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ブロッサム  作者: 小島もりたか
9/9

彼方へ 6

 ノエルから、あと五日間しか一緒にいられないと告げられた瞬間、私はもう一時もノエルと違う時間を過ごしたくないと思った。それはラドンも同じだったらしい、家に帰った後、彼が四食を作っているときも私とラドンは二人してノエルの周りを特に何をするともなく彷徨いた。ノエルも同じ事を思っていたらしい、そんな私とラドンを苦笑いしながらも何も言わなかった。


 残り回数があと僅かになかった儀式には、ラドンは来なかった。気を遣ってくれたらしい。


 最近は彼から取り除く怨みもかなり薄くなった。余裕ができたせいで無用に熱を帯びる口付けに、私とノエルは何も言わない。もうこの儀式ともお別れなのだ。始めこそは嫌な気持ちばかりが強かったが、今はできなくなることが悲しい。


 口から吐いた怨みは、半透明の紫色になっていた。身体が慣れたのと、怨みが薄くなっているので、もう儀式後の疲れも高々しれている。


――五日後までに、記憶と魔力が戻ればいいのだけど。


 今でこそ彼の怨みは常人より少し多い方になってはいるが、それはピアスの加護があることと私が追加される怨み以上に怨みを取り除いているお陰だ。


――ピアスは多目に渡しておくとして、問題は魔力なのよ。


 彼に魔力という抵抗力が戻らなければ、また怨みがじわじわと積もり始めるだろう。


「なんとか抵抗力だけでも戻しなさいよ」

「魔力のこと? んー、どうだろう?」


 ノエルは他人事のように笑う。


 廊下から人の気配がした。


「ブロサッムー、ノエルー、終わった?」


 ラドンが呑気な声で問い掛けてくる。意外に思いながら扉を開けると、人化したラドンの姿がそこにあった。寝間着姿で少し恥ずかしそうに笑いながら、はい、と私の枕を渡してくる。

 ラドンは当たり前のようにずかずかとノエルの部屋に入ると、小脇に挟んでいた自分用の枕をノエルの枕の横に置いた。どうやらラドンも私と同じ事を思っていたらしい、と私はクスリと笑う。困惑しているノエルをよそに、私もラドンと同じ様にノエルの枕の隣に自分の枕を置く。ラドンと二人、真ん中を空けて布団に入る。


