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ブロッサム  作者: 小島もりたか
6/9

彼方へ 3

 時が経つのは早い。といっても、既に百年以上生きているラドンに言わせると、私の体感速度なんて全然遅いのだろうけど……。


 ノエルがここ――外では神秘の島と呼ばれているらしい――に来てから、もうすぐで一年になる。

 ノエルの怨みもほとんど浄化が終わり、あとはノエルの記憶と、魔力を取り戻すだけだ。


「そろそろ記憶も戻って良い頃なんだけどね」

「思い出したくねぇんじゃねぇの?」

「それは……ありそう」


 寝起きの微睡みの中、私は寝返りをうち、彼の当初の怨みの量を思い出す。それだけでも彼が壮絶な人生を送ってきたのだろうことが窺える。

 しかしラドンは飄々とした声で言い放つ。


「記憶を思い出したら、たぶん帰らなきゃいけないからな。あいつ的にはお前と離れるのが嫌なんだろ」

「――なっ!」


 私は思わず赤面してしまう。近頃のラドンはこう言ったことをよく口にする傾向があった。そんな私を見て、ラドンはニヤリと笑う。


「さっさと告白しちまえよ」

「何を言ってるの、馬鹿!」


 使っていた枕をラドンに叩きつける。枕の下から「ひでぇ」といううめき声が聞こえた。私はラドンをそのまま捨て置いて、足音も荒く寝室を出る。廊下に出ると、焼けたパンとバターの匂いがした。鼻に心地良い。


 ラドンの指摘通り、自分がノエルに惹かれていることは十二分に自覚していた。困ったことに彼の穢れが浄化するにつれ、私の彼に対する思いが増えていったのだ。彼は私が好きな砂糖菓子の様な、甘くうっとりするような匂いをしている。きっと、浄化するにつれその匂いが明確になってきたから、惹かれたのだ――と誰にともなく言い訳する。


 しかしだからってこの想いは伝えられない。両思いになれたとして、私にはそこから二人で幸せに暮らせる想像ができない。彼はきっと元の場所に戻らなければいけないし、私はここにいなければいけない――そう自分に言い訳をするが、本当はノエルに拒否されるのが怖いだけなのかもしれない。


 居間の扉を開けると、ノエルがテーブルに二食を並べていた。私を見て「おはよう」と笑む。


「あれ、ラドンは?」

「知らない、まだ寝てるんじゃない?」


 言った声が、自分でも分かるくらいに棘がある。そんな私を見て、ノエルはさらにもう一つ笑んで「起こしてくるよ」とパタパタと地下の寝室に降りていった。


 一時期、ノエルがあのセレスティアル国の国王かもしれないという話が上がったが、私からしてみると、彼はそんな国王像とはかけ離れていた。

 彼は変態になっている時以外は、常に穏やかで優しく、そして恐ろしく秀才だった。彼はその持ち前の性質と粘り強さで、半年かけてフェリアスの民と気難しい島の住人達のほぼ全てと打ち解けた。

 今や彼を邪険に扱うのはフォートぐらいである。


――もし、ノエルが本当に国王だったら……。


 私は国王としてのノエルを許すことができるのだろうか? ノエルは自分のしてきたことをどう思うのだろうか?


 ノエルがぶつくさ言うラドンを連れてきた。皆でノエルが作った二食を食べる。相変わらずノエルが作る料理は美味しかった。


「今日はセレスティアル国の首都、ミスティに行くわよ」


 私の発言にノエルは意外そうに目を見開いた。


「どうしたの、急に」

「今朝、ラドンとセレスティアルに行けばノエルの記憶が戻るんじゃないかって話になったのよ」

「いいよ、戻らなくて」


 ノエルは露骨に面倒臭そうな顔をする。ノエルは島の関係者と仲良くなる度に、自分の記憶を厭うようになっている。


「お前は本当の自分を知りなくないのか?」

「そうだねぇ……正直に言うと、知りたいけど、思い出してしまったら、ここに戻ってこられない気がして嫌なんだよ」


 一瞬、ノエルが本当にセレスティアル国の国王なのではないかという思いが甦り、私は慌てて否定する。


 ノエルが言ったことは、私も思う直感だった。そして、魔法使いの直感はほとんどの場合が当たるのだ。もちろん、外れることも多少はあるが、高位の魔法使い程的中率は上がる。私はその直感がどうしても恐ろしい。


