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一章 〈6〉

 〈6〉


 最近、この辺りには奇妙な子供が出没する。


 まるで新品みてえな、暗い青色のベストに白いシャツ、黒いハーフパンツに上等な革靴を履き、派手で大きな指輪をしている、十二、三の子供だ。

 これだけなら、ウサギが塩と香草を背負って歩いているようなもんだ。さっさと鍋に入れて食らってくださいってな。

 次の日には身包み剥がされて路地を転がっているか、ツラが良けりゃアーベンの商品として首輪をされているかといったところだろう。

 美味くもなさそうに肉串を齧りながら、不用心にスラムを歩いている姿を見たときには、当然そうなるものだと思っていた。

 だってそうだろう? 肉串なんて、簡単であれど調理されたあとのものを食いながら歩くだなんて、周囲に「自分は金を持ってるぞ!」と宣伝しているようなもんだ。

 実際、肉串を齧るガキのあとを、何人かの人間がつけていったのを見て、自分の予測は間違いなく正しいものだろうと思ったんだ。どころか、そうなったものとして、今日まで忘れていたくらいなのだ。


 だが今日、そのガキはまた現れた。何事もなかったかのように、またも新品のような装備を身に付けて、意気揚々と町中に向かって歩いていく。


 おかしい。


 どう考えたっておかしい。仮に、あのあとなんらかの方法で襲撃を防げたとして、だったらなんでまた、同じように無防備に出歩くんだ? また、別の厄介者を呼び込むだけだとわからねえってのか?

 もしかしたら、前回は誰にも襲われなかった? いやいやいや。そんなわきゃあねえ。あんな身なりのいいガキを、人攫い連中が見逃すはずはない。

 あの上等そうな衣服と、でけえ指輪を売り払い、ついでにアーベンにガキそのものを売っ払えば、そうとうな稼ぎになるはずだ。文句を言うヤツすら残らねえってのに、やらねえ理由がねえだろう。

 人攫いでなくても、狙っていたやつはいたはずなのだ。


 少し経って、そろそろ金が心許なくなってきたから、冒険者の真似事でもしに下水に潜ろうかと思っていた矢先、件の子供がスラムに戻ってきた。片手には、クソ高えアンジーの実なんざ握っていたが、今度はこれまでのような飄々とした様子じゃあなかった。何者かに追われるようにして、そそくさとスラムの奥に消えていく。

 しばらくすると、冒険者風の、それでいて安っぽい、どこかスラムに近しい雰囲気の男たちが、どやどやと現れた。おそらくは、ゴロツキ紛いの下級冒険者だろう。


「どこだ!? どこ行きやがったッ!?」

「クソッ、スラムなんぞに逃げ込みやがって!」

「おい、ウル・ロッドの連中に見つかったらやべえ。今日のところは、ひとまず退散しようぜ!」

「ちょっと待てよ! だが、あのガキは六級相当のマジックアイテムを持ってんだぜ? スラムなんぞに入れば、明日にゃ丸裸の奴隷か死体だ。折角の獲物を横取りされちまう!!」

「うるせえ! 命あっての物種なんだよ。俺ぁ降りる!」

「ああ、帰れ帰れ! その方が分前が増えらぁ!!」

「お、俺も降りるぜ。ガキは惜しいが、ウル・ロッドの連中とかち合ったら、結局はタダ働きだ……」

「ぅうむ……。じゃあ俺も、今日のところはけーるか……」


 聞き耳を立てつつ観察していたら、スラムに入ってきた冒険者の半数が、いそいそと町中へと戻っていった。

 ウル・ロッドファミリー。この一帯を取り仕切る、このアルタンの町における裏の顔だ。頭の足りない下級冒険者連中も、流石にウル・ロッドに喧嘩を売るつもりはないようだ。

 まぁ、それでも十人程度が残ったのは、上手くやればウル・ロッドの目から逃れつつ、あのガキを捕らえられる可能性もあると思っているのだろう。もしもかち合えば、愛想笑いでも浮かべて踵を返すしかないというのに。


「しかし、六級か……」


 我知らず、声が漏れた。

 六級のマジックアイテム。それは、売れば金貨五枚くらいにはなるだろう。

 お宝と呼べる程ではないものの、一般的には十分に高価な金額だ。下級連中が目の色を変えるのも、さもありなんといったところか。

 金貨五枚……。表の世界でやり直す――人生を買い戻す為には、十分な値段だ。いい加減、俺が破産したなんて話も、忘れられつつある。

 だったらこれは、いい機会なんじゃねえか?

 他の商人に侮られないだけの身なりを整え、どこかのギルドに所属するまでに、金貨が一、二枚は飛ぶだろう。だが、残った三枚で品物を仕入れられる。その後は、少しずつ儲けを増やしていき、死ぬまでにまっとうな住処を得られれば、それ以上の望みなんてない。

 どうする……? これまでは、人に顔向けできないような真似は、しないで生きてこれた。だが、とてもではないが、真っ当に生きてきたなんて言えやしない。

 だから、もう少し()()()()に踏み出して人生を買い戻せるなら、躊躇する理由はないんじゃないか? ほんの少し。そう、あと一歩だけ踏み出せば……。


 俺は棍棒を振り下ろした。


「はぁ……。こういうところが、俺のダメなところなんだろうなぁ……」


 ギィッ! っと悲鳴をあげたのは、勿論あのガキではなく、下水路の赤ネズミだ。ネコ程もある体躯をぐったりさせ、動かなくなった赤ネズミの腹を、錆だらけのナイフで裂いて、小さな魔石を取り出す。この魔石は、明日にでも冒険者ギルドに売りに行こう。

 勿論、俺はガキとは違って、いかにも金を持ってますなんてツラで、戻ってきたりはしねえ。ついでに壁の外でウサギでも狩って、その肉を持って帰れば、懐を弄られる心配も少ないだろう。

 少々惜しいと思いつつも、赤ネズミの肉なんて食えたものではないので、死体は下水に蹴り落とす。

 結局俺は、一歩踏み出す事はできなかった。


 あのガキはどうなっただろうか。いや、考えるまでもないな。

 もしかしたら、下級冒険者たちに身包みを剥がされているかも知れない。だがそれは、思い付く限りでは、まだマシな目だといえる。一度目ならともかく、二度目ともなれば、人攫いも本腰を入れるだろう。そうでなくても、あれだけの騒ぎにもなれば、そろそろウル・ロッドだってガキの存在に気付く。

 むしろ、今日を生き延びる方が過酷な状況におかれるといっていい。だから、こうして赤ネズミを狩っている自分は、まだまだ甘いのだろう。

 ガキを狙い、拐い、あわよくば金を手にできる方に賭けられなかったのは、単にそれをしたくなかったからだ。人間として、生きていたいと思ってしまったからだ。


 はぁ……。


 次の日。場所は冒険者ギルド。

 魔石を売りにきた俺は、同じく魔石を売りにきたヤツが隣に並んだ事で、声をあげて驚き、腰を抜かしてしまった。

 そんな俺を不思議そうな顔で見ているのは、あのガキだった。


 ●○●


 新しく作った部屋に、石製の机と椅子も作った。座り心地は最悪だけど、地に属す物質である石は、生命力を馴染ませやすいので重宝する。


「とはいえ、いい加減木材も欲しいんだよなぁ……」

「開口部の廃墟を解体すれば、それなりの木材も確保できるかとは思いますが……」

「そりゃできるだろうけど、僕らのダンジョンが丸裸になっちゃうじゃないか」

「そうですね。あのような廃墟でも、ないよりはあった方が望ましい隠れ蓑です」


 いずれは上部の家を建て直して、正式に僕らの住居にするのもいいかも知れない。ダンジョンは、その家の地下室、という風にできれば、そうそう発見される事もないだろう。

 ただ、いまはまだそんな余裕はない。まずは保身が第一である。


「では、資料に目を通すとしましょう」


 心なしか溌剌としたグラの声に応じ、僕は懐からセイブンさんにもらった資料を取り出した。薄っぺらい羊皮紙一枚の資料ではあるが、これはダンジョンにとっての大きな一枚となるだろう。


