二章 〈7〉
〈7〉
使用人たちに家の事を任せ、僕は地獄門を通って地下へと戻る。いや、地獄門に見える、ただの門だけどさ。
「だいたいの雑事はすませてきたよ」
「はい。それでは、対バスガル戦を想定した作戦会議を続けましょう」
「了解」
とはいえ、僕の作戦における重要人物にコンタクトを付けない事にはこれ以上は話を進めようがない。それはあの、頼りなさそうな受付嬢の交渉次第なのだ。
とはいえ、いまのうちにやっておくべき事は山積みだ。まずは、そちらを処理しておこう。
「ひとまず、モンスターを使うのは最終手段だ」
「そうでしたね」
「だから、モンスターの研究をしよう」
「……?」
なにを言っているんだと言わんばかりのグラの顔。うん、本気で頭の具合を心配されると、予想通りの反応であっても傷付くんだね……。
「いや、僕らはあまりにも、モンスターの創造に不慣れだ。普通のダンジョンであれば、それが主力であり、ダンジョンのギミックは補助的な使い方が一般的だ。バスガルもまた、そういったダンジョンらしい」
「その通りです。ショーンもまた、制限環境下でなければ、正攻法が一番だと評価していました」
「うん、その意見はいまも変わらない。だからこそ、敵の主兵装であり、こちらの最終手段たるモンスターを、僕らは知っておかねばならないと思うんだ」
「なるほど、道理です。では、まずどのようなモンスターを?」
「まずは、ネズミ系のモンスターを作る」
ネズミ系のモンスター。それは、僕の浅い戦闘経験でも倒した事のあるモンスターだ。また、ダンジョンのDP吸収に関する実験検証にも、文字通りのモルモットとして役立ってもらった。さらには、これまで我がダンジョンにモンスターはいないといっていたが、実は下水道を取り込んだいま、一応はダンジョン内にネズミ系と粘体系のモンスターが存在している。まぁ、支配下にないので、今回の対バスガル戦の役には立たないだろうが……。
そんな、馴染み深いネズミ系モンスターを、まずは作ってみよう。
「ネズミ系ですか……。コントロール下におけなくなると、途端に面倒になりますよ? 駆除が手間になるそうです」
うわぁ……、いかなダンジョンであろうとも、ネズミ駆除というものは頭を悩ませる問題らしい。たしかに、小さく、素早く、また繁殖力旺盛ともなれば、根絶は面倒だ。下水道だけであれば、冒険者が駆除してくれるのでそうそう増えないが、ダンジョン内に侵入されてしまったら、手に負えない。
……通風孔のネズミ捕り、ちゃんと作動してるよね?
「ただそれでも、最初に作るのはネズミ系だ。粘体系でもいいけど、あまり混乱を大きくしたくない。人間にとっての脅威度が低いモンスターから始めたい」
「混乱? 人間にとっての脅威度、ですか?」
「そうだよ」
普段は怜悧な印象のグラが、キョトンとした顔で小首を傾げる様は、実に愛らしい。とはいえ、勿体ぶるつもりはない。さっさとタネを明かそう。
「現状、冒険者たちは下水道にできた、バスガルのダンジョンに侵入している。そこで何人が死んだかは知らないが、彼らの生命力は当然バスガルのDPになる。それは面白くない」
「ああ、なるほど。下水道に現れるモンスターが増えれば、当然冒険者はそこを重点的に探索するという目論見ですか」
「そう。加えて、下水道までダンジョンが延びた事を知れば、躍起になってそこのリソースを削ろうとするはずだ。彼らがいま最も恐れているのは、ニスティスの再来だからね」
そこがダンジョンであるという事は、すぐに露見する。なにせ、普段であれば肉体も残るネズミ系モンスターが、魔石だけ残して霧消するのだ。それだけで、冒険者たちはそこがダンジョンになったと覚るだろう。
まぁ、もうとっくにダンジョンに取り込んでいたわけだが。
「ダンジョンの成長は、人間にとっての最大の懸念。すなわち、冒険者ギルドや、為政者どもの危機感が喚起されるという事ですか」
そういう事。とはいえ、やり過ぎると僕らの身バレにも繋がりかねないので、匙加減が重要になる。いまはまぁ、ダンジョンがあるという明白な事実がある為、ダンジョンを探知するマジックアイテムを使うような事態にはならないだろうが、状況次第では詳細把握の為にそれが使われかねない。そのときに、町にダンジョンが二つあると察知されてしまうと、モンスターを温存する意味からして失せてしまう。
「理想を言うなら、そのマジックアイテムとやらは、こちらに触手を伸ばしているのがバスガルのダンジョンであると確認させる為に使わせたい」
「なるほど、それはいいですね」
このアルタンとシタタンの間で使わせられれば、探知範囲次第だが確証がもてるだろう。できずとも、無駄撃ちさせられれば、こちらとしては問題ない。
「本当の本当に理想を言うなら、下級冒険者や中級冒険者は、僕らのダンジョンで戦闘してDPを落としてもらって、上級冒険者だけでバスガルを探索してもらいたい」
「それは……、本当にこちらに都合のいいだけの理想論ですね。しかも、それではおそらく、バスガルのダンジョン攻略は失敗しますよ?」
「まぁ、そうだよね……」
あっちのダンジョンのリソースを削ってるつもりが、どれだけやっても無傷など、冒険者にとっては悪夢だろう。こちらとしても、外部から侵入したモンスターを殲滅されると、あとはこっちのリソースを削るばかりなので、美味しくない。時間をおけば増えるだろうが、その時間がないのが問題なのだ。
バスガルとて、これまで幾度かの討伐計画を退けたダンジョンだ。前提条件が整わぬ人間側に、そうそう遅れは取らないだろう。人間側が勝てないと、僕らの勝算も薄くなってしまう。それでは困るのだ。
とはいえ、現状を維持していても、冒険者の命がバスガルのDPになるだけだ。本来バスガルで潰えるはずだったDPの何割かでも、こっちで散らしてくれればそれでいいという見方もある。
「なので、とっととネズミ系のモンスターを作ってみよう! 舌ネズミにしようかな」
「待ってください。まだショーンは、依代でモンスターを作った経験はないはず。ここで危険を冒す必要はないかと」
「え? いや、まぁたしかにそうだけど……」
「モンスターはダンジョンにとって、武器であると同時に敵なのです。平時ならばともかく、いまは有事。下手な事をして、あなたの体になにかがあれば、取り返しがつきません」
「心配性が過ぎない?」
流石にそれは、過保護の部類だろう。これまでは、この依代でダンジョンの権能を行使しても、問題はなかった。たしかにモンスターの創造はやっていなかったし、万が一僕の制御下におけず、襲い掛かられたとしても、相手はネズミなのだ。
十分に注意していれば、ネズミ系モンスター一匹くらいはなんとでもできる。むしろ、倒せばそのDPが……あれ?
