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一章 〈1〉

 〈1〉


「ふぁああ……」


 僕は大口をあけて、盛大にあくびをした。

 残暑もいい加減退散しきり、冬もまだ遠い、気持ちのいい秋晴れ。こんな日は、のんびりと趣味の釣りをするに限る。

 夏は暑すぎ、冬は寒すぎる。春は秋と同じく、気温的にはいいのだが、学生にとって春というのは忙しい時期でもある。そうこうしている内に、梅雨になったり、台風がきたり。なかなか趣味を楽しむ余裕がない。

 そこをいくと、やはり秋だ。テストさえやっつけてしまえば、こうしてまったり釣りができる。

 今日みたいな気持ちの良すぎる日は、ちょっとまったりすぎて、眠くなってしまう程だ。


「まぁ、それも仕方ないか」


 柔らかな日差しに、穏やかに凪いだ大海原。そこに聞こえる、遠いうみねこの鳴き声と、さわさわとやわらかい潮騒の合唱は、睡眠効果のデバフ呪文と大差ない。


「ふぁぁあああ……」


 僕はもう一度あくびをすると、ウトウトしつつも、堤防から釣り糸を垂らし続けた。


――そして、目が覚めたら、建物の中にいた。


 閑散とした屋内、煉瓦造の壁、所々に板の床が残る、剥き出しの土の地面。壁は崩れかけているし、内部もかなり埃っぽく、人の住んでいる雰囲気じゃない。見るからに廃墟だ。

 ワケがわからない!!

 だから僕は、こう問うた。


「え!? な、なにコレ? どういう状況!?」


 すると、まるでその問いに応えるように、頭に直接、女性の声が響いた。


「状況の説明を開始します。ここはアルタンの町と呼ばれる、地上生命体――主に人間の活動する拠点です。本来ダンジョンコアは地中で誕生しますが、あなたのように生物型のダンジョンコアは、性質上地表付近に生を受ける場合があります。なので、現在地が地中でない事を不安に思う必要はありませんよ。さぁ、早速、地面を掘りましょう」


 つらつらと述べられた声は、なんというかクールな声音だった。だが、怜悧な印象なのに、どこか母や姉のような、文字通りの意味での親近感を覚えたのが、自分でも不思議だった。


「ダ、ダンジョンコア? どういう事?」

「質問の意図が不明です。ダンジョンコアは、ダンジョンコアです。イデアから生まれ落ちる、精神生命体の一種であり、あなたの事です。それ故に、ある程度の基礎知識は、誕生と同時にイデアから写し取っているはずです。あなたの基礎知識には、欠損があるのですか?」

「き、基礎知識?」


 そんな事を言われても、その基礎知識とやらがなんなのかさっぱりわからない。僕が聞きたいのは、ここがどこで、どうして僕がここにいるのかだ。

 ダンジョンだのダンジョンコアだの、フィクションじみた彼女の言葉を、頭から疑ってかかるつもりはない。なにせ、現在進行形で、テレパシーで話しかけられているのだ。多少混乱はしているが、荒唐無稽な話も、バカバカしいと一笑に伏せない状況である事は認識している。

 付け加えるなら、ライトノベルや漫画、アニメで訓練された現代男子高校生は、その程度で無様におたついたりしない。

 だが、それにしたって唐突に状況が変わりすぎだ。どうにも直前の記憶が曖昧なのだ。

 親父が酔っ払って記憶を無くした際に、グダグダとしていた言い訳が、まさにいまの僕の状態を遺漏なく表しているだろう。曰く、頭に靄がかかったように思い出せない、だ。

 なにか原因があるはずだ。思い出せ。思い出せ。テストで、前日絶対にノートに記したはずの一文を思い出すくらい真剣に、僕は自分の脳みそに命令を発する。

 微睡みに捕捉された夢のように、取りとめもなく茫洋とした記憶を浚う。


「そう、あのあと……、あ――ッ!」


 なにかを感じ、目を覚ましたんだ。振動だったのか、音だったのかは、その後のパニックに流されて、もうわからない。

 気付いたときには、目の前に高く白い波が――その後は、わけもわからず波をかき分けようとした。だが、海水が僕を引っ張る力はあまりにも絶大で、天地を見失った僕はどこを向いているのかすらわからず、視界が何度も、青い空と、黒い海中で切り替わる。目に入る海水で歪む視界、身体中を掴まれるような波の感触、あまりにも巨大な力の奔流に押し流され……――そこでまたブツりと記憶が途絶えている。