「なになに……。ダンジョン内は暗い場合もあるので、明かりとなるものを持っていきましょう?」

「そんなものは、言われずともわかるでしょう」

「そうだね。えーっと、次の項目は、ダンジョン内の探索には、時間がかかる場合もあります。余裕のある食料と飲料水を携行しましょう……」

「それも自明でしょう。それは子供向けの注意事項ですか?」

「ダンジョンにはモンスターが出現します。戦う準備を怠らないようにしましょう」

「怠るようなら、そもそもその者はなにをしにダンジョンに潜ってきたというのですか?」


 グラの言葉が刺々しくなってきた……。

 まぁ、こんな遠足のしおり紛いの紙切れを、人間側の重要書類だと思っていたのだから、肩透かしに苛立っているのだろう。

 資料に書かれていたのは、本当に簡単な諸注意ばかりで、冒険者の行動パターンを割り出す役には立たなそうだった。


「まぁ結局、十級にも見せられる程度の、浅い情報だったって事かな……」


 中級冒険者にとって、ダンジョン探索のノウハウというのは飯の種だろう。下級冒険者にそれを広められれば、自分たちの取り分が減りかねない。面白い話ではないだろう。

 ギルドとしても、下級冒険者に求めている役割は、周辺に存在する繁殖力の高いモンスターの駆除だ。ダンジョン探索ではない。

 下手にダンジョンに食指を向けられたくはない、という事なのかも知れない。


「そうですね。冒険者ギルドの保有している資料とやらには、これ以上の情報が記載されていると期待しましょう」

「七級、できれば六級くらいまでは上がりたいね。となると、魔石の納入か。生命力的には、どれくらい消費するかな……」


 必要な投資だとはわかっているけど、やはり気分のいいものではない。自分の足を食べるタコの気分だ。


「今回の囮で、どれだけ獲物が食い付いてくるかにもよりますね」

「結構目立っていたけど、今夜は侵入してくるかな?」

「どうでしょう? スラムに入る頃には、冒険者連中は撒いていましたし、スラムに入ってからは、急いでここに戻ってきましたからね。それ程目立ってはいなかったかも知れ――」


 噂をすれば影というべきか、侵入者だ。まだ日も高い頃合いだというのに、堂々と家宅侵入とは……。


「今夜どころの話じゃなかったね」

「ショーンの機転のおかげで、ダンジョンは処理能力を向上させています。十人、二〇人程度の侵入者であれば、問題なく処理できます」

「そうだね。そう願おう」


 バクバクと高鳴る心音を自覚しながら、僕は汗をかかないはずの背筋に、冷たいものが這うのを感じた。

 何度経験しても、命を狙われるというのは、慣れるものではない。下手を打てば人生が終わる緊張感に、いまにも胃がひっくり返りそうになる。

 バトルジャンキーというものを、前世の創作物でよく目にしたが、こんな緊張感を楽しんでいたのかと思うと信じられない。完全に、異常者の思考だ。


 侵入者を意識すれば、その姿を目以外のなんらかの器官で視認する。やはり、侵入してきたのは冒険者だ。格好的に、下級冒険者だろう。総勢十二人。

 階段で二人殺した。

 二人も引っ掛かったのは、運が良かったといえる。彼らは、下級とはいえ曲がりなりにも冒険者だ。ダンジョンではなく、人家に侵入したと思って油断したのだろう。

 だが、後続はそれを目撃しており、当然落とし穴は回避される。

 次の吊天井の空間で、さらに四人殺した。だが、全滅じゃない。一人が、物置に避難したのだ。

 そこには、天井を元に戻す為のレバーと、通路の扉の鍵を開く為のレバーと、電流が流れるレバーがある。

 物置でもう一人。なんだって、天井を元に戻して鍵を開けたあと、必要もないレバーまで触るかね。いやまぁ、それを狙った罠なんだから、文句なんてないけど。

 先行組は、これで全滅。残りは後発の五人。

 死体はまだ食べないよう、グラに言っている。万一逃げられた際に、死体がすぐに消えたなんて言いふらされたら、ここがダンジョンだとバレかねない。


 残りの五人が、罠にかからぬよう、慎重に廊下を進む。扉の前に到達すると、念入りに調べている。やがて、その扉がノブを回さずに開く、外開きの扉だと気付いたようだった。

 そしてとうとう、先程まで僕らのダンジョンの最奥の間だった部屋へと、侵入者たちが到達した。


 本当、新しく部屋を作っていてよかったよ。

 柔らかなランプの灯に照らされる空間。部屋の奥には木製の本棚があり、床には真っ赤な絨毯が敷かれ、壁には鹿の剥製やら絵画が掛けられ、全体的にごちゃごちゃとした印象をうける。

 本棚の前に配置されている重厚な机についていた()は、侵入者たちに反応して顔をあげた。


 ●○●


 信じらんねえ……。

 この地下室に足を踏み入れてからというもの、次々と下級の連中が死んでいく。命の軽い冒険者とはいえ、その死は生々しい光景として、目ん玉に飛び込んできやがる。

 ただの廃墟の地下室に、なんだってこんなに罠が設置されてやがんだ!? どうしてあのガキは、こんな場所に住んでやがんだ!?

 叫びながら誰かに問いたいという思いを、必死で押さえつける。ここまできて、怖気で足が震えてやがる。もう逃げちまいたいと、心の奥底でそう思っている自分がいた。

 十人以上いた今回のヤマのみの仲間は、いまや半分の五人しか残ってねえ。次に死ぬのは自分かも知れねえと思うだけで、怯懦が足を止めようとする。

 それでも、ようやく――本当にようやく、目の前にガキが現れた事で、安堵と同時に怒りが沸いて、弱気なんざどこかへ消えた。

 あの日の雪辱を果たし、あのガキのスカした面を泣き顔に変えてから、奴隷商に売り払って人生のどん底まで突き落としてやる。

 暗くどろりとした衝動が、後ろ向きになった俺の心を塗り潰した。


「おや? 来客の予定はなかったと思いましたが?」


 この状況で飄々とそんな事を宣いやがったクソガキに、他の冒険者たちから悪罵が飛ぶ。


「ふざけやがって、クソガキが!!」「よくもやりやがったな!!」「メゾの仇だッ!!」「何人も殺しやがって!!」「ビービー泣き喚くまで、甚振ってやる!!」


 三々五々に喚き散らすもんだから、誰がなんと言っているのかすらわかりゃしねえ。伝わるのは、ただただガキに対する憎悪のみだ。

 この部屋に到達するまでに、どれだけの死線をくぐらされてきたのか。それを思えば、当然の憤りだろう。


「そんな事を言われましてもね。他人の家に勝手に侵入してきて、セキュリティに引っかかったのを、こちらのせいにされても困ります。人の財産や人生を奪おうとしたんです。報いは、当然受けるべきでしょう?」


 こちらにビビる様子もなく、肩をすくめたガキの様子にイラっとくる。

 そうじゃねえ。俺が見たいのは、五人の冒険者に囲まれて、どうしようもなくなったガキの顔だ。こんな、余裕のある顔じゃあねえ。


「まだなんか仕込んでやがんのか?」


 俺がそう問うと、いまにもガキに飛び掛かりそうになっていた連中が、ここまでの、地獄みてえな道中を思い出して、ビクりと体を震わせた。どうやらアホどもは、この部屋にも罠がある可能性を失念していたらしい。まったく、下級のゴロツキ紛いはこれだから……。