「ねぇグラ?」
「なんです? モンスターに関しては、私が担いますよ?」
頑として譲らぬとばかりの声音に頓着せず、僕は素直な疑問を彼女にぶつけた。
「もしも僕のDPで生んだモンスターがダンジョンで倒されたら、それは君のDPになるんだよね?」
「それは……、――ッ!?」
僕の考えを察したグラの顔に、驚愕が宿る。
「僕の生命力は、食べ物から生成できる。つまりこれ、間接的だけど、他所からDP奪わなくても、自給自足出来るんじゃない?」
このとき、きっとグラの耳には、これまでの常識が覆る音が響いていただろう。
「いえ……」
我に返ったグラがまず呟いたのは、そんな小さく虚ろな声だった。
「いえいえ……」
そんなバカなとでも言わんばかりの声音で、虚空を見つめながら弱々しく頭を振るグラ。
「いえいえいえいえ!」
段々と、そのスピードが早くなっていき、その度に「いえ」の数も増えていく。やがて、「イエイイエイ」とヘッドバンギングしているようになったグラが、その動きをピタリと止めると、まるで輪ゴムと割り箸だけで永久機関が作れるという理論に、なぜか一点の瑕疵も見つからなかったかのような、信じられないとでも言わんばかりの顔で、こちらを見つめてきた。
「……できる、のでしょうか……?」
やはり、恐る恐るといった調子で、グラが訊ねてくる。だが、その答えを僕は持ち合わせていない。当然だろう。仮説はあくまでも仮説なのだ。
実証してみなければ、それはどこまでいっても仮説止まりである。
「試してみよう!」
「ダメです! あなたの身の安全が、最優先です!」
だが、やはりその点は譲れないのか、途端に目付きを鋭くしたグラが言い放つ。だが、僕だってグラがヘヴィメタバンドの追っかけみたくなっている間、ただ茫然自失としていたわけじゃない。
その辺の対策も、バッチリ用意してある。
「僕が生んだモンスターが、僕の制御下におけなくても、グラが僕を守ってくれれば問題ないでしょ? むしろ、ダンジョンのDPになるかの検証もできて、一石二鳥だろう」
「し、しかし……」
「いずれは、この依代になにができるのか、検証する必要がある。いつまでも先延ばしにできる問題じゃない。有事だというのなら、むしろ早めに僕の能力把握は終わらせておきたい。違う?」
「むぅ……」
唇を尖らせたグラが、不貞腐れるように背もたれに体を預けて天を仰ぐ。眉根が寄って、クールなイメージが台無しな表情だったが、ここは口を噤もう。そんな顔も可愛いしね。
「……わかりました。その代わり、武装を整えますので、少し待っていてください」
そう言って、ピョンと椅子から降りたグラは、保管庫から鉄のインゴットや誰かが使っていただろう革鎧、布や黒いなにかも取り出す。あれは……、ああ炭か。そういえば、ジーガに頼んで取り寄せていたな。
次にグラは、服を脱ぎ始めた。なにをしているのかと思ったが、たぶん服に刻んだ理と、新しく作るものの理が干渉し合うのを避けたのだろう。理を刻んだ装具同士が、長時間接触状態にあると、干渉して効果が低くなったり、最悪発動しなくなるからな。
依代に移ってから、さっぱり上手くいかなくなった布製品の作成だが、最初の共同作業と同じく、グラに存分にサポートしてもらって作り上げたパンツも、グラはなんの気負いもなく脱いでしまう。生まれたままの姿――いや、グラの体は生まれたとき、僕が宿っていたせいで男体だった――すっぽんぽんになったグラが、さっさと布を光の糸に変えてから、自らの体に巻きつけて服に変える。
あー……、なんかアレだ。ニチアサとかの、少女向けアニメの変身バンクっぽい。小さい頃は、姉に付き合わされて見ていた。僕のヒーロータイムにも付き合わせていたので、お互い様だが。
やがて黒を基調に、所々ワインレッドの差し色が入った、フレアスカートのドレスを編み上げたグラは、すぐさま鉄のインゴットと革鎧も光の糸に変えて自らの体に巻きつける。鎧を作っているのだろう。
今度は理を刻む為、少し違った演出が入るが、それもまた変身バンクちっくだ。
「おおっ!」
光が収まると、そこには姫騎士とでも表すべき姿のグラがいた。動きやすさを重視してか、板金を裏地にした革鎧に、胸甲を取り付けたコートオブプレートを纏い、左手の簡素な腕甲とグローブと対蹠的な、右手には重厚な籠手。両足の装備は、左右対称な脚絆と鉄靴であり、鎧との接触を避けたのか、腿当や膝当はなかった。
グラの凛々しい印象もあって、そこにはヴァルキリーもかくやと言わんばかりの、見事な戦乙女が立っていた。カメラがあったら、是非とも撮影しておきたいワンシーンだった。
「さて、それでは武器ですね。どうしましょうか……。ここはやはり、ショーンとお揃いの剣がいいでしょうか……」
「はい!」
僕は挙手して、グラの独り言に介入する許可を求める。
「ええっと? ……では、ショーン君」
以前の教師と生徒ごっこを思い出したのか、戦乙女姿で戸惑い顔のグラが、首を傾げながら僕を指名する。僕は手を挙げたまま椅子から立ち上がり、意見を奏上する。
「武装は、突撃槍と丸盾がいいいと思います!」
「突撃槍ですか? 丸盾はともかく、大きな槍は邪魔ではありませんか?」
「そんな事はないと思います! その凛々しい騎士姿には、是非とも大きな突撃槍を装備してもらいたいと、愚考するであります!」
いまだ手を下げず、気を付けの姿勢のまま強弁する僕になにを思ったのか、グラはため息を一つ吐くと、渋々といった態で口を開く。
「わかりましたから、その口調はやめてください……。なんだかちょっと、気持ち悪いです……」
姉のような存在に気持ち悪いと言われて、流石にちょっと落ち込みつつ、たしかにさっきまでの自分の言動は気持ち悪かったと反省する。
いやでもね、白銀とワインレッドの革鎧に、黒のフレアスカートが広がる姫騎士姿のグラなんて、ホント、アニメから抜け出したかのような可憐さなんだよ。これに大きな武器を持たせるのなんて、ショートケーキに苺乗せるくらいの王道だと思うんだ。
多少気持ち悪がられたところで、正義は僕にある。なぜなら、絶対そんなグラは綺麗だから! 映えるから!
鉄のインゴットと炭を追加し、ついでに銅、木材、革も加えて、一気に光の糸に変えたグラ。自らの手元に、巨大な光の槍と、丸い盾を形成していく。以前言った通り、左手に槍、右手に盾を作っているようだ。
盾は木材がその原型となり、その表面に鉄を、縁は青銅で補強するタイプのようだ。まぁ、すべて金属の盾とか、重すぎて取り回しに難があるからね。持ち手部分の強度も必要になるし……。
よく考えたら、腕の装備が左右非対称だったのも、多分その為だ。だとすると【鉄幻爪】装備の右手に把持する盾には、理は刻まれないのかも知れない。
突撃槍には炭が添加されて、鋼になっているようだ。こっちにも、結構木材が使われている。総鋼製の突撃槍とか、盾以上に重すぎてどうしようもないもんね。どうやら、傘のようになった内側を、木材で補強して使う武器にするようだ。
やがて、どこに出しても恥ずかしくない、美少女戦士グラがこの世界に誕生した。美少女戦士(笑)にならないのがすごいよね。
さて、それでは本来の目的に戻ろう。
僕がダンジョンの能力を使って、モンスターを生み出せるのか否か。これに成功した場合、下水道以上に効率的かつ確実な、DP確保の手段が手に入る。わざわざ壁外まで、DP確保の手段を探しにいく必要も……いや、やっぱり必要だな。
どう考えたって、僕が一日で賄えるDPには限りがあり、それだけではいずれ足がでるようになるだろう。ダンジョンが大きくなっても、僕が一日で作れるDPは別に増えないのだから。というかたぶん、人間が一日に生成できる生命力には、一日に食べられる食物の量と同じく、限界が存在するはずだ。それは依代も変わらないだろう。
ゲームみたいに、一晩ぐっすり眠っただけで全回復、とはいかないのだ。僕が依代に移ったときも、全回復するのには二日くらいかかったしね。
そんなわけで、たしかにこれが成功すれば画期的な進歩と呼べるが、さりとて劇的な進歩には繋がらないだろうと期待値を下げておく。こうしておけば、もし仮に失敗しても、ダメージは最小限ですむだろう。
いや、それでもやっぱりドキドキするな……。
「さて、じゃあいくよ?」
「はい」
完全武装のグラが、真剣な面持ちで先程作り出した突撃槍、豹紋蛸を構える。いや、せめて名前くらいはオソロにしようという事で、さっき名付けたんだけど……小剣が大王烏賊で、突撃槍が豹紋蛸って、大きさ的に逆じゃね? とも思うのだが、まぁ、グラが気に入っているようなので、良しとしよう。
僕は、ダンジョンを己の霊体として強く意識し、そこに舌ネズミを作る為に、生命力を注ぎ込む。ダンジョンだったときよりも、どこかやりづらさを覚えるのは、グラのサポートがなくなったからか、それとも依代のせいか……。
だがそれでも、感覚的にはダンジョンコアだったときとそう違わぬ感触で、モンスターができあがる。生命力を用いた、擬似的な生命の創造にして、形ある幻の顕現。
しかして、モンスターは僕らの眼前に生誕した。
グラが突撃槍を構え直し、緊張の面持ちで舌ネズミを凝視する。よく考えたら、突撃槍みたいな巨大な武器で、普通のハツカネズミサイズな舌ネズミを相手にするのって、戦いづらいんじゃない?
