一章 〈7〉
〈7〉
ダンジョンに戻ってきた僕は、眠ったままのネズミを淡々と〆ていく。返り血が飛ぶので、革製のエプロンを装備して、鉈のような包丁のような刃物で、次々とネズミの首を落とし続けた。
やがてギロチン作業が終わると、次は魔石の摘出作業だ。小さなナイフを用いて、腹を裂いたネズミの胴体から、血液に塗れた石を取り出す。ついでに皮も剥いで、作業は終了。
生々しくグロテスクな作業ではあったが、人を殺す事に比べれば、全然抵抗はない。ネズミさんたちの命に感謝しつつ、美味しくいただきました。あ、肉は食べてないよ。
計四八匹。魔石も三九個手に入った。……うん。四八匹のうち、九匹はただのネズミだった……。
得られたDPは九KDP。少ないとはいわないが、多いともいえないな。でもまぁ、何回か下水道に通えば、二つのイヤリングと結界の指輪分くらいは十分に補ってくれる。
魔石を吸収すればもっとDPを得られるだろうが、どうせ売るなら自分のDPで作ったものじゃなく、こっちの方を売りたい。なので、この魔石は来週売りに行こう。
「思ったんだけどさ、モンスターが勝手に繁殖するなら、ダンジョン内であえて繁殖させるのはダメなの? 増えた分を潰していけば、DPを自給自足できるようになるんじゃない?」
名付けてモンスター牧場。なんか、かなり昔にそんなゲームがあったらしいが、たぶん屠殺まで含めたゲームじゃなかっただろうから、十分に差別化はできているよね。
だが、僕の提案はグラにバッサリ却下されてしまった。
「ダメですね。以前、同じ実験を試みたダンジョンコアもあるようですが、モンスターにDPを吸われるかのような現象が起こったようです。その実験から、仮説ではありますが、受肉したモンスターは、大気中や地中から、生命力や魔力を吸収しているのではないか、と考察されています。それもあって、受肉したモンスターは早々に外部に排出するべきだといわれています」
「そっかぁ……」
残念ながら、モンスター牧場計画は早速頓挫してしまった。
「それに、どれだけ弱くとも、ダンジョンの支配下におけないモンスターを、懐に入れるべきではありません。下手に増えすぎて、大群に襲われては、厄介な事にもなりかねませんよ?」
「それはたしかに」
じゃあやっぱり、ウチのダンジョンの現状では、どれだけ弱かろうとモンスターを作るべきではないって事だね。下手に受肉なんかされても厄介だし、外に出すのも問題になる。
免疫機能の一つが完全に不全状態なんだけど、本当に大丈夫かな……?
次の日より、勉強の合間に素振りが日課に加わった。とりあえず、剣の取り回しに慣れておかなければ、どうにもならない。
ただ、どうにも上手くない。僕は元々、運動はそこまで得意ではない。
小学校高学年の時分には、地元のサッカーチームに所属していたが、ついぞ補欠を脱する事はできなかった。中学では野球部に所属したが、応援団とベンチ温め係としてはそれなりの活躍は見せたものの、バッターボックスで快音を響かせたり、スーパーキャッチをお披露目するような活躍はできなかった。
そんなわけで、自分にスポーツは向いていないと結論付けた僕は、高校では部活動に所属せず、その分趣味の釣りに精を出していたのだった。
そんな僕が、ただ剣を持っただけで、まともに使いこなせるわけもない。
小中高と剣道をやっている友人がいたが、彼が県大会で団体三位に入賞し、大喜びしていたのを思い出す。青春の大半を費やして、それでも頂点に立てるわけではないというのが、現実の厳しさを教えてくれる。
そんなところに、僕が一足飛びで追いつけるはずもない。いや、たぶん一生追い付けないだろう。
別に剣豪になりたいわけではないので、それはいいのだ。ある程度自由に取り回しができるようになれればそれでいい。
「ふっ! ふっ! ふっ! ふっ!」
何度も何度も、小剣を振り下ろす。動きを体に覚え込ませる為に、一心不乱に剣を振り続ける。
十分に振ったと思ったら、今度は剣を横に振る。これも、何度も何度も。右手に持った剣を、右から左へ。次は左から右へ。
最後に、刺突の練習。何度も何度も何度も突く。
「よし。今日はこんなもんかな……」
「随分と熱心に訓練していましたね?」
素振りを終えると、グラが声をかけてきた。たぶん、素振り中は遠慮していたのだろう。
「そうかな? 別に普通だけど?」
「ショーンは剣というものに、それ程関心はなさそうでした。にも関わらず、その習熟の為に、一心不乱に二時間以上も剣を振り続けていました。己の関心のない事柄に、そこまで真剣に取り組めるものでしょうか?」
「ああ、いや、まぁ……、たしかに剣にあまり興味はないね」
男の子的な憧れはあるものの、剣に対する興味はそれ以上でもそれ以下でもない。こうして、実際に剣を手にしても、それは変わらなかった。
「正直、【魔術】を覚えるのに比べたら、そこまで熱心ってわけじゃないかな。ワクワク感としては、幻術の勉強の方が強いし、性にも合っている」
もしも【魔術】が、イメージだけで思い通りの事ができるような仕様だったら、ここまで熱中はしなかっただろう。だが、この世界の魔力の理は、きちんと理に則して動いている。
それを理解して、習熟して、利用する。
わかりやすく、成果が見えやすいのだ。だから僕は、幻術の勉強が好きだ。そして、目に見える成長がわかりにくい、剣の練習が嫌いだ。
「ではなぜ、剣の習熟にそんなに熱を入れるのです?」
「いや、だから別にそこまで本腰を入れてやってないから」
こんなものは、部活動では普通だろう。ぶっ続けといっても、二時間程度でしかない。まぁたしかに、二時間素振りを続けるというのはあまりないかも知れないが、他にできる事もない。どうせなら、剣道をやってた友人に、なにか練習方法を聞いておけば良かった。
実をいうとダンジョンコアの体なので疲れとかはない。汗もかかないし、息もあがらない。なので、二時間素振りを続けたって問題はない。