「おや? あなたはたしか……、えーっと、さっき冒険者ギルドで名前を聞いたのですが……」


 俺の顔を見たガキが、まるでどうでもいい情報を記憶の片隅から思い出すかのような仕草で悩む。その様子にもイラついたが、ガキはすぐにポンと手を打った。


「そうそう、ホッモさんでした!」

「モッフォだ!!」

「あれ? ああ、そうでしたそうでした。それで、れっきとした中級冒険者であるモッフォさんが、どうして泥棒の真似事なんか?」


 ガキが首を傾げる。当然だろう。

 六級の俺にとって、金貨数枚の為にコソ泥の真似事なんざ、割に合うような行いじゃねえ。しかも、それをさらに頭割りする予定なのだ。得られるもんは、ガキの売値を含めても銀貨十枚いくかどうか。

 とてもじゃねえが、六級の地位を失う危険を冒してまで、欲しい金じゃねえ。

 だが、そんな損得勘定で割り切れるような話じゃあねえんだ!


「あの日、冒険者登録にきたガキに、あしらわれた俺のメンツが、どれだけ傷付いたと思ってやがる!?」

「だったら、最初から新人冒険者に絡まなきゃいいだけでしょう。僕じゃなくても、そのうち実力者とかが登録にきて、返り討ちにあってましたよ、たぶん」

「うるせぇ!! 実力者なら、見りゃわかんだよ!! 少なくとも、テメェみてえな苦労知らずのガキはちょれぇって、相場は決まってんだ!!」

「世の中にはセオリーだけじゃなく、アノマリーもあるのだと学べて良かったですね。少なくとも、僕という例外があるようですので」

「違う!! あれは、単にテメェの運が良かっただけだ!! ただ、ちょっといいマジックアイテムを持ってただけだ!! それなのに、どいつもこいつも俺を笑い物にしやがって……ッ!!」


 この一週間。俺がどれだけの地獄を見てきたか、このガキはきっと思い付きもしねえんだろう。

 酒場に行けば、十級に犬の真似をして命乞いをしたとまで噂が誇張されていたし、同業連中はあからさまに俺を避けるようになった。

 現在は特定のパーティに所属していない俺が、野良パすら組めなくなったら、ダンジョンにも潜れやしねえ。そもそも、ギルドから依頼の斡旋が受けらんねえいまは、少ねえ貯蓄を食い潰しているのが実情だ。

 それもこれも、このガキのせいだ。


「俺ぁただ、ジーナに言いよるクソガキに、釘を刺そうとしただけだったってのに!」

「ジーナ? 誰ですそれ?」


 キョトンとした顔でそう言ったガキ。

 ブツンと、頭の中でなにかがキレたような音がした。

 俺は腰の剣を抜き放ち、狭い室内を一気に駆け抜けようとした――が、チリリとこめかみに走る危機感に、咄嗟に転がる。

 間一髪、先程まで俺がいたところを、矢が通り過ぎ、後ろにいた男の眉間に突き刺さった。


「はぇ?」


 間抜けな断末魔を残して、そいつが頽れた事で、室内には一気に緊張が走った。

 いまの矢は、ガキが放ったもんじゃねえ。つまり、やっぱりこの部屋にも罠があって、それは矢を飛ばすものだって事だ。


「流石は六級。ダンジョンの攻略を任される人材というだけはあります」


 そんなピリピリとした空気など一切読まず、ガキはそう口にした。本当に賢しらなガキだ。

 わかってる。結局は、自業自得だなんてなぁ重々承知なんだ。十級ですらねえ、冒険者志望のガキだと思って油断した。そのツケが、いまの俺だ。

 だがなぁ、なによりも許せねえのは、このガキが、六級冒険者であるこの俺や、俺が何度口説いても見向きもしねえジーナや、その他の冒険者たちに、欠片も関心がなく、一切の興味もねえってところだ。

 まるで路傍の石でも見るように、冷めた目で俺たちを見てやがる。十級だろうが六級だろうが、クズは所詮クズだろとでも言わんばかりに見下す、こいつの目が気に食わねえ。


「自分は特別な人間だとでも思ってんのかッ!?」


 意図せず、俺の思いは声になった。だが、そんな言葉に、ガキは意表をつかれたような顔をする。

 ガキの様子に関係なく、今度は角の生えたなにかの動物の置物から、矢が飛んできた。俺はそれを、剣で打ち払う。

 他の連中は、四方八方から飛来する矢に、右往左往してやがる。既に、体に矢が突き立っている者も多い。いずれジリ貧になる。

 見れば、ガキはこんな矢の雨の中でも、平然としている。このクソったれな部屋の中で、身じろぎもせずに立っているのだ。あそこが安全地帯だ。

 示し合わせたわけでもないのに、俺たちは一斉にガキの元へと駆けた。くるかも知れねえとわかっていれば、矢は弾ける。いやまぁ、俺以外は当たってるヤツもいたが、所詮は下級って事だ。

 前方は当然、左右や背後からも矢が飛んでくるような状況。前だけ向いて進む事はできねえ。しかし狭い部屋を駆けた俺は、とうとうガキまであとわずかという距離にまで詰めていた。

 あと少し。あと少しで、このガキに、地獄を見せられる。


「追い詰めたぜ、ガキィ!!」

「特別かどうかはともかくとして――」


 いまにも襲い掛かろうとする俺に、やっぱりただの石ころを見るような目を向けるガキ。どうしてか、その瞬間背筋を冷たい汗が流れた。


「――そろそろ僕にも、自分が人間じゃないっていう自覚は、できてきたかな?」


 ガキを掴んだはずの右手は、空を切った。


「は?」


 目測を誤ったわけじゃねえ。距離的には、確実に掴んだはずだ。


「うあっ!?」


 腕に感じた熱感に、思わず声が漏れた。見れば、手の甲から矢が生えてやがる。

――いや、そんなわきゃねえ。だってそこにはガキが――……

 次の瞬間、ガクンと足元が抜けるような感覚があった。すべてを置き去りに、体が吸い込まれていく。

 そう置き去りだ。ガキも、机も、本棚も、俺が立っていたはずの絨毯すらも置き去りにして、俺は落ちていく。


 宙に浮かぶガキの足裏を最後に、俺の意識は暗転した。


「はぁぁぁあああ……」


 僕は盛大にため息を吐きながら、壁にあるボタンから手を離した。

 なんというか、これまでの殺しと違って、これは自ら手を下したって感じで、胃がズシっと重くなる。

 このボタンを押すと、隣にある部屋の床の八割くらいがパカりと開いて、落とし穴になる。侵入者たちは、この隣の部屋、さっきまでダンジョンの最奥だった部屋から奈落へと消え、その生涯を終えた。


「……ぁぁあああぁぁ……」


 もはや呻くように息を吐き続ける僕。気分が悪い。


『自分は特別な人間だとでも思ってんのかッ!?』


 モッフォとかいう、西洋版仁王像の言葉が、頭のなかをぐるぐると巡る。それが、僕の心のデリケートな部分を、無神経に掻きむしるのだ。

 自分を特別だと思った事はないが、自分の境遇は特別なものであるというのは自覚している。そんなものは、自我を持ったまま転生した段階で、重々承知のうえだ。いまさら、あの男に言われるまでもない幸運だった。

