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幻想の晶  作者: 詩乃なかば
一章
7/30

出会い 1

 

 ガーランド王国 国境付近 



 暖かい陽の光と草原の香りがルイスの鼻を掠める。

 風が髪を舞い上げた。

 白い靄が晴れ瞳を開けると、そこはどこかの草原だった。

 視界の向こうに巨大な山脈がそびえている。


「これが転移!?…すごい…」

 ルイスは感動して目を輝かせた。

 転移、それは一瞬のうちに使い手を違う場所へと移動させる魔晶で、移動できる距離は使い手の魔力で異なり、オリクトの所有者では対価によって変わる。

(しょう)』のオリクトを手にしてから大聖堂の禁書庫への入室が許可され初めて知った、いわゆる特異に位置づけされる最高位魔晶だ。オリクトの所有者かそれに匹敵するほどの高い魔力がなければ行使することは不可能とされている。

 それ故に魔力の消費量も尋常ではなく…。


「!ユーリさん?!」

 ルイスは、はっとして座り込んだユーリに駆け寄った。

 息苦しそうでひどく顔色が悪い。


「…ん…、良かった、ちゃんと飛べましたね…」

 ユーリは顔を歪めながらルイスの姿を確認して頷いた。


「…、はぁ…」

 呼吸をするたびに肺のあたりを襲う激痛に冷や汗が溢れる。

 最高位のような膨大な魔力を消費する魔晶は、血中にある魔力を一瞬にして失うために体にあらゆる負担が伸し掛かる。場合によっては血管や臓器に深刻な損傷を負う危険さえもある。

 元々の魔力量も多くなく魔晶もそれほど得意ではないユーリはオリクトの力によって転移の行使を可能にさせているが、当然それには相応の対価が必要となる。

 あの場で対価となり得たのは葡萄酒二本。純度が高く、質の良い物であればあるほど対価としての価値は高いがそれでも絶対的に足りていない。残りの足りない分は血中魔力と、それから生命力で賄われる。それら全部を含めても足りるかどうかは賭けだったが、立っていられないほどの生命力を削ってようやく、と言った所のようだ。

 痛みを伴うのはさすがに堪えるが、国外までの距離ともなればむしろ賭けには勝ったと言えるだろう。


「大丈夫ですか?どこか痛むのですか?少し休みましょう」


「えぇ…」

 ユーリは辺りを見渡した。

 これと言って何もない草原。南には森が拡がっている。恐らく国境であるセキテイ山脈を越えたガーランド領にいるはず。

 であれば、『()』のオリクトは転移を行使できないので焦ってすぐに移動しなくとも追いつかれることはないだろう。

 そう安心していると、急に体が重くなるのを感じた。

 まずい…。

 オリクトに削られた生命力を取り戻すために体が機能を停止しようとしている。


「すみま…せん、…少し、休みを…」

 ユーリはそう言うと草の上に倒れ込んでしまった。


「ユーリさん…!」

 ルイスは慌てて抱き起こした。

 完全に意識を失っている。眉間にしわを寄せたまま、とても苦しそうだ。

 ルイスは草原に腰を下ろしてユーリの自身の膝の上に乗せた。ユーリを運ぶことは出来ないし、どこかも分からない場所で闇雲に人を探すのも得策ではない。このまま目が覚めるまで少し休むしかないだろう。

「ここはどこでしょうか…」

 ルイスは辺りを見渡し、鞄に入れてきたエノテイア周辺を含めた地図を取り出して眺めた。



・・・


「っくしゅん…!」

 小さなくしゃみが聞こえてユーリは、はっ、と瞳を開いた。


「!」

 頭上に鼻をこするルイスの顔があった。


「あ、良かった!気が付かれましたね」

 ユーリと視線が合ってルイスは恥ずかしそうに上を向いた。


「いえ…結構、時間経っちゃいましたかね」

 ユーリは体を起こして頭を揺さぶる。まだ意識が朦朧としている。

 真上にあった陽はすっかり傾いていた。四時間以上は意識を失っていただろうか。

 立ち上がろうとして、ずるりと体から落ちる外套に気付いた。


「ん…?」

 見ればルイスの外套ではないか。

 こんな高地の陽が傾いた中で外套も着ていないなんて、くしゃみもするわけだ。


「これ、ありがとうございます。私は大丈夫ですから、もうこんな気を遣わないでください。貴方が風邪をひいてしまうでしょ」


「いいえ、大丈夫ではありません。転移はとてつもない魔力を消費するのでしょう?私を連れ出すために無理をしてくれたことぐらい分かります。あの状況は多少無茶をしなければ打開出来なかったのでしょうが、命を削る可能性のある行為なのでしたら次はやめてください。私も知恵を絞りますし、必要であれば戦いますから」

