少年は真実を知り、怨嗟を叫びを挙げながら『反逆者』へと至る
「………………ここ、は……?」
思わず、そんな呟きが彼の口から溢れ出る。
ついさっきまで森の中で、キマイラに襲われて死にかけていたハズなのに、何でこんな処に居るのだろうか?
もしかして、誰かが救助に来てくれて助かったのだろうか?
そんな楽観的な憶測を、未だに甘さの残る彼の思考回路が導き出すが、その予想は『救助してくれた誰か』を探す過程にて周囲を見回し、最後に背後へと振り返った事によって大外れであった、と言う事が否応なしに彼の元へと現実として突き付けられる事となる。
……そう、ついさっき、この空間へと意識が切り替わる寸前まで見ていた光景である、彼の視界を埋め尽くし、その身を切り裂こうとして迫って来ていた爪とその持ち主であるキマイラの歪んだ嘲笑が、彼の背後には存在していたのだから。
思わず、爪から逃れようとしてその場で頭を抱えてしゃがみ込んでしまうシェイド。
しかし、幾らそうしていても爪が襲い掛かって来る事は無く、その身が引き裂かれる事によって生まれる激痛に苛まれる事も無い事に気付いたシェイドは、再び顔を上げて状況を確認しようと先程の方向を再度窺う事となる。
すると、そこには先程確認した時と変わらぬままのキマイラの姿と迫り来る爪が存在しており、良く良く見てみればまるで時間が止まっているかの様にその動きを停止させていた。
「…………時間が、止まっている……?
……いや、でも、良く見れば、少しずつ、ほんの少しずつだけど、爪が進んで来ている、のか……?」
とは言え、流石に完全に停止している訳でも無いらしく、暫く同じ場所を眺めていれば、ほんの少しずつでは在るものの爪は彼を引き裂かんとして進んで来ている事が分かるし、目の前一杯に広がっているキマイラの毛並みや腹部なんかも、僅かずつでは在るものの風に靡いたり呼吸で上下したりしている事が見て取れた。
だが、その代わり、なのか彼からそちらへと近付こうとするととても強い抵抗を受けると同時に、何故か『そちらに行ったら今起きている現象は消滅する』と言う確証を強く抱く事になった為に、一般的な冒険者であればまず最初に取るであろう『動けない間に倒してしまう』と言う選択肢を放棄せざるを得なくなってしまう。
「…………くそっ!
こっちからは近付けない。そもそも倒せない。それに、放って置けば迫って来てる爪に切り裂かれて終わる。
唯一の救いは、ここに居る間は怪我を負っていない状態で固定されるのか、それかここに来た段階で全部治ってるのかは知らないけど、痛くもだるくも無い事、か……」
そう、一人呟きを溢したシェイドは、取り敢えず何か無いか、出来る事は無いのか?との思いから、基本的に真っ白で地面も空も何も無い、と言う様な空間へと視線を走らせる。
……すると、時間が遅延しているキマイラとは真逆の方向、彼が最初に向いていたのであろう方向に向けて少し行った辺りに、唐突に一つの『扉』と思わしき物体が出現しているのが視界に飛び込んで来た。
遠目に見えただけでも、幾重にも封印の為と思われる鎖が巻き付き、また恐らくは元々巻き付いていたのであろうと思われる鎖の残骸をその足下に蓄えた扉は、封印されているにも関わらず僅かに開いた隙間から黒い何かを少しずつ外に溢しているのが見て取れる。
ソレが悪いモノなのかどうかは彼には判断が付かず、また見えている扉が封印されて然るべきモノなのか、それともそうではなく不当に封印を強いられているモノなのかも良く分かってはいないのだが、何故か彼には目の前のソレこそが、自分が今ここに居る理由なのだ、と理解する事が出来ていた。
特にそうと意識する事も無く、まるで誘われた様に無意識に一歩扉に向かって足が進む。
すると、唐突に彼の耳へと、懐かしくも二度と耳にするハズの無かった声が届いて来た。
『…………これは、本当なのか……?』
『……えぇ、事実よ……』
「…………え?父、さん……?母、さん……?」
突然の事態に、無意識的に動かそうとしていた足を止めて一歩後退るシェイド。
すると、つい先程聞こえて来ていた言葉は途切れ、それ以上扉へと近付かなければ聞こえて来る事は無くなった。
……何故、こんな場所で、二人の声が……?
