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一章 〈2〉

 〈2〉


 男の死体は、僕が落ち着きを取り戻す前に消えていた。きっと、声の主が食べてしまったのだろう。良かった……。流石にまだ、食人行為を直視できる程の覚悟は、決まっていない。


「ショーン、あなたの覚悟の程は見せていただきました。ダンジョンコアとして、見事な初仕事だったと称賛します」

「ははは……。ありがと……」


 乾いた笑いをこぼしつつ、言葉少なにお礼を述べた。バツが悪い。

 僕はまだ、覚悟なんて決まっていない。自分の危機に際して、緊急回避の手段として、ダンジョンというものを利用したにすぎない。

 いうなら、目の前に迫った殺人鬼に対し、手元にあった銃を撃った程度の事だ。危機が迫らなければ、人殺しの覚悟だって決まらなかっただろうし、一度人を殺したのだからと、次からのハードルが下がるとも思えない。


「ですが、少々意外ではありました。先程の反応から、もう少し躊躇うかと思っていました」

「……まぁ、明確にこっちに敵意をもってたし、ね……」


 自分を害そうとしていたから。そう言い訳をして、僕はあの男を殺した。人間を、殺した。

 そして、あの男と違い、こちらに敵意を持たない無辜の人間まで殺せるような覚悟は、いまだできていない。できる気がしない……。


「それよりもさ、君の名前を決めようか。さっきみたいな緊急時に、なんて呼べばいいか迷うのは、生死を左右する隙になりかねない」


 僕は誤魔化すように、話の矛先を変えた。実際、『声の主』とか『彼女』とか呼ぶのも限界だったし、いい加減決めたかったのも本音だ。


「先程のように、ダンジョンコアでいいのでは?」

「それじゃあ味気なさすぎる。対話相手を、いちいち『ダンジョンコア』なんてもって回った呼び方するのもねえ」

「ふむ……。では、ショーンが決めてください」

「僕が? まぁ、自分で決めろってのも酷な話だけどさ。せめて希望とかない? 名前に込めて欲しい意味とかさ」

「特にありません。呼び名を必要としているのは、私ではなくあなたですので」


 そう言われると、ぐうの音もでない。

 だが、ここで名前を決めようにも、あまりにもとっかかりがない。彼女について、僕が知っている要素は、【ダンジョンコア】【女性】という二点だけだ。ここから名前を決めろというのも、なかなか無理難題だろう。


「コア? いやいや、最終的に惑星のコアを目指しているダンジョンコアにそう名付けるのは、どうなんだ?」

「会話中に、惑星のコアと私の個体名とが混同されてしまう危惧もありますしね」

「そうだね……」


 希望はないけど、文句は普通に言うのね……。

 そうなるといよいよ、なにを元に名前を決める? ダンジョンの別名? ラビリンス? 迷宮? 曲輪くるわ? しっくりこない。

 かといって、漠然と女性に付ける名前で選ぶというのもなぁ……。あ、潔癖な性格から、女騎士っぽい感じで。


「くっころ?」

「…………」

「いや、嘘嘘。僕としても、呼びにくいしね」


 無言の抗議に、僕は速攻で前言を撤回した。いや、本気じゃなかったんだよ? ところで、意味わかっていて抗議してる?

 しかしそうなると、やっぱり僕の知る名前から選ぶしかないか。どこの文化圏から選べばいい? 和名は、きっと彼女に合わないだろう。僕も、紹運じゃなくショーンとか呼ばれているし……。

 ヨーロッパ圏の女性名? ますますなにを選べばいいのかわからん。かといって、中華圏やイスラム圏はもっとわからんし、東南アジアや南米の名前に関しては、もう男女の区別すらつかない。アフリカ圏など、パッとすら名が浮かんでこない。


「ショーン」


 うんうん唸っていたら、この名付けに積極的ではなかった彼女の方から、声をかけてきた。僕は誰に向けるわけでもないのに、顔をあげる。


「どうせなら、あなたにちなんだ名前にすればよろしいのでは? 私とあなたは一心同体――いえ二心同体として生まれ落ちた身なのですから」

「――あ」


 その言葉は、ぽとんと水面に雫が落ちるように、僕の中へと浸透した。そして自然と、その名が口から零れる。


「――グラ……」

「グラ、ですか?」

「う、うん。どうかな?」

「いいのではないでしょうか?」


 ぶっちゃけ、僕にちなんだとか言われた段階では、紹運の名から円環アニュラスなんて洒落た名前も考えたのだが、いまとなってはグラの方がしっくりくる。なんというか、二心同体と言われた瞬間、その名がパッと閃いたのだ。

