魔法を解くのは真実の愛(物理)と相場は決まってる
「あっ!」
そう言った時には時すでに遅し。手に持っていたアクセサリーケースが宙を舞う。
ごきげんよう。私はとある小国の我が儘な姫に仕えるしがないメイドです。
状況を説明します。
何故だか機嫌のよろしくない姫様は気分転換におしゃれをする、などと言い出し、下っ端メイドの私にアクセサリーを衣装ケースから持ってくるよう言いつけた。
正直、今日城から出る予定がないのなら着替えようとするなよ、と言いたいが私はしがないメイド。面倒などと言って首を撥ねられるのはごめんだ。
そうして城のなかをアクセサリーケースを持って歩いていた。
しかしぼうっとしていたからか、窓から見える空が綺麗だったからか、私は杜撰な石造りの廊下の段差に足をとられたのだ。
キラキラと舞うアクセサリー。
頭で考えるまもなく、つけていた白いエプロンで宙を舞うアクセサリーたちを、魚を漁る職人さながらに回収したのだ。生まれてこのかた、こんなに早く動いたのは初めてな気がする。
何が言いたいかと言うと、私は頑張った。最善の対応をした。
努力むなしく、エプロンが届かなかったものが一つ。
ティアラだ。
教養もない私にすら、高価なものだと人目でわかる。悪趣味なほどにつけられた宝石、キラキラと輝くプラチナ。
その悪趣味ティアラは窓の外へと羽ばたいた。
「ああああああああっ!!!」
私の絶望など知らず、ティアラは外階段をバウンドしながら徐々に下へと落ちていく。
「あああああっ………!」
「ミーシャ?どうしたの?」
後ろからかけられる声。失態がバレたと絶望しながら振り向く。
「あ、アンちゃん!」
「え?」
振り向けば同期のメイド、大天使アンジェリーナ。神はまだ私を見捨てていなかった。
「アンちゃん!ほんっとうに申し訳ないんだけど、このアクセサリーたちを姫様のところに持って行ってもらっても良い!?」
「え、別にいいけど、ミーシャは?」
「私はちょっとやらなきゃいけない使命があるの!ごめんね!帰ったら詳しく話すから!」
一方的に言ってごめん、アンちゃん。でも私は凄まじい勢いで転がっていくティアラを見失うわけにはいかないの。
はしたないとかそういうことは気にせず、ティアラを追って窓から外階段へ飛び降り、その後ろ姿を追った。
*********
おかしい。これはおかしい。しかし誰に聞こうと返事などあるわけがない。
木の生い茂った森の中、私は全力で走っていた。
自慢ではないが、私はとても淑女とは思えないほど運動能力が良い。この国に来る前まではあらゆる国を流浪する民であり、毎日がサバイバルであった。そんな仲間たちの中でも抜きんでて身体の動く私は仲間内で山猿などと揶揄されていた。
この国に来てメイドを始めて数年。まだ体は鈍っていないと言える。
そしてそんな私が走り続けて数分。いまだ私のはるか前を行くあのティアラは一体何者なのだろうか。
もはや加速でもしているのではないかと思えてくる。そもそもここは別に坂道でも何でもないどころか、道は悪く木の根が這い、石が転がるような場所なのだ。なのになぜあのティアラはあんなにも早く転がっているのか。呪われたティアラなんて、きいてない。
正直もうあんな不気味なものを追いかけたくないが、あれを持って帰らなければ私の首が転がることになるし、無理やり任せてきたアンちゃんにも迷惑がかかる。
木々の数が減り、森が開けてきた。そして更なる絶望感が私を襲う。
池だ。
化け物ティアラの進行方向には緑に濁って底など到底見えるはずのない池が鎮座ましましていた。
「やばっ……!」
加速するわがまま姫のティアラ、追う私。
からの、ホールインワン、である。
ぽちゃん、とあっけない音を立てて、美しくも恐ろしいティアラは藻のはった池の底へと姿を消した。
