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第百八話 「感謝の気持ち」



「少し触りますね」


「ん……はい」


 服の下に滑る五指が肋骨の当たりをゆっくり撫で回すように動いて、心臓が飛び出そうになる。

 治療を受けたのは今回だけに限らないが、肌に直接触れられたのはこれが初めてなため、慣れない感触に少年智也はドギマギしていた。

 

「壊れなし。経過は良好ですね」


「今ので分かるんですか?」


「はい。魔力を振動させて骨折箇所の状態を確認しました。痛みもありませんね?」


 その問いに小さく首肯しつつ、今一度治癒魔法のすごさを体感する。顎の方もさっき治療用装具を外してもらったところだが、特に噛み合わせに異常もなく、普通に会話ができている。


「この分なら、明日には授業に参加しても大丈夫かもしれませんね」


「ほんとうですか!? 長かったぁ……」


「思いの外、回復が早いようですから。それにしても、二週間どころか一週間もじっとしていられないなんて……本来なら五日程度で完治なんてしないんですよ?」


「新井先生のおかげです! ありがとうございます」


 智也がそういうと、彼女はなぜか渋い表情を浮かべた。


「自分の体、ちゃんと労ってあげてくださいね」


「はい……次からは気を付けます」


 優しい忠告を苦笑混じりに受け止めて、早速明日からの日常に思いを馳せる。


 五日間、毎日花顔を拝められたのは眼福であったが、新しい魔法を学んだり知識を身に付ける楽しさというのはやはり授業に参加しないと得られない。

 学校にいながら学校に行きたいという妙な感情を抱いたが、そこまで前向きになれる日が来るなんて、これまでの智也なら思いもしなかっただろう。


「えーっと、てことはもう家に帰ってもいいんですか?」


「なんか、早く帰りたいみたいですね。私のご飯は美味しくなかったですか?」


「いやいや、美味しかったですよ! ほぼ流動食だったけど……」


 智也の言に、新井先生は柳眉を寄せて物言いたいげな顔。それからツンとすますように視線を流すと、小さく独り言を呟いて。


「弟子は師匠に似るってほんとなのかなぁ」


「なんですか?」


「なんでも。帰り、気をつけてくださいね」


 なんと言われたのか気になるところではあったが、暖簾を下ろされたため仕方なく引き下がった。


 改めて感謝の言葉を口にして、一礼と共に保健室を後にする智也。

 と、クラスメイトの一人がそこで待っていて、その意外性に思わず目を見張った。新井先生に用があるのだと思いきや、自分のことを呼び止めてきたからだ。


「く……黒霧!」


 そして、やにわに頭を下げてきた彼の行動に、智也は続けて豆鉄砲を食らわされる。


「ごめん!」


 唐突すぎてまるでなんのことか理解が及ばない。虎城とは、ほとんど話したこともなかったはずだが――。

 そんな風に困惑していると、彼はおずおずと語りだした。


「この間の、決勝戦の組み合わせ……おかしいと思わなかったか……?」


「あー、まぁ……」


 対抗戦の件か。と心の中で呟いて、話の切り出し方から全容を察し、あの日抱いた疑問が氷解する。


「俺が……B組のやつらに情報を流したんだ。疑ってたんだ、お前が贔屓されてるんじゃないかって。それで神崎に、変わりに憂さ晴らししてやるからって言われて……」


「……」


「こうなるって分かってたのに、自分の愚かな嫉妬心を抑えられなかった。怪我をしたのも全部俺のせいだ。ほんとうにごめん……」


 ばつの悪そうな顔で胸襟を開いた虎城。

 その懺悔を聞きながら、他の人ならなんと応じるだろうかと智也は一思案した。


 確かに、神崎には治療に専念しなければならないほどの傷を負わされた。奇跡的に短期間で治ったから良かったものの、下手をすれば何ヵ月も病室暮らしになっていたところだ。


 だが、当人は然るべき処分を受けているとのことで、怪我も一応は事なきを得ている。