だから別に、剣の練習に熱心だったわけではないのだ。あえて理由をあげるなら、昨日みたいな無様は、もう晒したくはないというくらいか。いや、もうホント、いま思い出しても情けない……。
「そうですか。では、次は幻術の勉強に取り組みましょうか」
「待ってました! そろそろ基礎の復習は終わりでいいんじゃない? 言語学も幾何学も、幻術の分野だけだけど、それなりにできるようにはなったよ!」
グラの提案に、僕は大喜びで食い付いた。
「ふむ、なるほど。たしかに熱量が違いますね」
「そりゃそうさ。はやく自由自在に幻術を使えるようになりたいよ」
「ショーンは覚えが早いですし、努力も惜しまないので、そう遠くないうちに覚えられますよ」
「そっかー。たのしみだなぁ!」
うん。やっぱり僕は、剣より魔術の方が好きだ。
「…………」
石の机に突っ伏す僕。
幻術の勉強段階を一段あげたら、こうなった。いやもう、わけわかんないよ。
文字や図形を用いて描く、所謂魔法陣的なものを見せられて、魔力の理とはどういうものなのかを説明された。
こういう魔法陣や、ゲームでお馴染みなポーション、提灯鮟鱇のようなマジックアイテムを作るのは、【魔術】の一種である魔導術の範疇らしい。
いやもう、ホント、そっちまで頭に詰め込んでいる余裕はないよ。魔力の理のなかで、とりわけ【魔術】は種類が多すぎるのだ。流石、人間もダンジョンも、その技術の向上に血道をあげている分野だと関心する。
そんなわけで、意気込みも新たに幻術に取り組んだ僕は、早々に挫折したのだった。まぁ、挫折しようと骨折しようと、スパルタ教師はおかまいなく授業を続けるので、僕もヒーヒー言いながら勉強を続ける。
「——うん? 侵入者?」
「そのようですね。今日は、ショーンが囮役を務めたわけでもないというのに、珍しい事です」
「たしかに。じゃ、ちょっと迎撃の準備をば」
といっても、机についたまま居住まいを正し、机をポンポンと二回叩くだけだ。これだけで【一呑み書斎】に、幻術で僕の姿が投影される。
いずれはこれも、パターン化したいくつかの幻影を投影する事で、僕らの操作を必要としなくなる予定だ。
「じゃあ、そうだね。今回は、居眠りしている態でやろうか。敵が幻影に触れたら、落とし穴発動! ってパターンを記録しときたい」
「了解です。そうなると、ボタンが押せませんね。そこはどうします?」
「あ、そっか。手元にボタンとか作れないかな?」
「そうですね。侵入者が【一呑み書斎】に入り込む前であれば、可能でしょう。急いでください」
「あーい」
自らの体を動かすように、ダンジョンを改変していく。今回は、それ程大規模に変えるわけではない。スイッチの位置を変える程度、作業時間は数秒もかからない。
そうだな。足踏み式のスイッチにしよう。寝たフリしながら踏める仕様だ。
「って! 吊天井で全滅したぞ!?」
侵入者たちの違和感が、廊下で全部消えた。全滅だ。
「どうも、そうとうに迂闊な連中だったようです。外見も、浮浪者や人攫いというよりも、ゴロツキやチンピラといった印象の連中でした」
「そうだったの? しまったなぁ、罠の改変に気を取られて、確認してなかったよ」
「まぁ、構わないでしょう。本来、侵入者のいちいちにダンジョンコアが対応する必要などありません。その為の免疫機能なのですから」
「まぁ、そういわれればそうなんだけど」
しかしだからといって、自ら手を下しもせず、殺す相手を認識すらもせず、ただ人を殺すというのには、なんというか……、強い罪悪感のようなものを覚える。死者に対する、最低限の礼儀にすら欠けているのではないだろうか。
殺人そのものには、もうそこまで葛藤はない。それはそれで嫌な慣れではあるのだが、それとはまた別にして、あまりにもおざなりではないか?
当然、そんな自問自答に答えてくれる声はなく、中断していたお勉強を再開するグラ。僕もまた、消えない罪悪感を押し殺しつつ勉強に戻る。
「――って、あれ? また侵入者?」
「どうやらそのようです。ショーン、今日の分の拡張は終えてますよね?」
「うん? まぁ、午前のうちにね」
僕らは予定通り、一日一部屋のペースで、ダンジョンの領域を広げていっていた。現在、階段と物置と廊下以外に、四部屋ある。うち一つが【一呑み書斎】だ。
正確にいうと【一呑み書斎】の床下に、一部屋分の空間もあるのだが、そこは別扱いとしておく。
「それでは、この侵入者たちを撃退したら、住処をもう少し奥に移しましょう。なにやら、不穏な予感がします」
「なるほど。そうだね」
グラの言葉に、僕は気を引き締め直す。もしかしたら、この連続侵入はなにかの前兆なのかも知れない。さっきが呆気なかったせいで、少々気を抜きすぎていたようだ。
どうせなら【一呑み書斎】の次の罠も考えておこう。階段の落とし穴で下、吊天井の廊下で上、【一呑み書斎】で全方位を警戒させたからな、今回は別のやり口で攻めよう。
意識を飛ばして確認してみたが、たしかにチンピラっぽい侵入者だ。特になにかを装備しているわけでもなく、普段着のような姿で剣だけ持っているという有り様だ。
ダンジョン舐めてるとしか思えないが、そもそも彼らに、ダンジョンに潜っているという意識はないのだろう。民家に押し入るつもりなら、手にした剣で十分という判断なのかも知れない。
そしてチンピラたちは、またも吊天井に大打撃を受けた。だが、今回はきちんと生き残りもいた。三人の生き残りが、物置で吊天井をあげ、ついでに鍵を開き、一人が電気で感電死した。
だからさ、なんで触るのさ。丁寧に、レバーの上に【天井】【鍵】【電気】って記したプレートまで貼ってあげているのに……。え? 異世界どころか、地球でも日本以外では伝わらない? ちょっとなにを言っているのか、わかりませんなぁ。
つーかそもそも、泥棒が家の電気を点けようとするなって話だよ。
生き残りの二人は、廊下を逆走して外に戻っていった。これにて、我がダンジョンの生還率〇%の記録は途切れてしまった。
と思ったら、なんかチンピラがいっぱい入ってきた。全部で五〇人くらいか?
