彼方へ 4
長老からブロサッムが面倒をみている男――ノエルが国王と似ていると聞いた瞬間、俺は両親の顔を思い出した。
ラドンに殴られた頭が酷く痛かった。これはきっとたん瘤になるだろう。ラドンに殴られたのはこれが初めてだった。
ノエルが国王かもしれないと思いつつも、ノエルを庇う皆が、俺は心底理解できなかった。庇う理由はなんとなくわかった。傍目から見ても、明らかにブロサッムがあいつに心を許していることが分かったからだ――それがより一層俺の心を煮え繰り返させる。
だから俺は居ても立ってもいられなくて、村に帰ってからすぐに荷物を調えて家を出た。一番の引き留め役になる両親はもういないから、皆が寝静まった後なら村を抜け出すことは容易だ。
ハヤブサに変身して空を駆け抜けると、零時になる前にはミスティに到着した。そのまま街に下り溝鼠に変身して暗がりで一夜を明かす。一夜と言っても、光の民に睡眠時間はないので静かな時間はない。俺は夢と現の間を行ったり来たりしながら寝た。
俺は起きると直ぐ様城に入るための抜け道を探した。当たり前だけれど、城の結界は固い。あれやこれやと探している間に、あっという間に二週間が過ぎた。そんな折、針の穴のような小さな結界の綻びが見つかったのは奇跡に近い。
場所は地下水路。暗闇のなかを蝙蝠になって飛んでいた俺は、直ぐ様小さな羽虫に変身して結界の穴を通り抜けた。そのまま結界内の水路を駆け抜けて、光のある場所――地上に飛び出す。
飛び出た先は調理場だったらしい。叩き潰されない間に、素早く抜け出る。暫く飛び回ってやっと庭園らしき場所に出た。やっと一息吐ける――と思っていると、見覚えのある顔が現れた。人の姿に戻る。
「――やっぱりお前だったんじゃねぇか!」
殴ろうとした拳は、あっさりと魔力の壁に阻まれる。
相手は心底意外そうに、そして面白そうに笑んでいた。
「おや、君は誰かな?」
「俺の顔を忘れたとか言うなよ?」
「忘れるも何も、私は君のことは知らないが?」
「ノエルだろ?」
「おやおや、それは気になる発言だね」
俺は臨戦態勢のまま、じりじりと距離を開けるが、ノエルらしき人物は逆にじわじわと俺との距離を詰めた。
俺の経験からしても、実力差は明確だ。
――明らかに格上じゃねぇか。
見た目はノエルと一緒なのに、中身がまるっきりすり替わっている、そんな印象だ。
目の前の男は、ブロサッムの所にいるノエルと一緒の見た目をしてはいるが、酷く瞳の色が荒んでいる。まるで世界の何もかもに期待していないような、人生を諦めているような――俺はそれがさらに気に食わない。
「お前、俺らを騙してたんだな?」
「俺らって、誰を指すのかな?」
拘束の魔法に、俺は呆気なく捕まってしまう。実力差は明らかだったが、あまりに悔しくてもがく。
「君は私に何の怨みがあるのかな?」
無邪気に問い掛けられる質問に、俺は心底腹が立った。
「お前、国王だろ?」
「そうだね」
「ノエルだろ?」
「そうだね。よく知ってるね」
「やっぱり俺らを騙してるんじゃねぇか!」
ふむ、と目の前の男は余裕の出で立ちで腕を組む。
「君の言っていることは支離滅裂だ。もう少し落ち着くといい」
「落ち着けるか!」
先程から口を開く度に唾が飛びまくっているが、そんなことすら気にならない。男は――国王はニヤリと笑うと緩慢な動作で口に人差し指を当てた。
「騒ぐと衛兵がくるよ」
「――っ」
慌てて周りを見渡そうとするが、拘束魔法で縛り上げられているせいでそれすらできない。せめともと、耳を澄ませてみたが、とりあえず他に人がやって来てる音はしなかった。
そんな俺を見て、国王は満足したように頷いた。
「よろしい。魔法で自白させても問題ないけど、自分で言うのとどっちがいい?」
「……好きにしろ」
「じゃあ直接訊くとしよう。まず一つ目、君が勘違いしている『ノエル』は本当に私とそっくり?」
「本人だろ?」
