彼方へ 5
「さて、今日は幸か不幸か戦がある」
国王は近くのテーブルに置いてあった白い布の塊を、魔法で俺とオセロ前まで飛ばす。塊がほぐされると、それらはペラペラな人の形になった――頭まである、全身タイツだ。
「お前らにも行ってもらう、タイツを着ろ。装備だ」
「ふざけるな――鎌鼬!」
「静止」
静かだが鋭利な声がオセロの身体を有無を言わさず固定する。オセロが出した鎌鼬は小さな竜巻となって国王の手で渦巻いた。国王は俺に皮肉な笑みを向けた。
「手荒い歓迎だな」
俺も杖を構える。今日は今までのように馴れ合うつもりは毛頭なかった。
「水の牢獄!」
杖の先につけられた水の魔鉱石が光る。瞬き一つしている間に、国王の周りに音もなく水が集まり国王を包む球体になる。
国王興味深そうに水球の中で少し泳ぐと、焦る様子もなく床に向かって指を指した。
俺が邪魔をする暇もなく、紅の美しい魔方陣が描き上がり、国王の身体が紅に輝く。
「――!」
眩しさを遮り、次に国王の姿を確認した頃には、国王は元の姿で、元の場所に佇んでいた。
「拘束」
光の紐で両手と両足をまとめて縛り上げられる。床に這いつくばう俺を見て、国王は困ったように言った。
「弱いな」
「あんたが強すぎるんだ!」
噛みつくように言うが、国王はお構いなしだ。俺を無視して、次の興味対象に向かう。オセロは魔法を使った姿勢のまま硬直し続けていた。目だけが、国王を射殺すようにギョロリと光っている。国王はそんな視線すらお構いなしにオセロを観察する。
「おや、お前はモノトーンの息子か?」
「――っ!」
オセロの顔が赤くなる。首筋と額に血管が浮かぶのが見えた。きっと口がきける拘束魔法の方だったら、今ごろ怒りで怒鳴っていただろう。怒りを出すようにオセロの呼吸が大きく乱れる。
「お前達が怒っているのは、どうせ先日の遠征のことだろう?」
――違う、それだけじゃない!!
はっきりと言いたかったのに、国王の顔を見たら何も言えなかった。
「……」
国王からはいつもの皮肉気な笑みが消えていた。代わりに浮かんでいたのは、底知れぬ怒り。俺達に向けられた怒りだった。今まで向けられた表情を忘れてしまいそうなほど、国王は豹変していた。今にでも殺されそうな気がして、身体が恐怖で震える。
「お前達は、神秘の島を探しに行っただけの兵を四人も殺した」
「あ、あれは……」
口が乾いて思うように声が出せない。
「ケスターは先日子供が生まれたばかりの若い男だった。チェイコフはもうすぐ恋人にプロポーズするつもりだった。サリコーンは三人の子を持つ父親で、ルルタスは母親と暮らす優しい男だった」
国王が俺達を睨む。
「彼等と彼等を大切に想う人の未来ををお前達は滅茶苦茶にした」
――それは俺達も同じだ。あんたに糾弾される筋合いはない!
だけど、国王の迫力に気圧されて俺は何も言えなかった。フェリアスの人が、兵士を四人殺したのは事実だったからだ。
そして、俺達が城の奴等と同じ立場に立ってしまっていたことに、この時初めて気がついた。
冷たい目で俺達を見下ろしながら、国王は告げる。
「お前達にだけでも、この国の現状を知ってもらう」
国王は俺に白いタイツを投げ掛ける。拘束も一緒に解除された。
「お前は自分で着ろ」
今までとは明らかに異なる国王の雰囲気に気圧されながら、俺は言われるがまま、タイツを手に取る。
――これが普段のあいつなのか……?