こんな当たり前の事が、実際に目にするまでわかんないとは、僕って本当に馬鹿だわ……。なにが、華奢で可愛い女の子には、巨大な武器だよ……。いやまぁ、さっきはテンションがどうかしてたんだ……。
誠意を込めて、舌ネズミに謝らせよう。
僕が操るままに、舌ネズミは直立すると、ぺこりと頭を下げた。うん、ちゃんと僕のコントロール下にある。
「どうやら大丈夫なようですね……」
やっと安心してくれたのか、グラが構えを解いて僕の作った舌ネズミをしげしげと見つめる。
「ショーン、この舌ネズミを飼いましょう。あなたが初めて、依代で作ったモンスターですから」
「ダメ。受肉したら、僕がコントロールできなくなる。ネズミが勝手に動き回るようになったら、面倒だって教えてくれたの、グラじゃん」
「むぅ……、しかし、なんというか他の舌ネズミにはない愛嬌というものが……」
ないよ。ごくごく普通の、舌が長いだけのネズミモンスターだよ。そういうのは、黄色い電気ネズミくらい特徴がないとね。
一瞬、作ろうと思えば作れるんじゃ……、とも考えたが、任天堂が異世界に進出した際に訴えられても嫌なので、やめておこう。耳の大きな二足歩行の黒ネズミ? 作るメリットがないのに、デメリットがデカすぎる……。
「さ、じゃあ最後に〆てみて、それがきちんとダンジョンのDPになるのかどうか、検証しよう」
「……こ、殺してしまうのですか?」
当然だよ。なに言ってんの?
「あのねぇグラ……」
「い、いえ、わかってはいるのですよ? モンスターはダンジョンにとって、武器であり、敵。この舌ネズミとて、受肉すれば小なりとはいえ我らの脅威になり得ると。ですが、ショーンのせっかくの初めての作品なのですから、記念に残しておきたいじゃないですか。逃げ出さないようにガラスのケース内などで飼育すれば、受肉してからも問題ないかと……」
これはあれか? 子供の手形とか一歳の誕生日のホームビデオとかを、残しておきたい親の心理みたいなものか? ウチも、姉の手形は残ってたな。二番目の姉の分もあったと思うのに、三番目の僕の手形なんかは、見せられた記憶はない。
まぁ、三人目ともなると、扱いなんてそんなものだ。
「グラ……」
そもそもそれ、別に初めての作品ってわけでもない。忘れているようだが、僕らの初めての作品は、速攻で落とし穴に飛び込まされた、哀れなゴブリン君だ。次は、実験動物として使い潰された、哀れなドッペルゲンガー君だ。
こう考えると僕、モンスターの扱い、酷いな……。
なんとか舌ネズミを保護しようとするグラに根負けして、ガラスのケージから出さないという理由で、飼ってもいいという事にした。いやまぁ、流石に単体で繁殖はしないだろうし、万が一受肉して脱走しても、それ程問題にはならないだろう。
……ならないといいなぁ。
ともあれ、今後ウチのダンジョンで舌ネズミを作るのは厳禁だな。
なお、DPに変換できかの実験は、大ネズミを作ってから、サクッと倒して確認した。魔石も含め、依代が使った生命力から一割減したくらいの値が、きちんとDPになったようだ。
これにて、ダンジョンのネルギー事情はだいぶ改善されたという事だ。振り絞れば、一日で五〇〇KDPくらいは得られるだろうからね。
まぁ、人間にとっては致死量だが、幸か不幸か依代だと死なないので、いけるだろう。
●○●
翌日、またもアルタンの町は大騒ぎだったようだ。なにしろ、町の中にダンジョンができたかと思えば、瞬く間に下水道まで進出してきたのだ。
どうやら町の住人たちは上を下への大騒ぎであり、早くも見切りを付けてこの町を離れようとする者も出てきているんだとか。
ジーガの所属している、カベラ商業ギルドも、幹部連中は軒並み町を出る準備をしているらしい。この町で生まれた者や、他所でやっていける自信のない者などが残されるらしい。そんなので存続できるのか?
そんな事を夕食を食べながら聞きつつ思った。昨夜から生命力を限界近くまで使っているせいか、ご飯が美味しい美味しい。
なお、限界を超えて使うと、頭痛と全身を筋肉痛じみた痛みが襲い、勉強どころじゃなくなるので、それをやるのは寝る前だけだ。
本日の僕は、久しぶりに地下生活を満喫した。ここのところ、毎日のように外に出ていたので、今日はゆっくりと勉強に専念した。
とはいっても、最近は至心法の習得に全力を傾けている為、幻術の勉強はあまり進んでいない。術理そのものは、もうとっくに頭に叩き込んだのだが、理を刻む部分で未熟さが露呈してしまう。
なお、グラの報告によると、僕が昨日から生み出して下水道に送り込んでいるモンスターは、既に三割程度が狩られてしまっているようだ。その分はグラのDPになるのでいいのだが、結構ハイペースで補充が必要になるらしい。
「もしも至心法が習得できたら、モンスター自動補給ツールを作ろう」
例えば、イベントドリブン方式で、モンスターが狩られるたびに、同じモンスターを自動で生み出す仕組みを作れれば、かなり楽になると思う。ぶっちゃけ、至心法というマザーボードがあるなら、そのくらいのプログラムを組み込む事そのものは、いまの僕にも難しくない。
すごいのは、この術式を一から手探りで作り上げた事なのだ。
コロンブスの卵と同じだ。後追いなど、誰にでもできる。最初にやった者がすごいのだ。なお、コロンブスの卵の逸話は、コロンブスが最初にしたものではなく、後追いだったりする。
我が姉ながら、その才能に戦慄するね。いや、何度でも褒め称えたい気分になるよ。ウチのグラ、すごい!
とはいえ、これをグラにやらせるのはどうかと思う。勝手にDPを使うプログラムなんて、危なすぎて使わせられない。いやまぁ、基本的にグラがモンスターを作る必要はないんだけど。
その夜、残りの四割程度まで生命力を消費してモンスターを作り、下水道に送り込む。二割になったときには及ばないものの、やはり辛い。
早々にベッドに入り、寝てしまおう。
翌日の朝。己の腹の虫の音で目を覚ました。見れば、一晩中なにかの研究をしていたらしいグラが、こちらを見てクスリと笑っていた。
ううむ。生命力を使うようになってわかったが、生命力の理を使うと異様にお腹が空く。いまの僕は、一日五食でもお腹が鳴る。
やはり生命力を回復させる為には、よく食べ、よく眠るのがいいらしい。
ただ高カロリーなものを食べればいいというわけではなく、むしろ栄養素的にバランス良く食べた方が、吸収効率がいいというのが昨日からの経験でわかった。キュプタス爺の料理と、ただ焼いて塩振っただけのお肉とでは、生命力の回復度合いが段違いだったのだ。
なお、昨日は一度だけ自分の手で、至心法の発現に成功した。あとは発動に慣れていき、日常的に使えるまでになるだけだ。
ダンジョンツールが使えるようになったおかげで、現在のダンジョンの状態も視覚情報で得られるようになっている。
現在のダンジョンの保有DPは七・七MDP。依代作りにかなりDPを持っていかれてしまったものの、意外と残っているといえる。
下水道から得られるDPは、昨日から増えてはいるものの、それでも数百KDP程度だ。そこからダンジョンの維持DPが引かれる。まぁ、三階層がまだ手付かずなので、維持コストそのものは二四KDPとそこまで多くはない。
モンスターがいないと、維持コストはかなり抑えられる。ウチのダンジョンの、数少ない利点だ。
まぁその分、僕が作ってるわけだが。
昨日から下水道から得られるDPが増えたのは、ダンジョンが本来あるべき形になったからだ。多くの侵入者を相手に、モンスターを使って対抗する。実に健全な、ダンジョンと冒険者の関係といえるだろう。
そしてようやく、その日の昼頃、冒険者ギルド経由でコンタクトを試みていた人物が、屋敷を訪ねてきた。
「どうもどうも、ショーンさん。お久しぶりっす!」
「ええ、久しぶりですね。家宅侵入者さん」
「な、なんか、呼び出されたってのに、悪意を感じるっす……」
そう、僕が呼び寄せていたのは、糸目の五級冒険者にして特級冒険者の、フェイヴだった。
ジーガとディエゴ君が開いた扉の先で、フェイヴが相変わらずの軽い調子で、僕に話しかけてくる。一瞬だけ、地獄門の方を見て頬を引きつらせていたのが、いい気味だ。
「いやぁ、なんかこの町大変みたいっすね? ショーンさんは逃げないんすか?」
「まぁ、このまま冒険者ギルドが後手後手に回るようだったら、逃げる他ないでしょうね」
「後手後手?」
「その辺はのちのち……。ところでフェイヴさん、そちらの方は?」
呼んだのはフェイヴだけだったのだが、この野郎はなんと、無断で来客を増やしやがったようだ。彼の背後で、しげしげと地獄門を眺めていた小柄な少女は、僕を見ると不敵に笑う。
「あちしの名はフォーン。このフェイヴの師匠ってトコロさ! あんたが、【鉄幻爪】シリーズの作者かい?」
どうやらこの男、少女に弟子入りしていたらしい。
マジかよこいつ、どう見ても十代前半の少女に弟子入りとか、そうとうなレベルのロリコンか、もしくは物語の主人公か。どちらにしろ面白いから、言いふらそう。
――と思ったのだが、応接室に入ってもう一度紹介を受けたところ、どうやらフォーンさんは小人族のレプラコーンらしく、もう大人だという。見た目は完全に小学生くらいだが、その年齢は……――おっと、僕は愚かなフェイヴと同じ末路は辿りたくない。一つ言えるのは、女性の年齢に言及するなど、蜂の巣を鷲掴むが如き粗忽なのだ。
ちなみに、レプラコーンは妖精族であるという説もあるそうだ。小人族は人族なのか妖精族なのか、よくわからない種族が割と多いらしい。
「改めまして、僕はまぁ、この家の家主をしています、ショーン・ハリューと申します。そこのフェイヴさんとは、ちょっとした縁がありまして……」
「聞いたよ。なんでも、工房に侵入したこのアホを、コテンパンにして叩き返したんだって?」
来客用のソファにどっかりと腰掛けたフォーンさんが、意地の悪そうな笑みを湛えてフェイヴを見やる。そんな視線を向けられたフェイヴは、ぱたぱたと手を振りながら首も振る。
「いやいや師匠、違うっす。俺っちは別に、叩き返されたわけでも、逃げたわけでもないんすよ。そもそもはセイブンからの依頼があって、なんやかんやでショーンさんの工房にお邪魔する事になったんす」
「ええ、勝手に入ってきましたね」
「ちょ、ショーンさん……」
なに? 嘘も間違いもないでしょ?