 そして、僕はここで目覚めた。もしかしたら、僕は高波にさらわれて、あそこで命を落としたのか……。

 はぁ~~……、マジかぁ……。はぁぁぁ……。

――……五分経過。落ち込み終了。気を取り直そう。

 非常に残念だし、あれを不慮の事故というには、不運の割合が大きすぎると思う。ただまぁ、それでも結局、油断した僕が悪いのだ。

 海釣りというものは、いや、川釣りもそうだが、山登りやスカイダイビングのように、自然という絶大な存在を相手にする趣味だ。ひょんな事で、死神と鉢合わせする可能性は、常に意識していなければならなかった。

 危険は承知のうえで、注意を払っていてなお、唐突に人生が終わってしまうという可能性を、覚悟してはいた。だからまぁ、死そのものについては、受け入れよう。受け入れ難くはあるが、受け入れざるを得ない。


「うん? なんだこの記憶……?」


 完全に途絶えたと思っていた今際の際の記憶には、なんと続きがあった。とはいえ、この記憶は本当に曖昧で、飛び飛びだった。それこそ、夢のように現実感がなく、記憶した光景そのものもぼやけている。

 もしかして、全体的に僕の記憶が不鮮明なのは、この記憶のせいか?


 海に引きずり込まれ、陸上でも泳ごうとしていた僕は、なにかの列に並んでいた人の足に、藁をも掴む思いで縋りついた。疲れた顔のおっさんの足だった。いまにも過労死しそうな程に、不健康そうな印象を受ける顔だった。

 おっさんは、非常に無気力だった。必死になって足にしがみついた僕を、注意するわけでもなく、振り払うわけでもなく、ぼーっと眺めていた。

 やがて、周囲に水がない事に気付き、僕はおっさんの足から手を離した。そして、なぜか列の流れに乗って、前に進んだのだ――って、これ割り込みじゃん! なんでそのとき、気付かなかったんだろう。普段、こういう事はしない主義なんだが……。

 というか、この辺りの記憶が特にぼやけていて、どうして列に並んだのかとか、どこへ向かうつもりだったのかとか、全然わからない。

 列が進んでいき、受付? のような場所に、ちょっとふくよかで、なんだかくたびれた格好のおばさんがいたんだ。

――で、こう言われた。


『はい、次の方ー。えーっと、あなたの前世は針生はりう紹運しょううんさん、人間ですね。あなたの来世は、えーっと……第6n412ダンジョンマスターですね。では、良い来世を。はい、次の方ー』


 それだけ言って、僕の記憶は再び途切れた。



「――って、もっとなんかあるだろうッ!?」



 別に神様だの天使だのに導かれて、特別な扱いを受けたかったわけじゃない。だが、だからといってここまで流れ作業だと、文句の一つも言いたくなる。お役所仕事というより、もはやベルトコンベアで運ばれる商品だ。

 どうやら本当に、僕はこんな適当な流れで転生したらしい。ふざけんな!

 死んだのはいい。仕方がない。転生したのも、ある意味では幸運だった。記憶を持ったままの転生だ。謂わば人生のコンテニューだ。

 だが、この雑な対応には納得できない。別に、良くある転生モノみたいに、チートじみた異能が欲しかったわけじゃないが、これはあんまりだ。

 はぁ……。うん、ちょっと落ち着いてきた。

 まぁ、地球上で一日に死ぬ人の数を思えば、あの対応も仕方ないといえば仕方ない、のか? 死後の世界や転生に、特別ななにかを期待した僕が悪い……のかなぁ?


「でもせめて、来世――つまりいまいるこの世界の情報とか、ダンジョンマスターとやらについて、聞きたかったッ!!」

「ダンジョンコアの異常行動を確認。初期不良と推定。同胞の安全保持の観点から、自壊を念頭に、状況の改善を検討。できるだけ広範囲に、地上生命を巻き込む形での自爆を推奨」