さっきからずっと、今にも首でも斬られてしまいそうな雰囲気がこの部屋を支配している。
そう思うと、それが酷く悲しく思えた。俺はずっと、皮肉屋だけどどこか優しい国王と接してきたから。
タイツを広げる。フードも付いていた。しかしそれは酷く不自然で、俺は慌てて国王を振り向いた。国王は硬直させたオセロにタイツを着せていると思ったのだ。そして、それは正解だった。
「――嘘だろ?」
既に衣服を着ている上から更に着せられたタイツは、カタカタと歪な形をした。が、更に酷いことに被せられたフードには顔の部分に穴がなかった。ぱっと見た印象はただの変態だ。他には気持ち悪い生命体と言ってもいいだろう。
顔まで綺麗に覆われる全身タイツに一体どんな効果があるのだろうか、困惑している俺の視線に気が付いたのか、国王は片眉だけ小器用に上げる。
「お前も私に着せてほしいのか?」
「服の上から、顔まで着るのか?」
「見れば分かるだろう。背中のチャックは流石に閉めてやろう」
国王はそう言ってオセロのチャックを閉めた。途端、タイツが透けた。まるでタイツの存在そのものがなくなったようだ。呆気にとられる俺を、国王は静かに急かす。
「早く着ろ」
ろくに説明がないまま、転送魔方陣で転送された先は相変わらずどこかのトイレの個室だった。
「どこだ、ここは?」
しかし、暗い。家で寝床としている地下室より、さらに暗い。暗すぎて、自分が目を開いているのか、閉じているのか分からない程だ。転送先がトイレだと分かったのも、座った先が便座だと認識できたからだ。
音までも吸い込まれる闇の中で、ぽつりと一人残された感覚に、俺は反射的に震え上がった。寝床意外でこれほどの暗闇は初めての体験だった。
ぎゃぁぁあぁあ、遠くで幾つもの悲鳴や雄叫びが聞こえる。耳を澄ませなくても嫌でも聞こえてくる声が、更に俺の恐怖を増長させる。
《フォート、近くにいるか?》
オセロの念話が聞こえてくる。近くにオセロがいたという事に気がついた瞬間、心底安堵した。
《いる。オセロもトイレにいる?》
《そうだ。もしかしてトイレか?》
念は声と違って距離感が掴み辛い。個室を出ようかと思ったが、如何せん暗くて何も見えない。本当に光が一つも無かった。暗視魔法を使うことでやっと薄らと周りの状況が見え始めた。薄暗いモノクロの世界だが、全く見えないよりかはかなりマシだ。
またどこからか悲鳴が聞こえた。トイレの向こうは長い通路になっているのか、声がよく響く。個室を静かに出る。オセロも同時に出てきたらしい、出て直ぐに鉢合わせた。
オセロの目がやたらと明るく見えて、直ぐに視線を逸らした。オセロも暗視魔法を使っているらしい。
《ここはどこ?》
《分からない。でもこの土地の魔力量からすると、どこかの魔鉱山だろうな》
幸か不幸かトイレには自分達以外誰もいないらしい。俺達は素早く杖を剣に変えた。杖は魔法を使うのには良いが、フェリアスの民であることがバレやすくなってしまう。
あぁぁぁあぁっ! 遠くでまた雄叫びが聞こえた。絶え間なく聞こえてくるこの声が、ここが異常な場所であることを告げる。
《山一つを覆う闇魔法だとすると、もしかしたら敵に闇の民の血筋を継ぐ者がいるかもしれない》
オセロが静かにトイレの扉を開ける。開けた瞬間、オセロは扉の向こうに消えた。
「オセロ!」
何事かと扉の向こうに乗り出す。灰色の平面的で不気味な仮面が現れたと思ったら、次の瞬間には光のない刃が現れた。反射的に目を閉じた。眉間に鋭い衝撃が走る。
「がっ!!」
衝撃に貫かれるまま、トイレに押し戻される。壁にぶつかり、壁のタイルが割れ落ちた。あまりの痛みに俺は動くことも出来ない。
俺を突き刺した奴は五秒程俺を観察すると、死んだと思ったのかトイレを一通り見回ってから立ち去って行った。
誰の気配もないことを確認してから、改めて痛みにのたうち回る。
痛みが引いてくると、頭も落ち着いてきた。
――なんで生きているんだ、俺は?