 困惑したノエルがやっと口を開く。


「――何してるの?」

「寝仕度だな」

「そこは僕のベットなんだけど?」

「知ってるわ」

「なんで二人が僕のベットに入っているのかな?」

「今日から一緒に寝るからな」

「もう既に窮屈そうだけど?」

「そりゃセミダブルだからな、三人で寝ようと思うと狭いわな」

「早くノエルも布団に入りなよ。もう十時よ」


 しかし、といいつつもノエルは狭苦しいベットの隙間に入り込んでくれた。

 本当に窮屈で、三人仰向けになって寝転ぶと、私とラドンの片脚が落ちる。未だに腑に落ちていなさそうなノエルは置いて、私とラドンは吹き出した。


「狭い!」

「狭いな!」

「ラドンはいっつもトカゲの姿なのに、なんで今は人の姿なんだ?」


 え? といって、ラドンはごそごそとノエルの方に身体を向けた。


「せっかく一緒に寝るなら、こっちの方がよくね?」

「ベットが広かったら問題なかったけどね! ブロサッム、魔法でベットを大きくしない?」


 私もノエルに身体を向ける。ついでにノエルの腕を抱き枕代わりにすると、ラドンも同じ事をしたらしい、がさごそと向こう側が動いた。


「どうせなら、密着したいじゃない?」


 ノエルが瞬時に顔を赤くした。素早く天井に向き直り硬直する。その仕草が面白くてつい笑ってしまう。


「ねぇ、僕動けないんだけど?」

「動けるものなら動いてみなさい」


 さらにきつく抱き締めると、ノエルの腕に力が入るのがわかった。


「ねぇ、ラドン。ブロサッムの真似してないで、止めてよ」

「いいじゃねぇか、無礼講、無礼講」

「無礼講の意味が――って、馬鹿! どこを当ててきてるんだ!」


 ノエルは逃げるようにもがくが、残念ながら私とラドンが両腕を力強く抱き締めているため、起き上がることもできない。


「やめろよ、気持ち悪い」

「俺は結構ノエルのこと好きだぜ」

「そういう意味がなくても、この状態だと勘違いしてしまうだろ!」

「大丈夫、竜族は懐が大きいから」

「そんなとこまで懐が大きくなくていい! っていうか、いつまで擦り付けてるんだよ!」

「無礼講、無礼講~」

「ブロサッムもね、さっきから地味に胸が当たっているというか、食い込んでるからね」

「知ってるわ」


 私はできるだけ澄ました顔で、さらに腕に胸を押し付ける。もうこうなったら、なるようになれだ。鼓動が高鳴っているのが、ノエルに伝わっても構わない。


「無礼講よ」

「ブロサッムまで悪ふざけは止めてくれよ……」


 情けない声を上げるノエルが可笑しくて、私とラドンは一頻り笑った。心底楽しい時間だった。



 翌日も私とラドンはアヒルの子のようにノエルに引っ付いて行動した。正確には、ラドンは常にトカゲ姿でノエルの肩に乗っていたのだけど。


 ノエルが沐浴の仕度をしていたので、私も沐浴の仕度をしていると、咎めるような視線を感じた。


「もしかして、沐浴も一緒にするつもり?」

「え、ダメなの?」

「ダメに決まってるでしょ! 昨日の寝る時はしょうがなかったけど、嫁入り前の女性がそんな事してはいけません!」

「岩を動かして壁を作っても?」

「ダメです! あと今日はもう一緒に寝ないからね!」


 め! と手をクロスさせて拒絶するノエルに、私は懇願する。


「嫌よ、だってあと四日しか一緒にいられないのよ?」

「う……」

「前までは私に変態的な態度で、イケイケだったくせに、今更紳士的に振る舞うの?!」

「むしろなんでブロサッムはキャラが変わったかな?!」

「だってあと四日しか一緒にいられないのよ?」

「いや、そうだけどさ……」


 ノエルが心底困ったように頬を掻く。


 私はノエルがあの苦労してそうな男性からノエルに関しての情報を聴いたのかを訊かなかったし、ノエルも言うそぶりは見せなかった。


 私もノエルもラドンも本当は分かっていた。でもそれを言葉として聞いてしまうと、今までの関係でいられないことも分かっていた。


 三人とも、その可能性を否定することばかりを考えて、真実からは目を逸らしている。


 でも、それもあと四日しかできないのだ。だからこの時、一瞬、一瞬がいかに大切な時間であることか――ノエルもそれは分かっているはずだろうに……。


「ダメなものはダメ」


 ノエルはそれでも頑なに私を拒む。涙が競り上がってくるのを感じる。ノエルにも目に見えて分かったのだろう、慌てて取り成してきた。


「違う、君が嫌な訳じゃないんだ。ただ恋人でもない僕に、こんなことをしてたら君に傷がついてしまうだろ」

「もう心に傷ができました……」

「う……」


 上目遣いにノエルを見る。ノエルは正気を保つように頭を振ると力強く言った。


「それでもダメなものはダメ!」



 寝るときは、昨日と同じ様になし崩し的に一緒のベットに潜り込んだ。

 呆れながらもこれは受け入れてくれるノエルに抱き付くと、「これは流石にダメ」とお叱りをうけた。


「昨日から君は本当にキャラが変わった」

「ノエルも変わったね。落ち着いた」


 逆になったな、とラドンが笑う。


「ノエルは押されると逆に退くタイプだな」

「そこは否定できないなぁ……」


 明るい寝室で、明るい天井を見ながら三人で雑談する。寝る時間のはずなのに、まだ眠たくない気がした。


「二人はさ、もう少し僕を疑おうよ。もし僕が密偵として戻ってきたらどうするつもりだったのさ」

「あら、ノエルはそんなことする?」

「しないけどさぁ……」


 困ったように、ぽりぽりと頬を掻くノエルを見て私は微笑む。

 その疑いがなかったと言えば嘘になる。だけど私はその心配はしていなかった。

 儀式を通じてノエルの魂に触れている私には、確かに分かる。もし、ハピィというあの男性に無理矢理「しろ」と言われた場合、ノエルは戻ってこなかっただろう。

 恋心ではないけれど、ノエルは私達を心底愛している。それだけは、はっきりと私には分かる。


「――私達はノエルが好き」


 『達』と付け足すだけで、好きという言葉はこんなにすんなりと口から滑り出せる。普段は言おうとも思えないのに不思議だ。


 ノエルを振り向くと、ノエルは驚いたように私を見ていた。


「でもね、セレスティアルの国王は許せないの。許してはいけないの……」


 瞬時に曇るノエルの顔。それを見るのが辛くて私は直ぐに視線を逸らす。


「――国王は島の侵攻以外に何かしたの?」


 掠れた声でノエルが私に問いかける。私達は今までそのことにはあえて触れないようにしていた。否、触れたくなかったというのが正確なところだろう。

 でも、これは伝えておかないといけないことだ。


「国王は――説得をしに行っただけのフォートの両親やモノローグの息子を殺したのよ」


 ノエルが息を呑んだのがわかった。ラドンは大人しく黙って話を聞いている。私は明るい天井を見上げたまま続ける。


「まだ本格的に侵攻の話が持ち上がっていない頃、フェリアスの代表として国王を説得しにいこうとしたのがフォートの両親とモノローグの息子のモノトーンだったのよ。そのまま三人は殺されて、身体すら帰ってこなかった……」


 セレスティアル国の人間にとって他種族の血は貴重だ。一時期は奴隷として長く人間に遣わされていたが、人間他種族を財産としてみる習慣があるため、今はその多くが売買され、封魔石を創るための実験体にされていた。そのせいで、奴隷として生き残っている他種族は僅かだ。

 他種族を奴隷にする制度は前の国王の時代に廃されたはずだが、今もその制度は息を潜めながら続いている。

 彼らは今も、外せないように呪いが掛けられた封魔石の首輪を着けて、いつ殺させるか分からない状況のなか、主人以外の人間の目に触れないようにひっそりと身を隠しながら生きている。


