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幻想の晶  作者: 詩乃なかば
序章
4/30

始まり3

 

 ・・・


 木の上で考え事を始めた男は隣の枝に現れたアトラに気付いて瞳を開いた。


「ふうん、こんなに堂々と虫が入り込んでたんだな…。おまえ、状況が分かっててここにいる?」

 アトラは男をじっと見据えてその様相を観察する。

 黒髪に血のような紅色の瞳、黒い服に朱鞘の刀。ヒイラギから聞いた昔話の男と同じ風体だった。


「やあ、初めて会う子飼いですね。ヒイラギはどうしてる?さすがにそろそろ死んだ?」

 男はアトラの方を向くとにっこりと微笑んだ。


「こっちが先に質問してる」


「えー、せっかちだなぁ。もちろん分かってますよ。そして今さっき確信したところ」

 男はため息をついて両手を挙げる。


「あのオリクトはエノテイアの物だ。おまえが何しにここに来てるのかは知ってる。手を出すつもりならそれ相応の対処をする許可が出てる」

 アトラは目を細めて右手を出した。晶石がはめられた腕輪が光る。


「まあ落ち着いて。私はそのつもりだったんですけど、どうも様子がこれまでと違うみたいでしてね」

 男はちょいちょい、とキャトラ邸を指差した。


「違う?」

 アトラは訝しげにキャトラ邸の様子を眺める。

 オリクトを手にして、その後ルイスは意識を失ってしまった。今は寝台に寝かされている。


「オリクトがあの子を選んだのは間違いないけど、あの子は何者?魔力がないからオリクトの影響を受けないのかと思ったんですけど、どうもオリクト自身が制御してるようにも見える。あのオリクトとは付き合い長いけど、こんなこと初めてで私もどうしたものかと悩んでるんですよ」

 男は興味深げに身を乗り出してルイスを見つめる。


「……」

 アトラもその状況をじっくりと観察して眉をひそめた。

「ふうん…。つまりさ、オリクトの影響が出てないからおまえは今のところ何もしないって解釈でいい?」


「そうなりますかね。何も起きてないんじゃただの人殺しになっちゃいますから」


「何を今さら。元からただの殺人鬼でしょ」


「失礼だな、ヒイラギに何聞かされてんの?私は救済者ですよ」

 男は目を細めてにやりと微笑んだ。


「あはは!おまえが基準なら僕らはみんな救済者だよね!」

 アリアは高らかに笑いながらその場を後にした。


「人を底辺みたいに…。まあ、否定はしませんけどね」

 男は自嘲を込めて呟くと無表情で空を仰いだ。



 ・・・


 オリクトがヴィルヘルムの手からルイスの手に渡り、直後にルイスは高熱を出して寝込んでしまった。

 その後、家を訪れたアイネル卿は状況をすでに理解しているようで的確に対処を進めてくれた。

 高熱はオリクトを手にした影響であることは間違いなく、魔力の根源であるオリクトをルイスの体がすぐには受け入れられず防衛本能が過剰に働いている、と言うのがアイネル卿の見立てだ。

 オリクト自体が選んだ所有者を破壊するような事は決してないそうなので体が慣れてくれば自然と熱も下がるだろうと言うことだった。

 少しほっとした。


 ルイスの体質についての研究はオリクトの所有者となったことで一度保留にしてもらえることになった。ただし、視認者を必ず付けそして調書の提出が条件だ。

 私か、私が不在の場合はもう一人適任者を選び、一定期間毎に魔晶庁へ届け出なければならない。

 私は再び頭を抱えた。

 ルイスの体質のことも、オリクトのことも口外することは出来ない。家の者にさえ話すのは憚られる。

 情報が外へ洩れれば、どんな勢力に狙われるか分かったものではない。


 アイネル卿からは私の手元に置くのが危険と判断した場合は直ちに魔晶庁で預かることになるとクギを刺されてしまった。特異な体質に加えオリクトの所有者になってしまったのだ、魔晶庁へ入庁すればどのように扱われるか想像に難くない。それだけは避けたい…。



