第一話 「赤い糸が解けて」
――人生はゲームと似ている。
プレイするものによって自分の出自や容姿が異なり、選ぶ道によって出会う人と触れ合う物が変化する。ただ大きく違うのは、間違った選択を取り消せないことと、遊ぶゲームを選べないこと。
そして、死んだら二度と元には戻れないことだ。
暗い部屋。照明器具は在るものの、それらは一つも機能していない。
唯一明かりの変わりとなっているのは、部屋の主から発せられる僅かな光のみ。
――正確には、両手に握られたゲーム機からだ。
六帖程の部屋の中央を陣取る長椅子。そこに腰掛けながら首を垂れて、光る液晶と睨み合う。
忙しなく動く両手に連動し、軽快な音が暗く、静かな部屋に木霊する。そして液晶から放たれる光が主の顔をチカチカと照らしつけ、暗い部屋に溶け込む漆黒の髪と黒の瞳をライトアップさせた。
その顔付きは特別美形というわけでもなく月並み程度で、彼がまだ成人にも満たない子供であることが同時に分かる。
――どこにでも居そうな、普通の少年だ。
よほど熱中しているのか、日が暮れていることにすら気付いていない様子。
外では雨が降っているようで、部屋に一つだけある窓には大粒の雨が絶え間なく打ち続けられている。が、これも意識の外で、ひたすら手元に集中していた。どこまでもゲーム好きな少年らしい。
その少年の手元――光る液晶の中では、3Dのキャラクターが魔法や様々な武器を使い、目まぐるしい戦いを繰り広げている。
よくあるファンタジー系の、オンライン対戦ゲームだ。
少年が操るキャラクターがフィールドを駆け巡り、敵に攻撃をしかける。
交戦中は一瞬の判断が勝敗を分けることになる。となれば、全神経をそこに集中させなければいけない。
つまり画面から目は離せないし、
「ともやー!」
ゲームに夢中になっている少年に、その声は聞こえない。
おそらく何度も呼んだのだろう。
二階に向かってくる足取りに、階段が悲鳴をあげている。
「聞いてるの!?」
再度呼び掛けるが、戦闘中の少年はまだ気付かない。
魔力ゲージを溜め、必殺技を放とうと意気込むが、こちらはじわじわと怒りのゲージが蓄積されていく。
破裂寸前の風船のような危うさ。だが少年は、変わらずの無反応だった。
顔を真っ赤にした鬼が、扉を挟んで立っている。
ノックされる扉。無論、少年は応答しない。
「智也?」
寸前まで、頭から湯気を立てていた者とは思えない優しい声色。これは、どうみても最後の助け船だ。
ひとまず寝ていたことにでもして、わざとらしく目を擦りながら部屋から出れば、まだなんとなかなるかもしれない。
しかし、高性能なイヤホンをつけている少年の耳には、そもそも外部の音は遮断されていた。
母の顔は再び怒りに染まり、湧き上がる激情は扉を開けると同時に放たれた。
「智也ー!!!!」
イヤホンの上からでも伝わる衝撃に、少年――智也は慌てて後ろを振り返った。
そのひん剥いた目玉が、鬼の顔を見た途端に仏頂面へと変わってゆく。
「……なに」
「ご飯できたって言ってるの!」
「聞いてないし」
「何回も言いました!」
「なんで怒ってるんだよ……」
ガミガミと怒る母親を余所に、智也は手元に視線を落とす。
母の対応にあてられていた間、そちらの世界では自分の分身が成す術もなく倒されていた。
「あーー」
画面に写し出される敗北の文字に、再び嘆息する智也。その態度に、母の怒りは更に熱を得る。
「人の話はちゃんと聞きなさい!」
「……俺の話は聞かないくせに」
「なに?」
「別に。なんでもない」
小さく呟いた少年の言葉に、母が眉を寄せる。
しかし智也にそれを伝える気はなく、顔を背けて携帯型のゲーム機をいじるだけ。
「またそうやってゲームばっかりして」
「別にいいだろ」
「良くないわよ! そのせいでこうやってしたくもない喧嘩してるんだから!」
「じゃあ怒るなよ」
「それはあんたが――」
――少年は、こんな毎日に嫌気が差していた。
絶えることのない不毛な言い争い。
無意味で、無益で、まるで価値のない無駄な時間。
なぜこうも口を開くたびにいがみ合わなければならないのか。
それはきっと、自分と母が一生分かり合えない存在だからなのだと、そのとき智也は思っていた。