「それに、侵攻の度に他にも何人も拐われて殺されているの」

「それは……許しちゃいけないね……」


 ノエルが静かに呟く。ノエルから氷の湖に沈んでいくような悲しさが伝わってくる。


「私は、島を守る者もして、許しちゃいけないのよ……」



 翌日からは、ノエルが出ていくという噂を聞き付けた島の住人やフェリアスの住人がひっきりなしに訪れてくるようになった。


 皆一様に寂しそうな顔をしながら、ノエルと会話していく。私達三人の時間が減るのは寂しかったが、それと同時にノエルが私の大切な人たちの心にこんなにも入り込んでいたことを知ることができて嬉しかった。


 一番仲が悪かったフォートでさえ訪れてきてくれたのは、面白くもあり、感慨深くもあった。


 昨夜の話もあり、ノエルはフォートに気まずそうに接するが、フォートは全く気にしていかいかのようにノエルの顔を舐め回すように見ると、一つ頷いた。フォートは何故か最近、一気に逞しくなったように思える。


「雰囲気、全然違うと思ってたけど、やっぱりなんか似てる気がする」


 言外に何のことを言っているのか分かり、瞬時に心が氷点下まで冷える。思わず返した言葉が刺々しくなった。


「それって、どういうことよ?」

「あぁ、ごめん。そんな悪い意味じゃないよ。ノエルは国王じゃないってことは確かだと思う」

「本当か?!」


――国王じゃない?!


 瞬時に顔が綻ぶが、慌てて顔の筋肉を引き締める。ノエルもラドンもその言葉に前のめりになった。


「なんの根拠があるのよ」


 フォートは辺りを見回して自分達以外に誰もいないことを確認したが、それでも声を潜めて私達に告げた。


「国王に会った」

「嘘?!」

「何してんだよ!」


 フォートは私達のリアクションを無視して続ける。


「あの人は確実に国王だった。ノエルが分裂でもしてない限り、国王とノエルは違う人だと思う……あんな芸当、普通の魔法使いでもできやしない」


 そう言うと、フォートは眉間に深い皺を刻んだ。


「復讐しようと思って城に入ったんだけど、あの人は、俺には無理だ。殺せない……」


 仇に復讐出来ず帰ってくるのはどんなに悔しいことだろうか……。私にフォートの感情は推し量れない。


「案外、ノエルと国王は双子だったりして」

「それは、ありえる……そもそも吸血鬼との混血なんてなかなかいないし……」


 その可能性は十分にあった。闇を畏れる光の民にとって、闇の住人である吸血鬼は存在だけでも恐怖の対象だ。住人のほとんどが魔族との混血でえるフェリアスの民でさえも、吸血鬼との混血はいない。

 だからノエルと国王が双子という予想はしっくりくる。しかし、それでもノエルがセレスティアル国の重鎮であることは変わりない。


「あと俺の両親や村長を殺したのは国王じゃない」

「え……?」


 あまりの事実に私達の三人は言葉を無くした。フォートは泣きそうな私を安心させるように微笑む。


「あの人も殺されたことを知らなかったんだ」

「嘘を吐かれてるんじゃないの?」


 本当のことならどれだけ嬉しいか……。だけど、もしも『本当に嘘だった』時のことを考えて、ついつい懐疑的になってしまう。

 希望的なことを易々と信じてしまって、予想より遥かに悪い事態だったら、私の心はきっともたない。


 フォートは希望的な言葉を続ける。


「俺には嘘を吐いてるようには見えなかった。そもそもあの人は、この島への侵攻で俺達だろうが誰だろうかが死ぬべきじゃないって思ってるらしい」

「フォート、あなた国王に言いくるめられた?」

「それを言われてしまうと、何も言えなくなるね……」

「なんであなたが……」


 信じられないと私が呟くと、フォートは気まずそうに頬を掻いた。


「オセロと一緒に、国境に連れていかれたんだ……。それで村以外のことを知って……何が正しいのかが分からなくなった」

「オセロも一緒に……?」

「うん。あの日以来、オセロも悩んでる」

「フォート……」


 フォートの腕を掴む。その悩みは、村人に対する裏切りに近いものなのだと、フォートは気がついているのだろうか?


「その悩みは皆に言っちゃダメよ」

「うん。言わない……」


 難しそうな顔で、フォートが頷いた。

 肉親を殺されたフォートとオセロが、島の守護に対して懐疑的になる程のこととは……いったい二人は何を見たのだろうか?

