マスカレード
王都ミスティの凱旋パレードは、それはもう大々的に行われた。
街のあちこちで酔い潰れた男たちが騒ぎ倒し、淑女はほろ酔い気味の男性に口説かれていた。路は人で埋め尽くされ、大渋滞が起きている。母とはぐれた子供が泣き、その母が顔を蒼白にしながら子を探す。
私は一日中そんな混沌とした状況を宿の窓から眺めていた。ラドンに出掛けるかと提案されたが、あんな人混みの中を歩く気にはなれない。
それでも窓から外を見続けたのは、心のどこかでノエルの姿が見られるかもしれないと思ったからだった。
どうやらノエルは王城で働いているらしい。もしかしたら凱旋する一団に紛れているかもしれない、そう思っていたが一日眺めていても彼の姿を見つけることはできなかった。
そうこうしている間にパーティの時間になる。王城で開かれるパーティは、所謂、仮装パーティというものらしい。招待状に仮装――変装魔法――して参加する旨が書いてあった。
「結局、エルフなんだな」
エルフの姿に変身した私の姿を見て、ラドンが特に感情もなく呟く。
「一番無難だしねぇ……」
竜族は雑になりがちだし、ドワーフは見た目としてはイマイチ、バンパイアは男が基本だし、人魚は歩き辛い。エルフが仮装としては一番無難で楽だろう。羽を生やすべきか迷って結局止めた。邪魔だからだ。とりあえず、黄緑の髪と大きく尖った耳をしておけばエルフっぽくは見える。服装はもちろん地味目で、かといって地味過ぎないものにした。
「さ、行こう」
このままの姿で街を歩くと目立つので、透過魔法を使って宿の窓から飛び出した。パーティの開催時刻は午後八時。太陽はおよそ北西の位置にいる。明るいままの世界の屋根を伝って城の近くまで行き、門が見え始めたところで地上に降りて魔法を解いた。
馬車から降りた招待客が次々に城に入っていく。私もその流れに乗って門を潜り、受け付けらしき男性に招待状を手渡した。
招待状を見るなり、初老の男性は驚いた顔をする。私の顔と招待状を見比べてから、失礼致しましたと恥ずかしそうに咳払いをした。
「ローズ様、お出でいただき誠にありがとうございます。彼方の者が開場にご案内致します」
若い男性に伴われ、私は王城の奥に入っていく。
外から検知されないまま入るにはとても難しいくせに、こうやって招待されて招き入れられてしまえばなんて簡単なのだろう。
城の中は荘厳で、そして美しかった。華美すぎない程度に上品にあちこちが装飾され、庭にはよく手入れされた花達が咲き誇っている。
「――綺麗」
最近遠くなっていた森を思い出し、恋しくなってくる。ツンとした気持ちが鼻を刺激した。ここも十分に美しいかもしれないが、やはり森には大きく劣る。生命の息吹きの勢いが違う。森はもっと濃厚だ。こんなに人工的じゃない。
王宮の内部をくまなく覚えながら歩いていると、あっという間に開場に着いた。
「こちらになります――」
「うわぁ……」
ステンドグラスを通した明かりが、開場を色とりどりに照らしていた。その中で精霊達がくるくると舞い踊っては笑っている。仮装の比率はやはりエルフが頭二つ分程突き抜けて多かった。もはやエルフの仮装パーティと言ってもいいかもしれない。
バンパイア――闇の民もエルフと同じくらい仮装はしやすいはずなのに、仮装している人はほとんどいない。やはり光の民にとって闇の民は潜在的に恐ろしいものなのだろうと推し量ることができた。
「人間も呑気なもんだよなぁ。昔虐げてきたやつらの真似なんか平気でやってのける」
ラドンがぼやく。確かにそうだ、と私も頷いた。
開場の隅にはこれまた見たこともないような豪勢な料理がところ狭しと並んでいた。街のレストランならどれも主役級のもの達ばかりだ。
「メロン! メロンが食べたい! 赤肉だ!」
肩の上でラドンが興奮する。
「もう、目的がちゃんとあるんだから……」
「でもちょっとは余裕あるだろ? メロン食いてぇ!」
「もう……」
仕方なく料理を取りに行くことにする。一曲ぐらい踊らないと怪しまれるだろうか、と思いはしたが踊る相手がいない。
「ねぇ、やっぱりラドンも人化してよ」
「嫌だよ。この姿の方がメロンを思う存分堪能できるじゃねぇか」
「じゃあメロン食べ終わってから」
「俺の仕事は昨日のお前とのダンス練習で終った」
「本番も一緒にしてくれてもいいでしょ?」
「もしもノエルが来てたら勘違いされるだろ?」
「それとこれとは話が別……」
――でも本当に勘違いされたら嫌だなぁ……。
変に悩み始める私を横目に、ラドンは皿の上で嬉しそうにメロンを貪る。好きなものを堪能できるラドンが恨めしく思えてくる。
こんなに人がいて、皆それぞれ楽しそうに交流しているのに、自分は一人で開場の片隅のソファに座っている。疎外感があることこの上ない。それに城のあちこちの装飾には封魔石が使われている。じっとしていると封魔石の気配が感じられて落ち着かない気分になってくる。
――ノエルはどこにいるのかなぁ……?