「そん、な……、」
息を切らせて池の淵から覗きこもうとも、ティアラの姿はかけらも見えない。
化け物じみたティアラなのだから重力に等負けず、いっそ池の上を滑走してくれた方が良かった。今まで摩擦力を完全無視していたのに、なぜ池にたどり着いた瞬間に重力という自然法則を思い出してしまったのだろうか。
そもそも私がほうっとしていたのがいけなかったのだ。そんなんだから、足を取られてアクセサリーたちをぶちまけることになってしまった。
悔めど悔めど、ティアラは帰らず。
血の気が引き、鳩尾が冷たくなった。
もういっそこのまま城へは帰らずどこかへ逃げてしまいたい。もとはサバイバル区域で生活してたんだ。このまま着の身着のままに逃げ出しても、きっとやっていける。
でもアンちゃんは違う。今彼女はあのわがまま姫のところに居るのだ。私のせいで。もし今私が逃げてしまえばアンちゃんが殺されてしまうかもしれない。
「ああ、もうどうしよう……、」
スカートが汚れることさえ気にせず膝を突いた。ジワリと湿る膝が冷たい。
この池は、冷たいだろうか。考える。
私は泳げないわけじゃない。だが池に潜ったことはない。それもこんな少し先も見えなさそうな池になど。
だがもう、あのティアラを持ち帰る以外に生きる方法はないのだ。
「いける、かな。」
ぼんやりと池に身を乗り出す。
濁った水は、私の顔を反射させることさえもない。
「お嬢さん、お嬢さん、」
「……へ?」
どこからか聞こえた声。あたりを見るが、人影はない。
「私、私だ。お嬢さんの足元にいる。」
自分の耳よりも低い位置から聞こえる声。恐る恐る視線を下げていく。
「そう。私だ。それはそうと、お嬢さん。何かお困りか。」
どこか気取ったようで、同時に高慢さを感じさせる声。
その声の主は私の足の側にいた、真っ黒いサンショウウオだった。
「サンショウ、ウオ……?」
「いかにも。私はサンショウウオだ。正しくはオオサンショウウオに分類される、人間のお嬢さん。」
サンショウウオ、いやオオサンショウウオは人間の言葉でそう返事した。
先ほどの絶望は一瞬にして困惑に塗り替えられる。
サンショウウオがしゃべった。しかもこのサンショウウオ、やたらデカい。サンショウウオと言えば大きくて20センチくらい。だがこのサンショウウオは明らかに50センチは超えているように見えた。
「オオ、サンショウ、ウオ……さん。」
「ああ、だからそう言っている。そんなことより、お嬢さん。何か困りごとがあったんじゃないか?」
人語を解す、ファンタジーオオサンショウウオの言葉に現実へと引き戻される。
そう、私にとってオオサンショウウオが言葉を話そうが文字を書こうが空を飛ぼうが関係ないのだ。目下の問題はこの池の中に落ちたティアラなのだから。
「……姫様のアクセサリーを運んでいたら躓いて、中身をぶちまけたんです。その中の一つ、ティアラだけが窓から飛び出し、ここまで転がってきたんです。そして、ついさっき、この池の中へとダイブしてしまいました。」
「それは、困った。」
「ええ、困っています。とても。姫様にばれれば私の首は簡単に飛んでしまうでしょう。」
一人と一匹、池の淵から覗きこむ。たくさんの宝石の飾りのついたティアラが自然に浮き上がってくることはまずないだろう。
「一つ、オオサンショウウオさんにお願いがあります。」
「聞くだけ聞こう。」
「池の深さって、わかります?」
「……そんなことを聞いてどうする。」
「私に潜れる深さであれば、潜ります。無理そうなら、首は諦めて城へ帰ります。」
オオサンショウウオはびっくりしたような顔をした。表情なんて読み取れないはずなのに、何故か驚いているとはわかった。
「君は愚か者か。こんな池に君のような人間が潜れるわけがない。このままとんずらするのが良いだろう。」
