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雑貨屋の主人は錬金術師  作者: 村中 順
旅の始まり
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第1話 賢者の石

「この世界の錬金術的な宇宙観、その構造から、話すことにしようかの」


 師匠は大きな机の向こう側の、小柄なその体には似つかわしくない巨大な椅子に収まりながら話を始めた。


―――椅子の後ろの大きな窓から、黄昏どきに近づく陽の光が、柔らかく部屋の中をてらしている―――


「まず、原初の宇宙には混沌が一つあった。二つ、あるいは三つ、あるいはそれ以上の混沌があったかもしれんのじゃが。……じゃがな、混沌なので、やはり混ざり合って一つじゃないかと思うぞ。そして、この混沌の別れ方が、宇宙によって異なるのじゃ。二つに分かれるかもしれないし、三つに分かれるかもしれん。……ふむ」


 師匠は、一息つきながら、考え事をしているかのように(くう)を見上げた後、その長い顎髭を手で絞りながら、再び顔をこちらに向けた。顎髭だけではなく、長い口髭もあり、ほっそりとした顔には、多くの皺が刻まれている。


「お主、混沌はわかるな」

「はい、なんとなく」

「ふむ、その歳にしては賢い子じゃ」


 ムニュムニュと唇を動かしながら、師匠は、ティーポットからカップに紅茶を注ぎ込んだ。唇を動かすたびに、髭が揺れる。紅茶の香りが部屋に広がっていく。

 徐にミルクを注ぎ入れ、皺々の長い指でスプーンをつまんで、ぐるぐる掻き回した。その薬指には、そら豆くらいの大きさの緑色とも赤色とも青色とも、よくわからない色の宝石が存在を主張している。


「混沌は、簡単に言えばこれじゃな。いろんなものが混じった状態」


 ちょっとミルクティーに口を付けたあと、

「混沌の事を詳しく講義すると、それこそ、数ヶ月かかってしまうわい。……先ずは、この世界の錬金術的な宇宙観について話を進めようぞ」


 今度は、ミルクティーをグビグビと飲み干した。髭についたミルクが、ちょっと汚い。


「儂らの宇宙では、混沌は、まず陰と陽に分かれたのじゃ。そしてこの陰陽から四大元素、即ち、水、風、火、土が生じた。さらに残った陰と陽は聖と魔に分かれたのじゃ。つまり、儂らの宇宙は、六大元素から成り立っておる。そして六大元素を頂点として結ぶと、ほれこのように正八面体になるわな」


師匠は、この世界の魔法使い、錬金術師や魔術師が宇宙を表現するのに使う正八面の模型を何もない空間からポンとだした。


「この六大元素を頂点とした正八面体の中のどこに位置するかによって、その物質の性質が決まるのじゃ。そして、この正八面体の中心に位置するもの、四大元素のどの性質も持ち、聖でも魔でもない唯一の物体、それが賢者の石じゃ」


 ティーカップを机の上に置き、右手を僕の方に差し出した。そう先程の宝石、賢者の石を見せるために。そして師匠は、右手を引き戻しながら話を続けた。


「賢者の石は、物体の性質を大きく変えるのじゃ。水が氷になるよりも、硬い金属が高熱で水飴の様になるよりも、より劇的に変えることができるのじゃ。やろうと思えば、氷より冷たい炎も、金属を溶かすくらい熱い氷もできるのじゃよ。これが錬金術じゃ。魔術は、火は火、水は水じゃろ? ここが儂らの錬金術とは異なるのじゃ」


 そして、師匠は、ゆっくり回る正八面体を指しながら、

「ところで、『先生! この宇宙のどこかに、火だけとか風だけの場所があるのですか?』と聞く学生が時々おる。念のために言っておくが、物体の概念を錬金術的宇宙観で表したものじゃぞ。世界の果てに行っても、火だけの場所があるわけではないぞ。念の為じゃ」


 女学生のような声色で口真似をしたので、僕は硬く少し笑った。

それを見て、師匠はつづける。


「今回の騎士養成課から、魔法学部錬金術師養成課に編入する願いは了解した。お主自身で賢者の石を精製できるその日まで、このアルカディアで精進するが良い」


 師匠は椅子に座り直し、両腕の肘を机の上に載せて、指を合わせた。老人のような虚ろな目ではなく、壮年のしっかりとした眼差しで、それでいて若干涙で潤んだ目で、暖かく見守る。



そして、

「今回、お主の身に起きた悲劇を癒せるような言葉は、儂には見つからん。八歳を僅かに越えたお主はよく耐えていると思う。しかし、悲しいときは泣け。そうしなければ、心が冷えて氷の様になる。こればかりは賢者の石でも治すことはできぬでな」


 身を切られるような悲しみにもかかわらず、泣くことができなかった僕は、堰を切ったように泣いた。師匠はいつの間にか、僕の横に来て背中を擦ってくれた。


―――陽の光は、さらに傾いたが、まだ暖かく部屋の中を照らしている。そして少しオレンジ色に染まっていた―――


 これが、僕ジェームズ・ダベンポートが世界最高峰の錬金術師にして、学園国家アルカディアの校長兼国家議長ニコラス・オクタエダルの元で錬金術師として歩み出した瞬間だった。


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