なんとなくいないであろうノエルを探す。ラドンがメロンに夢中になっている間ぐらい、目的のことを忘れてもいいだろう。
しかし魔力を手がかりに探そうにも、開場には仮装のための変装魔法の気配で溢れかえっていて意味が分からないことになっている。その前に、彼がこの場でいつも見た姿に変装魔法している訳がない。
――見つかる訳ないか……。
小さく溜め息を吐いた途端、薔薇の匂いが鼻を突いた。
――ん?
振り向くと目許のみを隠す仮面を着けた青年が立っていた。闇で染めたかのような美しい漆黒の髪、大きな黒いマントを羽織った青年はきっとバンパイアの仮装をしているのだろう。
「パーティはあまり楽しくないのか?」
低く落ち着いた声が私に語りかける。溜め息を吐いたことに対して言われたのだと気がつくのに少し時間がかかった。
「いえ、そんなことは……」
クスリと口元にだけで青年は笑った。その笑みがノエルと重なる。
「――ノエル?」
「私が国王だとお思いか?」
「あ、いやそんな訳じゃないんですけど!」
私が慌てて否定をすると、青年はさらに笑みを深くした。
改めて彼の姿を見て恥ずかしく思う。ノエルはいつも若葉のピアスをしていたが、目の前の彼は封魔石のピアスをしている。血の雫にしか見えない石が彼の耳でゆらゆらと揺れているのが悲しい。それにノエルはもっと柔らかい雰囲気をしている。
目の前の彼とノエルは似ても似つかないのに何故間違えてしまったのだろうか?
彼は手慣れた雰囲気で膝をついて私の手を取ると言った、
「美しいエルフのお嬢さん、宜しければ一曲いかがだろうか?」
「あ、はい……」
私はぎこちなく立ち上がる。視界の端でラドンが頑張れよと手を振っているのが見えた。小さく「やっぱり運命だよなぁ」と聞こえた気がした。
青年のエスコートに導かれるままダンス開場に行き、精霊達に混じって舞い踊る。彼の足を踏んでしまわないかずっとドキドキしていたが、前日のラドンの厳しい練習のお陰か、なんとか一曲無事に踊りきることができた。
ダンスを終えると、急に嗅覚が戻ってきた。彼の薔薇の匂いが私の思考を低下させる。匂いでぼうっとする私を見て彼は笑み、ぼうっとしている間に二曲目が始まってしまった。
出だしで慌ててしまった二曲目は、合計で三回、彼の足を踏んでしまった。
謝りながらラドンが待つソファまで戻る。
「本当にごめんなさい。慣れてなくて……」
「そんなに謝ることないよ。むしろ君が踊れたことに驚いているよ」
「昨日必至に練習したんですけど、やっぱり所詮付け焼き刃でした。申し訳ないです」
「へぇ、わざわざ練習してきてくれたんだ」
――ん?