 私にはそれを訊く勇気がなかった。


 私にはこの島を、森を、住人を、関係者を護る使命がある。

 私が一番揺さぶられてはいけないのだ。


 じめじめとした空気を変えるように、フォートは手を打った。


「ねぇ、皆バラバラに挨拶来るのは大変じゃない? どうせならまとめてパーっとお別れ会しようよ」

「それは名案ね!」

「いいな!」


 私とラドンが大きく食い付いたのに対し、ノエルは「そんな大げさにしなくていいよ」と引き気味だ。


 まぁまぁ、とぐずるノエルを宥めながらフォートと打ち合わせをして、その日は解散となった。


 フォートと打ち合わせしてからすぐ、フォートが皆に広めてくれたらしく、ノエルを訪れる人はいなくなった。

 そうして私はまた三人の時間を手に入れることができるようになった。


 三人でゆったりと過ごす時間は幸せで、だからあっという間に過ぎていった。前よりも心穏やかに過ごせたのは、きっとフォートの希望的な話があったからかもしれない。



 ノエルといられる最後の日、桜の木の下には島とフェリアスの住人がほとんど集まり、広いはずの庭が狭く感じられる程になっていた。

 人の姿をした者や獣型の者が入り雑じる光景は壮観で、こんなにも多くの者がノエルを好いてくれていたと思うと目頭にじんわりとくるものがった。


「今日はわざわざ僕のために集まってくれてありがとう」


 大勢の前で、控え目にだが堂々と挨拶ができるノエルの姿は何となく意外だった。


「人前に出るの慣れてるよなぁ」


 私と同じ事を思ったらしい、ラドンが呟く。その言葉尻がいかにも寂しそうで、私は苦笑いしてしまう。


「今日で最後なのね……」


 改めて事実を口にすると反射的に涙がでそうになった。慌てて歯を食いしばって涙を止める。明日からはきっと敵同士になってしまう。そう思うとより一層悲しい。

 島の森に集まった皆は、誰もかれも笑んでいるがどこか悲しみを携えている。

 ハクヒも仲良くなった天馬達と別れを惜しむように寄り添っている。


 ノエルはこの送別会が終わったら早々に島を出る手筈になっていた。

 私とラドンは途中まで送ると言ったのだけれど、それは丁重に断られてしまった。


 皆と会話する中、時々視線をくれるノエルの仕草は嬉しかったが、皆にノエルを明け渡していることは少しもどかしい。明日はあまり話せないだろうから、と昨日沢山話したはずなのに、どうしてもノエルを独占したくなってしまう。


 時間はあっという間に過ぎていった。


 そしてノエルが帰る一時間に事件は起きた。


「――ミール?」


 突然、島にミールの気配――正確には、ミールが着けていたピアス――が現れた。ミールは三週間程前から行方不明になっていた十歳の男の子だ。フェリアスの民は年に数人程行方不明になる。大抵は偶然見つかって誘拐されているのだろうけれど……ミールもその内の一人だった。


 ノエルに身振りだけで謝ってから、ミールの両親を連れて気配のする場所に向かった。


「――これは……」


 今にも飛び出そうとするミールの両親を人化したラドンと抑え込み、私達は息を殺した。


 確かにミールはいた。


 だけど、そこには見るからに物騒な格好をした男が三人いた。男達は余裕綽々といった様子で、皆のいる方に向かって歩いている。


 酷い目に遭わされ続けたのだろう、ミールの目や顔は蒼く腫れ上がり、歩き方もぎこちない。首には封魔石の首輪がつけられ、それにはご丁寧にも縄が延びていた。縄を掴んだ男が遅れて歩くミールを引っ張るごとに、ミールの両親が怒りで震えるのが分かった。


《どこの奴らだ?》

《セレスティアル人ではないわね……》


 相手は封魔石を持っている。一瞬で決着させなければいけない。子細を問い詰めるのはその後からだ。


 ラドンと頷き合う。


 わざわざ相手の前に飛び出すようなことはしない。私は指先で標準をつけて、囁くように唱える。


「森の戒め(コマンドメンツ・フォレスト)」


 木の根が競り上がり、男達の身体を締め上げる。


「ぐあぁぁあ!」


 締め上げられる痛みに悶絶する男達を、ミールは驚いたように見つめた。辺りを見回してから、逃げようとするが男はミールの縄だけは手放さなかった。


 駆け出そうとするミールの両親を引き止めながら、男達に更に魔法を掛ける。


無効化インバリデーション


 それから暫く、苦しむ男達を傍観する。他に仲間がいる可能性があるからだ。


 もう暫し傍観しようとした矢先、ミールがこちらに気が付いた。


「お父さん! お母さん!」


 ミールはこちらに駆け出そうとして、首輪に引っ張られて転ける。

 私が魔法でミールの首輪を割ると、ミールは泣きながらこっちに駆け寄ってきた。


「ミール!」


 泣きながらミールを抱き締めるミールの両親を見て一息吐いた途端、頭が割れそうな程の甲高い悲鳴が空から降ってきた。


「――――っ!!」


 考える間もなく、反射的に身体が硬直し、次の瞬間には足腰が立たなくなっていた。声を出す暇もなく、私は前のめりに倒れる。地面にぶつかる直前で、ラドンが受け止めてくれた。


「封魔石!!」


 そうやって悔しそうに言うラドンの声が遠く、遠くに聞こえる。


 私は何も考えられなかった。ただただ、苦痛と恐怖が全身を支配するのを感じることしかできない。何かにすがり付こうにも、手が震えてラドンの服を掴むことすらままならない。