 僕の能力に、特別な部分などない。むしろ、一般的なダンジョンコアとしては、基礎知識を有していない分、平均をだいぶ下回っている自覚はある。

 しかも、生まれた場所はダンジョンを討伐しようとする人間の町のど真ん中。死地だって、ここよりはまだ安全圏だ。

 生まれ変わってこの方、決して平穏に生きてきたわけじゃない。むしろ、ギリギリの綱渡りを、なんとかここまで渡り切ったという思いである。

 だから、特別云々はどうでもいい。


『人間だとでも思ってんのかッ!?』


 僕はダンジョンコアだ。一週間飲まず食わずでも平気だし、一日二四時間勉強したって体を壊す事はないし、ついでにパンツを変えなくても汚れない、ダンジョンコアだ。いや、毎日洗濯して履き替えてるけどね。

 あの男に言った通りだ。いい加減、僕にも人間ではない自覚、というものが芽生え始めている。だから、殺人に対する忌避感は、以前よりもずっと薄まっていると思う。

 そう、僕はダンジョンコアだ。


『人間だとでも思ってんのかッ!?』


 うるさい。


「ショーン、大丈夫ですか?」

「うん? ああ、大丈夫。いやぁ、流石は六級だよね。まさか、ボルトを全部弾くとは思わなかった」


 僕はヘラヘラと笑いつつ、隣の部屋に続く扉に手をかけた。

 扉の先にあったのは、落とし穴の上に浮かぶ机や絨毯、そしてまるでドアでも開けるような姿勢で固まっている僕の姿だ。


「これが幻術かぁ。いずれは、僕もこんな幻影を作れるようになるのかな?」


 当然ながら、木材のない僕らのダンジョンで、ご立派な本棚だの机だの、もっといえば剥製だの絵画だのが、あるはずもない。それらは全部、幻だ。

 いま僕がいるのは、幻の本棚の中である。壁際に僅かな足場が残ってはいるものの、外から見ればそこは足場には見えないだろう。

 この一見雑然とした空間は、この壁際の足場に侵入者を近付けさせない為にもある。勿論、第一の目的は矢の射出口をカバーするというものだ。

 絵画も剥製も本棚も幻なので、当然矢は貫通する。それは、僕の虚像もそうだ。

 あのモッフォという六級冒険者も、僕を貫通して飛来した矢に射抜かれて、驚いている間に落とし穴に落ちた。


 そう、この部屋のギミックは、すべては落とし穴から注意を逸らす為のものだ。


 壁に仕込んだ、矢を射出する罠で前後左右を警戒させ、さらには僕という幻影がぺちゃくちゃお喋りをして注目を集める。自然、足元に対する注意は散漫になる。

 一度に大人数を相手にできる、僕らのダンジョンの新たなる罠――【一呑み書斎(ワンイーター)】だ。


「なまじ、【魔術】なんてものがある世界だ。空を飛ぶ術や、落下速度を軽減させるアイテムなんかもあるかも知れない。だからこそ、落とし穴に落とすときは、そんな対処が間に合わないくらい、敵の注意を他所に引きつける」

「たしかに、それは注意しておくべきでしょう。【魔術】の内、属性術や転移術ならば、そのような対処は可能でしょう。ですが、無数の矢が飛来し、混乱の渦中で平然としたショーンが佇み、そして【忿懣ふんまん】の幻術に侵された精神で、不意の自由落下に対処するのは難しいでしょう」


 そう、この部屋には矢と幻影以外にも、もう一つ罠が仕込んである。


「【忿懣】……。それも、幻術の一つなんだよね?」

「はい。【忿懣】は対象をイライラさせるという効果しかありませんが、広範囲多数の相手にも使用可能な、使い勝手のいい術です。幻術は、言ってしまえば対象の認識を錯覚させるだけの術ですが、対象の意識に干渉する術でもあるのです。怒り、悲しみ、喜び、焦燥、恐怖など、強い感情を煽り、それを元に幻術をかけるという、二段階の使い方がスタンダードといえるでしょう」

「うん、ちゃんと覚えてるよ。その分、こういう【一呑み書斎(ワンイーター)】みたいな、誰にでも見えるような幻を作るのは、難易度が高いんだよね?」

「その通りです。良く勉強していますね」


 それはもう。誰かさんのおかげで、みっちりとね。


「グラ、僕は会話に集中してたから数えてなかったんだけど、射った矢の本数はちゃんと数えてくれた?」

「勿論です。今回のデータも含め、いずれは一定数の矢が放たれたら、自動で落とし穴が作動する仕様にしたいですね。できるなら、幻影もショーンの操作が不要になればなおいいです」

「そうだね。ダンジョンを広げていく事を思えば、いつまでも僕らが隣の部屋にいられるわけじゃあないからね」


 ぶっつけ本番ではあったが、【一呑み書斎(ワンイーター)】は問題なく稼働した。これから、この部屋を訪れる侵入者のデータを使って自動化したら、かなり有用な泥棒対策となってくれるだろう。


 もう、いちいちああいう連中の相手とか、したくないしね……。


「さて、期せずして、というわけでもないけど、これで十二人分の生命力が手に入ったわけだ。結構余裕がでてきたね」

「はい。だからこそ、一気にダンジョンを拡張できない現状はもどかしいです」


 淡々とした声音で、しかし心底悔しそうに言うグラに苦笑する。


「焦らない焦らない。探知のマジックアイテムが使われるのは、それなりに先だって話だ。性急に事を進めず、一日一部屋くらいの速度で広げていこう」

「そうですね。それに仮称ダンジョンツールの開発も、いまの内に進められるという利点もあります」

「ああ、それもあったね。その事だけどさ、UIユーザーインターフェースを作るなら、まず必要な事があるよね?」

「必要な事ですか? 私には、術式の開発以外に、特に必要なものは思い付かないのですが?」


 どうやらグラは、術式システムを作る事に専念しすぎるあまり、作ったあとの事をあまり考えていないようだ。


「いやさ、いまのままだと、保有している生命力の残量が曖昧じゃん。いや、体感でそれなりにわかるようにはなってきたよ? でも、半分オートでダンジョンが作れるようになったらさ、このままだと良くないと思うんだよ」

「ふむ。それはたしかに」


 画面をポチッとしたら、思った以上に生命力を消費して、そのままポックリ、なんて事になりかねない。そうでなくても、ダンジョンは日々の維持にも生命力を消費するのだ。

 なんとなくで生命力を運用していたら、絶対どこかで支障をきたす。その危険は、解消しておきたい。

 その為に、ダンジョンツールを開発する前に必要なのが――


「残存生命力の()()()だ!!」


 現有の生命力を、理解しやすい単位で表記する。これで、人間何人分だとか、あと何週間分といった表現から解放される。


「なるほど。それは妙案ですね。基準はどうします?」

「ほら、石に文字を書くのにも、生命力を消費するって言ってたでしょ? その一文字分を、一と定義するのはどうかな?」

「いいかも知れませんが、そうなると表記する数値が膨大になりますよ? 現在の保有生命力を表す場合でも、百万単位になります」

「うわ、それはデカいね……」


 どうしようか。数字に強くない僕は、大きな数字はそれだけでこんがらがりそうなんだよね。しかも、五〇人にも満たない人間から得た生命力を表記するのに、百万を超える数値になるのだ。最終的に、兆の単位すら超えるインフレを起こしそうで、非常に不安である。

 もしそんな数値を管理しなければならないとしたら、ただでさえ少ない頭の容量を、勉強で圧迫している現状では、詰め込みすぎてパンクしてしまう。さて、どうするか……。

 そういえば、似たような話を聞いた覚えがあるな。それに倣おう。


「わかった。そこは一〇〇〇(ポイント)を一KP(キロポイント)、一〇〇〇KPを一MP(メガポイント)、一〇〇〇MPを一GP(ギガポイント)で表記しよう」


 これなら、現代っ子の僕でも数値の把握に支障はない。厳密にデータ容量と同じくするなら、一〇二四ごとに繰り上げるべきなのかも知れないが、そこはわかりやすさ優先って事で。グラの術式が、二進数でできているなら別だけど。

 さらに上のTP(テラポイント)まで使えるくらい、余裕のある生き方をしたいもんだ。問題は、僕が(テラ)の上の単位をど忘れしてしまっている点だ。

 なんだっけー……。ペンギンってキーワードで覚えてたはずなんだけど……。

 一つ上の(エクサ)や、そのさらに上の(ゼタ)は覚えてるってのに!!


