アスタ ─①─
『このレコード、音がしないよ?』
『そこは君、心の声で聴くんだよ。ほら目を閉じて楽しいことだけ考えたなら、自然と身体が踊りだしてくるでしょう?』
──アスタとハナの会話より──
廃墟の先、一軒の家が建っている。三階建ての頑丈そうな建物。
それは他の家とは違い、崩れずにまだ家のていを保っていた。
所々に見られる破損も板を打ち込んでの簡易的な修繕が為されており、そこには確かに人の息吹が感じられた。
「ここが君の家だよ。待ってて、すぐにみんなに紹介するから」
カズヒロはそう言うと、家のガレージへと歩を進めてガンガンとシャッターをノックする。
その音にガレージの中に居た人物が反応し、シャッターまで歩を進めて覗き穴から外を見つめる。そこにカズヒロを認めると彼女はほーっ、と安堵の息を吐いてシャッターに手をかける。
カズヒロもまた人の気配を認めると、ガレージに居るその人に声をかけた。
「ハナ、俺だ! 開けてくれ!」
「今開けるよーっ! 今日は遅かったねぇ眠くなっちゃったよ」
ガレージの中から声が響き、「よいしょっ」の掛け声と共にシャッターがガラガラと開いていく。
そこには、タンクトップにはだけたつなぎを着た女の子が立っていた。煤けた肌と鼻の頭のそばかすが特徴的な活発そうな女の子。
「いや〜、今日もお疲れさんだったねぇ! 今日はすぐに暗くなっちゃったから、きっとバイクも止まっちゃったんじゃないかって皆と話していたんだよ!」
ニコニコしながら元気よく話している女の子。そしてふと、カズヒロの後ろにちょこんと控えるアスタに気付く。
「ありゃりゃ? カズ、その子は?」
「ああそうなんだ、ちょっとそこで拾ってさ。うちで面倒見ようと思う。構わないよね?」
その一言に、ハナと呼ばれた女の子は胸の前で手を握り合わせ、目をキラキラさせながら喜んだ。
「わぁ〜〜〜っ! やったね女の子だ、仲間が増えたっ!」
そうしてひとしきり喜ぶと、ガレージに備え付けの扉を開いて家の中に向けて大声で叫ぶ。
「スミ! スミー!! ちょっと降りてきてー!! カズが帰ってきたよ!! 可愛い女の子も一緒だよー!!」
スミという人物に声をかけ、そしてカズヒロに振り返る。
「任せて任せて、まっかせて! 大歓迎だよ! 私が責任持ってちゃーんと面倒見ちゃうから!」
「うん、悪いけどお願いしたいな」
ハナは胸をどーんと叩いて意思を表明すると、今度はアスタに向き直り、ちょこんと座って目線を合わせて話しかける。
「初めまして、宜しくねー! 私は桜井ハナコ。ハナって呼んで! あなたは?」
「わたし、アスタ」
「そっかぁアスタちゃん! よろしくっ!!」
二人が自己紹介を終えた時、開いた扉からひょこっと大人しそうな女の子が顔を出す。ボブヘアーで色白の、おっとり垂れ目の女の子。
「来たよハナー?」
「おースミー! ほらほら見て見て、アスタちゃんって言うんだよ! もうかっわいいんだから!」
ハナは振り向き、スミと呼ばれた女の子にバーンとアスタを見せつける。スミは口元を軽く抑えて「あらま!」と叫ぶ。
そして扉をくぐりガレージの中へといそいそと降りて、アスタの前まで来ると恭しく礼をした。
「あらあらまぁまぁ、こんな世界で初めまして。私はスミって言います。あっ御免なさい、本名は深田マスミです。宜しくね」
「......宜しく」
二人の勢いに圧倒されているらしいアスタ。なんだか驚いたような表情で固まっている。
スミも自己紹介を終えると、そんな無言のアスタの手をニコニコしながらはっしと掴んだ。ハナも後ろからアスタの肩をがっしと握る。
そしてアスタを引き連れて、ぐいぐいと家の中まで引っ張って行く。
「よーし、じゃあまずお風呂に入ろっか! 外は寒いもんねー、久し振りに炊いちゃうよ! いいよねカズ? それからパーティーの準備も! 歓迎会するんでしょ?」
「ああ勿論、準備は僕の方で進めておくよ。風呂から出たら屋上だ」
「りょーかいおけまるー!」
ハナは手で作ったマルを目に当てると、僕に向かってウィンクする。そしてアスタを連れてとととーっ、と風呂場に向かって駆けていった。
カズヒロは二人を見送った後、ガレージ最奥の月明かりの差し込む天窓の下にバイクを止めてシャッターを締め切った。
そしてカズヒロは歓迎会の準備のために、荷物をまとめて屋上へと向かった。
「さぁお嬢さん、痒いところはございませぬかー?」
「あぶぶぶぶ!」
