二章 〈6〉
〈6〉
「ふむ……。なるほど……――おや?」
資料を読み込んでいたグラが、なにかに気付いたように声をあげた。
場所はダンジョンの最下層、四階層の研究室だ。既に、石製の机と椅子からは解放され、ジーガが集めた木材と布、その他様々な素材を用いてグラがこしらえた、立派な机と椅子が存在する。
特に椅子は、これまでの固い石の椅子とは比べ物にもならない、クッション付きのデスクチェアだ。材料は聞くなと言われているので、聞いていない。
「どうしたの?」
そんなデスクチェアをくるりと回転させ、グラの方を見る。仕事をするときは、お互いに背中合わせになるよう、この研究室は机が配置されている。そうじゃないと、お互いの調べ物や研究が気になって、ついつい目移りしちゃうからね。
「どうやら侵入者のようですが、なにやらおかしいのです……」
グラの顔には困惑が浮かび、その言葉には不穏な気配が漂っていた。
「おかしいってなにが?」
「明らかに、人間の気配ではありません」
「モンスターなんじゃない?」
「たしかにモンスターの気配に近いですが、もっと近いものがあります」
「というと?」
勿体を付けるグラに焦れながら、僕は先を促した。グラはまるでそんな事はあり得ないとでも言わんばかりに、それを口にする。
「ダンジョン内のモンスターの気配、すなわち、生命力で形作られた幻の気配です……」
「……はぁ!?」
それはつまり、あれか? 勝手にモンスターが生まれたという事なのか? いや、それはない。生命力の理なのだから、その源はなにかしらの生命に依存する。理を無視して、勝手に生み出されるなどという事はあり得ない。
僕らではないとすれば、それはほかの生物の生命力から生み出されたと考えるのが妥当だ。では、その生物とは?
人間? あり得ない。ダンジョンがダンジョン内でモンスターを生み出せるのは、そこが自らの霊体の内部だからだ。
それはつまり、魂魄→肉体→霊体という構造の生き物でなければ、使えない理であるといえる。人間のように、魂魄→霊体→肉体の順では不可能だ。
だったら、その侵入者の根源はなにか……――
「……他のダンジョンの生命力、って事?」
「……その可能性が高いかと……」
おいおいマジかよ。他のダンジョンからの使者って事?
僕はもう慣れっこになっていた、離れた場所の状況を視覚的に捉える、透視の能力を使う。よくよく考えてみれば、僕が依代に移ってからダンジョンの機能をきちんと使えるのかは、まだまだ検証途中だった為、この行為は少々迂闊だった。
とはいえ、遠隔視は問題なく使えたので、良しとしよう。
「なんというか、虫? トカゲ? 人?」
薄暗い下水道に立っていたのは、全体的に赤黒い体の異形だった。頭はアリとカマキリの相の子みたいなもので、大きな顎が特徴だ。体の方は赤の角鱗状の皮膚であり、腹部分は白い。二足で直立しておりシルエットは人に近いが、背には皮膜の翼がある。
イメージとしては、頭が虫のリザードマンだろう。
「地上生命ではありませんね。モンスターであるのは間違いなく、そしてやはり気配が虚ろです。なにもせず佇んでいる点も、モンスターらしくありません」
「間違いなく、こちらに対するメッセンジャーだろうね。ねぇ、ダンジョン同士って、こうやって交流する事ってあるの?」
「基礎知識にはそのような情報はありません。ですが……」
「ですが?」
言い淀むグラの言葉尻を捉えて先を促すと、渋々といった態でその先を口にした。
「……侵略の際に、宣戦布告の使者を立てる場合、同じようにモンスターを活用した例が、あったと記録されています……」
「侵略? 宣戦布告? ダンジョン同士でそんな事すんの!?」
寝耳に水な情報に、思わず声が裏返った。グラから聞いていたダンジョンの知識からは、もっと個人主義的な連中だと思っていた。まさしく、『ウチはウチ、他所は他所』といった主義の種族だと思っていたのだ。
「ダンジョンにとってのエネルギー源は、他生物の生命力です。そして基本的には、我々に敵対的で、放っておいても内部に侵入してくる地上生命である人類が、ダンジョンの主食とされています」
そうだね。普通の地上生命、つまりは野生動物なんかは、わざわざ危険であるダンジョンに飛び込んではこない。ある程度以上の知能がないと、ダンジョンに敵対せず、ダンジョン側としても獲物が得られない状況に陥るのだ。
「ですが、より多くの生命力を内包し、かつ地中という我々のフィールドに存在する存在がありますよね?」
「まさか……?」
「ええ、同族です。それ以外にも、地中でのみ生存ができる地中生命も存在しますが、そういった諸々の生き物は、ダンジョンの存在の大きさを理解し、他の地上生命と同じような行動をとります」
「つまり、ダンジョンにとって、他のダンジョンもまた、貴重なエネルギー源って事?」
それは、予め教えておいて欲しかった……。いくらなんでも、これはうっかりでは済まされない。僕がダンジョンを構築する際に想定されている敵は、完全に人間に限定されているのだ。ここに、想定外の外敵を迎え撃てる防衛機構は、備わっていない。
「……ダンジョンがダンジョンを侵略するのは、頻繁に起こる事態ではありません。我々ダンジョンは、あくまでも深く深くその規模を伸長させていくのがセオリーであり、地表付近で隣接する可能性を危惧する必要は低かったのです。もしもダンジョンがダンジョンを侵略する状況が発生するのならば、それはより惑星の深部にダンジョンが伸び、ダンジョンが共生できる空間が足りなくなった場合だと想定していました……」
なるほど。惑星の中心部に伸びれば伸びる程、ダンジョンが利用できる空間は狭くなっていく。多くのダンジョンが地中深く伸びれば、やがてその領域を奪い合う未来は予想できる。
だが、グラのあの口調が――……どうにも、言い訳臭い……。
まぁいい。いまは目の前の問題である、虫リザードマンに対処しよう。
「五号くん! 君に決めた!」
グラが実験体五号くんという名の、フレッシュゴーレムを呼び出したのに合わせて指さす。四号くんはもう【目移りする衣裳部屋】で稼働している為、いまは手元に五号くんしかいなかったのが選抜理由だ。
「五号はまだ実験目標を達成できていないのですが……、仕方ありませんね。メッセンジャーとして再調整しておきます」
「ああ、そうね。必要だよね、その辺の調整」
いまのままでは、単に相手の姿を真似られるだけのゴーレムでしかない。不意打ちに向くフィールドでもないし、それでは使者としても刺客としても役立たずだろう。いやまぁ、別に刺客として遣わすつもりはないんだけどさ。どうにも不穏な流れだしね……。
「一応、こちらの円盤に話しかけると、五号の頭部に埋め込まれた受信機から、音声が出力できるようになっています。ただし、向こうからの映像音声、その他の情報発信はできませんので、自分であちらを確認しながら使ってください」
「あい。っていうか、グラが交渉しないの? 相手もダンジョンなんだし、グラの方が適任なのでは?」
「私はあくまでも、ショーンの支配下にあります。私が勝手に、このダンジョンの方針を決定するのは越権行為です。ショーンが決めてください」
「いや、その辺は別に、グラの自由意思に任せていいんだけど……」
これはいわば、最初に冒険者ギルドを訪れた際に、グラが通訳となって僕の意思を伝えてくれた状況を、まるまるひっくり返したような状況だ。だからこそ、意思決定をグラに委ねようとしたのだが、あっさりと拒否されてしまった。
「であれば、私はショーンの自由意思に従いましょう。問題ありませんね?」
「え、あ、うん……。じゃあ別に、それでいいけど……。相手側との意思疎通に齟齬が生じていると思ったら、ちゃんと介入してきてよ?」
「はい」
まぁ、交渉の責任をグラにだけ負わせるのもどうかと思う。それに、グラが考えた末に決めたのなら、僕はその決定に文句はない。それと同じように、グラもまた僕の考えを尊重してくれているのだろう。
とはいえ、ダンジョンマスターというものの影響がどこまで及ぶのか未知数である以上、こういう場合にはグラを通したワンクッションが欲しいとも思ってしまうのだ。僕、グラの意思を蔑ろにしてないよね?