「なるほど。いいですね。では、単位はポイントでよろしいですか?」

「どうせなら、そこも前例に倣おうか」

「前例、ですか?」


 そう。こういう物語では定番の、あの数値だ。

 これからは、残存の生命力をdungeon pointと表す事が決まった。略してDP(ディーピー)である。


「それで? 現有DPを数値化すると、どんなもんになるんだい?」

「少々お待ちください。一文字を一DP換算で、残存生命力量を再計算しています。……終了しました。約三・七MDP(メガディーピー)です」

「うん、なるほど?」


 正直に言おう。ピンとこない。三七〇万DPの方が、わかりやすかったかも知れない……。

 いやいや、こんなカツカツな現状ですら、三七〇万もの数値になるのだ。食べたのなんて、二〇人かそこらだというのに。

 結構消費してもいるので、一人当たり約二〇万DPという事ではないだろうし、個人差も大きいらしい。だが、これで百人超えるような人数を捕食したら数千万超えるし、長期運用を考えたら確実に億に届く。

 しばらくは、この方法でやってみよう。なに、ダメならまた改善すればいいだけさ。


「っていうか三七〇万文字の書き取りしたら、僕死ぬの?」

「いえ、連続で文字を書き連ねる場合、それ程多くは消費しませんよ。あくまでも、一文字を書く為の生命力から、この数値は算出されています」

「ああ、なるほど」


 普通の一〇〇〇メートル走と、一〇〇メートルごとにクラウチングスタートし直しながら一〇〇〇メートル走るのと、どちらが疲れるか、みたいな感じかな。

 どうやらダンジョンは、コンピューターのようには動かないらしい。まぁ、当然か。生き物だもんね。


「さて、じゃあ現在の一日の維持DPや、服や靴なんかの日用品を作る際に必要なDP、提灯鮟鱇なんかの装具を作る際のDPも算出しておこう。目安になる」

「それはいいですね。ですが、装具には魔力の理を刻むのですから、消費するのは生命力ではなく魔力になります。表記はどうします?」

「あ、そっか。どうしよう? 差別化した方がいい?」

「そうですね。魔力は生命力から生成され、効率的な運用が可能となるエネルギーです。やはり、別の単位があった方がよいのではないかと」

「そっか。そうだよね……。どうしよう、MPでいいのかな?」

「MDPに似ていますね。混同する程ではありませんが」

「だよねぇ……」


 あーでもないこうでもないと試行錯誤しているうちに、時間は過ぎていく。夜もとっぷりと暮れた頃、新たに黒ずくめの連中が侵入してきて、熱中していた事に気付いた。

 いつの間にか、沈んでいた気分もだいぶ良くなっている事に気付く。やっぱり、ダンジョンツールの開発は楽しい。

 まぁ、これからまた気分の悪くなる作業が待っているのだが……。

 この日は、黒ずくめの他に、数人のチンピラまで侵入してきて、合計二一名の生命力をDPに変換した。


 翌日、冒険者ギルドに五個の魔石を納入して、今週分のノルマをこなしておく。報酬ももらったが、正確な額の報酬なのかどうかはわからない。

 全部銅貨ならまだしも、銀貨に両替もしてくれているのだ。銅貨と銀貨の交換レートが半端すぎるうえ、今日の相場も知らない為、ちょろまかされていたとしても、気付かないだろう。

 まぁ、お金を使う機会もそう多くないだろうから、別にいいけどね。それに、逆に銅貨だけだったとしても、重すぎるので勘弁して欲しい。

 そして、なんか知らんけど、隣のおじさんにすごいビビられた。白昼堂々お化けが歩いてたって、あんなに驚かないだろ。


「ショーンさん、昨日はなにもありませんでしたか?」


 昨日に引き続き、セイブンさんに応対してもらったのだが、報酬のを受け取るとすぐさまそう問いかけられた。意図は言わずもがなだろう。


「いやまぁ、追いかけられましたが、なんとか撒きましたよ」

「そうでしたか。できれば、ショーンさんが狙われない方法も模索できれば良いのですが、ギルドとしてはなかなか……」

「いえいえ、それは自己責任の範疇でしょう。こうして、マジックアイテムを付けている弊害なんですから」


 そう言って、提灯鮟鱇を掲げる。なんだか、この派手さにも慣れてきたな。万一暴漢に掴まれても、右手をちょいと振れば、逃げる時間くらいは稼げるので安心感がある。護身用の装備としては、かなり優秀だ。

 まぁ、それなりに有名になっちゃったので、知っている人間はまず右手を拘束してくるだろうけど。


「今後も、お気を付けください」

「はい、ありがとうございます」


 セイブンさんはどうやら、他の下級冒険者よりも、少しだけ僕に目をかけてくれているらしい。まぁ、チンピラと同列に扱われたら、それはそれでショックだったので、ご厚意はありがたく受けよう。


「それにしても、あの資料にはちょっとガッカリしました。ダンジョンの事がほとんど書かれていないじゃないですか」


 話題を変える為に僕が文句を言うと、セイブンさんは柔らかく微笑む。


「いえ、本当に基本的な事ではありますが、暗い事、広い事、モンスターが出現する事等、必要な事項が記されていたはずです。中級にあがりたての方は、そういう基本的な情報すら調べずに探索する場合も多く、職員は事前にきちんと注意を促すよう、ギルドでは取り決められております。まぁ、たしかにダンジョンの事を調べる役には立ちませんが、これすら知らずして、ダンジョンを調べる事などできるはずもありません」

「まぁ、それはおっしゃられる通りでしょうが……」


 たしかに、基礎の基礎も知らないようなヤツに、重要な資料を閲覧させるわけにはいかないだろう。理屈はわかる。理屈はわかるんだけど、それでもやっぱりガッカリしたんだよ!


「そういえばショーンさん」


 だが、そんな心情を吐露する隙もなく、セイブンさんに話を変えられてしまった。いやまぁ、吐露するつもりはなかったけどね。


「もしかして、先程の魔石は壁外で入手されたものですか?」

「壁外?」


 というのは、字面的には町を囲う隔壁の外という意味だろうか? ここアルタンの町は、高さ三メートルくらいの、石積みっぽい壁に囲まれている。遠目からしか確認していないので、本当に石積みなのかはわからないが。


「違いましたか?」

「それは壁の外という事ですよね?」

「はい」

「その言い方だと、壁の外に出ずとも、魔石を得られる手段があるのですか?」

「ええ、その通りです。そういえば、説明しておりませんでしたね。十級冒険者が主な狩場とするのが、壁外の野原や山林か、町内の下水道となるのです」

「下水道……」


 そんなものがあるのか……。思ったよりも、高度な施設があるのだなと感心したが、浄水施設などはなく、単に汚水を森にある盆地に垂れ流す為のものらしい。

 いやまぁ、汚染しないよう、川から離れた場所に流すのは、まだマシなんだろうが、結果として森に汚水の沼ができてしまっているので、どっちもどっちだろう。


「ギルドでは、初心者の方には、下水道での狩りをお薦めしております」

「それはどうしてです?」

「下水道の排出口には、外部からモンスターが入り込まないよう、柵がされているのです。しかし、幼体の段階では、普通に通り抜けられる程度の隙間があります。成体でも、種類によっては入ってきますね。そういったモンスターは、討伐の際の危険が比較的少ない為、初心者の方にはお薦めしているのです」

「なるほど。その他の大型なモンスターに遭遇しにくい、という事ですか」

「はい。ただ、下水道には粘体系のモンスターも出没するので、遭遇時はできれば逃げてください」


 そういえば、繁殖力の強いモンスターとして説明されていたな。粘体系といわれて、勝手にスライムを想像していたんだが、合っているのだろうか?


