カズ ─①─
『あなたは人間ですか?』
『私ハ人ノ知リタイヲサポートスル、ヒューマノイド型インターフェース。──貴方ニハ私ガ人間ニ見エルノデスネ』
──アスタとセンセイの会話より──
朝、アスタは目を覚ます。
そこは見慣れない天井だった。
そして昨日の事を反芻しているらしいアスタは、「ああ」と呟き静かに身体を起こして周囲をキョロキョロと見回した。隣ではスミがスースー寝息を立てている。
その家では寝室は二部屋だけ。2階にある男部屋と3階にある女部屋で別れており、アスタは当然3人仲良く女部屋で寝ていたのだが、気が付くとハナの姿が消えていた。
随分朝が早いのだと、アスタは彼女を探して部屋を出る。
そしてフラフラと家の中を探索し、寝室を出て右奥の部屋に入る。その部屋は時をかけて劣化した天井が崩れ落ち、吹き抜けになった部屋だった。
その部屋でキョロキョロと周囲を見回していると、不意に上から声がかかる。
「おやー? アスタちゃん朝早いんだねぇ! おっはよー!」
この元気のいい声はハナだ。アスタは声のした方向に振り向いて、ハナの姿を認めるとふりふりと手を振った。
すると、するするとはしごが降りてきて上から「登っておいでー」と声がする。
その声に従ってうんしょとはしごを登りきると、そこには一面緑の大地が広がっていた。
「んっふっふー。どう、凄いでしょ? 昨日は夜だから分からなかったかもだけど、屋上は私の畑なんだよ。皆のお野菜はここで作っているんだな!」
目を丸くして驚いているアスタにハナは自慢げに胸を張る。そしてアスタに手を伸ばすと、一気に彼女を引き上げた。
そしてアスタに畑の紹介をする。
「今は秋だから、そんなに沢山種類はないけど折角だから見てってよ〜。ここがほうれん草でこっちがカブ。そこのコーナーにあるのはトマトで、でもこれはもう今年の冬は持たないかもね。隣のお家の屋上にも畑は続いているんだけど、そっちは主にお芋かな。芋は主食だからお隣の殆ど全面使ってるよ」
そう言って、ハナは家と家の間に立てられたハシゴをひょいひょいと渡り、隣の家の屋上に降り立つ。そして貯水タンクの栓を引き抜き、ジョウロを用いて水やりをする。
アスタもハナを追いかけて、四つん這いになりながらはしごの橋を渡っておっかなびっくり隣家の屋上に辿り着き、しゃがんで葉っぱを観察していた。
「こんなたくさんの緑、わたし初めて見たかも。きれき」
「でっしょー? そう言ってくれると嬉しいなぁ! これも全部、カズが貰ってきてくれた種から育ててるんだよ〜。こんなに緑に囲まれて、美味しいお野菜食べられるなんて幸せだよねー!」
ハナはニコニコしながら丁寧に野菜の世話をする。傷んだ葉を取り除き、盛り土をして、葉に当たらないように水をやる。
その姿はとてもきれいで、慈しみに溢れていた。
「ハナ、ここでの生活は楽しい?」
「楽しいよ? アスタちゃんもきっと楽しいと思うなぁ」
ハナは野菜を愛でながら振り返らずにそう答える。
アスタはハナの隣にとととっと駆け寄って、隣に座っておんなじように野菜を眺める。ハナは隣座ったアスタを横目で眺め、にんまり笑って頭を撫でる。
「ここではねぇ、皆が頑張って生きてるんだよ。助け合って生きてるの。私は畑仕事が担当で、シンヤはお水と鉄くず拾い。コウタは工作や道具作り担当で、スミはお家の事とお手紙書くのがお仕事なんだ。ビリーは少し変わってて、肉体労働全般と悪い奴が来た時の用心棒役がお仕事かな」
「そうなんだ。ねぇカズは?」
「カズはねぇ......」
その時、家の外からアスタを呼ぶ声が響いた。ハナとアスタは声のする方に寄っていって屋上のヘリから仲良くひょいと身体を出すと、バイクを伴い外に立っていたカズヒロと目が合った。
そのバイクには多くの鉄くずが積まれている。