「――私はノエルが国王じゃないって確認したいの」

「先々月、フェリアスの人達と一緒にセレスティアルの遠征軍を撃退したじゃないか。それじゃ証明にならない?」

「記憶は思い出してないでしょ? 忘れていたら昔の仲間でも敵対できるわよ」


 それもそうだなぁ、とノエルが困ったように笑いながら頭を掻く。


「でも、国王は城にいるんでしょ?」

「いるとは聞いてるけど、私達もフェリアスの人達も姿を確認したわけじゃないもの」

「ブロサッムって、なんやかんや心配性だよね」


 ノエルとラドンが目を合わせて笑う。二人の仕草に、私の口は自然と尖る。

 私はノエルのことだからより心配になっているの! という言葉は呑み込んだ。


「とにかく、行くったら行くの!」



 ミスティへは徒歩ではおよそ三日かかるが、飛行魔法を使うと三時間程で着いてしまう。ハクヒも一緒に連れていってあげたいところだったが、天馬であるハクヒはどうしても目立ってしまう。その上、天馬だけでなく、聖獣達全般が変身するのを嫌がるため、不用に目立たないためには連れていくことができなかった。


 およそ十年ぶりに訪れたミスティは、記憶にある以上に賑わっていた。当時訪れた場所を見る度に、当時の幸せだった頃の記憶が蘇り僅かに胸が痛む。


「前より人が増えたなぁ」


 ラドンが私の肩の上で呟く。私の姿は普段通りだと目立ってしまうので、光の民に寄せて変身した。今は金髪セミロングの二十歳程度の女性の姿だ。ノエルは光の民としては珍しい銀髪と色白の肌をしているが、知り合いに見付けてもらえたら都合がいいので、目立つ姿をしているが変身はさせない。


「そうなのか?」

「増えた増えた。最後に来たのは十五年くらい前だけど、それに比べるとな。今の王様は街を活性化させるのは上手いみたいだな」

「前の国王はダメだったの?」

「俺達に手をだして来ないって意味ではよかったけど、国政は微妙だったかもな。王妃の件で小忙しかったとは噂で聞いているけど」

「ふーん」


 さして興味もなさそうにノエルは聞き流す。

 私達は特に行く宛もなく、ノエルの気の向くまま歩いてみることにした。


「あー、ここはなんか見覚えあるかも……」


 そう言ってノエルが立ち止まったのは、一軒の喫茶店の前だった。三階建ての建物で、二階と三階が住居となっており、一階の喫茶店は木を基調としたシックなデザインをしている。ウッドデッキに四卓ほど丸テーブルが並んでいて、テーブルの真ん中には一輪挿しの花瓶が置いてある。白く真ん丸な花が生けてあった。