「私一人ならそうしてました。しかし城には今私の友人であり同僚である子がいます。私が帰ってこなければ、おそらく彼女が責め苦にあうでしょう。」
ふむ、とオオサンショウウオは考え事するように唸った。ぬらぬらとひかる身体をぼうっと見ながら池の深さに思考を割いた。手は届くだろうか、息は持つだろう、戻ってこられるだろうか。
「お嬢さん。そこは私にそのティアラを取ってくるように頼むところじゃなかったか。」
「初対面のサンショウウオさんにそんなことを頼むほど非常識じゃないと思ってます。」
サンショウウオはまた低く唸る。流石にサンショウウオに取ってきてくれなどと頼むことはできるほど私の神経は図太くない。そもそもサンショウウオは頼むのが当然、といった風だが人間が両生類に何かを頼むなど異常事態の極みではないだろうか。たとえその両生類が人の言葉を話すとしても。
「……取ってきて、とお願いすればオオサンショウウオさんは取ってきてくれるんですか?」
「交換条件を飲むのであれば、取ってきてやろう。」
にい、と笑うサンショウウオは存外愛らしい。端を持ち上げた口がどことなくひょうきんだ。人間の顔であれば、きっとあくどいのだろうが。
「交換条件、とは?」
「お嬢さんが是といえば、教えよう。」
「……ちょっと卑怯じゃない?」
「まさか!至極親切だとは思わないか。ティアラがなくては君か君の友人が死にかねないのだ。それに比べれば、私が条件を伏せることなど些事、易いものだろう?」
何となく、交換条件がろくでもないものだと察する。そうでなければこうも隠そうとはしないだろう。食べ物か、寝床か、はたまたメスのサンショウウオか。オオサンショウウオの願いなど、人間の私には想像もつかない。
だが私には選択肢などないも同然だ。
「その条件というのは、誰かの命にかかわるものですか?」
「ああ、誰かを殺せだのなんだのと言う物騒なものでは決してないと約束しよう。」
もう一度池を見る。やはり底は見えない。
日が傾きかけ空がほのかに朱に染まる。直に夜が来る。私が池に潜り、運よくティアラを見つけられたとしても、帰るときにはきっと寒さに凍えるだろう。
得体の知れないオオサンショウウオの言うことを聞くか、このままのこのこ城へ戻り、首を飛ばされるか。二つに一つ。
やはり、何もかも命あってのことだと、私は思うのだ。
「……条件が何であれ、飲みましょう。」
「ほう!言ったな。」
「オオサンショウウオさん、池の中に落ちてしまったティアラをどうか取ってきてください。」
「喜んで!」
ぼちゃん、と音を立てて、オオサンショウウオは池の中へと姿を消した。
池のふちに座り込み、オオサンショウウオの帰りを待つ。誰もいなくなった森は風に揺れる木の音だけで、先ほどまで人の言葉を話すサンショウウオの存在などまるでなかったように穏やかだった。
まるで狐か何かに化かされたような白昼夢に感じられた。
ふと、さきほどのオオサンショウウオが白昼夢だったら、私は一人ここで戻って来るはずのない彼を待ち続けることになる。日が暮れてしまえば、森から出られなくなってしまうかもしれない。背筋に寒気が走り、傾いていく夕日に焦りを覚えた。
身を乗り出して、早く帰ってきてくれと願っているとそれが通じたのか、池からぷくぷくと気泡が上がった。
「オオサンショウウオさん!」
「これで良かったか。随分と趣味の悪いティアラだな。」
例のティアラを加えて現れたオオサンショウウオは、びたびたと水を滴らせながら池から這い上がった。
「ありがとうございます!これで死なないで済みそうです!」
パッと検分しても、特に欠けているとか傷が付いているということはない。あれほどの高さから落ちたというのになぜ無傷、と思わないでもないが、ないに越したことはない。