五号くんが虫リザードマンのところに到着する。調整の際に、五号くんの体付きを僕らと同じようなサイズに調整したので、ダンジョンから下水道まで問題なくたどり着けた。本来のサイズだったら、通風孔サイズの通路は通れなかっただろうね。
暗闇のなか、真っ黒に流れている汚水を挟んで、僕らの使者とどこかのダンジョンの使者が対面する。見れば、背後の壁にはいつの間にか、鉄扉が設置されていた。あの先が、相手のダンジョンなのだろう。
一方は虫リザードマン、もう一方は白い肉ののっぺらぼう(子供サイズ)。異形の間に漂う緊張感が、とぷとぷと下水の流れる暗闇を支配していた。
それじゃあまずは、あいさつでもして探りを入れようか。
『どうもこんにちは。本日は、我らがダンジョンに、どのようなご用件でしょうか?』
「我、ダンジョンコア様の、使いで参った。ギギ一〇六号」
片言の虫リザードマンさんこと、ギギ一〇六号さんはそう言って、背筋を丸めるようにしてお辞儀のような仕草をする。奇遇だね、こっちも五号くんで、番号付きだ。ただ、残念ながら五号くんには、お辞儀という仕草がインプットされていない。
礼をもって応対してくれたギギさんに対し、こちらは失礼を返さねばならない。五号くんを調整したグラが、礼儀プログラムをインストールしていなかった点に気付き、ちょっと悔しそうにしている。
今後は、マナー講習をできるくらいのプログラムが、実験体たちに組み込まれる事だろう。
『これは丁寧なご挨拶、痛み入ります。本日は、隣接したダンジョン同士のご挨拶に赴かれたという事でよろしかったでしょうか?』
「違う。我、ダンジョンコア様から、宣戦布告の大任、仰せつかった。謹聴、する、よろしく」
『ああ、やっぱりそうなんだね……』
予想が外れているのを切に願っていたのだが、残念ながらそうは問屋が卸さなかったらしい。まったく、もっと柔軟な商売をしてくれよ、問屋さん。
居住まいを正したギギさんは、体に巻き付けていた布から、一枚の羊皮紙を取り出すと、それまでの片言とは打って変わった流暢な言葉を紡ぎ始めた。
「貴球に対し、戦を宣す。我、孰れ真なる心へと至らんと欲す者。然れども、地上生命輩の卑劣悪辣なる策謀に拠って、大望を阻まれんとす。我は此の機に際し、現況を打開せしむ策を講じるなり。その策に於いては、地上生命輩が呼称せしアルタンの併呑が必須と相成り、相応の代償を費やすに至る。然るに、貴球に非は非らぜど、此の地を得られなば、我餓えて死せん。座して其れを待つを良しとせず、誠に勝手ながら、我ここに正々堂々たる戦にて雌雄を決するを希求するものなり。若し交戦の遷延を期するならば、彼の町より撤退し、時局の打開を図られたし。然もなくば、此れより十日の後に、我の一切の手段を尽くしてお相手仕らん。貴球の賢明と高潔なる判断を期するものなり。以上。ご清聴、かたじけない」
ああ……。もう完全に和解とか無理じゃん、これ……。
向こうはもう、これでもかってくらいに切羽詰まっている。このアルタンの町を併呑する為に、命を賭け代にして行動を起こしている最中なのだ。ここでもし、その目的を諦めれば、それはもう、相手方の死を意味する。こちらに非がない事も、自分の身勝手さも承知のうえで、なおも堂々と宣戦布告をしてきている。
交渉でなんとかできるような段階ではない。
でも、少し疑問もある。
『ギギ殿、少々込み入った事を聞くが、アルタンの町を併呑して、どうやって糧を得るつもりなんだい? ただ町にダンジョンを作ったって、ダンジョンに侵入する人間は増えないだろう?』
「ダンジョン、小さい間、地上生命、いっぱい。ダンジョンコア様、知ってる。でも、ダンジョンコア様、小さくない。いっぱい、地上生命、食える。町全体の地下、版図する。地上生命、引きずり込む」
『なるほど』
片言だから合っているかはわからなけど、最初は町の内部にできた小規模ダンジョンのフリをして、侵入者を誘い込む算段なのだろう。たしかに、人間は小規模ダンジョンを侮っている傾向はある。
ただしそれは、町の外にできたダンジョンに対してだ。町の内部、ないし近郊にできたダンジョンに対しては、人間側の警戒心は強い。その作戦が上手くいくかは、ニスティスと同じくらい、賭けになるだろうな。
『重ねて訊ねるが、地上生命をダンジョンに引きずり込む事なんてできるのかい? モンスターにやらせるにしても、受肉していないモンスターはダンジョン外に出せないだろう? ほかに方法があるのかい?』
「ダンジョンの、構造によっては、できる、ダンジョンコア様、言ってた。前例、ある」
グラを見れば、彼女は首を横に振った。どうやら、それは基礎知識にはない情報らしい。なるほどね。そっちのダンジョンコアにも、独自の情報源があるわけか。
『そうか。質問に答えてくれてありがとう。ギギ殿、使者の任ご苦労。いずれの結果に至ろうとも、お互いに至誠に悖る事のなきようにと、そちらのダンジョンコア殿に言伝を願いたい』
「承った。そちらこそ、使者の任、ご苦労」
そう言って、ギギさんは宣戦布告の羊皮紙を、再び布に巻いたあと、こちらに投げ渡してくる。
いやまぁ、間に下水道あるし、仕方ないとは思うけど、公文書のようなもんだろ。投げるなよ……。
ギギさんは深々と頭を下げると、背後の扉の奥へと消えていった。五号くんをこちらに戻しつつ、僕は考える。
さて、面倒な事になった……。
五号くんは放っておいても戻ってくるので、意識を下水道から研究室へと戻す。
「さてと、プロブレムだ……」
「そうですね。まさか、ダンジョンが我々の敵になるなどと……」
とはいえ、そこにはこちらに対する敵意や悪意があったわけではない。単に、生きる為に必要な行為に、僕らが支障となってしまったという話だった。だから向こうは、生きる為には交渉も妥協もできない。
こちらが取れる選択肢は、ダンジョンを放棄して逃げるか、真っ向から戦うか、だ。
「ねえグラ、ダンジョンがダンジョンを侵略する方法って、どういうものなのか、今度こそちゃんと教えてくれるよね?」
「……はい」
グラは気落ちしながらも、訥々とダンジョンの侵略方法を語った。
ダンジョンの侵略といっても、それは普通にダンジョンを掘削し、その空間を支配するときとそう変わらない。
向こうの空間をこちらの生命力《DP》で満たし、その場を己の支配下にすればいいとの事。
ただし、当然ながら相手はそれに対抗し、こちらの生命力を排除しにかかる。既に己の空間として支配している状況ならば、侵略側の生命力を跳ねのけるのも容易いらしい。
なので、普通ダンジョンがダンジョンを侵略する際には、まずは相手のダンジョンにモンスターを送り込み、物理的に空間を占領する事から始めるようだ。モンスターは己の生命力から生み出されたものであり、その存在が空間の大部分を占める状況においては、相手側の支配力も弱まるらしい。
モンスターが占領した領域をDPで満たし、そこを支配下に置く。それを繰り返す事で、少しずつ相手側のダンジョンを削り取っていくらしい。
一通り聞いて、まず自明の事を僕は口にした。
「これ、僕らのダンジョン勝ち目ないでしょ?」
「…………」
言うまでもなく、僕らのダンジョンには、モンスターが存在しない。モンスターのような存在として、フレッシュゴーレムの三号、四号、五号はいるが、あれは【魔術】の一種であって、モンスターじゃない。
対して、あちらはギギさんを見ても明らかだ。なにせ、番号が一〇六号だったからな。ギギさんの他にも、同種のモンスターが一〇五体いるのか、あるいは倒されるたびに補充した、一〇六体目なのかはわからない。だが、つまり向こうのダンジョンには、それだけのポテンシャルがあるという事だ。
当然、ギギさんの他にもモンスターがいるだろう。
「仮に、実験体を一〇〇号くらい作って相手側を占領したら、そこはダンジョンにできる?」
「不可能です。実験体はあくまでも、魔力の理によって生み出された存在です。生命力で生み出されたモンスターと同列には扱えません」
どうやら根源が生命力か魔力かで、扱いは全然違うらしい。そこら辺の理屈がどうなっているのかも気になるが、いまはいい。
そんな事よりも、いまはこの絶望的な状況をきちんと認識しよう。
「こんなところでも、モンスターを作ってこなかった弊害か……」
「仕方がありません。我々には、人間側にここがダンジョンであるという事実を覚られるわけにはいかなかったという事情がありました……」
「ただ、向こうにそんな制約はない。これまでも、これからも、ね」
つまり、バンバンモンスターを生み出し、こちらに送り込んでくるというわけだ。勿論、これから僕らもモンスターを生み出すという選択をする事も可能だろう。ただそれには、どうしたって僕らのダンジョンが発見されるリスクを伴う。
「向こうはやりたい放題だってのに、こっちばかり行動に制約を負うって、なんか理不尽だよねえ……」
「向こうはむしろ、己の存在を人間どもに認知されたいのでしょう。そうして獲物を誘き寄せ、DPを確保する事こそが、本来の目的です」
「人間たちに、ここで生まれた小規模ダンジョンだと思い込ませ、功名心に逸った冒険者やゴロツキを、一気に取り込みたいという思惑なんだからねえ」
「ええ。向こうも向こうで、そうとうに追い詰められているのでしょう」
冒険者ギルドが確立しているダンジョンの攻略法は、ダンジョンにとっては実に厄介なものだ。実力に応じて、侵入してくる冒険者を制限しているせいで、余分に獲物を得られる機会が少ない。
小規模ダンジョンなど、人間の魔石供給源にされてしまう危険すらある始末だ。
「きっと宣戦布告してきたダンジョンコアも、そうやって追い込まれたクチだろう。だからこの町の住人の生命力を欲し、その存在を延伸させてきた」
「その開口部として、下水道を狙っていたところを、我々が横取りしてしまったわけですか。他の場所に開口部を開けば、いいとも思いますが……」