「もういいです。今日のご飯は智也の好きなレタスチャーハンと茶碗蒸しだったけど、食べなくて結構です!」
そう言って部屋から出ていった母親に、智也の全身が凍りつく。
いつまでも続くと思われたいがみ合いは、親子喧嘩でよくあるそんな発言によって終止符が打たれたのだ。
扉の思いっきり閉まる音で我に返った智也は、すぐさま後を追いかけ、そして目を見開く。
目の前に、母親が立っていた。
まるで智也が追い掛けてくると分かっていたかのような、そんな顔で。
「あら」
その誇らしげな表情を見て、智也は反射的に目を逸らした。
――少年は、こんな毎日に嫌気が差していた。母親のことも、なにもかも。
――ただ、
「すいません、そのお夕食、是非ともご一緒させてください」
母の料理の腕は確かなもので、息子ながらに胃袋を捕まれていたのだ。
その自覚こそあれど、三度の飯が一日の楽しみとなっている身には、抗うことなど不可能であった。
✱✱✱✱✱✱✱
向かい合わせに座り、食卓を囲む二人。
用意された好物にがっつく智也と、それを満足げに眺める母親の図。
そこにはさっきまで口喧嘩していたとは思えない、穏やかな時間が流れていた。
「……うまい、うますぎる。何回食ってもうまい」
「もう。ゆっくり味わって食べなさいよ」
みるみる減っていくご飯を見ながら、母親がそう呟く。
手間暇かけて作ったものが、ほんの数分でなくなってしまうことに思うところがある気持ちは理解できるが、智也的には美味しいからこそ、箸が止まらないのであった。
何度言おうが直らないその早食い癖に、母親は諦めたように吐息を漏らすと、いつものようにテレビのスイッチを入れた。
『行方不明となったのは、都内在住の十四歳の女子中学生のようです。捜査関係者の話によりますと、昨晩午後七時頃、自宅にいた女子中学生の姿が突然見当たらなくなり――』
「嫌ねぇ、最近こういうの多くて」
「……」
「しかも智也と同い年じゃないの」
母の独り言に智也は「行方不明ねぇ……」と口の中で反芻し、まるで興味がないと言わんばかりに無言で箸を口に運ぶ。
そこで会話は終了し、二人の間に沈黙が流れたが、母はそれを嫌ったらしい。
「――智也、勉強はちゃんとしてるの?」
さっきまでの穏やかな時間はどこへやら。その一言で険悪な空気が漂いはじめる。
どうしてわざわざ地雷を踏んでくるのか、智也は甚だ疑問だった。
聞こえないようにため息をこぼす。そうして返事がないことに苛立ったのか、今度は怒気を含んだ声で呼んできた。
「智也」
「……してるよ」
心底嫌そうな顔をする智也に、母の不満が募っていく。これでは、せっかくの食事も台無しだ。
「いつもしてるしてるって言うけど、あんた最近ゲームばっかりじゃないの!」
「何も知らない癖に、うるせぇな」
勢いに任せて机を叩いた手が痛んだのか、母親は顔を顰めるも、その目は真っ直ぐ智也を見て離さない。
そんな力強い眼差しから、智也は逃げるように目を逸らした。
「あんたが何も話してくれないんでしょ?」
「あんたが知ろうとしないんだろ!」
「なによ、なにかあるなら言えばいいじゃない! 話くらいお母さんいつだって聞いてあげるわよ」
一瞬口をついて出そうになったが、結局智也の胸中の思いが語られることはなかった。
それから静かに瞑目し、ため息混じりに首を横に反らせる。
――どうせどんな言葉を返しても無駄だ。自分のことを理解しようとしてくれない相手に、心の内を曝け出したところで意味がない。
「先生も言ってたわよ『智也君はもっと頑張れる』って『やればできる子だ』って」
いつの間にそんな話をしていたのかと驚いたが、智也はすぐにそれを鼻で笑い飛ばした。
いったいお前らは、何を知ってそんな事が言えるんだよと。
いい加減うんざりしてきた智也は残りのご飯を掻き込むと、皿を片付けて部屋に戻ろうと立ち上がる。
「もう食べたの? もうちょっとゆっくり……」
「ごちそうさま」
その言葉を聞き終わる前に、上から被せて遮断する。
最低限の感謝と片付けはしたものの、智也の心中は穏やかではなかった。苛立ちと煩わしさから、一刻も早くこの場を離れたくて仕方がなかったのだ。
「ちょっと智也!」