 理由はわからないが、当人も文句がないようだし、これから彼女の名はグラだ。


「では改めて、僕の名前は針生紹運。これからよろしく、グラ」

「はい。こちらこそ、よろしくお願いします、ショーン」


 グラの声に、姉のような親しみが戻っているのを感じ、僕の頬は綻んでいた。


「さて、一息吐いたところで、と急ぎやるべき事ってある?」

「そうですね。普通であれば、ダンジョンを作るところから始めるのですが、先程の落とし穴を作る際に、かなり生命力を消費しました。あの人間の生命力も吸収したので、すぐに枯渇するという事はありませんが、維持を考えるとここでさらにダンジョンを広げる必要性は薄いかと」

「ふぅん。やっぱり、維持にもエネルギーが必要なんだね」


 そこは、グラのいうところの地上生命と同じだ。特別な活動をせずとも、状態を維持するにも食事が必要になる。やっぱり、生きていく為には、僕は人を食べなければならないらしい。


「はい。そして、いまだ地上生命から隠れなければならない、浅いダンジョンです。町中で、急激な拡張を行うのは、看過できない危険を伴うかと」

「人間を食べる理由は、その生命力ってのを吸収する為?」

「そうです。地上生命はその生命活動において、生命力を生成できます。しかし、ダンジョンにはそれができません。それゆえに、我々は地上生命を捕食せねばならないのです。そうして得た生命力を使って、ダンジョンは地中深くへと伸張し、その威容を維持します。それが枯渇すれば、当然餓死します」


 やっぱり、ダンジョンってのは、僕のイメージするただの迷路なんかじゃなく、生き物なんだな。きちんと生態があるのがその証拠だろう。そんなダンジョンの核が、僕でありグラなのか。

 しかし、流石にいつまでも、二心同体っていうのもなぁ。グラにも、自由になる体があればいいんだけど……。


「ではまず、生命力の使い方から覚えていきましょう!」


 グラの淡々とした声音に、どこか張り切るような意気込みが混じっているように思えた。


「生命力の使い方?」


 言っている事の意味がわからず、僕はグラに問い返した。いや、生命力の使い方って言われてもねえ。


「はい。ダンジョンを拡張するにも、侵入者を撃退する罠を作るにも、免疫としてのモンスターを配置するのにも、そしてあなたの身を守るのにも、生命力を使います。まずは、その使い方に習熟しなければなりません。人間で言えば、立って歩く程度の、ダンジョンコアにとっては当たり前の行為です」

「まだ生後一時間なんだけどなぁ……。草食動物並みの自立の早さだ」

「地上生命の基準など、どうでもいいのです。地中は地中、地上は地上です」

「はいはい」


 おかんルールみたいな事を言い始めたグラに苦笑する。どうでもいいけど、人間だけじゃなく草食動物も嫌いなのか。地上生命を敵視しすぎじゃないかね。


「ではまず、生命力を動かす感覚を掴んでもらいます。少し体を借ります」

「ぅおっ!?」


 グラの宣言に間をおかず、僕の体が勝手に動いた。意図せずしゃがんだかと思えば、さっき男が落ちた穴の淵に手をかける。

 自分の体が自分の意思とは別に動くというのは、かなり違和感を覚える感覚だ。下手をすれば酔ってしまいそうな程である。そんな事を考えていたら、再び体のなかのなにかが蠢くような感覚があり、今度は手から体温が抜けていくような感じがした。

 すると、穴の壁面に僕の手がずぶりと沈み、すぐになにかが取り出される。それは、汚いボロ切れだった。一枚、二枚、三枚。それから、皮の靴というよりは、ただ足を覆っていた皮袋とでもいうべき代物。とても小さな皮袋に、銅貨と思しきコインが三枚。そして、小さなナイフ。

 とても質が悪く、錆だらけで刃も欠けている。これはもう、ナイフというより錆びた鉄片というべき代物だろう。

 まぁ、シャツと思しきボロ切れの、胸と腹の部分に大きな穴が空いており、擦り切れてハーフパンツになったズボンの右太腿にも穴が空いているのを見れば、これの元の持ち主が誰かは想像がついた。