 冷たい声音が頭に響き、僕はにわかに慌てだした。


「うわぁー!? ちょっと待ってちょっと待って!! 大丈夫、初期不良は改善した。僕はもう不良じゃない。ガリ勉の真面目くんだ!」

「言動の整合性が取れません。コミュニケーションの維持を断念。改善策の大半に、成算が見込めなくなりました。自爆シークェンスに移行します」

「中止中止! 大丈夫、話せばわかる、話せばわかるから!! コミュ力ならそれなりにあると自負してるから!」

「……自爆を中断。ダンジョンコアの状態を確認します。頭は、大丈夫ですか?」


 うん、真面目なトーンでそう聞かれると、非常に居た堪れないんだけど……。でも、ここで迂闊な受け答えをすると、またぞろ自爆とか言い出しかねない。

 オーケーオーケー、大丈夫。堤防で釣り人のおじさんたちと培ったコミュぢからなら、僕はそれなりのものだ。女性に対するコミュニケーション能力に、若干の不安材料が残るものの、やってやれない事はない。


「うん。よし。じゃあ、まずは自己紹介といこうか。僕は針生紹運。あの高橋紹運と同じ名前の紹運だ」

「自己紹介ですか? わたしはあなたの一部であるので、わたしもショーンという事になりますが」


 自己紹介フェーズから失敗……だと!?


「僕の一部?」


 どういう意味だろう。って、え? ちょっと待てその前に、この子が僕の一部って事は、さっき勝手に自爆しようとしたのは、彼女ではなく僕って事になるの? しかも、今後もこのマッドサイエンティストよりも安直に自爆ボタンを押しそうな人格が、僕の中にあるって事? なにそれ怖い。


「それよりも、ハリュー・ショーンもですがタカハシ・ジョーンという名詞はわたしの基礎知識にありません。そもそも、ショーンとジョーンがなぜ同じ名前なのかがわかりません。あなたの基礎知識には、なにかしらのエラーが存在しませんか? 無様を晒して地中生命の誇りを汚す前に、自爆して尊厳を保ちますか?」

「なんでそんなに自爆したがってんの? 僕が自爆したら、君だって死ぬんでしょ?」

「誇り高きダンジョンは、惨めに生き延びるよりも、潔く散る事を選びます。まして、ここは地上であり、人間種どもの拠点の内部。地上生命共にその骸を晒すくらいならば、一切合切を灰塵に帰すのが上策かと」

「うん。上策という言葉の意味が、僕の知っているものとは真逆らしい。それは下策だ」


 どうやらこの声の主は、随分と誇り高く、それにも増して潔癖症な人物らしい。僕の一部という事だが、僕がやめろと言っても一向に自爆をしたがる。二重人格になった気分だ。


「まず、頭から話を整理しようか」


 自己紹介フェーズを失敗してしまった以上、それ以前の段階として、お互いの共通認識を確立しておこう。なんか、言葉は通じる宇宙人とコミュニケーションを取ろうとしている気分になってきた。いやまぁ、未知の存在という意味ではどっこいか。


「はい。それが良いでしょう。正確な状況判断が、正しい目標策定を可能とすると推奨します」

「じゃあまずは、僕はダンジョンマスターとして転生した。これはいいよね?」


 こういってはなんだが、前世の創作物ではよくある展開だ。現代のサブカルにどっぷり浸かった若者は、転生ごときで狼狽えたりはしない。

 まぁ、いきなり王様の前に召喚されたあげく、不敬を働いて物理的に首にされる危険性も帯びているので、必ずしも慣れればいいというものでもないだろうが……。


「? 転生ではなく、誕生では? それに、ダンジョンマスターではなく、ダンジョンコアです」

「あれ? こんな初歩の初歩からも、状況認識に齟齬があるのか? ダンジョンコアとダンジョンマスターって違うの?」


 いくらなんでも、コミュニケーションが難しすぎる。僕は第うんたらかんたらダンジョンマスターとやらに転生する、とおばさんは言っていたはずだ。


「ダンジョンマスターという存在の定義が不明です。ダンジョンの支配者という意味であれば、たしかにダンジョンコアはそう呼べる存在です。しかしそもそもダンジョンコアとは――」


 話が長い。

 要約すると、ダンジョンとは生き物であり、半分神様のスゲー存在だから、本来は地上生命である人間なんぞに殺されていいようなもんじゃない。でも、不運にもそんな人間どもの町の中で誕生してしまったダンジョンコアが僕。このままでは、人間に狩られ、解剖され、ダンジョン的にはすごい惨めな末路を迎えかねない。そうなる前に、レッツ自爆!!