たしかに、それなら一見、波風立てずに事を収められるだろう。ただ、たぶんそれは不可能だ。
「無理でしょ。お互いに獲物である冒険者を奪い合う形になるし、ギギさんの言う通りなら、あちらさんは町の住人すべてをダンジョンに引きずり込んで、食べるつもりらしい。構造次第でそれを可能にするって話だったけど、だったら、そこに他のダンジョンがあるのは邪魔なはずだ」
「たしかに……」
言った通り、話し合いで解決できる段階ではないのだ。向こうさんはこの計画に、己の存亡をかけてしまっており、その計画はもうかなりのところまで進んでしまっている。いまさら中止なんてできないし、妥協もまた不可能だ。
よし、それじゃあ現状は確認できた。ここからは、これからどうするかだ。
「まず、相手がどこの誰なのかを確認しよう。このアルタンに触手を伸ばしてきた以上、そう遠くのダンジョンだとは思えない。だとしたら、相手が判明すればその規模もわかるかも知れない」
「そうですね。人間側から情報を得られるのは、我々の持つ数少ないアドバンテージです」
冒険者ギルド経由で、周辺のダンジョン事情を調べるのは、他のダンジョンにとっては想定外の事だろう。あるいは、向こうも人間から情報を得ているのかも知れないが、僕らの存在は人間側にも認知されていないので、どこからも情報は得られない。
「次に、対抗策の模索。これは一朝一夕で決められるものでもないけど、開戦までのタイムリミットもあるしね。今日明日中には、モンスターを使って対抗するのか否かくらいは、決めてしまおう」
「はい。眼前の危機を重視し、事後の危険を軽視するのか、あるいはその逆かを決めるのですね?」
「そういう事」
正直、差し迫った危険に際して、モンスターを解禁してしまいたいという思いがある。だが、それが今後際限なく人間を相手にしていく事と同義であると思うと、躊躇してしまう。
ニスティス大迷宮の事を知ったいま、その思いは強い。
「最後に、人間側に対する影響の確認。あの扉、たぶんすぐ見付かるよね?」
「そうでしょうね」
町にダンジョンができた。その際に人間たちがどう動くのか、この際きちんと観察しておこう。
翌日。僕は三日連続で冒険者ギルドを訪れていた。
昨日、二日連続でギルドを訪問していた事から、今日はこないだろうと思っていたらしい受付嬢が「ひぇぇ……」と涙目になっていたが、無視してギルドの資料室まで案内してもらった。
「ショーンさんが、三日も続けてギルドに顔をだすなんて珍しいですね」
今日はセイブンさんはお休みらしく、別の顔馴染みの職員さんにそう言われ、僕は取って付けただけの言い訳をしておく。
「昨日、持って帰った資料に関して、早急に調べたい事項ができたもので。それと、この周辺のダンジョンの情報を集めに。僕も一応、七級ですからね。いずれはダンジョンに潜る予定もあります。あとはまぁ、趣味の一環です」
「それはそれは……。では、本日は資料整理を手伝ってはくれないので?」
「いえ、周辺ダンジョンの情報であれば、むしろ積極的に見せていただきたいですね。その情報を整理するというお仕事であれば、むしろ僕の方からお願いしたいくらいです」
「まぁ、それはありがとうございます」
コロコロと笑ってそう言ったのは、お上品な感じの老婦人だ。彼女は資料室の司書のような仕事を担っている。当然ながら、僕と同じように情報の整理も仕事の範囲である。驚いた事に、この町の冒険者ギルドには、資料を編集、編纂する人材は彼女しかいない。
どうやら本当に、ギルドという場所は人材難らしい。
四時間程資料を眺めて、僕は一つの結論に至る。
「……やっぱり、バスガルだな……」
僕らに宣戦布告してきたダンジョンは、まず間違いなくバスガルのダンジョンだ。
近郊に小規模ダンジョンの発見報告はない。もしかしたら、探せば近場に小規模ダンジョンができている可能性はあるが、ギルドが発見していないという事は、当然人間側から攻勢をかけてもいないという事になる。
あと、小規模ダンジョンは保持しているであろうDPから考えて、そう簡単にダンジョンを横に伸ばそうとはしないだろう。
つまり、敵は人間に発見されている、中規模ダンジョンという事になる。その条件に合致するダンジョンで、最も近いところにあるのがバスガルなのだ。次に近い、ゴルデスケィルの海中ダンジョンという中規模ダンジョンも候補の一つにはあるが、こちらの可能性はかなり低い。
なにせ、アルタンの町からシタタンの反対側にあるウワタンの港町の近郊にあるダンジョンで、アルタンとの間にウワタンもあるような遠さだ。ダンジョンを掘削するのにも、そこをダンジョンとして取り込むのにも、相応のDPが必要になるのに、わざわざそこまで遠くにあるアルタンを狙ったりはしないだろう。
勿論、だからといって完全に候補から外すという事はないが、ひとまず、敵はバスガルであると仮定していいだろう。
「えーっと……、バスガルバスガル……」
バスガルに関する資料は多い。なにせ、ここから一番近い場所にあるダンジョンだ。集まっている情報は、それこそ山積している。
「なになに……」
ダンジョンの主は、どうやら竜のような姿らしい。彼に挑んだ四級冒険者パーティの生存者が、その姿を語っている。上級冒険者からの情報があるという事は、一度ならず討伐計画が持ち上がり、失敗したという事なのだろう。
バスガルのダンジョン。比較的スタンダードな構造のダンジョンで、洞窟タイプ。罠は単純かつ単調な代物ながら、モンスターの数と種類に気を取られると、命取りになる。
モンスターは、爬虫類系のものが多く、最深部付近には竜系のものもいる……、これはギギさんの事かな。虫系はどうなんだろ?
現在は、探索できる冒険者パーティを六級以上に限定し、着実にダンジョンの力を削いでおり、三級以上の冒険者パーティ、もしくは斥候に秀でた特級冒険者に、ダンジョンの主の様子を探るよう、依頼がされている……、と。
もしかして、ダンジョンの主の弱り方次第で、近々ダンジョンの討伐を計画する予定だったのかな……? そして、なりふり構っていられないといった様子のバスガルのダンジョンコアの様子から、着実にその効果は発揮されていた。
だとすれば、もう少し早く着手して欲しかったなぁ……。僕らと関係のない場所で、勝手に決戦してくれてれば、こんな面倒事に巻き込まれる事もなかっただろうに……。
とはいえ、愚痴っていても仕方がない。いまは少しでも多くの情報をかき集め、相手ダンジョンの弱点を探ろう。
「といってもなぁ……」
バスガルのダンジョンは、構造そのものは単純だ。罠もそれ程多くない。障害となるのは、モンスターの単純な物量と種類。いわば、スタンダードなダンジョンだ。
ぶっちゃけ、こういうのが一番厄介なのだ。なにかしらのギミックで成り立っている防衛機構であれば、それを攻略してしまえばいい。以降も、特に脅威にはなり得ない。ウチのように……。
だが、モンスターの大群という相手を無力化するには、単純に殲滅するしかない。面倒だし、僕らのダンジョンにその能力はほとんどない。
ウチは、対人向けの罠しか用意しておらず、モンスターに対する有効性はあまり期待できない。対ダンジョンコア戦に使えるとも思えない。
「どうするかなぁ……」
ここはやはり、こちらもモンスターを解禁するか? いや、それをやっちゃうと、今後町の冒険者を相手にするのがなぁ……。バスガルに勝っても、むしろ危険が増えるんだよなぁ。それでは、本末転倒だ……。
だからといって、このままじゃ手詰まり感が強い。
僕がうんうん唸っていたら、ギルドが騒がしくなっているのに気付いた。どうやら、下水道にできているバスガルの扉が発見されたようだ。
さて、それじゃあ冒険者ギルドはどう動くのか、じっくり観察させてもらおうか……。
「なにがあったのでしょう。騒がしいですね?」
僕は資料室の老婦人に、ギルドの喧騒について訊ねた。
「そうですわねえ。少々騒がしすぎます。見慣れぬモンスターでも、発見されたのでしょうか……」
「見慣れぬモンスターですか?」
「ええ。普段はこの辺りに出没しないモンスターなどが目撃されると、それは新たなダンジョンが生まれた可能性なのではないかと、騒ぎになるのです」
「なるほど。ダンジョンが小規模なうちに発見して、討伐する為ですね?」
「ええ。ですが、それにしては騒ぎが大するぎる気もしますが……」
まぁ、たぶんその予想は外れてるからね。それにしてもなるほど、面白い情報だ。
バタバタと騒々しく駆け回ったり、声を掛け合ったりしているギルド職員の騒音が、ギルド全体に波及しつつある。
「なにかあったのかしら……?」
いよいよ異常を感じたのか、不安そうに老婦人が顔を曇らせる。
「僕が聞いてきましょうか? あなたは、僕のような部外者を残して、資料室を離れられないでしょう?」
「うーん……。お願いできる?」
「ええ、あの騒ぎは、僕も気になりますから」
そう言って、資料室をあとにした僕は、誰か手頃のな人間はいないかとギルド内を歩き回った。だが、残念ながらギルドにおける顔見知りと呼べる存在は、セイブンさんとあの老婦人だけだ。しかも、老婦人に関しては、名前を覚えてない程度の関係でしかない。
初対面のとき自己紹介はされたんだけど、人の名前とか一回で覚えらんないんだよね……。
セイブンさんは今日休みだというし、どうしようか……。見るからに忙しそうに動き回る職員たちを捕まえて事情を訊ねるのは、それなりの覚悟がいる。「見てわかんねんのか、忙しいんだよ!」と言われたら、見てわかるとしか答えようがないからだ。
あ、あんなところに、今朝悲鳴をあげた受付嬢がいる。そういえばあの子、一昨日グラが冒険者に絡まれたとき、なんの役にも立たなかった受付嬢だったな。
「ねえ、これなんの騒ぎ?」
「それがさそれがさ、なんでも町ゃぁああああ!?」
