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二章 〈13〉〈14〉〈15〉

 〈13〉


 ショーンさんの屋敷をでてしばらく、俺っちと師匠は帰路についていた。ショーンさんの生存を知った事で、俺っちの足取りはかなり軽いものになっている。

 だが、どうにも師匠の様子がおかしい。いや、それは屋敷をでる前からそうだった。やけに口数が少なく、ショーンさんとのやり取りは基本俺っちに投げていた。そして時折、悔しそうなんだか悲しそうなんだかよくわからない顔をする。


「それにしても、依代とは恐れ入ったっすね。前提条件が難しすぎて汎用性は低いっすけど、あれがあればショーンさん、ある意味不死身じゃないっすか」


 このまま黙々と歩き続けるのも気疲れするので、俺っちはそう切り出した。

 言っている事も本心である。乗り移って操作でき、あまつさえ魔力の理まで刻めるともなれば、運用の幅はかなり広い。ダンジョン探索にしても、ほとんど危険がなくなるのだ。学のない俺っちにも、ショーンさんの功績がどれだけ大きいのかは理解できる。


「……ショーン君以外には使えないって言ってたろ。それに、その依代を用意する為の材料だってきっとタダじゃない。そうそう量産はできないさ……」


 空を見上げながら、ボソボソと呟くようにそう言った師匠。らしくない。


「どうしたんすか、師匠? もしかして、ショーンさんが生きてた事で、慌ててギルドの幹部まで呼び付けたのを恥じてんすか? ショーンさんだって、悪気があったわけじゃないんすから。まぁ、ちょっとバツは悪いっすけどね」

「ったく、バカ弟子が……」


 心底呆れたとでも言わんばかりの表情で見上げられ、俺っちの背筋が伸びる。こういうときの説教は、やべえくらい長くなると、経験で知っている。


「ギルドの幹部連を呼び出したのも、【雷神の力帯(メギンギョルド)】のメンバーを招集したのも、間違いだとは思っちゃいないよ。あのダンジョンは、絶対に中規模ダンジョンだ。たぶん、バスガルって見立ても合ってる。小規模ダンジョンだと思って対処してたら、間違いなく大惨事になっていたはずさ」

「そうっすね」


 ギルドに対して行った報告に、私情など混じってはいない。だからショーンさんが生存していたところで、訂正する必要もない。ただまぁ、ショーンさんの屋敷を訪ねるまでにあった、なにがなんでもダンジョンの主を討伐してやろうといった意気込みが、完全に抜けてしまったのも事実だ。

 まぁ、喜ばしい事ではあるので、俺っちたちがちょっと気まずい思いをする程度ですむなら、それでいいだろう。なにより、今回の探索で得られた情報は、のちのちの危機を未然に防いだという意味では、大金星といえる。


「じゃあ、なんだってそんな不機嫌そうなんすか? ショーンさんが生きていた以上、もうこっちにとっちゃ、益しかなかったっしょ?」

「はぁ……。羨ましいよ……」


 そう言って師匠は、星が瞬き始めた夜空を仰ぐ。どういう意味だ?


「……フェイヴ、約束しな」

「うっす」


 天を仰いだままの師匠が、真剣な声音でそう言ってきた。こういうとき、弟子に拒否権などない。俺っちも神妙な面持ちで頷いた。


「今後、ショーン君と顔を合わせても、絶対にこれまで通りに接しろ。細心の注意を払って、態度を変えるな。いいかい、これは師匠命令だよ?」

「は、はぁ……。わかったっす……」


 要領を得ない師匠の命令を、首を傾げつつも俺っちは了承した。相変わらず、師匠は夜空を見上げたままだ。


「あちしはもう、あの屋敷には行かないからね……」

「なんでっすか?」

「痛々しくて、見てらんないんだよ……」


 さっきから、師匠がなにを言ってんのか、本気でわからない。なにより、【鉄幻爪】シリーズの大ファンたる師匠が、ショーンさんたちと距離をおく理由に、まったく見当が付かない。


「痛々しい?」

「…………」


 師匠はようやくその顔を空から戻し、地面を見つめてから、俺っちの顔を見て、もう一度空を見る。なにかを伝える事を、躊躇している?


「顔がね……、違うんだよ……」

「顔?」


 やがてポツリとこぼした声を拾った俺っちが聞き返すも、師匠はなおも言い淀む。その代わり、正面から俺っちを見つめ、なにかを考えているようだ。ややあって、決心したように師匠は口を開いた。



「さっき、あちしらの前にいたのは、ショーン君じゃない。グラちゃんだよ」



 始め、師匠がなにを言ったのか、わからなかった。それはそうだろう。俺っちたちの前にいたのは、気さくだが、その内奥を読ませない、ショーンさんらしいショーンさんだった。

 対して、グラさんといえば、何人をも寄せ付けないような刺々しさと、冷え冷えとした眼差しが強く印象に残っている。

 たしかに、外見は俺っちには見分けが付かない程そっくりではあったが、男女の性差は勿論、その性格や態度、声音だって違った。見間違えようはずがない。


 だが、そういえばと思い出す。


 初対面のとき、師匠はショーンさんとグラさんの外見に、微妙な違いがあると言っていた。だとすると、本当に……?


「な、なんで、そんな嘘を……?」

「さあね……。もしかしたら、依代なんてものがすべて嘘って事もあるし、あったとしてもノーリスクじゃないって可能性もある。そうなると……」


 ショーンさんは、無事ではない……?