 って事らしい。いや、要約しても長いよ。そのうえ、専門用語が多すぎて理解も追い付いていない。

 僕は首を傾げつつ、声の主に問いかける。


「ダンジョンマスターって言葉に聞き覚えはない?」

「ありません。ショーンの基礎知識には、そのような情報が?」

「基礎知識? うーん、そう言って言えなくもないのか?」


 前世の記憶を基礎の知識というなら、たしかに僕の基礎ではあるのだが……。

 それよりも、僕は天使のおばさんの言っていたダンジョンマスターと、声の主の言うダンジョンコアの違いが気になる。天使のおばさんと声の主が、同じものを違う呼称で呼んでいたというだけなら、大過はない。だが、ここでボタンを掛け違えると、後々まで尾を引きそうな気がする。

 ここは慎重に、確実に、共通認識の確立を図ろう。


「僕、前世の記憶があるんだけど、それは君の言う基礎知識とは違うのかな?」

「……前世の記憶ですか? 再度自爆シークェンスを開始。ショーン、あなた、頭は大丈夫ですか?」

「さらっとまた自爆しようとすんな」


 針生紹運だったという自覚はある。生前蓄えた経験や知識も、一応残っている。ただ、いい加減寝起きという段階は過ぎたというのに、前世の記憶はぼんやりとしか思い出せない。

 やっぱり、あの列に並んだ辺りから、記憶に靄がかかっているのだ。そういえば、列に並んでいる間、誰とも会話した記憶がない。

 社交的とまではいえないが、せめて足にしがみついてしまったおじさんに謝ったり、状況を訊ねる程度のコミュ力は、僕にだってある。それに、列に割り込むという、普段なら絶対しない事もした。

 あの、列に並んでいるときの記憶が、特に朧げなのだ。まるで、二、三度消しゴムをかけたノートのように、断片的にしか思い出せない。

 もしかしたら、本来はあの列は、記憶を漂白する場所だったんじゃないか? あの列で、記憶をリセットし、自我をなくして、来世に旅立つ為の準備を整える場所だったとしたらどうだ?

 だから、あの列に並んだあたりから、記憶も曖昧になり、自発的になにかをする事もなかった。だから、あのおじさんはあんなに無気力だったと考えれば……。仮説でしかないが、それなりに説得力のある話ではないか?

 そして、列に割り込んだせいで、僕は中途半端に記憶を消された状態で、転生してしまったとしたら?

 だとすると、おばさんの適当すぎる扱いも、ある程度納得はいくのだ。記憶も自我もない相手なら、おざなりな対応になってもおかしくはない。

 ならば、この成熟した人格と現代レベルの知識は、前世の存在証明になるのではないか? そう、たとえば知識チートじみた、文明を一足飛びにする知識とか!


「でもホラ、僕生まれると同時に、会話もできるし結構高度な思考もできるだろ。これって転生の証じゃないの?」

「イデアから生まれ落ちるダンジョンコアは、生まれた瞬間より己がなんであるのか、己がなにをすべきなのかを知っています。それが基礎知識です。当然、個体差はありますが、自発行動ができる程度の思考は、生誕直後から可能となります」

「え? マジで?」

「マジです」


 転生あるあるで、幼少の頃から成人並の知識と思考が可能っていうわかりやすい転生特典は、ダンジョンコアにとっては仕様なのか。

 まぁ、成熟した人格なんて元々持ってないけどね……。現代らしい知識を開陳しようにも、僕にそんな高度な知識があるはずもなかった。


「あれ? でも僕、自分がダンジョンコアである自覚とか、自分がこれからなにをすべきなのかとか、わからないけど?」


 それがダンジョンコアとやらの標準仕様なら、僕にその機能は搭載されていない。


「…………」

「なにその沈黙? 怖いんだけど……」

「……忸怩たる思いではありますが、どうやら我々は不良品のようです。地中生命の名を汚さぬよう――」

「だから安易に自爆しようとすんな!!」


 自爆を思い留まらせるのに、四〇分くらいかかった……。

 声の主の話では、ダンジョンコアというのは生まれた瞬間から、活動可能な肉体と精神を有しているらしい。

 たしかに、僕も転生したくせに、赤ん坊じゃあない。なんか、普段より視点が低いような気もするが、それはこの家のスケールが大きいだけだろう。髪も、前世の頃より長く、肩口まで伸びている。

 ダンジョンコアは、生まれた瞬間から己が何者で、これから何をすべきなのかを知っている存在らしい。基礎知識とやらに、そこら辺はインプットされているようだ。

 僕だって、転生直後から自分が何者であるかというのは自覚しているものの、それはあくまでも針生紹運としての自我でしかない。そして、これからどうすればいいのかというのは、まったくわからない。