「このナイフで、ショーンを脅そうとしたのでしょうね。笑止な事です。ダンジョンコアが、このような粗末な刃物で傷付けられるはずもないというのに」

「え? 僕ってナイフじゃ傷付かないの?」

「当然でしょう。あなたは人ではなく、あくまでも人型ダンジョンコアなのです。この程度の、武器とも呼べないような代物に傷付けられるような、脆い存在ではありません」


 へぇ……。ナイフじゃ切れないんだ、僕……。

 なんだか、転生してからこっち、自分が人間なのかそうじゃないのかの認識を、反復横跳びしている気分だよ。

 でもまぁ、ダンジョンコアがちょっと落としただけで割れるようなものだと、たしかに拍子抜けだ。勇者の剣ならともかく、錆だらけの鉄片に割られるとか、笑い話にしてもシュールすぎる。

 ショボすぎるダンジョンコアという存在に苦笑していた僕に、Lesson Oneとばかりにグラが声をかける。


「では、あなたの衣服を作りましょう」

「え゛!? これ着るの!?」


 それはちょっと勘弁して欲しい。血糊や穴を無視するにしても、匂いと汚れが話にならないレベルで酷い。

 だが、誇り高いダンジョンコアにして二心同体たるグラが、自分の体でもある僕に、こんなボロ切れを着せるはずもなかった。


「安心してください。作る、と言ったでしょう。ショーンは、私がなにをしているのかを観察し、生命力の存在を感じ取ってください」

「生命力っていうのは、あの体のなかを動く違和感の事かな? 体の外に出すと、まるで体温を失うように錯覚する」

「素晴らしい。もうそこまで感じ取れているのなら、すぐに使えるようになるでしょう。勿論、習熟するにはもっと時間はかかるでしょうが、覚えが早いようでなによりですね」

「そうだね」


 まぁ、グラが僕の体を動かして、生命力ってのも彼女の方で動かしてくれるので、わかりやすいってのが大きいだろう。自分で言うのもなんだが、僕は要領のいい方じゃなかったしね。


「では、まず生命力を服に馴染ませます」


 そう言って、服に手を翳す。するとやはり、あのざわざわとした、なにかが蠢く感覚が全身を襲う。なんというか、体温が僕の体から抜け出し、服に宿っていく感じなのだ。まぁ、実際は体温が動いているわけじゃなく、ただの錯覚なのだろうが。

 これを意識して動かすのが、生命力を操るという事なのだろう。

 それが体から離れ、服に浸透していくと、なんとも言えない喪失感になる。体外に生命力が流出する感覚は、チリチリと危機感を煽られる。まだ余裕はあるけれど、断崖絶壁に向かって、一歩一歩進んでいるような心境だ。


「この程度の布であれば、こんなもので十分です」


 生命力の流れに集中していた僕を、グラのそんな声が呼び戻した。服に馴染ませた生命力は、喪失感の割に、僕の生命力(体温)全体から見れば微々たるものだ。爪の先程と言っていい。

 ただまぁ、爪の先程も死に近付いたのだと思えば、危機感も杞憂でもない。果たして今の僕は、死からどれだけの距離を取れているのだろうか。


「それでは、一度分解します。そこから、ダンジョンコアに相応しい代物に再構築します。この際、生命力に様々なことわりを刻み込む事で、ダンジョンコアの身を守る為の装具に仕立て上げられます」

「おぉうっ!?」


 グラが言葉を紡ぎつつ、生命力の馴染んだ服を光の糸に変えたかと思うと、宙を舞う光の糸が織り込まれる。織り込まれていくと同時に、なにかいまの僕には理解の及ばない意識が、光の糸に刻み込まれていくのがわかった。

 これが理というヤツなのだろう。


「こ、理っていうのは?」


 先程までの、勝手に体が動いたり、体の中身が動いたりする違和感に続いて、自分の知らない知識が自分から流れ出すという違和感に、頭をフラフラとさせながら問う。グラは光の糸を織りつつ、淡々と答えてくれる。


「魔力や生命力を操る理です。正確には、魔力を操る理と生命力を操る理は違うのですが、類似する術理も多い為、今はまだ差別化して覚える必要はありません。不思議な事を起こせる法則、とだけ認識していれば間違いはないかと」