 言いづらかっただろうに、虎城はわざわざ自ら名乗り出てきた。だったら今回のことはおおらかな心で水に流そうと思えるほど智也はお人好しではない。


「……予想はしてたよ。俺みたいな余所者が、ぽっと出で選抜されたら反感を買うんじゃないかって。だから皆に納得してもらうためにも、最後まで全力で挑んだんだけどな」


「ごめん……」


 許してもらえると思っていたかどうかは定かじゃないが、ここまで嫌味たらしい物言いをされるとは思ってなかったのではなかろうか。

 虎城は、今にも罪悪感に押し潰されそうな顔になっていた。


「――なんてな。俺が眠ってる間、見舞いに来てくれてたんだろ? 新井先生から聞いたよ」


 負い目から視線を落とす彼にそう話すと、少しだけ顔を上げたがすぐに力なく首を垂れた。

 それを智也は熟視して、


「他の四人にも話した後だと思うけど、大方、水世辺りに小っ酷く叱られたんじゃないか? だったら俺がそれ以上言うことは何もないよ」


「あんなに、酷い目に遭ったのに……?」


「負けてたら俺もキレてたかもなぁ。でも、仮に心に余裕がなかったとしても……あの一戦は俺にとって必要な経験だったと、そう思ったはずだ」


「俺はお前を売ったんだぞ……? 憎くないのかよ……」


「あれだけ目の敵にしてたんだ、どの道、あいつとは戦う羽目になってただろうよ。まぁ、それで虎城のしたことが正当化されるわけじゃないけど」


「だったら……!」


「――嫉妬なんて誰でもするもんだろ。俺なんて入学してからずっと、嫉妬しかしてこなかったよ。だから虎城の気持ちが分からなくはない」


 ちょうどひと月前、そこの保健室で悔しさの余り泣き腫らしたことは記憶に新しい。あのときはとりわけ勝つことに拘っていて、結果を出せなきゃ意味がないと思っていた。

 負けず嫌いな性格が今後変わることはないだろうが、あれほど強い相手に食らいつけたのだから、結果が出せずとも上等だと、今の智也なら思える。


「とはいえ、賞金が手に入らなかったらそれどころじゃなかったかもしれないが……」


 それに関しては、大金を貰った今も、なんらかの手段で継続的に資金を入手する方法を模索する必要があるだろう。

 お金は有限だと常々口にしていた母の言葉を思い出していると、虎城が身を震わせ、取りすがるような声で訴えてきた。


「俺は殴られる覚悟をしてここに来たのに……なんで怒りすらしないんだよ。お前が俺を許したら、誰に糾弾されればいいんだよ!」


「……お前を殴ろうとは思えないよ」


「罵声でも暴言でもいいから浴びせろよ。俺に報復したいって思えよ!」


 そうは言われても、智也に怒りの感情は微塵もなかった。

 お人好しではないと自己を認識していたつもりだったが、どこかで過ぎたことだと許していたのかもしれない。

 先のやり取りで彼が猛省しているのは見て取れて、それ以上の謝罪は別に求めていないのだ。


「ごめん」


「なんでお前が謝るんだよ……」


 尽きない後悔に表情を歪ませ歯を噛み締める虎城。或いはどんな厳しい言葉よりも、それは手痛い仕打ちだったのかもしれない。

 どうしたものかと頬を掻きながら、智也は何となしに思い浮かんだ考えを口にした。


「あー……じゃあ、殴る変わりに一つ頼みを聞いてもらってもいいか?」


 長い沈黙を作ったあと、虎城がわずかに反応を見せて。それを肯定と捉えた智也は頭に手をやりながら言葉を続けた。


「もしこの先、一人じゃどうにもならない困難に直面することがあったとしたら、そのときは俺の助けになってほしいんだ」


「それだけ……?」


「それだけ。ってか、それがいい」


 報復なんかするよりも、そっちの方がよっぽど意義があるだろう。

 色々と足りないことを自覚している身としては、いざという時に頼れる伝手があるというのは何より心強いしありがたい。

 きっかけは根深い嫉妬心だったかもしれないが、なんであれそれでクラスメイトの一人とまた距離を縮められるのだとしたら、人付き合いに消極的な智也には軽い代償だと言える。さすがに、そんなことを繰り返していては身が持たないが。