「ダンジョンコアの目標は、地中深くその存在を延伸させる事です。そして、惑星のコアへと到達し、惑星そのものと同化するのが最終目標となります。それにより、亜神であるダンジョンコアは、一柱の神へと至れるのです」


 との事。やたら確信的な物言いが気になって、本当にそれで神に至れるのか聞いたら、逆に困惑された。どうやら、この声の主にとってそれは、一足す一が二であるくらいの、自明の理らしい。

 この時点で、なんとなくわかってきた。


「ねえ、イデアってなに?」

「イデアは我々の母体です。創造主とも言い替えられます。全知にして全能の存在です」

「神様?」

「神と呼ぶのは語弊があります。一個の存在と定義するには、いささか以上に膨大にして広大な存在です。しかしながら、唯一無二であるのは間違いありません。畏敬の対象という点では、蒙昧な輩が神と混同してもおかしくはない存在です」


 いま、バカにされた気がする。バカだって、オブラートに包んだ悪意くらい察せるんだぞ。


「君もわかっていないって事?」

「わからずとも感じていますし、イデアから溢れた我々は、その知識の片鱗を有しています。少なくとも、ダンジョンについては生誕直後から、十全に知悉しています」


 結局、この声の主にも『イデア』がなにかっていうのは、わかっていないようだ。ただ、それが自分たちの生みの親で、すごい存在だとインプットされているらしい。それが、基礎知識なんだとか。

 ここら辺は、正直ニュアンスでしか理解できない。そして、理解できないという事は、僕はダンジョンコアとやらじゃないのだろう。


「ダンジョンコアっていうのは、それを生まれた瞬間から理解してるんだね?」

「はい。我々ダンジョンコアにとって、イデアの存在を感じるというのは、地上生命にとっての呼吸のようなもの。彼らが生まれた直後から呼吸をし、それを妨げられるのを苦痛と感じるように、我々もその重要性を本能で認識しています――ショーンあなたにもわかりますよね?」

「いや、わからない」


 あっさりとそう言った僕に、声の主は絶句してしまう。彼女にとっては、それは呼吸せずに活動している人間を見ているような感覚なのだろう。ありていに言って、それはゾンビに向ける視線だ。


「僕の考えを述べてもいいかい?」

「……どうぞ」


 不審の色を隠しもしない声音で、声の主が僕に言葉の続きを促した。きっと、今度は無言で自爆機能をオンにしたに違いない。


「君の言うダンジョンコアっていうのは、たぶん僕の事じゃない。君の事だ」

「私はたしかに、ダンジョンコアであるあなたの一部です。なので、私もダンジョンコアであるという言葉には、肯んずるだけの蓋然性はあります」


 僕の仮説をそう肯定した彼女。だが、その内容は、肯定でありながら否定的というものであり、事実すぐに反論がきた。


「しかしながら、あなたがダンジョンコアではないという点は同意しかねます。あなたの体は間違いなくダンジョンコアであり、主導権もまた、あなたにあります。論理的に考えて、あなたがダンジョンコアの本体であり、私は副次的な存在であると推察できます。恐らくは、頭の悪いあなたの代わりに思考する、演算装置だと思われます」


 おいっ! 歯に一切の衣着せずに、頭が悪いって言いやがったよ、この子!! 別に頭がいいわけじゃないけどさ、直接バカにされると、バカでも傷付くんだぞ!!

 言葉の刃は、きちんとオブラートという名の鞘に納めてくれ。うん、オブラート、大事。超大事。


「たぶん、主導権が僕にあるのは、僕が生まれる前に告げられた、ダンジョンマスターという肩書きに由来するんじゃないかな」

「ダンジョンマスターですか? それは、先程述べていた、前世の記憶に由来する情報ですか?」

「うん? いや、どうだろう。前世で命を落とし、こっちで転生する狭間に聞いた言葉だから、前世の知識というと語弊があるかもしれない」

「イデアからの情報を汲み取ったのでしょうか?」

「それにしては、やけにおざなりで庶民的な対応だったが……」


 少なくとも、あのおばさんが全知にして全能なるイデアさんだとは思えない。そして、おばさんの言葉で有意義そうな単語は、ダンジョンマスターくらいのものだ。基礎知識というにも、少々情報量が少なすぎるだろう。