お風呂場で二人の娘達が裸でお互いを洗いこっしている。薪で沸かした湯をジョウロに汲んで、それをシャワー替わりにアスタの頭を洗っている。その様子を風呂場の外で残る一人が聞いている。
「もう、すっかり仲良しさんなんだから」
スミは一人風呂場の外で、金ダライで二人の衣服を洗濯しながらアスタ用の小さな部屋着を探していた。その最中にお風呂場から響く声に、クスクスと笑って返事する。
「いや〜、私は嬉しいよ! これまで私達は男4人に女2人の男所体で来てたから! でも今日アスタが来てくれて、明日からの生活がちょーっとだけ華やかになるよ〜!」
「ハナは私が邪魔じゃないの?」
「まさかまさか、そんな訳ないじゃーないですかって。そもそもカズが連れてきた子に文句なんてある訳ないし、だから皆も歓迎してくれる筈だよ! ......一人だけ文句を言いそうな奴はいるけど、そんなの本当気にしなくていいんだから!」
「そうよ!」
風呂場の外から声が飛び込んでくる。中の話を聞いていたスミがぷりぷり怒って風呂場の外で騒いでる。
「もしもシンヤがブツブツ文句を言い始めるようだったら、彼には私から文句を言ってあげるんだから!」
その声を聞いて、ハナはクスクスと笑う。アスタは不思議そうな顔をしてハナをじっと見つめていた。
この人達は一体なんなんだろう? どうしてみんなで寄り集まって居るんだろう? アスタの中には恐らくそんな疑問が次々と浮かんでいたのだろう。アスタはその中で最も気になっていることを質問する事にしたようだった。
「ねぇ、カズはどんな人なの?」
「ありゃ知らない? 実は私も知らなーい」
「えぇー」
カズヒロはどんな人か、その質問に対するハナのあっけらかんとした答えにアスタは困惑していた。その様子を楽しそうに見ていたハナは「うりゃ!」と叫んでアスタの頭をゴシゴシ洗う。
その勢いに、アスタは「わぁー」と情けない声をあげて耐えていた。
「カズはねぇ良い人なんだ。私達をこの家に住まわしてくれたり、色んなことを教えてくれたり。今、私が生きていられるのもほんと彼のお陰。でもあんまりね、自分の事話してくれない人なんだよ。だから私も聞いてない。
こんな世界だから、多分色々イヤな思い出とかあったんだと思うんだよねぇ」
そう言って、遠い目をしながらハナはアスタを抱き締める。その姿をアスタはくすんだ鏡越しに眺めていた。
「でも私の事ならなんだって話しちゃうよ! どうアスタちゃん? 私の事はきらいー? 私には何か聞きたい事とかないのー?」
「ううん、ハナも好きだよ。ハナの事もたくさん聞きたいな」
「えー、私は私は??」
扉をチラッと開けて自分を指差し目を輝かせるスミ。そのスミに対して、ハナは「寒いよっ」と言ったあと、呆れたような顔でスミに文句をつける。
「もー、そんなに話したいならスミも一緒に入ればいいじゃん!」
「えぇ、でもやっぱり恥ずかしいし......」
そう言って顔を赤らめるスミ。そんな二人の掛け合いを見ながら、アスタは一人でクスクス笑う。ハナとスミは一瞬意外そうな顔をした後、お互いに顔を見合わせて、ぷぷっと吹き出す。三人の笑い声が風呂場に響いた。
「私もアスタちゃんのこと好きだよ。この後アスタちゃんの歓迎会を開くから、その時アスタちゃんの事もたくさん私に教えてね!」
「私も! 私も!」
三人の姦しい笑い声はお風呂場に反響して、寒々しい空に朗らかに響いた。
一面に土の敷かれた屋上にいくつかの人影がある。歓迎会の準備が為に、彼らは机や椅子を屋上へと並べていた。
机は大小様々なサイズのものを継ぎ合わせた歪なものだった。腐って崩れ落ちた木製テーブルの脚を、錆びついた金属のテーブルが支えている。
椅子もまた同様で、中には足りない椅子の代わりに作業台や植木鉢なんかも並べられていた。
そんな中、寒風吹く屋上へと届いた楽しげな声に、カズヒロが耳を傾ける。そんな彼に後ろから一人の男が声をかけた。
「珍しいよなァ、お前がまた誰かを拾ってくるなんてヨ。人助けはもう止めたんだとばかり思っていたゼ」
「そうだねビリー。俺もどうしてあの子を助けたくなったのか、良く分からないんだよ」
ビリーと呼ばれたサングラスをかけた浅黒の男が、カズに近付いて隣に立つ。そして同じ方向を眺めながら思いに耽る。
「......"ツキコ"にちょっと似てるかもなァ、あの子はヨ」
「そう? そんな気はしなかったけど......でも君が言うならそうなのかも知れないね」
二人で並んで空を仰ぐ。
空に浮かぶ、チカチカと瞬く強い光をカズヒロは憎々しげな顔で眺めていた。