国王は俺を嗜めるようにいやらしく笑う。それだけの仕草なのに、何故か心臓に触れられた気がして鳥肌が立った。冷や汗が背中を伝う。
「だから、君は勘違いしているとさっきから言っている。私は同じものではないよ。そのノエルはどこから来たのかな?」
「知らねぇ。あいつは記憶喪失だ」
「なるほど。君と彼との関係は?」
「あいつが俺の知り合いの世話になってる」
「彼は魔法使い?」
「そうみたいだけど、今は使えない。魔力が封印されているみたいだ」
ふむ、と国王は腕を組み、考えるように片手を顎に当てる。
「――そういえば、君のことを訊きそびれていたな。君はどこの誰だ?」
「……フォート・ジェノベーゼ」
「どこに住んでいる?」
「それは、言えねぇ……」
「自白魔法を使ってもよいが?」
「フェリアス!」
国王はさして驚いた風もなく、妥当だなと頷いた。
どうせ解除されただろうが、変装魔力でも使っておけばよかった。ノエル本人かと思ったので、そんな必要性を全く考えなかった。
俺の普段の見た目は明らかに水の民の血が混ざっていることがわかる。奴隷の首輪を着けていない限り、フェリアスの民であることは容易に想像がつくだろう。
「つまりは、彼はフェリアスにいるんだな」
「そーだよ」
俺が不貞腐れながら頷くと、国王は心底面白そうにクツクツと笑った。
「なんで笑うんだよ」
「いや、こんな偶然があるのだな、と思って」
「どんな偶然だよ」
「それは言ったころで無駄なことだ」
「やっぱり、お前とあいつは関係あるんじゃねえか!」
「それは、君の想像に任せよう」
さて、と国王は手を叩く。
「そろそろ公務に戻らないと、私は怒られてしまう。とりあえず、君には帰ってもらおうか」
一瞬意味が理解できず、俺は思わず硬直する。
「――まてまて、逃がすの?」
「そうだな」
「俺が言うのもおかしいけど、普通捕まえるだろ?」
今さらながら、捕まった後のことに気が付き身震いが止まらなくなる。神秘の島侵攻に向けて拷問される恐れもあったし、そのまま殺される可能性もあった。もっと言うと、奴隷として売られる可能性もあったし、人体実験に使われる可能性もあった――両親のように。
そんな俺の恐怖に気がついているのか否か、国王は意地悪く言う。
「そんなに捕まえて欲しいのか?」
「いや、遠慮するけど……」
「それに君は逃がした方が面白そうだ」
「なんで?」
「理由はあえて訊かないが、どうせまた来るだろ?」
ぎくりと心臓が跳ねる。正しく正解だった。俺はせめてもの抵抗で国王を睨む。
「絶対に寝首を掻いてやるからな……」
「光の民は寝ないけどな」
さて、と国王は仁王立つ。俺の足元を指差すと極めの細かい魔方陣がするすると描き上がっていく。見たところ転送用の魔方陣だ。
「時間だ。そろそろお暇頂こう」
「――まて!」
「待たない」
「本当に『神秘の島』の侵攻を止めるつもりはないのか?」
魔方陣が書き上がってしまった。景色が霞む。国王は淀んだ瞳で悪戯っぽく笑った。
「本当に止めさせたいなら、私を説得してみるがいい」
気が付くとトイレの個室にいた。転送先になっている魔方陣が便座の上で鈍く光っている。立ち上がり、萎んでいく光を慌てて目に納める。
――くっっそ複雑な魔方陣だな、おい。
魔方陣の描き先は大きく二つに分かれる。一つは、紙や地面など物質に描くもの。二つ目は、この転送魔方陣のように空間に描くものだ。
前者は比較的簡単に描くことができるが、物理的に魔方陣を崩されることで効力を失ってしまう。一方後者は、修得までが困難だが描いてしまえば、魔法で解除されない限り崩されることがない。解除するには描かれた魔方陣の効力を理解することが必須であり、そのうえで爆弾を無力化するのと同じように正しい方法、手順で魔方陣を崩していかなければいけない。
そして、この目の前の魔方陣はその解除ができないように、魔方陣に難解な暗号化が行われていた。フォートではとても崩せそうにない魔方陣だ。
「――くそ!」