「なんでそれをあの場で言わなかったんすか?」

「嘘を暴いてなんになるってんだい? それでもし、ショーン君が本当は死んでいて、グラちゃんが現実逃避として弟を演じていたんだとしたら、彼女をいま以上に追い詰めるだけさ……」

「あ……」


 そう言われて、ズンと胸に重いものがのしかかった。もしかしたら、ショーンさんはやっぱり死んでいるのかも知れない。そう思うと、軽くなっていた足取りまでも重くなる。

 この気持ちを、何倍にも濃くした絶望が、グラさんの心にのしかかったのだとしたら、たしかにそのような行動にでてもおかしくはない。さっきまでの俺っちの気持ちが、多少軽くなっていたのと同じように、弟の生存を心から信じる事で、つまりは現実逃避をする事で、心を守ろうとしたのだ。

 師匠が口を噤んだのも、当然の振る舞いだろう。それはもう、彼女の精神が崖っぷちを一歩飛び越えている証なのだ。それでもなお、なんとか奈落へ落ちない為に羽ばたく為の翼が、ショーンさんは生きているという演技。それが仮初めの翼であろうと、もはや彼女には羽ばたく以外の選択肢はない。

 その翼が幻影だと告げる真似は、死ねと直接言うに等しい無慈悲な行いとなる。言えるわけがない。


「まぁ、あちしも驚いたし、もしかしたら本当に、試作品の依代とやらがあって、ショーン君はいまも療養中って可能性はあるよ。だったら、そう言えばいいとも思うけど、なにかあちしらに隠しておきたい事情があったのかも知れないしね」

「で、でも、姿はともかく、仕草や話し口は、間違いなくショーンさんだったっすよ? グラさんはもっとこう、人と接し慣れてない感じだったじゃないっすか? そんなの、真似しようとして真似できるもんなんすか?」

「あちしらなんかよりも、ずっと長く、ずっと近くでショーン君を見続けてきたグラちゃんなら、あそこまで完璧な真似ができても、おかしくはないだろうさ。ま、あちしもそっくりすぎて、ちょっと驚いたけど」


 そう言われてしまうと、もう反論が浮かんでこない。師匠だけが見分けられるあの双子の違いを、俺っちは見分けられないのだから。


「約束したね? 次、ショーン君に会っても、絶対に態度を変えんじゃないよ? それがショーン君じゃないとしても、ね」

「ちょ、それはちょっとズルくないっすか!?」


 そんな事を言われて、いままで通りにショーンさんの顔を見られるとは思えない。早々に、あの屋敷に近付かないと宣言した師匠に、俺っちは苦情を述べる。そのやり口は、フェアじゃない。


「うっさい。弟子は事後承諾でも、師匠との約束を破るべからず! 師弟三原則だよ」

「なん原則ある三原則っすか!」


 少しだけ軽くなり、さりとてさっきよりは重く、それでも最初程は重くない足取りで、俺っちたちは夜のアルタンを歩いていく。

 真実は望洋と夜陰に紛れ、その全容を窺い知る事はできない。もしもそれを知ろうと思うなら、自分もその闇に浸らなければならない。

 今日のところは、そこまで深入りする必要はないだろうと、逃げ口上を並べ、師匠と軽口を言い合いながら足を動かす。


 まるで、なにかから逃げ出すように、俺っちたちは帰路につく。


 〈14〉


「さて、あの提案をどう思う?」

「そうですね。私としては、やってもいいかと」


 予想通り、グラは乗り気のようだ。だがやはり、ダンジョンコア本体が他のダンジョンに侵入するのは危険すぎるとも言っていた。


「じゃあ、どうしようか?」

「一応、方法は考えてあります」

「方法って、グラが向こうのダンジョンに乗り込む為の?」

「はい」


 どうやら、僕が寝込んでいる間にいろいろと考えていたらしい。だったら、その案を聞かせてもらおう。


「まず、もう一つ依代を作ります」

「うん? ……まぁ、一回全部聞いてからにしよう」

「ありがとう。そちらにあなたの意識が移ったあと、私の意識も移せないかと考えています」

「え!? そんな事できんの!?」

「一度、ショーンが依代に宿るところを観察しています。あのときは慌ててしまって、詳細まで記憶できていませんでしたが、大まかなやり方くらいなら掴んでおります。もう一度観察できれば、確実でしょう。問題は拒否反応ですが、まず問題ないでしょう」


 てっきり、本体に僕が残って自分が依代に宿るとか、自分の分もさらに依代を作るって話かと思った。

 僕が本体に残るって案では、僕が本体に残る方法がわからないし、もっといえば依代に宿る方法すら見当も付かない現状では、ひょんな事からそちらに憑依してしまいかねない。いろいろと危なすぎる。

 その点、僕も含めて二つの依代を作るという案であれば、不確実性はかなり下がる。ただし、問題がないわけじゃない。それは勿論、コストだ。

 最低でも五MDPもの生命力が必要なのに、それが二つともなればウチのダンジョンのDPは完全に底を突く。ダンジョンを移すためのDPは足りなくなるし、元々いらない計画だったとはいえ、その他の防衛手段を取る事が不可能になる。

 だが、この案であれば、第一案の不確実性を下げつつ、DP消費も最低限に抑える事ができる。

 なるほど、蓋然性の高いプランだ。


「一つの依代に、二人が宿るって事だよね? できるの?」

「依代は、疑似ダンジョンコアとして生み出したのです。現にこうして、ダンジョンコアに二人の意思が宿っているのですから、不可能ではないでしょう」

「まぁ、たしかに……」


 正直、本当にそんな事ができるのかどうか、半信半疑だ。とはいえ、元々依代には幻術を応用したやり方で操る予定だったので、まぁ乗り移る事そのものは不可能じゃないだろう。


「拒否反応っていうのは?」

「疑似ダンジョンコアを作った際に、自然とショーンが依代に移ったのと同じように、ショーンが依代に宿っている状態だと、私の意識が弾かれる可能性があります」


 ああ、なるほど。たしかに、ダンジョンコアの本体から異物として僕が排除されたのと同じく、あとから入ってきたグラが異物として弾かれる可能性はないでもない。ただ、ダンジョンコアでは共生できているのだから、疑似ダンジョンコアでは不可能であるとする理由は特に見付かっていない。しいてあげるなら保有DP量くらいだが、たぶん生まれたばかりのダンジョンコアの保有しているDPは、依代と同じくらいだったんじゃないかと予想している。