眉間を突いた物は明らかに剣だった。眉間を勢いよく突かれたにも関わらず、俺の眉間は陥没している様子がない。痛みはあるが……。
――あれは、明らかに死の衝撃だった。
死んでいたかもしれない事実に、俺は心底震えた。
開かれた扉の向こうで人が動く気配がした。またあいつかと思い、死んだふりをする。
《フォート、生きているか?》
《……オセロも無事だったのか?》
安堵の溜め息を吐きつつ起き上がる。
《俺も生きてる。着せられた、タイツのお陰かもな》
《あ……》
あまりに身体に馴染みすぎていて、タイツを着ていたことを忘れていた。きっとタイツが顔面まで覆っていたから、眉間を突かれた時も痛みだけですんだのだ。
ふとオセロが俺の目元を手で覆った。
《周りが見えないが、暗視魔法は使わない方がいい。目が光ってかなり目立っている。さっきもそれで狙われたんだと思う》
慌てて魔法を解いた。また再び深い闇が視界を支配する。俺とオセロはお互い見失わないように手を握りあった。
《これからどうしよう?》
途方に暮れる。戦いということは、敵を倒せば勝ちなのだろうが、一体どうすれば倒せるのかが分からない。その前に――
《目が見えないのにどうやって移動したらいいんだ?》
深く悩むようにオセロが押し黙る。これはオセロも初めての状況らしい。
しばらくして、オセロがゆっくりと告げた。
《視力以外の感覚を強化しよう》
《聴覚とか?》
《味覚――もいらないな。視力と味覚以外全部だ》
ここまで言われて俺もやっと理解出来た。
《それで敵の気配とかを察知するんだな》
《うん。風の流れも読めば、大まかな地形は把握出来る。そういうの、お前は得意だろ?》
《うん》
強化に呪文はいらない。単純に言うと、強化したい箇所に一定法則で魔力を使えばいいだけだ。ただ、その単純なことが逆に難しかったりもするのだけれど……。
感覚を強化すると、別の世界が見え始めた。
遠くの絶叫がより鮮明に聞こえる。トイレのアンモニア臭と一緒に血の臭いが混ざる。僅かな風が皮膚を撫でていく。
――俺達の他に、誰かいる。
ごくごく小さな、空気の乱れがある。気配は殺しているが、息をしている以上は隠せない乱れだ。
それは擬態しているようだ。
「――――」
ゆっくりと近づき、バケツを掴むとバケツが高い悲鳴を上げて人に変わった。
「たのむ、黙っていてくれ――!」
《あんたが黙れ!》
どでかい声を上げる男性の頭を反射的に叩く。
「ひぃ!」
《静かにしないと殺されるぞ!》
強めに言うと、男は押し黙った。
《アナタ達は兵士の、格好をしてイルが、魔法使イなのか?》
一瞬嘘を吐こうかと迷ったが、念話を使ってしまっている時点で、魔法が使えることは明白だろう。
俺が答える前に、オセロが先に答えた。
《そうだな》
《念話はニガテなんダ……》
ショボくれた声音で男がぼやく。
《アナタ達はシロからの増援だロ?》
《まぁ、そんなもんだな》
《私はコワくてココから動けないんダ。私の代わりにヒカリを取り戻してくれナイカ?》
《どういうこと?》
俺の質問に、男は意外そうな反応を示す。
《このサザンブレス山を覆ってイル闇マホウを払えば、アリアーナスルの魔法使イはニゲルだロ? シジや前情報はナカッタのか?》
まさしく、その指示や前情報がなかったんだ。とは俺もオセロもあえて言わなかった。説明が面倒くさいからだ。
隣でオセロが呻く。
サザンブレスという名前の山は俺も聞いたことがあった。確かサザンブレス山は、カルデラ山で、セレスティアルで一番の魔鉱山のはずだ。カルデラで光が溜まり、高品質な光の魔鉱石が採れる。
アリアーナスルはサザンブレス山に最も近い他国で、闇の民の血を引く人が多くいる国だ。
《――つまり、山の魔鉱石を光らせて闇を散らせばいいのか》
《そうだナ》
《そんなのなら、直ぐに終わらないか?》
《そうダな》
《なんでまだ終わってないんだ?》
《怖くてウゴケない……》
高々暗いだけだろ? と言いたいところだが、光の民にとって闇とは本能的に怖いものらしい。他の世界とは違い夜が来ないことに起因しているようだが、光の民の闇嫌いは他世界の血が混じる者からすると異常に思える。彼らは誰もいない地下道でも常に光を灯している。
《だから、カワリに行ってもらえナイだろうか?》
腰が抜けているらしい魔法使いに、オセロが肩を竦めた音がした。