 やっぱり、転生モノのようにもうちょっと親切に転生させて欲しい。そうすれば、ここまで現状確認に労を割く必要もなかっただろうに……。


「これは、前世の知識というよりも、前世の創作物のセオリーなんだけどさ」


 僕はそう前置きして、所謂ダンジョンモノと呼ばれる、日本の創作物におけるテンプレについて、いくつか説明した。

 それは、日本人が異世界に送られ、ダンジョンの権能を用いて地球のものを生み出したり、呼び出したモンスターを擬人化してハーレムを作ったり、あるいは、ダンジョンのトラップを利用し、無双するような話だ。


「つまり、本来のダンジョンコアは私で、ショーンはダンジョンコアを支配するダンジョンマスターという存在として生まれた、と?」

「そうなんじゃないかなぁ、って話。いや、正直どこまで的を射ているのかはわかんないけど、少なくとも、君の話を聞いて、僕は自分がダンジョンコアではないという確信を得た。だとすれば、その基礎知識を有し、ダンジョンの存在理由を知っている君が、ダンジョンコアなんじゃないかなぁって」

「…………」


 考え込むように沈黙した声に、僕も黙って結論を待つ。その間に、周囲を観察する。

 最初に思った通り、うらぶれたという言葉がピッタリなあばら屋だ。壁に空いた穴から差した陽光に、宙を舞う埃が照らされているのがまた、実に廃墟っぽい。

 って!? 今気付いた。僕、全裸だった。

 いやまぁ、生まれた直後なんだから生まれたままの姿なのは当たり前だけどさ! 町中で全裸とか、どう考えてもピンチじゃん!!

 良くて変態扱い、下手すりゃ逮捕、投獄だ。


「一つ、確認してもいいですか?」

「うん? お、おう。なに?」


 ストリーキング回避の策を必死に考えていた僕に、声の主が問いかけてきた。そろそろいい加減、彼女にも名前が欲しいな。


「あなたの前世の種族は、もしかして地上生命ですか?」

「あー……、まぁ、そうだね。というか、地中生命というものが、僕の生きていた世界では、そんなに多くないかな」


 精々、ミミズとかモグラとかだろう。それも、地表付近に生きていたので、彼女のいうような地中生命と同種の存在なのか、判断がつかないところだ。


「……人間種、では、ない、ですよね……?」


 文字通り恐る恐るといった風情で、歯切れ悪く問いかけてきた声に、僕は即答できなかった。

 言葉の端々から、彼女が地中生命である自分に誇りを持ち、その反面地上生命の、とりわけ人に敵愾心を抱いているのには気付いていた。だからこそ、僕の前世の種族に関しては、ぼかしておけるならぼかしておきたい点だったのだ。

 だが、こうもストレートに問われれば、答えねばならないだろう。嘘を吐くのは悪手でしかない。


「……。そうだね、僕の前世は人間だ」

「……。……、警告します。私はいま、自爆の準備を十全に終えました。それを理解したうえで、慎重に答えを選んでください」


 これまでの、どこか親しみのある声ではない、どこまでも冷たく無機質な声音に、思いの外ショックを受けた。自分の心境の変化に、我が事ながら驚いたくらいだ。

 会って間もないどころか、いまだ声以外知らない相手だというのに、どうしてそんな思いを抱いたのだろう。




「……ダンジョンとは、地上生命の命を食らって大きくなる種族です。主な食料は――人間となるでしょう」




 だからだろうか、告げられた言葉にはそれ程衝撃を受けなかった。正直、ダンジョンモノのテンプレ云々を話している途中で、その可能性も考えていた。

 いまは、そんな事よりも、彼女に嫌われたくないという心情の方が強い。その理由はわからないが。


「ショーン――あなたは、ダンジョンコアである私と、共生できますか? すなわち、人間を殺して、食らえますか?」


――食人。

 それは、針生紹運という男子高校生にとっては、背負う事などできない()だ。考えるまでもなく、それは悪徳だ。現代に生きる日本人にとっては、問答無用の禁忌だろう。


「言っておきますが、先程あなたの語った物語のように、内部に地上生命を内包するだけで糧が得られるなどという事はありません。きちんと、殺して、食らわなければ、私は――私たちは、餓死します」


 だが、彼女の立場に立ってみれば、それは単なる食事でしかない。栄養の摂取であり、必ずしなければならない、生理的な欲求だ。

 人間が牛や豚、鳥や魚、野菜や穀類を――命を食まねば死ぬのと同じように、ダンジョンもまた人間を食べなければ死んでしまう。


――ダンジョンにとってそれは、禁忌でもなんでもない、当たり前の行為なのだ。


 つまりは、僕がこれからダンジョンコア=ダンジョンマスターとして生きていく為には、食事という生理的欲求そのものが禁忌であるという、抗い難い認知的不協和を克服しなければならないという事なのだ。

