第百七話 「魔窟調査の裏」
雪解けの景色のように溶けて消えた人の影。
先刻まで戦いのあったその形跡だけが、残雪のごとく散在している。
そんな光景を眼下に見る黒を装った者。足元まで隠れる長いワンピースに、つばの大きな三角帽子を目深に被ったいかにもな風体で、それは岩崖の上に佇んでいた。
「どっひゃー、えらい散らかりようやなぁ。これ全部一人でやりはったん? おもとったより残忍で肝抜かれたわ」
と、そこへ新たな影が姿を現して。黒ずくめの女の隣に並び立つと大口を開けてそう喋った。
けったいな風貌だ。全身が黒い羽毛で覆われており、尻には扇型に尾羽が生えている。短いなりにしっかりと大地を踏みしめている足趾には、黒い光沢を放つ三本の爪。そして何より、饒舌に語るその口吻には緩やかに湾曲した大きな嘴がついていた。
「なんや最近、オセのやつが好き勝手しとるっちゅーから様子見てこい言われたんすわ。若いもんはこき使われてかなわんなぁ」
「……」
「これもあいつの指示なん? 嬢ちゃん、したくない事はな、別にせんでもええんやで。俺はな、人はもっと自由であるべきやと思うねん。嬢ちゃんも自分の意見はちゃんと主張しいや?」
「……私は私の意思で動いている」
「さいですか」
三角帽子の下で小さく口を動かす女に、禽鳥――大鴉がつまらなそうに首ごと斜め上を仰いだ。
「……」
「……」
無言で注がれる視線。大鴉は首を固定したまま紅い目だけ横に動かすと、熱い視線を送ってくる女へ口角を上げたような口振りで返す。
「おっ、もしかしてこの黒羽に見惚れたんか? 艶やかな濡羽色でうっとりするやろ。こう見えてな、ちゃーんと一本一本手入れしとるんやで。カラスと魔女、なんや俺らお似合いやな」
「……」
「うっとりしとったんちゃうんかい」
「ここに何しに来たんですか」
「ほんでこっちのは無視かい!」
淡々と喋る女に、手があれば思わず胸板を叩いていそうな勢いで声を飛ばす。
対して女の方は待ちの姿勢を崩さずに、あくまで自分への応答だけを求めている。大鴉は呆れたように吐息をこぼした。
「……招集、かけとるみたいやで。俺は今から向かうけど、嬢ちゃんはどないするん?」
「どうして無関係の貴方が参加するんですか」
「なんでや! 俺ら仲間やろ!? おもろいことするんやったら混ぜてーや」
「好きにすればいいですけど。私は行きませんよ。別に貴方たちとも仲間じゃありませんし」
素っ気なくあしらわれた大鴉は「もったいな。人生損しとるで」と吐き捨てて、「貴方の杓子定規で決め付けないで」と黒ずくめの女。
「ほな独りで行きますわ。あーさみし。あない冷たいせんでもええのになー。傷つくわ~。俺めっちゃ繊細やのに」
踵を返し、来た道を戻りがならぶつぶつ独り言を続ける大鴉。その足音が、不意に変わったのを感じ取った女の視線がわずかに揺れる。
背後。さっきまでの口煩い禽鳥の姿はなく、代わりに黒いローブを纏った三つ編みの男が立っていた。
「なんですか……それ」
「なんや、初めて見たんかい。人型の俺も凛々しくてイケとるやろ? どうや、このローブなんて俺の魅力を最大限に引き出しとるんちゃうか?」
「……だっさいローブですね」
「こんな外套破り捨ててくれるわー!!」
ひらひらと、はためかせていたそれを両手で引き裂き唸り声を上げる。そうして腕組みしながら盛大に鼻から息を吹き出すと、男は大股で立ち去っていった。
波立った心を鎮めるように一つ瞬きを挟んでから、崖下へと視線を落とす女。
残雪の間を縫うように泳いでいた影がそこで頭をもたげ、人の形を象ると、面を上げて目を合わせてきた。
その紛いの者を見下ろしながら、女は酷く憎悪に満ちた声色で呟く。
「……厭わしい」
✱✱✱✱✱✱
境界の曖昧になった敷地を跨いで、朽ち果てた村へと踏み入る者がいる。
数は三人。そのうち一人はガタイのいい男……で、後ろに付いて回る二人は全身黒いローブに包まれた少年少女だ。
二人は先行する男……と思わしき者に連れられ、どこかへと向かっている様子。
初めて来る場所なのか頻りに辺りを見回す少女。少年の方は鼻を腕で覆いながら、なにやら煙たそうにしていた。
「うげ、獣臭いな。……魔物にやられたのか? 酷い有り様だ。こんなところに隠れ家があるなんて、到底思えないんだよなぁ?」
「こんなところだからこそ、身を潜めるには適してるのよん」
