金は天下の回りもの
総文字数およそ5000字ほどです。
おそらくラーメンズのコントを意識してます。
「……それで? いいよ、話せよ。俺も気になるよ」
つっけんどんな物腰で浅井はそう言うと、ソーサーにのったカップを口に運んだ。コーヒー独特の匂いが鼻孔をくすぐる。リラックス効果があるとかなんとか耳にした事があったが、生憎と神経過敏気味の今の彼にその効能が認められる気配はなかった。
「だから昨日、お前と別れた後、牛丼屋行ったんだよ。腹減って」
浅井とテーブルを挟んで反対側の椅子に居心地悪そうに座る金田は、お口をモゴモゴさせると、考え考え言葉を紡いでいく。
「はぁ、牛丼。深夜に?」
「そう、深夜に」
金田が口をすぼめる仕草が浅井の癪に障ったが、話の腰を折りたくはなかった。
今日は土曜日。
二人は地元の喫茶店に来ていた。正午ごろ、金田から電話で「会えないか?」と言われたからだ。浅井は昨夜の仕事で彼と会ったばかり。昨日の今日でまた顔を突き合わせるのは、あまり気が進まなかったが、切羽詰まった声音から不穏な気配を察した浅井は、ため息交じりに了承した。
待っている間、壁掛けのテレビで垂れ流されるニュースを眺め続けていた。目ぼしいものといえば、港区で泥棒があったとか、少女の心臓移植に必要な一億円が集まった、とかだろうか。浅井はそれを興味深く視聴していたが、周りの人間は誰一人として関心を示さなかった。彼は思う。日本は平和で清潔な国というが、単に無干渉で潔癖なだけではないかと。ただ、それで社会が回るのならば、ある意味幸せなのかもしれない。
本当は十三時の約束だったが、金田が姿を現したのはその一時間後だった。自分から呼び出しておいて遅れて来る、その社会を舐めきった姿勢に腹は立ったが、潔く来た事は感心していた。彼の胸中には、もしや逃げ出したのではないか、という憂慮があったからだ。
金田は目の下にクマを作り憔悴気味だった。昨日はあんなに溌剌だったのに。アドレナリン分泌されまくりといった不気味なテンションだったのに、打って変わって意気消沈していた。脳みそが単純な男なので、単に興奮し過ぎで寝れなかっただけかもしれない。あるいは仮病を装って遅れて来た事の免罪符にするつもりかもしれない。どちらの可能性も高かったが、それでも他の要因があるようで浅井は不安になった。
開口一番、金田は言った。
「なぁ、運命って信じる?」
「先ずは、遅れてごめんなさい、だろ」
あるいは、「ここは俺が奢るよ」だろうか。いずれにせよ浅井は、その日彼からそういった類の言葉を聞くことはなかった。
「そこさぁ、チェーン店の癖に古くて。監視カメラは設置されてるのにダミーなの、全部」
「詳しいな」
浅井は疑問に思ったが、金田にはそこは重要じゃないらしく話を続けた。
「とりあえず入るじゃん。中は店員が一人だけだったの」
「ふーん、ワンオペか?」
「ワンオペじゃない? そんな事はどうでもいいんだよ。俺、何の気なしにカウンター座って、並盛を頼んだんだよ」
「バッグは? 持ってたろ、ボストンバッグ」
昨日の仕事で金田が持って来ていた青色のボストンバッグ。仕事の度に色が違っていた。
「バッグは…………荷物ってさ、普段は邪魔だから足元置いてたんだよ。でも、昨日はそんな不用心な扱いできなかったから、自分の席の隣に置いといたんだ」
金田がぬけてるように見えて、その実、ちゃんと危機管理意識はある事に浅井は満足した。日本の安全神話は当の昔に崩壊した。海外と比べて平和だからと言って手荷物を蔑ろにするのは盗んでくださいと公言しているようなものだ。常日頃から彼はそう考えていた。
「なるほど、そうか。続けて」
「うん。で、大人しく待ってるじゃん。すると、また別の奴が来たんだよね。知らない奴が」
「まぁ、お前の家じゃないからな。来るよな、店に。知らない奴くらい、いっぱい」
「でも、マスクもグラサンもしてないのよ、そいつ」
「ん?」
浅井は今の彼の言葉を何度も反芻したが、何故か唐突に話が見えなくなった。ただの日常生活トークだと高を括っていたが、宇宙から変な電波拾ったのかもしれない。