もう隠れてしまった魔方陣に――ほとんど便座に――向かって悪態をついてから、俺は便所を出た。
俺がトイレを出ると、外にいた小鳥が驚いて飛び去っていく。辺りを見回す。どこかの公園らしい。少し遠くにある遊具でチビ共がキャッキャと楽しそうに騒いでいる。それを少し離れたところで暖かく見守る夫婦達が何人も……。
――父さん。母さん……。
今はいなくなってしまった人を思い出す。こんなに急に喪うとは少しも思わなかった。
――一度帰ろう。
変身しようとして、ポケットが少し重くなっていることに気が付いた。
「――ん?」
ポケットに手を突っ込む。チャリチャリと二つの金属がぶつかる音と、カサカサと紙の感覚がする。それらをまとめて取り出す。
手には二枚の金貨――しかも最高額貨幣のモア金貨だ――と一枚のメモ用紙があった。
「金貨ぁ?!」
滅多に手にしない金額に俺は目を剥く。モア金貨が二枚あれば、フェリアスだと三年は暮らせる。ミスティだと物価が高いから短くなるが、それでもニ年は暮らせる。
犯人に目星はついていたが、一応メモに目は通す。
【いい杖はすでにあるだろうが、それでいい魔具でも買うといい】
確かに魔具は高価だ。俺のお小遣い程度では到底買えない。でも……
「余計なお世話だ!」
俺はメモを丸めて炎で燃やす。金貨は――悔しいが捨てられなかった。魔具以外の別の物を買ってやる、とポケットにしまい直す。
軍資金は増えたが、ここで村に一度戻った方がいいだろう。きっと皆には誘拐されたと思われている。
それにブロッサムのところにいるノエルの面ももう一度確認しておきたかった。
「今回は少し遅かったな」
国王が背後からの魔法を避けながら、ニヤリと笑う。
城の小さな庭の一つで国王はのんびりと散歩していた。辺りに人は誰もいない。まさに狙ってくださいと言っているようなシチュエーションだ。
「お陰様でな!」
「……汚いな」
「お陰様でな!!」
服から滴る汚水の臭いに思わず顔をしかめる。国王は鼻を摘まみながら、俺に浄化魔法をかける。
「悪意ありすぎだろ!」
「もっとマシな入り方もあっただろ? それに他にもルートはあったはずだが」
「そこしか見つからなかったんだよ! わざわざ便所に抜け穴を作るんじゃねぇ!」
溝鼠に変身して通り抜けた時のことを思い出し、吐き気が込み上げる。
半ば焼けになって水鉄砲を国王に向けて放つが、片手を軽く払う仕草だけで簡単に散らされる。
「そんな雑な魔法で当たるわけがないだろ。せめて威力強化と透過と連続発射ぐらいしろよ」
「そんな芸当軽々しくできるか!」
「練習しろよ。これくらい出来ないと、まともに戦えないぞ」
国王が軽く振るった指先から、飴たま程度の大きさの光の玉が音も無く光速で放たれる。もちろん光速なので、俺の目で光の玉を追うことは不可能だ。もちろん発射先は俺。光の玉は電気の塊なので、俺は痺れて倒れた。
「回復!」
「なんというか、君はセンスにかまけて勉強を怠ってきた節があるよね」
「……」
目を逸らす。図星なので何も反論ができない。
座るように強く促されて仕方なく座る。よく手入れされた芝生が熱を帯びて暖かい。国王も俺の隣に座る。
「さっきの水鉄砲の術式を組んでみろ。ゆっくりな」
「なんだよ……」
「魔法指南だ。ありがたく思え」
国王は何となく前から俺に対してそんな節があった。今回で城に忍び込むのは四回目になるが、少しずつ難易度を上げられている。そのせいで、今回は汚物にまみれる羽目になった――そもそも、城の魔法壁の穴をわざと空けているのも馬鹿らしい話だけど。
――敵に魔法を教えるなんて、変なやつだよな。
俺がへの字口で遠回しな拒否をしていると、背中を叩かれた。
「早くしろ」
「うるせぇな……」
きっと俺が言うとおりにするで開放してもらえないから、しぶしぶ指先から術式を出す。水色光のうねりとして出される術式を、国王は舐めるように見る。そして、納得したように頷く。