「ほら、俺って魔力も少ないしさ……皆と違って出来ることに限りがあるから何かと困るんだよ」


「……それでも選抜されたし神崎に勝っただろ」


「うぐ……それは……」


 奇跡だったとはいえ、事実そうなのだから返す言葉を失ってしまう。

 気まずい沈黙を紛らわすための発言だったが、今のは完全に失策だったと冷や汗をかいた。


「その程度のことで……」


「ん?」


「その程度のことで、俺のしたことが許されていいのか……?」


「一応被害者? の俺がそう言ってるんだからそれでいいんだよ。むしろこっちとしては、一番それが望ましいんだ」


 智也がそう諭すと、虎城は小さな声で「わかった」と承諾の意を示した。


 その場の思い付きだったとはいえ、中々いい具合に彼の罪悪感を打ち消せたのではなかろうか。自画自賛――というよりかは、変に気負わせないで済んで智也は安堵していた。


「明日から……授業に出るんだろ?」


「あぁ、聞いてたのか。診てくれた人が良かったおかげで簡単に治ったよ」


「別に、一回きりってわけじゃないんだし……困ったらいつでも呼んでくれていいから」


 顎の方を擦りながら怪我の快復をアピールする智也に、しかし虎城は目をくれず。ひとことふたこと呟くと、そのまま去っていってしまう。


 さすがに今のそれで急接近とはいかないか、と眉を下げつつ。遠ざかる背中を見つめていると、角を曲がる直前でピタと足が止まった。

 何事か。そう訝しむ智也へ虎城が背を向けたまま口開く。


「……許してくれてありがとう。この償いは、絶対にするから」


 そんな大袈裟な、と見えなくなった背中に智也は苦笑を漏らした。



 ✱✱✱✱✱✱✱



 五日ぶりに外の空気を吸って、深呼吸。

 ちょうど午後の授業が始まるくらいの時間だったからか、校門に来るまでの間で誰かとすれ違うこともなく。智也は一人、早退気味に下校することに。


 なんなら「今からでも参加できるのでは?」と一瞬思ったが、目を光らせた美人の顔が浮かんだため、さすがに今日一日は安静にしておこうと自制して。軽快な足取りで長い階段を下っていく。


 それは、明日を心待ちにしているが故のものでもあったが、今から向かう場所に大きく起因していた。


「やっと、恩返しできるんだ」


 それをしたいがために、どれだけ打ちのめされようと諦めなかったと言っても過言ではない。智也の認識ではかなりの大金だと思っているが、経営不振のあの店の助けにどれほどなれるだろうか。

 腰ポケットに入れた革袋にズボンの上から触れて、その口元に小さな弧を作る。


 そして、中央広場に差し掛かったところで脇にある件の店を視界に入れ、


「あれ? 閉まってる?」


 窓辺に葉巻を咥えた強面の姿はなく、少し寄って確認すれば扉には閉店と記された看板がぶら下がっていた。


 どんな反応をしてくれるだろうか、喜んでくれるだろうか、などと期待に胸を膨らませていたというのに拍子抜けである。

 いやむしろ、何かあったのだろうかと心配に思えてくるが――、


「来るのが早すぎただけ、か……?」


 いつもとは時間帯が異なるため、その可能性は大いにあった。

 しかし待てど暮らせど迷惑にならない程度に呼びかけようと、固く閉ざされた扉に変化はなく。痺れを切らした智也は意を決して目に留まった住人に尋ねてみた。


「あの、すいません」


「あぁん? なんだぁおまえ?」


「酒くさっ……」


 噴水の縁に腰掛けていた男が智也の声に振り返り、たっぷり口内に含んだアルコールを吐息に乗せて放ってくる。思わず鼻をつまみたくなる衝動を堪えると同時に、完全に相手を間違えたと苦虫を噛んだ。