「なるほど。とはいえ、やっぱりネックはDPの消費量だよなぁ……」


 いまのウチのダンジョンが保有しているDPは、ここのところの増加分を含めても二〇MDPにちょっと届かないくらいだ。依代は五MDPは最低現必要だし、それだと受肉する際の苦痛が大きすぎるから、せめて七MDPくらいは欲しい。だが、最低四分の一以上を一気に使い切るのもなぁ……。


「今回は、前回の試作品などではなく、きちんと正式に作り込むつもりです。身体能力は勿論、魔力操作の面も考慮して十五MDPくらいは使いたいと思っています」

「おおいッ! それは使いすぎでしょ!?」


 どうやらグラには、DP消費軽減の意識はなかったらしい。十五Mも使うくらいなら、二つ依代を作る方が安上がりだ。

 いや、それだとグラがあの苦痛を味わう事になるか……。一度僕が依代で肉体を作って……、いやそもそも遠隔操作で……。


「下水道と依代からの補給があれば、ダンジョンの現状維持ならば問題はないでしょう。伸び代はなくなりますが、そもそも向こうに対する攻撃手段が乏しい現状では、なにかしらの攻撃手段は必要でした。防御に徹したとしても、ジリ貧になります」

「それはそうだけど、多すぎ! 依代に使えるのは、精々七MDPでしょ!」

「それでは肉体構成時のあなたの負担が大きすぎます」


 グラの真剣な声音に、本心はそこにあるのだろうと察した。まぁ、僕も同じような事を考えていたので、それはいいだろう。

 以前僕が依代に移った際には、体感では八割くらいの生命力を消費した。依代を作る為に消費するのが五MDPである事を思えば、七MDPあっても半分以上は肉体構成時に持っていかれる事になる。人間だったら完全に死んでいるところだ。

 ただ、僕としては死なないんだからそれでいいと思っている。半分あれば、まぁ平気とまでは言わないが、前回のような事にはなるまい。

 それを言ったら、グラはますます十五Mだと言い張った。どうも、僕が最近、己の安全を度外視しているという事に、気付いてしまっているようだ。


「せめて八Mだよ。それなら、肉体を作っても半分残る。生命力を半分使っても大丈夫なのは、グラも確認してるでしょ?」

「ダメです。地上生命であれば、それでも十二分に致死域です。相応の苦痛を味わう事になるでしょう。譲歩できて十四Mですね」

「いやいや、だからそれでも多すぎるんだって。もしも僕らが二人して向こうに乗り込むんだとしたら、こっちのダンジョンが丸裸になるんだよ? 臨機応変に対処する事も不可能になる。下手すれば、やすやすと本体を破壊されかねない。防御を軽視しすぎるのは、流石に悪手だ。九M」

「……最悪のプランとして、一時的に本体であるコアを地上に逃し、依代を身代わりにしてダンジョンを放棄するというプランも存在します。そうなれば、バスガルは我々を倒したと誤認し、再起が図りやすくなります。ですが、その際にあまりにもコアの内包する生命力が少なければ、偽装になりません。十三・五M」

「KDPごとに刻むのはまだ早いでしょ」

「いえ、もはや譲歩の限界点を突破しているのです。当然の事です」

「むぅ……」


 いつの間にか、随分と口が達者になったじゃないか。まったく、誰に影響されたんだか……。きっとフォーンさんだな。


「OK降参だ。僕に、画期的な防衛手段が提示できない以上、不確実なものの為に多量のDPを残しておいて欲しいともいえない。仕方ない十Mで手を打とう」


 それに、なんだかんだ最近、僕の好き勝手にしすぎた自覚はある。グラを守る為の事ではあったが、彼女の意思を蔑ろにするつもりは、僕にはない。あれもダメ、これもダメではグラだって窮屈だろう。

 とはいえ、やっぱり十三・五Mは使いすぎだろう。


「仕方ありませんね……。本当にショーンはワガママなのですから……。十三Mです。これ以上は一切の譲歩は罷りなりません」

「十・一」

「十三!」

「わかった、小幅すぎた。十一!」

「……十……二……てん、……な、いえ八!」

「どんだけ悩むんだよ。十一・五」

「……十二・七です。本当に、これ以上の下はありません。絶対に、これ以上は下がりませんよ?」

「そこをなんとか!」

「十二・六……」

「もう一声!」

「十二・五……」


 まぁ、こんなところか。さらに刻んでもいい気はしたが、あまり細かくしても時間を無為に浪費するだけだ。これでグラが納得するなら、仕方がないだろう。それなりに、防衛用のDPは残せたと思う。


「交渉成立かな?」

「……やむを得ません」


 お互いに不承不承といった調子で、妥協点を策定した。随分と粘り強い交渉術を身に付けたものだ。これなら、人間との交渉を任せる事も不可能じゃないかも知れない。まぁ、嫌がるかも知れないが。

 ホント、誰に似たんだか……。

 そんなわけで、早速もう一個依代を作ろうと言ったら、グラがごねた。


「もう少し、このままで良いのでは?」

「え? でもこのままだと、下水道のモンスターが減っちゃうよ? 特に理由もなく減ったら、不自然じゃない?」

「…………」


 まぁ当然、モンスターくらいはダンジョンコアでも作れる。というか、依代の方がダンジョンの真似をしているのだから当然だ。ただ、そうなるとロスも多いし、魔石分は人間に取られるので、結局はDPの消費が多くなる。

 ダンジョンに、多くの侵入者がいなければ、ジリ貧に追い込まれるのは、それが一番の理由だ。

 ベストを言うなら、モンスターを作る為だけの依代を作って、食料からエネルギーを生成し、そのエネルギーをモンスターに変換するのが、一番効率がいいだろう。グラも、いまは無理だが、いずれはそういったものの研究に着手するといっていた。