会話に違和感を覚える。彼の今の表情はよく見覚えがある、悪戯っぽい笑み。視界の端でラドンが笑っているのが見えた。
「やっぱり貴方ノエルじゃない!」
「あの程度のジャブで退く君が悪い」
ケラケラと心底楽しそうにノエルは笑う。
「酷い! いるならいるって言ってくれてもいいじゃない!」
「いや、ドッキリがあった方が面白いじゃん。僕が」
「私は面白くない」
私がむくれると、ノエルはごめんごめんと私のむくれたほっぺを潰した。彼の匂いが近付く。また頭がぼうっとした。
「もう、本当に君は可愛い」
「本当の姿を見たことないのに何言ってるの」
「いやいや、存在そのものが可愛いんだ」
「――なんでそんな臭い台詞がスラスラと出てくるの!」
「事実だからね」
「~~っ!!」
思わず赤面しながら私は怒る。なんで言った本人より言われた方のが恥ずかしいのだろうか。悔しくて仕方がない。ラドンがメロンの残骸に埋もれながらニヤニヤしているので、また顎ピンしてやる。
「ノエルの本当の名前はハピィさん?」
気になっていたことを問いかける。
「招待状に書いてあった名前? 違うよ。ハピィは僕の腐れ縁のやつの名前」
「その人の招待状を貰ったの?」
「そうそう」
ノエルが悪戯っぽく笑いながら頷くので、なんとなく普通に貰った訳ではないことを察する。
――ハピィさんって人とノエルはいったい城で何をしているのだろうか?
そうは思うが、訊いたところで確実にはぐらかされるだろう。
「それで国王は見つかったの?」
「誰かさんの邪魔のせいでまだ捜しにいけていません」
「どこにいるかの検討はついているの?」
私は正直に首を横に振る。
「あと三時間ぐらいで見つかる?」
「うーん、どうだろう? そもそも国王がお城にいるかも怪しいからね」
私の言葉に彼は悪戯っぽく笑う。
「――ヒントいる?」
「もうここまできたら罠にしか思えなくなるわ……」
「えー、なんで?」
「普通お城の人間が自分の王様陥れるようなことする?」
「する」
彼は楽しそうに即答する。
「いや、しちゃダメでしょ」
「だってローズは王様を殺すつもりではないんでしょ?」
「こ、殺すなんて、そんなことしないよ!」
「じゃあ大丈夫じゃん」
彼は無邪気そうに笑む。私はその笑みが少し怖くなってきた。
「いつ捜しに行くの?」
「……今から!」
軽くムキになって勢い良く言うと、ノエルは嬉しそうに目を見開いた。
「僕も一緒に行っていい?」
「お馬鹿か!?」
「えー、だってローズと少しでも一緒にいたいし……」
「うっ……」
思わず言葉に詰まる。そして何故かマントをバサバサとはためかせ始めた。香水の芳香がまた私の思考を麻痺させ始める。
「ほら、今日はローズが城に来ると思って、わざわざ薔薇の香水をつけてきたんだよ!」
「……何のアピールですか!」
えー、と彼は楽しそうに困った顔をする。そして立ち上がると私の手を引く。
「ほら、行こう! 案内もできるよ!」
「何犯罪を仄めかそうとしてるんですか?!」
それからみっちり三時間程、ノエルの案内の下城を巡りに巡ったが、結局国王を見つけることはできなかった。ノエルは始終、楽しそうに城の説明をしてくれたが私はそれどころではなかった。
「見つからなかったね」
「うん……。立場も立場なのに、案内してくれてありがとう」
「好きでやってるんだから、気にしなくていいよ」
再び舞い戻ってきたソファで私はノエルに深々と頭を下げる。
「そういえばさ、」
ノエルが悪戯っぽく笑む。また突拍子もないことを言うなと思ったら、やはりそうだった。
「あっちの人だかりに王弟がいるけれど、王弟じゃだめなのかな?」
私は考える。
「うーん、できれば直接交渉がいいなぁ」
「でももうゆっくり城に入る機会なんてないと思うよ?」
「……」
それはそうなのだ。しかしながら、私には考えがあった。
「うん。でも、大丈夫」
「本当に?」
「本当。でも、暫くは街で会えないかな」
私の一言に彼が酷く驚いた顔をする。