受付嬢が、まるで北斗神拳でも打ち込みかねない悲鳴をあげ、近くにいた職員たちがいっせいにこちらを見る。ピリピリとした職員たちが、無言で放つ視線の刃に滅多刺しされて、受付嬢は「えぅ」とか「ぁう」とか呻いたのち、「お騒がせして申し訳ありません……」と頭を下げた。
まったく、この受付嬢はもう少し、落ち着きというものを持つべきだろう。そうすれば、アドリブにも幅ができるはずだ。
「それで、この騒ぎはなに?」
「は、はい。あの、なんでも、町の中にダンジョンが発見されたとの事で……」
「どこに?」
「聞いた話では、下水道らしいです。いま、中級冒険者のパーティが、詳しいところを調べに向かっています」
「なるほど。それで、この騒ぎってわけか」
「そりゃそうですよ! 町の中にダンジョンが出現するなんて、ニスティス大迷宮みたいなものじゃないですか!? 私もあなたも、死んじゃいますよ!?」
「へぇ、ニスティス大迷宮って、そんなに有名なんですか?」
「へぁ? え、ええ。勿論です。子供の頃なんか、悪い事すると、ニスティスの都みたいに、そこにダンジョンができて、すべてを呑み込んでしまうんだよって、よく脅かされました。ショーンさんは聞いた事ありません?」
「ないですねえ。船で岩礁に置き去りにされた事ならありますが」
「ええ……」
あれはたしか、親父が大切にしていた母さんのコンサートのチケットを、間違って破っちゃったときだ。それを隠してたのがバレて、翌日の漁の間、海のど真ん中に放置されたのだ。
数少ない嫁との逢瀬を邪魔されたからって、子供を島とも呼べない岩礁に置き去りにすんなよとは思う。立派な児童虐待だ。
大海原に小さな岩がポツンとあり、そこにさらにポツンと佇む自分。世界の広さと自分の矮小さを思い知らされる、覚えている限りでは最高に怖い思い出だ。
あとで聞いたら、親父たち漁師の間では、悪い事をした子供は、最初はみんなあそこに連れていかれるらしい。おかしな風習だ。そのうちみんな慣れて反省しなくなるし、やっぱり危ないので最初だけなんだとか。
はぁ、このときの恐怖をきちんと覚えとけば、海辺で寝こけるなんて迂闊な事はしなかっただろうに……。
いや、いまはそんな話をしているのではない。
「それよりも、新しいダンジョンについてわかっている事は?」
「え!? い、いえ、特には……。なにしろ、突然の話でしたから。セイブンさんたち【雷神の力帯】を招集して、できるだけ早期にダンジョンを討伐できないか、上の方で話し合いが持たれてるようです」
「なるほど……」
冒険者パーティ【雷神の力帯】は、一級冒険者率いる精鋭揃いらしい。ダンジョンを討伐するという目的においては、最適な存在だろう。
ただそれも、正しい現状認識があったればこそだ。相手が、できたての小規模ダンジョンだと認識したままでは、おそらく計画は失敗する。
小規模ダンジョンの攻略と、中規模ダンジョンの攻略では、かける費用も人員も時間も、まったく違ってくるからだ。いかな【雷神の力帯】であろうと、近所の猫を捕まえる心積もりで、ライオンを狩る事はできないだろう。
うーん、どうするか……。
上手く人間を利用し、バスガルのダンジョンから身を守れるなら、こちらがモンスターを作り出す必要はなくなるかも知れない。だがそれには、正確な情報が必須となる。
ふぅむ……。仕方ないか……。
「ねえ、お姉さん」
「は、はいっ!?」
「ちょっと、伝言を頼みたい相手がいるんだけど……」
「で、伝言?」
「家主から泥棒へ、ちょっとした頼み事があるから、ってね」
「は、はぁ。ショーンさん、泥棒とお知り合いなんですか?」
「どちらかというと、こっちからはコンタクト取れないから、ギルドを通じて呼び出したいって話なんだけどね」
「ギ、ギルドに泥棒との繋がりなんて、ありませんよ!?」
それはどうだろう。冒険者の中に、強盗や泥棒が混じっているという事実を、僕はいやというほど知っている。
その後、伝言する相手の名前を告げると、受付嬢は首を傾げつつそれを了承してくれた。これ以上彼女から得られる情報もないと、僕は資料室に戻って老婦人に事情を伝える。
彼女もおおいに慌てていたが、残念ながら資料室の司書にこの事態に対応する能力はないだろう。せいぜい、関連のありそうな資料をあらかじめピックアップしておくくらいだ。
そこは僕も手伝おう。バスガルに対応する一助になるだろうしね。
さぁ、それじゃあいよいよ、応戦の準備を整えようか。
冒険者ギルドから帰還した僕は、地下の研究室でグラと話し合っていた。
「モンスターを作るか否か、この話し合いで決めてしまおう」
「そうですね。ショーンはあまり作りたくないようですが?」
「まぁね」
ハッキリ言って、長期的な観点で見ればバスガルと人間、どちらが厄介な敵かと考えれば、それは当然人間だ。人間の有する社会性という武器は、一個のダンジョンで相手にするには、荷が勝ちすぎる。ある程度長期のスパンで、計画的に、集団でダンジョンを討伐にかかる点は、堅実すぎて逆に攻略する方法が思い付かない。
なので、やはり人間に発見されるリスクというものは、できるだけ下げておきたいのだ。
だが当然、バスガルという差し迫った危機を軽視するわけにはいかない。
「なので、僕は今回に限り、人間の側について、バスガルのダンジョンコアを討伐したいと思っている。どうだろう?」
「……そうですね……。それがよろしいかと」
「え? いいの?」
正直、ここで肯定されるとは思っていなかったので、かなり意表を突かれた。
「我々に、なりふり構っていられるような余裕はありません。相手は長い間地上生命を退けてきた、中規模ダンジョン。我々は生まれたばかりの小規模ダンジョン。向こうは多くのモンスターを有し、こちらは一体もいない。戦況は圧倒的に、我々に不利です」
「そうだね」
そうやって、改めて状況を整理されると、絶望的な状況が浮き彫りになるなぁ……。これ、やっぱりモンスター使わずに戦うのって、無謀じゃない? 長期スパンとか言ってないで、眼前の危機にもっと全力で取り組むべきじゃないって気になってくる。
だがどうやら、グラは真逆の考えらしい。
「ただでさえ圧倒的な実力差がある相手です。付け焼刃でモンスターを生み出す正攻法を用いても、戦況を覆せるとは思えません。ですが、私にはその、ダンジョンとしての正攻法以外に、有効な戦法を思い付けませんでした。ですから、ショーンが必死になって考えてくれたその案に、私も賛同します」
「いいの? 人間に味方して、ダンジョンを討つって計画なんだよ?」
「心情的にしこりがないといえば噓になります。ですが、実情として我々は存亡の危機なのです。この期に及んで地上生命の手を借りるのは嫌だなどとワガママを言う方が、矜持に悖る所業でしょう」
「……そっか」
きっと、口にしなかった思いがいくつもあったのだろう。あれだけ地上生命を敵視しているグラが、すんなりとこの案を受け入れたとは思いづらい。おそらくは、ある程度僕の考えを読んだうえで、心の準備を整えてくれていたのだろう。
ならば僕は、その覚悟に見合った策を献上せねばならない。僕は椅子に浅くかけ直すと、グラに向かって話し始めた。
「まず、僕らとバスガルの間には、十日の準備期間が設けられている」
「そうですね」
「だがそれは、あくまでも僕らとバスガルの間に取り交わされた約束だ。つまり、人間の冒険者たちには、関係がない」
「……まさか……」
「うん。その十日の間に、バスガルを侵攻する。できれば、開戦までに倒したいけど、まぁ、中規模ダンジョンを十日で踏破するのは無理そうだから、一ヶ月くらいで討伐したいかな、って」
「…………」
流石に呆れたのか、グラが天井を仰いで黙ってしまった。
まぁ、仕方ないよな。なにせ、ギギさんの行った昨日の堂々たる宣戦布告を、真っ向から踏み躙るようなやり方だ。
「これから十日の間、バスガルには多くの冒険者が侵入するだろう。その冒険者に対抗する為、向こうは侵略どころじゃなくなる」
「もしかしたら、向こうからなにかしらの接触なり、苦情が入るかも知れませんよ? 尋常の決闘に余人が入り込むのは、無粋ですから」
勿論、その場合も考慮している。
「そのときは、全部人間のせいって事にしちゃえばいいよ。こっちは冒険者の動きには一切関知していない、こちらも日々冒険者に対処しつつ、応戦の準備をしているのだから立場は同じだ、ってね」
既に、下水道に新たなダンジョンが発生している事は、ギルドに伝わっている。だったら、僕らはそこに便乗し、ダンジョン討伐に助勢すればいい。
いま必須なのは、できたての小規模ダンジョンだと思っているであろうギルドの認識を、いかに早期の段階で、自然に是正するかだ。まぁその点にも、既に布石は打った。
「もし僕がいないタイミングで、向こうからの使者がきたら、グラが対応してくれる? 立地的に、下水道は人が入り放題で防衛構造が皆無だから、多くの人間に発見されやすい。だから僕らは、開口部を狭くする事で、侵入者の数を絞っているってとこまでは伝えて大丈夫だから」
「なるほど。もしかしたら、開戦の延期を申し出てくるかも知れませんね」
「まぁ、そうなったら上々だけど、たぶん無理だね」
「そうですね。向こうは向こうで、逼迫しているのですから……」
バスガルの詳しい攻略情報は、資料室で集められるだけ集め、頭にインプットして帰ってきた。それを書き起こした書類を眺め、グラがため息を吐く。たぶん、バスガルに感情移入して、その徹底した人間のやり口に、辟易としているのだろう。
バスガルのダンジョンに対しては、ここ数年六級以上の冒険者しか、侵入を許されていない。七級冒険者は、とりあえず下級冒険者から脱却したというだけの、チンピラ紛いもまだ多い為、統率に難がある。六級にもそれなりに、そんな人材はいるのだが、七級に比べれば格段に少なくなる。