「ガキがこんが時間になぁにやってんだよ。たんと勉強しねぇとロクな大人になれねぇぞっ! おれさまが若い頃はなぁ――」


「すいません、そこの射的屋って休業中なんですか?」


「あぁ? 学校サボって博打たぁクソ生意気なガキだな」


 昼間から公共の場で酔いつぶれている中年に言われたくはないと思いつつ、「休業中なんですか?」と負けじと問いを繰り返す智也。


「ケッ、敬うってことを知らねぇのかこのクソガキはよぉ。そこの店なら何日か前からずっとああだよ。潰れたんじゃねぇのか?」


 不愉快な笑い声を撒き散らしながら、ひっく、ひっくと喉を鳴らす酔いどれ。それを蔑視してから今一度店の方を確認して、今日のところは諦めるしかないか、と智也は判断した。


 相手が相手なためイマイチ信用に欠ける反面、以前にも朝方から酔っ払っているところを何度か見たことがあるため、高頻度で出没しているのだと察せられる。となると、しばらく店を空けている話は本当かもしれないと思ったのだ。


「教えていただきありがとうございました」


 智也がそう頭を下げると、男は「わかってるじゃねぇか、それでいいんだよ」と優越感に浸っていた。

 色んな大人がいるもんだと思いながら、なんだかんだ自分は恵まれた環境で育ったんだなと自己のそれまでを顧みる。


 もう会えないあの人に今更ながら感謝の気持ちを抱いて。ならばせめて今会える人に、できなかったことをしようという心積もりで足先を下宿屋へ。


 代わりというわけではなく、元より二人に報恩するつもりだったから。ただこちら側は恩返しというよりかは、分け隔てなく接してくれたことに対しての――いや、それだけでなく、無一文の智也に今日まで温かいご飯と寝床を提供してくれたことに対して、返しても返し切れない感謝の気持ちがあるのだ。