 ごくり、と無意識に喉が鳴った。

 いや、無理だろ、コレ。

 予想はできていたとしても、そんな禁忌を日常に組み込む覚悟なんて、できるはずがない。今日から人を殺さなければ生きていけないと言われて、「はいそうですか」と納得できる程、僕は人間性を捨ててはいない。

 だが、思い悩める猶予だって、そう長くはない。


 既に僕は生まれてしまった。生まれたならば、いずれ腹は減る。


 それが、覚悟を決めるまでのタイムリミットなのだ。人間として命を絶つか、ダンジョンコアとして人を食らうかという、覚悟を決めるまでの。


「…………」


 僕は彼女の質問に、答えられない。まだ、覚悟が決まっていない。

 この世界の、縁もゆかりもない人間の為に、死んでもいいとは思っていない。だからといって、そんな人たちが死んでもいいなどとは考えられない。

……いまはまだ、食いたくないという気持ちもある。

 だが、だったらこの声の主に「人間として、食人行為はできない。一緒に密やかに死んでくれ」と頼めるかと言われれば、そんなわけがない。ただでさえ、人間が嫌いな誇り高いダンジョンコアに、どの口で「人間の為に死んでくれ」などと言えるのか。

 彼女に、人間の為に死ぬ理由など皆無だ。それは結局、僕のエゴで彼女を殺すといういう意味しか持たない。

 だが最終的には――僕はどちらかを選ばなければならない。

 無関係な大勢の他人と、いまだ声しか知らぬ彼女。僕はどちらかに、絶対に「死ね」と言わなければならない。即断できなくとも、いつかは決断しなければならないのだ。


――けれど、運命ってやつはせっかちで、僕の転生はどこまでも、不親切だった。悩む時間すらくれないのだから。


「■■■■■■■■!? ■■■■■■!!」


 突然、背後から響いた声に、僕は振り向いた。そこには、見窄らしい格好の、三十代後半くらいのガリガリの男がいた。そこまでのボロを纏うくらいなら、いっそ全裸の方がまだ格好が付くんじゃないかというくらい、男の姿は小汚かった。

 どうなんだろう?

 第三者が見たら、全裸の僕とこの男では、どちらがマシな姿なんだろうか。


「しかし、言葉がわからないぞ。なんて言ったんだ?」

「最初に『誰だお前は!?』と問い、次に『ここは自分の住処だからどこかへ行け、変態野郎』と言っていますね」

「おお、通訳ありがと。人間は嫌いなのに、人間の言葉はわかるんだね」


 変態に関してはスルーする。好きで全裸でいるんじゃないし。

 僕の一部であるらしい、彼女の声は男には聞こえていないようだ。まぁ、元々テレパシーだったしね。


「基礎知識の一部です」

「まったく、イデアは優しいな。僕も、生まれ変わるなら、基礎知識とまでは言わないけど、最低限言葉がわかる程度の知識と、ついでに服も欲しかったよ」


 ホント、切実に……。服もない、お金もない、お金に変えられるものも持っていないとなれば、どうやって生きていけというのだ。野垂れ死にENDまっしぐらである。


「■■■■■■■■!!」


 ありゃ、なんかめちゃめちゃ怒鳴られてる。話しかけられても無視してるように見えたのかな。

 仕方がないので、言葉が通じないという事を伝える為、僕は小汚い男に話しかける。


「申し訳ない。僕にはあなたの言葉がわからない。ここがどこかもわからない。気付いたらここにいたんだ。ここがあなたの家だったというのなら、即座に退散しよう」


 できればなにか着るものが欲しいとねだりたいところなのだが、自分の着るものすらあの有り様である。それは無体な要求だろう。

 言葉がわからなかったのか、首を傾げる男。それを確認してから、僕はもう一度口を開いた。

 彼の言葉がわからないのは確認した。そして僕の言葉が、彼に伝わらないのも確認した。だから、ここで話しかけるべきは、この小汚い男ではない。

――彼女だ。


「ねぇ、ダンジョンコア」

「はい、なんでしょう?」

「ダンジョンっていうなら、罠くらい張れる? できれば、落とし穴とかそういうの」

「……できますが?」

「じゃあ作って。僕の足元から、少し先くらいに」

「……了解……」


 男の前で、僕は堂々とそう要求した。

 少しして、僕のなかのなにかが、不自然に動くのがわかった。なんというか、体温だけが勝手に動いて、地面に吸い取られているような感覚だ。というか、体温の半分くらい持っていかれてないか、コレ?