六、五級の冒険者が、慎重かつ着実にモンスターを狩り、その魔石を奪取していくとなれば、バスガルの困窮も無理はない。一人を倒す間に、それ以上にDPを消費していれば、いずれは枯渇する。人一人のDP量は個人差が大きいので一概には言えないが、これまで僕らの糧になった人間から得られたのは、健康状態のいいゴロツキがだいたい平均二〇〇KDP、健康状態の悪い奴隷や浮浪者が五〇~一〇〇KDPくらいだった。
最高値は冒険者の中にいた六〇〇KDPなので、もしかしたら一MDPを超えるような実力者もいるのかも知れない。
モンスターを作り出す際に消費するDPはその強さによってまちまちだが、ネズミ系の弱いモンスターは一体あたり約五〇〇DPで、倒された際に魔石を除いて還元されるDPがだいたい二〇〇前後。モンスターを倒され、魔石を回収されると、かけた DPの半分が消えてしまうという事だ。
つまり、モンスター八〇〇体を倒される間に、人間一人を殺さないとDP的には赤字なのだ。勿論、人間がダンジョン内で流血、発汗、排泄、部位欠損したり、生命力や魔力の理を用いてエネルギーを外部に発散したりすれば、その分もダンジョンは糧にできる。しかし、それで得られるエネルギーは微々たるものなのだ。
ネズミ系モンスターだけでダンジョンを作っていれば、八〇〇匹殺される間に一人殺すというのは、無茶なノルマといっていいだろう。勿論、だからこそ多様なモンスターを配置し、数と種類で人間の対応能力を超える波状攻撃を仕掛けるのが、ダンジョンの戦い方ではある。だが、その為にもやはり、多くのDPを要すのだ。
しかも、堅実な冒険者は、名前に反して危険を冒さない。自らの実力に見合った領域まで進んだら、そこで適度にモンスターを狩って引き上げるのを繰り返す。これが本当に、ダンジョンからすれば厄介なのだ。
もっと、功名心に逸るなり利益に目が眩むなりして、無謀な行動をしてくれないと、ダンジョン的には全然美味しくないのだ。
……うん? あれ? いまなんか、ちょっと思い付きかけたんだけど、緊急事態の方に気を取られて引っ込んじゃったな。
グラが人間に抱く恐怖心というのは、きっと僕が軍隊アリとかに抱く恐怖心に近いものがあるのだろう。それが、意志をもって自分に襲い掛かってくるというのだから、恐怖心も一入だ。
『旦那! ショーンさぁん! 昨日約束した、奴隷商に顔を出すって約束、忘れてんじゃないでしょうね!?』
伝声管から聞こえてきた、ジーガの声に僕は慌てて席を立った。完全に忘れてた。
「面倒な……」
僕とジーガは、連れ立って町を歩く。本来なら馬車を呼ぶところだと言われたが、呼んでいる時間が勿体ないので徒歩で向かっている。これ以上面倒事を重ねられると、こちらとしてもタスクオーバーですっぽかしかねない。
そういえば、壁外にでるという予定も、時期未定のまま先延ばしになっている……。この状況じゃ仕方ないともいえるが、僕らのダンジョンが糧を得る為には必要な行動なのだ。どこかで暇を見付けて、外部で糧を得る手段を模索しないといけない。
「そう言わんでくれよ。ショーンさんの手を煩わせるのは悪いとは思うが、こっちとしても【鉄幻爪】シリーズの新展開で、書き入れどきなんだ。できるだけ早く、家事に関する業務を引き継いじまいたいんだよ」
「別に腐る商品でもないんだし、商売はあとに回してゆっくりやれば?」
「なにいってんだ!? 勝機ってなぁ、一度逃がしたら帰ってこねえんだよ! 幸運の神には髭はあっても、髪は残ってねえんだ!」
それはまた、ひどい言い回しだ……。いやまぁ、地球の『幸運の女神に後ろ髪はない』ってのも、どうかと思うけどさ。あったら引っ張んの? 女神さまの後ろ髪をさ。
「はいはい。でもホント、ちゃっちゃとすますよ? 聞いてるかも知れないけど、いまこの町はダンジョンが見付かって、てんやわんやの大騒ぎなんだ。僕だって、いろいろと動かないといけない」
「ああ、なんかそうらしいな……。なぁ、逃げなくて大丈夫か? いまのウチなら、他所でもやっていけるだけの財はある。ここがニスティスの悪夢の再来になる危険があるなら、とっとととんずらこいて再起を図った方が無難じゃねえか?」
「逃げる、か……」
ぶっちゃけ、いまならその選択もアリだ。現在の僕らのダンジョンを放棄し、別の場所で再起を図る。保有しているDP的に、一からの再出発にはなるが、最悪の可能性を考えると、それも悪くないように思える。
まぁ、いまと同規模のダンジョンを作る為に必要な命の量を考えれば、新天地を探すという行為は、軽々に行えるものではないとわかる。これまでに犠牲になったものをすべて、捨ててしまうというのも憚られる。
勿論、いざとなればそうせざるを得ないだろうが……。
「ひとまず、冒険者ギルドのお手並みを拝見させてもらってからだね。なんなら、逃げ出した商人の後釜を狙ってもいいよ? もし事態が終息したら、この町に確固たる足場を築けるんじゃない?」
「ううむ……。流石に資金力が足りねえなぁ……。でも、カベラ商業ギルドを巻き込んで大々的にやれれば……。でもなぁ、博打になるからなぁ……」
「ま、商売に関しちゃ、全部ジーガに任せるから、好きにやっていいよ。資金も好きに使っていい」
「移転費用が足りなくなって、逃げ遅れるかも知れねえぞ……?」
「そのときはまぁ、着の身着のまま逃げればいいさ。大丈夫。裸一貫からここまでくるのに、そう時間はかからなかった。商売に関しちゃ、やり直すのは簡単だよ」
文字通りの意味で、僕は裸一貫無一文から、いまでは屋敷持ちの小金持ちに成りあがった。まぁ屋敷は、ウル・ロッドファミリーからのもらいものだし、権利関係がどうなってるのかいまだに知らないけど、そこそこ儲けているのは事実だ。
むしろ、ダンジョンの方が潰しが利かず、問題なのだ……。
「ま、あんたに言われちゃ、商人も形なしだな……。いや、肩身が狭ぇのは、職人連中かな?」
「どっちも、僕の本業じゃない。お株を奪うつもりはないから、さっさと真似して、僕の負担を減らしてほしいね」
「はぁ……。勿体ねえ。あんたにその気がありゃあ、すぐにでもこの町の筆頭商人にもなれようってのになぁ……」
そう言って嘆くジーガ。まぁ、なにせ裏社会に顔が利くしね。
ただそうなると、アルタンの町における、悪の二大巨頭として名が売れそうで、ちょっと嫌なんだよねぇ……。アルバン? アーバンだったかの後釜についちゃう感じで。いまですら、アンタッチャブルとして遠巻きにされてるってのに、そんな立場はごめんだよ。
「ついたぜ、まずはここだ」
ジーガに案内されてたどり着いたのは、奴隷商という言葉から受ける印象とは真逆の、小奇麗で小ぢんまりとした商家だった。
「思ったよりも小さいな……」
思わず零れた僕の言葉に、ジーガが苦笑する。
「これでも、いまのこの町では最大の奴隷商だぜ。それだけ、アーベンの野郎が幅を利かせてたって証拠だけどな。ま、この町にはここ含めて、三件くらいしか奴隷商はない。いまはそこに、キャパシティギリギリまで奴隷が収容されている。どこも、さっさと手放したくて仕方ねえのさ」
なるほどねえ。収容限界人数まで奴隷を抱え込んだら、それだけ維持管理の費用もかさむ。さらには、新たな商品を仕入れる余裕がなくなる。奴隷商的には、さっさと在庫を片付けて、新たな商品の仕入れと販売にこぎ着けたい。だから、いまが買いどきという事だ。
「ジーガのそういう、機を見るに敏なところ、嫌いじゃないよ」
「へっ。よせやい、照れるじゃねえか」
おっさんの照れ顔とか、誰得だよ。
僕が頬を掻くジーガから顔を背けてため息を吐いたタイミングで、その小さな商家の扉が開かれた。奥には、小太りなのに頬がこけた、実に不健康そうな男がいた。
なんていうか、商売には詳しくないけど、この店員第一印象だけで、この店ダメなんじゃない? って思うくらいには、くたびれ果てたおじさんだった。
「いらっしゃいませ。当ブルネン商会の会頭、アッセと申します。本日はご来店、誠にありがとうございます」
げ……。店員じゃなく、店長だったよ。ますます、ダメな店って感じが……。
「アッセさん、予め前触れが書面で伝えたとは思うが、我が主人は家周りの雑役をこなす人材を求めている。見合った人材は揃えているかな?」
僕の代わりに、ジーガがアッセとかいう幸薄そうな商会長と話してくれる。僕はこのまま「よきに図らえ」と言っていればいいのだ。……ねえ、これ僕いる?
「勿論でございますとも! 当商会で揃えられる最高の人材を揃えましたとも!」
「いや、そういう選りすぐりの人材を求めてるんじゃない。最低限の雑役をこなせて、なによりも家に入れてもいいと信用をおける奴隷が欲しいんだ」
「そ、そうですね。ええ、ええ。大丈夫です。抜かりはありませんとも! 必ずや、ご満足いただける人材をご覧に入れて見せますとも!」
ホント、大丈夫なのこの人……? 絶対、予め伝えていた要望と、違う商品取り揃えてたよ?
疲れ切った小太り中年男に案内されつつ、僕は不安な視線をジーガに送る。ジーガもまた、気まずげに視線を逸らした。どうやら、彼にとってもあの商会長は商売相手としては、不足らしい。
清潔感はあるものの、どうにも調度が古ぼけている印象のある部屋に通されて、アッセと僕らは向かい合って席に着いた。商談開始というわけだ。不安だなぁ……。
「家中の雑役を担う人材をお求めとの事でしたが、具体的にはどのような仕事を任せるおつもりでしょう?」
「掃除、洗濯、使いっ走り、その他諸々の雑用だな。料理はできなくてもいい。読み書きもできなくていい。とはいえ、能力そのものはこの際どうでもいい。いまできずとも、教え込めばなんとでもなる。主人が求めているのは、主家の不利益になるような振る舞いをしない、篤実な人間だ」
「当商会に、主人に不実を働くような奴隷はおりませんとも!」
「こちらとしても、その言が正しい事を願っている」
どうやら、奴隷の質には自信があるらしく、ジーガの言葉にハッキリとした口調で言い返すアッセ。ふぅむ。なんというか、やはり奴隷商というには、毒が薄すぎないかこの人。その職に偏見があるから、そう思うのだろうか?