「ところでショーン君」
フォーンさんは、水色のアクアマリンみたいなキラキラした瞳をこちらに向け、身を乗り出しつつ話しかけてきた。
「なんでも、近々【鉄幻爪】シリーズのアクセサリー版が売り出されるんだって?」
「え? ええ、まぁ……」
「是非見せてもらいたいんだけどねえ。もしも出来がいいようなら、すぐに購入するから!」
すごい熱意だ。気付いてはいたが、彼女は右手の人差し指に【鉄幻爪】を装着している。どうやら、【雷神の力帯】に売った【鉄幻爪】シリーズは、彼女の元に届いていたようだ。
改めて、フォーンさんの姿を確認する。淡いグリーンの髪を、エアリーなボブカットにした少女のような姿の彼女。瞳は水色で、黙っていれば儚げな美少女にも見える。
まぁ、口を開けば年齢に相応しい、貫禄のある口調ではあるが。
格好は、要所要所を守りつつ、動きやすさを重視した、斥候のような姿。というか、たぶん斥候なんだろう。フェイヴの師匠とか言ってたし。
家に入った段階で、武器である小剣は使用人に預けられているものの、前述の通り右手の人差し指には【鉄幻爪】が装備されている。
うん。やっぱり少女にしか見えない。これが所謂、合法ロリというヤツなのだろう。そっちの性癖はないが、もしあったら、性格も含めてヤバかったと思う。それくらいのポテンシャルを有する美少女なのだ。
「いやぁ、申し訳ねえっす。師匠、ショーンさんのところの【鉄幻爪】シリーズの大ファンで」
「はぁ、それはどうも……」
そんな美少女の弟子であるフェイヴが、悪びれる様子もなく謝ってきた。いや、ちょっとは悪びれろ。
とはいえ、どうしようか……。装飾品としての【鉄幻爪】はグラの領分だ。僕も作れないわけではないが、勝手に作ったらグラがヘソを曲げそうだしなぁ……。
僕の提灯鮟鱇は、相変わらず鉄製の無骨な爪だし、サンプルにするものも手元にない。
「そっちは、姉のグラが作ってるんです。僕が勝手に決められる話じゃありませんね」
「あれ? ショーンさん、お姉さんなんていたんすか?」
「うん? セイブンさんから聞いてない? こないだ冒険者登録したんだけど」
「聞いてないっす! まったくあのおっさんは!」
「まぁ、僕に姉がいた事くらい、別に報告するような内容でもないでしょう。僕にだって、親もいれば姉もいますよ」
「そらそうでしょうけど……。ショーンさん程の重要人物の家族構成だったら、情報共有しといて損はないでしょう」
なんだよ、重要人物って。僕別に、要人じゃないって。ちょっとアウトローな連中に怖がられてるだけの、ただの七級冒険者だよ。
「じゃあ、そのお姉さんってのを呼んできとくれ。あちしとしちゃあ、デザインの注文とかもできるなら、むしろ好都合さね」
「いやぁ、それはちょっと……」
たぶんこの人とグラ、相性悪いと思うんだよねえ。ただでさえ人間嫌いで社会不適合者なグラに、この身勝手で傍若無人なフォーンさんを会わせるというのは、H型試験管を使わずに水を電気分解するようなものだ。つまりは、とても危険という意味だ。
というか、今日の本題は別に、【鉄幻爪】の売買じゃない。勝手にやってきて、勝手に話を進めて、ホント、自分勝手な人だ。しかも、なんだかんだそんなワガママも、周囲には愛嬌として取られそうな感じなのが、よりいっそう面倒だ。
「どうしようかなぁ……」
ぶっちゃけ、面倒事になるくらいなら、僕が作ってしまおうかとも思う。思うのだが……、あのときのグラの喜びようを思うとなぁ……。
とはいえ、いつまでも余談に時間を費やすのもどうかと思う。今日はフェイヴに、バスガルの攻略について、いろいろと頼みたい事があったから、こうしてわざわざ呼んだのだ。
はぁ、仕方ないか……。
「じゃあ、ちょっと姉に聞いてきます。ダメって言われたら、諦めてくださいよ?」
「むぅ……。言い値で払うよ?」
「…………」
「わかったよ。まったく、頑固な子だねえ……」
首を縦に振るまでは動かないと、無言で伝えたところ、フォーンさんも渋々頷いた。隣でフェイヴが、申し訳なさそうに手を合わせていたが、許さん。
いくら師匠筋だからって、こんな人をアポもなく連れてくんなと言いたい。
「なるほど、面倒な手合いが装飾のある【鉄幻爪】を求めていると……。いつものあなたであれば、追い返しているのでは?」
パーラーにある伝声管でグラに状況を伝えると、面倒臭いとでも言わんばかりの声音で、そう訊ねられた。いやまぁ、そうなんだけどね。
「いつもだったらそうだね。ただ、これからダンジョン関連で、彼らにはちょっと頼み事をするからね、貸しは作っておいた方が便利かなって」
「なるほど、交渉の一環ですか。ですが、私とその者を会わせたくないと?」
「うーん、たぶんすごく相性が悪い。この前の冒険者ギルドの再現が起こりかねないくらい……」
しかも、今度の相手はたぶん、下級冒険者程弱くない。フェイヴの師匠って事は、最低でも五級という事だろう。
「ふむ……」
伝声管の向こうで、なにかを考え込むグラ。そこで僕は、解決策を提示し、その許可を求める。
「だからさ、僕が作ろうかなって。装飾品としての【鉄幻爪】」
「…………」
あ、やっぱ不機嫌になった。でもなぁ、たぶんこれが一番、波風立たない解決法だと思うんだよ。いやまぁ、グラの機嫌が波浪警報だけど。
「……いいでしょう」
ややあって、絞り出すようにそう言ったグラに、僕は胸を撫でおろす。どうやら、火に油どころか水素に酸素という展開は避けられ――
「その者に会ってやりましょう。なに、向こうに非常識なところがあれば、なにも言わず席を立てば問題ありません。ええ、きっと大丈夫です。我慢できます」
――……不安だ……。
「…………」
「えーっと……、こちらが僕の姉で、グラといいます」
止める間もなく屋敷まであがってきたグラを、応接室に連れていき、無言でふんぞり返る彼女の紹介をする。まぁ、にこやかに自己紹介できるとは思っていないが、だからといって、そんな尊大な振る舞いはどうかと思う。
「うわぁ、ショーンさんが増えたっす。悪夢っす……。白昼夢っす」
「フェイヴうるせぇ。たしかにそっくりだぁな。とはいえ、流石に顔立ちはちょいと違うようだが」
「え? 鏡写しみたいにソックリじゃないっすか?」
「ったく、もっと観察眼を磨きな、出来損ない。微妙に目鼻立ちや、輪郭も違う。たとえ服装を入れ替えたって、あちしにはどっちがどっちかわかるよ」
「うへぇ……、マジっすか? んー……?」
並んだ僕ら二人を見て、好き勝手に僕らの容姿について話し合う師弟。いや、紹介したんだから、まずはそっちも名乗れよ。
しかし、フォーンさんの観察眼はすごいな。僕とグラの姿には、彼女の言う通り差異がある。僕の姿が本来のものであり、そこからコンプレックス要素をすべて改善した姿がグラだ。だが、そんな些細な違いを初見で見抜けた人は、これまでいなかった。
「おっと、自己紹介が遅れたね。あちしの名はフォーン。こっちのフェイヴの師であり、あんたらの【鉄幻爪】シリーズの大ファンだ。ついでに言うと、三級冒険者であり特級冒険者でもある。だから、金の心配はいらないよ。さぁさぁ、新しい【鉄幻爪】を見せとくれ!」
「あ、どーも、ショーンさんのお姉さん。フェイヴっす」
ようやく自己紹介をした二人に、グラは応答する事なく部屋のソファへと足を向けた。気位の高いお嬢様といった態度だ。
「うわぁ……。なんか、ショーンさんと違って、とっつきにくい雰囲気っすね……」
そういう事は、心のなかで言うにとどめろ。あの師にして、この弟子ありだ。とりあえず、この貸しは高くツケるからな?