「ああ、なるほど」


 つまり、魔法とか魔術ってヤツだ。遅まきながら、僕は今魔法使いになる為のレクチャーを受けているのだと理解した。モチベーション、ガン上がりである。


「理ってのは、どうすれば学べるんだ?」

「おや? なんだか、これまでとは意気込みが違いますね?」


 嗜められるようにそう言われると、ちょっと恥ずかしい。どうやら、年甲斐もなくはしゃいでしまったらしい。

 それでも、魔法使いになれると聞かされて、はしゃがないようなヤツがいようか。少なくとも、重苦しい二択とか、人身売買の恐怖とかに比べるべくもない、この世界で初めてといっていい心躍る話題だ。


「魔力の理を学ぶ為には、まずは言葉を学び、文字を学び、算学を学び、幾何学を学び、信仰を悟り、境地に至らねばなりません」

「えっと? よくわかんないんだけど、それは一般的にどれくらいの期間がかかるものなんだい?」

「地上生命の基準はわかりませんが、基礎知識を有するダンジョンコアでも、半年は必要になりますね。ショーンの場合、言語の履修から始めねばなりませんので、一年は欲しいところです」

「そ、そう……」


 ムクムクと、風船のように膨らんでいた期待が、シュルシュルと萎んでいく。やっぱり、お勉強は必要らしい。いますぐ魔法使いになれるような、そんな都合のいい話はないようだ。

 イージーに生命力の動かし方を理解できた事で、ちょっと慢心していたらしい。


「ふふふ……」


 あからさまに肩を落とした僕に、軽やかな笑い声が聞こえた。これはもしかして、グラの笑い声?

 これまでは、親しみは覚えてもクールな声音を崩さなかったグラが、鈴を転がすように笑っている。なんだかそれだけで、魔法なんてどうでもいいような気さえしてくるから不思議だ。


「そう落ち込まずとも、いまのは魔力の理を修得する方法についてです。ダンジョンにとっては、むしろ生命力の理の使い方の方が理解しやすいはずです。いずれはどちらもマスターする必要はあるでしょうが、ダンジョンにとって重要なのは生命力の理です。まずは生命力を操る感覚に専念してください」

「おっと、そうだったね」


 このレッスンの目的は、魔力ではなく生命力の使い方に慣れる事。まずはそこから集中して覚えていこう。

 いずれは、魔法使いになれると信じて。


「シャツに関しては、これでいいでしょう。理を刻んだ事で、多少動きやすくなっているはずです」

「着てみていい?」

「どうぞ」


 いそいそとシャツを着てみる。生成色の新品のシャツだ。サイズがそのままだったのでちょっとブカブカだが、おかげで下半身裸でもなんとか格好が付く姿になった。ワンピースっぽいけど。


「言われてみれば動きやすい、かな?」

「それ以上に動きをサポートすると、動作のいちいちにブーストが付くようになります。逆に動きにくくなりますよ」

「なるほど。それはそうだね」


 ペンを持ち上げる動作が、ペンを天高く放り投げる動作になっては、日常生活もままならない。動きやすいとは真逆の仕様になってしまうだろう。


「ではショーン、実践してみてください」

「え、もう?」


 一回見せられただけで、同じようにやってみせろというのは、なかなか厳しい教師である。とはいえ、やれと言われればやらなければなるまい。

 それに、なんとなくではあるが、さっきグラのやった事をトレースするだけなら、それ程難しくないように思えた。


「まずは、生命力を浸透させる、だね?」

「はい、その調子です。集中を切らさず、布に水を染み渡らせるように、生命力を浸透させていくのです」

「はい」


 言われた通りにやれば、言われた通りにできる。なにせ、さっき体がやっていた事を、同じ体を使って真似ればいいのだ。ただ見て真似るより、はるかに簡単だ。


「よろしい。それでは、その布を分解してください。布本来の繊維などを意識する必要はありません。必要なのは、これから作るものをきちんとイメージする事です」


 漠然とした指示に、今度は少々面食らってしまう。生命力の動きに関しては、先程のやり方を真似ればいいので難しくはないのだが、イメージという掴みどころのない指示をされると、正直戸惑う。


「イメージなんかでちゃんと作れるの?」

「本来は、イメージがしっかりしていないと、質の悪い布になります。ですが、いまは布の質に関しては、私がサポートします。手慣れてくれば、どうすれば高品質の布が作れるのか、わかってきます。繊維の織り方を意識するのは、それからでいいでしょう」