――イタイ。コワイ。サビシイ。コワイ。イタイ。イタイ。イタイ。サビシイ。コワイ……。


「――っ」

「ブロッサム!」


 直ぐ傍から近付いてくる強烈な悲鳴に支配されてることは分かるが、どうにも抗うことができない。

 息もまともに吸えない。勝手に涙まで溢れでてくる。


 ラドンが私を支えるように抱き締めてくれている温かみが、唯一の支えだった。


 ラドンが何かの魔法を言っていた。しかし無情にも視界の端に影が増える。


 一つだった悲鳴が、四重奏になったところで、私の意識は途絶えた。



「――?」


 次に気が付いたのは、家の前の庭。桜の木の下で、殺虫剤を掛けられて一斉に木の葉から落ちた芋虫のように皆が倒れ混んでいた。


 怒り狂う聖獣達を、五人の男達がニヤニヤといなしては捕縛している。


――助けなくちゃ……。


 そう思って立ち上がろうとするのだけれど、指先が微かに動くだけだ。魔法なんて使える次元じゃない。


「こんなに魔族や聖獣がいる場所がセレスティアルにあるなんてな!」

「ぎゃぁぁぁあ!」

「見てみろよ、魔鉱石も集めきらないぐらいあるぜ?」

「天国だな、ここは!!」

「ぎぎぎぃぃぃ!」

「はははっ!」


 怒声と嘲笑が混ざり合う混沌とした状況の中、ゆっくりとしか動かせない瞳で、辺りを見回す。

 ラドンが苦しそうに倒れていた。意識があるらしいフォートとノエルが、私に気が付いたらしい。目が合うと僅かに安堵したように笑った。封魔石が効かないノエルは物理的にも痛め付けられたらしい、顔に痛々しい痣ができている。


――これが封魔石の力……。


 私は改めて状況に絶望した。

 フェリアスの人達に封魔石の恐ろしさについては散々聞かされてはいたが、封魔石を体験したことはなかった。

 少ししか封魔石を使われていないはずなのに、私は暫くまともに立ち上がることもできない。

 魔族の血を受け継ぐ者にとって、封魔石はこれ程までに脅威なのだ。


 聖獣達がじわじわと拘束されていく様子を、私はなすすべもなく見詰めることしかできない。


――ごめん。


――皆、ごめん。


 肝心な時に、私はこれっぽちも役立つことができない。皆には散々世話をかけてもらったというのに……。


 動くことはままならないのに、涙だけはやたらと溢れ出てくる。


 私に同調して島の精霊達も暴れ狂っているのだろう、目覚めてからずっと空気がピリピリとして痛い。普段なら精霊達に指示を出して、あんな奴らを簡単に倒すこともできるのだけど、今はそれもできない。


 フォートも悔しそうに涙を流している。ノエルはボロボロになっても尚、私を気遣う素振りを見せている。


 こんな筈ではなかった。まさかセレスティアル国の兵士に侵略されるのではなく、全く知らない国のならず者に蹂躙されるなんて……。


 そして、セレスティアルの国王がいかに平和的に済まそうとしてくれたことを知る。


――その気になれば、封魔石を使ってしまえば、私達を蹂躙することなんてこんなにも容易いことなのね……。


「――」


 比較的、封魔石の支配が弱い――魔族の血が薄い――フォートが、何事かを呟き始める。あまり呂律は確かではない。


「こい……こいよ……」


 身体を動かせない彼は、指に嵌められた指輪を一点に見つめている。


「いま、きてくれなくて、いつ、くるんだよ……」


 絞り出す様に言ったフォートの言葉に呼応するかのように、指輪が強く光る。それはよくみると指輪から出現した、魔方陣の光だった。


「――っ!」


 魔方陣の上に見覚えのある男が現れた。美しい銀髪が太陽の光で透けて絹糸のようだ。背中越しでも豪奢な服装が様になっていることがわかる。男はフォートの無事を確認すると、直ぐ様辺りを見回し、不敵に笑んだ。その顔は、ノエルが私に意地悪を言っている時の顔とほとんど同じだった。


「こくおう……」

「もう大丈夫だ」


 フォートの言葉に違和感を覚える。少し考えて気が付く。セレスティアル屈指の魔法使いと呼ばれるには、目の前の国王は魔力が弱すぎるのだ。恐らく国の上級魔法使い程度の魔力しかない。