 ルイスは早口で一気に言い放った。

 眉をひそめ、唇を真一文字にきゅっと結ぶ。


「……」

 ユーリはびっくりして目を瞬かせた。


「…ユーリ、さん?…すみません、言いすぎました。助けて頂いた身で偉そうに言える立場ではないのに」

 ルイスはしゅんと申し訳なさそうに眉しりを下げて目を伏せる。


「ふふっ…はは、あはははは!!」

 ユーリは突然笑い出した。


「?!」

 ルイスは驚いて目を見開く。


「貴方、そんな性格だったんですね?ころころと一瞬で表情が変わるんでびっくりした。口数の少ない大人しい子かと思っていたので、こんなに責め立てられるとは思いませんでしたよ!」

 ユーリは心底おかしそうに笑った。

 これまでルイスとは何度も接触してきたが、エリオスの傍で穏やかに話を聞いているか、熱心に本を読み漁る姿しか見たことがなかったので本当に驚いた。


「あの…念のため言っておきますが、父上の前で大人しくしていたわけではないのです。父上を手本にあらゆることを学ぶために努めていただけです。気に障るようでしたら控えます」

 ルイスは、まるで別人とでも言われているようなユーリの言い回しに少し頬を膨らませた。


「ふふ…、むしろ、いい意味で裏切られて、すごく貴方に興味を持ったよ。私の期待を大きく上回ってくれそうだ」

 この幼い子供は、ただ言われるがまま流されるまま、用意された道を進むだけの子供ではなく、きちんと自分の目で判断し意見も言える。旅は思っていたよりも楽しいものになるかもしれない。

 ユーリは目を細めて微笑んだ。


「そう、ですか?」

 ルイスはユーリの言葉の真意がわからず、不思議そうに首を傾げて目を瞬かせた。

「っくしゅん…」

 そして口元を抑えてまたくしゃみをする。


「ほら、体がすっかり冷えてしまった。私はもう大丈夫ですから、近くに村か町がないか探しましょう」

 ユーリは外套を手渡すと、自分の肩掛けも外してルイスの肩にかけてやった。


「ありがとうございます」

 ルイスは外套のボタンを留め肩掛けをしっかり身にまとわせて、ユーリの後について歩き出した。



・・・


 それから一時間あまり、すっかり陽が暮れ寒さが増してきた。

 幸いにも、夜の暗さのおかげで森の木々の合間から街の明かりを見つけることが出来たのでルイスはほっとして白い息を吐いた。


 その村はソルトと言って、ルイスが持ってきたユージン大陸の地図にも書かれていたので自分たちの現在地を知ることが出来た。

 ソルトはガーランド領の端の広大な森の傍にあり、薬草や香草、材木の売買でエノテイアともやり取りを行う小さいながらそれなりに栄えている村だ。

 買い付けや仕入れのために訪れる商人や旅人を受け入れるための宿屋も備えられている。妙な組み合わせの二人旅でもすんなりと受け入れてもらえたので助かった。

 ユーリは最悪野宿になったとしても慣れているのでそれほど苦ではないし気にもしないが、ルイスはそう言うわけにはいかない。

 生まれてから一度だって、豪華な屋敷の高価で柔らかな特注の寝台以外では眠ったことのない生粋の貴族。体を拭くことさえ何日かに一度しか行えないことのある旅人の生活をいきなり強いるのはさすがに可哀そうである。

 一番いい部屋を、とユーリは気を利かせようと思ったが残念ながら大部屋のベッドが一つ空いているのみだった。


「交代で休みましょう」

 ルイスはベッドに腰掛けて外套を脱ぐ。

 ユーリは一つ一つ丁寧に寝支度を整えるルイスをぼんやりと眺めた。

 油の切れそうな弱弱しいランプに照らされた金色の髪がきらきらと煌めいている。

 ルイスの纏う衣服は旅立つ用にとわざわざ簡素に仕立てられたものだ。これまでの部屋着よりも圧倒的に質素ではあったが、高貴な雰囲気と言うものは服装を変えた所で簡単に消せはしない。肌の質、髪の艶、指先、仕草、匂い、どれをとってもただの民とはかけ離れている。