「さて、じゃあグラ、持ってきてくれた?」
「はい。装飾の施された【鉄幻爪】は、いまのところこの三つだけです」
そう言ってグラがジーガに視線をやると、彼は三つの小さな木箱をテーブルに並べる。そこには、銀で誂えられた三種のアーマーリングが収められていた。それぞれに、紫水晶、琥珀、紅玉髄が目立つように第三関節部分に施されている。
目を引くのは、琥珀のアーマーリングだろう。なにせ、これまでのクローアーマーリングと違って、爪がないタイプの、アーマーリング本来の形になっているのだ。作りもかなり華奢なものになっており、完全に装飾品と化している。
いや、華奢な作りになっているのは、他の二つも同様か。総じて、装飾品としての用途を重視した作りだ。
僕の作る護身用具としての【鉄幻爪】と、グラの作る装飾品としての【鉄幻爪】とを明確に差別化しようと一緒に考えた結果、こういう仕上がりになっている。
「むふふぅ♪ いいねいいね! 美しいねえ! 格好いいねえ! 刺々しいねえ!!」
三種の【鉄幻爪】を見せられたフォーんさんは、たいそうご満悦だ。
「よし! 全部買ったぁ!!」
「ダメです。他の買い手もいるので、どれか一つにしてください」
「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」
屋敷を震わせるような絶叫が響き、大きくのけぞったフォーンさんが、ソファの上でブリッジをしながら頭を抱えた。オーバーリアクションにも程があるだろ。というか、まだ刻まれた理の説明や、値段も告げてないってのに……。
「そんな殺生な! こぉんな美しいリングの中から、たった一つを選ぶなんて、あちしにはそんな残酷な事はできない!」
「じゃあ、この話はなかったという事で、本題に……」
「待って待って! それこそ残酷でしょう!? なんでそんな酷い事が言えるの!? フェイヴ、この子悪魔よ!」
おい。
「そうっすよ」
待てこら、おい。
「大事なお客様に、悪魔との取引を持ち掛けるわけにはまいりませんね。当方としては誠に慙愧の念に堪えませんが、今回の商談はご破算という事で。ジーガ、片付けなさい」
「え? あ、はい」
まるでグラのような口調で、僕は取引の中止を告げる。常にない口調で命令されたジーガも戸惑っていた。
「待って! ねぇ、待って! ごめんなさい! 謝るから、せめて一つは買わせて!」
「うわぁ……、師匠がこんな下手にでてるとこ、初めて見たっす」
「うるさいんだよ、このバカ弟子! いいかい!? ファッションってのは、マウントの取り合いなのさ! この【鉄幻爪】は、ファッション界における最も新しい風なんだ! 着けてダンスパーティに殴り込めば、どんだけドヤ顔かませると思ってんだい!?」
「……いや、知らねっすよ……」
これは、フェイヴに同感。【鉄幻爪】の値段は、鉄製のものですら、ただのマウンティングの為に使うには勇気のいるものだろうに……。
「自分が欲しかった一点物のアクセを、ドヤ顔で着けてる女を見るときの屈辱と敗北感ったら……。逆に、それを着けて羨望の眼差しを受ける優越感ったら……ッ!!」
女のマウント合戦、こえー……。
見てはいけない舞台裏を見る気分になりつつ、僕とフェイヴは視線を合わせて頷き合う。お互いに、ここでの会話は見なかった事、聞かなかった事にしようと確認を取った。
世の中には、知らなければ良かった事と、知らない方が良かった事というものが、確実に存在するのだ。
なにはともあれ、【鉄幻爪】の説明で会談からフォーンさんをオミットできた僕らは、ようやく本題の話し合いに移れるようになった。ここまで、実に無駄な時間の浪費だった。
「それで、俺っちに用ってなんすか?」
「新しくできた、ダンジョンに関してです」
「ああ、やっぱりそれっすか」
まぁ、いまこの町で、最もホットな話題だからね。
「フェイヴさんは、件のダンジョンについて、どの程度の情報をお持ちで?」
「基本的に、通り一遍の事しか知らねっす。スラムの下水道に、新たなダンジョンの扉が見付かったんすよね? で、早くもその下水道が、ダンジョンに浸食されたって程度っす」
「実際に足を踏み入れたりは?」
「そいつはまだっすね。できたての小規模ダンジョンなら、別に俺っちたちが討伐にかかる程のもんじゃねえっすしね。けど、お偉いさんはニスティスの再来を殊更恐れるっすからね。たぶん、お呼びがかかるんじゃないかとは思ってるっす」
ふむ。どうやら本当に、一通りの事しか知らないらしい。まぁ、こんなタイミングで、裏事情まで知っている方が驚きだし、バスガルなんかよりもよっぽどこいつの方が脅威になる。
「その下水道がどこにあるかは知っていますか?」
「どこって……、ここから割と近くのスラムの中っすよね? どちらかといえば、スラムと職人街の間って感じのところっす」
「そうです。そして、その下水道はいまや、ダンジョンに呑み込まれました。僕がなにを危惧してあなたを呼んだのか、ここまで言えばわかりますよね?」
「え? いや、まだちょっとわかんないっす……」
察しの悪いフェイヴにイラっとしつつ、僕は説明を続ける。
「いいですか? 下水道を呑み込み、その領域を拡張させているダンジョンが、すぐ近くの地下施設である、僕らの工房にまで浸食してきたら、どうなります?」
「え……」
フェイヴの糸目が見開かれ、顔色が褪せる。ウチの魔術師の工房だと思われているダンジョンのヤバさは、実際に探索したフェイヴだからこそわかっているはずだ。あそこにモンスターが出現するようになったら、本当にシャレにならないとでも思っているのだろう。
まぁ、実際には最初からダンジョンで、モンスターだってできるけど、身バレの懸念からやっていないだけだからね。
「わかってくれました?」
「たしかに、こいつは結構マズいかもっすね……」
「ええ。僕らの工房を守っている罠は、対人用のものばかりです。裏を返せばそれは、人間の弱点を網羅した秘伝書のようなものになっているのです。僕が一番に懸念しているのは、ダンジョンがそれを《《学習》》してしまう事です」
「学習、っすか……?」
なんだ、特級冒険者で上級一歩手前のくせに、そんな事も知らないのか。
「〝ダンジョンは一定の情報を共有する術を持っている〟というのは、ダンジョンを研究する者の間では常識ですよ? 【ダンジョン学】のケブ・ダゴベルダも【ダンジョン概論】のゾギア・グリマルキンも、古くは【ダンジョン説】で有名なイーネス・ヘルベ・アカツェリアだって、同じような事を述べています」
「は、はぁ、そうなんすか……?」
「んな事も勉強してないのかい、このバカ弟子!」
おっと、フォーンさんが首だけこちらに向けて、会話に割り込んできた。
「でもたしか、それってまだ仮説の段階だろう? その説を支持する人も多いが、同じくらい否定するヤツもいる。それは、ダンジョンが他のダンジョンに対して、自らの優位性を隠している節があるからだ、だったっけ?」
「ええ。【迷宮仮説】のグレイ・キャッツクレイドルと、【ダンジョン概論】への反論として執筆された【ダンジョン学概論】のマクベス・ウィッチクラウドは、ダンジョンの自主独立の観点から、前述の説を否定しています」
「もうさっきから、わけわかんねー本と人の名前ばっかで、頭こんがらがりそうなんすけど……」
たしかに、この辺の人間側の迷走っぷりは、学んだ僕からしてもうんざりする程だった。
ダンジョン側の観点から見られる僕としては、ダンジョンは技術とは関係のない基礎知識は共有するが、各々が独自に惑星のコアに至らんとしている為に、本当に有用な技術は秘匿する傾向にある。それでも、やはり人間はダンジョンにとっての脅威であり、その脅威度を下げる為に必要だと判断すれば、その技術を基礎知識に連ねる事もある。