《行ってもいいが、俺達はここのことを知らないから時間がかかる。その間貴方はこの暗い中独りで大丈夫なのか?》
《うぅ……》
男が悩むように呻く。俺達が行くとまた独りになるということが考慮から抜けていたらしい。でも、今まで独りでいたのだし大丈夫だろう、と思っていたら男は、
《私もツレて行ってくレ……。ただ腰が抜ケテいる、オブって欲しい。ここの地図はアタマに入っているカラ、多少の足でマトいは緩和されルはずダ……》
結局、オセロが男をおぶって移動する形で行動することになった。なおかつ、俺達は足音を立てないために空を飛んだ。
男の名前はビブラートと言い、ミスティ出身の城に仕える魔法使いらしい。
強化された感覚と、ビブラートの案内でなんとか坑道を進んでいく。
飛んで足音を消しているはずなのに、それでもアリアーナスル兵に見つかって二回殺された。その度に暗闇への、痛みへの、死への恐怖が増していくが、後戻りしても帰れない――きっと転送魔方陣は作用しない――ことを察していたので無理矢理でも進んでいくしかない。
風の流れが変わる。
――来た。
そう思った時には反撃する間もなく鋭い痛みが脇腹を貫いている。これで三回目だ。死んだふりをして気配が去ってから、ゆらりと起き上がる。
《慣れないな》
《間違いない……》
ビブラートから苦笑いじみた吐息が聞こえた。
《ヤツらはいつも不思議だロウな。殺してモ、殺しテも兵が減らナイから》
確かにそれもそうだ。何とはなしに頷きながらまた進み始めると、強い血の臭いがする部屋があった。誰かが死んでいるのかもしれない、それほどの異臭に目を背け通り過ぎようとすると、ビブラートがオセロを強く引き留めた。
《すまナイ、そこの部屋ニ入ってクレ!》
感覚が強化された鼻でその部屋に入るのは躊躇われたが、オセロはビブラートに強く求められて恐る恐るその部屋に入っていく。俺もその後に続いた。
その部屋に入ると、予想以上の臭いが嗅覚を襲った。恐らく死者は一人どころではない。三人はいるだろう。
「アンガス!」
ビブラートがオセロの背を降りて、何かに駆け寄った。ぬちゃりと音がする。ビブラートが誰かを抱き起こしたらしい。
《声を出すな!》
《スマナい……。彼は学生ジダイからの友人なンダ……》
小さく鼻をすする音が聞こえる。
《アンガスはココの護衛を任されテいて……。今回ハ嫌なヨカンがしていタんだ……》
彼の悲し気な吐息に胸が熱くなる。国境が近い場所では度々他国に襲撃に遭って、こうやって死者が出るものなのだろうか? ふいに知り合いが、大切な誰かが死んでしまったりするのだろか?
俺達はビブラートが落ち着くのを静かに待った。時間にすると数分に満たない間だっただろうが、数時間待っていた感覚だった。
「すまない、後で迎えに来るから……」
ビブラートは死者に静かに囁くと、立ち上がった。オセロも流石にこれには怒らなかった。
《スまナイ。待たセたな》
立ち上がったらしいビブラートに、オセロが《乗れ》と背中を出したが、ビブラートはそれを丁重に断った。
《スマナい。自分で歩ク》
三人で、ゆくっりと、だけど着実に前に進んでいく。
《ビブラートは感覚強化に慣れているんだな》
《なんのコトだ?》
《足取りに迷いがないじゃないか》
オセロの疑問に、俺も内心大きく頷いた。だけど当の本人は困惑している。ややあって、ビブラートが恐る恐る問い掛けてきた。
《もしかシて、お前達ハ防護服をヤミ属性に変えてイナい?》
言われてから、しまったと思った。その手があったことをすっかり忘れてしまっていた。目まで覆っているこのタイツを闇属性に変えてしまえば、暗視魔法を使わなくても暗闇を見ることができる。
オセロも同様に思ったらしい、俺と一緒に素早くタイツを闇属性に変えた。念のため感覚強化はそのまま残す。
視界に暗視魔法と同じくらいの光が戻る。
この段階になって初めてビブラートの顔を見た。ビブラートは長い髪を後ろでゆったりと括った、狐顔の若い男だった。
《今まデ感覚強化だケでいたノカ? 凄いナ》
更に二回ほどアリアーナスル兵に殺されてから、やっとカルデラ地帯に出た。辺りの壁や地面一面に魔鉱石の元である水晶が生えている様は壮観で、思わず息を呑んだ。これが太陽の日と元だとどれだけ綺麗になるのだろうか?