 フォートに背を向けたまま国王は言う。


「お前、いつの間に来た?」


 珍入者に気が付いたならず者達がニヤニヤと国王に振り向く。

 恐らく獲物が増えたとしか思っていなかったのだろう。男達は直ぐに封魔石を使った。再び悲鳴が辺りを支配する。

 私達が意識を保つので精一杯な中、国王は悠々と腕を上げると、一つ横に薙いだ。瞬間、悲鳴が鳴り止む。次いで、何かが四つ地面に落ちる音がした。


「三下が、よくも私の民を痛ぶってくれたな……」


 静かな、それでいて怒りに満ちた国王の声に、怒りを向けられていない私までも皮膚が粟立った。


「――ひっ」


 凄まじい勢いで魔力が展開していくのを感じた。国王はならず者達が逃げる間もなく呪文を唱える。


「裁きの鉄槌(ハマー・オブ・ジャッジメント」


 地面に広がった魔方陣が光った途端、空から太陽と同じ色をした矢が落ちてきて五人の男を貫いた。金色の炎が男達を包むが、他の物に燃え移ることはない。


「殺しはしないが、暫く苦しめ」


 国王は冷たく言い放つと、改めてノエルに振り返った。冷たい瞳のまま苦笑いする。


「本当に魔力が封印されているんだな」


 何か喋ろうとするノエルに向かって国王は指を弾く。拘束魔法を解いたらしい。ノエルはのろのろと起き上がった。


「君が国王? 本当に私にそっくりだ」

「そりゃそうだろうな」

「僕は君と何か関係がある?」

「どう見てもそうだろ」


 本当に瓜二つな二人が会話するのは、鏡に向かって会話をしている光景によく似ていた。

 やれやれ、と国王は大袈裟に肩を竦める。


「とにかく、私にはもう余力がない。あまり気は進まないが、無理矢理でも魔力は取り戻してもらわなければ」

「どうやって?」


 国王が辺りを見回す。私と目があった瞬間、国王は面白そうに、尚且つ悪戯っぽく笑んだ。その仕草だけで、私の胸の内を知られているように錯覚する。


 国王の回りで大勢の光と闇の精霊が踊っている感覚がする。それで、彼が『愛されしラバーズ』であることを悟る。


「お前は――」


 ドゴォォオォン。


 突如目の前が真っ白になった。そして大きな地響きとけたたましい音があったことを認識して、目の前に雷が落ちたということに気が付く。


 目の前――つまり、国王に、蒼天の空からどこからともなく雷が落ちた。


「国王――っ!」


 フォートが叫ぶ。


 国王は頭を守るように、腕で頭を覆っていた。焼けたように見える皮膚からは、煙が上がっている。肉が焦げた臭いが風で流れてきた。


 ままならない身体で空を見上げると、空に漂う一つの影を見つけた。


 長いくすんだ金色の髪がたなびいている。全身を藍色の服で身を包んだ男が、不機嫌そうに空に突っ立っている。


「これは、ヤバイな……」


 さして問題なさそうな、のんびりとした声が聞こえた。


 国王が苦笑いしながら空を見上げる。その時にはもう、焼け焦げた皮膚は消えていた。ボリボリと音がなるくらい頭を掻く。


「援軍がいたか。余力がないと言ったばかりなのに、面倒臭いな」

落雷サンダーボルト

蓄電アキュミュレーター


 国王の真上でバリバリと音をたてる球体が生まれる。


倍加インクリース避雷針ライトニング・ロッド


 光の針が男の腕に刺さると同時に、国王は更に呪文を唱えた。


放電ディスチャージ


 男の元へ、轟音と共に雷が放たれる。


吸収アブソープション

泥玉マッド・ボール


 男が鬱陶しそうに顔を歪める。国王は相手に攻撃の隙を与えることないよう、自身が攻撃を続ける。


 倒れ付した私達は、ただそれを見ることしかできなかった。

 決定打が与えられない様子がもどかしい。


熱線ヒート・レイ

「氷の吐息コールド・ブレス


 国王の視線が世話しなく動く、私と視線がぶつかる、国王が呪文を唱える――それが何度か続いて私はやっと国王の意図が読めた。


 国王は何度も『余力がない』と言っていた。この余力とは、つまり国王自身の魔力を指すのではないか?

 国王は次々と精霊の力を借りて魔法を繰り出しているが、それでも目に見えて魔力が減っている。それもそうだ、国王地に転がる私達を護りながら戦っている。国王の考慮のお陰で私達は無傷ですんでいる。

 未だに空にいる男と互角の戦いになっている以上、ここからの逆転は国王一人の力では簡単ではない。


 つまり、応援があればこの場は凌げるのだ。


 しかし城からの応援は難しい。私達と城の人間は敵対している上に、私達はまともに魔法が使えない。


 でも、一人だけ応援の可能性があるではないか。


「――のえる!」


 震える口で叫ぶ。ノエルがハッとしたように私に振り返る。


「きて!」


 怪しい動きをする私達に魔法が飛んでくるが、国王が全て弾いてくれる。本来敵であるはずなのに、顔がノエルと同じせいもあってか妙に心強かった。


 そそくさとやってきたノエルが、心配そうにしながらも私の半身を起こしてくれた。


「何?」


 私はストライキを起こす身体を精一杯励ましながら、やっとのことで唇を噛み切った。ノエルが目を大きく見開く。


「――っ」

「何してんの!?」


 痛わしげに口元を撫でられる。その顔がとても愛しい。


「――のんで」


 ノエルが目を白黒させる。その様子が可笑しくて少し笑った。

 本当は手首か首筋か、血管が太いところを切りたかったが、今はこれが精一杯だった。


「飲んでって――」

「はやく……こくおうが、やられるまえに……」


 今度は困惑し始めるノエルに優しく笑いかけたいところだったが、頬の筋肉がそれすら許してくれない。微笑もうとしても頬がピクピクと動くだけだ。


 ノエルからごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。本能が私の血を飲みたがっているに違いなかった。ノエル自身は気が付いていなかっただろうけど、一緒に暮らしていてノエルが私の血を飲みたそうにしている素振りは幾度となく目にしていた。

 ノエルに直接は言ったことはないが、ノエルは自分に吸血鬼の血が流れていることに気が付いているのだろうか?


