少年は一人、森の中で取り残される
ギジャァァァァァァァァアッ!!!
奇声を挙げながら、草むらから小さな影が飛び出して来る。
梢にて陽光の削られる薄暗い森の中ではその正体を判別する事は難しいが、敵意を以てして接近している事は明らかであった為に、手にしていた長剣を一閃して切り捨てる。
ギャビッ!?!?
…………余程、自らが斬られるのが意外だったのか、それとも外見的には弱そうな相手であった為に必殺を確信していたからかは不明だが、驚く様な色を含んだ断末魔を挙げながら、自ら飛び出して来た勢いのままに地面へと突っ込んで行く。
ソレに対し、地面へと倒れた影の事を暫く油断せずに眺めていたシェイドであったが、起き上がろうとしてもがいてもいない事と、既に出血量が体格からして致命的な量となっている事を確認すると、安堵の吐息を漏らしてから死体と化した角兎へと歩み寄り、討伐した事を証明する部位である角を根元から切り取って腰のポーチにしまい、ついでに胸を切り裂いて小指の先程の魔石を取り出して行く。
「…………ふぅ、これで、どうにか課題のノルマは達成出来た……かな?」
同じ様にしまっておいた討伐部位の数を数えながら、そう一人溢すシェイド。
今回の課外授業では、授業中の達成課題として、一人一人が一定数の魔物を狩ってくる様に、と言い渡されていたのだ。
一般的な冒険者であれば余裕であり、かつ名門たるガイフィールド学校の冒険者候補であれば楽勝、と言った程度のノルマであったが、流石に数多の生徒が同時に活動する森の浅い部分では時間制限迄にノルマを達成出来ないであろう見込みであった為に、彼は一人比較的深めの場所まで進んでいた。
とは言え、現在彼が居るのは、普段から彼が冒険者として活動する際に比較的良く来る程度の深さでしか無く、出現するのは角兎やゴブリン程度。
余程油断していない限りは、環境に慣れている彼では掠り傷すら負わないであろう程度の難易度でしか無い。
…………そう、通常であれば、何事も無く帰還出来たであろう場所でしか無かったのだ。
ゴガァァァァァァァァァァァアアアアッ!!!!!
「……ひっ!?
な、何……!?」
故に、若干ながらも気を抜いて、もうノルマは終わったのだし、課題さえ終われば各自で終えても良いと言われているのだから帰還してしまおうか、と考えていたシェイドは、唐突に森の奥から響いて来た、『怒り』と『飢え』に満ちた咆哮を耳にしてしまった事により、その場に足を釘付けにされてしまう。
今の今までこの森では耳にした事の無い咆哮に、半ばパニックになって棒立ちになってしまっている彼の元へと、咆哮を聞き付けたらしい引率の教師であり、彼が所属する教室の担任でもあるゲレェツが森の入り口側から飛び出して来る。
「何事だ!?
……ちっ、無能しかいないとは、想定外だったな。
しかし、ここにいて何も無いと言う事は、原因は貴方では無いのだろう。
流石に、無能とは言え耳も目も着いているハズだ。一体、何が起きたのか、説明しろ!」
「……わ、分かりません!ゲレェツ先生。
いきなり、森の奥から、さっきの咆哮が……!」
ゴガァァァァァァァァァァァアアアアッ!!!!!
「「「「「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」」」」」
ゲレェツに問い質されたシェイドがソレに答えようとしていると、先程よりも近い場所にて再度咆哮が上がると同時に複数名の生徒がそれと同じ方向から飛び出して来る。
血相を変えて悲鳴を挙げながら飛び出して来たその生徒達は、少し離れた処にいるシェイドとゲレェツを目の当たりにすると、まるで助けを求めるかの様にして駆け寄って来た。
「……た、助けてくれ!!」「あいつが、あいつが来る!?」「……お、俺は、俺は『止めておけ』って止めたんだよ!?」「でも!でも、クラウンさんが!?」「お、お前らだって、奥で大物を倒して良い格好したい、って言っていただろうが!?」
「……き、君達、落ち着きたまえ!
それに、生徒会長たるクラウン君までいてその有り様。一体、何が在ったと言うんだ!?」
足を縺れさせながら、すがり付く様にして駆け寄って来た生徒達は、口々に教師であるゲレェツへと訴え掛ける。
その顔触れは、普段からシェイドの事を一際手酷く虐めてくれていた連中であり、その中には生徒会長であるクラウンの姿も混じっていた。
普段からして貴公子然としており、自信に満ちた姿を周囲に晒していた彼とは思えない程に髪を振り乱し、土や葉の汚れにまみれた姿をしていた為に、直ぐには気付く事が出来ずにいたのだ。
普段とはかけ離れた様子を晒し、怯えを隠そうともせずに背後を頻りに気にしながら、クラウンが口を開く。
「……キ、キマイラだ!キマイラが出たんだ!