「――術式を組む早さ自体は早い。だけどそれ以上に組み立てが雑だな。術式の基礎は習ってるだろ?」
「習ったけど、あんなもん全部覚えられるか」
「上の魔法使いを目指すなら、あらくらい全部覚えろ。基礎ができないやつに上を目指す資格はない」
目指してるって言った覚えはないけど、と小さく呟くと、聞こえていたらしくまた背中を叩かれた。トロトロと指先から出ていた術式が途切れ、光が霧散する。
「早さも大事だけど、最初は遅くても丁寧に術式を組め。命令だ」
「なんであんたに命令される必要があるんだよ」
「それもそうだな……。なら、私は君の師匠ということにしておこう」
「宿敵が師匠とか、なんの冗談だよ」
「それも新鮮でいっそ面白いだろう?」
「面白くねぇ! なんなんだよ、もう……」
「さぁ、弟子よ、修行だ!」
それから国王はニヤニヤと笑いながら、俺にスパルタ式で魔法指導を行った。雑にするのがバレる度に背中を叩かれたので、背中がパンパンに腫れた。どうせ遊び半分で教えているのだろうけど、内容自体はまともなので文句も言えない。
「――そろそろ休憩するか」
一時間程度経ってから、国王はやっと指導の手を止めた。公務の時間はいいのだろうか、と思ったがあえて訊かない。ここで帰らされても困る。
国王は大雑把に芝生に座り、俺も隣に座るように促す。俺が座ると、親指程度の大きさの球体を渡してきた。国王が指を鳴らすとそれが弾けて、苺タルトが現れた。
「私の一等お気に入りだ。今日は弟子になった記念に食わせてやろう」
国王はドヤ顔で俺に言うと、自分の分を美味そうに食べ始めた。外見はとても整っているが、フォークを使わず、皿にすらのせないでタルトを食べる様は、とてもじゃないが国の王には見えない。
呆気にとられて見ていると、国王はどうした? と俺を見返してきた。
「腐ってはないからな。買った後にわざわざ一つ一つ封印をかけて保存しているからな。出来立てほやほやだ」
「いや、そこじゃねぇよ」
「苺かタルトは好きじゃなかったか?」
「そこでもねぇよ!」
「毒は入ってないからな。入れる必要がない。というか、もったいない」
「意外とお茶目だな!」
なら何故食べない、と国王は残りを平らげると、さらにもう一つ苺タルトを出して食べ始めた。
あまり表情は変わらないが、それでも国王が美味しいと思っているのは伝わってくる。つられて一口食べると、確かにこれは美味しかった。今まで食べた菓子で一番美味しいかもしれない。
大して腹は空いていなかったが、一度食べ始めると止まらず、気が付いたら最後の一口になっていた。それすら素早く口に放り込み、一息つく。視線を感じて振り向くと、自慢気な顔をした国王が俺を見ていた。
「美味しかっただろ?」
「そうだな。ご馳走様」
ここは素直に頷いておいた。
柔らかな風が頬を撫でていく。木々がさわさわと揺れる音を聞くと、島の森を思い出す。あそこの木々のさわめきは、大抵風の精霊が遊んでいる音だった。ここでは、視線を切り替えても風の精霊はほとんど見当たらない。ただ光の精霊がゆらゆらと空を漂っているだけだ。
「――本当に侵攻を止める気はないのか?」
「ないな。止める理由がない」
国王は俺を窘めるようにはっきりと言う。
「理由ならある。一番あそこを分かっている俺達フェリアスの民が反対してる」
「なら、止める理由が弱いとしておこう」
「俺達が反対してるのに、それでも理由が弱いのか?」
怒りがふつふつと腹の底から沸き上がる。
「あの島は聖獣達の楽園であり、光の世界で一番精霊が集まる、神聖な場所なんだぞ?!」
馬鹿だな、と国王は鼻で笑う。それがさらに気に食わない。
「だからこそ、欲しいんじゃないか。私達は力が欲しいのだから」
「今でも十分だろ! これだから人間は強欲なんだ!!」
「確かにこのセレスティアルは、気脈の上、精霊が集まりやすい土地にあるから、他国に比べれは遥かに土地の魔力は多いだろう」
国王は俺の顔を見て、暗い表情で笑う。