 大部屋の他の客は旅人や商人、怪しい風体のむさくるしい中年男性ばかり。その中ではユーリも風変わりではあるが、ルイスの存在は異質としか言いようがない。

 連れ合いの居る旅人はひそひそとこちらを盗み見しながら何事か話し合っていた。

 奇異なものを見る人の視線と言うのは分かりやすい。会話の内容も、どうせろくでもない推測を面白おかしく話しているか、よからぬことを企んでいるかのどちらかだ。

 この先の旅路を考えると、ルイスの状態はどうにかしなければならないように思うが、どう取り繕ったところで恐らく自然に目立ってしまう。わざわざ顔を汚したり髪を染めさせるわけにもいかないし…。


「交代はいりませんよ。私は眠らないから。何時間も歩いて疲れたでしょう?明日からはまた歩き通しです。しっかり眠ってください」

 ユーリは壁の端に備え置きされていた椅子を持ってくるとそこに腰を下ろした。


「ですがユーリさんも無理をしたばかりで…」


「いえ、起きている方が楽なんです。さっき膝を貸して頂いたおかげで体力は戻っているから大丈夫。さあ、横になって」

 ユーリに促され、ルイスは気にしながらもベッドに横たわった。


「眠らずとも平気なのですか?それはオリクトの影響で?」

 ルイスはちらりとユーリの腕にあるオリクトに視線を向けた。

 

 オリクトには力を与えてもらうために対価を支払わなければならない。

 対価とは、所有者のみが知るオリクトの使用方法の一つとしてエリオスから教えられた。

 必要な対価は個々に違い、所有者はその対価が支払えなければオリクトの力を引き出すのが不可能とさえ言われる。それ故、対価は時として所有者の弱点ともなるために伝聞されることもなければ、本に記載されることも無いのだ。


「そうですね。でも必要な時は眠りますよ。食事も最低限、楽しむ程度で体は機能しますから。精神的には満たされないけど旅をする分にはむしろ便利なんですよ」


「手に余る力を得ると言うのは思っていたよりもずっと恐ろしいことなのかもしれないですね…」


「まあ、対価を得やすい私の場合はまだましだと思いますよ。私が知る中ではそれのがずっと残酷だ」

 そう言ってユーリはルイスの腕に隠れたオリクトを指差した。


「心が、対価になるのですよね?」

 ルイスは薄っぺらいシーツの中でオリクトに触れた。

 ただの無機質な金属の装飾品とは違い、どこかぬくもりのある不思議な感触。

 『晶』はまだ眠りについていて力を与えることも無ければ対価を求められることも無いと説明されたが、これがいつ目覚めて何をもたらすのか分からず、そのためにエリオスが毎日不安を抱えて過ごしていたことをルイスは知っている。


「ええ。『晶』は非常に強いオリクトです。もしかすると、どんなことでも出来るかもしれない…。でもその対価である心は補うことが不可能な唯一無二のものですから、失ったら戻らない。所有者はみな最終的にひどく残酷で、見るに堪えない結末を迎えて来ましたよ」

