いを――と、先の話が腑に落ちる。


「週に三度、昼までだがここで営業してるんだ」


「なるほど……」


「如何せん、教師としての才能にも富んでいるが、パン職人としての資質にも恵まれていてな」


 見習いたいくらい自信に溢れた面魂だ。

 前者は自分の担任には劣るだろうけど、後者の方は思わず頷いてしまうだけの実力がある。捨て置くにはあまりにもったいないと、智也は売場を一瞥しながらしみじみ思った。


「だから娘と別居してるってことか」


 浅い知識でも、パン屋の朝が早いことくらいは知っている。納得して独り言ちる智也のそれに、先生は眉間に皺を寄せたあと、何かを悟ったような顔をして笑い出した。


「あっはっはっは、そうか、お前か。茜の言ってた変な男ってのは」


「変な……」


「くふふ、なるほどな。夕、心配しなくてもこの坊主は毒にも薬にもなりゃしないよ」


 まだ買ってすらないあんパンを口に入れていた雨音へそんな言葉が投げられて。きょとんとした顔でコクりと頷く――そんな雨音の反応に意味深げに笑みを湛えると「言うまでもなかったか」と一言。


 なにか、自分の知らないところでとてつもなく失礼なやり取りが交わされている気がして、智也はなんとも言えぬ顔をした。


「私としても愛おしい娘たちと片時も離れたくはないんだが、生憎前日からの仕込みがあるし朝も早くてな。まぁあとは、パン作りは一流だけど飯を作るのが苦手ってのもある」


「わたしは……毎食あんパンでもいい……」


 気持ちは分からなくないが、さすがにそれは健康面に支障が出るだろう。その分、栄養に気遣ってくれる新井さんのところなら安心して預けられるわけだ。


「ここのパン、俺も好きだから……細く長く続いてほしいな」


 おそらく価格改定のなされた手書きの値札を熟視しながら、囁くように胸中を吐露する。そんな智也を藤の瞳がじっと見据え、何かに気付いた雨音が横から言葉を挟んだ。


「今日……学園に売ってなかったから、こっちにきた……」


「それでか。珍しいなと思ったら。――悪いな、いま小麦が高騰してるんだよ」


「どこもかしこも不況で嫌になるな……」


 訳を知り、誰にも聞こえないようそう呟いた智也は眦を決すると、持っていた盆を雨音に預け、新しいのを取りに入口へと戻った。

 突然の行動に面食らう二人。智也は構わず思うがままに動いた。


「……」


「……ともや?」


 潰れない範囲で、ありったけのパンを盆の上に乗せていく智也。あれも、これもと、決めかねていたものを全部搔き集めて宝の山ができあがる。


「これ全部ください」


「おいおい……何考えてんだ? 変な気遣いならいらねぇぞ」


「別に。ただ俺は、ここのパンが好きなだけですよ」


 強い意志を孕んだ眼差しに、対面した先生は赤い髪を掻きあげるとその手を止めて、一頻り思考に潜ってからため息と共に腕を下ろした。


「ったく、ちゃんと全部食えんだろうな」


「こんな美味しそうなパン、粗末になんてできませんよ」


「ったりめーだ! 誰が作ったと思ってやがる」


 思わず見惚れてしまいそうになる宝の山に智也が笑みを湛えると、先生は自信に溢れた顔で一笑した。


 そうして、とても一人じゃ食しきれない量を購入した智也は、大袋片手に店を出て。少し遅れて会計を済ませた雨音が鈴の音と共に現れる。


「話、終わったのか?」


「……うん。D組の言伝、預かっただけ」


「そうか」


「……ありがとう」


 小さく呟かれた言葉を耳に、店の方へと振り返った智也は看板に記された店名を見つけて目を瞑る。


「エクラシエル……輝く空か。――いいお母さんだな」


 隣の少女を見やってそう言うと、萩色の瞳が大きく見開かれ、口元を綻ばせた雨音が今日一番の声を上げた。


「うん!」



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