「だからこそ、他国から狙われやすいんだよ。私は、国を護る力が欲しい。できるだけ多くな」
「今でも十分に護れてるじゃないか? 俺達の村は他国のやつらに襲われたことなんてないぜ?」
「それはフェリアスが東の果ての海岸沿いにあるからだ。あそこは光の世界の端だし、他国からの侵攻を受けにくい」
ふむ、と国王は思案する。
「そうだな。機会があれば君も連れて行ってやろう」
「どこへ?」
「戦いの最前線、国境だな」
「なんで?」
「君が平和惚けしているから」
「平和惚けなんて――っ」
怒りで立ち上がろうとした俺を国王は手で制する。顔には皮肉な笑みが浮かんでいた。しょうがない子供を諭すような、そんな鬱陶しい笑み。
「確かに今は私達と君達は神秘の島で争っている。君にしたら平和なんて程遠いのかもしれないが、実際は甘いものなんだ。だから、思い知らせるために連れていく」
行き場のない怒りを抑えながら、俺は座り直した。
――そんな甘い争いの中で父さん達は殺されたのかよ……!
「フォート。君は人間を強欲だと言ったが、私からするとフェリアスの民の方が強欲だよ」
怒りを収めようとしている俺に対し、国王は空気も読まずさらに油を投下する。
「何だって?!」
怒る俺を見て楽しむように、国王は暗い瞳で笑う。
「精霊が多くいるということは、神秘の島では高品質な魔鉱石がどれるのだろ?」
「……そうだな」
「ミスティで出回っている高価な魔鉱石は、フェリアスの民が神秘の島から採ってきたものじゃないか?」
例えばこれらのように、と国王はポケットから飴玉程度の丸い石を出す。赤、青、黄、緑、茶色の透明な五つの石は、明らかに質の高い魔鉱石だった。安く見積もってもこれだけでモア金貨二枚はかかる。
そして、それらは確かにフェリアスの民が神秘の島から採ってきたものだった。
俺の反応を見て、国王はやはりな、と頷く。笑みに皮肉さが増す。
「私からすると、フェリアスの民は神秘の島を独占して自分達だけを潤しているように見えるが」
「それは……」
すぐに言い分が出てこなかった。国王はふふっと笑う。
「フェリアスの民はそうする他、安全にお金を稼ぐ方法がないからな。この国では魔族の奴隷制は撤廃されているものの、民の間では未だに根強く残っている。魔族の血が流れている者が多いフェリアスの民は未だに狩られる立場にあるからな。だから、神秘の島の魔鉱石で稼げるなら一番安全で手っ取り早い」
「――なっ」
「これくらい直ぐに言えるようになれ。より強くなるためには、魔法だけでなく口先も強くならなければいけない」
悔しくて下唇を噛む。国王の言うことは的を得ている。俺は反論を懸命に探した。
「――それなら、フェリアスの人間が独占するのも許せよ!」
「それもそうかもしれないが、でもこのやり方はあくまでも『一番楽な稼ぎ方』なだけで、他にも『多少苦労すれば』稼ぐ方法はある。私は、フェリアスの民より遥かに苦労していながら、フェリアスの民より稼げていない人間が多くいることを知っている。知っている以上、私は国を治める王として、フェリアスの民達のことを許してはいけない」
あまりの掌返しに、また言葉に詰まる。そんな俺に国王は悪戯っぽく笑む。
「私はね、フォート。フェリアスの民が私の国の民である以上、もっと活躍してほしいのだよ」
「見つかったら直ぐに奴隷か人体実験の材料にされるのに?」
「そこは申し訳ないが国の体制がまだ悪い。精進する。しかしながら、君達は少し卑屈過ぎる。君達の魔力は人間の追従を許さない程強い。これはとても大きな価値だ」
「んなもん、封魔石を使われたら一発で終わるからな。卑屈にもなる」
そう言って、国王の両耳にぶら下がっている封魔石のピアスを見る。国王も視線に気が付いたのかピアスを触り、暗く笑う。
「残念ながら、このピアスは風と火だな。水は指環だが、城にいるときはつけていない。とてもいいヒントだろ?」
「はいはい」
呆れる。そんな特大の隙を敵の俺に教えていいものなのか?