 いまは時間の面でもDP的な余裕の面でも、とてもではないがそちらにかまけられるリソースがない。あと、ウチのダンジョンだと、作ったとしても利用価値がないというのも大きい。

 やっぱり、普通にモンスターを使えるダンジョンが欲しいよなぁ……。となると、二日前に考えた子ダンジョン計画をもう少し練って、検討の余地があるような素案を作りたい。

 グラが沈黙している間に、そんな事をつらつらと考えていたのだが、一向に答えが返ってこない。流石に不審に思って訊ねる。


「グラ? どうしたの?」

「……そうですね……。……やはり、早々に依代は必要でしょう……。……人間どもに、我々の存在を感知される危険は、できるだけ低くしておくべきでしょう……」


 なんか、すごく弱々しい声音で、まるで自分に言い聞かせるようにそう言ったグラ。いやまぁ、とはいっても、一日下水道のモンスターが減ったくらいじゃ、そこまでの騒ぎにはならないだろう。


「まぁ、今日くらいはこのままでもいいかな」

「そうですか?」

「僕としても、こっちの方がなんだか安心するしね」

「はい。やはり我々は、二心同体なのです」

「そこはもう、一心同体でいいと思うよ」


 そんなわけで、今日のところは姉を甘やかしつつ休む事にした。

 ダンジョンコア本体に移った事で、急速に回復はしているものの、やはりトカゲどもに食い殺されるという壮絶な経験をしたせいで、精神的な疲労が大きい。

 ダンジョンコアは睡眠を必要とはしないが、食事と同じくできないわけではない。なのでベッドに潜り込んでから、目を瞑る。一応、グラに主導権を渡しておこうか。

 主導権を渡すと、僕は意識の海へと、その身を深く深く沈ませていく。

……どれくらい経っただろうか、体が勝手に動かされる感覚で、意識が浮上する。それでもしばらく微睡のような意識でいたら、グラが呼び出した五号くんの外見で、一気に目が覚めた。


「うわっ!?」

「起こしてしまいましたか」

「グラ、五号くんなんて呼び出して、どうしたの?」

「侵入者です。以前も訪れた、バスガルからの使者ですね」

「ああ、ギギさん。あの人がまた来てるの?」

「はい」


 十中八九、向こうのダンジョンに依代を送り込んだ事に対するリアクションだな。突然、モンスターたちが波状攻撃を仕掛けてきたのも、きっとあの依代がこちらのダンジョン産だとわかったからだろう。

 まぁ、ギギさんが初めて下水道に現れた際にも、グラはそれがダンジョン産のモンスターであるとわかっていたので、察知されてもおかしくはない。その辺りは想定の範囲内なので、問題はない。


「ふぅむ。たしかにちょっと、へんな感じだね」


 意識すると、たしかに体内に侵入されている感覚がある。だが、人間が侵入すると、口の中に髪の毛が入っているような、不快感とも違う異物感なのに対し、いま感じているのは、どこか刺激物ちっくだ。それでいて、どこか馴染みのある感覚は、きっとモンスター故なのだろう。


「じゃあ、交渉の席には変わらず僕が着くよ。グラは、問題があるようならその都度教えて」

「はい。まぁ、通り一遍の回答であれば、私にもできると思いますが」


 自信満々のグラに、僕は苦笑する。


「どうかな。グラの場合、木で鼻を括るような対応になりそうだけど」


 ちょっと心外そうにため息を吐いたグラだったが、僕の言葉を否定はしなかった。自分でも、その可能性はあると考えたのだろう。

 五号くんに僕の姿を真似させ、以前と同じように下水道へと派遣する。今回は、場合によっては使者同士で戦闘になる可能性も考えて、相打ち用の装具も埋め込んでいる。所謂、自爆装置だ。


「さぁて、口八丁でどこまで丸め込めるか。無理だと、十日を待たずして開戦の火蓋が切られるぞ……」

「なぜ、少し楽しそうなのですか?」

「いや、別に楽しくはないよ。これに失敗すると、結構ピンチだからね。緊張すると同時に、気合も入るって感じ」


 そう、楽しくはない。だが、どう表現していいのかわからないが、やらなければならない仕事があるというのは、こう、張り合いがあるのだ。生きている実感が湧くとでも言えばいいのだろうか。

 やはり上手く言語化できず、僕は説明を諦めてから視覚を敵からの使者へと飛ばす。


 そこには、以前見たままの姿の虫リザードマンが仁王立ちしていた。


『やぁ、どうもどうも。お久しぶりですギギさん。本日はどのような御用件で?』


 ようやく使者の元に辿り着いた五号くんを通して、挨拶もそこそこに用向きを訊ねる。

 なお、あれからグラが組み込んだプログラムによって、ザカリー直伝のお辞儀も披露している。……動きを丸々コピーしたのだから、直伝で合ってる。


「ム。用向き、明らか。釈明。ダンジョンコア様から、質問。『開戦前の潜入、いかなる仕儀にて為されるや。弁明を求む』との事。場合によっては、いまから開戦、なる。重々心得られ、よ」


 やはり予想の範囲内だった。なので僕は、想定問答集の一番上から答えを返した。


『それなんだが、こちらとしても予想外の展開だった。お互いに不本意な結果になったしまったわけだが、不可抗力として受け入れてくれないかな?』

「詳しく、話す。よろしい」

『ふむ。まぁ、見てもらえればわかるだろうが、僕の使うモンスターは、人間に擬態できる。その為、少し前からダンジョンの最大の敵である冒険者ギルドに、スパイを放っていたんだ。これに関しては、こちらのダンジョンの運営方針である。お口出しは無用に願いたいんだけどね』

「ムゥ……。なるほど。そこに文句、ない」


 よし。その言質が取れれば、もうこちらのものだ。


『そのスパイが、新たに発見されたそちらのダンジョンの探査の為に、駆り出されてしまった。こちらとしても不本意な結果だが、人間に擬態している以上、ダンジョン同士の協定を盾に拒むわけにもいかない。というよりも、事情を話す事自体が、我々ダンジョンにとって百害あって一利もない』

「同意する」


 ギギさんが、そのカマキリのような三角頭をコクリと頷かせる。なんというか、実にコミカルな仕草だ。というか、この人は以前来た一〇六号さんでいいのだろうか?