 私の血を凝視したまま、何かを葛藤しているノエルに私は命令する。


「のんで」

「――っ」


 意を決したようにノエルが頷いた。今にも垂れ落ちそうな血をノエルが舐め取った瞬間、身体に甘い痺れが走る。

 傷に触れられた痛みはなかった。寧ろそれは快感を伴っていたので、私はぼぅとし始める頭の中で混乱した。


 優しく、だけど貪るようにノエルは私の唇から血を吸い上げる。もし私の身体の自由が利くようになって、今のノエルから逃げ出そうとしても逃げ出せないだろう。頭をがっしり捕まれている。


「――!」


 ノエルの身体が突然痙攣したかと思うと、ノエルは私を強く抱き締めた。


「――ごめん」


 空から黄色い石の玉が降ってきて、コトリと私達の近くに落ちた。


 ノエルがもう一度強く私を抱き締める。爆音と共に視界が真っ白になった。雷を落とされたことに気が付いたのは、ノエルの頭上に見覚えのある光の球が現れてからだ。


回復リカバリー


 ノエルが私の口元に指を当てて、唱えた。


 頭上には不機嫌そうな魔法使いの男だけが浮かんでいる。国王の姿はどこにもなかった。


 ノエルは私を丁寧に地面に寝かせると、近くに落ちてきていた黄色い石――魔鉱石を拾い上げた。それを握り締めると、ノエルに応える様に弱々しい光が放たれた。


 ノエルが無表情で男を仰ぎ見る。凄まじい勢いで、国王とは比べられない程の魔力が展開していく。


「貴方に返そう。――雷神ゴッド・オブ・サンダー


 電球がノエルの元から空に放たれる。電球は男より更に上空まで昇ると、大きく横に広がった。そこから男の元に、何十筋にも分かれて光の腕が伸びる。地を何度も揺るがせる程の衝撃と、鼓膜が破けんばかりの轟音が辺りを支配する。


「――っ」


 あまりの光量で、少ししても目がチカチカした。耳鳴りが酷い。抱き起こされる感覚がして、誰かと確認すると、やはりノエルだった。よく知った悪戯っぽい笑みに、暗い瞳がついている。私はこんな暗い瞳のノエルは知らない。その事実が泣きたいくらいに悲しかった。


「まだ動けないのは、心因性のものかな?」

「――え?」

「ほら、回復したじゃん」

「あ……」


 指摘されてやっと気が付く。身体の強張りがなくなっている。それを分かっていてノエルはあえて私を抱き起こしたのかと思うと、ノエルが少し憎らしく思える。


 私が自分で起き上がると、ノエルは僅かに寂しそうな顔をした。


「あの男は……?」


 辺りを見渡すが、空を飛んでいた男の気配は全くと言ってない。そこいらでは、ならず者達がまだ炎で焼かれていた。煩くて私が顔をしかめると、ノエルはやっと彼等の魔法を解いてあげた。代わりに束縛魔法をかける。


「あの魔法使いには逃げられたようだ」

「あいつは誰?」

「さぁ? 海から来たみたいだから、カカルフォエールの人間じゃないかな。なんにせよ、彼等に訊いたらわかるさ」


 肩を竦めておどけて見せるノエルに少しだけ笑ってみせる。


「私達の窮地を助けてくれてありがとう」

「民を護るのも僕の役目だから」

「――やっぱり、貴方が国王だったんだね……」


 やっと言った言葉はどこか平淡で、自分の声じゃないみたいだった。ノエルが闇でも食べてしまいそうな暗い苦笑いをする。


「残念ながら、そうだ。要らぬ希望を持たせてしまってすまなかったな」

「その魔鉱石は分身?」

「そうだな。魔力を自分で生成できないこと以外は、丸っきり私と同じ分身だ。双子じゃない。今は分身の記憶も私にある。だからフォートを私の弟子にしたことも記憶にあるな……」


 ノエルとフォートに振り向くと、フォートは悔しそうに顔を歪めていた。フォートはまだ僅かに痺れの残った口で言う。


「それなら、自分で、本当のことを言えよ……あんたは直接、フェリアスの民に害をなすようなことを、命令してないって」


 ノエルは一瞬真顔になったかと思うと、悲しそうに眉を潜めた。私は息を詰めてノエルの言葉を待つ。


「フォート、お前の両親は私が殺した……」

「――っ」

「なんでこの期に及んで嘘を吐くんだよ!」

「事実だ」

「事実じゃねぇよ!」


 ノエルとフォートが言い争う姿が遠くに思える。


――やはり、国王が、ノエルがフォートの両親を、村の人々を殺したんだ。


 その事が頭の中でどうしようもなく燃え上がる。


「――国王」

「なんだ?」


 国王が振り向く。哀しみを含んでいる様にも見える暗い瞳が私を捉える。


「貴方はなんで、この島が欲しいの?」

「国のためだ」

「なんで国のためになるの?」

「ここの力を使えば、国を豊かにできる。敵国から国を護ることもできる」

「今でも十分に豊かなのに、これ以上の豊かさを、貴方は求めるの?」

「そうだな」

「――人間は強欲ね」

「それはよく知っている」


 皮肉気に笑う国王が憎かった。同じノエルであるはずなのに、国王はこんなにも遠い。


「私は貴方を許せないわ」

「知っている」


 涙が溢れた。許せないとしか言えない自分が悲しい。私の涙に応える様に、精霊達が震えた。


「やり直そう」

「……え?」


 国王の表情がノエルに戻る。


「君は優しいから、きっとこれから先苦しむ。だから、僕達が出逢う前の関係に戻そう」

「――それは『忘れよう』ということ?」

「そうだね」


 それはとても悲しいことだと思った。反射的に拒絶したい気持ちが沸き上がったが、理性がそうすべきたど肯定する。対立する未来において、今までの記憶があまりにも幸せすぎた。