「さあ私は君の願いを叶えてやった。君にも私の願いを聞いてもらおう。」
「何ですか?」
ニヤニヤと笑うオオサンショウウオに身構える。
正直、ティアラは戻ってきたし、このままとんずらしてしまいたいとも思う。サンショウウオの生態には詳しくないが、私より足が速い、なんてことはないだろう。だがしかし、相手がサンショウウオと言えど人の言葉と思考を持ち、そのうえで約束をした。そして相手はその約束を守り、私の願いを叶えてくれたのだ。このまま立ち去るのは、不義理が過ぎる。
「なに、無茶なことではない。私を同じ食卓につかせ、君と同じ食事をとり、同じ寝室で寝かせてくれ。間接的に君の命を救ったのだ。それくらい安い物だろう。」
オオサンショウウオは大きな口で愉快そうに笑った。
ふむ、と考えるように唸るのは私の方だ。
「……まず一つ良いですか。」
「何だ。何を言おうと君に拒否権はない。」
「いえ、そうではなく。同じ食卓につくのはおそらく不可能です。私は他の使用人やメイドたちと基本的に食事をとります。そこにサンショウウオであるあなたを連れていくことは流石にできません。食事は同じ食卓、というのは無理です。私の部屋、ではいけませんか?」
「……良いだろう。」
笑いを引っ込めたサンショウウオ。怒っているわけではなさそうなので、言葉をつづける。
「それから、同じ食事、と言いましたが、同じ食事で大丈夫でしょうか。サンショウウオにとって毒になるものとかありますか?同じ食事にするといっても、私が貴方と同じ食生活をするわけにはいけませんから。」
「……特にない。人間の食べ物と同じで良い。」
随分と人間臭いサンショウウオだ。いや、生きた虫でなければ食べないと言われるよりはるかに良いのだが。
今後の食事については食堂から食べ物を自室に持ってくることになりそうだ。
「それじゃ、これからよろしくお願いしますね。」
「……そんなに簡単に言って良かったのか。」
話がまとまったところでオオサンショウウオはぽつりと言った。思わず怪訝な顔をする。今更何を言っているのだろうか。
「自分から私が断れない条件を出して、何言ってるんですか。」
「いや、それでも、こんな醜い両生類を自分と生活するのは、嫌だろう。」
居心地が悪そうなこのオオサンショウウオは、その傲慢な口調に似あわずずいぶんの劣等感に苛まれているようだ。
「オオサンショウウオさんはまあ一般的に見て気色悪いとは思いますよ。婦女子は特に両生類とか昆虫とかは好きませんし。哺乳類、鳥類以外には可愛いの基準が厳しいです。」
ぬらぬらとてかる身体は十人中十人が気持ちが悪いと眉を顰めるだろう。おまけにオオサンショウウオさんは大きい。百歩譲って、普通サイズのサンショウウオはイモリやヤモリのようでかわいらしい。しか全長50センチを超えるオオサンショウウオさんは気持ち悪いとか以前に怖がられる可能性もあるだろう。
十人中十人が気色悪いと言っても、百人いれば、一人くらい愛らしいと称する人がいてもダメではないだろう。
「でも私は嫌だとは思いませんし、よくよく見れば愛らしいとも思いますよ。」
「愛っ……!?」
「愛らしいと思いますよ。正直、ご飯のために生きた虫を取って来いとか言われたらどん引いたかもしれませんが、オオサンショウウオさんは人間みたいですから。せいぜいルームシェア位にしか思いませんよ。」
黙り込むオオサンショウウオ。どうもこのオオサンショウウオは両生類のくせに人間がごとくあれこれ考えすぎるきらいがある。
「まあ約束は約束です。お城へ行きましょう。養ってあげますから。」
「……私をヒモかなにかのように言うな。」
「違いましたか。」
「……もういい。約束通り、しばらく世話になるぞ。」
