5,嘘から出た裏目
『……あの巫女様の奔放さにそろそろ誰か歯止めを掛けてくれないものでしょうか。……仕方ありません。予定していた通りに案内してください。長時間待たせることは出来ません。十六名には迅速に招集をかけ、過半数が拒否した場合は先ほど述べた通り、巫女様に交渉を行います』
『巫女様に付いてきたのは何名でしょうか? あの補佐がいると諸々不都合が生じますが……』
『……残念なことに、社の三本柱が揃っています。巫女様がいるので現状、そこまで横暴な振る舞いは見せていませんが、城内に長く留めることは避けた方が宜しいかと』
『全員が来ているということは、あの十六名に対して何かしらの期待があるということ……、違う。三十二名に期待があるということ……でしょうか。……考えても分からないですかね。皆さん、こちらの意図を悟られぬよう、慎重に動いてください』
その宣言を最後に会話は終了した。会議の場に何人いたのかは分からないが、今考えるべきはそこではない。これからすぐにでもこの部屋を訪問してくるであろう社の巫女様への対策だ。
ずっとこめかみに指を立てていた葉雪は疲れたように息を吐く。実際は疲れてはいない。ただ少し不思議なだけだ。消耗したという実感もないゆえに、疲れていないという現実がより一層不可解に感じる。
魔法やらスキルやらを使用する際は、ゲーム的な常識に当てはめれば魔力とかⅯPとかを消費するはずだ。いや、そうでなくとも、何も消費することなく能力を使用するというのは葉雪的には納得しかねるところだった。
自覚できないような何かを代償として払わされているという可能性も無いではないが、ここまで何のデメリットもなく、あそこまで便利なスキルを行使することが出来るというのは――まさか、女神さまの加護とやらだろうか。
趣味は悪いが待遇はいい辺りに余計な性格の悪さを感じる。
葉雪の様子を見て、『交信』が切断されたことを察したのか、多救が深く息を吐く。
「面倒なことになって来たな。どうするよ。巫女様がかなり近い内にここに来るぞ」
「私達が行くんじゃないの?」
「過半数が素直に頷くなんて、お前だって思ってないだろ? 俺だって拒否するつもりだし」
「拒否するの? 巫女様って言うからには絶対に可愛いよ? もしくは美人だよ? 異世界の巫女さんって言うのは大体見た目がいいって相場が決まってるんだから、素直に頷いて心象良くしといた方が良いんじゃない?」
「別に失礼な態度取るつもりはねえよ。クラスメイトが死んで、ショック受けて意気消沈の振りしちゃったんだからここで素直に頷いたら逆に不自然だろうが。それに、少人数の方が嘘は吐き易いしな」
「嘘、ねえ。実際巫女様に嘘って通じるのかな? 巫女様の言葉で判断できるって、具体的にどういうことなんだろうね?」
「……正直、現段階じゃ会ってみないと何とも言えんな。会いたくないなんてごねても通じないだろうし……、あ、そうだ。寝たふりでもすればこのイベントもスルー出来るんじゃ――」
と、多救がそこまで言ったところで扉が控えめに二回ノックされた。余りにも狙ったかのようなタイミングに思わず目を合わせる二人だが、仮にもここは城内の客間だ。防音がしっかりしていないということもないだろう。
多救は嫌そうな顔を浮かべながら扉に向かう。この部屋に葉雪がいることに関しては、まあお咎めは無いだろう。二人とも情緒不安定になっているような演技をしたし、一人でいたくなかったとか言っても、まさか責めるような言葉は返って来ないはずだ。
そもそも城は多救達を責められるような立場ではない。半数を死なせたことに対し、もっと真摯に対応してもいいし、本来だったら土下座したって許されないような暴挙だ。生き残ったクラスメイト達に殴られたって文句を言えるような偉そうな立場にはない。
ヒステリックに喚きたてて追い返されたって不自然は無いような状況に追い込んだという事実に対し、軍師姫が特に何も感じていないのは先ほどの『交信』で理解できたが、まさか兵士までもが全員揃って罪悪感を感じていないということは無いだろうと思いたいところだ。
多救は気分が悪いような、今にも色々なものを吐いてしまいそうな顔色の悪さで扉を開ける。だが葉雪は知っている。あの顔は仮病を使って学校を休もうとするときに多救が作る顔だと。
「……なんでしょうか」
「突然申し訳ありません、不和多救様。実は、本来であれば今から二時間後にこちらに来るはずだった巫女様が、予定を繰り上げ只今城に来ているのです。不躾で失礼なことを言っているのは分かっていますが、招集に応じて頂けませんでしょうか」
「……お断りします。俺だけじゃない。クラスの皆だってそんな横暴な命令に従うわけがない。よくもまあ随分ぬけぬけと言ってくれるものですよ。俺はこの部屋から出ません。あのお姫様にいつどんな方法で殺されるか分かったものじゃない」
軍師姫のことを口に出した瞬間、兵士の顔が強張り、空気が少しだけ緊張した。それを見逃す多救ではないし、それを感じない葉雪ではない。
おそらく、この兵士が抱いている罪悪感、申し訳なさは本物だ。まさか軍師姫の部下も、来た早々の異世界人を半分使い捨てるなど予想していなかったのだろう。
多救の演技は相当のものだ。幼い頃から自分の立場を都合の良い物にするため数多くの嘘を吐いてきた多救は、本心でないことを本心であるかのように口にする。怨嗟の籠った声で発された軍師姫への罵声を、兵士が諫めることが出来なかったのが、演技の質を証明している。