「粘体系は、下級冒険者には任せられないのですか?」

「そうですね……、依頼を受けられるのは八級からとなりますが、やはり安全を考慮すれば七級冒険者からになるでしょう。一人でいる際に取り付かれると、対処が非常に厄介なのです」

「ふむ」


 スライムにまとわり付かれて、剥がそうにも手が沈んで剥がせない、みたいな事だろうか。でも、他に人がいると、どうにかなるというのがよくわからない。


「粘体系のモンスターを倒すには、砂や塩等の、細かい粒を被せると効果的なんです。取り付かれた当人だと、場所にもよりますが、上手くかけられなかったりします」

「え?」


 それってナメクジなんじゃ……。粘体って、そっち……?

 うまく砂をかけられないってのは、顔だったり背中だったりに取り付かれた場合、という事なのだろう。しかし、そんな対処法が確立されているなら、すぐに根絶させられるんじゃないか?


「じゃあ、壁外で砂を集めて、下水道の粘体に撒けば、安価で楽に倒せるのでは?」

「一体の粘体に対処するのに、それなりの量の砂が必要なんです。具体的には、大きめの皮袋一つで、ようやく一体に対処できるという程度です。それに砂地となると、遠方にある荒野まで足を運ばねばなりません。あまり安価という程には手に入りません」

「ああ、なるほど」


 壁外の地形を山野と評したのだから、そこには草木が茂っているのだろう。当然、地面は土だ。

 乾かして砕けばいいとも思うが、その為に、地面を掘り、土を雨風のしのげる場所に移し、水分を完全に飛ばすまで乾かしと、手間と保管場所の確保、そこにかかる人件費を思えば、別に安価でもない。

 荒野から砂を運ぶのも同様だ。ただ、こちらは短時間で確保できるメリットもある。


「下水道に粘体が増えた場合は、そうして砂を集めて対処しています。少量であれば、壁外の山野を探せばそれなりに手に入ります。個人で使う程度の砂を確保するのであれば、問題はありません。ただし、街道の表面などを勝手に浚ったりすると、商人に苦情を入れられるので、やめてくださいね」

「はい。当然ですね」


 街道を穴ボコだらけにしたら、町の流通にも悪影響を及ぼしかねない。大顰蹙を買う事になるだろう。

 まぁ、砂の確保くらいなら、どうとでもできる。ダンジョンを掘る際にでてきた土砂から、砂を分けて取り出せばいい話だ。


 どうやら、不良在庫だった土砂にも、使い道が見つかったようだ。なお、土の利用法はいまだ目処が立たない模様。


 冒険者ギルドをあとにした僕らは、一応下水道とやらに向かう事にした。

 今回はなんとかうやむやにできたが、次にセイブンさんに魔石の出所を訊ねられた際にも、誤魔化されてくれるとは限らない。まぁ、最悪買った事にすればいいのだが、ギルド内での評価が下がるので、それは最終手段である。

 きちんと現場まで足を運び、ちゃんと狩りをしていますよとアピールしておこうと思うのだ。謂わばアリバイ工作のようなものだ。

 これからも、週一くらいで顔を出しておこう。まぁ、勉強優先だけど。あ、あと、壁外にも一度行っておこう。まぁ、それは今日でなくてもいいけどね。


「でもその前に、ダンジョンに戻って砂を調達しよう」

「粘体対策ですね?」

「そう。転ばぬ先の杖だね」


 とはいえ、粘体一体に対して大きめの皮袋一つが必要らしいので、そんなに多くは持っていけない。この点も、単独ソロが多い下級よりも、パーティを組んでいる中級の方が、粘体退治に向いているとされる理由だろう。一人で持っていける量には、限界があるだろうし。


「であれば、下水道対策も必要なのではありませんか?」

「下水道対策?」


 対策なんて必要かな? 聞いた話じゃ、下水道は現代地球のものとは違って、一本道で入り組んでいるというわけでもない。中にいるのは、粘体を除けば、それ程危険じゃないモンスターか、そうではない動物や虫ばかりだそうだ。

 もしかして、有毒や可燃性のガスが充満しているとか?


「いえ、普通に臭いので、その対策が必要かと。要りませんか?」

「あ、うん。要る。超要る」


 そうだね。臭い対策は必須だよね。


「あ、だったらさ、DPに余裕ができたいま、作って欲しい装具があるんだけど」

「ほぉ、素直に欲しいものをねだるというのは、ショーンにしては珍しいですね。どのようなものです?」

「その前に、ダンジョンの外からモンスターや生き物をダンジョンに入れて、それから〆てもDPにはなるんだよね?」

「当然です」

「うんうん。じゃあさ――……」


 そうして一回帰って、やってきました下水道! 臭い!! まだ中に入っていないというのに、本当に臭い!!

 場所は職人なんかが住む工房街と呼ばれる一角とスラムの中間地点のような場所だ。町中から集まった汚水が、一つの水路に流れ込み、そこから壁の外に向かって地下を流れていく。

 そんな下水道の周りには、結構人が多かった。見るからに下級の冒険者は勿論、中級っぽい格好の冒険者や、逆に浮浪者紛いの格好の者までいる。

 どうやらこの下水道では、冒険者だけでなくスラムの住民も獲物を狩るらしい。魔石は、冒険者でなくても、冒険者ギルドで換金してくれるしね。

 だったら冒険者になればいいとも思うが、そうもいかないのだろう。登録料は借金もできるらしいけど、怪我でもして一週間動けなくなったりしたら、ノルマが果たせず資格が取り上げられてしまう。

 コンスタントに狩れないようなら、スラムの住民にとっては、冒険者という身分の他に得られるもののない登録は、重荷でしかないのかも知れない。


 つらつらとそんな事を考えながら、僕は階段を降りていく。

 既に、グラに作ってもらった装具、【魔術】の一種、結界術の【害気障壁】が付与された赤銅色の指輪を左手の小指に嵌めているので、臭気対策は万全である。

 装具――マジックアイテムは、長時間接触状態にあると、動作不良を起こす。だから、指輪の装具を作るなら、小指、中指、親指のサイズで作るのが、装備数を考えれば最適だ。ただ、そこまで多くなると、今度は手を使った作業に支障をきたす可能性もある。最悪、指輪のせいで剣を取り落としたりして危険だ。それでは、身を守る為に装具を作ったというのに、本末転倒だろう。

 なので左手の小指に付けている以外、今回は指輪は作ってもらっていない。では、僕がお願いした装具はなにかといえば、イヤリング、である。

……いや、たしかに二つ欲しいとは言ったし、だったらイヤリングってのもわかるけどさ。男がイヤリングってのは、かなりチャラいよ……。まぁ、そんなの、両手に指輪をしていて、右手のはアーマーリングな時点でいまさらではあるのだが。