そもそも、二人は既に亡くなっているハズなのに、どうして……?
……もしかして、二人はこの空間に何かしら関わっていた、って事なのだろうか……?
疑念と思考が渦を巻き、一向に方針が定まらない。
が、だからと言ってあまりグズグズしていると、今は彼の背後に在るキマイラの爪が彼へと到達しかねないし、何時この時間の遅延が解けるとも限らない。
……ならば、目に見えて現状を変えられる何かしらが起きそうなのは、目の前の例の扉しか無いのだから取り敢えず行ってみる。
そう、方針を決めたシェイドは、今度は何が在ったとしても足を止める事はしない、と心に誓って再度足を踏み出した。
『……この魔力量、間違いじゃ無いのなら、後衛特化の魔術師、なんて軽く上回るだけの数値だぞ?
それこそ、魔力量に特化した特級冒険者か、お前の魔力量にも匹敵する程の量じゃないか……!』
『……えぇ、現時点で前衛としては破格の魔力量を誇る貴方よりも多く、現時点で最大を誇る私の魔力量には流石に届かないですが、平均的な後衛系特級冒険者ならば既に抜いてしまっているでしょう。
しかも、この子はまだ子供なのにも関わらず、です』
『あぁ、ハッキリ言って異常だな。
魔力量は、身体の成長と共に増大する。ソレが、産まれ持っていたモノが多ければ多い程、加速的に増えて行く傾向が在るからな。
忌憚無い事を言えば、正しく『化物』クラスになることは間違いないだろうな』
『えぇ、この年でこの量となると、将来はどうなるのか私にも予想出来そうに無いです。
しかも、持っている属性が属性ですし、既に『固有魔術』を発現させている以上、まず間違いなく行き着く先は英雄と呼ばれる存在一択でしょう』
『だろうな。
それこそ、俺達が打ち立てた『英雄』としての業績を打ち消す程の、とんでもない事をやらかしてくれる事間違いなし、って処だろうさ。
…………だが……』
『…………えぇ、ですが……』
『『…………だが(ですが)、それだと俺達(私達)にとっては都合が悪いんだよな(ですよね)……』』
…………その言葉を耳にした時、シェイドは思わず聞き間違いだろうか?との思いと共に、足を止めそうになってしまう。
が、先に立てた誓いを胸に抱き、ギリギリの処で足を止めずに動かしてそれまでと変わらずに進めて行く。
『あぁ、ハッキリ言って邪魔になる。
何せ、俺達の名声を掻き消す可能性を持っているんだぞ?
そんな奴、野放しになんて出来るハズが無いからな』
『えぇ、そうですね。
私達が必死になって積み上げ、築いて来た『英雄』の肩書きと名声と実績を、幾ら息子とは言え簡単に塗り替えられるのは、流石に面白くも許容する事も出来ませんので、ね……』
『その点、妹の方がまだマシだな。
こいつの方は、才能も魔力量もギリギリ常識の範囲内だ。磨き方によっちゃ光るだろうが、その程度だ。
俺達の名前を霞ませる程にはならないだろうさ』
『私が本気で磨けば、流石に私達と同じく『人外』の域に達する事は可能でしょうが、その程度ならば特級冒険者には何人も居ますし、私にもそうするつもりは無い以上は心配しなくとも大丈夫でしょう。
……その点、この子は恐らくは鍛えず磨かず放置したとしても、『人外』の域に達して名を上げる様になるのは時間の問題でしょうね。それが、遅いか早いかの問題なのは、目に見えています』
『なら、どうする?
血の繋がった息子とは言え、流石に俺が築いた『伝説』を食っちまう様であるなら、始末する方が良くないか?』
『…………流石に、愛も情も無く、互いに『英雄』となる為のパートナーとして相応しいから、と選んだ間柄で、かつその相手との間に出来た子供とは言え、一般的に『良い親』を演じる過程で周囲にも披露してしまっているので、それは少し難しいですね。
私達がついていながら、病死や事故死は少し無理が在ります。それに私としましては、この先の成長を観察しての情報収集と、最早『突然変異』と形容して然るべきこの子の発生原因を探る、と言う観点から生かしておく方がまだマシ、と結論付けますが、どうでしょう?』
『…………そう、だな……。
……なら、取り敢えずこいつの魔力を封印しておく、って言うのはどうだ?