 ・・・


 適任者を選べずにいるまま、一週間が過ぎた。

 ルイスの熱は下がり、オリクトも落ち着いている。

 ルイスにはオリクトについての説明と、自分の立場がどうなったかについての説明をしなければならなかった。

 他のオリクトと同様にエノテイア保有の国宝となり、ルイスの身柄は強制的に魔晶庁所属のキャトラ家預かりになったこと。この国で生きていく以上そうするしかないし、それを受け入れるしかないと言うことを順に説明する。

 望んだ未来ではない道を辿らせざるを得ない運命に私の心は痛んだ。


 ルイスは賢くとても優しい子だ。私の苦しい立場を理解し、素直に状況を受け入れてくれた。今は書庫にこもってオリクトの勉強に励んでいる。

 前向きなルイスを見て、自分の責任だと罪悪感に悩まされていた様子のヴィルヘルムにもようやく笑顔が戻った。

 ヴィルヘルムは子供なりに一生懸命ルイスの看病に当たってくれた。

 アイネル卿の少々高圧的な事情聴取に臆することなくしっかりと受け答えし、彼に懇願して教えてもらった熱冷ましの薬草の調合も今ではお手の物だ。

 勉強嫌いのヴィルヘルムがルイスと一緒に書庫にこもり薬学の本を読み漁っている。魔晶が効かない可能性のあるルイスのために自分が出来ることを彼なりに考えた結果、自ら机に向かった。


 私は、私の留守の間の視認者を彼に任せようと考えるに至った。

 子供に子供を付けるなど何を考えているんだと魔晶庁に嫌味を言われかねないが、彼は十分な適任者だと言える。

 ルイスがオリクトの所有者になったことに大きな責任を感じている分、その責任を役目に替えてやればそれは強さになると思う。

 それに、ヴィルヘルムにはオリクトによってもたらされる国家的な利益よりも、今日の夕食のメニューや私との鍛錬、たまに出かける商街の菓子屋、武具屋、最近では薬学にしか興味がないと言うのも重要な要素になった。

 冷淡な言い方をすると彼には彼の立場を利用しようとするような近親者ももうおらず、この話を軽くヴィルヘルムに提案したら非常に喜んで熱心に聞いてくれたのが決め手となった。

 私と同じように純粋にルイスのためを思ってくれているのは疑いようもない。自らの意思で好きでもない学びの席に着いたことが何よりも本心を現している。

 もちろん、ヴィルヘルムにはヴィルヘルムの好きなことをして生きて欲しいと言う気持ちもあるので、いつか将来をしっかり見据えた時、好きなことをさせてやりたいと思う。



 ・・・


 ある日、大聖堂での泊まり勤務から帰宅し、倒れるように寝台に転がった真夜中のこと。

 考え事をしながら眠りにつくと、気付いたら私は白い靄の中にいた。

 靄の中を進むと、良く知る我が家の書庫に出た。

 そこには難しい本の複写暗記を行っているルイス。傍には見知らぬ男が机にもたれ掛るように立っていた。

 黒い服を身にまとい、異国の刀を腰に差している。私より十は若いだろうか。どこかの観劇の演者のような、小奇麗で整った容姿をしている。エノテイアらしからぬ顔立ちはどこかで会っていれば絶対に忘れない。

 無造作に伸びた前髪の隙間から恐ろしく紅い瞳が、ルイスを神妙な表情で見つめていた。


 私が声をかける前に、男はこちらに気付いて口を開いた。


「ずっと不思議なんですよ」


 私は眉をひそめ、おまえは何者かと問う。


「このオリクトの監視者、とでも言うのかな。でも今は、そうだなー。ちょっと興味が湧いた。何でこれが眠るようにそこにいるのか気になって」


 男はそう言ってルイスの手を指差してにっこりと微笑んだ。

 ルイスのオリクトを知っているのか?と私は聞き返した。声は出ないが言いたいことはそのまま男に伝わっているようだ。


「知ってますよ、ずーっと昔からね。なんでこのオリクトと共存できているのか不思議で、知りたくて、この子の夢に入ってみたと言うわけ」


 夢に?入った?


