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第百四話 「魔窟サンクヴェルト」



 青々とした緑がどこまでも広がる地で、白い軍服を着た学生の集団――およそ四十名余りが一か所に集められている。

 小高い丘の上。規則的に並んだ石柱が一帯を取り囲む、その中に。


「本日、引率をします(なり)です……。二年生のみなさん、改めてよろしくお願いします……」


 晴天の下、大勢の生徒の前でそう名乗ったのはこれまた白いローブを着用した、うねった髪の男性教員。目元に深く刻まれた隈がとても不健康そう。

 その教員の背後、倍ほどの高さの石の門が圧倒的な存在感を放っている。男の背丈が低いのではない、極端に門が大きすぎるのだ。

 むしろ男は痩身長躯であった。猫背が度を越えて酷いようだが……。


 荘厳でありながらどこか怪しい雰囲気を醸し出している石の門。自然にできたとは思えない綺麗なアーチ状のそれは、どこに繋がるでもなく、ただ丘の上にぽつんと鎮座している。

 いかにもな様相で取り囲んでいる大仰な防壁がなければ、これほどまで異質さを感じることはなかったかもしれない。


「えー初めての魔窟調査ということで……不安に思われる方も多いでしょう。ですがご安心ください……わたくし鳴が責任を持って、あなた方をサポート致します。――では、事前にお知らせした通り、四人一組のグループに分かれてください……」


 途端、ざわざわと話し声が沸いて。何人かの生徒が周囲を見回すように首を振る。

 そんな中、一人の少女が口元に手をやりながらあくびを噛み殺していた。


「だってさ。どする? あたし達二人だけど。……千夏(ちなつ)?」


「ごめん、ちょっとぼーっとしちゃってた」


「どしたん? 寝不足?」


「寝不足も寝不足よ。任務で遠方に派遣されたと思ったら、今度はいきなりこんなところに連れてこられるんだもの」


 眠い目をこすっているところ、素知らぬ顔で窺ってくる友人に少女は不満をぶつける。

 それに対して友人はあっけらかんとした態度で、


「あらま、お疲れのようだねぇ~」


「おかげ様でね。どっかの誰かさんはいいよねー、運転中ずーっと寝てたんだから」


「いや~その節はほんとうに申し訳ない!」


 今度は分かりやすく愚痴を言ってやると、彼女は気まずそうな顔で両手を合わせた。

 そうして、任務の報酬千夏に半分あげるから~なんて言って機嫌を取ろうとしてくるのを軽くあしらいながら、


「で? あと二人をどうするかって?」


「って聞いてたんかい。……まぁ誰と組んでも同じだろうし、適当に余った人にしとく?」


「それは……」

「そういうことなら、俺たちと組まないか?」


 見計らったかのように現れた男子生徒に二人は目を丸くさせ、互いの顔を見つめた。


「誰?」


「さぁ? あたしのクラスにはいなかったけど」


「あれ、いなかったことにされてる!?」


「別さがそ。まだ浮いてる人いるっしょ」


「誰でもいいって言ってたのに!?」


 動揺を隠せないでいる男子生徒に、どこ吹く風といった具合に顔を背ける友人。「ああ言ってるけどほんとに知らないの?」と少女が問うと、「だってあいつ、リア充なんだもん!」と子供じみた言い訳が返ってきた。