そんなやりとりをしていたら、コンコンと扉がノックされる。アッセが応答すると、扉の向こうから低い声音が返ってくる。
「会長、奴隷を連れて参りました」
扉越しだというのに、結構な美声だとわかった。渋みのあるバリトンボイスである。
「番頭です。入れ」
「失礼いたします」
先頭で入ってきたのは、色の黒い、鋭い目つきの男。四十代前半くらいだろうか。いや、三十代でもおかしくないな。痩せてはいるものの、そこに頼りなさはない。適度に引き締まっているというべきか。
こちらに向けて深々と一礼すると、奴隷を連れて入室してきた。洗練された立ち居振る舞いといい、自信の窺える表情といい、こちらの方がアッセよりも頼りになりそうだ。
「雑役奴隷をお求めとの事でしたので、健康状態に問題がなく、性格に難のない者を順に連れて参りました。特に教育などは施されておりませんが、その分お求めやすくなっております」
「いまのアルタンは奴隷あまりの状態だからな、それも加味した値段か?」
「勿論でございます」
「ふむ、専門技能を有する人材も揃っているのだな?」
「勿論でございます。ご要望であれば、ご覧いただけますが、いかがいたしましょう?」
「いや、いまはいい。まずは雑役奴隷を見せてくれ」
「かしこまりました」
ジーガとの応答にも淀みなく答えており、まさにデキる男といった風情だ。どうやらこの商会は、会長ではなく番頭の腕でもって切り盛りされているらしい。ジーガも安心したような顔つきである。
そんな事よりも、僕はその番頭がゾロゾロと連れてきた、十数人の奴隷のうちの一人に、目が釘付けになっていた。
色黒な肌に、黒々とした髪と髭。身長は、子供の僕よりもさらに低い、しかしがっしりとした体付きは、僕などよりもはるかにパワーを秘めているのだと雄弁に物語るマッシブな代物。そんな、ともすれば威圧的にも思える風貌ながら、短足なせいで歩くとチョコチョコという擬音を付けたくなるコミカルさ。
そう、これは——ドワーフだ。
ザ・ファンタジーとでもいうべき人種。これまで町で見かけたのは、人間だけだった。だから、こういう人種的なファンタジー要素はないものだと思っていた。
しかし、彼はどう見てもドワーフ。ファンタジーものでは、いつも武器ばっか作っている小さなおっさんだ。
うわ、なんかちょっと感動。リアルで見ると、本当にちっさいなぁ。
「その者がお気に障りましたでしょうか?」
他に連れてこられた者を無視して、ドワーフばかり注視していた僕に、番頭の人が話しかけてきた。抜け目なく、僕の方にも注意を配るあたり、やはりデキる男だな、この番頭。
「いや、気に障ったりなんかしないさ。初めて見たのでね、ちょっと興味深かった」
「鉱人族は本来、もっと西北のジグ・ドリュッセン帝国に住んでいる者ですからね。とはいえ、例外もいます。鉱人族について、説明が必要でしょうか?」
「そうだね、ちょっと気になるし、聞いておこうか」
「かしこまりました」
番頭の説明を要約すると、鉱人族は元来、地中に住まう種族であるらしい。さっきチラリと名前が出た国、ジグ・ドリュッセン帝国は、鉱人族が興した国で、その大部分は山中の地中に存在するとか。地上にある人間の町の方が、他国との繋がりを保つために、後付けで作られた代物らしい。
そういえば僕、この国の名前も知らないな。別にいいけど。
鉱石の扱いに長け、また物作りにおいては、小人族と覇を競う間柄。つまり手先が器用な人種らしい。力も強く、戦士としての適性も高い。また土系統の【魔術】においても造詣が深く、嘘か真か、土妖精ノームの末裔だとか。
こう表現されると万能っぽいが、手先の器用さには個人差があり、パワーはあっても身長と脚の長さがネックとなって、戦士としての使い所は限られる。【魔術】に関しても、きちんと学ばなければ使えない。
眼前のドワーフは、職人になれる程器用ではなく、【魔術】も未履修。故郷であるジグ・ドリュッセン帝国を飛び出し、冒険者になって大陸を旅していたのだが、戦士としても際立った働きはできず、ひょんな事から身を持ち崩して奴隷落ちしたらしい。
うん、普通。よかったよ、そこに変なドラマとかなくて。そういうのに関わるつもりはないけど、なにか深い事情があってやむにやまれず奴隷落ちしたとかだったら大変だった。見て見ぬフリするのも寝覚めが悪いというのに、関わるとガッツリ時間を食われそうだからね。
うん、普通に奴隷落ちした人で良かった。いや、当人からしたら、全然良くはないんだろうが……。
「鉱人族は小人とは違うのかい?」
「鉱人族は、一応妖精族と呼ばれております。口さがない者は、亜人種などとも呼びますが……。小人は人類の一種ですね。この国にも、小人族はたくさん住んでおりますよ」
との事らしい。この分だと、巨人族もいるな。あと、ドワーフがいるなら、エルフもいそうだ。妖精族って事は、ゴブリンやコボルトはどういう扱いなんだろう? 僕、ダンジョンでゴブリンをモンスターとして作っちゃったんだけど……。
ただし、番頭さんが言うには、他の種族は他の種族の領域に、滅多に現れないらしい。大陸の分布的には人類が一番幅を利かせているようだが、人類が滅多に訪れない秘境や、鉱人族のような地中に、妖精族は住んでいるらしい。
あれ? もしかして鉱石人って、地中生命?
「ショーンさん、そいつを買うんですか?」
番頭と話し合っていたら、ジーガが商人モードで話しかけてきた。
「え? いや、別にそんなつもりは……あ、いや、そうだね。なにかの縁かも知れないし、一人はこの人にして」
「了解です。他は、俺が決めてもよろしいので?」
「勿論、万事ジーガに任せるよ。変に口出ししてしまって、悪かったね」
「いえ、ショーンさんの奴隷になる者らですからね、あなたの意向が最優先ですよ」
ジーガがそう言って肩をすくめた途端、奴隷たちの視線が僕に集中した。
これまでは、ジーガの小間使い的なポジションだと思われていたのか、あからさまに無視されているわけではなかったのだが、どこか二の次として見られていた。それが、まさかのジーガの主人という事で、アピールの熱視線が飛んでくるようになったのだ。
面倒なので、ターゲットはジーガに固定させよう。
「ここでは、何人くらい雇う予定なの?」
「このブルネン商会では五人程。他二つの商会で、二、三人といったところでしょうか」
「全部で十人程度?」
よりいっそう、僕に視線が集中する。それだけ、このまま不良在庫の身分に、危機感を覚えているのだろう。とはいえ、僕が養える奴隷にだって限界はある。それは、ここの奴隷商よりも小さなキャパなのだ。
「その予定です。できれば、使用人の統括を担う、家令を任せられる人材も買いたいのですが、専門の技能を有する奴隷は高いですからね……。しばらくはこのまま、俺がやってもいいですし、財布と相談して決めますよ」
それは、さっき言っていた専門技能を有する人材ってヤツか。まぁ、そこは執事であるジーガの領分だ、僕が口出しするような事でもないので任せよう。
「だったら、それらとは別に、ジーガ直属の部下として、君所有の奴隷も一人買っておいて」
「は? いや、俺は別に必要ないですよ?」
「商売に精をだすなら、人手はないよりあった方がいいでしょ。後任を育てるって意味もあるし、なんならそこも専門技能を有する人材を買っていいから」
「うーん……。技能を持ってる奴隷って、高いんですよね……。だったら、一から教え込んだ方が……」
「ジーガ様、当方には読み書き計算を覚えた、十代前半の奴隷もおりますよ? 後任の育成であれば、だいぶ手間が省けるかと」
僕らの会話に、自然なタイミングで割って入った番頭さん。会話を遮らない、絶妙なセールストークだ。
「え? あ、そうか、ここはブルネン商会だったな……。ただなぁ、そんな技能持ちで若い奴隷なんて、高いだろ?」
「そこはもう、噂のハリュー家の御当主であるショーン様と、執事であるジーガ様との面識を得られた点を考慮して、勉強させていただきますとも」
「う、うーん……」
ビジネススマイルなんてスキルを取る代わりに、商才スキルに全ブッパしましたとでも言わんばかりの鉄面皮で、絶妙にジーガのウィークポイントを突いてくる番頭さん。鋭い目付きが、まるで猛禽のようにジーガをロックオンしている。
無事、ヘイトはあっちに移ったな。あとはもう、二人に任せてしまおう。
僕は席につき、すっかり蚊帳の外におかれていたアッセと、世間話に興じる。やっぱり、話題は町のなかにできたダンジョンの件が多かった。
そのできたてのダンジョンを討伐する為に、ダンジョン奴隷を用いるのではないかと、気が気ではなかったらしい。自分が世話した奴隷たちが、消耗品のように扱われて死んでいくのは忍びないと、気に病んでいるようだ。昨日から一睡もできず、食事も喉を通らない有り様なんだとか。
つくづく、なんで奴隷商人なんかやってんだろ、この人。
さらに話を聞けば、このブルネン商会では、本来は商家の丁稚なんかを任せるような奴隷を売っていたらしい。
しっかりと読み書き計算を覚えさせ、買われた商家の為に存分に働き、ゆくゆくは奴隷解放、手にガッチリ職を付けての自立を目標にしているんだとか。まさに、いまジーガに買わせようとしている人材こそが、この商会のメイン商材だったらしい。
だがしかし、いまはアードン——いや絶対違うな、なんだっけ? アーなんとかの奴隷商の在庫を大量に抱え込む事になり、収容人数は限界ギリギリまで抱えこむ事になってしまった。
当然ながらアーなんとかの商品は、ここブルネン商会の奴隷とは違い、専門技能と呼べるものはなく、さりとて全員に教育を施す事もままならない。元来、教育というものには手間も費用もかかるものなのだ。