ただし、せっかく情報共有の手段があるというのに、その知識が不要な情報だと多くのダンジョンコアに判断されると、基礎知識から消されてしまうという事もあるらしい。記憶容量の限界があるわけでもないのだし、些細なものでも残しておけばいいのにとは思う。
それに、基礎知識というものは、いまだ浅い同胞に、どう生きていけばいいのか教える、謂わば自転車の補助輪のように思われているようだ。グラですら、僕とその知識を共有するという目的がなければ、そこまで熱心に調べ直すようなものでもないと言っていた。
「たしかに反論はあります。ですから僕も、絶対にそれが可能だとは思っていません。しかし、懸念であってもすべてのダンジョンに、人間の弱点を周知されるという可能性は、減らしておきたいんです」
「なるほどねえ。ま、あちしはその工房を見てないから、なんとも言えないんだけどねえ……」
「あれがダンジョンのスタンダードになったら、たぶん人海戦術はほとんど意味をなさなくなるっす……。そうなると、いまのダンジョンに対する戦術が、根本から覆りかねねえっす。最悪、上級冒険者以外はダンジョンへの侵入を制限されるって事態も……」
深刻な表情で先々の不安を吐露するフェイヴに、フォーンさんは勘弁してくれとばかりに述べる。
「おいおい、上級冒険者だって、そんなに数いるわけじゃあないんだよ。そいつは無茶ってもんさね。なにより、中級冒険者っていうドでかい層の連中が、路頭に迷う事になる。そんな事は、いくら冒険者ギルドだって無理ってもんさ」
「でもたぶん、普通の五、六級じゃただの餌っすよ? 冒険者崩れとはいえ、俺っちと一緒に地下に足を踏み入れた連中は、ほとんど命を落としたんすから。なかには、自分から一目散に奈落の底へ飛び込んでったヤツもいたっす」
「なんだいそりゃあ……」
げんなりとした表情でフェイヴを見たあと、薄気味悪そうな顔で僕を見ないで欲しい。
「僕がなにを懸念しているのか、わかっていただけました?」
にこやかにそう問いかけたら、師弟揃って顔を引きつらせていた。まるでフレンドリーな死神にでも挨拶されたような顔だ。失敬な。
「やべえっすね……」
「ああ、人類の危機だな……」
そして、二人揃ってそんな事を言い合っていた。ホントに、失礼な師弟だよ。
「だったらさぁ、その工房とやらを閉鎖しちゃえばいいんじゃない? なにをご大層に守ってんのかは知らないけどさ、ダンジョン側に人間の弱点が知られちゃうってんなら、どっちがいいかは明白だろう?」
フォーンさんの言葉に、僕は肩をすくめる。
「まぁ、最悪それもやむを得ないかとは思っています。ただ、ウチは良くも悪くも……というより、主に悪い方で有名になり過ぎました。月に一、二回はマフィアが襲撃をかけてくるくらいですし、工房の防御力が下がっていると知られれば、そんな連中が大挙して押し寄せてくるでしょう。そしてこの場合最悪なのが、他所に名を挙げられたら面白くなく、なにより僕らに煮え湯を飲まされた存在が、その状況を静観するとも思えない事です」
「ああ、なるほど……」
僕の言葉に天を仰いでそう唸ったのはフェイヴだ。彼はウル・ロッドとの和睦交渉をまとめた人間なので、彼らが動きかねない心情も理解はできるのだろう。
本当は、ダンジョンを放棄するには色々とリスクを伴うという理由なのだが、対外的な理由はこんなところだ。誰だって、自分の命は惜しい。人類の為に己の身を顧みないという行為は、美談ではあるが、それは逆説的に美談になるような、困難な行為であるという事だ。
自分の命を危険に晒してでも、研究資料や財産を失うリスクを冒してでも、人類の安全の為にそれをやれ、というのは正論ではあるが、暴論じみた極論である。正しければ、なにを主張してもいいというわけではない。
「むぅ……。それはたしかにそうだねえ……」
唇を尖らせたフォーンさんが、なにかを考えこむように、頤に人差し指をあてて視線を彷徨わせる。だが次の瞬間、所在なさげにしているジーガを見付けて、【鉄幻爪】の交渉途中だったのを思い出したのか、これまでの話など忘れたとでも言わんばかりの態度で、アーマーリングを吟味し始める。
ホント、自由奔放な人だ。小人族は自由人が多いとは聞くし、ウチのウーフーも大概だとは思ってたが、この人はそれに二段も三段も輪をかけている。
彼女の様子に苦笑した僕らは、構わず話を続ける事にした。
「とはいえ、だからといって知らんぷりを決め込むつもりはありません。それはそれで、無責任ですからね。なので、僕の知る限り最高位の冒険者であり、実際その実力も知っているフェイヴさんに、件のダンジョンを探索していただけないかと思い、こうしてお呼び立てした次第です。なにか文句はありますか?」
「そっすねえ――って、そこは『なにか他にご質問はありますか?』とかじゃないんすか!? なんすか文句って!?」
いやまぁ、こっちとしても不本意な選択だったとはいえ、いきなり呼び出した手前、ほんの少しは悪いかなとは思っていたんだ。だからこの際、文句があるなら聞いてやらなくもない、ただし聞くだけだがな、という殊勝な心掛けをしてみたわけだ。
「殊勝とは……?」
「そうだなぁ、以前の不法侵入を許してやらん事もないという事で、今回の無作法と相殺しようじゃないか」
「ねぇ、それって本当に許してるっすか? 言い回しが曖昧で、どうとでも取れる言い方なんすけど?」
「ついでにホラ――」
僕はそう言って、視線だけで琥珀のアーマーリングを試着して喜んでいる、フォーンさんを指し示す。
「――予定外の客人を連れてきて、人気商品の販売先に割り込んだ分も、チャラにしてあげますよ?」
「う……」
明確な数字で表せない恩仇の場合は、ツケはさっさと回収するに限る。なお、数字で表せる借金などの場合は、取っておいた方がマウントを取れるという利点があったりもする。まぁ、どっちにしたって、返ってこないというリスクはあるんだけど。
「前回はセイブンに頼まれた用事をこなす為だったし、今回は支障が無理矢理付いてきただけっすよ……。どうして俺っちばっかり、こんな目に……」
「まぁまぁ、依頼料は払いますよ。といっても、最近ちょっと大きな出費があったところなんで、手元不如意なんですよねえ。どうしようかなぁ?」
ちょっとわざとらしかったかも知れないが、安物のルアーよりも巨大なその餌に、狙い通り獲物はかかってくれた。
「それなら、あちしらへの報酬は、この【鉄幻爪】をもう一つって事でどうだい!?」
僕は内心でほくそ笑みつつ、チラリとジーガに視線を送ってから、なんとも悩まし気に呻吟して見せた。
「うーん……。しかしですねえ、そちらは付き合いのある、カベラ商業ギルドに卸す分でして、流石に義理を欠くような真似は……」
「むぅ……、だとしたら、やっぱり無理かね……」
「旦那様。現在カベラ商業ギルドは、幹部がこの町からの離脱を考え、それなりの騒動になっております。【鉄幻爪】シリーズのアクセサリーを卸しても、きちんと決済ができるかどうか、不透明です」
フォーンさんが諦めかけたところで、すかさずジーガが可能性を提示する。それだけで、まるで救いの糸が垂れてくるのを見たカンダタのような目になるフォーンさん。阿吽もかくやといった息の合いようだ。
本来ならば、上級冒険者に対する依頼であれば、それなりの依頼料が必要だ。それこそ、中規模ダンジョンを攻略しようとする、貴族なんかが提示するような額がだ。
だがいま、僕とジーガの連携により【鉄幻爪】一つでそれが賄われようとしている。
これには二つの利点がある。
一つは当然、依頼料が浮く点。もう一つは、いまだ不明瞭な【鉄幻爪】という商品の価値に、ある程度の目途が付く点だ。
上級冒険者に対する依頼料の代わりになるという触れ込みであれば、金貨の十枚、二十枚というレベルではない。いまだ未発売のものであったという点を考慮したって、下手をすれば、ちょっとした軍事行動が行えるような値段にもなりかねない。