でもそんなの、普通に吊天井と【一呑み書斎】のいい餌食だ。なにせ、狭い廊下や部屋に身動きできない程なんだからな。
とはいえ、流石に先行の二人から罠について聞いていたのか、吊天井で仕留められたのは廊下に入ってきた二〇人くらいのうち、粗忽な四、五人だった。残りは階段で待機している。
彼らは何度もドアを開けようとしては、吊天井を作動させ、物置まで避難して天井を上げてを繰り返していた。
「だけど、それももう限界、だな」
「そうですね。ドアノブを回さなければ作動しないというギミックは、そういう意味では単純すぎます」
「まぁ、そこはホラ、初見殺しみたいなものだしね」
ウチは、普通のダンジョンと違って、侵入者が何度も出たり入ったりするようなものじゃない。攻略情報なんてものが出回らない前提の作りなのだ。
「たださ、【一呑み書斎】であの人数は、完全に命取りだよ」
「それはそうでしょう。矢を避けるスペースを、自分たちで潰しているのですから。まぁ、自業自得という事です」
「あ、書斎入ってきた」
ゾロゾロと書斎に入ってくる侵入者たち。僕は机に突っ伏して寝たフリをしながら、書斎の様子を確認する。
本当に、すし詰め状態ってくらい入ってきたな。あ、寝こけている幻影に声かけてきた。でもまぁ、別に起きてやる必要はないか。
そろそろ部屋がいっぱいだってのに、まだ入ってこようとしてるよ。あ、ヤバい!
僕は足元のスイッチを押し、落とし穴を発動させる。ばっくりと口を開いた穴に、幾人もの男たちが消えていった。
「って、ああっ!?」
「生き残りがいますね。矢を使わずに一網打尽にしようとしたのが悪かったのでしょうか?」
「いや、矢を射かけて混乱されたら、余計生き残りが増えたと思うよ」
「それもそうですね」
なんと、早くも【一呑み書斎】の足場が、侵入者に見付かってしまった。
というのも、入ってきた人数が多すぎて、仲間に押されて躓いた男が、幻影を突き抜けてしまったのだ。その瞬間、咄嗟に落とし穴を発動したものの、残念ながら部屋に入ってきた十数人近くのうち、二人も生き残ってしまったのだ。
二人は半ベソになりながら、廊下を駆け戻っていく。後続の三〇人に合流し、書斎のギミックを説明していた。
あーあ、ネタバラシされちゃったよ……。これだから、生き残りは出したくなかったんだ。
そうだな……。今回の襲撃者たちを撃退したら、階段や廊下、あとせっかく作った部屋だが、書斎も模様替えしよう。タネの割れた手品に、命を懸けられるはずがない。
「勿体ない!」
「そうですね。ですが、今後なにかに利用できるかも知れませんので、取っておいたデータは保管しておきましょう」
「そうだね。絶対に、【一呑み書斎マークII】を作ってやる!!」
くそぅ……。これから大事に大事に育てていこうと思った罠だったのに……。マークIIは、部屋に入る人数を制限できるようにしよう。
「それはそれとして、こうして実際にダンジョンを作り、侵入者を撃退して初めてわかった事がある」
「わかった事、ですか?」
「ああ。普通のダンジョンを作る場合、下手にギミックに凝ったものを作るより、モンスターを防衛の主軸において、罠はその補助として配置するのがいい」
「ふむ……。その心は?」
「一度攻略法がバレちゃったら、ほとんど防衛機構として意味を成さなくなる仕掛けと、単純に数と力で押すモンスターなら、後者の方が冒険者にとっては厄介だと思うんだ」
「なるほど、その通りですね」
長い迷路の内部に、無数のモンスターを徘徊させ、侵入者を惑わし、遅滞させ、忘れた頃に罠が発動し、撃退する。単純で、スタンダードなダンジョンだが、防衛としてはこれが最適解といえるだろう。
変に凝った作りにすれば、その分弱点もできる。逆にシンプルなものは、シンプルであるがゆえに弱点というものが少ない。ただモンスターが多く徘徊する場所の攻略法は、単純に強くなる事くらいだろう。
ダンジョンは、スタンダードな形が一番強いというのを、僕は実際にダンジョンを作って実感した。
「まぁでも、いまの僕らの現状じゃ、意味があまりない理解だったけどね。そのスタンダードな手段が取れないんだから」
「モンスターを配置できない、というのはかなり厄介な縛りですね……。いっそ、受肉しかけたものは殺処分する前提で、配置してみましょうか?」
「いやいや、なに言ってんのさ。地下室に罠があるくらいならまだしも、モンスターまでいたらここがダンジョンだってバレちゃうだろ」
「それもそうですね」
僕らのダンジョンは、ダンジョンだと知られたらおしまいなのだ。現状、既にかなり厄介な事になってはいるが、それでも侵入者対策と言い張れなくもない。
だがここにモンスターがいれば、もう言い訳なんてできやしない。どう言い繕っても、それはもうただのダンジョンである。
だから、最善ではないまでも、次善の手段としてギミックで一網打尽にするのだ。でなければ、この命が危ない。
僕は改めて、侵入者たちに意識を向ける。
後続の三〇人のうち、さらに二〇人が【一呑み書斎】に侵入してきた。きちんと壁際の足場をつたい、奥へ奥へと進んでくる。
やがて、隣の部屋への扉を発見されてしまう。