いくつもの絶叫がドーム状に区切られた空間に響いている。
《――さァ、魔鉱石にヒカリを灯そウ!》
ビブラートが杖を手近な魔鉱石に当てたのを真似て、俺とオセロもビブラートの杖に似せて変身させた杖を魔鉱石に当てた。光に備えて防護服の闇属性を解除する。
《行クぞ――!》
ビブラートの合図に合わせて魔鉱石に術式を投げ掛ける。光の波紋が数メートル広がった途端、胸に鋭利な衝撃が走る。
「ぐぁっ!」
三者三様に吹っ飛ばされる。俺が当たった魔鉱石が折れて砕けた。魔鉱石はかなり硬いはずなのに、タイツの方が強いらしい。痛みはあったが、裂傷を受けた感覚はなかった。
「負けるか――っ!」
転けた先でまた魔鉱石に術式を飛ばす。今度は最初より早く衝撃が来た。
敵は一体何人いるのだろうか、こんな感覚で殺られていては光をカルデラ全体に広げられない。
――先に敵を片付けるか?
――否、それができていれば先にしている!
気が付けば絶叫は止んでいた。
誰かが俺の心臓を執拗に刺してくるせいで動けない。
痛い。何度も死の戦慄が身体を駆け巡る。幸か不幸か感覚強化は初撃で解けている。しかしながら、ここまで執拗に殺されると、だんだんその感覚も麻痺してくる。でも、痛いものは痛い。痛みと衝撃のせいで指を動かすことすらままならない。
もう何日も太陽の光を浴びていない気がする。
――俺はこのままここで殺され続けるのか……?
深い絶望が俺の胸を侵食し始めた時だった。
ざざざっ
「うぐっ」
急に背中が軽くなり、痛みが止まる。誰かに腕を引き上げられた。
「立てますか?!」
「――うっ」
振り向いた先は闇だった。だけど二の腕を掴む手が温かくて、仲間の兵士であることを悟る。
続いて金属が交わる音がいくつも続いた。側の他に、遠くから幾つも聞こえる。
「あまり続けて長くお護りすることはできません。お辛いでしょうが、なるべく手早くお願いします!」
二の腕を掴んでいた男はそう言い残すと、俺の元を離れて行った。恐らく加勢に行ったのだ。
「うぉぉぉぉっ!」
あちこちから雄叫びが聞こえる。
遠くで光が沸き起こった。ビブラートかオセロが再開したのだ。光の周りを踊る影が見える。光源が増えたが、一つ目の光源が縮み始めた。
「――光れ」
俺も魔鉱石に術式を送る。
「光れぇぇ!!」
三ヶ所から広がり始めた光が同心円状に広がり、繋がる。一度光が大きくなったら、あっという間だった。カルデラを覆っていた闇が破れるように散っていく。
「――太陽だ!」
誰かが感嘆の声を上げた。
気がつくと、頭上には青く広がる空と太陽が顔を覗かせていた。
魔鉱石が太陽の光を吸ってキラキラと宝石のように輝く。
爽やかな風に誘われるまま辺りを見回すと、先程の闘いが嘘のように美しい世界が広がっている。
「アリアーナスル兵は?!」
辺りをどれだけ見回しても、俺達を執拗に襲ってきていたアリアーナスル兵の姿は見当たらなかった。いや、正確には何人かそれらしい姿はあったが、全員倒れ伏していた。
「逃げたようです」
手近にいた仲間の兵士が言った。
「うぉぉぉ!」
それぞれがそれぞれに喜びの雄叫びを上げる。
「ありがとう、助かった」
気がつくとビブラートとオセロが近くにいた。オセロもビブラートも誇らしい顔をしている。たぶん、俺も似たような顔をしているだろう。俺達の正体は明かせられないけれど、ここにいる皆で祝杯を上げたいと思った。
「君達は――」
ビブラートの顔が急に遠くなる。この感覚にはよく覚えがあった。
瞬き一つしている間に、景色が様変わりしていた。豪奢な部屋に、目の前には拍手する国王。
「初めてにしてはよくできたな」
「てめぇ――!」
「拘束」
「くそっ!」
「少しは落ち着け」
そう言って国王はソファに座って紅茶を飲み始めた。俺にすすめてきたので、仕方なしに紅茶を頂く。
「サザンブレスは要所でな。ああして色んな国によく狙われるんだ。月に一度は襲われるから、衛兵を多くおき、魔法使いも二人常駐させているのだが……今回は全員殺されてしまったようだな。あそこの警備をもう少し考えねばならん……」