「なんで?!」
「なんでって……それは、言えません」
尚も彼は聞き出そうとするが、私はそれを全て知らんぷりした。
「ノエルは今日は時間に余裕があるのね」
もう日付が変わる時刻になりつつあった。しかしノエルはいけしゃあしゃあと言う。
「いや、実はもう行かないといけない」
「何それ、早く戻ってよ!」
「でも離れ難いな……」
彼が鋭い目で私の瞳を射止める。
気が付くとソファに押し倒されている。彼のマントが私を覆い、私の世界は彼だけに締められる。彼の匂いが攻めてきて、私を縛り付ける。その前に抵抗しようにも彼に両手首を抑えられている。――そして困ったことにお城を歩き回るためにかけた透過魔法をまだ解いていない。
「あ、あの……」
それだけ言うだけでも精一杯の抵抗だった。彼は言葉もなく私の首もとに頭を下ろす。
「――っ!」
甘い電流が首筋をなぞった。次いで、僅かな痛み。身動きもできないまま初めての感覚に堪えていると、やがて彼は私を解放した。最高に悪戯っぽい笑みを浮かべている。私は言葉もなく彼をきつく睨むが、恐らく赤面していたのでさして気迫は伝わらなかっただろう。
「ちょっとぐらいご褒美貰おうかなって」
「どんなご褒美ですか!」
「ほら、僕、今は闇の民だし?」
「真似しなくてよろしい!」
「ちょっと取り乱した君も見てみたいかなって」
「誰かさんのお陰で取り乱しっぱなしです!」
私が魔法を使いそうなぐらい怒ったのだと思ったろう、彼は素早く立ち上がると、手慣れた手つきで私の額に軽く口付けをして颯爽と逃げていった。
「またね、僕の妖精さん」
「~~っ!!」
――あの人、絶対私で遊んでる!!
「いやぁ、若いねぇ……」
ラドンがメロンの殻に埋もれながら呟いた。お腹が普段の何倍もの大きさになっている。どれだけメロンを食べ続けたのだろう、こいつは……。
「見てたんなら助けてよ!」
「いや、満更でもなかったでしょ?」
「そんなわけないでしょ?!」
「しかもマーキングまでされちゃって」
「え、マーキングって……?」
ラドンがニヤニヤと自分の首を指差す。
「馬鹿ぁぁぁあっ!」
私は全力でラドンに顎ピンをした。
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ローズの睨むような視線を感じながら、私は城に駆け込んだ。
――やはり、怒ったローズもいいな。
クルクル巡るローズの表情を思い出して笑んでいると、謀ったかのようにハピィが前方から現れた。今日は一段とハピィの前髪が後退しているように見える。頭頂部も確認したいところだが、伸ばした髪を上の方で団子結びにしているため確認できない。
ハピィは目敏く私の視線に気が付く。
「なに私の髪の具合を確認しているんですか」
「やはり早目に育毛を始めた方がいいと思う」
「育毛しても、誰かさんのせいで育毛したそばから抜けていきますから無駄ですね……」
私が何のこっちゃと視線を逸らすと、ハピィは深く溜め息を吐いた。
「一時間と言って出ていったのに、今の今まで貴方は帰ってきませんし、今日は今日で、誰かが私の名を騙ってパーティの招待状を出したようですし。ストレスが溜まって仕方がないです」
「……」
――やはり、バレていたか。
大方、受付をしていたイーストが見つけてみてハピィに伝えたのだろう。
「本当にお前の父親は気が利くな」
「父は優秀ですからね。貴方も真面目にしてくれれば……」
「上が出来損ないだと下まで巻き添えを喰らって大変だな」
私が労うとハピィはじっとりと私を睨んだ。
「……あまりちょっかいをかけ過ぎるのは、彼女のためにも宜しくないですよ」
ハピィが誰に対してのことを言っているのかは理解できた。しかし、私はあえてその言葉は無視する。
「戻ったら仕事かぁ……」
「貴方がサボるのが悪いんです」
その答えは知っている。だけど嫌なものは嫌なのだ。
私はハピィに連行され、ノロノロと仕事場に戻っていった。