 見れば、後ろからひょこっと顔を出した乳のでかいあざとそうな女生徒が、上目遣いで彼を見つめている。


「うわっ、あれは人類の敵だ」


「でしょ!? さすが同胞、わかってくれると思ったよ」


「……って目線を落とすな!」


 共感を得たことに安心するように頷いてから、意味深げに一点を見つめる友人。それに気付いた少女は慌てて胸元を手で隠した。


「直くん……どうする? 誰か他に組んでくれそうな人いるかな……?」


「そうだな……手当たり次第声をかけてみよう」


 気を取り直して、まだメンバーの決まっていない生徒に突撃していく二人。しかしこぞって一蹴されては嫉視を浴びることになり、とぼとぼと少女たちの前に戻ってきた。


「そういうことなんで、どうぞよろしく! 日吾(ひご)直人(なおと)です」


「なにがよろしくじゃーい!」


 何事もなかったように笑顔で握手を求める男子に、隣の友人がその手を代わりに引っ叩く。こちらに視線を寄越したまま、彼は叩かれた手を痛そうに押さえていた。


「邪魔するなよ河那(かわな)! 俺はそちらのお嬢さんに用があるんだ」


「あんたの声聞いたら千夏の耳が腐るんですけどぉ。離れてくれますぅ? 用件なら私が聞きますんで。はい、どうぞ」


 耳に手を当て小馬鹿にしたような素振りをする友人。それに目もくれずにまた彼は少女に向かって手を差し伸べてきた。


「こんにちは! 日吾直人です!」


「あの、直くん……」


「しかとすんなコラぁ!」


 そうこうしている間に、四人以外の生徒はみなそれぞれチームを組んでしまったようだ。

 その旨を少女が伝えると、


「いがみ合ってるとこ悪いけど、余ってるのここの四人だけみたいだよ」


「うぇ!? もぉ最悪~」


「あ、あの……わたし斗南(ほしなみ)柚月(ゆづき)って言います。よ、よろしくお願いします」


 落胆しているところ、おずおずと自己紹介を初めた斗南に、友人――悠子は観念したようにそれに応えた。


「あたし河那(かわな)悠子(ゆうこ)。適当に宜しく」


 自然と三人の視線が一身に集まる。少女は戸惑いを覚えながら、友人に倣うように名を名乗った。


千林(せんばや)千夏(しちなつ)です。……どうぞよろしく」



 ✱✱✱✱✱✱



「ねぇ、なんでそんなにあの二人のこと嫌ってるの?」


「なんでって……聞いたことない? あの子のこと」


 そう言って目を配らせたのは、今しがたチームを組んだばかりの女生徒――ウサギのように左右で髪を束ねている斗南だ。

 少女はそれに釣られて目をやって、小首を傾げて知らないアピール。


「曰く付きのZランク、って言えば分かるかな」


「あー、疫病神って言われてる? あの子がそうだったんだ」


「そそ。実態がどうだか知らないけど、事実Zランクじゃ足手まといなんだよ。重いのは胸だけにしとけってーの」


 鼻根にシワを寄せて嫌悪を示す悠子に、「あんまりそういうこと言わない方がいいよ」と少女は忠告するが、直後に「ゆっこはちょっと違うか」と一人苦笑いを浮かべる。


「だってズルくない? 可愛くて乳のでかい幼馴染みがいるとかさ。なにそれ、勝ち組じゃん」


「そっち目線なんだ」


「はぁ、神様ってほんと不公平だよね~。なーんであんなチンケな男に嫁がいて、私には出会いがないのか」


「……もしかして、ゆっこが煙たがってるのってそれが理由?」


 少女がそう問いかけると、他になにがあるのと言わんばかりに真顔が返される。

 やっぱりそうかと独り言ちて、少女は頬を掻いた。


「それでは各自一チームを担当し、先導にあたってください……」


 引率の先生から紹介のあった上級生が、ぞろぞろとこちらに向かって歩いてくる。

 どうやら先生が行うのは統括であり、細かな指示や説明は先導者の彼らがしてくれるらしい。友人の愚痴を聞きながらも、ちゃんとそちらの話に耳を傾けていた少女は密かにどんな先輩がついてくれるのか、胸を膨らませていた。


「じゃ、俺はこの子たちに就こうかな」


「いいのか? 翼」


「なにがだい?」


「その……あの疫病神(ウワサ)だよ」


「ああ。そんなもの撥ね退けるやるさ」


 別の先導役に就いた仲間とそんなやり取りをして、その人は誰もが腫れ物扱いしていた斗南に対して自ら歩み寄りにいった。

 それに羨望の眼差しを向ける同学年の女子たちを、少女は数歩離れたところから観察して。


「王子様だ…………」


 それと同じような恍惚とした表情を浮かべる友人に、少女は驚きの声をあげて半歩身を退いた。彼女には白馬にでも乗っているように見えているのだろうか。


 と、二人でいる斗南たちを見て、残りのメンバーを探すような素振りをする美青年。視線を巡らせる所作一つを取っても色気があり、彼の発した甘い声とその艶かしい黒瞳に吸い込まれるかのように、悠子が「はいはい! ここにいまーす!」と手を振りながら駆けていく。