「そうしよう……」

「馬鹿か」


 声の方を振り向く。人の姿のままのラドンが苦しそうにこちらを見ていた。回復魔法を慌てて使うと、ラドンは改めて私達を睨んだ。トカゲの姿と違って、人型のラドンに睨まれると凄みがある。


「俺は反対だ。お互いよく話し合え」


 ラドンの声にあちこちから賛成の呻き声が上がる。ノエルは切なそうにその声に首を振った。


「僕はこの島を侵略するのだから」


 私はお前達の敵だと宣い、ハクヒを呼んだ。隣にハクヒが立つ姿がよく似合う。

 ブロッサム、とラドンが不機嫌に私を呼ぶ。


「この世界にとって、何が幸せだと思う?」

「平和じゃない?」

「平和の定義とは?」

「皆が幸せで、争いのないこと……?」

「そうだろうな。じゃあ、それはどうやって手に入れる?」

「……何が言いたいの?」

「俺はな、ブロッサム」


 ラドンが私とノエルをしっかりと見据える。


「平和――真の安寧を手に入れるためには、然るべき統治者が、正しい統治をしなければいけないと思う」


 やめて、と自然と言葉が溢れた。


「やめてラドン。貴方からそんな言葉は聞きたくない」

「これは大事なことだ」


 睨むようなラドンの視線に、私は少し後ずさる。ノエルが止めるように私の腰に触れた。


「僕にとっては彼女の幸せの方が大事だ」

「なら、島への手出しは止めるか? ブロッサムにはそれが一番の幸せだ」

「それは……できない。島の恩恵がなければ、私の力だけでは、セレスティアルはいずれ侵略されてしまう。それに、管理下に置かなければ、今日のようなことが起きてしまう可能性だってある――それに、あの魔法使いは取り逃がしてしまった。ここをまた襲いに来るかもしれない……」


 ノエルは苦々しく言う。


「――だから、私は必ずこの島を手に入れなければいけない」


 ごめん、とノエルは私の目を真っ直ぐ見て謝罪する。君の望みは叶えられないと。


「だから、忘れてしまおう」


 僕が冷静に状況を判断できるように。君が、僕に対する憎しみだけを抱けるように――。


「――分かった」

「ティターニア!」

「ブロッサム!」

「反対です!」

「やめてください、ティターニア!」


 皆が咎めるように声を荒げる。ラドンに至ってはとても怒っている様だった。


「もし忘れたことに関して、思い出したくなっても、俺は絶対に協力しねぇからな!」と睨みながら私に言う。ラドンがここまで怒ることは滅多にない。普段なら怖じ気付いてしまう所だけれど、今回はそうならなかった。雪に呑み込まれたような、凍えるような感情だけが、心を支配している。


「ごめん、ラドン――たぶん堪えられないから……」

「皆に相談しろ!」

「私はティターニアだから、皆を護らなきゃいけない」

「馬鹿野郎!」


 いよいよ私は無視を決め込む。ノエルの苦くも甘い誘惑に負けてしまった後だったから、もう何を言われても心は揺れなかった。


 もうこれ以上の悲しみは堪えられない。


 私はできるだけ明るい口調で言う。


「私は貴方と会ってからの期間と全部して、貴方は全部忘れてしまったら、ハクヒと喋れなくなっちゃうわね。……貴方が忘れるのは『島に関する記憶』にしましょう」

「そんなことできるの?」

「私の技術力を舐めないで。それくらいなら、簡単よ」

「やっぱり、君は僕より遥かに凄い魔法使いなんだね……」

「魔族の混血を舐めないで」


 私が笑うと、ノエルも小さく笑んだ。この控え目な笑みも忘れてしまうと思うと、酷く胸が痛む。笑ったそばから涙が流れた。ノエルがそれを指先で拭い、舐めた。


「君の血の味を忘れられるのは、有り難いな」

「美味しかった?」

「うん。今まで口にしたものの中で一番。たぶん生涯でも一番」

「大袈裟ね」


 ノエルがハクヒに跨がる。私はノエルの高さに合わせるように空を浮いた。


「本当だって。たぶん君が上質な魔力を持ってるからだろうね」

「魔族だからね」

「そういえば、君も人以外の姿があるの?」


 私はその質問に苦笑いする。互いの顔を両手で包み、額を当て合う。昇る朝日のようにゆっくりと魔力を展開する。


「勿論、あるわ。かなり厳つくて恐いけどね」

「そうなの? でも、いつか見たいな」


 もうお互いのことなんて忘れてしまうのに、ノエルが呑気にそうぼやくから、思わず笑ってしまう。


「その時は感想を聴かせてね――」


 純白の光に包まれる。瞳を閉じるとノエルの温かい魔力が額から流れ込んでくるのを感じた。

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