『そちらのダンジョンに侵入したスパイの動向について、こちらとしても詳しく知っているわけではない。だが、こちら側が命令したのは、できるだけ自然な形で人間と別れ、そのうえで事情を説明し、穏便に帰還する事だった。人間社会に潜ませた手駒を、それもかなり大量に生命力を注いで作り上げたものを、早々に失うのは惜しかったんだ。まぁ、残念ながら失ってしまったわけだが、流石にこの件でそちらを責めるつもりはない。こちら側に、なにかしらの不手際があったのだろう』

「ム、ムゥ……」


 ギギさんが呻吟しつつ、首を傾げる。あのとき、僕はたしかにフォーンさんたちと別行動を取った。そこで事情を釈明する余地はあったのだと強弁する事で、いまの、一方的に相手方のダンジョンに先兵を送り込んだという状況から、ある程度どっちもどっちだったというところに着地できるはずだ。

 勿論、多少こちらにも非があるという結論にはなるだろうが、それでなにか譲歩を強いられるという事もないだろう。ダンジョンの割譲とか言われたら断固拒否だし、侵略合戦における利点を求められても、それを許容する道義はない。なにせ、一方的な都合で戦をふっかけられているのが現状だ。文句を言えるなら、こちらこそ言いたいし、それでなにか得られるなら、無一文になるまで取り立てているところだ。

 まぁ、律儀に宣戦布告したうえ、開戦までの期間をそれなりに設けるような相手だ。もしも交渉で揉めたところで、そこまでごねるとも思えない。


「そのスパイ、こちらが倒した。地上生命、同行、裏切り行為、思った故。謝る」


 なんだろう、素直すぎて、ちょっとこっちの方が罪悪感を覚えてしまうなぁ。まぁ、だからといって手加減はしないけど。

 侵略戦争をしているのに、必要以上に相手方の事情を斟酌するのは悪手だと思う。あくまでも、自分の都合を優先し、少しでも己の利益を追求する。それこそが、戦争行為に対する真摯な姿勢だと思うよ。たとえその結果が、真摯とは真逆の行動だったとしても。


『いやいや、こちらとしても戦闘行動と誤解されかねない行動をとった点は謝罪しなければならない。人間社会に潜ませた手駒を惜しむあまり、約束を破るような真似をしてしまった事は、実に遺憾だったと思っている』

「今後、同じ状況、使者、立てる」


 使者を発して、事情を説明しろという事だろう。その質問も、想定問答の一つだ。


『こちらとしても、そうしたいのは山々なのだが、使者を任せられるようなモンスターは、ウチのダンジョンでは希少でね。なかなか手が空かない』


 嘘は言っていない。あえて付け加えるなら、そもそもウチのダンジョンでは、モンスターそのものが希少なのだ。


『今回の事も、事情を察知したのはつい一昨日、状況を精査したのも昨日の事だ。慌てて立てられた使者は、そちらに潜入させたスパイだけだったのさ。そちらと違って、こちらは人間たちの言うところの、小規模ダンジョンだからね。中規模ダンジョンであるバスガルさんと戦うともなれば、事前の準備でてんてこ舞いなわけさ』

「そうか。たしかに、格上と戦う、大変。手が回らない、理解した。ダンジョンコア様にはその旨、しかとお伝え、する」

『お願いするよ、ギギ殿。これ以上戦前に問題があると、まともな応戦すらできずに散る事にもなりかねない。それでは、ダンジョンコアの矜持に悖るからね』

「委細承知。必ずや、お伝え、する」


 そう言って、ギギさんはバスガルのダンジョンへと戻っていった。

 ちょっろ。こちらとしては一切譲歩するつもりもなかったが、まさか交渉すらなしとは思わなかった。これでギギさんが、向こうのダンジョンコアに叱られないのか、心配するレベルだ。怒られても、僕を恨まないでね?

 さて、思った以上に向こうのダンジョンが世間知らずだという事が露呈したな。まぁ、ダンジョンって基本、引きこもり体質だ。当然といえば当然だろう。


 この情報が吉とでるか凶とでるかは、まだわからない。だが僕は、利用価値が高そうだと思った。


 思っていた十倍交渉が楽に片付いた為、僕らは再びベッドへ潜り込み、休養をとる。ぶっちゃけ、ある程度精神を休ませたいま、感覚的にはもう万全といえるのだが、この休養はグラを宥めるという意味もあるので続行である。


「……ショーン」

「どうした?」


 ベッドの布団に包まっていると、小さな声でグラが語りかけてきた。


「……もう、危ない真似はやめてください……」


 常の凛としたものではない、弱々しい彼女の声に、僕はなにも言えなかった。


「……本来、ダンジョンコアは孤独なものです。孤独に生まれ、孤独に生き、孤独に死ぬ。徹底的に、一個で完成された存在です。なので、こんな考えに至る私は、ダンジョンコアとしては異質なのでしょう……」


 そう前置きしてから、たっぷり十秒は言い淀んだグラが、その本心を吐露する。


「……それでも私は、あなたを失ったら、生きていけません……。あなたが依代を破壊され、戻ってきたときから、私の心には、安堵とともに拭えぬ恐怖が刻まれています……。あなたを、失うかも知れないという恐怖が……」


 彼女の声はどんどんか細くなっていき、僅かに震えているように思えた。


「安堵も、あなたが戻ってきてくれた事より、あなたを失わなかった事に対するものが大きい……。ですからどうか、もう二度と危ない真似はしないでください。もしも危険を冒す必要があるなら、私もそれを背負います。相手がダンジョンコアであったとしても、……躊躇なく壊します……」


……それは、僕と同じ同族殺しに堕ちるという事だろうか?