こんな処に、何であんな怪物が!?」
「何だと!?」
すがり付くクラウンの言葉に驚き、目を見開くゲレェツ。
それもそのハズ。
何せ、キマイラとは獅子と山羊と蛇とを混ぜ合わせた様な見た目をした醜悪な魔物であり、極一部の危険地帯でのみ確認される、と言うよりも寧ろ、『キマイラが確認されたが故に危険地帯に認定された』と言う話が出る程に、凶悪な魔物として有名なのだ。
人里の近くに現れれば、下手をしなくても小さな村ならば壊滅の憂き目からは逃れられないし、下手な町でも規模的に危ない。
基本的に手練れで昇格が目前に迫っている様な『中級冒険者』がパーティーで当たるか、もしくはその上の『上級冒険者』に要請が飛ばされる程の事態となるのは間違いないだろう。
……しかし、本来ならば、こんな人の手が容易に入って整えられた様な環境の場所ではなく、もっと魔力の澱んだ秘境だとかに発生するハズの魔物であり、この森では最深部まで進んだとしても目撃された例は無かったハズなのだが……。
なんて事をシェイドが考えてしまっていると、クラウンの口からキマイラの事を聞いたゲレェツは、同じく取り乱した様子を見せながら慌て始める。
「なっ!?キマイラだと!?
そんな大物、私ではどうにも出来ないぞ!?
……こうなれば仕方無い!皆、授業は中止だ!早く、この森から脱出するぞ!」
大物は後で冒険者ギルドに討伐を依頼すれば良いとしても、今この場で対抗する手段が無い以上はさっさと逃げる。
そんな、冒険者としては至極当然な思考の元に、その場で踵を返すと何の躊躇いも見せずに一目散に森の出口を目指して走り出してしまうゲレェツ。
てっきり、ある程度の足留めや、手傷を負わせて時間稼ぎをする、と言うと思っていたシェイドは、彼の背中を追い掛けて元凶たるクラウン達が駆け出したのを目の当たりにして自らも難を逃れようと、森の出口を目指して走り出そうと一歩足を前に踏み出す。
……が、何故かそうして踏み出した足は、予期していなかった激痛を突如として訴え掛けて来ると同時にその力を失い、無様に顔面から地面へと倒れ込む事となってしまう。
「がっ……!?な、何で……?それに、これは……!?」
「………………はっ、ざまぁ無いね……!」
「ク、クラウンさん!?」
突如として強打した鼻や口を押さえつつ、同じく激痛を足へと視線を落とすと、そこには少し前までは存在していなかったハズの茨の様な何かが足首へと巻き付いており、彼の足へとその刺を突き刺して肉へと食い込んでしまっていた。
痛みが襲う中、それを見て愕然としている彼へと、彼よりも先に逃げ去ったハズのクラウンの声が彼へと降り注ぐ。
「……悪いけど、君にはここで囮になって貰うよ。
俺達が、無事に逃げられる様に、ね!」
「そ、そんな!?
何で!?何で、僕が!?」
「何で?何でだって?君、もしかしてそんな事も分からないのかい?
俺達みたいな、将来有望で実力も在る存在を生かす為に、君みたいな碌に魔術も使えないゴミみたいな無能を生け贄にする。ソレの、何処が不可解だって言うつもりだ?」
「…………そ、そんな……そんな事の、為に……!?」
「そんな事?無能な人間を使い潰して、有能な人間を生かす事の何が悪いって言うんだい?
それに、君はあくまでも只の無能な平民だろう?あの二人との付き合いだって、英雄と呼ばれた両親が両家のご当主と知り合いだったから、と言うだけなんだから、生まれつきの貴族家たる俺とは存在価値が比べ物にならない、なんて事は考えなくても分かるだろう?」
「…………そん、な……そんな、事……っ!?」
「まぁ、安心しなよ。
二人には、良い成績を修めようと『無謀にも一人で俺達の制止も振り切って』奥まで入って行ってしまった君が、キマイラと不用意に接触して刺激してしまい、『救助しようとしての俺達の必死の抵抗も虚しく』無惨に殺されてしまった、と伝えておいてやるし、面倒も俺がタップリと可愛がりながら見てやるから、安心して食われてくれよ。
あ、そうだ。あっさり食われてしまうと、直ぐに追い掛けて来そうだから、取り敢えず『檻』だけは作って行ってやるよ。
だから、精々大騒ぎして、俺達が無事に逃げられるだけの時間を稼いでくれ。じゃあな!」
「なっ!?ちょっと!?
待って、待って!?置いて行かないで!?
分かった!二人には、僕から離れる様に説得するから!だから、だから!!
だから、僕を置いて行かないで!?!?!?」
地面から競り上がり、自らの頭上にて閉じた檻へと両手ですがり付き、血を吐く様に必死に言葉を投げ掛けるシェイド。
檻の隙間から腕を伸ばし、必死に助けを求める彼の姿を、まるで『面白くて仕方が無い見世物』でも見ているかの様な風に眺めていたクラウンだったが、例の咆哮が近付きつつ在る事を察知すると、その顔色を青ざめさせながら彼に背を向けて森の出口を目指して駆け出してしまう。
その背中へと、檻に擦れて出血する程の力にて腕を伸ばし、顔中を汗や涙や涎で汚しながら必死に命乞いをするシェイドであったが、その叫びは結局受け入れられる事は無く、彼は一人囮として取り残される事となってしまうのであった……。
…………そして、これにより、またしても彼の心の中には『澱』が溜まり、それと同時に、彼の耳には聞こえるハズの無い、鎖が擦れて軋みを上げる音を聞いた様な気がしたのであった……。
ギシッ……ギシッ……