だが、あながち嘘と言うわけでもない。少し間違っていれば多救も葉雪も死んでいたかもしれない。その点に関して、軍師姫に抱いている憎悪は嘘ではなかった。
今の兵士の反応から葉雪は二つのことを確信した。軍師姫は部下からも恐れられていることと、軍師姫が立てる作戦は一部の人間にしか共有されないということ。
つまり、この城そのものは一枚岩ではないのだ。軍師姫という強力な兵器を核として纏まっているだけの、求心力など欠片も無いただの集団。
「そのようなことはしません。先ほどの件は、魔族の突然の襲来による不幸な……、事故でした。ですが、一度倒した以上、奴らはこちらの戦力を警戒して、もう一度と軽々しく攻めてくることは無いでしょう。万が一そうなったとして、皆様は我々が守ります」
「信用性が無さすぎる。俺達はこの城の人間を血も涙もない悪魔だと思っています。目的の為ならば事情も知らない一般人を巻き込むような、どうしようもない戦争中毒者だと。そんな貴方達の護衛を信頼して外に出ろと? 冗談でしょう?」
「……言っていることは分かります。弁解のしようもありません。ですが、巫女様は皆様のこれからの行動の指針を示してくれるはずです。ですから、話を聞くだけでも――」
「行末葉雪はここにいます。自分の部屋に一人でいるのは耐えられないと言ってこの部屋に来ました。そんな奴を一か所に集めて、まともに話が出来ると本気で思っているんですか? いまだに起きない奴だっているんでしょう? この城の偉い人達はそんなことも想像できないんですか? 少し、人の気持ちを理解することを学んだ方が良いかと思いますね」
多救の言葉に流石に表情を歪める兵士だが、多救がそういう人の感情を気にすることが無い人間だと葉雪は知っている。自分の方が優位にいるのならば、その状況を最大限利用した交渉が必要だ。
と同時に、かなり鬱憤を晴らすという目的が含まれているのは見ていれば分かる。何せ学校鞄の中に入れていたから携帯すら所持していないのだ。暇つぶしの道具も娯楽もない。客間とは言っても、状況から考えればこんなものはほとんど誘拐からの監禁だ。
元の世界ならば間違いなく手首に冷たい輪っかが掛けられることになる。
葉雪としても現状には好ましさの欠片も無い。なにせ新作のゲームを昨日買ったばかりだ。パソコンだってスリープ状態のままだし、親に覗かれたら迷いなく自殺だ。やましいものが山ほど入っている。
そういう意味では、一番の要求は今すぐ帰らせてくれだが、そんなものが受け入れられるわけがないのは分かっている。そもそも返す手段をあの軍師姫が用意しているとは思えない。
礼虎高校一年B組を消耗品として呼び出したあの軍師姫が、そんなアフターケアを用意しているわけがない。
「……分かりました。現在協議中ですが、恐らく巫女様がこちらの部屋を訪ねてくることになると思います。巫女様は『鎮魂の社』という宗教団体のトップです。年齢は十六歳と若いですが、飾りではなく、指導者としての才がある正式な長です。礼を失した言動は、控えた方が良いかと」
「……法で罰せられる、とかですか?」
「いえ、恨みを買う、と言いましょうか。『鎮魂の社』の三本柱と呼ばれている三名は、名誉や名声を重視しています。気に入らないと思ったならば、何をしてもおかしくはない。気を付けてください」
「……『鎮魂の社』と女神様はどういう関係があるんです? 今の言い方からすると、貴方は社に所属していないけれど女神様は信じているんですよね? どういうことです?」
「女神様を信じているというわけではなく、女神様は実在するのです。そして、その代理者としての権限を持っていた者の子孫が巫女様なんですよ。社は、女神様を妄信する者達の集いです。我々は妄信はしていない。だから社には所属していないということです」
女神様が実在するという、妙な確信を持った断言に葉雪は首を捻る。神様は人々の信仰が形作る偶像だ。人がいるから神様はそこに存在するということになる。前提が逆なのだ。
神様がいるから宗教団体が出来たというのは、悪徳な教祖を中心とした宗教団体とほぼ変わりがない。
まあ、世界が違うのだ。宗教の概念や神様の概念が違うのは何ら不自然ではないが、それでも、三本柱とやらには闇を感じる。やはりどういうところにでも、勘違いをした輩は存在するのだ。
何か大きな物の存在を前提にした自分の地位を、自分だけが為し得たものだと勘違いし、的外れな誇り方をする輩は。
城と社はいい関係ではなく、むしろ悪印象を持っている。にも関わらず城内に招き入れるということは、それだけのメリットがある。
つまり、異世界から転移させられた者達に関しての情報を持っている。
頭を覗くとか、心を読むとかではない。知識だ。巫女様の知識で、十六名の利用価値を判断するつもりなのだ。あの軍師姫は。
「このままお二人でここにいてください。巫女様との会話は、危惧しているほど危険なものではないはずです。もしも危険が及ぶようであれば、我々が全力でお護りします。それでは、失礼します」
危険であってたまるかという感じだが、重要なのはそこではない。
スキルが一つも無いという申告は、もしかして失敗だったのではないかと、葉雪は思った。