 店はそれなりに繁盛しているらしく、テラス席は丁度一卓分しか空いていなかった。


「じゃあここで三食食べちゃおう。ちょっと早いけど、空いてるし」

「そうだなー」


 テラス席に座ると、店員が素早くメニューを持ってくる。メニューを捲るとラドンが熱心にチェックを始めた。


「お、メロン! メロンがあるぞ! 俺はメロンな!」

「はいはい。……じゃあ私は苺のタルトで。ノエルは?」


 ノエルが目を真ん丸にしながら、私とラドンを交互に見る。


「二人とも、デザートが三食?」

「サラダでもいいけど、折角甘いものがあるんだから、甘いものにするわよ」

「いやいや、論点はそこじゃなくて、パスタとかあるのになんで主食系を食べないかな?」

「あれ?」


 ふと思い至る。私達の食生活について、ノエルに説明したことが、実はないことに。


「二人が菜食主義なのはわかってたけど、デザートは身体に悪いよ」


 心配そうに注意してくれるノエルに、半ば申し訳ない気持ちになりつつ、怒らせないように大人し目に言う。


「私とラドンって、実はほとんどご飯いらないの……」

「え、嘘! なんで?!」

「その……基本的に精霊に愛されてるヒトって、精霊がエネルギーくれるから……ね?」


 上目遣いで、できるだけ挑発しないように説明する。しかし、ノエルは直ぐに気がついて欲しくないことに気がついた。


「あれ、それなら僕が作るご飯もいらなかったってこと?!」


 私とラドンは慌てて手を振った。


「それはいる!」

「でもご飯要らないって言ったよね?」

「その、ノエルのご飯は美味しいから食べたいのよ」

「そうそう。お前ら人間で言うデザート的な感じなんだよ。必要はないけど、食べれたら嬉しい的な……」

「つまりは贅沢品ってこと?」

「そうそう!」


 私とラドンが勢いよく頷くと、まぁいいか、とノエルも満更でもなさそうに頷いた。


 ノエルは店員を呼ぶと、メロンと苺タルトとペペロンチーノを注文した。


「それにしても、精霊に愛されてるヒトはご飯がいらないのか……初めて聞いたや」

「そういうヒト達をラバーズっていうんだ。ブロサッムぐらい色んな精霊に愛されてるのも珍しいけどな」


 ノエルは何かを思い出すように宙を見据えた後、微笑みながら頷いた。いったい何を思い出したのだろうか。気になるところだが、彼自身は話す気がないのだろう、ニコニコしたままラドンの話を聴いている。


「俺は火だけだし、どっちかっていうと『好かれてる』部類だから、ご飯は多少はいるな。力のある魔法使いは大抵、精霊に好かれている。逆に好かれていないと大成はほぼできない」

「好かれるか否かは運次第なの?」

「運と言うか、大抵は血脈だな。あと後天的には穢れもある。肉食ばかりしていると、精霊に好かれる体質でも、精霊は寄り付かなくなる」

「だからラドンやブロサッムは野菜ばかり食べるんだね」

「そうだな。まぁ、好かれてると無意識に肉とか避けてるんだけどな」


 店員が料理を持ってきたので代金と交換する。比較的早い提供時間だ。ノエルは店員がノエルの傍に置いたメロンを、ラドンの前に移動させる。ラドンは心底嬉しそうにメロンにかじりついた。八分の一サイズのメロンの一欠片があっという間に消える。

 メロンの隙間に座ったラドンは、幸せそうな溜め息を吐くと、ノエルに振り向いた。


「ノエルもたぶん、精霊に好かれるんだろうな。しかも俺と一緒かそれ以上に」

「なんで?」

「まず肉とか食いたがらねぇし」

「二人が食べないから」

「今も肉料理あったのに、注文してねぇだろ」

「気が向かなかっただけさ」

「その無意識が好かれる証拠なんだよ」

「それは偏った見方をしているからだろう?」

「うーん……」


 ラドンは顎を掻いてからメロンを一かじりする。一瞬で幸せそうな顔に変化した。


「でもさ、分かるだろブロサッム。こいつは好かれてるんだろうなって」


 ラドンの救援を求める声に私は一つ頷く。


「そうね。私もノエルは精霊にかなり好かれてると思うわ。今は怨みのせいでかなり減ってるけど、それでも寄り付いてる方だもの」

「僕には精霊の世界が見えないからなぁ……」

「人間はそれが便利だけど不便よね」

「魔法使い的には見えるにこしたことはないと思うんだけど」

「うーん、そうすると今度は怨みとかを感じやすくなっちゃって、場所によってはまともに生活できなくなっちゃうのよねぇ……」

「でも、僕はやっぱり見えたいなぁ」


 私はタルトに乗っていた苺を最後の〆に口に入れる。甘くなりすぎた口が、苺の酸っぱさで程よい加減になる。


 またここの苺タルトを皆で食べに来るのもいいと思った。


「――ん?」


 ふと視線を感じた。二人も同様に感じたのか、三人ほぼ同時に同じ方向に目を向ける。

 道を歩いていたであろう青年が、歩いた体勢のまま静止して、目と口を大きく開けながらこっちを見ていた。後退している前髪と登頂部で結った団子髪が印象的な彼は、我に還ったかと思うと足取りも歩く私達の所に駆け寄ってきた。