「なに、君に教えたところで差し支えはない。君程度なら封魔石なしで組伏せられる」
国王の余裕の笑みに俺は顔がひきつる。それもまた事実だった。
「とにかく、私も立場上仕方なく着けてはいるが、この封魔石は本当にやっかいなものだ」
「人間のあんたが言うなよ」
「私も半分魔族だけどな」
「――あ」
「おいおい、気がついてなかったのか? こんな分りやすい見た目なのに」
フェリアスで色々な外見に見慣れているせいで、目の前の不自然に気がつくことができなかった。光の世界では、金髪、琥珀色の瞳、小麦色の肌以外の外見は珍しいのだ。
国王は、銀髪に琥珀色の瞳、やたらと白い肌――純潔の光の民ではありえない風貌をしている。
「……ん、銀? ……銀?」
果たして銀髪の種族がいただろうか? いや、いないはずだ。
「じゃあどこの種族だ?」
「分からないか?」
国王が嫌らしく笑む。そもそも銀髪の種族なんて聞いたことも見たこともない。
それぞれの世界の純潔の民ならば、光は金、火は紅、風は若葉、水は空、土は茶、闇は漆黒の髪をしている。国王はそれのどれにも当てはまらない。しかし肌の色素の薄さ的には、風か闇しかない。
「闇か?」
ほんとんど当てずっぽで言った答えは正しかったっらしく、国王はにやりと笑った。
「拘束」
「なっ!?」
急に拘束魔法をかけられたと思うと、国王に押し倒された。ただでさえ動けないのに、さらに抵抗できないように腕や脚を押さえ付けられる。
困惑する俺に、国王は最大級にいやらしい笑みを浮かべながら、俺の耳元で囁く。
「ということで、血をよこせ」
「――っ!」
抵抗は何も出来ない。恐怖で声も上げられなかった。
国王の吐息か首筋にかかる。砂糖菓子のような甘い匂いで頭がじんと麻痺してくる。身体が反応して指先から凍っていく感覚がした。
――喰われる……。
目を瞑って衝撃に堪える準備をしていたら、ふと身体が揺れていることに気が付いた。よくよく感覚を探ると、俺の身体ではなく上に覆い被さっている者――国王が揺れているようだ。
目を開ける。
国王は俺の胸元で俯いていた。
「あっはっはっはっ!」
堪えかねたように国王が顔を上げて高らかに笑う。直ぐに拘束は解かれ、俺は慌てて起き上がる。
そのうち腹筋が痛いと転がり始める。今なら殺せるんじゃないか、と思って術式を組もうとしたら、何故か国王に抱き締められた。
先程のこともあり、俺はまた硬直してしまう。
「お前は純粋だな! こんなに笑ったのは久しぶりだ!」
まだまだ笑い続ける国王の頭を軽く叩く。これは全く避けられなかった。国王は俺になすがまま叩かれる。
「いやいや、普通信じるだろ!」
「そうか、お前は吸血鬼をあまり知らないのだな! いや、普通は知らないか!」
流石に五回目は手を掴まれた。
国王の無駄なハイテンションが少し鬱陶しい。
「吸血鬼も生きるだけなら別に血は要らない。強いて言うなら増強剤も兼ねたデザートみたいなものだな。まあ正確には、『増強』じゃなくて、『本来の力を呼び覚ます』だけどな」
やっと笑いが落ち着いてきた国王はそう説明した。
「あと、私は血を飲んだことはないよ」
にんまりと笑う国王が憎たらしくて、俺は睨んだ。
「でも君みたいに良い魔力を持っている者は、美味しそうには感じるな」
「やめろよ、気持ち悪い」
「事実だから仕方ない」
さて、と国王が魔方陣を描き始める。そろそろ時間らしい。
「そろそろお帰り願おう」
不機嫌ではないが、有無を言わさない国王の態度にに俺は少しむっとする。しかし、次の言葉でその感情も吹き飛んだ。
「次は仲間の人も入ってこれるといいね」
国王の姿が遠ざかり、気がつけばいつものトイレの個室にいた。