維持管理費はかさみ続け、いずれは維持費が売値を超えかねない。最終的には、在庫を処理する為に二束三文で売り払わなければならない。そうなれば、果ては鉱山奴隷か、ダンジョン奴隷。
アッセは、同じ人間をこのようにぞんざいに扱ってもいいものかと、良心の呵責に苛まれているようだ。どうやらこのアッセ、というかブルネン商会といいうのは、僕の考える奴隷商というよりも、人材育成学校のようなものだったらしい。
そりゃ、毒がないわけだ。この人、奴隷商というよりも、校長先生なんだもん。商会の切り盛りそのものは、ほとんど番頭が担っており、当人は奴隷たちの教育に注力しているらしい。
そう考えれば、最初の売り文句にも納得だ。本来この商会では、今日僕らが求めるような、安く、なにもできない奴隷は扱っていなかった。もっと手を加え、付加価値を付けた商品を扱う、いわば高級店だったのだ。
それはいってしまえば、八百屋とレストランくらいに違うものだ。きちんと調理して、教養という味を付けた野菜と、まだ土の付いた生の野菜では、価値もターゲットである購買層も全然違う。
ただ、それにしては、ずいぶんと古ぼけた内装だ。どうやら、この町最大手だったアーなんとかのせいで、商いはそれ程好調じゃなかったらしい。
しっかし、このアッセという人物は、一般的には好人物と呼べる人格をしているようだ。
まぁ、だからって奴隷たちの未来を悲観して、ここまで憔悴するのは、やっぱり商人としてどうかと思う。アッセがどれだけ気疲れしたところで、奴隷たちの未来が拓けるわけでもない。
どうせなら、その大量にダブついている人材を活かした、新しい商売でも始めればいいのだ。その方が、ただ気にやむよりも余程健全というものだろう。
あるいは、とっとと解放してしまえばいい。元々はアーなんとかの商品なんだから、懐が痛むわけでもなかろうに。いやまぁ、ただの奴隷を大量に解放したって、その境遇はより惨めなものになる可能性は高いが……。
そんな事を、お茶を飲みながらした会話で思った。総評として、僕、やっぱりこのアッセというおっさん、好きじゃない。優しいんだろうけど、ウジウジしてて、行動力に欠ける。悩むだけで、なにもしてないじゃんと思ってしまう。
「ショーンさん」
「お? 選び終わった?」
「はい。家令を任せられそうな人材一人、雑役奴隷が五人、俺の専属奴隷が一人です」
「そう。じゃあ、行こうか」
「はい」
使った費用は、金貨でだいたい一八二枚。かなりの出費だが、その大部分がジーガの専属と家令の技能を有する高級奴隷であり、それ以外の奴隷の値段は金貨で三〇枚に届かない。
なんだかなぁ。これまでの一月の【鉄幻爪】の売り上げとほぼ同額で、八人の人間が売買されるというのは、元人間としてはどうかと思う。
「予定外の出費が痛かったですね……。なにが勉強だってんだ」
「その分は、僕が【鉄幻爪】を作ってもいい。買い手はまだいるんだろ?」
「そうですね。ただ、ショーンさんの作る、護身用のものの需要は、少し減りそうです」
ふむ。やはり、装飾品としての需要は結構あるらしい。今後は、グラの作るそっちがメインの商品になりそうだ。とはいえ、こっちの需要がなくなったわけでもないだろう。
まぁ、別に他に稼ぐアテがないわけじゃない。【鉄幻爪】シリーズが売れるなら、いまの僕に作れる程度のマジックアイテムにも需要は十分にあるだろう。
その後、二軒の奴隷商から、つつがなく奴隷を身請けして、本日の奴隷商巡りはおしまいだ。なお、最初のブルネン商会で買った鉱人族の他に、小人族と獣人族という、ファンタジー人種がメンバーに追加された。それ以外は、普通の人間の奴隷である。
ジブラス商会は農奴なんかをメインに扱っていたらしく、今回のアーなんとかの騒動でも、買い手には困っていなかったようだ。ここからは一人だけ買った。
もう一方のイシュマリア商会は、ブルネン商会と同じく在庫の処理に困っていた。まぁ、イシュマリア商会は普通の奴隷売買というよりも、言葉は悪いが女衒のような商売をしている商会だった。身売りされた村娘なんかを、いろいろと教育してから、娼館なんかに卸していたようだ。
なお、最初のブルネン商会と同じく、このイシュマリア商会でも、本来の商材の売り込みがあった。まぁ、そういう人材だ。
残念ながら、今回の奴隷商巡りの目的にはそぐわず、またブルネン商会でそれなりに散財していた為、財布に余裕がなく諦めたが。
うん、イシュマリア商会では、なかなかいいものが拝めた……。
僕とジーガは、二人して鼻の下を伸ばしながら、帰路についた。
買った奴隷は全部で十人。ジーガの専属が一人、家令が一人、鉱人族が一人、小人族のハーフリングが一人、黒豹の獣人族(※ただしアルビノ)が一人、その他人間が五人だ。
正直、黒豹のアルビノ少女は、衝動買いが過ぎたかと思う。いやだって、レアってそれだけで欲しくなるじゃん? まぁ、レアはレアでも、迫害されて集落を追い出される系の特異さであり、その辺を考慮して売値もめちゃめちゃ安かった。
じゃあなにが問題かといえば、それなりにストーリーを背負ってそうなところなんだよなぁ……。関わりたくない……。
黒豹の獣人の集落に生まれた、アルビノ少女。波乱万丈の末に、奴隷として売られる。ドラマや漫画なら、かなり心惹かれる導入だが、いまは復讐譚にも成り上がりストーリーにも、関わっていられるような余裕はない。
どうしても劇的な人生を送りたいなら、奴隷から解放されたあとで、僕と関わりのないところでやって欲しい。
ひとまず屋敷についた僕とジーガは、奴隷たちを屋内に案内する。
我が家は、エントランスからして、少々変わった作りになっている。なにせ、玄関を開けてまず目に付くのが、閉ざされた大きな鉄扉だ。重厚なその扉には、数多の骸骨、インプのような羽悪魔、それらが見下ろす先で苦悩にあえぐ人々が炎に炙られている様が、実におどろおどろしく描かれている。ロダンのあれとは違うが、まさしく【地獄門】といった雰囲気だ。考える人はいないが。
そして、扉のある床にはダンテの名文が刻まれており、見る者の恐怖心を否応なく煽る仕様になっている。その先にあるのは、多くのマフィアたちが二度と登る事のなかった、地下への階段である。
そんな光景を目の当たりにした新入りたちが、八岐大蛇に睨まれたアマガエルのような顔で、微動だにしなくなってしまう。まぁ、ロダンとダンテのダブルパンチだからな。そりゃあビビるだろう。
もう慣れているジーガと僕は、そそくさと扉の左の廊下へと向かう。
「まずは、この屋敷に住むなら、絶対に知っておかなければならない場所に、案内しようと思う」
「そうだなぁ。俺も、それがいいと思う」
僕の言葉に、ジーガが頷く。
「ただ、俺はキュプタスの爺に、使用人用の飯を作るよう、人数を伝えてくるぜ。元々人が増える事は伝えてあったが、具体的な人数は知らねえはずだからな」
そう言って、ジーガは廊下の先へと消えていった。それからややたって、ようやく使用人たちが動けるようになり、僕の元へと駆け寄ってきた。さて、じゃあ案内しようか。
この屋敷で、真っ先に案内すべき場所はどこか? 使用人たちの寝床? 否。料理を作る調理室? そんな場所に、今日知り合ったばかりの他人を入れる程、危機感は欠けていない。僕らの研究室、資料室、実験室諸々がある、地下ダンジョン? そんなわけはない。
この屋敷に住むなら、まず真っ先に知っておかねばならない部屋。それは――パニックルームだ。
「はい、じゃあ新しい住人のみなさん、早速ですが避難訓練を開始します!」
「「「…………」」」
十人の奴隷たちから、無言の視線が集中放火される。流石に気圧される思いだ。僕は彼らに背を向けて、左側の廊下を歩きつつ、説明を続ける。
「えー、この家は、月に一、二回の頻度で、襲撃があります」
ざわりと、戸惑うような声が背後から聞こえたものの、すぐにその騒ぎは沈静化する。どうやら、家令として買い上げた、渋めの五十代男性であるザカリーが、落ち着かせてくれたようだ。
そのザカリーが、奴隷たちを代表して、おずおずと訊ねてくる。
「ご主人様、襲撃というのは、どの程度のものなのでしょう? 誰が相手なのかは、わかっておられるのでしょうか?」
「ああ、ご主人様はやめてね。この家の主人はたしかに僕だけど、君たちは僕と一緒に僕の姉にも仕える身だから」
というか、僕の事は適当でいいけど、その分グラには気を使って欲しい。彼女の人間嫌いを、少しでも緩和できるように努めてもらいたい。
「かしこまりました。それでは、ショーン様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「うん、そうして。襲撃に関しては、相手はまちまちだね。大抵は、この町に勢力を伸ばそうとして、僕らにちょっかいをかけようとするマフィア。だから襲撃の規模も、相手の人数も、その都度違う」
「それは……、例の騒動の結果という事ですね……?」
「そういう事」
どうやらこのザカリーは、僕とウル・ロッドとの抗争について、事前に知っていたらしい。そして、そのせいでアンダインとやらの元から、各所をたらい回しにされた奴隷たちも、事件そのものは知っていたようだ。
だがザカリーと違って、まさか自分たちを買った僕が、その元凶だとまでは気付いていなかったらしく、驚きと恐怖の視線が僕に向けられる。
唯一事情を知らなそうな、ジーガの専属奴隷たるディエゴ君だけが、きょとんと首を傾げていた。御年十三歳の、くりんくりんの金髪が特徴な、青い目の純朴そうな少年である。こんな若い身空で、奴隷生活を強いられているのかと思うと、ついつい同情してしまうのだが、当人はそれを全然悲観していないようだ。