 ラドンが素早く私の服に隠れた。メロンの汁で服が汚れる……。


「――っ!」


 彼はノエルに向かって言葉を何か勢いよく呑んだかと思うと、自身を落ち着かせるように頭を振った。ノエルを正面から見つめ、ノエルが状況をよく掴めていないことに気が付くと、もどかしそうに言った。


「長い間、何をしていらっしゃったのですか?! 心配したんですよ!」


 テーブルをひっくり返しそうな勢いで彼は怒ったかと思うと、一転、瞳に涙を浮かべ始める。


 これは想定していたし、求めていた流れだ。しかし、こんなに早くやってくるとは予想していなかった……。


「君は僕のことを知っているの?」

「は?」


 彼はノエルの言葉にすっ頓狂な声をあげたが、直ぐに状況を理解したようだ。驚いてテーブル越しにノエルの頭を勢いよく掴んだ。


「記憶喪失か?! なんで?! 勘弁しろよ!」

「申し訳ない……」


 団子頭の青年がノエルの頭をシェイクし始めないか心配していると、彼は勢いよく私に振り向いた。


「ということは、君が面倒を見ていてくれたのか?」

「そうですね」

「彼と一緒に天馬はおりませんでしたか?」

「いましたよ。むしろ彼が運んできたんです」

「そうですか……」


 心底安堵したように、青年が深い溜め息を吐く。


「迷惑をおかけして……。ありがとうございました」


 青年がノエルの頭と一緒に自分の頭も下げる。まるでもうノエルを連れて帰るかのような言い様に、胸がつきりと痛む。


「私はハピィと言います。失礼かもしれませんが、お名前をお訊きしてもよろしいですか?」

「ブロサッムです」

「ブロサッムさん、長い間面倒を見ていただき、ありがとうございました。改めてお礼に伺いたいと思いますので、今日はこれにて失礼してよろしいですか? 天馬は後日、迎えに行きますので」


 彼はできるだけ早く元の場所に戻すべきなのだろう。ハピィの急いでいる様子を見ていると、なんとなくそう思えた。


 もちろん、と乾いた口で言おうとすると、ノエルが抗うように顔を上げた。


「まてまて、なんで私の意見も聞かないで話を進めている!」

「覚えてないでしょうけどね、貴方は割と重要人なんです! 貴方が造ったモノの魔力がもう切れそうなんです。本来なら貴方の魔力がなくても五年はもつはずなのに、一年ももたない! しかも、私がなんとか精霊からも力を供給できるように改良したというのに! あんまりだ!」


 どうやらハピィの鬱憤が爆発したらしい。ノエルを立ち上がらせようと近付くと、ハピィは「ぎゃ!」と声を上げた。

 これだけ騒がれると周りからの視線が痛くなってくるが、騒いでいる張本人であるハピィ自身が気がつかないとどうしようもない。

 

 ハピィは勢いよくノエルの耳たぶをピアスごと掴むとまた騒いだ。


「煩い。落ち着け」

「貴方、ピアスはどうしたんですか?!」

「私のピアスはブロサッムが作ってくれるこの葉っぱのピアスだけど?」

「いえいえ、もっと違う物を着けていたはずです!」


 慌てて私を振り向くハピィに、私は視線を逸らすのを我慢する。ハピィは明らかに私を疑っているのだけれど、その疑いはまさしく正解だ。


「彼は石のピアスを着けていたはずでしたが?」

「高価そうなので、売ってしまいました」


 あっけらかんに言ってみたが、言ってから後悔する。「ほぅ……」と頷くハピィは私の嘘を見抜いていた。


――しまった。嘘喰いだったなんて……。


 視覚のチャンネルをこっそりと替えて確認する。ハピィの耳と目にべったりと光の精霊が寄生するように貼り付いている。精霊の場所、彼の反応を鑑みるに、ハピィは人の嘘を暴くことに特化した精霊遣いの『嘘喰い』だ。