「気が付いていたか……」
便座で寛ぎながら、懐中時計で時間を確認する。五時四十分――あと二十分程で約束の時間だ。ぐぐぅと腹が鳴った。苺タルトとは貰ったが、そろそろ四食の時間だから仕方ない。
先に待ち合わせ場所に行って何かをつまんでるか、と待ち合わせ場所である噴水に行くと、先を越されていた。オセロが俺に気がつき手を上げる。もう片方の手で深緑色のパンを食べている。
オセロは、普段は黄色味が強い若葉色の髪と目を今は金に染めている。肌はもともと小麦色なのでそのままで、少し深くなってきたほうれい線が肌の色によく似合っていた。
オセロの隣に座ると、傍に置いていた紙袋から同じパンを取り出して俺に渡してくれる。ヨモギパンだった。直ぐにかぶりつく。美味しいのは美味しかったが、国王にもらった苺タルトの味を思い出すとどうしても物足りない。
「俺は今日もダメだったわ……。フォートはどうだった?」
「俺は入れたよ」
「すげぇなぁ……」
オセロは顎を上げて、遠い空を見上げる。雲一つない空がやたらと眩しいらしく、目を細めた。
「全然目的は達成できないけどな」
「やっぱり国王には隙がないのか?」
細い目が鋭く光る。直接国王に会って毒気を抜かれた俺と違って、オセロの怨みはまだまだ深い。自身が誰かを怨むことは、自身の穢れに繋がるとは頭で分かっていても仕方ないことだ。
だから、冗談でも国王の弟子にされたなんて口が裂けても言えない。
「ないな……。俺では到底敵わない」
「やっぱり、二人で上手いことやらないといけないな……」
――それでもどうだろうか?
そうは思ったが口には出さなかった。
オセロが立ち上がる。
「そろそろ帰らないとな」
「そうだな」
「あれ、その指輪はなんだ?」
オセロが俺の右手を指さす。へ? と声を上げて確認すると、確かに中指に知らない指輪が着いていた。銀色のボディには、細かい柄の中に紛れて小さい文字が埋もれていた。
「If you hope, I'll go……君が望むなら、私は行くだろう?」
直ぐに犯人が思い当たる。直ぐに指輪を抜いて棄ててやろうと思ったが、呪いがかけられているのか抜ける気配がない。
「――あいつ!」
「まぁまぁ、特に変な仕掛けはないようだし、今は諦めよう」
オセロに宥められながら、二人で鳥になって村に帰った。望み呼び出して、村の皆で袋叩きにしてやろうと思ったが、呼ぼうとしても、指輪はうんともすんとも言わなかった。
初めて一人で城に乗り込んだ日以来、オセロは俺の見張り役だった。本当は村から俺を出さないというにもなっていたが、誰かと一緒で午後九時までに帰るならば、外出していいという約束まで落としてくれたのはオセロだった。
そんなオセロと、城に忍び込むことができたのは、それからおよそ五ヶ月後だった。
「――これは、呼ばれているのか?」
オセロが城への穴を見つめてぼやく。それもそのはず、今までは一ヶ所につき一人しか通れない穴しか空いていなかったのに、今回は穴が二つも空いていたのだ。
しかしながら、他に術もなかったので、俺とオセロは導かれるまま、結界の穴を通り抜ける。
先までが長いと思ったら、出口は城の内部にある豪奢な部屋だった。その部屋にあるきらびやかなソファーで、国王は寝転び、眠っているかのうように目を瞑っている。その表情に生気はなく、精巧な蝋人形が芸術品として横たえられているようにもみえた。
《チャンスだな》
オセロが念話で俺に言う。オセロが呪いの呪文を唱えようとした瞬間、国王は目を開いた。国王は相変わらずの暗い目のまま、荒んだ顔でにやりと笑う。
「いい感じにやってきたな」
「拘束!」
国王はオセロの魔法も易々と弾く。一つ延びをすると、悠々と立ち上がった。