自分から言い出したくせに、どこかしぶしぶ、という空気を器用に醸し出す面倒なオオサンショウウオ。四足でノタノタと歩くオオサンショウウオを拾い上げた。
「な、なにをする!?」
「歩くの遅いんです。早くしないと日が暮れてしまいます。」
流石にまだ素手で掴み上げる勇気がなく、付けていたエプロンでオオサンショウウオを包み抱き上げる。エプロンの汎用性高い。
「そういえば、同じ寝室で、とも言ってましたが、やはり水瓶かなにかが必要ですかね?」
「は?」
「だってオオサンショウウオさんは両生類でしょう?干からびたら死んじゃいそうじゃないですか。」
「……水瓶をよこせ。」
態度も身体も大きなオオサンショウウオさん。
この時の私は、人間の言葉を話し、理性とプライドを持つ、世にも珍しいペットを手に入れたとしか思っていなかったのだ。
**********
バタバタと白いシーツが風に揺れる。
そのシーツが干された裏庭を、私は籠を持って這いずり回っていた。
「……み、ミーシャ?何してるの?」
「あ、アンちゃん!そっち行ったから捕まえて!」
「行ったって何……キャアッ!?」
草むらから大きく跳躍した蛙が、挙動不審な私の様子を見に来たアンジェリーナの前に躍り出た。決して大きいとは言えないサイズだが、アンジェリーナは婦女子に相応しい悲鳴を上げた。彼女の前で固まる蛙を素手でぱっとつかみ取り籠に放りいれる。こういう時、私との女子力の差を如実に感じる。
「な、なに!なんでミーシャ蛙を追いかけてるの!?」
「あのさ、前にオオサンショウウオを飼い始めたって言ったでしょ?基本的には私たちと同じものを食べるんだけど、図書室で生態を調べたら生きた虫や蛙が好物って書いてあったの。」
ティアラを池のそこから持ってきてくれた割と紳士的なオオサンショウウオさんと暮らし始めて数日。彼のおかげで私もアンジェリーナも罰を受けることはなかった。感謝してもしきれない。そんな彼は宣言通り、私と同じものを、私と同じ部屋で食べて、同じ部屋で寝泊まりしている。
しかしながら改めて彼、オオサンショウウオのことを調べていたら、ずいぶん彼は無理をしているように思えたのだ。一つあげると、食事である。図鑑曰く、オオサンショウウオは生きた餌しか食べないという。ミミズや幼虫、カマキリなどの虫類のほか、蛙や魚も食べるらしい。
だが私はしがないメイド。頻繁に肉、またそれに準じるたんぱく質をあげることは難しい。彼は何の文句も言わず、パンをもそもそと食べているが、あまり我慢させるのは飼い主として不甲斐ないので、こうして仕事後に彼の食料の調達に繰り出したのだ。虫は流石に生理的に触ることができないが、蛙なら、ぎりぎり許容範囲内だ。
すでに籠の中には戦利品で詰まっているのだが、今のアンジェリーナの反応を見て、それらを見せてよこすのは自重しておく。きっと繊細な彼女は籠の中を見れば卒倒してしまうだろう。
「……サンショウウオって肉食だったのね。」
「うん。私も知らなかった。ただ虫とか食べてそうな顔してるけど。」
本人、いや本サンショウウオが聞いたら激怒しそうなことをしれっという。
あのオオサンショウウオはサンショウウオのくせにやたらとプライドが高いのだ。
「蛙……そうよ、蛙で思い出したわ。」
「なに?アンちゃん蛙飼い始めたの?」
「そんなわけないでしょ、あんな気持ちの悪いもの!」
身震いして腕をさするアンジェリーナ。流石に同じ両生類を飼うものからすれば胸が痛い。いや、ペットの両生類のために蛙を乱獲する私が言えたことではないのだけど。
「いえ、むしろミーシャ知らないの?このお城の蛙の話。」
「王様蛙に変えられちゃった?」
「そんなわけないでしょ!不敬罪の極みよ!慎みなさい!」