ううっ、ここまで侵入された事で、命の危険に緊張する。先程まで僕らがいた部屋に、一人、また一人と、侵入者——敵が入ってくるのだ。もしも部屋を増やしていなければ、僕はあの部屋で敵と対峙しなければならなかったのだ。
不安から、ついつい小剣の大王烏賊の柄を撫でてしまった。
さて、即席で考えたギミックだが、上手くいくだろうか……。
書斎の次の部屋は、貯蔵庫だ。その名も【暗病の死蔵庫】。書斎の先が貯蔵庫という間取りには、目を瞑って欲しい。
ダンジョンコアである僕らは、貯蔵庫を必要としない。ゆえにこその死蔵であり、室内は空っぽである。
真っ暗闇の貯蔵庫に、次々侵入者が入ってくる。中の暗さに、幾人かが明かりを取ろうとし始めているが、それが功を奏す事はないだろう。
この部屋には属性術の【暗転】が施され、あえて暗闇の帷が張られているのだ。
属性術というのは、幻術や魔導術と同じく【魔術】の一種だ。地球の現代人が、魔法とか魔術とかのワードで真っ先に連想するであろう、炎だの風だのを操る術理である。
この【暗転】も、闇に属する術らしい。といっても、幻術を優先して覚えていっている現状で、それがどういうものなのか、僕にはさっぱりなのだが。
だが、それでもわかっている事もある。この闇が、光を奪うという性質を持っている点は、きちんと認識している。それこそが、この【暗病の死蔵庫】の真骨頂なのだから。
案の定、明かりはほとんど、その存在意義を発揮しない。光源の近くをぼんやりとは照らすものの、そのか細い光は圧倒的な暗闇に呑まれていく。周囲を確認する役には立たない。
次第に侵入者たちは、怯えたように辺りを見回し始める。だが当然、首を巡らせたところで、そこにあるのは真っ暗闇だ。
――そして、この部屋の本当の意味での罠が、発動する。
クソ、クソ、クソッ!!
なんだってんだ、この地下室はッ!?
俺ぁただ、兄貴にガキ一人拐ってこいって言われただけだ。
これまでに、ウチの下っ端と、アーベンのとこの人攫い部隊が失敗してるってんで、十分に兵隊は集めた。満を持してそのガキが住んでるっていう廃墟に詰めかけたんだが、ガキは見当たらねえ。しばらく家探しをしていたら、なぜか地下に向かった連中が帰ってこねえ。
そんで、さらに地下に人を入れたら、なんと罠でほとんど死んでやがった。慌てて、全員でその地下室に向かったが、それは失敗だった。地下が狭え。
しかし、下っ端連中の目がある。ここで、狭さを理由に地上に戻るってのは、臆して安全圏に逃げたと舐められかねねえ。
だから先行組と後行組、半分に分けて地下室の探索をさせた。慎重にやらせたにも関わらず、やはりばったばったと死んでいく。
クソッ! 冒険者崩れの連中でも、連れてくればよかったぜ。
ようやくガキを見つけたという報告に喜んだ直後、先行組がほとんど全滅した。これを聞かされたときには、生き残った二人を怒りに任せて殴り付けるところだった。なんとか抑え、労ってから怯えるその二人を地上に戻した。
後続の三〇人のうち、十人を残してさらに人を送り込む。これには難色を示すヤツもそれなりにいたが、探索に俺も加わる事で黙らせた。そして、最後の十人は、ガキを見付けたら俺たちの加勢に、逆に俺たちも他の連中と同じような末路を辿ったら、ファミリーに報告する為、一目散に逃げろと伝えている。
勿論、さっきみたいにガキを見付けても幻影である可能性もある。その場合は、十人をさらに半分に分けろと命令した。本当の本当に最悪でも、五人と地上に残した二人は生き残るって寸法だ。
まさに決死の覚悟で、俺たちは幻影の部屋を抜け、次の部屋の扉を開いた。
そこは真っ暗闇の部屋だった。罠がある可能性を考慮して、慎重に進む。床の下に地面があるか、壁や天井に罠はないか、二〇人の配下たちに調べさせる。各々が暗闇に消えていく。
俺は、入り口のドアの前で待機だ。
クソ、暗ぇ。俺は腰の火口箱を開け、明かりを取ろうとする。だが、薪をささがき状に削ったフェザースティックに付いた火の灯りは、この暗闇ではなんの役にも立たない。
精々、俺の手や胸辺りをぼんやりと照らすくらいで、室内を全然照らそうとしねえのだ。前後左右に加え、上下も警戒しなきゃならねえこの化け物屋敷で、それらが一切見通せないってのは、肝が太えと評判の荒くれでも、ビビるものがあるのだろう。
俺と同じように、明かりを取ろうとしたヤツのファットウッドやランタンが、暗闇のなかにポツポツと見えるが、やはりそれも小さな明かりで、当人の顔半分くらいまでしか照らしていない。いっそう不気味だ。
クソ、クソ、クソッ! このヤマが片付いたら、絶対兄貴を怒鳴りつけてやる。上役だからって、これはあんまりな命令だった。既に五〇人近く死んでるんだ。他の兄貴集や、叔父貴、親分だって文句は言わねえだろうさ。
「ふふふ……」
そんな事を考えていたら、不意に耳元で声がした。バッとそちらにフェザースティックを向けるものの、その頼りない明かりはなにも映さない。
ガキの声? もしかして件のガキは、この暗闇に乗じて、こちらに攻撃を仕掛けてくるつもりか?
俺は腰から剣を抜き放ち、周囲を警戒する。いや、にしたって、あの声は近すぎなかったか?