要は、付加価値というものが付くのだ。それがわかっているであろうジーガの頬が、時折嬉しそうにピクついているのを、確認しつつ、僕は思案するフリをする。
「ふむ、なるほど。しかし、だからといって、契約を蔑ろにしてもいいというわけではない。ジーガ、君はカベラ商業ギルドの所属だろう?」
「はい。お任せいただければ、必ずや今月の納入を見送るよう、交渉をまとめてきましょう」
「大丈夫か? 君や我が家が不利益を被るという事はないか?」
「今回は時期が良かったといいますか、不幸中の幸いというものでしょう。先にも述べました騒ぎで、向こうもそれどころじゃないでしょう。交渉の余地は十二分にございます」
「ふぅむ。よし、ならば任せよう!」
「はい。必ずや、朗報をお持ちいたします」
恭しく頭を下げるジーガに、僕も頷いてみせる。それからフォーンさんに向きなおり、とびっきりの笑顔で告げる。
「そんなわけで、多少無理を通す事にはなりますが、この者に任せればまず大丈夫でしょう。依頼料はそれでよろしいでしょうか?」
「うんっ!」
美少女の弾けるような笑顔というのは、ズルいと心底思った。あんな横暴で、自由人というにも気儘で、年齢を考慮してももう更生の余地はないだろうフォーンさんでも、屈託のない笑顔は人の心を揺さぶるに十分な魅力を有しているのだから。
なお「あの、俺っちの報酬は……?」と情けない声をあげているフェイヴの言葉は、誰の耳にも届かなかったようだ。
仕方ないよね。だっていま、この場は交渉成立を祝ってみんなが満面の笑みなんだもの。誰もそんなところに水を差したくないのだ。
「それで、調べるっていってもなにを調べればいいんすか?」
少し不貞腐れるようにして、フェイヴがそう問うてきた。まぁ、ただ当て所なく調査なんていっても、漠然としすぎていて困るだろう。というか、これはフェイヴに対する依頼という事でいいのだろうか? フォーンさんはたぶん、斥候としてのフェイヴの師匠だろう。だとしたら、報酬的にも能力的にも、たぶんフォーンさんだけで事足りるんじゃないかと思うんだが。
まぁ、人数がいて困るという事はない。依頼料が量増しされない限りは。
「依頼の内容は主に三つです。一つ、件のダンジョンの正確な規模の調査。もしも本当に、あれが小規模ダンジョンであれば、こちらまで侵食してくる危険は、それ程高くはないでしょう」
「ふむん? ショーン君は、小規模でない可能性があると?」
フォーンさんの問いに、僕は無言で頷いてから続けた。
「調べた限りにおいてではありますが、小規模ダンジョンというものは基本的に下へ下へと拡大していくものです。中規模クラスになれば、横や上に多少侵食するという例もないではありませんが、小規模ダンジョンが入り口から横に広がり続けた例というのは、たぶんゲッザルト平野の一層ダンジョンくらいのものではないかと」
「おお、ゲッザルト平野の一層ダンジョンかぁ。たしかにあれは、一説によると誕生直後から、横に広がる形で成長した、珍しいダンジョンだったって話だね。討伐するときも、学者連中からもっと調べさせて欲しいって嘆願があちこちからあったとか。まぁ、横に横に広がっていくダンジョンなんて、国のお偉いさんからしたら厄介以外のなにものでもないだろうからね、そんな願いは叶えられなかったようだが……」
フォーンさんが皮肉気に笑い、それを見たグラの表情が、僅かに強ばる。やはり、ダンジョンが討伐された話は地雷みたいだな……。
ゲッザルト平野の一層ダンジョンというものは、恐らくはこの世界でも稀に見る、一層しかない代わりに広大な面積を誇るダンジョンだった。ダンジョンは普通、積層型に延びていくのだが、このゲッザルト平野の一層ダンジョンは、例外中の例外だった。
そのダンジョンの主たるダンジョンコアが、どうしてそのような成長を選んだのかは、既にダンジョンが討伐されてしまった現状では、誰にもわからない。学者たちの嘆願も、わからないでもない。僕だって気になる。とはいえ、真相は闇の中だ。
そんな、ゲッザルト平野の一層ダンジョンという中規模ダンジョンが討伐されたのが、いまからだいたい一〇〇年程前の事らしい。
下水道のダンジョンが、この一層ダンジョンと同じように、横に広がっていくというのなら、きっと彼らにとっても脅威だろう。まぁ、そこが僕らのダンジョンである以上は、そんな事はないのだが。
「一層ダンジョンのような例外でなければ、どこかから延びてきた中規模ダンジョンという事もあり得るかもしれません。その二つの場合、僕らの工房がダンジョンに呑み込まれる危険はかなり高いといえます。逆に、いま言われている通り、ただの小規模ダンジョンであった場合、僕らの工房が呑まれる危険はほぼないでしょう」
「なるほどっす。まずは、そこが小規模ダンジョンであるという確信が欲しいって事っすね」
「ええ。小規模ダンジョンでも気を抜くつもりはありませんが、少しは安心できます。逆に、そうでなかった場合には、最大限の警戒でもって対処しなければなりません」
「そっすね。あの地下工房がダンジョンに取り込まれるのは、なんとしても避けないといけないっす」
深刻そうに頷くフェイヴ。その危険性を、いまいち理解できていないフォーンさんが、首を傾げているが、まぁこれはあながち嘘というわけではない。
向こうのダンジョンコアがウチのダンジョンを取り込んだ場合、その構造を流用される危険は、十分にあるだろう。乗っ取られたって、ダンジョンに施された理が消え去るわけじゃない。
余裕があれば別だろうが、バスガルもバスガルで追い詰められているからな。たぶんダンジョンの構造に手を加えたりはしないだろう。
「そして依頼の二つ目。これはもし、件のダンジョンが小規模でなかった場合ですが、その規模や延びている方角、モンスターの傾向等々の情報を集めてもらう事です。まぁ、斥候のお二人にとっては、普段通りのお仕事というわけです」
「なるほどねえ。たしかにあちしらにとっちゃ、それは得意分野だ。切った張ったより、よっぽど楽な仕事さね」
自信あり気に肩をすくめつつ皮肉っぽっく笑うフォーンさん。口調と仕草は貫禄の滲むそれだが、いかんせんその姿は美少女でしかない為、どこかお遊戯ちっくだ。
「たしかに、そこが小規模ダンジョンでなかったり、普通と違う例外であったりしたら、それは大問題っす。ただでさえ、ニスティスの悪夢の再来かも知れねえってんで、町中てんやわんやなんす。当然ながら、冒険者ギルドも領主様も、そのダンジョンの討伐を最優先にしているっす」
真剣な声音のフェイヴの言葉の続きを、僕が代弁する。
「でも、彼らが選んだ戦術の根幹は、対小規模ダンジョン用のもの。初手を間違えると、本当にニスティスの再来になりかねない」
ニスティスの都がダンジョンに呑まれた一番の理由は、勿論ダンジョンコアの奮闘もあっただろうが、それ以上にニスティス側の初動の拙さがあった。そうでなければ、町中にできたダンジョンが、ダンジョンであると知られつつ、人間側の襲撃を最後まで退ける事などできまい。
僕らで例えるなら、それは【一呑み書斎】を作った程度の段階で、【雷神の力帯】を退けなければいけないというくらいの危機的状況だ。いまだ彼らの実力は測りきれていないものの、そんなのは絶対に無理だと断言できる。
「ふぅむ。その場合、その情報はギルドに高く売れるねえ。あちしらは報酬をもらって正式に依頼されたワケだから、その代価はまるっとショーン君のもんだよ」
「いや、報酬をもらったの、あちし《《ら》》じゃないっすよね!? 《《ら》》じゃ!?」
「うるさいねえ。いいかい、弟子のもんは師匠のもん。師匠の仕事は弟子の仕事。師匠の命令は絶対。師弟三原則は、法にも記されたれっきとした規則だよ?」
「書いてるわけねえっしょ、この鬼ババアっ!」
「おおう、よぉく吠えたな、洟垂れ小僧!? そのほっせえ目ぇ目ん玉、白目にして往生させたらぁ!!」