疑問か独り言か、少年の発言にちらと視線が向けられる。
壊滅的な被害を受けた村の惨状を見ても、眉一つ動かさないでいるその横顔に、少年は訝しげに目を細めた。
「る、ルージュさん、近くにたくさん魔物が……」
と、周囲に目を配っていた少女が崩壊した家の残骸の奥から、こちらを伺う数体の鬼猩々を見つけて声を震わせた。
それに男みたいな体格をした者は「大丈夫、アタシたちには手を出してこないわん」と片目を瞬かせ、堂々とした足取りで魔物のテリトリーを横断していく。
少年にべったりくっつく少女。半信半疑な面持ちでその後をついていけば、踏み荒らされた――いや、重機よりもっと大きな何かによって畝ごと削り取られた畑地にて、土に埋もれた跳ね上げ戸が見つかった。
「さぁ着いたわ。中にお入りなさい」
軽く掘り起こした跡がある。既に誰か来ているのだろう。少年たちはゴクリと唾を飲み込んで、地下へと続く階段に足を掛けた。
十数歩下った辺りで角を曲がり、居間ほどの広さの空間がうっすら見えてくる。その奥の方から、ため息混じりの声が。
「あっ、やっと来た。もう、遅いよー。こいつと二人きりでずっと窮屈だったんだから」
「ふん。先に着いたのは俺様の方だ。負けた貴様が悪い」
「誰も競ってなんかないんだけど」
「――ちょっと、なによアンタたち!? またこんな暗がりで……んまったくもうっ!」
慣れているのか明かり一つ付けずに待っていた二人に、先ほどルージュと呼ばれた者が呆れ半分に怒声を放ち、胸元から取り出した何かを天井に向かって放り投げる。
すると、脚のようなものがピタピタと張り付いて。背部から膨れ上がった球状の何かが豆電球よろしく光を発生させ、暗かった地下室を優しく照らした。
「おー、さすが便利屋だネェ。すごいすごい」
「アタシを道具みたいに呼ばないでちょうだいっ。大体、あるじゃないの埋石灯。これ点けなさいよ」
「ソレ、壊れてて使えないよ。僕試したもん」
言い訳をする子供のような仕草を取る道化師に、手を翳して確認した厚化粧の女男が「あらほんと」と喫驚。それに道化師は少しばかり不満の色を滲ませたような声色で、
「どうせ先に来たヴィルヴァイスが、使い方も分からずぶん殴ったんでしょ」
「――ふん」
「え、図星?」
珍しく何の反論もせずにそっぽを向く鬼面の男。当て推量した道化師は頓狂な声を出した。
五人から視線を浴びるヴィルヴァイス。彼の鼻を鳴らす音だけが、静寂の中で一層際立った。
――五人?
「うわっ! いつの間に居たの、グレイシャドー」
「今しがた参上したでござる」
「びっくりしたぁ」
「忍の本領は悪戯ゆえ。それにしても都度、好反応をくれる」
どこか嬉々としたような口ぶりに、道化師は「毎回心臓が飛び出そうだよ」と困惑の声。とはいえ怒っている訳ではなさそうか。
「ふん、弱くて脆い軟弱な体だな」
「はぁ、身体の使い方も分からないような片生いには、丈夫なだけ宝の持ち腐れだと思うけどネ」
「なんだと……? だったら今ここで証明して明らかにしてやる。貴様より俺様の方が優れていることを――――」
「おーおー、賑やかやなぁ。こっちの人らは実りのある会話ができそうで嬉しいわ」
先のしっぺ返しのつもりか、道化師に食って掛かろうと身を乗り出したヴィルヴァイスは、つかつかと階段を下りてきた三つ編みの男に気付きピタと動きを止めた。
しばしその方を凝視する鬼面。すると彼は不満をあらわにしつつも、椅子に腰を落ち着けた。
道化師はそれに知らん振りをして、
「あ。カラスの人だ」
「どうも、カラスの人ですー」
「琉……あれは誰?」
「さぁ? ラディカンスさんが連れてきた協力者の一人だろ」
友好的な笑みを交わす二人を注視する少女。その耳打ちに、少年が鼻に皺を寄せたような顔で応じる。
視線の先、少し遅れて階段を下ってきたもう一人を目で追って、一言も発することなく端の方まで赴いたその人物が壁にぶつかる様に、ひどく困惑しながら。
「何やってるんだあの人……」
「……ねぇ、琉。わたしたちと同じくらいの年の人って……知らない、かな?」
「なんだ、クトニフィアのことか? ほとんど顔見せないし、今日も来ないんだろ」
「ううん……そうじゃなくて」
終始、おどおどしている少女に投げやり気味に返して、眉を下げた少女は弱々しい息を吐く。
そこへ二人に目を付けた男が顔に笑みを張り付けながら近寄ってきて、