「そう。まあ、細かいことは気にせず。この子の夢は精練された晶石のように透明で澱みがなく、夢なのに理性が形成されている。全くオリクトの影響が出ていない。そのせいなのか、外部に影響が出て貴方まで入り込んでしまったけど」


 私?そのオリクトはルイスに影響はないが外部に影響を及ぼすと言うことか?


「可能性としてね。このオリクトは所有者の心を奪っていくんですよ。力を与える対価が心と言うわけ」


 力を与える対価?オリクトは皆そうなのか?そんな話は初めて聞いた。


「所有者の生死を脅かし兼ねないんで基本的に機密扱いだと思いますよ。オリクトと言う強大な力を手に入れれば引き換えに何かを失う。それが対価です。奪われるものだったり、呪いのようであったり…何がどうなるかはオリクトによって様々。たとえば、ヒイラギのオリクトは…っと、これは内緒にしておいた方が良さそうだ」

 男は、ふふふ、と口に手を当てて笑った。


 君は一体…?


「誰ですか?」

 突然、本を読んでいたルイスが振り返って男の腕を掴んだ。


「!…え…」

 男は驚いて目を見開いた。同時に書庫の景色がゆっくりと歪んでいく。


「私に気付く?!理性が強すぎるのか?単純に魔力がないわけではないのかも…」

 男は独り言を言いながら目を見開いてルイスをまじまじと見つめた。


「?父上のお知り合いですか?」


 ルイスは今度は私に問いかけてきた。


「まずいな。強行手段だけど…貴方も出よう」


 男はルイスの手をぱっと振りほどくとふわりと浮いて白い靄になった。

 同時に私の視界も白い靄に包まれる。



 はっ、と意識が戻り私は飛び起きた。

 自室の寝所だ。月明かりが窓から延びて部屋をうっすらと照らしている。まだ夜も深い。

「…夢か?何と不思議な…」

 私は額に手を当てて息を整えた。

 そして、人の気配に気づく。

 暗闇に瞳が慣れてきて、ソファーの傍に誰かが立っているのが視界でも捉えられた。

「何者だ!?」


「…あぁ、…良かった、戻れましたか。危なく精神が囚われるところでした…」


 この声は夢の中で今さっき聞いたものだ。

 男は少し苦しそうに額を抑えて頭を揺さぶっている。


「囚われるとは…夢に?ルイスの?」


「ふー…。うん、貴方は近親者だから認知されやすい。そうなるとあの子自身が現実と夢の区別がつかなくなるので非常に危険なんですよ。もし同じようなことがあれば白い靄へ向かってくださいね、出られるから」


「あ、ああ。状況はまだ理解出来てはいないが、覚えておくことにするよ。今は君が助けてくれたのか?礼を言う」


「…成り行きです…」


 男は眉をひそめながら、小さく笑った。

 額を抑えるその左腕には、暗闇でもはっきりと分かる鮮やかな緋色の晶石が輝いていた。


「きみ…いや、貴殿は一体…?」

 私はごくりと唾を飲み込んだ。


「ユーリと言います」


 そう言ってユーリと名乗った男は夢で見たのと同じ紅い瞳を開いて微笑んだ。

「ユーリ殿、そうか、私の名は…」

 次の瞬間、彼は崩れ落ちるようにソファーに倒れ込んでしまった。

「?!大丈夫か?」


 私は寝台から飛び起きて慌てて駆け寄る。

 暗闇で良く見えなかったが顔色は青白く、冷や汗をかいていた。呼吸も荒い。本当に具合が悪そうだ。

「いま、医者を…!」


「…いや、必要ない…。強制解除したから…、少し休ませてください…」


 そう言うと彼はそのまま意識を失ってしまった。

 その左腕で緋色の晶石が瞬いていた。


「…やはり、これはオリクト…」

 私はその神々しい輝きを見て、ぞくりと背筋に寒気のようなものを感じた。



・・・


 少しだけ、と言っていた通り、ユーリは昼前には目を覚ました。

 眠っていたはずなのに目覚めた彼は非常に疲れ切っていた。仕方なく寝たが後悔したと言っていた。理由は分からないが眠ることは彼にとって大きな負担になるらしい。

 もう行くと言う彼に、朝食を用意していると無理矢理引き留めて、少しだけ語らう時間を作ってもらった。

 私は彼に質問攻めだったが、彼は可能な限り質問に答えてくれた。

 まず彼が何者かについては”オリクトの所有者”と言う事実以外は関係がないので話してはくれなかった。今はそれを知った所で意味はないと。私もそれ以上は聞かないことにした。