 ユーリは小さく息を吐いて足元をじっと見つめた。


「…ユーリさんは、それを…?」

 その酷い結末を目の前で何度も見て来たのだろうか。辛そうな、苦しそうな、悲痛に染まる瞳の奥で、今まさにその光景が再生されているようだ。


「ユーリで良いよ。さ、もう寝ましょう。目覚めたら決めなければいけないことがたくさんありますからね」

 とても悲しそうに瞳を細め、ユーリは微笑む。


「はい、おやすみなさい」

 露骨に話を切られた。聞いてはいけない、踏み込んではいけない話だった。

 ルイスは知りたいと思いながらも、ユーリから話してくれるようになるまでこの話題は振らないようにしようと心に決めて瞳を閉じた。



・・・


 翌朝。

 ルイスは背中と腰の痛みに目を覚ました。


「あまり眠れなかったみたいですね」

 寝返りを打つと苦笑いを浮かべるユーリと目があった。

 言っていた通りユーリは夜通し椅子に座ったままルイスの傍で過ごしたらしい。


「いえ、そんなことはないです…」

 ルイスは体を起こしてきしむ背中を伸ばした。

 そんなことはないとは言ってみたものの、薄い綿を敷き詰めた寝台はあまりにも堅く、木の床とほとんど変わらないように思う。

 疲れがとれたとはとても言えないが、野宿をせずにすんだのだ。愚痴をこぼすわけにはいかない。


「私の前では別に愚痴っても良いんですよ。痛そうに、何度も寝返りをうってて、眉間のしわがすごかったんですから」

 ユーリは眉間を指さしてくすくすと笑った。


「大丈夫です」

 ルイスは寝顔を見られていたことが恥ずかしく肩をすくめる。

「?みなさん早いのですね」

 ふと部屋を見渡すと、大部屋にいた他の泊り客は皆すでに出払っているようだった。まるで自分だけが寝すぎてしまったように思う。


「ほとんどの旅人は陽が出てる間しか町の外を出歩きませんからね。必然的に朝も早くなるもんですよ。それより、ルイスお腹はすいてる?と言っても私は何にも持ってないんで、どこかで調達しないといけないけど」


「いえ、今はそれほど…。保存食を少し持って来ていますのでそれで大丈夫です」

 ルイスは外套を羽織り、ベッドの端に座り直して鞄から小袋を取り出した。


「ほう」

 ユーリはきちんと用意してきているんだな、と感心して頷いた。

 しかし、よくよく観察していると、鞄は限りなく質素に抑えてはあるが、保存食入れの袋は上等な絹で出来ていて銀の刺繍があつらえられていた。貴族ですと自ら名乗っているほど高価な代物だと一目でわかる。

 さすがに鞄の中身まで質素に出来るほど質素な物が家に無かったのかもしれない。エリオスも今後のことを考え気を配ってはいたのだろうが、彼も王族生まれの貴族育ち、そこまで気が付くはずもないか。

 ユーリは思わず失笑してしまった。


「ユーリさんは?」

 ルイスは小袋から保存用に干した塩漬けの肉を、繊細な彫の施されたこれまた高価な銀製のナイフで裂いてユーリに差し出す。

 このナイフだけで庶民の一週間ほどの食費に相当しそうだ…。


「では一口。あと、昨日も言ったけど敬称はつけなくていいよ」


「そうでしたね、気を付けます」

 ルイスは小さく頭を垂れると塩肉の欠片を口の中へ運んだ。

 食べなれていない堅い塩肉を顔をしかめながら一生懸命咀嚼する。

 ユーリはそんなルイスを見て、また小さく笑った。

 これでは仕草の一つとっても貴族丸出しだ。身なりや小物を旅人らしくそろえたところで全く意味がない。ただの旅人ではないことがバレバレである。


「ルイス、まずいくつか決めておきたいことがあります」


「…?何でしょう?」

 まだ噛み切れていない塩肉を飲み込んで答える。


「まずは私たちの関係性です」


「ええと…、父上のご友人?ですよね?」


「まあ、実際はそうなんだけど、それだと長旅をするのに関係が浅すぎて突っ込まれた時に説明が面倒になります。近所を散歩するわけじゃないんですから」

 ユーリは頬を掻いた。


「そうですか、では兄弟と言うのはいかがでしょう?」


「それも無理がありますよねぇ、似てる要素ないし。そもそも兄弟でこんな話し方おかしくないです?」


「そうですか?私はこれが普通ですが」


「……そうか、そうだね、父親相手にもそんな話方だったね……」

 ユーリはうな垂れた。


「あのですね、旅をする上で、金目の物を他人に見えるように持っていたり、身分が高そうに見えることは危険を伴うんです。質素で、出来る限り目立たないようにしなければいけないんですけど…昨夜色々考えて、それはもう何て言うか、根本的に無理だなって気づいたんで、敢えて堂々と行こうかと思います」


「??はい…。私はどう振る舞っていれば良いでしょう?」

 ルイスはまるで分かっていない様子で目をぱちくりとさせた。


「私もルイスもこのままで。でも肩書をはっきり作ります。ルイスはアランドールから他国の見聞に来た豪商の息子と、私はその護衛に雇われた素行の悪い従者ってことでいかがです?」