 それはダメだ。彼女に、いまの僕のような思いを抱かせてはいけない。罪悪感と自己嫌悪で死にたくなるような、そんな思いをさせてはいけない。それでは、彼女を守った事にはならない。


「グラ、それはダメだ。ダンジョンコアは僕が殺す」


 固い決意を込めてそう言ったのだが、グラからは否定の言葉が返される。


「いいえ。私だけが安穏と守られ、そのせいでショーンが傷付く方が、よっぽど辛い。それならば、敵は私の手で葬ります」

「ダメだ。同族を殺し、同族を食らうなんてのは、外道の振る舞いだ。グラのような高潔な者が手を染めていい行いじゃない」


 グラを、僕のようなクズ野郎と同じステージにあげてはいけない。もはや僕の罪は贖えない程に深いのだ。同じものを、彼女に背負わせるなど酷だ。

 しかし、グラは納得しない。


「私は、その外道をショーンに強いているのです。どうして私だけが、己が手を汚さずにいられましょう?」

「僕は必要に迫られていたから、仕方なくそうした。グラは――」

「――私とて同じ事です。ショーンを失う危険を冒すくらいならば、私は同族を殺し、食らいます。私を守る為に、あなたがそうしたように」


 それは——……ダメだろう。

 どうしたらわかってくれるんだ。こんなに、辛くて、苦しくて、悲しくて、虚しい思いを、彼女にだけはして欲しくないというのに。たまに、己がガラス細工の人形だったら良かったのにと思い、それを思いっ切り床に叩きつけられたらと妄想するような、歪んだ存在になって欲しくないのに。


「ダメだ……。同族を殺し、食らうなんて真似、どちらかがしなければならないなら、僕がやるべきだ。これは、それくらい罪深い行為なんだ……」

「私にとって、人間は他種族です。生まれたその瞬間から、食らう為の食物としてしか見ていませんでした。私にとって、人間を食らうという行いはただの食事であり、当然の行為でした」

「そうだね。人間が牛豚を殺し、食らう事と同じだ」


 だから僕は、彼女が人間を殺し、食らう事を嫌悪しない。


「ですが、こうして同族を倒さねばならない状況に至り、ようやく少しだけあなたの思いが理解できました。これまで、辛い役目を任せ切りにしてしまい、申し訳ありませんでした……」


 心底申し訳なさそうな、グラの声が痛い。胸がジクジクする。


「もっとあなたの身になっていれば、人間を殺して食らうのは、私が担うべき役目でした。ですから今回は、私が覚悟を決めるべきなのです。これまでショーンに押し付けていた責任を、負うべきなのです」


 グラの声に、いつもの凛としたものが戻ってくる。そこに込められた覚悟に、なにも言えなくなってしまった。


「——私は、バスガルのダンジョンコアを破壊し、食らいます」


 決然とした、同族殺しの宣言。あまりにも凛然としたその言葉に、僕は痛々しさすら覚える。

 対バスガルにおいて、僕は彼女がそんな思いをしなくてすむように、いろいろと手を尽くしてきたというのに……。人間を誘導し、討伐を丸投げするのも、依代で向こうに乗り込んだのも、できる限りグラの手を汚させない為だった。

 だというのに……。


「なのでショーン。お願いです」


 彼女は、再び弱々しい声音で僕に言う。


「もう、人間を殺す事を、悩まないでください。人間を食らう事に、躊躇しないでください。人間を、やめてください」


 そのあまりに悲痛な願いは、僕を心配する姉としてのものだ。僕が自分を責め、葛藤し、卑下する事をやめ、己を赦し、共に人外として生きていこうという。

 同族としてではなく、化け物として、牛豚を殺すように、人間を殺し、魚鳥を食うように、人間を食らって欲しいという、化け物からの懇願。


 共に生きて欲しいという、姉からの願い。


 応え、答えてあげたいと思ったのに、やはりその行為は罪深いと思ってしまう自分がいた。即座に応諾できなかったのは、僕の心はまだまだ人間すぎるからだ。


『人間だとでも思ってんのかッ!?』


 いつかの冒険者の言葉が、また聞こえた気がした。たまに思い出しては、自己嫌悪を促す声だ。

 この言葉に葛藤する事自体が、僕自身が自分をまだどこかで人間として捉えている証拠なのだろう。あるいは、人間でありたいという未練かも知れない。

 しかし、いつまでも迷ってなんていられない事もわかっている。いつかは吹っ切らねばと思うのに、いつまで経っても踏ん切りが付かない。

 口籠もる僕に、なおもグラは言葉を続けた。


「私の為に、人を殺してください」


 いつにないグラの言い回し。


「私を助けると思って、人を食らってください」


 さらに紡がれる、らしくない言葉のチョイスに、僕は戸惑う。そして――


「私の為に、私を生かす為に、私を思って、どうか人間をやめてください」


 それはまさに、懇願だった。別の言い方をするなら、命乞いだ。

 己の死を避ける為に、僕に僕の望まぬ選択を強いてくる。そうすれば、僕がその願いを拒めないという事を知っているのだ。

 それはまるで、僕がこれから選択する結果には、僕の責任は皆無であり、僕の意思ではないと強調するかのような行い。自分が強要する事によって、少しでも僕の心を軽くしようとしてくれている。

 なにを――


「私を一人にしないでください。私を死なせないでください。私を助けてください」


 なおも沈黙し続けた僕に焦ったのか、それまで以上にあからさまに言い募るグラ。そこには、それまではかろうじて残っていた彼女らしさなど残っておらず、なりふり構わず懇願するような卑屈さがあった。


「私を――」


 さらに言いかけた言葉に応じず、僕はベッドから立ち上がる。机までは……ちょっと遠いな。仕方がないので、僕はベッドから降りると、すぐ近くの床へと蹲る。


「な、に、を――」


 思いっきり頭を振り上げると、躊躇せず額を床に叩きつけた。以前グラも同じような事を言っていたが、なるほどたしかにそれ程ダメージがない。己に対する罰としては、あまりに温い。


「――言わせてんだ、僕はぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ!!?」


 それでも僕は、ガツンガツンと地面を打つ。床が罅割れるが、構うものか。ダンジョンコアの体が、硬すぎるのが悪い。

 あの誇り高いグラに、命乞い紛いの言動を取らせて、なにが弟だ!? なにが守るだ!? なにが死にたいだッ!?