ドアノブを回し、廊下に身を乗り出す。「まだ話が」という母親の声が聞こえたが、二人を遮るように閉まった扉の音で、聞こえないふりをした。
「ちっ」
舌打ち一つ飛ばし、階段を駆け上がる。途中、玄関で呼び鈴が鳴っていたが、構わず自室に直行した。
「はぁ……」
部屋に戻り、お気に入りの長椅子に座って心を落ち着かせる。
煩わしい者のいない、自分だけの世界。何者にも邪魔されない、安らぎの場所。
と、なんとも引きこもりじみた思想をしているが、実質智也はそれとほぼ変わらない生活を送っていた。
リビングにいても気分が悪くなるだけなのだ、わざわざ嫌な空間で過ごす必要はあるまい。
そんなこんなで基本的には部屋に籠った生活をしている智也だったが、まだ引きこもり見習いなため学校には嫌々通わされていた。
近いうち、それもやめてやろうかと考えているが。
「さて、今日は確か二十時からイベントが……」
憂鬱な気分を取っ払い、ゲーム機へと手を伸ばす。壁掛け時計を確認すれば、ちょうど十九時を回ったところだった。
あと一時間。退屈しのぎするには少し長く、かといって漫画でも手に取れば、時間を忘れてしまいそう。
「先に風呂でも入っておくか」
時間を最大限有効活用するため、智也の脳内では常に効率的に物事が考えられている。
その行動の全てが、目一杯ゲームを楽しむためのものなのだから、彼が相当なゲーム好き――いや、もはや依存しているのは明白だった。
そうして智也が段取りを組み立て、部屋から出ようとしたとき、タイミング悪くも母親に呼ばれてしまった。
その声を聞き、彼がどんな顔をしたかは想像に難くないだろう。
「なんなんだよ、めんどくせぇな……」
ソレを疎ましく思うのは、まだ腹の虫が収まっていないからか、年頃が理由か、それとも男の子だからか。
いずれにせよ、黙っていてもさっきの繰り返しになってしまう。また大事なゲーム中に乱入されるくらいならば、ここで素直に要件を聞いて手っ取り早く済ませてしまうのが吉だろう。
「それからさっさと風呂に入って、ゆっくりゲームを楽しもう」
少し予定と違うが、二十時まで余裕はあったし大丈夫だろうと、智也はそう考えた。
「お客さん、智也に用があるってさ」
一階から顔を覗かせる母親にそう告げられ、智也の動きが一時的に停止する。来客があったのは知っていたが、それがまさか自分目当てとは思いもしなかったのだ。
そしてこのままでは、当初の予定が大幅に狂ってしまうことが推測される。来客なんかの対応をしている暇はない。智也は何としても、二十時までに部屋に戻らなければならないのだ。
「いや、俺は今からお風呂に入るので。それでは」
「智也に、用があるってさ」
階段を下りて、あたかも他人事のように振る舞いながら脱衣所の扉に手をかける。しかし母親はそれを許してはくれなかった。
語頭を強調しながら二度伝えられ、智也は面倒くさそうに頭を掻く。それから「母さんが変わりに」と言いかけたが、今度は智也の言葉が扉によって遮られた。
してやられた感覚。大きな音を立てて閉まる扉を見やり、智也は悔しそうに唇を歪める。
「はぁ……めんどくさ……」
仕方なく諦めて、目的地を風呂から玄関へと変更。そのまま歩を進め――ようとして、何かが頭に引っ掛かった。
「来客……俺に?」
足を止め、廊下で一考する。
当然だが智也に用があるというのは、先に対応にあたった母親が直接聞いたものだろう。
しかしわざわざ指名を受けるほど、智也には知人も友人も多くはない。
「それも、こんな時間だぞ……」
現時刻は部屋で確認済み。
もちろん外の景色は闇に染まっていて、よい子は外出できないような時間帯。
加えて智也は今の今まで気付いていなかったが、家の外は土砂降りの悪天候である。そんな日に好んで外出する者など、そうそういないだろう。
――なら、一体誰が。
常識ある人間なら夜分の訪問は避けるはず。
そうまでして済まさなければいけない用とは何なのか。
「……分からない」
考えるのを止めて渋々歩き出す。
訝しげな表情を浮かべながら来客を迎えに上がった智也。
玄関の扉を開け放ち、そこに彼が見たものは――――。
初投稿です。
しばらく毎日更新で進めていきますので、よろしくお願いします!