おそらく、ブルネン商会で手厚く、大事に育てられてきたのだろう。
「な、なぁ、そうなったら俺たちぁ、どうしたらいいんだ? 敵に降っても、許してくれんのか? それとも、命をかけて戦えってか?」
ドワーフのダズが、不安そうな顔で問いかけてきたので、僕は苦笑しつつ、その案の危うさを教えてあげる。
「その場合の対処法を、これから教えるのさ。避難訓練って言ったろ? 命をかけてまで、敵に対処する必要はない。それは、僕らの仕事だ。あと、敵に降るのは、あまりおススメしない。なぜなら、これまで僕の家を襲撃した連中は、そのほとんどが全滅、ないしは壊滅している。敵に付けば、君も同じ末路をたどりかねないよ?」
僕の言葉に、ザカリーやダズ、その他全員が絶句してしまう。まぁ、下手に敵の手に落ちると、ダンジョンの露払いとして使い潰される可能性もあるし、本当におススメできない選択だ。
「さて、では隠し通路だ。廊下の一部が、こういう隠し扉になっている」
僕が廊下の腰壁の一部を叩くと、そこがキイと音を立てて開く。この隠し通路は、あの地獄門の裏から屋敷を真っ二つに分断するように伸びている。まぁ、奥でUターンする形で繋がってはいるが。
異常が起きた際にも、廊下にさえたどり着ければ、隠し通路に逃げられ、その奥のパニックルームにも辿り着けるという寸法だ。
廊下よりも一段低くなった通路に降り、後続を待つ。
「うわっ、なにこれおもしろーい」
まるっきり子供に見え、また言動も幼いくせに、既に三二歳であり立派な大人である、ハーフリングのウーフーが、ぴょんと隠し通路に降りてきた。身長も、僕やディエゴ君とさして変わらないが、これでも大人である。言動に関しても、ディエゴ君の落ち着きには遠く及ばない。
「見てわかると思うけど、ここは一般的な成人男性が武器を振るえるような広さじゃない。だから、もしここに敵が侵入しても、先にある隠し部屋で待ち受ければ、問題なく対処できるはずだ。勿論、隠し通路を知られない事が最善だけどね」
「ボクやダズだったら、この狭い空間でも戦えそうだけどね?」
ウーフーの言う通り、小柄なドワーフやハーフリングであれば、人間よりも有利に立ち回れるかも知れない。とはいえ、それも相手次第だろう。
「ああ、そうだな。そんときはまぁ、俺が矢面に立って守ってやるが、旦那の言う通り、この隠し通路は敵に気付かれねえのが最良だぜ?」
「そうですね。敵の人数によっては、いかに有利な状況でも、負ける恐れは十分にあります。また、武器を持たずとも【魔術】を用いる敵もいるのですから、過信は禁物でしょう」
ダズのあとにそうしめたのはザカリー。さっそく、家令として使用人たちを統率してくれているらしい。
壁に取り付けてあった燭台を取り外すと、グラに作ってもらった火熾しの装具で蝋燭に火を付ける。隠し扉から入ってくる光のみが光源だった隠し通路に、ぼんやりとした明かりが灯る。
「さて、じゃあもう少し歩くよ?」
パニックルームは、もう少し先だ。
「ねぇねぇ、ショーン様。ショーン様って、本当にあの【白昼夢の小悪魔】なの?」
オレンジ色にも見える特徴的な赤毛を揺らして、ウーフーが問いかけてきた。
「なんかそう呼ばれているらしいね。小悪魔とか、もっと可愛い女の子に付けろよって思うんだけどね」
「あははは、なにそれ。そんな不名誉なあだ名付けられたら、女の子は怒るんじゃないの?」
なるほど、どうやら価値観が違うらしい。よく考えたら、【神聖術】とかある中世っぽい社会であれば、地球よりもよっぽど信心深くてもおかしくはない。信心深さが、直接魔力の理の効果に影響するんだもんなぁ。
って、そんな社会で小悪魔ってあだ名を付けられた僕は、どんな目で見られてんだって話だ。
「これ、ウーフー。いくらなんでも、失礼が過ぎますぞ。我々は、ショーン様の奴隷。いくらショーン様がお優しかろうと、主人を軽んじるような振る舞いは、このザカリーの目が灰色のうちは、許しませんぞ」
いや、それかなり白に近いような……。
「いいさ、ザカリー。ただ、ウチの姉に同じような態度で接するのは、許さないけどね?」
「ひっ……」
おっと、ウーフーの隣でこちらを見ていた、ディエゴ君の方をビビらせてしまった。大丈夫だよー、グラに舐めた態度取らなきゃ、僕、比較的仕えやすい主人だと思うからー。
なんというか、こういう純真無垢な少年に嫌われるというのは、心にくるものがあるからね。ディエゴ君のご機嫌は、できるだけ損ねたくないと思ってしまう。
主従逆転してない?
「ところどころ、別れ道があるな。そっちにゃあなにがあんだ?」
狭い隠し通路に入ってから、ダズはむしろ元気になったような気がする。元々地下で生活する人種らしいからな、鉱人族って。
「他の場所や二階から、この隠し通路に避難する為の道だね。詳しい場所はジーガに聞いて」
広いといっても、大豪邸というわけではない。目的地であるパニックルームには、程なくしてたどり着いた。
「はい、ここが最終目的地のパニックルーム」
狭い通路にふさわしい、小さな扉。所々に穴が開いてはいるが、見るからに頑丈そうな鉄扉である。穴は当然矢狭間であり、この扉が彼らの身を守る最後の壁となる。
そんな扉を開き、さらに奥へ。
「へぇ、意外と広いね。それに、矢とか剣とか、武器も用意してるんだ!」
「これ、ウーフー!」
僕のあとに駆け込んできたウーフーを、なんとか落ち着かせようとするザカリー。これから大変そうだ……。
パニックルームは、特筆するようなものはなにもないただの部屋だ。緊急時用の食料や武具、防寒用の毛皮や予備の衣服があり、それなりに雑然としてはいるが。まぁ、月に一、二度はジーガやキュプタスが利用するので、一通りの物は揃っている。
あとは、きちんとトイレもあるし、地下から僕の声を届ける為の伝声管も備わっている。通風孔もあるので、空気が澱む事もないだろう。
「非情食も用意してあんだな。ネズミとかに齧られかねねえ保管法だが……」
地下生活に一家言ありそうなダズが、食べ物が保管されている棚を確認してから、誰に言うでもなくそうこぼした。
「ショーン様、もしもここまで敵に迫られたら、どうすれば良いのでしょう?」
ディエゴ君が緊張と、多少の恐怖を滲ませる顔で、そう問うてきた。たぶん、真面目に仕事をしようとする心意気と、もしも本当にここまで追い詰められたらという恐怖心が混ざった顔かな。
生真面目そうな印象に違わぬ姿勢だ。
「最悪の場合、ここに通じる道を塞ぎ、地上に向けて脱出する道は用意している。ただ、不可逆の脱出方法なので、本当の本当に追い詰められた場合を除き、その手段を用いる必要はない。ただのマフィア程度が、ウチの地下施設を突破できるはずがないからね。君たちは、ただここで嵐が過ぎるのを待っていればいいよ」
安心してもらおうとそう言ったのだが、なぜかディエゴ君は口を引き結び、プルプルと震え出してしまった。どうにも、彼には僕が怖い人に見えているようだ。これから共に生活していく間に、その誤解を解けるといいと思う。
まぁたぶん、共に生活するという程、顔を合わせる事もないと思うけど。
「なるほど。狭い通路を進むにゃあ、人族の男だと一人矢面に立って進まにゃならん。そんななぁ、いい矢の的ってわけだ」
扉の矢狭間を覗いたダズが、面白そうに呟く。間近に迫られても、そこから剣や槍なんかを突き入れれば、簡単に相手を倒せるしね。狭い場所で使えない長槍が、わざわざ持ち込まれているのも、それが理由だ。
扉そのものは頑丈な鉄扉であり、そうそう簡単に破壊はできない。狭い地下通路で敵は、この扉を一人でこじ開けなければならないわけだ。
……というより、実はここも、ウチのダンジョンなのだ。だから扉も、ダンジョン基準の頑強さを誇っている。
絶対に壊せないとまでは言わないが、手段は限られるし、それをあんな狭い隠し通路で行えるかと言えば……、まぁ、保身を考えなければいけるかも知れない程度の懸念だ。
「ショーン様、ショーン様! たまにこの隠し通路、探検してもいい!?」
ウーフーの言葉に苦笑しつつ、頷いてやる。まぁ、探検する程分岐があるわけじゃないけど、やりたければやってもいい。ただし、来客中は厳禁だ。
この隠し通路の存在が、他人に知られる危険は、できる限り避けなければならない。
「なぁ、もしも差し支えがねえならよ、俺の寝ぐら、ここにしてもいいか? なんか落ち着くんだよな……。勿論、備蓄を管理する仕事も担うからよ!」
ダズの進言に、なるほどそういう役も必要かと思い至ったが、その辺はザカリーやジーガと相談しつつだな。家事の為に雇ったのだから、そこから外れるような業務内容を、僕が勝手に決めるのは憚られる。
「しょーんさま……」
鈴を転がすような、愛らしくも儚い声音に振り返る。そこには、黒豹獣人のアルビノ少女、イミが不安そうな顔で、こちらを見上げていた。
「てき、たおしてくれる? イミ、いじめられない?」
親から言葉を教えられず、九歳になるいまも舌足らずな喋り方をする、あまりいい意味ではない名を与えられた彼女は、己を害す他者の存在に非常に敏感だ。イシュマリア商会でも、手厚く守られていたわけではない。
教育が行き届いていない彼女に、これまでの僕の言葉がどこまで通じただろう。もしかすれば、襲撃があるという部分しか、理解していないかも知れない。
だからこそ、僕は彼女の不安を払拭する意味も込めて、力強く頷き、口を開く。
「大丈夫。僕は、自分の家族と仲間を、絶対に守ってみせるから」
決意を込めて、そう言った。