 ただ、転生したときに、なぜか髪が伸びていたので、そこまで目立つという事もないだろう。

 そんなわけで、武装というよりおめかしをしたような形で、僕は下水道を歩いていく。


「おっ、でかっ!?」


 当て所なく歩いていたら、早速モンスターにエンカウントした。なんかカピバラみたいな動物が飛び出してきたのだ。

 ネズミを相手にするつもりだったので、このサイズは正直ビビる。


「大ネズミですね。魔法や特殊な行動はしてこないので、普通に戦って大丈夫でしょう」

「ふ、普通って。こっちはこれが初戦闘なんだから、普通なんて言われてもわかんないよ!」


 ダンジョンでは、主にトラップが発動するのを見守っているだけなので、あれを戦闘の経験値とするつもりはない。だからこそ、僕の胸はいま、バクバクうるさく自らが緊張状態にあると、教えてくれているのだから。


「あ、そ、そうだ。まず剣を抜かなきゃ」


 忘れていた剣を抜こうと、カピバラもどきから視線を外した瞬間、キイィィッと甲高い鳴き声がした。慌ててそちらを見れば、カピバラもどきこと大ネズミは一目散にこちらに駆けてきていた。

 あ、もしかしてコレ、ヤバい?


 カピバラもどきの突進。

 間の抜けた顔つきに、精一杯の敵意を浮かべ、齧歯を剥き出しにしてこちらに迫る。


「う、うわぁっ!?」


 思わず僕は、剣の柄から手を離し、両腕をかざして身を守ろうとした。

 直後、軽い衝撃と悲鳴が、薄暗い下水道に響く。悲鳴をあげたのは、僕じゃない。

 見れば、カピバラもどきがのたうっており、なんとその齧歯が折れてしまっている。


「え? これ、どういう状況?」

「ショーン……、忘れているようですが、あなたが内包している生命力、すなわちエネルギーは約五MDPなのですよ?」

「う、うん。別に忘れてないけど?」


 なにせ、ここにくる直前に、装具作りでどれだけのDPを消費するのか、確認してきたのだ。結果、理を刻んだ装具を一つ作るのに、だいたい五〇KDPくらい必要だった。勿論、作るものによって消費量は変動するので、あまりアテになる数字ではない。

 だがまぁ、目安にはなる。装具に必要なDPの量は、少なくもなく、多すぎるという事もない。


「ではショーン。約五MDPの生命力を内包しているあなたと、そこの精々四、五〇〇DP程度しかない下等モンスター、まともに相対できるとでも?」

「あー……、なるほど?」


 つまり、文字通り桁違いの力量差があるわけだ。この場合の力量差は、戦闘技能の差ではなく単純なパワーの差、という事になる。

 どれだけ頑張ろうと、ネズミがゾウとタイマン張って、勝てるわけがないのと同じだ。ゾウをゾウと知らず、本気で体当たりを敢行したネズミがどうなるのか、僕はいま目の当たりにしているわけか。なにせ、一万倍だからなぁ……。

 このカピバラもどきの不幸は、僕というゾウが、まるでそうは見えない容姿をしていたという点だろう。人間の子供を狩るつもりで、ご自慢の齧歯を突き立てたら、超硬度のダンジョンコアだったのだから哀れな話だ。


「せめて苦しまぬよう、トドメを刺してしんぜよう」

「偉そうにしていますが、あなたさっき、その程度のモンスターに臆していましたよね?」

「う……」


 しょ、しょうがないじゃないか! このサイズの動物に、真正面から突進されたんだぞ? 大型犬くらいあるんだぞ?

 いやまぁ……。かなり情けない姿だった自覚はある。次からは、狼狽えるにしたって、もうちょっとマシに狼狽したい。

 僕は腰から小剣を抜き放ち、いまだのたうっていたカピバラもどきの喉を切り裂く。ドバドバと赤い血が流れ、やがてその動きが止まる。


「この小剣、大王烏賊ダイオウイカの初お披露目にしては、地味な活躍になっちゃったね」


 初めての戦闘で、トドメを刺す事しかできなかった大王烏賊が、不満そうに僕を見返している気がした。


「ショーンの戦闘能力を、向上させる必要性が生じました。いまのままでは、人間を相手にした際に、遅れをとる可能性が高くなるでしょう」

「ははは……。わ、わーい、またカリキュラムが増えちゃったぞ……。一日が二八時間に増えたわけでもないってのに……」


 スパルタにも程や限度というものはあるだろうに。

 とはいえ、自分でも初戦闘が実に無様な有り様であったのは自覚している。こんなザマで、冒険者を相手にできるだなんて、豪語できる程僕の面の皮は厚くない。

 僕の置かれた状況で死なない為には、戦う力は必須だろう。


「とはいえ、今日のところは実践経験よりも、実験を優先しよう。誘え」


 そう言って僕は、右のイヤリングを稼働させる。そこに刻まれた魔力の理は、【魔術】のうちの一つ、幻術の【誘引】だ。

 簡単に言ってしまえば、その効果は周囲にいるものの興味を惹き、こちらに誘き寄せるというものだ。ゲームなら、タンク役の必須技能【挑発】みたいなものだ。

 本来なら、大型のモンスターや人間にも、それなりに有用な術なのだが、装具に理を刻み込む過程で、それ程高い効果は見込めなくなっているらしい。精々、小型のモンスターを不特定多数惹き寄せる程度の効果になっている。

 だが、僕的にはそれでいい。

 ざざ、ざざざと、数多く、しかしながら小さな足音が聞こえてくる。見れば、真っ黒な雲霞のごとく、どこにいたのかと問いたくなるレベルで、ネズミにしては巨大な影の群れがこちらにやってきていた。


「……夢に見そう……」


 勿論、悪夢として。下水道の隣にある狭い足場いっぱいに、ネコ程もあるようなネズミが所狭しとこちらに駆けてくる様は、もはや恐怖でしかない。

 そんな恐怖を押し殺しつつ、僕はその群れに対して、もう一つのイヤリングに刻まれた幻術、【睡魔】を発動する。


「眠れ。一気に削れたな」


 バタバタとネズミたちが倒れていく。だが、まだ半分以上はこちらに向かって進んできている。弱いモンスターだから半分も眠ったが、この【睡魔】はそこまで強力な幻術ではない。


「四割くらいのモンスターが、眠りについたようですね。ですが、残りの六割をショーンが単独で相手にするのは無理ですよ。さっさと対処してください」

「はいはい。じゃあもう一回、眠れ」


 さらに半数近くが足を止めて蹲った。それでもまだ、ネズミたちは残っている。仕方がないのでもう一度。

 これが、僕がグラにお願いした、二つの装具の使い道だ。幻術の【誘引】と【睡魔】の合わせ技だ。

 強いモンスターには、【誘引】はともかく【睡魔】は効果が薄いらしい。だが、装具に理を刻んだせいで【誘引】の効果が落ちている。なので、ある程度強いモンスターはこのコンボにかからない。引っかかるのは、【睡魔】の効果が高い、弱いモンスターだけだ。

 しかも、装具にしたおかげで【睡魔】が連続で使用できる。もし僕が幻術師になっても、これだけ連続で術式を発動させる事はできないらしい。


 これで、残るネズミは二体。なぜかこんな下水道で、赤い体毛を生やしている一体と、後ろ脚が発達して、ぴょんぴょん飛び跳ねている一体。体毛が赤い以外は普通のネズミのようなのが赤ネズミで、トビネズミのような外見のものが脚長ネズミだろう。大きさは、どちらもネコくらいはある。