 甘ったれんな!!


 彼女のアイデンティティを曲げてまで、お前は自分の自己満足に死にたいのか? んなわけがない。彼女を彼女のまま生かしたい。彼女を彼女のままに、ダンジョンコアとして、神に至らせたい。それこそが、僕の望みであったはずだ。

 その過程で死にたいというのは、僕の勝手な都合であり、必ずしも必要ではない要素だ。

 そうしなければ彼女が彼女でいられないというのなら、そんな不要なものはさっさと切り捨てろ。ただの未練、ただの妄執、ただの自己嫌悪、ただの自殺願望、ただの自己満足だ。捨ててしまえ。

 僕がいなければ、グラが生きていけないと言われた時点で、それはもう王手飛車角取りなのだ。王将グラを守りたいなら、飛車《自殺願望》は諦めるしかない。角行《自己嫌悪》すらも、もはや諦めざるを得ないのだと認めろ。本当に大切なものを守りたいなら、それ以外を切り捨てる事は選択肢の一つだ。


 頑丈なはずのダンジョンの床が砕け、地面が露になる。柔らかい地面に頭を打ち付けても、自戒にならない。そうも思ったのだが、どうせならこの行為を少しでも有益にしようと思い、頭で地面を掘る。

 頭の先に生命力のドリルを作るイメージで、地面を掘る。地面を掘る。地面を掘る。生命力はかなり消費するが、これがダンジョンコアの本能なのか、深く深く潜っていくと、どこか安心する自分がいる。


 なるほど、人間をやめろというのは、実に的確な表現だ。

 人間を殺す事に躊躇せず、人間を食らう事に躊躇せず、そこに一切の嫌悪感も罪悪感も抱かないというのは、もはや人間の精神ではないだろう。所謂サイコパスというヤツだが、それもまた人間の肉体と脳を持っているからこそ、そう呼ばれる。

 僕は違う。体は元々ダンジョンコアで、たまに依代に移るような、人間とはあまりにも違う。精神とて、こうしてグラと二心同体状態になると、彼女の心と混じり合うような代物。

 これでは、あまりにも違い過ぎてサイコパスなどとは呼べないだろう。そのまま、化け物と呼ぶべきだ。


――いいだろう。僕は、化け物になる。


 これまでとは明確に違う、人を人とも思わぬ化け物になろう。人を食ったような、人を食らう化け物になろう。人の皮を被った化け物となろう。


「――ショーンッ!?」


 グラの声に、僕は頭を打ち付けるのをやめた。いや、これまでも聞こえてはいたのだ。それでも、自分が許せず、この行為をやめられなかった。覚悟が決まり、ようやくグラの声に応える余裕ができたのだ。


「グラ……――」


 僕の姉の名を呼ぶ。

 地球に残してきた姉ではない。母でも父でももう一人の姉でも両祖父母でもない。そういった、もはや戻れない家族に対する未練を断ち切る事から、まずは始めよう。この世界において、僕の唯一の寄る辺である姉の名を呼ぶ。


「……なんでしょう?」


 恐る恐るという調子で、グラが応じる。僕がこれから話す言葉が、これからの僕らにとって重要なものだとわかっているのだろう。その通りだ。僕はいま、ここで、これまでの僕と、決別する。

 どっちつかずな化け物から、明確に化け物のほうへと歩み寄った化け物へと。


「――僕は、人間をやめる……」


 僕は人を殺す。僕は人を食らう。もはやそれに躊躇しない。後悔もしない。葛藤もしない。……できるだけ。

 そう決意を込めて、僕は言葉を紡いだ。

 いずれは、笑いながら殺せるようにもなるだろう。どころか、殺してもなにも感じないようになるかも知れない。それでいい。そうなろう。

 僕は化け物だ。

 グラと同じ、化け物だ。

 化け物に、なろう。

 狭い竪穴の中で放った言葉は、すぐに湿った地面へと吸い込まれ、なににも響かず消えてしまう。それでも、僕のなかで聞こえた「ありがとう」という言葉は、いつまでも消えず、いつかの冒険者が放った言葉を拭い去っていった。

 きっと、あとしばらくしたら、忘れられるだろう……。


 〈15〉


 ショーンが人間をやめると言ってくれたのは、素直に嬉しい。ただ、あれはない……。あとになって、身悶えしそうな程の羞恥に苛まれた。

 ああ、なんたる不覚ッ!!