ほんのブラックジョークのつもりだったが、見事に引っ叩かれてへこむ。アンジェリーナが陰で王様のことを頭スカスカ木偶の坊、という意味を込めてトーテムポールと呼んでいることを、私は知っている。
「それがね、あんたがサンショウウオを持って帰って来た日、王様や姫様たちが食事してた広間に、蛙が来たの。」
「蛙が来た。」
「しかもその蛙しゃべるのよ!」
「蛙しゃべるの。」
ほとんどオウムと化しながら話をきいていくと、金のまりを池に落とした姫は池の淵で泣いていた。しかしそれを見ていた蛙が交換条件を出して金のまりを取ってきてくれた。とってきてくれたのにそこは流石のわがまま姫、早く走れない蛙を置き去りに、城へ走って帰ってきたらしい。そして知らん顔で晩御飯を食べているときに件の蛙が広間を訪れた。
蛙は姫に「同じ食器で食事をとること、同じものを食べること、同じベッドで寝ること。」を条件に出していたのだという。
王様は、約束を破った姫に怒り、蛙の望むようにさせ、姫は泣く泣く蛙との同居生活を送っているらしい。
……聞けば聞くほど聞いたことのあるお話しで。
何から何まで、かのオオサンショウウオと同じではないか。
多少異なるところもあるが大方同じ。何かつながりでもあるのだろうか。
「アンタ気を付けなさいよ。一応その図々しい蛙も客人。アンタのとこのサンショウウオが食べたら一大事よ。」
「それは本気で一大事だね……、気を付けておく。」
思わず冷や汗をかく。姫の客人をメイドのペットが食べたなんてことがあったら一発断頭台だ。しかもあのサンショウウオ、夜中になると水瓶を抜け出して外を徘徊している。歩いた後は水跡が付くというのに、まだ徘徊が私にばれていないと思っているようで、可愛らしいので放置していたが、これはまずい。騒ぎになっていないということは、まだオオサンショウウオさんはかの蛙を捕食してはいないらしいが、早急に注意喚起が必要だろう。
それ以前に、と籠の中に姫様の蛙が混じっていないか物色する。ゲコゲコ、ケロケロ鳴くばかりで、人語を解すものはどうやらいない。
安堵したのも束の間、籠の中身に気が付いたアンジェリーナが絹を裂くような悲鳴を上げ、半狂乱で籠の中身を外へぶちまけた。
「あああー、アンちゃん……、」
「なにアンタ気色悪いことしてんのよ馬鹿ぁ!」
ゲコゲコケロケロ飛び散った。
*********
「今日お昼の蛙捕まえてきたんですけど、食べます?」
「わたしは君と同じものを食べる、そういったはずだが?君もその蛙をたべ、おいやめろ。蛙を頭に乗せるな。気色悪い!」
「ゲコ。」
一匹だけ、部屋に連れ帰った蛙をオオサンショウウオさんに見せるとあからさまに嫌そうな顔をされた。ツンデレか遠慮でもしているのかと思ってピタピタ顔に当ててみたが、果てしなくブーメランな罵倒と共にがち切れされたため、仕方なく窓から蛙を放り投げた。ケロケロと鳴きながら離れていく。生きが良い方がいいと思って生け捕りにしていたのが功を奏した。
「そういえば、勝手に夜、城の中を徘徊するの、控えてもらえませんか。」
「なぜだ。迷惑はかけていないだろう。」
「いや、迷惑ではないのですが、貴方が大事件を起こす可能性があるので。」
水瓶から顔と両手を出し首を傾げるオオサンショウウオさんは愛らしい。
しかしうっかりかの蛙を夜食に食べたとあれば、笑えないのだ。
昼間アンジェリーナから聞いた人語を話す蛙のことを話す。
みるみるつるりとしているはずの額に皺を寄せるオオサンショウウオさん。反応を見る限り、やはり知り合いらしい。しかも、あまり仲はよろしくないようで。
「食べちゃダメですよ。」
「だから蛙は食わんと言っているだろう!」
「じゃあ危害を加えてもダメです。そうなれば私も貴方もここにはいられませんからね。」