「そういう意味では精品とか用意するべきだったなぁ……」


 大事なところで気の回らない頭にガツンと手を当てる。そうして智也は、第二の親とも呼べる夫人の元へ向かうのだった。


「ただいまー」


「まぁ、おかえりなさい」


 いつになく明るい声で家に入ると、掃除をしていたと思われる格好の家主と鉢合わせた。五日ぶりに帰ってきた智也の姿に、驚きと安心が混ざったような笑顔がそこに浮かぶ。


「もう普通にしてて大丈夫なのかい?」


「はい、この通り快調です!」


 そう智也が力こぶを作って笑いかけると、家主――新井さんは作業を取り止めこちらに歩み寄ってくる。

 そして、


「対抗祭、すごく頑張ったわねぇ」

「うお……」


 やにわに黒髪をわしゃわしゃと撫で始めたかと思えば、その慈愛に満ちた懐へと抱き寄せられて。それは反則だと、思わず目頭が熱くなった。


「ちゃんと見てたよ。自分で決めたことを最後まで諦めずにやり遂げる……口で言うのは簡単だけど、中々できる人はいないさね。偉いもんだよ」


「……どうしてもお礼したい人がいて。けど自分には、なんの知識も技術もないからそれ以外に方法を知らなくて……だから……」


「一生懸命戦ってて、格好よかったよ」


 背中をポンポンと叩かれながら、五日前の激闘が頭を掠めていった。


 痛くて、苦しくて、骨という骨が砕かれるような――感じたことのない重圧を全身に浴びて。それでも文字通り身を粉にしながら智也は戦い抜けた。


 神崎が先に倒れたのを見た瞬間、胸の内から湧き出た達成感と、あの解放感は一生忘れないだろう。死ぬ気で頑張ってよかったと、心からそう思う。


「あの……それでこれ、新井さんに渡したくて」


 いつまでも抱きしめられていては恥ずかしいので少し距離を離しつつ、大事な目的を全うするべく、内ポケットから取り出した化粧箱に両手を添えて差し出す。


 白い箱に取り付けられた赤いリボン。

 中身はもちろん長い間払えていなかった宿泊費のそれだが、そのまま現金を渡すのもどうなのかと、智也は思ったのだ。


 しかしこうして相手の反応を見てみると変に期待を煽りかねず、さすがにリボンまでは余計だったかと数瞬のあいだ躊躇って。

 飾り付けてくれた白衣の美人に誰に何を渡すのかと問われた際、現金と答えた智也の発言に本気で困惑していた顔が昨日のことのように思い浮かぶ。


「まぁ! 何が入ってるのかしら?」


「あ、宿泊費なんですけど……」


 ――目を点にした目の前の夫人の表情と、ちょうどそれが重なって見えた。


 気持ちを切り替えて。

 智也は頭の中にある感情を、一つ一つ言葉に乗せて伝えていった。


「……ありがとうございました。お金もないのに、ずっと親切にしていただいて。毎日美味しいご飯を食べさせてもらえてたから、俺はここまで頑張ってこれました。本当に、心から感謝しています」


「いいのよ、それくらい。言ったでしょう? 一人くらいサービスしたってかまやしないって」


「いえ。ちゃんと自分でケジメをつけたかったので」


「そうね、そう言ってたものね。……あなたのその気持ちが嬉しいわ」


 智也の渡したそれを優しく撫でながら、新井さんは幸せそうな顔で笑っていた。


 ――あぁ、やっとだ。やっとこれで、心置きなく過ごせるんだ。


 許しを乞うて、許可されていたとはいえ、完全にはなくなっていなかった心疚しい気持ち。それが晴れて、羽根のように身が軽くなったのを感じた。


「……あ、いやでも、それで足りますかね? あともう少しなら出せるんすけど……」


 よくよく考えれば、宿賃がいくらなのかも知らないまま甘えさせてもらっていたことになる。

 しかしこの世界の相場以前に、そも家から出たことのなかった智也にどれくらい費用がかかるものなのか、見当がつくはずがなく。


 故に大胆に分割したものだから、自分の手元に残ったのは全体の二割ほどで。最悪それらを全て差し出すのもやぶさかではなかったが、件のお店のために取っておいた分は残しておきたかった。


「そうねぇ……可愛いリボンをほどいちゃうのはもったいないけれど……苦労して手に入れたお金だから、ちゃんと確認させてもらおうかしらね」


 そう言って惜しむように丁寧に結び目を解いていく新井さん。箱の蓋をずらし、中身を確認すると、先ほど以上に驚いた顔に。


「あらまっ。こんなに?」


「え?」


「あなた、これだけあれば来学年まで住めるじゃないの」


 その言に、頭の中で数字が飛び交い算盤玉が弾かれて、想定との乖離についていけずに混乱する。


「えーっと、月単位でいうとどれくらい必要なんですか……?」


「あら、言ってなかったかしら。金硬貨三枚がウチの宿泊料金だよ」


「たったの三万円!?」


 智也は心の中で叫んだ。


 ――いや、わからない。お金を稼いだことのない智也には、それがどの程度のものなのか比較する情報がない。

 初めて手に入れた資金――いわば初任給のようなものがウン十万だったのだから、いまいちその感覚も掴めないのだ。


「いいのかい? 一度にこんなに渡しちゃって」


「あー、いや……はい。そのつもりだったので」


 目を剥いたまま固まった智也の顔が、渡しすぎてしまったと悔いているように映ったのかもしれない。心配して確認してくれた新井さんに、問題はないと伝えつつ。


 学園の生徒――それも知る限り女の子のみが入居していることを考慮しても、やはり安すぎではないかと思ってしまう。

 あんなに美味しいご飯を毎日たらふく食べられて、それで月三万……何がなんでもここに住み着きたいと、智也は目を光らせた。


「そうかい。じゃあ有り難く頂戴するね」


「はい!」


 嬉しそうに、大事そうに小箱を抱えながら、新井さんはカウンター奥の自室へと歩いていった。



 なんて清々しい気持ちなんだ。

 惜しむらくは、実の母にもそうした反哺の孝をしようにも、その想いを届ける術がないことだ。

 でも、またいつかどこか遠い場所で会えたとしたら、そのときに恥ずかしくないよう立派になろうと、そう智也は思うのだった。



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