 ルイスのオリクトについては踏み込んで良い限りの話だけ教えてくれた。

 あのオリクトは魔晶の根源に関わる『(しょう)』のオリクトと言うそうだ。

 エノテイアには現在二種類のオリクトが保有されており、それ以外のオリクトについての情報は特務に就くに当たり開示されたが、『晶』の名はどこにも載っていなかった。アイネル卿は初めから知っている風ではあったが詳しいことは教えてもらえないままだ。

 そしてこのオリクトは今、何故か眠りの状態にあると言う。恐らくルイスがまだ幼いためにオリクト自身が自らを制御し、最も最適な状態に至ったのではないかと言うのが彼の推測だ。

 こんな状態のオリクトは見たことがないのでいつ機能を取り戻すのかは彼にも分からないらしい。仮に機能を取り戻したとしても魔力のないルイスが対価を支払う事態になることは恐らくないので安心して良いと言ってくれた。

 いずれにしてもルイスの成長と共にはっきりとした答えが出るだろう。


 話が一段落し彼がそろそろ帰ると言い出した頃、ノックと共にルイスが部屋を訪れた。


「お話中に失礼いたします。お口休めはいかがでしょうか」


「ありがとう。ユーリ殿も、お帰りの前に一杯お付き合いください」


「分かりました、頂くとしましょう」


 ルイスは嬉しそうに部屋に入ってきて、ユーリにお辞儀をした。

「友人のユーリ殿だ」


「初めまして、ユーリ様。ルイスです」


「はい、どうも、よろしく。私に様なんてつけなくていいですよ」


 ユーリは気さくに答え、微笑み返す。

 勝手に友人と紹介したが不快には思われていないようだ。


「では…ユーリさん。お好みでお砂糖やミルクをどうぞ」


 ルイスはカップを私とユーリの前に差し出す。

 私はまずは香りを楽しんで一口。

 今日はトルワドレモンの葉だ。爽やかな味とすっと抜けるような香りの茶葉は寝不足気味の疲れた頭をすっきりとさせてくれる。さすがルイス、良い選択だ。


「んー…いい香り。へえ。もっと薄いのかと思ったけど味はしっかりしてて美味しい。お上手ですね」


 ユーリ殿も気に入ってくれたらしい。


「ありがとうございます」


 ルイスは恥ずかしそうにはにかんで微笑んだ。

 愛らしい笑顔につられて私も微笑む。

 十歳になり最近では男の子らしい顔つきになってきたとは言え、こうして笑うと女の子と言ってもまだ通る。母親に似ているからだろう。


「あの、ユーリさん。また我が家へお越しの際はお茶の時間にお付き合い頂いてもよろしいでしょうか?」


「!…えーえっと…」


 ユーリは返答に詰まった。

 私たちとの接触はきっとこれきりにするつもりだったのだろう。


「私からもぜひ。ルイスのお茶のついでに話し相手などして頂けるとこの子のこの先の将来のためにもなるかと。お願いしたく思います」

 私は別の意味も込めてユーリの瞳をじっと見つめた。

 彼もオリクトの所有者、ヒイラギ様と面識があることからも見た目よりもずっと長く生きているはずだ。

 オリクトについての知識など授けてもらえれば、私が教科書片手に教えるよりもずっと良い経験になる。


「うーん…分かりました、良いでしょう。私も興味あるし。でも出来うる限りですからね」


 ユーリ殿は困惑しながらも息を吐いて、諦めたように頷いた。

 やった!とルイスは喜んで立ち上がる。

 私と顔を合わせてとびきりの笑顔を見せてくれた。


「はぁ、絆されて困るのは私なのに…」

 ユーリは私たちに聞こえないようにそっと独り言を呟いていた。



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