 私は心の中で舌打ちをする。まさかこんなところに精霊遣いがいるなんて思わなかった。完全に油断していた。


 ハピィは挑むように私を見る。


「それはどこで、誰に売ったのですか?」

「正確に言うと売ってないわ。交換したの。知り合いに」

「何と交換したのですか?」

「異世界の物語です。他では聴けないような」

「高々物語程度で交換できるような代物ではないと思いますが」

「高値では売れるでしょうけど、私にとって、封魔石はあまり価値がないんです。それこそ異世界の物語の方が値打ちがあるくらい」


 ハピィが顔をしかめる。心底理解できないという表情に私は一安心する。嘘は吐いていない。相手が嘘喰いと分かった以上、嘘を重ねるのは得策ではない。


「まぁ、いいでしょう。また買い戻せば言い話です」

「――」


 それには何も答えない。ファフニール達に何事もなければ、おそらくもうこの世に存在しないからだ。下手に伝えてことを荒立てても致し方ないだろう。


 ハピィは感心したように私の顔をまじまじと見た。


「あれには奪われないように、奪われても戻ってくるように幾つもの魔法がかけてあったはずですが、君はそれを全部解いたと?」

「さぁ、どうでしょう?」

「君は魔法使いという認識は間違っていませんよね?」

「想像にお任せします」

「君はどこに住んでいるのですか?」

「どこでしょう、当ててみてください」

「それは私の質問への答えになっていません」

「私の質問に先に答えてくれるなら、考えますよ」


 私が笑いながら言うと、ハピィは露骨に嫌そうな顔をした。


「情報は平等にいきましょう」

「なかなかの、曲者ですね……」


 ハピィさんほどじゃないです、と上品に笑ってみせる。


 ふと、ハピィは何かに思い至ったように、顔から表情をなくした。そして、恐る恐る言葉を口にする。


「……君は、フェリアスの民か?」

「さて、どうでしょう?」


 できるだけ意味深に見えるように笑ったが、少し考えると、少なくとも関係者であることはバレてしまうだろう。

 私は素早く立ち上がった。


――下手に関わって情報が漏れてしまうより、多少怪しくてもさっさと逃げた方が得策ね。


 私はノエルに微笑む。


「ごめん、私先にいくね」


 え……と子供のような目をしたノエルはそのままに、私はテラスをかけ出た。


 ノエルに口封じの魔法をかけるべきか迷ったが止めた。きっとノエルなら私が本当に伝えたくないことは分かってくれるだろう。もし、ノエルから何か不利な情報が漏れてしまったら、それはその時どうにかしたらいい。