「おーい、アスター! 僕はこれからお仕事に行くけど、君も一緒に行こう! 合わせたい人が居るんだ!」
その姿を見て、ハナはアスタに向き直って頬をつんつんつきながら口を開く。
「ほらほらだってさ! 早く行かなきゃ! カズの仕事については直接見てみたら良いんじゃないかな?」
アスタは一階に降りるとカズヒロの元まで駆けていく。カズヒロもアスタに近付くと、ヘルメットを被せバイクに乗るように指示をする。
「これから少し遠出をするよ。あそこに白い線みたいなものが見えるだろ? あの麓まで向かうんだ」
アスタはカズヒロが指を指した先を見つめる。そこには太く大きい白い柱が空の先まで続いていた。
それは【蜘蛛の糸】と呼ばれる、宇宙まで続く軌道エレベーターだった。地球の周回軌道を廻る数多の【タイタン】達が、何ヶ月かに一度ドッキングして地球の物資を引き受けに来る。
この星を見捨てたくせに、取り残された人達を見捨てたくせに、それでもなお地球に寄生する大人達にカズヒロは辟易していた。
二人はバイクに跨り出発する。その姿を屋上からハナが手を振って見送った。
蜘蛛の糸まではここからおよそ60km。時速40kmが精々のソーラー式電動バイクでは少し遠い距離になる。
他に車もなく、遮るものの無い道ばかりなのが救いだった。
ひび割れた道路を走る中、ガタガタ響く振動に耐えながらカズヒロはアスタに話しかける。
「アスタ、ハナと何を話していたんだ?」
「みんなのお仕事のことだよ。カズはどんなお仕事をしているの?」
「......俺は技師だよ。あの蜘蛛の糸で働いているんだ」
カズヒロは何となくやるせない感じでそう告げた。
「技師ってなに?」
「技師は機械とかを修理するお仕事のことだよ。俺の両親は技師て、俺はよくその手伝いをしていたから多少は機械が分かるんだ。今や機械を弄れる人間は貴重で、だから蜘蛛の糸の下にはまだそういう仕事が残っているんだよ」
そう一言だけ告げるとカズヒロは押し黙り。そして口を開こうとはしなかった。
カズヒロの両親は技師だった。
12年前、四人家族で暮らしていたカズヒロ達は貧乏ながらも幸せな生活を送っていた。
尊敬する父、お腹に赤子を宿した優しい母、可愛い妹のツキコ。
緩やかに衰退していく地球の中でまだ仕事を持っていた彼等は、罪も犯さず清貧な生活を保っていた。
しかしカズヒロの母のお腹にいる赤子が逆子で帝王切開をしなければ母子ともに危ない状態だと分かると、彼等の生活は一転、暗い日々が続いた。
何故なら、既にその時地球には治療が出来る医師がもはやおらず、また治療が為に軌道エレベーターに乗って【タイタン】に行くには少なくないお金が必要だったからだ。
彼等の財力では、家族四人はとても連れていけなかった。
『いいよ、お父さんお母さん。僕とツキコは地球に残るよ、話し合って決めたんだ。僕達の新しい妹の為に【タイタン】に行ってよ』
ある夜の話し合いで、カズヒロとツキコは両手を繋いで両親にこう告げた。
そのカズヒロの言葉に覚悟の決まった父親は、母を連れ立って【タイタン】へと向かった。幼い我が子が地球で生活していけるように、カズヒロには技師の技を教え、向こう数年は暮らせるような沢山の食料と家を残していった。
カズヒロはその時の伝手で、今もこうして働いている。
しかし彼は複雑だった。12年経ってもついに迎えに来なかった両親。ある決定的な事件を契機に【タイタン】を心底恨むようになった彼だが、それでも【タイタン】の恩恵のもとに生き長らえている自分にも、ほとほと愛想が尽きていた。
道中、カズヒロはずっと無言だった。アスタはカズヒロが何かに悲しんでいる事を察してか、何も言おうとはしなかった。
風を切りながら進むその時間を、アスタは静かに楽しんでいた。