「実践主義なんだね……」


 とはいえ、一から機織りをして布作りを学ぶよりは、はるかにイージーモードなのだろう。ここで面倒がるようでは、なにも作れない。努力とは、コツコツと積み重ねなければならないものなのだ。

 人間と、努力のポイントは違うみたいだけどね……。


「よし。じゃあ、サポートよろしく」

「はい。お任せください」


 そう言って、僕とグラは力を合わせてパンツの作成に心血を注いだ。数分後、僕らの初めての共同作業により、トランクスが完成した。

 ただし、ゴムなし……。

 ただの布から、ゴムを作るのは無理だったようだ……。仕方がないので、余ったシャツの裾を紐に変えて、パンツに通した。

 ちなみに、パンツに理を刻んだりはしていない。


「できたっ!」


 あの小汚いボロ切れが、こうして生成色のトランクスになったというのは、そしてそれを一から自分でやったというのは、なんとも言えない達成感だ。ただ、生成色のトランクスというのは、ちょっと違和感があるな。

 トランクスはやっぱり、柄パンと呼ばれるに相応しい模様が欲しい。まぁ、ないないづくしの現状では、高望みか。


「絵柄を入れるくらいなら、難しくありませんよ?」


 染料とか要らないらしい。これで、パン一が一見全裸という事もなくなった。やったね! これにて、僕の全裸生活には終止符が打たれたのだった。


 ●○●


 その後、黒のハーフパンツ、ダークブルーの革ベスト、靴下、革靴を作ったところで、材料がなくなった。ついでに、シャツも生成色から真っ白に染色した。いや、この場合脱色なのか?

 一応、靴とベストには理を刻んで、シャツと同じような、所謂マジックアイテムに仕上げた。勿論、グラが。


「ねえ、皮袋を靴にしたってのはわかるんだけど、このベストの材料って、どこから捻出したの?」


 少なくとも、あの男はベストなんて着ていなかった。辛うじて着ていたボロ切れも、大人の身体を覆うには、面積が足りていなかったくらいだったのだ。


「……。ショーンはあの人間に比べれば小柄ですからね。色々と余っていたのですよ。だからこそ、靴下というものも作れたのです」


 そう言われて、僕は苦笑する。直前の話題など、記憶の片隅に追いやられていた。


「まさか、基礎知識に靴下がないとは思わなかったよね」


 今回の衣服作成で一番手間取ったのが、この靴下の作成だった。僕のイメージとグラのイメージを擦り合わせるのが、結構大変だった。形はすぐ伝わったのだが、織り方や縫製のやり方に四苦八苦した。

 それでも、諦めるわけにはいかなかった。

 現代日本人に、靴下を履かずに靴を履くというのは、慣れない感覚だ。勿論、あえて靴下を履かないという人もいるだろうが、大多数は強く違和感を覚える行為のはずだ。


「私の有する基礎知識は、あくまでもイデアに記録された情報の一部です。この世界のダンジョン全体を通して、通念的な知識を共有しているにすぎません」

「へぇ、基礎知識ってそういうものなんだ。じゃあもしかして、詳しく研究すれば基礎知識が間違っていた、なんて事もあり得るの?」

「まぁ、そうですね……。ない事もない、といったところでしょうか……」


 誇り高い地中生命として、ダンジョンコア全体の共通認識が間違いであるという話には、頷きたくないのだろう。だが、誇り高いからこそ、可能性としてはあり得るという点を認めているようだ。


「さて、それでは生命力を操る感覚は、おおよそわかったかと思います」

「うん。自分でも意外なくらい、すんなり覚えられたよ。グラの指導の賜物だね」

「ダンジョンコアとしては、できて当然の行為です。人間で言えば、歩く程度のものだと言ったでしょう。簡単なのは当然です」


 そうなのか。僕としては、超能力を使ったような、まるで人生最大の偉業を成したかのように感じていたのだが、グラからすれば赤ん坊が立ち上がった程度の認識だったらしい。この喜びを共有できないというのは、ちょっと寂しい。


「では次の段階に進みましょう」

「了解。次はなに?」

「ダンジョンを整えましょう。現状は、そこにある落とし穴が、我々のすべてです。これを起点に、拠点を整えます」

「さっき、ダンジョンの急激な拡張を行うのは危険だって言ってたよね?」

「はい。ここは町中ですので、急激にダンジョンを拡張すると、町を拠点にする人間どもに存在を気取られる可能性があります。まだ浅い我々にとって、地上生命に発見される事はイコールで死につながります。慎重すぎるくらいで、丁度いいでしょう」