 依代が破壊されてから、私の覚悟不足や人間どもの訪問などで、なんとなく吐きだせずモヤモヤしていた感情が、バスガルのダンジョンからの使者という、明確な脅威の出現で決壊してしまったのだろうと自己分析する。

 流石にあんな無様な姿を見せたのは、姉としてどうかと思う。もしもショーン以外の誰かに見られたりしたら、その者を五分刻みにしたうえで灰も残さず蒸発させたうえで、私も自裁したい程の醜態だ。


 ただまぁ、ショーンが相手であれば、私も多少気が緩んでしまうというもの。これが、家族故の気安さというものなのかも知れない。だとすれば、まぁ、ダンジョンの最奥であれば、もう少し肩の力を抜いてもいいのかなとも思う。

 あれから、ショーンは最近進んでいなかった幻術の修練を始めた。今日はもう休んだ方がいいと言ったのだが、依代に移れば否応なく睡眠が必要であり、一日をフルに使えるのはダンジョンコアに宿っている間だけだからと押し切られた。依代に移る前に、せめて至心法(ダンジョンツール)だけでもマスターしたいと言われれば、強く反対はできなかったのだ。

 私が使う感覚を覚えて、もうショーンもかなり自由自在に使えるようになっている。現に、いまは光る半透明の画面を眺めながら、現在のダンジョンの全体図や保有DP量、毎時消費DP量、下水道からの獲得DP量などの確認を行なっている。

 至心法(ダンジョンツール)は開発したての、黎明期の技術である。まだまだ発展途上で、手を加える余地は十二分に存在する。光る画面を開いたショーンは、まずDPの推移を簡便なグラフにするツールを開発した。

 私は最初、数字で理解できるものを図式にする意味があるのかと疑問に思っていたのだが、棒グラフや円グラフ、折れ線グラフというものは、地味だが画期的な情報ツールだ。数字で理解していた情報を、図として理解するのは、また違った感覚なのだと思い知った。

 これを見れば、なるほど下水道という施設をダンジョンに取り込んだ意味や、依代がモンスターを作る有意性というものがハッキリと認識できる。やはり、バスガルの件が片付いたら、モンスター作成専用の依代の開発に取りかかるべきだろう。

 それ以外にも、下水道に侵入者がいる時間帯や、逆に完全に人気がなくなる時間帯もわかりやすい。

 ショーンは他にも、ダンジョンを遠隔操作で広げられるのか、細かい構築が可能なのかも実験し、現在はその為のツールの開発に専念している。このツールが完成すれば、ダンジョンの維持管理だけなら、ほとんどダンジョンコアが手を煩わされなくなるだろう。いずれ、広大なダンジョンを得られたなら、それは計り知れない恩恵をもたらすはずだ。

 ちなみに、モンスターを半自動的に補給するシステムは、ショーンが簡単に作ってしまった。【モンスターキュー】という名称で、一定のエリア内における特定モンスターの動向を監視し、規定数を下回った段階で、新たなモンスターを作りだすという仕組みだ。

 いわれてみれば簡単なシステムではあるのだが、私はいわれるまで思い付かなかった。たいした手間でもないので、足りなくなれば普通に生み出して送りだせばいいと考えていたのだ。

 だがこれも、ダンジョンが大きくなればなる程、有用なツールだろう。いずれ、この至心法ダンジョンツールが基礎知識に記された際には、多くのダンジョンコアがその利便性に歓喜するに違いない。


 たしかに至心法(ダンジョンツール)を開発する際に必要だった、様々な知識はショーンにはまだ足りていない。そういった面で、私の貢献とて認められて然るべきなのだろう。だがしかし、このツールは間違いなくショーンがきっかけとなって作られたものだ。

 ダンジョンの常識に凝り固まった私の頭では、これを十全に有効活用できないのだ。だが、ショーンにはそういう『普通』が欠けている。あるいは、彼の前世の『普通』こそが、我々ダンジョンにとっての『異常』なのだ。

 私は、亜神であり、いずれ神に至らんと欲しているが故に、神というものを信じてはいないが、彼がダンジョンの側へと生まれ落ちた事だけは、なにかそういったおおいなるものに感謝したいと思った。それと同時に、この世界の地上生命には多少の同情を禁じ得ない。

 彼がダンジョンコアとして生まれたという事実は、間違いなく地上生命と地中生命との生存競争において、大きな影響をもたらす。おそらくは、地中生命側に有利な形で。

 あるいは、現状ではやや押され気味であると認めざるを得ないダンジョンの現状を打破し、逆転させる程の影響力を有するのかも知れない。いやいや、いくら頑張り屋で優秀な弟だからといって、それは期待のしすぎというものだろう。

 それに、もう少し私も頑張らねば、姉としての立つ瀬がない。


 対バスガルとの侵略戦争は、これからが本番なのだ。私も依代に移るまでは、時間をフルに使って、できる事をやろう。とりあえずは、ショーンが苦手としている繊維の織り込み方を、至心法(ダンジョンツール)に組み込んでおこう。これで、ショーンだけでも衣服が編みあげられるようになるだろう。

……そういえば、ショーンがおかしな事を言っていたと思い出す。たしか、石や土を加工して、食器を作るという話だった。なぜそのような事をするのかと問うたのだが、まだ素案の段階だから、きちんとまとまってから相談するとの事。

 まぁ、構わない。必要だというのなら、その作り方もツールに組み込んでおこう。

 ショーンがやる事、やりたい事は、私がサポートしてみせる。それが姉として、そして、彼に人間としてのアイデンティティを捨てさせた者の責務だ。


 私もまた、ダンジョンコアの普通から遠ざかりつつある自覚はある。そもそも、もはや孤独に耐えられぬ時点で、ダンジョンコアとしては不良品もいいところだ。

 だが、それでいい。

 私たちは双子のダンジョンコア。いまでは、それが普通であり、それこそが私たちだと胸を張って言える。たとえそれが、私のアイデンティティをも揺るがすのだとしても迷いはない。

 ショーンに人間を捨てさせてて、自分だけダンジョンコアという寄る辺に縋りつくなど愚の骨頂だ。先程の醜態に倍する無様である。


 だからショーン。どうかこれ以上、傷付かないで。

 人間を傷付けずには生きられないダンジョンコアに、人間の心を持ったまま寄り添うのは辛すぎる。それでも私は、あなたと一緒に生きていたい。

 だからどうか、きちんと人間を捨てて、私と一緒に生きていきましょう。二人ならきっと、大丈夫だから。もう二度と、あなたを死なせたりはしないから。私は、強くなるから。


 一緒に、化け物の道を歩みましょう。




――二章 終了――




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