「あ、兄貴! なんかいます! こ、この部屋、なんかいますよ!!」
部下の声がどこかから響く。んなこたぁ、こっちだってわかってんだ。声を出して狙われたくねえ俺は、わかったとばかりに火を振って合図する。
「ひ、ひぃぃいっ!? な、なんだ!? なんなんだよ、これはぁ!?」
チッ、誰かがなにかに遭遇したらしい。だが、このままじゃどうしようもねえ。ただ悲鳴をあげてるだけじゃ、なにがあったか、なにがいたのかもわかりゃしねえのだ。
少し、手下を分散させすぎたか。仕方がねえ。
「おい、どうしたッ!? なにがあったッ!? どこにいるッ!? わからねえと助けにも行けねえぞ!!」
矢継ぎ早に問いかけるも、悲鳴は止む事なく、そこに意味のある音を聞き取る事はできなかった。どころか――
「うぎゃぁああっ!? く、食われた!? う、腕を食い千切られたぁぁぁあ!?」
「あああああああああ!? む、虫が、無数の虫が俺の体をぉおおお!?」
「熱い熱い熱いあづいあづい!! あぢゅいよぉぉぉおおおお!?」
四方八方から悲鳴が響き始めたのだ。
なんだってんだ、この野郎!!
「虫がいたのか!? そいつに腕を食い千切られたってのか!?」
「ああ、そんな……っ! そんな……ッ!?」
「どうした!? おい、答えろ!?」
「い、いやだ!! もう嫌だぁ!! こんな場所、もう懲り懲りだぁ!!」
「た、助けてくれ!! もうあんたにはなにもしない。ファミリーも抜ける! だ、だから、俺だけでも助けてくれ!!」
「ああ……、ああ……っ! 目がぁ。俺の目がどっかいったぁ!?」
「や、やめろぉおおお!? 俺、俺を食べないでぇぇぇえええ!!」
「おい、落ち着けてめえら!! 一旦撤退する。こっちに来い!! こっちが出口だ!!」
俺が、精一杯腕を振り、フェザースティックで円を描く。すると、なにを考えてやがんのか、他の明かり持ちまでも、明かりで円を描き始めた。
「おいバカ!! んな事したら、出口がわかんなくなんだろうが!! 出口はこっちだ!!」
「騙されるな!! 本当の出口はこっちだ!!」
「クソ!! 偽物が混ざってやがる!! おいてめえら!! こっちに来い!!」
「違う!! こっちが本物だ!! こっちに来い!!」
な、なんだって、俺の声が四方八方から聞こえるんだッ!?
目と耳から入ってくるもんが信じらんなくて、俺はしばらく呆然としてしまった。それがどうしようもなく致命的な行為だとも知らずに。
そこからはもう、悪夢だった。
「あ、兄貴ぃ!? ど、どこっすかぁ!? どれが兄貴なんすかぁ!?」
よく知る手下の一人の声が聞こえる。声からでも、ヤツがベソをかいているのがわかる。だがまぁ、それも仕方ねえ。正直、俺もチビりそうだ。
俺は喋ってねえのに、あちこちから俺の声が聞こえてくる。他にも、悲鳴や泣き言が部屋中に響いている。
「そんな……!? そんなぁ……ッ!? なんで首を斬り落とされても、俺ぁ死なねえんだぁぁあ!? し、死なせてくれぇぇえええ!!」
「い、いやだぁ!! 亡者が、亡者が仲間を欲してやがるぅうう!!」
「兄貴ぃぃいい、兄貴ぃぃぎぎぎ! あにぎぃいぃぃいぃやぁぁぁぁぁあああああ!?」
「や、やめてぇぇぇええ!?」
「ち、違う、いまのは俺の声じゃねえ! こ、これは俺の声だ! もうわけわかんねえよ、クソが!!」
「お母さん……。お母さん、どこぉ……?」
「ひゃひゃひゃひゃひゃ、おしまいじゃ。もうおしまいなんじゃ……。ひぇひぇひぇひぇ……」
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。こんな終わり方は、嫌だ。く、くるなぁ!? ば、化け物めぇぇええ!! お、俺は、生きて帰るんだぁ!!」
「もういい……。もういい……。ば、化け物に殺されるく、くらいなら、じ、じじ、自分で楽に……ぅぐぅ……」
「許さない……。許さない……。私を弄んで殺した男たち、全員を呪い殺すまで、ぜぇぇぇぇったいにぃぃ、許さなぁぁぁぁぁああああああああああああい!!」
「や、やめろぉおぉおおお! もうやめてくれぇえええ!!」
「許してくれ……。許してくれ……。許してくれよぉぉぉおおお!! もう、勘弁してくれよぉぉぉおお!!」
明らかに、ここに連れてきた手下じゃねえ声も混じっている。女だったりガキだったりジジイだったり、声の色は様々だ。だが、そこに共通するのは、明らかに生者にはない死の気配。
――ここは、死の蔵だ。
死者の怨念を蔵している、嘆きの貯蔵庫だ。
この地下室の主人であるガキが、どういう人物なのかを俺は知らねえ。だが、こんな部屋を作っている時点で、イカれたクソ野郎だってのはわかる。
上の連中が、ここのガキを捕まえてなにをしたがっているのかなんて、知ったこっちゃねえ。だが、まず間違いなく、その目論見は失敗するだろう。
なぜなら、ここにいるのは正真正銘のバケモンだからだ。どんだけあどけないガキのツラをしてたって、そいつは死者の妄念を束ねて弄ぶ、死霊の王なのだ。
マフィアごときが、勝てるような相手じゃあねえ。俺らは所詮、社会の片隅に寄生してイキってるだけの、ちっぽけな小悪党なんだ。本物の悪ってなぁ、こんなに強大なんだ。
俺はそれを、嫌って程理解した。
もう沢山だ。部下たちには悪いが、俺は背後の扉からでて、地上に戻る。そして兄貴をぶっ殺す。もうこの町にいられなくなるかも知れねえが、んなこたぁあとから考えりゃあいい。
いまはただ、こんなところに送り込みやがったヤツを恨む事でしか、正気を保てる自信がねえ。
一歩、後退る。ジリジリ、ジリジリと、少しずつ、部屋にいる亡者たちの注意を引かぬよう、俺は出口へと近付いていく。あと少し、あと少しだ……。
きっと、あと少しだ……。そう、もう少し……。
な、なんで扉に着かねえ!? もう随分下がったはずだ!! 俺ぁ、ちゃんと扉を背後にして立っていたはずだ!! な、なんで扉がねえ!?