「知らん間に新顔が増えたみたいやんか。ほな一応、挨拶でもしとこか。俺ん名前はラウムクーゼル。クーゼルさんでええで! よろしゅう」
そう言って手を差し出してくる三つ編みの男に、少年はすげない目付きを、少子はフードを深く被って顔を俯かせた。
「こらアカン、嫌われてもうた。なんや最近の子はむつかしいなぁ」
「ちょっとアナタ、羽織はどうしたのよ、羽織は」
「あー? あー。あの外套なら、破れてもうたんで捨ててきましたわ」
――言った途端、男の頭を思い切り叩く音が地下室に響き渡った。
「イッタ! なにすんねんいきなり!」
「アナタ、あの羽織がどれだけ貴重なものか知らないでしょう!?」
「なんや、そんな高価なものやったんかい。……そりゃあ悪いことしたな、えらいすんません」
「――退魔の衣。高度な防護魔法が施された、魔除けの装束よ。あれを取り揃えるのに、一体アタシがどれだけの人からぼったくってきたか……」
「悪辣な商売で手にした金品かい! 謝って損したわ!」
かけていたラウンド型のサングラスも思わずズレてしまう勢いでつんのめる三つ編み。女男の方は、何食わぬ顔で取り澄ましている。
それに大きなため息を挟んでから、クーゼルとやらが不興顔を寄越した。
「ちゅーか、そういうアンタは着ぃひんのかい。そのなんちゃらの衣いうやつは」
「いやよ、あんなみっともない喪服」
「酷い言い種やな……」
一人だけ場違いな色物を身に着けている彼女はあっけらかんとした態度でそう言い放った。人に強要しておいて、一応の隊服を素服呼ばわりとは陽気な男もこれには苦笑を禁じ得ず。
といっても、自ら凶事を招き惹き起こす者たちが、その象徴たる黒を装っているのだから見方を変えれば的を射ているとも考えられる。
「のか……?」
斜め上を見上げながら、クーゼルはむつかしい顔を作った。
「で、僕らのリーダーはまだ来ないの? いつまでもそこの人が睨んできて嫌なんだけど」
「……」
椅子にもたれながら対面の大柄な男と反目し合う道化師。それに誰かが嘆息を漏らした直後、誰もいないはずの席から声が届いた。
「既に着いているよ。待たせたね、救世主の諸君」
「……わお」
「なるほどな……」
驚愕の視線が集まった先に、紅褐色の髪の女を侍らせた壮年の男が椅子の上で足を組んでいた。
言った側、気まずそうな声を漏らす道化師の横で、特に気にする素振りもなく男は手を叩くと、隣の女性へと指示を飛ばす。
「美月くん、人数分の椅子を」
「かしこまりました」
二つ返事で応じ、一歩前に出た女性が長机にそっと触れ、紅い瞳が長い睫によって被われる。途端、繊指を伝って流れ出た黒が、欠けていた席に机と同質の腰掛けを生み出した。
「どうぞ、お掛けください」
その言で、ひとり壁と見つめあっていた者がそそくさと席に着き、それを皮切りに他の者たちも続々と集まってくる。
壮年の彼はおもむろに一同の顔を見回すと、最後に三つ編み男をちらと見て、一言「クトニフィアは欠席か」と呟いた。
「……まぁ致し方ない。――では、始めるとしよう。世界に自由と平和を齎すための、次なる一歩を」
「待ちくたびれたぜ。それで、今回はどこで何をするんだ?」
鬼面越しでもよく分かる弾んだ声に、青髪の壮年が隣へ目を配る。それを受け、恭しく会釈をした女性が口火を切った。
「これまでの調査から、各地に点在している適性者の所在が明らかになりました。今回の任務は、それらの確保にあたってもらいます」
「つまり、誘拐しろってこと? やだわぁ物騒で」
「ごっつい顔したオバハンがなに言うとんねん」
「言葉には気を付けなさい。一文字違えば首を刎ねてたところよ」
ギラギラした瞼の下で鋭い視線を投げる女男に、クーゼルが「おーこわいこわい」と両手を上げて怖がる素振り。そんな二人を両隣に置いた少年少女は、飛び火に怯えて肝を縮ませている様子だった。
「それで? また少人数に分散して行動しろってことかナ? だったら今回は――」
「いいや。ちょうど近くに優秀な魔法使いが集う機関があるだろう? 偶然にも、その一ヶ所に半数もの適性者が揃っている。まずはそこから着手しようじゃないか」
「なーんだ。そのためのアレか。イヒヒっ」
何かを察したらしい道化師が口元に手を添え悪戯に笑った。それに合わせて男は口角を上げると、