「自分で素行が悪いと言ってしまうのですか」

 ルイスおかしくてくすくすと笑い出した。


「変に嘘ついてもぼろでそうですしね。私の雰囲気だと素行のわるーい従者って感じして本当っぽくない?」

 ユーリは顎に手を当ててにやりと悪そうな笑みを浮かべてみる。


「確かに、すごく合っている気がします」

 ルイスは妙に納得したようにうんうんと頷いた。


「そんなにしっくりこられても複雑ですけど…。とまあ冗談はさておき、それから、旅の目的を少しはっきりさせましょうか。ただエノテイアから逃げ続けるってだけじゃないでしょ?」


「…そうですね…昨日まではそれで良いと思っていました。とりあえずはエノテイアから距離を置く。その後、父上には何か考えがあったようで、私はそれに従うつもりでしたので」


「そのエリオスはエノテイアです。貴方の考えは?」


「私は…、最終目的としては父上をエノテイアから解放してあげたいです。そのためにいま思いつくのはオリクトを目覚めさせることなのでしょうが、果たしてそれが正解なのかどうかも今の私には分かり兼ねます。ですので、当面はその辺りの知識や経験を得られるような旅を出来たら良いなと思います」


「なるほどね。エリオスを助けるのが目的なら、あの『環』の印をどうやって解呪するかを考えないとですね。私のオリクトでは相殺できないから、『晶』の力をどうにかするか、何らかの手段を探すかしないとですけど…」

 ユーリは考え込んで眉をひそめた。

 そもそもこの『晶』は目覚めるのだろうか?

 このままルイスが死を迎えるまで眠り続けると言う可能性もなくはない。

 仮に目覚めさせることが出来たところで対価を払わずにそれを制御できるのかどうか怪しくもあるが…。


「もしオリクトが目覚めたとしても私にはとても扱うことは出来ません。対価を支払うわけにも行きませんし…。エノテイアでは知り得なかった知識と能力を身に付け、その時までにあらゆる選択肢を作っておかなければとは考えています」

 ルイスは両手をぎゅっと握りしめた。

 今の自分は無力だ。魔晶が扱えない時点で圧倒的に凡人よりも劣る。

 知識と少しの鍛錬に晶石さえあれば基本的に誰でも出来るはずの火を起こす魔晶も、小さな傷を癒す治癒魔晶も、ルイスは道具や人に頼らなければ成し得ない。

 剣の腕もエリオスの教えによって形にはなったが才能があるとも言えず、唯一、人よりも秀でていることと言えば膨大な量の本の内容や戦略的な頭の回転の速さと言った知力の部分だけかもしれない。


「分かりました。私もオリクトについては何でも知っているわけでは無いですし、お互いにオリクトについての知識を深める目的で各地を回ってみましょうか」

 ユーリは、心の奥でじりじりと焼けつくようなルイスの激情を感じて微笑んだ。

 これは渇望だ。力を、知識を、可能性を求める貪欲な人間らしい欲求。

 懐かしい感覚にオリクトが疼く。

 素直に何かを願い、力だけを求めて足掻いた遠い過去を思い出してしまう。


「あ、それと、ユーリ。もしあの時、あなたがいてくれなければ私は今頃ヒイラギ様の元に縛られることになっていたでしょう…。私たち親子に可能性を与えてくださり本当にありがとうございます」

 ルイスは立ち上がると丁寧に深々と頭を垂れた。


「ちょ、ちょっと、設定設定!主が従者に頭なんか下げちゃだめですよ」

 ユーリはぎょっとしてルイスの肩を掴んであげさせた。

 今は誰もいないから良いが、こういうことをしているといつどこでぼろが出るかもしれない。日頃からいかなる時も役に徹するのが真実味を持たせるコツだ。


「ですから、今の内に伝えておきたかったのです」

 そう言って顔をあげたルイスはにこりと微笑んだ。


「なるほど、分かりました。頭を下げるのはこれを最後にしてくださいね」

 素直で清らかな心は、日陰を歩んで来たユーリにとってあまりにも眩しく、直視するのは辛い。

 不確かで危うくて、でもあらゆる可能性を持った未来ある者が狂っていくさまを何度も見て来たから。そしてその輝きをいくつもこの手で消し去って来たから。

 いつか、ルイスにもこの刀を振り下ろす日が来るかもしれないと思うと、…。


「ユーリ?」

 ユーリの表情が微かに陰るのを感じてルイスは目を瞬かせた。


「いえ、失礼、ちょっと考え事してました。さぁて、まずはどこを目指しましょうかね」

 ユーリは、ぱっと表情を戻し、ルイスの鞄から地図を取り出し広げる。


「えーと、ここがソルトで…。南東方面にガーランドの王城グランシュ。ここの城は『(つるぎ)』のオリクトが守護しています。で、南西に三日ぐらい行くとジュラ連合領の国境かな。ジュラ連合については私もよく知らないんでオリクトがあるかは行ってみないと分からないですね」