「はぁぁぁ……」
耳元で、なにかの吐息が聞こえた。
「う、うぁああああああ!!」
俺はわけもわからず、その吐息の主に、手に持ったままだった剣を振り抜く。確かな手応えと、ばしゃばしゃとなにかが飛び散る音。
やった。倒した……。
達成感はない。一抹の安堵感と不安。本当に倒せたのか、この暗闇でそれを確かめる術はない。
「あ、あに、き……」
「は?」
い、いまの声は!? まさか、いまのは俺の手下? い、いや、これも俺たちを混乱させる為の——
「ど、どうし……て……」
「クソ、クソ、クソッ、くそおぉぉぉおおお!! 絶対に生き残る! 俺は、絶対に生き残る!」
「痛ぇよぉ……痛ぇよぉ……、兄貴ぃ……」
「どうしてぇ……どうして兄貴は、俺たちを、こんなとこに連れてきたんだよぉ……」
「せめて……せめて……一緒のところに、落ちようよぉ……」
やめろ!! 落ちない! 俺は亡者の仲間入りなんざ、絶対にしねえ!!
「ああ……兄貴ぃ……兄貴もこっちにぃぃ……」
「やめろやめろやめろぉ!! く、くるなぁぁ!!」
俺はやたらめったら剣を振り回し、近付くものすべてを斬り捨てる。たまに、俺と同じように剣でも持っているのか、こちらを傷付けてくる亡者もいるが、腕はそれ程でもねえ。
俺ぁこれでも、腕っぷしを買われてウル・ロッドに入ったんだ。だが、そんな俺も、こんな場所ではどうしようもねえ。
次々と亡者を切り捨てていく。次々と。次々と。キリがねえ。やつらは無尽蔵に湧いてきやがる。
次第に息はあがり、腕に力が入らなくなっていく。亡者は俺に取り付き、兄貴兄貴と耳元で囁きながら、足に縋り付き、腰に抱き付き、俺をどこかへ引きずり込んでいく。
嫌だ……。嫌だ……。もう、嫌だ……。
死にたくない。だが、それ以上に、もうこんな恐怖を味わうのはごめんだ……。
俺はそこで、自分がまだ剣を握ってる事に気付いた。まだ離してなかったのか……。
……ああ、そうか……。こいつがあれば、もう怖い思いをする事もないじゃないか……。
どうして、もっと早く気付かなかったんだろう……。
俺は、自分の喉に剣を突き立てた。
まだ生き残りはいるけど、これでひとまずは撃退成功かな? あの十人、たぶんもう撤退するよね? じゃないと、わざわざ残してた意味ないだろうし。
「はぁー……、緊張したぁー……」
いきなり大人数が押し寄せ、アクシデントから【一呑み書斎】が攻略されてしまい、付け焼き刃の【暗病の死蔵庫】に迎撃を任せる事になったからな。どこかに不具合があって、さらに奥に進まれたら、なにも迎撃手段を施していない部屋で侵入者と対峙するハメになっていただろう。
「しかし、幻術っていうのは、侵入者対策のギミックとしては、効率がいいな。なんというか、モンスターを防衛の主軸に置くのが最善っていう前言を撤回したくなる程度には、使い勝手が良すぎる」
「幻術にも対抗策があるのですよ。【魔術】では結界術や回復術で対処が可能ですし、魔導術でも対抗する方法はあります。生命力の理でも、心を守るようにして幻術に対する抵抗力を高められます」
「ふむ。やっぱり、弱点はちゃんとあるんだね。だったら、なんであいつらはその対抗手段を取らなかったんだろう?」
「単純に、自分に幻術がかけられていると、気付かなかったのでしょう」
「ああ、なるほど。それはそうか」
あの貯蔵庫に施されていた罠で、幻術らしい幻術は、部屋全体に施されていた【恐怖】だけだ。効果は言わずもがな。
ただでさえ、暗闇というのは人間の本能的な恐怖を刺激するのだ。気付かなくてもおかしくはないだろう。
「それにしても、ちょっと怖いくらいに上手くいったな……」
貯蔵庫に侵入してきた二〇人は、十三人が互いに殺し合い、三人が発狂の末に転倒や、そこを踏み付けられたりと事故死し、残りの四人が自決という、なんとも凄惨な結末を迎えた。僕の命を狙った相手とはいえ、あまりに酷い末路だろう。
でもなぁ……。これに関しちゃ、罪悪感が非常に薄い。なにせ、彼らがどうして死んだのかというのを端的に説明するなら、それは自らの影に怯えて、暴れたから、という事になるからだ。
いやまぁ、たしかにその原因は僕なんだけどさ。ダンジョンのトラップで、無意識かつ遠隔的に相手を殺害するよりも、さらに実感が薄い。
「まさか私も、【暗転】【恐怖】【囁き】のほぼ三つだけで、ここまでの成果をだせるとは思っていませんでした」
グラが感心するようにそう言うが、僕はその間違いを指摘する。
「いや、もう一つ、一応【幻影】の幻術も使ったでしょ?」
「あれは、侵入者が明かりを所持していた際の、特例です。【暗病の死蔵庫】の本質は、先の基礎の基礎とも呼べる三つの【魔術】でしょう」
まぁ、そうなんだけどね。
要は、部屋を暗くして、恐怖心を煽って、属性術の風属性で作った声を、適当に流しただけだ。途中からは、チンピラたちの声を真似て流したら、とても効果的だった。