いざ研究する、って時まで、こいつに活躍させず、かつ資料としては生かし続けておける訳だし、俺の望みもお前の望みも両方叶えられると思うが、どうだろう?』
『…………成る程。それならば、今ならばまだ可能ですね。
ですが、その手の封印は解除の条件を設定しておいた方が、より長く強く対象を封じる事が可能になるのは知っていますよね?
代表的なモノで、『百年したら解除されるが大体のモノは封印出来る』と言う例のお伽噺のアレとかが在りますが、その辺の設定はどうします?』
『……なら、ここはベタベタに『死にかける』事を解除の条件にでもしておくか?
そうすれば、いざって時の身代わり位には使えるだろう?』
『そうですね。
では、その様にしておきましょうか。
……まぁ、結果的には、膨れ上がったこの子の魔力が内側から暴走して、膨れすぎた風船の様に破裂する可能性も在りますが、別に良いでしょう。死ぬのは、私では無いでしょうし、ね』
耳を塞ぎたくなりながらも、必死の思いで足を動かし続けたシェイド。
知りたくなかった真実を、一方的に突き付けられた彼は、自らの内に秘めていた両親への尊敬の念や、家族としての愛情と言ったモノが次々にひび割れて行くのを否応なしに実感させられてしまう。
それ故か、とうとう例の扉の元へと辿り着いたその時には、既に彼の心はこれまで溜められて来た『澱』とひび割れた家族への想いが相まって千々に乱れ、それまで彼を構成していた『人格』その物が変質して行く事となる。
……それまで、我慢してきた事柄が、どうしても赦せず容赦出来ない事柄として、『赫怒』と共に彼へと焼き付く。
……これまで、一方的に傷付けられて来た事柄が、何故反撃してはならないのか、と言う疑念と共に『殺意』として彼に刻み付けられて行く。
……今まで、奪われて来た全ての事柄が、ならば次はこちらが奪う番だ、との確信と共に『憎悪』として彼に浸透して行く。
「…………そう、か……。
僕は、誰からも必要とはされていない……。
誰からも、望まれてはいない……。
誰からも、尊重されていない……。
一方的に、奪い、虐げ、嘲笑う事を良しとされた、そんな存在であれ、と定義されていたんだ……」
それらが合わさる事により、これまでの虐げられても我慢する事を良しとした彼から脱却し、自らが虐げられる事を許容せず受け付けない彼として、一個人のシェイド・オルテンベルクとして、新たに誕生を遂げた『彼』が、怨嗟の叫びを挙げながら、目の前の扉に絡み付く鎖の内、最後に残された一本へと手を伸ばす。
「…………ふざ、けるな……ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるな!
どいつもこいつも、僕の事を見下して、馬鹿にして!!誰が、誰が好き好んでこんな状況を受け入れた!?
親からの束縛も、妹からの迫害も、幼馴染みからの蔑みも、他の連中からの嘲笑も、周囲からの暴虐も、全てがもう沢山だ!
……僕は、俺は!!
もう、俺は俺として、他の誰かに良い様に扱われて、使い潰されるのも、搾取されるのも、見下されるのも、もうウンザリだ!!
俺は俺だ!俺の人生を、俺の生きたい様に、誰の干渉も受け付けずに生きてやる!!
……だから、だから……!!!」
そして、自らの意思で伸ばした手で鎖を掴むと、力任せにソレを引きちぎり、封じられていた扉を無理矢理解放する!
「……だから!
お前が俺の力だと言うのなら、黙って俺に従え!!
二度と、俺が俺の人生を奪われない為に!俺が俺として、この世界で生きて行く為に!!俺に、従え!!!」
自らを縛る戒めが無くなった事により、開け放たれた扉から黒い力の奔流が解放され、それまで真っ白であった空間を黒く染め上げながら、真っ正面に立っていた彼を飲み込み押し流して行く。
……その迸りを笑いながら全身に受けたシェイドは、あまりの衝撃に意識が反転し、真っ黒く染まり行く空間を見て胸がすく思いをしながら意識を喪うのであった……。
主人公、覚醒?
果たして、どうなる?