 ものすごい喪失感に、表情を保つのが大変だ。

……気付かれてないか? よし、気付かれてない。

 男には、さっきの僕の言葉は伝わっていない。だから、ダンジョンコアに話しかけたのを、自分に友好的に話しかけたと勘違いしただろう。男の認識では、ここにいるのは僕と自分だけだろうからね。

 その男が、全裸の僕を頭の先から爪先まで、ジロジロと眺めてから、ニヤリと笑みを浮かべた。

 え? なに、もしかして貞操の危機?


「■■■■、■■■■■■■。■■■■■■、■■■■■」

「なんだって?」

「要約すると、人買いに売れば、それなりの値が付きそうだそうです。野蛮な人間らしい行いですね」

「まったくもって、耳が痛いね」


 苦笑していると、男が無遠慮に近付いてきた。僕は無防備に、無警戒に笑みを湛える。まるで、男の下卑た笑みを友好的と勘違いしたような態度だが、勿論そんなわけはない。


「■■■■■■■■■■■」

「安全なところへ案内してくれる、らしいですよ。なぜ言葉が通じないとわかっている相手に、嘘を吐くのでしょう?」

「さぁ? 通じてたら、さっきの言葉も聞こえてるとか、考えないんだろうか」

「地上生命の思考回路は、意味不明です」


 まったくもって同感だと思いつつ、僕は嬉しそうな顔をしてから、胸に手を当てて軽く頭を下げる。そうしながら、声の主との会話を続けた。男には、まるでお礼を述べているように見えただろう。


「圏内に入りました。もう少し引き寄せます」

「ああ、タイミングは任せるから、よろしく」


 あくまでもにこやかに、緊張を覚らせないよう、僕は自らの表情筋に、これまでの人生で最も強く命令を発していた。そのおかげか、男にこちらを警戒する様子は見られない。

 まぁ、こんな場所に全裸で放り出されているヤツに、なにができると侮られているのかも知れないが、いまはそれでもいい。

 そして、次の瞬間――


「ひゅあ――!?」


 そんな声を残して、男の姿は僕の視界から消えた。見れば、本当に僕の爪先数センチくらいのところから、ぱっくりと四角く地面に穴ができていた。

 現代日本でも、重機を使って数時間程度はかけなきゃ作れないような、大きな穴だ。穴の底で、先程の男が石筍のようなものに貫かれて死んでいるのも見えた。

 胸と腹、それと足にも尖った石が突き立っており、あれで生きてはいないと一目で判断できる死に様だった。


「ふぅぅぅぅぅ……」


 僕は盛大に息を吐くと、がっくりと腰を下ろした。全裸のままだと、うんこ座りという言葉の捉え方も変わってくるような姿勢だが、そんな些事になど頓着していられない安堵感だ。

 見るからにゴロツキといった身なりの男を見て、僕は真っ先に保身を考え、ダンジョンコアに頼った。そして、その予測は当たり、男は僕を人買いに売り払おうとした。

 生と死の二者択一とは別種の、人生が終わるかも知れないという緊張を強いられ、僕はその元凶を敵と定めた。その者を倒すと決意し、行動を選択し、実行――は、今回僕はなにもしてないか。

 だが、指示したのは間違いなく僕だ。彼は、僕が殺したのだ。

 ともあれ、そんな緊張が、敵の死とともに一気に弛緩した事で、僕は立っていられないような安堵に包まれていた。


 ああ、やっぱり僕は、死にたくないんだ……。


 そう実感する。人を食わねば生きられないというのなら、僕は悩む。苦悩し懊悩し煩悶し憂慮して、七転八倒するだろう。そしてそれでも、全然答えを見出せないだろう。

 だが、きっと最終的に、僕は生きる事を選ぶのだろう。


 それを禁忌と感じるままに……――


 ああ、本当に、なんて不親切な転生なんだ。あのおばさんは、仕事が適当すぎる。

 言語知識も衣服も欲しかったが、なによりも、殺人に一切の呵責を覚えないような人でなしに、精神を弄ってから転生させて欲しかった……。そうすれば、こんなに落ち込まなかっただろう。食人行為も、割り切ってできたかも知れない。


 これからも、きっと何度もこんな事を思うのだろうなぁ……。




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