「マスクはともかく、真夜中にサングラス掛ける奴って普通いなくない。何? 何か気になる点、あった?」
「だってさ、そいつさ、店員が注文訊きに来るなり包丁取り出して、金を出せって言うんだぜ」
「マスクも付けずグランも掛けずストッキングも被らずに強盗?」
強盗にプロアマがあるかは知らないが、いくら素人でも顔を見られたらマズイ事くらい分かる気がするが、馴れない事する時は信じられないミスをするものだ。
「そう、してないのに。マヌケだよね」
呑気にも金田がクスクスと笑いだす。肝が据わってるように見えるが、単に神経が鈍いだけだ。
「牛丼屋で強盗か……一時期流行ったよな。そういえば」
「そうそう。それこそ牛丼屋のワンオペ全盛期にね。その残り香っていうか、時代遅れっていうか、今でもあるんだって、びっくりしちゃったよ」
金田が寝不足なのは、そんな恐ろしい経験をしたせいで一睡もできなかったから、と思うのが一般的だ。しかし浅井は自分も含め彼に限って、そんな事で動揺するとは到底考えられなかった。
「まぁ、でも本当にびっくりしたね。まさか、自分がそういう事態に遭遇するとは思わないじゃん、普通」
「そうだな」
「何が問題って、まだ俺の注文した飯が来てなかった事だよね」
「そう」
そういう空気読めないのを正常性バイアスという。
「でも店員も店員で恐怖で立ちすくんじゃってるんだよ。俺は店員に、ご愁傷さまって心の中で思ったね。そしたら、そいつさ、図々しくも俺にまで包丁向けて言うんだよ。財布を寄越せって。上擦った声で」
「渡したのか?」
「そりゃ、今さら惜しくないし」
「よくやった。そういう時は、逆らわない方が賢明だ」
「でもさ、そいつ、俺の隣の席を見たわけ」
一瞬浅井は、登場人物が三人しかいなかったのに、話しに出てこなかった謎の四人目の到来を想起したが、ボストンバッグを置いていたのを思い出した。
「そして言うんだ。それを寄越せって」
「……渡したのか?」
「そりゃ、命は惜しいし」
それを聞いた瞬間、浅井は衝動的に立ち上がり、金田の襟を掴んで揺すった。
「この野郎!」
「ちょっと待って。さっき、逆らない方が賢明だって言ったじゃないか」
「時と場合による!」
「まったく同じタイミングだしオケージョンだよ」
「減らず口を叩くな!」
どれだけ怒っていても理性が働くもので、浅井は胸倉を掴む以上の暴力を振るおうという気にはならなかった。
「止めなよ、人が見てるって」
チッと舌打ちした後、浅井は椅子に座り背もたれにもたれかかった。こういうどうでもいい時だけ、他人に注目する日本人の気質も苛立ちを募らせる原因になった。
「……渡して? 渡して逃げたのか? そいつは」
「そう。中身見て。一人納得して、片手で持てないから、包丁置いて逃げた」
冷め切ったコーヒーで口を湿らせ冷静さを取り戻した。しかし次に彼を襲ったのは、引いていく血の気と深い絶望感であった。
「お前ねぇ、分かってる? 状況。大体、聞いた事ねぇよ。強盗犯が……」
「強盗犯がバッグ欲しがるなんて?」
「ちげぇよ。強盗犯が…………強盗犯が、仕事終えた泥棒の金取るなんてよ。ギャグか?」
浅井と金田は泥棒だった。
昨日は久しぶりの仕事。一ヶ月に及ぶ調査と入念な準備を済ませ、港区のさる一戸建てを狙って草木も眠る丑三つ時にお邪魔した。防犯装置の場所も数も種類も織り込み済み、想定通りその日は誰もおらず、仕事はスムーズに運んだ。お目当ての金も貴金属も手に入った。
何もかも上手くいったが、最後の最後で躓いた。外に出ようとした瞬間、偶々人が通りかかり、慌てて隠れた二人だったが、運悪くそこにセンサー式の防犯装置があったのだ。
幸い、赤外線式防犯センサーは警報音を鳴らさなかったので、通りがかりの人には見つからなかったが、引っかかった時点で契約した警備会社に発報はする。二人は這う這うの体でバラバラに逃げ出した。
「ちょっと待て、じゃあ、その後はどうしたんだ。警察呼んだのか?」
「店員がね。それからズゥッと事情聴取。時間とか関係ないのね、おまわりは。こっちは被害者だってのに……」
自分だって人様に迷惑かける泥棒の分際で被害者面する金田。しかし、浅井が気になったのはそこではない。警察がその強盗犯を突き止めるか否かである。