 学年が一つ違うだけでこんなにも大人びるものなんだなぁと、自分を捨て置いた友人と見比べながら少女はしみじみ思った。


「よかった、これで四人だね。俺は王隹(おうとり)(つばさ)。今日一日、君たちの指導を務めることになった」


 よろしく。と向けられた眩しい笑顔から、少女は反射的に目を逸らした。


「それじゃあ俺たちも行こうか」


「行くって、どこにですか~?」


「おや、聞いてなかったかな? 魔物の巣窟――サンクヴェルトだよ」


 指し示すように手のひらを向けたのは、あの大きな石の門だった。

 どうやら既に何組かのチームは這入ったらしく、自分たち合わせて少数だけが留まっている様子。

 ――そう、他の生徒はみな、異空間へと足を踏み入れたのだ。


 気後れしていた組が決意を固めた表情で門の前に立ち、少女はちょうどその瞬間を目撃する。

 チームの一人が汗を浮かべながら恐る恐る伸ばした指先が、境界線に触れて見えなくなったのを。


 そのまま腕と右足、肩、全身と門の中へ消えていき、愕然とした少女と悠子が裏側に回ってみるが、クスリと笑っている先輩の顔が門越しに見えるだけで間に隔てているものは何もない。


「なにこれ……転移魔法?」


「んー遠からずかな」


 少女がこぼした疑問にそう微笑むと、王隹は門の側に立ってこちらに手を差し伸べてくる。すかさず悠子がその手を掴みにいった。


「ちょっと、ゆっこ!」


「へへ、早い者勝ちだよ~!」


「俺の手は振り払ったのに……!」


 日吾が不満を持つのも頷ける態度の落差。友人として気まずさを覚えながら、少女は二人の後に続いた。


 不安げな表情を浮かべる斗南の手を日吾が引き、二人同時に身を乗り出す。たった数回見たくらいでは慣れない現象が起きて、彼らも景色の中へと溶け込んでいく。

 最後に残った少女に対して、同じように手が差し出された。


「慣れない内は、目を閉じたまま這入るといいよ。急に周りの景色が変わるからね」


 その助言にぎこちない会釈だけ返して、少女はぎゅっと目を瞑りながら一歩を踏み出した――――。


「あでっ」


 なにかにぶつかった感触を得て、片目を開けると出入口で立ち尽くしている友人の背が。

 門の前で立ち止まらないでよ、と言いながら隣に回って見たその表情を、怪訝に思った次の瞬間には判で押したような面になる。


 さっきまであった澄んだ景色はどこへ消えたか。そこに見えたのは暗赤色に塗り潰された不気味な空と、それを覆う謎の瘴気。

 視線を下に落とす。見渡す限りの草原も、すっかり劣化して不毛の地へと成り果てていた。


「ここがサンクヴェルト……」


 淀んだ空気が肌に纏わりつくのを感じながら、あまり長居したくない場所だなと少女は思う。

 今日の仕事は魔窟への慣れを兼ねた『魔塊石(まかいせき)』の採掘と、必要に応じての討伐補助。初めての『跨入(かいり)』ということもあって、そう長くは滞在しないだろうことが予測される。

 長旅の疲れもあり、早く帰って水浴びがしたいと、誰にも聞こえない声でそう呟いた。


「ふぅ……四人とも大丈夫か? 少しでも体調の変化を感じたら、すぐに俺に知らせてくれ」


 真後ろから聞こえた息遣いに振り向けば、石の門から出てきた王隹が、見るからに目を回して千鳥足になっていた。


「……先輩が大丈夫ですか?」

「自分が酔うんかい」


 日吾と揃って苦い笑みを浮かべていると、悠子の肩を借りた王隹が「すまない、酔いやすい体質で」と眉間を押さえる。


 こんな調子で大丈夫だろうかと、少女が不安を募らせる一方で、なぜか悠子からの評価は上がっていた。どうやら完璧じゃないのが逆にいいらしい。


 そんなこんなで先に休んでいた斗南と、先導役であるはずの王隹の回復を待ってから、一同は少し遅れて魔窟調査を始めることに。



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