「魔窟調査の事故により、学園側は甚大な被害を被った。となれば、あの男は戦力を補強すべく手段を講じるだろう。我々はそこを叩く」
「学園……? 灰の眼は俺様に殺らせろ!」
「話聞いてた? 僕らの目的は、適性者の確保だよ。分かるかナ? おバカさん」
「だったら灰の眼を殺った上で拐えばいい!」
学園と聞くや否や一点張りに自己を主張する鬼の男に、道化師は呆れたように息をつく。そこに女男が「でも」と口を挟みつつ疑問を呈して、
「案外広いわよ? あのお城。探して回るには骨が折れそうだけど……何か手があるのかしらん」
「そんなもん、片っ端から潰していけば」
「案ずることはないさ。あちらの動きは手に取るように分かる。君たちはただ、牙を研いで待っているだけでいい」
そう言って、挙げられた懸念点を払拭すべく、男は持っていた筒状の何かを机の上に転がした。
「ここに敷地内の見取り図がある。このうち四ヶ所が、現状主に使用されている施設だ。それらには先んじて、トラストレーネに種を蒔いてもらってある」
「一番二番講堂、訓練室、闘技場。まず間違いなく彼らはここで薫陶を受けることになるだろう。即戦力として起用できる――兵士となるようにね」
「ふーん、なるほどね~ん。適性者ともなれば、即戦力の筆頭候補だものねぇ」
「そういうことだ。ただ、どの組がどこに来るかはまだ分からない。仮に目当ての者が居なかったとしても、きちんと任務は遂行してもらうよ」
釘を刺すように鬼面を流し目で見やったあと、男は改めて端的にねらいを掲げた。
「それぞれの持ち場はそこに記してある。各自目を通しておいてくれたまえ。決行は三日後の正午。標的は、以下の四名だ」
追加で机の上にばら蒔かれたのは写し絵か。それらには四人の生徒の顔がありのままに描かれており、一目見て適性者とやらの存在が認知できる。
一方で、そちらには一瞥もくれず、先の見取り図に記された自分の名に、クーゼルが嬉々とした声を発していた。
「おっ、ちゃんと俺の担当も決まっとるやん」
「……あれ? フレイルとインファームの名前が見当たらないんだけど」
同じく持ち場の件で反応を示した道化師に、一番遠い席の二人が顔を見合わせる。その反応をじっくりと眺めてから、
「彼らには別の場所に向かってもらうつもりだ。適性者は、何人いても困らないからね」
「大方、信用できないから外されたんだろ。あんたの考えなんて見え透いてるんだよなぁ」
「そうだろうか。仕事さえこなしてくれればちゃんと報酬は払っているはずだよ。それに、君たちに任せる予定の場所も、なかなかに用心深く厄介だ。大任といえよう」
組んだ足を替えながら、男はすすけた髪の少年を見つめて笑みを一つ忍ばせる。
「場所は、城下町よりさらに北東にあるパラフレオ牧場。そちらの詳細はまたあとで説明しよう。子供二人だ、長旅になるだろう。先に支度を済ませてくるといい」
「……行くぞ」
「あっ、うん……」
男の顔を不満げに射抜いたあと、少年は少女を連れて地下室を飛び出した。
慌てて後を追いかける女男。それを尻目に、男は一息ついて、
「さて、では私も本拠に戻って準備を進めるとしよう。諸君の活躍を期待しているよ」
と、椅子から立ち上がった男の袖から、一枚の紙がはらりと舞い落ちる。それを見て、思い出したかのように彼は呟いた。
「あぁ、そういえばもう一人いたんだったか。適性者ではないが有用な人材だ。見つけ次第、捉えておいてくれ」
添えられた五人目の写し絵を見て、クーゼルが乾いた笑いをこぼした。
「あくどい人やなぁ」
「なんのことかな?」
「この面ぁ見て気付かんヤツはおらんやろ。上手いこというてよー追っ払ったもんですわ」
感心とも冷やかしとも取れるその表情に、男はただ微笑を返すのみで。短く連れの女を呼ぶと、光と共にその場から姿をくらました。
そこからはクーゼルの独り言が繰り出されるだけで、各々好きなタイミング異なった方法で散会した。少年らを追っていた女男が戻った頃には、地下室はがらんどうになっていた――。
「ちょっとなによもう、全部そのまんまじゃないの!」
放り出したままの資料を見て、誰もいない空間に彼女の怒声が響く。
仕方なしにと、一人で片付けをしようと机に手を置いた彼女は、すぐそばにあった五枚目のソレに気付き喫驚した。
「あら? この子はたしか……」
そこには、先の二人と同じ色を持った、長い髪の少年の姿がはっきりと収められていた。