不味い青汁を飲んでいるような顔で国王は言ってから、俺達に皮肉な笑みを向ける。
「分かっただろう。フェリアスがいかに平和ということが」
流石にこれには俺もオセロも押し黙ざるを得なかった。
「毎度これ程死人が出るわけではないが、ほとんどの場合、死人が出ないことはない。神秘の島の力があれば、死人を出さなくてすむかもしれない。他にも要所はいくつもある。全体で少しずつ死人を減らせられれば、かなりの死人を減らすことができる」
甘さが足りなくなったのか国王は紅茶に角砂糖を足した。まともに混ぜないまま、また紅茶に口をつける。
「要所で働く者は死の危険が大きい故、リスクを伝えた上で給金も多くするようにしてはいるが、やはり死なれたら家族は悲しむだろう。私はできるだけ悲しむ者を減らしたい」
紅茶を見つめる国王の目は酷く真剣で、だけどサザンブレスを包んでいた闇のように暗かった。
「お前達も自分の家族に死なれるのは嫌だろう?」
「……」
「……俺達を馬鹿にしてるのか?」
静かに溶岩が湧き出るように、オセロが言った。国王が要領を得ないように眉間に皺を寄せた。
「馬鹿にしているつもりはないが?」
「村長である俺の親父と、フォートの両親を殺しておいて、よくそんなことが言えるな!」
国王はその言葉に頬を叩かれたようだった。難しい顔をした後、悔しそうに両手を組んで口にあてた。
「そうか――そういうことか……。やっと、お前達の怒りの原因がわかった」
そうして、痛ましそうに俺達を見る。
オセロには分からないだろうが、何度も関わっていた俺には――弟子の俺には、表情の理由が分かった。
――この件に関して、国王は何も知らなかった。
何故かその事実で俺は救われた気がした。両親が死んだ事実は変わりなく、その悔しさも変わりないが、国王が両親を殺していないことが心底嬉しいと思った。
「モノトーンさんと俺の両親は、神秘の島侵攻の話がまだ噂の時に、国王を説得しに城に来たんだ。でも、そのまま二度とフェリアスには帰ってこなかった。遺体すら帰してもらえなかった」
「監禁か奴隷にされている可能性は?」
「それはない、俺達にはわかる」
フェリアスの民が着けているブロッサムお手製の葉っぱのピアスで、ブロッサムは装着者のおおよそ居場所と生死がわかる。
ブロッサムに確認してもらったから、間違いない。
「なんで……あんたが知らないんだよ」
状況を察したらしいオセロが悔しげに溢す。
「すまない、私の監督不行き届きだ……」
そう言った国王は、オセロ以上に悔しそうな顔をしていた。
意外な程すんなり出てきた謝辞の言葉に、オセロは泣き崩れた。
「なら、軍との交戦の時に起きる行方不明も、あんたは知らないんだな」
「そんなことまであるのか?!」
それにも国王が関与していないという事実に、俺はまた救われた。
安堵する俺とは対照的に国王は失望による深い溜め息を吐いた。
「未熟な王で申し訳が立たんな……」
肩を落として落ち込む様は、まだまだ若い青年にしか見えない。その姿が痛々しい。
しかし、落ち込んだのも僅かな間だった。直ぐに瞳に強い意思を宿して俺達に目を向ける。
「これでより一層、神秘の島の攻略が必須になった。私は国民に――お前達によりよい国を提供する指命がある。たとえお前達の意思に反してもな」
「な――」
結局の帰結点に愕然とする。国王にはまだ分かってもらえないのか? 神秘の島は俺達が命をかけて護っている島なのに!
反撃しようとした矢先、俺とオセロの足下に魔方陣が広がった。
「今日で最後にしよう。もう私達は会うべきじゃない」
「おい――!!」
「短い間だったが楽しかったぞ、弟子よ――」
何か言ってやる前に、風景がいつものトイレの個室に変わった。
言ってやりたいこと、伝えるべきことはいくつもあったはずなのに、結局ほとんど言えなかった。
「くそ――」
悔しさで涙が込み上げた。
「なんでこうなるんだよ……」
この日以来、俺とオセロがどれだけ探しても、城の結界の穴を見付けることはできなかった。改めて、あの穴全て、国王が気紛れに空けていたものなのだと思い知った。