「もう我慢の限界っす! いっつもいっつも俺っちばっかり貧乏くじ! 今日ここで師匠を倒して、明日からあんたをパシらせるっす!」
師弟漫才を始めてしまった二人を、呆れたように見つめる僕とグラ。付き合うつもりはないので、ジーガに頼んでザカリーを呼んでもらう。それからザカリーに頼んで、お茶を淹れてもらおう。
この辺の技術は、流石にザカリーの方が高く、技能奴隷の面目躍如といったお手前だ。ジーガの淹れたお茶とは、比べ物にもならない。いやまぁ、彼にそんな技能は求めてないので、別にいいのだが。
「そういえばさ」
十分くらいして師弟漫才が一段落付いたところで、フォーンさんが思い出したかのように声をかけてきた。勝敗? 聞くまでもないだろ。
「依頼は、三つって言ってたよね? あと一つは?」
ああ、そういえば依頼内容を告げている途中だったね。よくもまぁ、そんな重要な会話中に、師弟でじゃれ始められると思うが、まぁ気にしたら負けだろう。この人の奔放さは、巻き込まれたらただでは済まない竜巻級のものだ。
僕はしれっと、彼女を災害指定しつつ、最後の依頼内容を告げる。
「三つめは、そのダンジョンの探索に、僕も同行させて欲しいというものです」
「ダメです!」
僕の言葉を真っ先に否定したのは、これまでお澄まし顔で一言も発していなかった、グラだった。そんな彼女も、いまは真剣な面持ちで僕を見つつ、意志の固さを視線で訴えかけてくる。
「あのねグラ、これは必要な行動なんだよ。僕らがダンジョンと戦う以上は、情報は必須なんだ。それをすべて、人伝で賄うのは危険すぎる。なにせ僕らは、実際にダンジョンに足を踏み入れた事すらないんだ。このまま判断を下すというのは、机上の空論を並べ立てるに等しい稚拙だよ」
フェイヴとフォーンさんの手前、かなりぼかした言い方をしたが、これはバスガルと僕らとの侵略戦争だ。となれば、情報というものは正確であればある程いい。
だというのに、実物のダンジョンというものを知らずに、ただ資料と情報を集めたって、正確な判断が下せるとは思えない。彼を知り己を知らば、百戦して殆うからず、だっけ? このままじゃ、敵についてなにも知らずに戦いを始めるようなものだ。それでは一勝一負する。
そのような危険な賭けに、グラの命をベットするわけにはいかない。
「向こうのダンジョンの状態、構造の傾向、モンスターの強さと量、まずはそれを知らないと」
「そんなものは、そこの者らに調べさせれば良いでしょう? なにもあなたが直々に出向く必要はありません」
「言ったろう? このままじゃ僕らは、実感のないまま状況を判断しないといけなくなる。それは危険なんだ。できる事は、できるうちにやっておきたい。危機に際して、あれをやっておけばなんて思っても、遅いんだから」
「しかし……」
グラのクールな面持ちが、若干崩れる。といっても、少し眉根が寄って、目が細くなっただけだ。この部屋にいる、僕以外の連中には、彼女の表情の違いなどわからないだろうが、これは理屈では反論はできないが、感情的に納得していないという顔だ。
グラは、僕に関する事だと、途端に理屈を無視して、過保護になる。それ以外はクールで理知的な、いかにもなクールビューティといった雰囲気のくせに。
まぁ、弟としては悪い気はしないのだが、だからといって君の命がかかっているときまで、そんなワガママを言わないで欲しい。こればっかりは、僕だって譲れない話なんだから。
「それでは私もついて行きます」
「それは無理だね。君はいまだ、十級冒険者だ。僕らに、冒険者ギルドの規則を曲げられるだけの、権力はない」
「であれば、必要分の魔石を納入し、ショーンと同じ七級まで階級をあげれば良いのでしょう?」
「……たぶんそれじゃ無理だと思うよ?」
「どうしてです?」
うーん……。そこには、ギルドからの信用とか、貢献度とか、アルタンの町の現状とか、いろいろと絡んでくるのだが、ダンジョンコアであるグラに、余人もいるこの場で説明するのは難しいな。それでも、説明しない事には、グラも納得しそうにない。
はぁ、仕方ない……。
「ちょっと長くなるけど、聞いてくれる?」
「はい。それでも納得はしないでしょうが、ショーンの言い分を聞きましょう」
僕の言いたい事を要約すると、以下の通り。
僕の場合は、ギルドに対する貢献度と、一応はコンスタントに魔物を狩れるだけの実力の証明ができている。階級も、一応は中級の七級冒険者だ。
だが、一度に大量の魔石を納入しただけでは、実力の証明にはならない。ギルド側も、下級の魔石納入ノルマを面倒がった金持ちが、金に飽かせて七級の資格を買ったとしか、グラの事を評価しないだろう。以前、ちらっとそんな話を聞いた気もする。
そんな人間をダンジョンに入れて、敵の養分《DP》になる危険は冒せまい。特に、いまの厳戒態勢ともいえるこの町では。
つまり、グラがダンジョンに入る方法が、合法的には存在しないのである。
「…………」
あー……、ますます眉が寄って、目が細められている。心なしか顎もあがって、ちょっと見下すような感じになっている。そっちの気がある人なら、ゾクゾクくるようなご尊顔だろう。
その表情から、納得していない、地上生命の布いた法などに、捉われるつもりはないという意思がありありと伝わってくる。
勿論、この場では口にしなかったが、ダンジョンコアであるグラが、バスガルのダンジョンに侵入する行為自体が危険であるというのもある。
ダンジョンに異物が侵入すれば、口の中に髪の毛が入ったような違和感を覚える。だがそれも、僕らの経験則でしかない。人間であれば髪の毛程度の違和感だが、もしもそれがダンジョンコアだった場合、どう感じるかは未知数だ。
そしてもし、ダンジョンコアを認識できるのであれば、彼女に向こうの攻撃が集中しかねないという危険を孕む。君子危うきに近寄らず。わざわざ、グラの身を危険に晒してまで、僕の身の安全を図るなど本末転倒だ。
将棋であれば、グラの役割は王将だ。歩とはいわないものの、僕の役割なんて香車か銀将。王将が盾になって守るようなもんじゃない。
「グラ、わかってよ。君を連れて行くわけにはいかない。しかし、僕らの内どちらかは、絶対に向こうを見ておかなければならない。だったら、僕が行くしかないんだ」
「…………」
今度は僕から視線を外したグラが、ほんの少し唇を尖らせて、テーブルの上の空のカップを見つめる。珍しい表情だが、拗ねているようだ。
聡明な彼女の事だ。理屈では、自分が動く事の危険をわかっているのだろう。だがそれでも、僕の身を本気で案じてくれているのだ。
嬉しいと、素直にそう思う。たぶん、立場が逆で、グラが依代に宿った状態で、単身バスガルに赴かなければならないとなったら、僕も同じように駄々をこねたかも知れない。いや、もしかしたらそれでも屁理屈をこねて、ついて行こうとしたかも知れない。
そう考えれば、ここで親愛の情よりも理性を重んじるというだけで、彼女は聞き分けがいいのだろう。愛とか正義とか、そういう理屈抜きに正しいものってのは、どうしたって理性を鈍らせるからね。
別にそれが悪いって訳じゃないが。
「……一つ、約束してください……」
僕から視線を逸らしたままのグラが、ポツポツとそう言った。
「必ず、あなたの身の安全を優先してください。我々は最悪、この町を去るという選択もできるのですから……」
グラの言葉に、僕は真剣な面持ちで頷いた。
この町を去る。すなわち、ダンジョンを放棄するという選択は、僕らがこの地で積み上げてきたこれまでを、すべて捨て去るという事でもある。新天地で、上手くダンジョンを作れるとも限らない。
彼女の言葉には、そんなリスクを冒してでも、僕の方を優先しようという意思が窺えた。
だから僕も、そんな危険は、絶対に冒させないという意思を込めて頷いたのだ。
次に浮かべた彼女の表情の意味が、しかし僕には読めなかった。