「拠点を整えるだけなら、気付かれる事はないの?」

「まず大丈夫でしょう。外部から見れば、単なる地下室の改修工事にしか映りません」


 まぁ、たしかにね。大きな穴といっても、五メートル四方くらいで、深さもそのくらい。大人二人分の身長より、ちょっと低いかなという程度。これをダンジョンだと言われても、当事者である僕らでもなければ信じないだろう。


「よし、じゃあ拠点の改装に移ろうか!」

「とはいえ、やる事は先程の装具作りとそう変わりません。いえ、ダンジョンという己の身体を改装するのは、装具作りよりも簡単でしょう」

「そうなの?」

「はい」


 実際にやってみた。うん、簡単だった。

 なにせ、生命力を浸透させる必要もなく、光の糸に分解してから再構築する必要もない。まさしく己の身体を動かすように、自由自在に動くのだ。

 穴の淵に階段を作ったり、石柱を生やしてから天井を作ったり、その柱の間に壁を作って部屋を作ったり、土ではない石の床を張ったり、やった事を羅列するとかなり大規模な改装――というかほぼ建築だというのに、本当にアッサリと、僕らの住処ができてしまった。グラの言った通り、服を作る方が大変だったくらいだ。

 生命力もほとんど消費しない。その気になれば、日替わりで模様替えができそうなくらいだ。まぁ、やらないだろうけど。


「簡単すぎない?」

「これでも、ダンジョンの規模が大きくなると、随分と手間がかかるようですよ。特に、地中深くに延伸すると、末端である地表付近の改装は面倒だそうです」

「ああ、それはたしかに面倒そうだ」


 いまは地下に狭い部屋が二つあるだけの住処でしかないが、当然大きなダンジョンは、これとは比べ物にもならない程広大なのだろう。細かなギミックの維持管理も考えれば、逆にこれ以上手間暇がかかるようだと、惑星のコアなんて夢のまた夢だろう。


「ですが、地上に繋がっていないと、ダンジョンは、人間でいうところの窒息のような状態に陥ります。最悪、死に至りますので注意してください」

「へぇ、窒息もするんだ」


 そして、完全に地中に引きこもるのはダメ、と。本当に、ダンジョンは生き物なんだなぁ。


「それに、簡単なのはあくまでも、己の体内のみです。生命力を用いて地面を掘るのは、体内を整えるのとは比べ物にもならない程の労力を要します。生命力も多く消費します」

「ああ、たしかに落とし穴に使った生命力は多かったな」


 あのときはそれどころじゃなかったが、それでも大きな喪失感があった。思い返してみれば、たしかに装具作成や改装なんかとは比べ物にならない消費量だったな。


「でもまぁ、これで一応は拠点ができた。ようやく、腰を落ち着けられるかな」

「はい。これ以上は、生命力と資材が必要になります。なんとかして、それを調達する必要があるでしょう」

「うん、そうだね。でもその前に、確認しておくべき事がある」

「確認、ですか?」

「今の残存している生命力で、僕はあとどのくらい生きられる?」


 ●○●


 およそ二週間。それが僕の命の残量らしい。

 その間に、僕は覚悟を決めなければならない。いや、本当は今すぐにでも覚悟を決めて、動き始めなければならないのだろう。

 二週間後に餓死すると言われて、まだ余裕があると考える方がどうかしている。

 しかし、だからといって、自暴自棄になってこの廃屋の外に出て、虐殺を繰り広げればいいのかといえば、そんなわけもない。どうやって命を繋ぐのか、覚悟は決まらずとも、方策は考えておかなければならないだろう。


「それと、口頭ででもいいから、グラの持っている基礎知識とやらも教えて欲しい。できれば、人間の言語や常識を重点的に」

「私としては、ダンジョンに関する情報を優先したいのですが、仕方ありませんね。ですが、人間の常識についてなんてわかりませんよ。私が有しているのは、ダンジョンの常識ですので」

「そっか。まぁ、初めから望み薄だとは思っていたけどね……」


 それでも、まずは人間について知らねばならない。僕らは、四方八方を人間の領域に囲まれている。隠れ果せるには、この世界の人間というものを知らねばならない。

 いざというとき、言葉がわからないのは本当に困る。

 さぁ、タイムリミットもあるんだ。ときは金なり。勉強勉強!




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