ちなみに【幻影】は、明かりを持つ人間を量産し、いざというときに惑わせるという使い道だ。グラの言う通り、明かりを持っている人間がいなければ、暗闇の室内でわざわざ使う必要のない【魔術】であり、実際使わない。
それまでに、前後左右上下から罠に見舞われた侵入者たちにとって、それを見通せない暗闇というのは、強いストレスだっただろう。そんな不安定な心理状態を、【恐怖】の幻術が掻き乱し、正体不明の【囁き】が助長する。
暗闇と恐怖で冷静さを完全に失った侵入者は、恐れるあまり、いもしない敵と戦うつもりで、お互いに殺し合ったのだ。
最後に自殺したヤツなんて、平衡感覚まで狂ったのか、同じところをグルグル回りながら、扉はどこだと叫んでいた程だ。
まぁ、あの段階で室内は阿鼻叫喚の様相を呈していたからな。【恐怖】がどれだけ心を蝕んでいたのかは、当人でないとわからない。
「ちなみにですが――」
そう前置きして、グラが抑揚のない声で語り始める。
「——魔力の理には、【魔術】とは別の【神聖術】というものがあるのですが、覚えていますか?」
「え? あ、うん。とはいえ、ほとんど名前を覚えてるだけだけどね。たしか、【魔術】の回復術みたいな事ができるんだっけ?」
唐突に話題が変わった事に面食らいつつ、僕は頷く。
「それも間違いではありません。ですが【神聖術】の真骨頂は、信じる人間が多ければなんでもできる代わりに、信じたものがなんでもできてしまう、というところにあり、リスクがとても大きいのです。ですので、人間も我々ダンジョンも、かなり慎重に運用している理なのです」
「うん? ちょっとよくわかんないんだけど、なんでもできるなら、便利なんじゃないの?」
たしか【神聖術】っていうのは、それが使えるというだけで、冒険者ギルドで特級冒険者になれるようなものだったはずだ。それだけ、貴重な才能なのだろう。
「人間――に限りませんね。地上生命の場合、【神聖術】というものは、信仰という集団心理を用いて共通認識を確立し、その共通認識に信仰心という鍵を用いてアクセスし、共通認識に記録された現象を引き起こす、という過程を経て顕現されます。元が人々が信仰する共通認識であり、そこから現象を引き出すのも個人的な信仰心であるるだけに、結果にかなり個人差が生まれます」
「ふむふむ」
つまり、この世界の宗教というのは、魔力の理を使う為のシステムのようなもの、という事だろうか。なんというか、世知辛いなぁ。
「でも、それってやっぱり便利なんじゃないの?」
たとえば、絶対即死ビームとか、完全回復魔法とか、絶対防御バリアとかを浸透させれば、それだけでもう無敵だ。
「言ったでしょう? 個人差があるのです。強い信仰心を有する者は、共通認識からより理想に近い超常現象を引き出す事が可能になるといわれていますが、信仰心の薄い者や適正の低い者は、然程の効果は望めません」
「うわぁ、それはちょっと面倒だね。【魔術】とは大違いだ」
【魔術】は、正しい法則で魔力を流せば、確実に効果を発揮するという分野だ。対して、どうやら【神聖術】というのは、かなりの個人技らしい。
なおも、グラは続ける。
「そして、そんな者が使う、拍子抜けするような【神聖術】は、信仰そのものに悪影響を及ぼす恐れがあります。そうなると【神聖術】全体の純度を下げ、無関係の場所でも術の効果が下がったりします。逆に、奇跡のような効果に信仰が深まり、【神聖術】全体の効果が高まる場合もある、というのがこの理の特徴なのです」
「なるほどね。良きにつけ悪しきにつけ、効果がでてしまう、コントロールの効かない術なんだね。たしかに、慎重な運用が求められそうだ」
絶対即死ビームがゴブリンに弾かれたりしたら、もう【神聖術】そのものに対する信頼がガタ落ちだろう。そしてそうなると、【神聖術】全体の効果が下がってしまう。
最悪の場合、信者たちに『モンスターには【神聖術】が効かない』なんて認識が膾炙してしまったら、本当に【神聖術】が無用の長物となりかねないわけだ。
下手な者に、下手な状況で使わせられないという点では、【魔術】よりも縛りが多そうだな。
「それで? その【神聖術】がこの状況となにか関係あるの?」
僕は本題に話を戻す。グラが唐突に、【神聖術】の話を振ってきて、その内容が面白かったから忘れそうになっていたが、いまは【暗病の死蔵庫】について話していたのだ。
「いえ、ふと思ったのです」
前置きするようにそう言って、グラは続ける。いつもの、淡々とした、抑揚のない声音で。
「もしも侵入者たちが、共通の幻影を想起し、強く強く恐怖していたというのなら、それは逆説的な信仰にはならないでしょうか、と……」
「え、ちょっと……」
「本当に、今回の惨劇は、なにもない貯蔵庫で、侵入者が錯乱しただけだったのでしょうか? もしかしたら、彼らの信仰した、なんらかの化け物が、そこに生まれて――」
「やめてよ!!」
もう【暗病の死蔵庫】は作っちゃったんだよ!? 怖くなったからって、消せないんだよ!?
どうすんのさ!? 外に出るのに、もう怖くて貯蔵庫通れないじゃん!! 鰻の寝床みたいな作りの住処だってのにっ!!