浅井は身を乗り出し、金田に怒気を込めてささやく。
「あのな。もし、そのトーシロ強盗犯が捕まってみろ。警察は絶対に奴が持ってるボストンバッグについて問い詰めるぞ」
そうなれば間違いなく奪われた金田の下に行きつき、そこから泥棒の事件に結び付けるに違いない。
「それは大丈夫だよ。言ったでしょ。俺も焦ったけど、あの店、防犯カメラないし、人相を教えなきゃ警察も強盗犯を特定できないって」
「お前はいいけど、店員は言うだろ」
「言わないよ」
「何で?」
金田はニヤリと笑った。
「俺だって馬鹿じゃないよ。強盗が逃げた後、置いていった包丁の柄に自分の指紋ベッタベタつけた後、店員にその切っ先向けて、警察に奴の特徴を言ったら殺すって言ったから」
したたかというか、サイコパスというか、こんな奴と今まで仕事をしてきた事が浅井は今更ながら恐怖を抱いた。プロの泥棒に人を脅す才能は要らない。本当に上手い奴は、家主と遭遇しないから。その為に必要なのは地味で地道な情報収集だけだ。
「可哀そうに。その店員も、まさか同じ被害者から脅されるとは思ってなかっただろうな」
「可哀そうなのは俺だよ」
「俺もな。っていうか、何、仕事終わりに飯とか食ってんだよ。直帰しろよ。仮に飯食うにしても戦利品は家に置いとけよ。そういうところ、お前、プロ意識低いよな」
「急いで逃げたじゃん。お蔭で死ぬほど腹減ったんだよぉ。悪かったって」
呆れた。我慢すれば、その金で死ぬほど飯が食えたというのに。浅井は起こる気力もすっかり削がれてしまった。だが、彼は直ぐに思い直した。金田は犯人の顔を見ている。まったく手がかりがないわけではない。
「なぁ、お前さ。見覚えないのかよ、犯人の」
尋ねながら無茶な質問だとは思ったが、そんな浅井の意に反して、金田はまた意気地の悪そうな笑みを浮かべた。
「ねぇ、浅井。俺が最初言った言葉覚えてる?」
「あぁ? 運命って信じるだっけ。何? お前、宗教に嵌ったの?」
怪訝な表情でねめつける浅井も何のその、金田は未だに薄ら笑い。そして、それに答える様子もなく口を一文字に結んだまま、顎をしゃくって壁掛けのテレビを指した。
「何だよ。何が映ってんだよ」
浅井は大儀そうに体を起こし、スクリーンを見ると見知った男が映っていた。つい最近、見たばかりだ。
少女の心臓移植の費用一億円が賄えた旨を知らせるテロップが流れており、会見で男が、少女の父親が、募金協力者たちに感謝を述べている。不足していた約五千万円が現金で送られてきたという。キャスターが、現金を送ってきた謎の寄付者を現代の足長おじさんと称しているのが印象的だった。いずれにせよ、浅井が一時間前に見たニュースと大まかな流れは一緒だった。
「運命だよ」
その声で浅井が振り返ると、どこか誇らしげな金田の横顔があった。
涙ぐむ父親がアップになる。「ありがとうございます」と幾度となく言う中に「ごめんなさい」もしていた。それが終わると、港区で起きた泥棒事件に切り替わり、被害総額は五千万円に及ぶという詳細な情報が加わっていた。
「……」
もしかしたらテレビ局は、この二つの出来事に関連性を見出そうとしているのではないか、浅井はそう危惧した。さっきも続けて放送していた。可能性はあり得る。不確かながら二つの事柄を結ぶ線に気が付いてもらおうと、視聴者に向けてメッセージを送っているのかもしれない。
そしてもし警察が動き出せば、巡り巡って自分たちまでたどり着くかもしれない。
「きっと運命だよ」
金田がもう一度、かみしめるように呟く。確かに、もしそうなれば、それは醜く足掻いたって変えようのない運命なのだろう。
「そうかもな、運命だな」
この仕事を辞める良い切っ掛けかもしれない。浅井は前向きに諦念すると、自らを鼓舞するように勢いよくコーヒーを飲み干した。そして二人分の伝票を持って、その場を後にした。
結局、この二つの出来事は直ぐに忘れ去られた。
浅井が思った通り、人々は深く関心を抱く事はなく、社会はそれで問題なく上手く回っている。
お時間割いて頂き、誠にありがとうございます。