 街の外で待っていたら、後から追いかけてくる予感がしたので、足取りは重くなかった。


――まだ別れの時じゃない。


 きっと彼との別れは、彼が記憶と魔力を取り戻してからだろう。


――まだ今ではない。でも、そう先でもない……。


 服の袖からラドンの呻き声が聴こえた。


「俺のメロン……」


 仕方ないから、市場で赤肉のメロンを一玉と苺を二籠買っていくか、と私は小さく溜め息を吐いた。





######





 ブロサッムは、急な所用で立ち去るような軽い足取りで喫茶店を出ていった。


 ノエルは残された苺タルトの欠片とメロンと共に途方に暮れて、傍にいるハピィという青年に顔を上げる。


「――逃げられましたね」


 そう言う彼の手は、ノエルが走り出せないようにしっかりと私の二の腕を掴んでいた。


「僕も帰りたいんですけど……」

「僕? 貴方いつからそんなキャラになったんですか?!」

「前は違ったの?」

「昔から貴方は『私』でしたよ」

「へぇー」

「さぁ、帰りますよ」

「どこに?」

「城に」

「城って?」

「あそこに見えるアルファリオン城です」

「あの城、アルファリオン城っていうんだ」

「知らなかったので?」

「ずっと島に閉じ籠っていたから」


 実は、ハピィは彼の変わりように少からず困惑していた。

 ハピィはこんなに朗らかな彼の表情をもう長く見た記憶がなかった。最後に見たのはもっと昔――彼の母がいた頃。彼の幼少期だ。


 勿体ないからと、悠長にも残されたメロンにフォークを伸ばし始める彼に呆れて、ハピィは先程ブロサッムが座っていた椅子に腰を下ろした。


「やっぱりメロンも美味いなぁ。あの苺タルトも美味しそうだったよなぁ……。ブロサッムは美味しいときほど、褒めないからなぁ……」


 ノエルは食べようかなぁと、メニューを伺い始め、暫くぶつくさと考えた後、顔を上げた。ハピィを見る。


「えぇと……苺タルト食べようと思うんだけど、ハピィ? さんも何か食べる?」

「ハピィだけで宜しいですよ」


 ハピィは苦笑いする。ノエルにさんを付けて呼ばれるのは酷く違和感があった。そもそも、今の口調だけでも、かなりの違和感がある。

 いらないです、とハピィが辞退するとノエルは手早く店員を呼んで苺タルトを注文した。


「お金はあるんですか?」


 あるよ、とノエルは財布の中身を見せる。かなりの大金が中に収まっていて、ハピィ思わず目を剥いた。ノエルはヘラヘラと笑う。ノエルのそんな表情もハピィは見たことがない。苺タルトが運ばれてきたので、ノエルはそこから代金を支払った。