 地図を指差しながらユーリは、うーんと頭を捻る。


「ガーランド王国はエノテイアの友好国で父上の母国でもありますし、必ず最初に大聖堂から報せが届くはずです。ふらりと現れた旅人はまず警戒されますからグランシュには近づかないでおきましょう。とすれば、ジュラでしょうか…。オリクトの所有者同士はお互いに存在を認識できるのですか?」


「そうですね、相手にもよるけど向こうが遮断していなければ分かりますよ。でも所有者にも良い人もいれば危険な思考の奴もいる。接触しないに越したことはないんだけど、『晶』を目覚めさせたいなら色んなオリクトの所有者と出会うのは必要なことなのかもしれませんね」


「ユーリのオリクト頼りになってしまって申し訳ないのですが何か分かれば教えてください。対価が必要なオリクトの使い方をしないですむよう私も尽力しますので」


「うん。必要とあらば私はある程度、補充できますから。まあ、もし昨日みたいなことがあればまた膝を借してくれれば助かりますね」

 ユーリは一寸考えたのち、頷いて微笑んだ。


「はい!」


「ではいきましょうか。支払いはすませてありますので」

 ユーリは颯爽と立ち上がると刀を脇に差した。


「すみません、ありがとうございます。あの、実は先ほど気付いたのですが…」

 立ち上がって鞄を肩にかけルイスが申し訳なさそうに瞳を伏せる。


「何です?」


「世間知らずと言われても仕方ないのですが、お金を持たずに来てしまったようで…」


「…え?っえぇー?!!うそでしょ?!」

 ユーリは思わず声を上げて顔を引きつらせた。

 心配性のエリオスならば無駄に多い額を持たせているはずだから当分は資金に困ることはないだろうと思っていたが、まさか、持って来てすらいなかったとは。


「私は持ち合わせがありませんので、父上に事情を説明して用立てて頂こうと思っていたのです。きちんとお話をする前にこうなってしまいまして…」


「まあ、そうか、そうですよね」

 ユーリはうーん、と額を抑えて項垂れた。

 よくよく考えれば、貴族の子供と言うのは自ら金銭を支払う習慣がないので当然自分のお金と言うものも持っているわけがない。ユーリは階級の高い貴族を連れて旅をする苦労を身を持って実感した。


「申し訳ありません、何から何まで頼ることになってしまいまして…」

 ルイスは更にしゅんとして頭を下げた。小さな体がより小さく見える。


「いや、それならしょうがない。気にしないで。どうにでもなりますから」

 そうは言ってもルイスの表情は晴れない。

 出来るなら、こんなつまらないことで罪悪感に囚われるようなことはして欲しくない。ずっと本心を別の所に置いて育ってきたのだろうから、これからは愚痴をこぼしたり、我儘を言ったり、顔をあげて世界を歩いて欲しいとユーリは思った。


「ね、今頃エリオスは真っ青な顔で叫んでるんじゃないですか。『ルイスは旅賃をどうしているんだっ?!』ってさ。あの人もなかなか馬鹿真面目だからルイスが無銭飲食することにならないか毎晩頭抱えてそうじゃない?」

 ユーリは面白おかしく大袈裟な手振りでエリオスの真似をしてみせた。頭を抱えている項垂れる仕草はそっくりだ。


「ふふ、父上ならあり得ますね。それでまた寝不足ですね。父上らしいです」

 ルイスはユーリの真面目な顔がおかしくて笑い出した。


「うん…。貴方は笑っていた方が良いな。世の中大抵のことはなんとかなるから、困ったときは気を落とさないでどうすれば良いか一緒に考えましょうね」

 ユーリはルイスの頭をぽんぽんと撫でた。


「はい、ありがとうございます」

 励まそうとしてくれるユーリの言葉を素直に受け取りルイスは頷いて微笑んだ。




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