ちなみに、ダンジョンの罠は意識的に停止させないと、ダンジョンコアにも普通に発動する。停止させたり再起動したりするのは無駄なので、普通は作動させたままだ。
だが、この貯蔵庫だけは、侵入者がくるまでは停止状態にすると決めた。
案の定、階段に残っていた十人は後行組が帰ってこないと覚ると、そそくさと撤退していった。
僕らに残ったのは、約五〇人分のDPと、謎だけだ。
「さて、考えようか」
「そうですね。今回の襲撃が、いかな意味を持っていたのかは、ダンジョンの、ひいては我々の存亡に帰結する大事でしょう」
そう。いきなりチンピラが数十人も押しかけてきたのには、きっと理由がある。まさか、先日食らった数人のチンピラの捜索だった、という事はないだろう。それにしては物々しすぎた。
「何者かに、我々は敵として認識されている、と見ていいのでしょうね」
グラの言葉に、僕は無言で頷いた。言葉の重みに、ごくりと喉が鳴る。
誰が、どうして、僕を敵視するのか。それはわからない。だが、確実に、敵視されている。
それは、ダンジョンコアとして覚悟はしていた。人を殺しているのだ。清廉潔白な身の上ではないのだ。不当だとは思わない。
いつかは、こうなるというのはわかっていた。いつかは、僕は人類の敵として、全面的に人間と殺し合うのだろう、と。
「原因としては、やっぱり侵入者を捕食してた事、だよね?」
「おそらくはそうでしょうね。社会的繋がりの薄い人間を誘い込むという目論見で、ショーンに囮になってもらっていましたが、流石にそのような者しか誘いに乗らなかったと思うのは、都合が良すぎるでしょう」
「あの黒服連中とか、あからさまに裏家業の人間って感じだったもんね」
ちょくちょく侵入してくる、たぶん人攫いであろう黒ずくめ連中は、どこかしらの組織と繋がりがありそうではある。そうでなければ、人を攫っても金に変える手段がないだろうからね。
「ただ、そうなるとチンピラとの繋がりがわかんないんだよなぁ」
「単に、金で雇った使い捨てという事は考えられませんか? 手勢を消費するのを厭い、失っても痛くない駒として我がダンジョンに送り込んだと考えれば、ある程度合理的かと」
「実際、【一呑み書斎】までの攻略情報は、流出しちゃったわけだしね。まぁ、この後改装するんだけど。でもなぁ、あれだけの人数のチンピラを、どこの組織とも関係なく集められるもんなのかな」
「人間の常識に関しては、私にはなんとも」
「僕だって、この世界の常識には疎いっての」
世界が変われば、常識なんて百八十度変わってもおかしくない。スラムには、どこにも所属しないチンピラが、掃いて捨てる程いたって、別におかしくはないのだろう。
だが、それではしっくりこない。自分たちに都合のいい情報を、選ぼうとしている気がする。
「とはいえ、敵がなんであれ、我々を倒しにくるというのであれば、迎え撃つ以外の選択肢などありません」
堂々とそう言い放つグラに、苦笑してしまう。なんて潔い言葉だろう。ビクビクしている自分が情けなくなってしまう。
たしかにその通りだ。敵がどういう組織なのか、どういう意図でこちらに攻撃を仕掛けているのかを、ここで考える意味はない。情報がなにもないのだから、正しい答えが得られるわけがないのだ。
だったら、死なない為にいまできる事は、ダンジョンの防衛能力を高める以外にはない。
そうだな。階段はもう少し広くして、落とし穴じゃなく、左右の壁から槍を生やそう。ここで左右を意識させる。
吊天井はこのままで、ドアの仕掛けを弄ろうか。やっぱり、階段の扉もロックする事で、前後を意識させる。
さらに【一呑み書斎】は一旦まっさらな状態に戻して、手すりのない橋状の通路にしよう。頭上や左右の壁からなにかを射出して、下に落とす仕様にすれば、侵入者は上下を意識するだろう。
そうなれば、このあとの【暗病の死蔵庫】の効果が最大限に高まるはずだ。
それと、せっかく大量にDPが得られたのだから、騒ぎに乗じてダンジョンを広げるという手もある。多少揺れても、チンピラとの抗争の影響だと思われる可能性が高い。
まぁ、その前に既にある二つの部屋も作ってしまおう。そうだな僕らのいるこの部屋の手前の部屋は、命を奪うよりも時間稼ぎをコンセプトに作ろう。遊園地にあるミラーハウスなんか、いいかも知れない。
それで、現在の最奥はどうするか……。もう少し、腰を据えて考えてみよう。
「おい、ジーガ。聞いたかよ?」
「あん? なんだ、ラペルかよ。どうしたんだ?」
俺の寝床に現れた、スラムの馴染みの情報屋は、ヘラヘラと笑みを浮かべながら、まるでとっておきのネタだとでも言わんばかりに告げた。
「どうもウル・ロッドの連中がな、七〇人くらいで襲撃をかけた相手に、返り討ちにされたらしいぜ」
「…………」
サァっと、血の気が引いた。そんな俺の反応に気を良くしたのか、ラペルは続ける。
「しかも聞いて驚けよ。やられたなかには、なんと狂剣のジズも含まれてたって話だ。いまんとこ、生死は不明だ」
「……マジかよ……」
なんとか、そう言葉を捻り出した。
心当たりのない話じゃねえ。どころか、つい昨日キュプタス爺と話したばかりの話題だ。しかし、だからこそ信じられねえ。
今回こそは、あのガキも終わりだと思った。
だが、ガキはウル・ロッドの小手調べを払い除けて見せた。これから、両者は本格的にぶつかり合う事になるだろう。
その規模は、おそらく俺が想像していたよりも、はるかに大規模なものになる。
ウル・ロッドは総力をあげれば、五〇〇人は人を動かせるだろう。兵隊以外も含めれば、一〇〇〇人が動くかも知れない。アーベンだって、事ここに至って手札を出し惜しむような事はしねえだろう。ウル・ロッドから顰蹙を買うのは、ヤツも避けるはずだ。
そんな相手を、あのガキが一人で相手にする? 勝てるはずがない。勝てるはずがないとは思うのだが……。
「…………」
もしまた、この予想が覆されたら? もしも、ウル・ロッドとアーベン、二つの総力を合わせた襲撃まで、ガキが防いでみせたら?
あり得ねえとは思う。だが、同時に心の片隅の、理屈じゃねえところで、あり得るかも知れねえと思っている自分がいる。
当然そこに、ポジティブな思いなどない。むしろ、得体の知れねえ化け物に向ける畏怖と忌避感が強い。
俺はラペルに、あまりこの件には関わるなと忠告し、本格的に巣篭もりの準備を始める事にする。嵐ってのは、ちっぽけな人間は通り過ぎるのを待つ事しかできねえもんだ。
俺にだけは、災いの雷を落とさねえでくれと、天に願いながらな。