「ブロサッムが、もしもはぐれても帰ってこられるようにって、お小遣いと一緒に旅費も渡してくれたんだ」


 ノエルは来る道中、ブロサッムとラドンに逐一フェアリスの村までの帰り方を説明しながら飛んでいた。


「彼女はお金持ちなので?」

「さぁ? いつも自給自足でお金なんていらなかったからね。こんな大金をぽんと渡してくれるから、それなりにお金はあるのかもね」

「そうですねぇ……」


 ハピィは神妙に頷いてから、吹き出した。ノエルの苺タルトを食べていた表情が面白かったからだ。ノエルは明らかに苺タルトを食べて幸せだ、という顔をしていたのだ。


「貴方は記憶を無くしても、ここの苺タルトが好きなんですねぇ」

「え、そうなの?」

「ここの店ができて、苺タルトの美味しさを知ってから、貴方はちょくちょくお忍びでここに来ていたんですよ」

「へぇ~」


 前はこんなに表情豊かに食べてはいませんでしたけどね、という言葉をハピィはあえて伝えなかった。なんとなく悔しかったのだ。


 そういえば、と苺タルトを完食してから、ノエルが口を開く。


「僕を早く連れて帰りたいのは、僕の魔力が必要だからなんだよね?」

「そうですよ。あれの魔力が切れたら、色々とまずいです」

「どれくらいで切れる?」

「長くて二週間、短くて五日といったところですかねぇ?」

「短くてっていうのは、どんな条件で?」

「急用が多く立て込んだ場合ですね」

「じゃあ、まだ多少は大丈夫ということだね?」


 もしや、まだあの女性の元にいたいのか、とハピィは眉間に皺を寄せたが、ノエルは苦笑いしてそれをいなした。


「申し訳ないけど、僕はまだ帰ってもなんの役にも立てないんだ」

「どうしてです?」

「魔力がないみたいなんだ。だから僕は今、魔法が使えない」

「は?」


 一瞬固まってからハピィは改めてノエルの魔力を探ってみる――確かに、ノエルから魔力を感じることができない。


「何故です? もしやフェアリスの民に封印されたんですか?!」

「なんでフェアリスの民が出てくるんだ。彼らとは仲良くしてもらってる」


 再び「は?」と驚くハピィを手で制して、ノエルは笑う。


「怨みが酷くてさ、私が大怪我をして弱っていた時に怨みに魔力や記憶を封印されたらしい」

「怨み?」


 ハピィは聞きなれない言葉に目を白黒させる。その反応にノエルは逆に戸惑った。


「怨みってあんまり有名じゃないの?」

「そうですね、怨みにそんな力があるなんて初めて聞きました」

「――とにかく、僕は戻っても何の力にもなれないんだ」


 うーむ、とハピィは唸る。確かに、魔法が使えない彼に戻ってこられても、仕事が増えるだけだ。

 迷うハピィを見て、ノエルは勝機ありと僅かに笑む。


「ブロサッム的にはそろそろ僕の魔力が戻るはずなんだ。それこそ五日以内に戻るかもしれない。だから、五日は待ってもらえないだろうか?」


 やや悩んだ後、ハピィは苦い顔をしながらも頷いた。


「――そうですね。そちらの方がいいかもしれません」

「ありがとう!」


 ノエルは破顔して喜んだものの、直ぐに表情を曇らせた。

 あと五日間しか、ブロサッム達と共に過ごすことができない――。今日別れかもしれないところを何とか引き延ばせたものの、別れが直ぐそこに迫っていることはどうしても避けられない。ノエルはそれがどうしようもなく悲しく、辛く思った。


 ハピィが思い出したかのように顔を上げる。


「そういえば、今は何と呼ばれているのですか?」

「名前? ノエルだな」

「何か名前が書いてある物をお持ちでしたっけ?」

「いや、ハクヒに教えて貰った」

「ハクヒ? 貴方の愛馬のハクヒですか?」

「そうそう」

「貴方、聖獣と喋れるようになったのですか?」

「ブロサッム達に教えて貰ったんだ。ハピィは喋れないの?」


 ハピィは大袈裟なリアクションしながら否定をする。


「喋れませんよ! そんな高度な技、普通の魔法使いにはできません。それこそ、この辺に住んでいる人間で聖獣と言葉を交わせるのはフェリアスの民ぐらいですよ。やっぱり彼女はフェリアスの民なんですね?」


 ノエルは口をつぐむ。ブロサッムが本当のことを知られるのを避けていたのが分かっていたからだ。

 そして、何故ハピィが彼女がフェリアスの民であるかを気にするのは、何となく分かっていた。


「……僕はフェリアスの民と敵対してた?」

「敵対もいいところですよ。だって――」


 ノエルは手のひらをハピィに押し出すことで、ハピィを黙らせる。


「その先は言わなくていい。まだ、知りなくない」

「しかし――」

「頼むから言わないでくれ」


 ノエルの懇願にハピィは眉を八の字にする。


「後から困るのは貴方ですよ」

「構わない。せめてあと五日間は、彼女達と今までの関係のままいさせてほしい……」


 ハピィは渋々頷いた。それを見て、ノエルは小さく安堵の溜め息を吐いた。


 ハピィと五日後に落ち合う約束をしたノエルは、帰り、駄目元でブロサッムの匂いを辿った。彼にとってブロサッムの匂いを辿ることは簡単だったので、そこまで苦労はしなかった。


 桜の匂いに導かれるまま歩みを進めると、門の外に出た。城壁から延びる道をさらに少し歩く。桜の匂いがさらに強くなる。


 森の木陰で佇む影がノエルに小さく手を振った。それだけで、ノエルはなんだか泣きたい気分になる。


 ノエルは自分の立場を察していたし、彼女達ももう、ノエルの立場を察しているだろう。それなのに二人はノエルの帰りを待っていてくれた――。


 ノエルが追い付くのを待っていたブロサッムは軽く毒づく。


「遅いから、もう置いて帰っちゃおうかと思っていた所よ」

「それは酷いなぁ」

「早く帰ろうぜ、メロンが待ってる!」


 ノエルは二つ並べられたメロンも見て目を丸くする。


「二玉も買ったの?」

「奮発しちゃった。本当は苺と悩んだんだけれど、少し安かったし」

「早く帰るぞ!」

「もう、わかったって、落ち着いてよ」

「本当にラドンはメロンが好きだな……」


 尚も興奮するラドンを見て二人は顔を会わせる。ふと、ブロサッムが微笑んだ。ノエルは花が綻ぶような笑みに思わず見とれる。


「お帰り」

「――ただいま」

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