 僕は抜いたままだった大王烏賊を振るい、赤ネズミの方を両断する。残るトビネズミもどきは、素早く動いて剣をかわす。が、それだけだ。

 逃げに徹されると、狩るのが非常に難しそうではあるが【誘引】に惑わされている以上、この脚長ネズミは逃げはしない。なんとか僕の隙を窺って、攻撃を仕掛けてくる。

 が、カピバラもどきが無理だった事が、この脚長ネズミに可能なわけもない。足に齧り付こうとしたねずみを、そのまま蹴り飛ばし、地面に転がったところを剣で刺した。

 うん。今度はちゃんと、戦闘らしい戦闘ができたと思う。まぁ、圧倒的優位に立っていると自覚したからこそ、落ち着いて動けたというのもあるが。


「さて、じゃあさっさと拾って、僕らのダンジョンに持ち帰ろう」

「そうですね。向こうで倒せば、多少なりともDPになります」


 ポイポイと、持ってきた皮袋の中に、ネコ大のネズミたちを放り込んでいく。なかにはあのカピバラもどきもいたが、これを持って帰るのは骨だ。なので、サックリと喉を裂いておいた。

 これが、装具を二つも作ってもらった理由だ。わざわざ下水道まで赴いたのだから、得られるものは最大限得たいのだ。

 下水道のネズミを誘き寄せ、眠らせ、僕らのダンジョンまで連れ帰り、〆る。冒険者としての実績稼ぎ、戦闘訓練、装具の稼働試験と幻術二つを合わせて使う実験、そして栄養補給と、今回の下水道探索で得られたものは多い。


「それじゃ、帰ろうか」

「はい。これ以上、ここにとどまる意味はありません。【睡魔】の効果とて、いつまでも続くわけではありませんしね」

「うん」


 僕は頷き、元きた道を戻る。二匹のカピバラもどきと、赤ネズミ脚長ネズミの魔石は回収済みだ。

 生き物が入った皮袋は重かったが、良心の呵責に苛まれる事なく摂取できる栄養源は貴重である。

 僕は文句も言わずに歩き続けた。


 ●○●


 まったく、ひどい一日だった。

 朝は朝で、件のガキに遭遇するし、壁外ではよりにもよって牙ウサギがでた。

 別に牙ウサギが強いってわけでもないが、牙や角のあるウサギは攻撃的で、怪我を負う可能性があるのだ。

 汚ねえ路地裏生活では、小さな怪我でも命取りになりかねねえ。怪我なんざ、しないに越した事ぁねえ。


 そんな、散々な一日を終え、俺はキュプタス爺のねぐらまでやってきた。

 ここを訪れた理由は、狩ってきた牙ウサギの肉を調理する為だ。キュプタス爺は、獲物を半分も渡せば、属性術で火種を作り、ねぐらの調理器具も自由に使わせてくれる。

 このスラムでは、それなりに重宝する爺だ。獲物を半分も持っていかれるのはムカつくが、それもウサギの肉だからな。仕方がない。

 嘘か誠かこの爺、昔は王国の魔術部隊に所属していて、戦いの最中に両足を膝下から失ってしまったそうだ。以来、こうしてスラムで火種と調理できる場所と器具を貸し出す事で、糊口をしのいでいるらしい。まぁ、両足を失っている以上、他に稼ぐ手段もねえのだろう。


 適当に肉とクズ野菜を混ぜ、塩を振ってできた、料理と強弁すればそう呼べる代物。これで、今日あった事なんぞ忘れてしまえとばかりに、俺はそいつを掻き込んだ。

 うん、久々の肉は美味え。


「ひょひょひょ、落ち着いて食えばよかろうに」


 少し詰め込みすぎてむせた俺を、キュプタスは抜けた歯の間から息を漏らすようにして笑う。


「ところでジーガよ、なんでも最近、おかしな子供が出没するらしいの。お主、知っておるかえ?」

「…………」


 なんだって、こっちが忘れようとしているときに、そのガキを話題にしやがんだこのクソ爺。


「ふむぅ。どうやら知っとるみたいじゃの」

「ああ。だからなんだってんだ?」


 ぶっきらぼうにそう返し、今度はゆっくり料理を口に入れる。ちょっと塩をケチりすぎたかも知れない。腰に下げている皮袋から、一摘み塩を加える。よし、味が良くなった。


「どうもその子供、ウル・ロッドの下っ端にまで手を出したみたいじゃぞ?」

「はぁ!? マジかよ!?」


 俺は驚愕し、キュプタスに問い返した。そんな俺の驚きを目にして、爺はひょひょひょと気持ち悪く笑う。


「どうやらそのようじゃ。なんでも、幾人かが子供のねぐらに入ったきり、出てこんかったらしい。まず、生きてはおるまいの」

「本気でバケモンなんじゃねえのか、あのガキ……」


 俺は今朝見たガキの顔を思い出し、ぶるりと背筋を震わせる。

 どうやらあのガキは、昨夜は冒険者だけでなく、ウル・ロッドのところのチンピラまでもを始末していたようだ。だというのに、今朝は何事もなかったような顔で冒険者ギルドに行っている。つまり、気楽に外を出歩いているのだ。

 信じらんねえ。命がいらねえのかと問いたくなる行為だが、そんなものは最初からだといわれればその通りだ。やっぱりあのガキはバケモノの類なんじゃねえかという疑惑が深くなった。


「話が厄介になるのはここからじゃ」

「あん? まだ続きがあんのかよ?」


 俺が問い返した言葉に、キュプタスは重苦しく「うむ」と答えてから続けた。


「どうもその子供、アーベンの人攫い連中も消してしまっておるようなのじゃ。そこで、アーベンがウル・ロッドの上の方に、共闘できないかと打診をしておるらしい」

「マ、マジかよ……」


 アーベンは奴隷商だ。しかも、人攫いと繋がりを持つ人買いだ。それゆえに、このスラムではウル・ロッドと同列に忌避され畏怖されている。

 見目の整ったガキや女がスラムに落ちれば、その日のうちにアーベン子飼いの人攫いが寝床に忍び込むとまで言われている程だ。そうでなくても、隙を見せたら小遣い稼ぎに攫われて、鉱山奴隷の足しにされかねねえ野郎なのだ。


「ウル・ロッドはともかく、アーベンはそれなりに必死じゃの。まぁ、下っ端のチンピラを失った程度のウル・ロッドに比べれば、手塩にかけた人攫いを消されておるのじゃ。このまま報復もせんでは、スラムでは顔が立たぬからのぅ……」

「それはウル・ロッドだって変わらねえだろ。下っ端とはいえ、ファミリーの構成員を殺されて泣き寝入りなんざしてたら、敵だけじゃなく味方にも舐められる」

「まぁ、そうじゃのう。下っ端数人が消えた程度の話は、一日二日でウル・ロッドの上層部までは届いておらなんだろうが、アーベンが共闘話を持ちかけた事で確実に伝わったはずじゃ。そうなれば、件の子供をただ見逃しておくとも思えぬ」


 ウル・ロッドとアーベン。この二つは、スラムでは絶対に敵に回しちゃならない相手だと、誰もが知っている。ウル・ロッドに関しちゃ、表の連中だって耳にした事は一度や二度じゃないだろう。

 そんなヤツらの面に、あのガキは泥を塗りたくっているのだ。

 なんにしても、大火の予感がするな。できれば、火の粉の飛んでこない場所まで避難しておきたいもんだ。しばらくは、あまり出歩かないようにしておくか。

 まぁ今度こそ、あのガキも終わりだろう。


 俺は、俺とは関係のない場所で繰り広げられるであろう、この町の裏の実力者二人と、得体の知れないガキの攻防を思って冷えたハラを温めるように、もう一度飯を掻き込んだ。


 また塩が足りなくなって、もう一摘み加えた。




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