なにより、その蛙は夜の間は姫の寝室にいて、その寝室の警備はネズミ一匹通すことなく、ネズミよりあるかに身体の大きいオオサンショウウオさんなど無論、忍び込むことなどできないことを伝えると、不機嫌そうに水瓶の中へ沈んでいった。
**********
「姫、姫、私にそのクッキーを分けてください。」
姫の客人たる、人語を解す両生類、蛙の姿を見たのは、庭でアンジェリーナからその話をきいた次の日のことだった。
姫様の豪奢を極めたティータイム。その優雅な光景にそぐわない客人。そう蛙である。ついついガン見してしまうが、他のメイドたちはもうすでに慣れたらしく、微かにその醜い蛙に顔を顰めているが、さして気にした様子もない。
「……どうぞ。」
嫌悪感を隠しもしない姫様は蛙の前にいくつかのクッキーを置いた。約束をしたために、このように同居という事態に陥っていて、自業自得としか言えないが、わがまま姫にはちょうどいい。王も灸をすえてやる、といった意図があったのかもしれない。まああのトーテムポールにそんな考えがあるかは謎だが。
「姫、姫。私にはそのクッキーは大きすぎます。私の口に丁度いいくらいに、割ってはいただけませんか。」
「っ……、」
ぐしゃり、姫は片手でクッキーを握りつぶした。粉々になるパティシエ特製クッキー。無残だ。
わがまま姫も、姫だが、それに対するこの蛙も蛙だ。いくら約束をしたとはいえ、図々しい。蛙の面に水とはまさにこのことだろう。わがまま姫と面の皮の厚い蛙。お似合いではないか。
数分もすればしゃべる蛙にも慣れてきた。きっと他のみんなも諦めの境地なのだろう。
約束をしたとはいえ、下賎な両生類の身。果たしてあの蛙はいつまでこの城に留まるつもりなのだろう。王の教育的指導が済み次第、速やかに追い出されそうなものだが。
「姫、姫、私も紅茶が飲みたいです。私にも一口ください。」
「っ!ミーシャッ、この蛙に紅茶をいれなさい!!」
「はい、ただいま。」
ぼけっとしていたところに飛ぶ命令。条件反射的に身体を動かし、一番小さなカップに紅茶を注ぐ。本当に面の厚い蛙。そしてどこまでも意固地な姫様。おそらく蛙は姫様の口を付けた紅茶をもらおうとしていたのだろう。それに気づいた姫様がそうはさせるかとすかさず私に命令をした。なんとも不毛な攻防戦である。さっさとあきらめてしまえばいいのに。
「ありがとう、お嬢さん。お嬢さんはさっきから私のことを随分とみているけれど、私が気持ち悪くはないのですか?」
「両生類は、そこまで苦手としていませんので。」
嘘でも本当でもないセリフを白々しく吐けば、蛙はぎょろりとした黄色い目をぐりぐりと動かしてから、へえ、と一つ声を漏らした。
思わず寒気が走る。
脊髄反射的に、気持ち悪いと思った。今にも叩き潰してしまいたい衝動に駆られる。だがここで潰してしまえば、私の首が飛びかねない。姫はきっと怒ったふりして喜ぶだろうが、王様は怒るだろう。
両生類は両生類でも、うちのオオサンショウウオさんとは雲泥の差だ。身内びいきいや、飼い主びいきと言われてしまえばそれまでかもしれないが、少なくとも、オオサンショウウオさんに見られてこれほどの不快感を抱いたことはない。単純な見た目の気持ち悪さはきっと似たり寄ったりなのに、この差は一体何なのだろう。
なんだか急に部屋にいるオオサンショウウオさんに会いたくなった。夜行性の彼はきっといま水瓶の底で眠っているのだろうが、これがまたなかなか可愛い。
可愛いと思えるから、私はてっきり両生類が好きな人間になっていると思っていたが、この蛙を見て考えを改める。
私は別に両生類が好きなわけじゃない。オオサンショウウオさんが好きなのだ。
あの図々しく、品もなければ優雅さもない蛙と傲慢だがなにげに紳士的かつ常識的なオオサンショウウオさんでは、同じしゃべる両生類でも似ても似つかない。
仲がよろしくないという二匹。オオサンショウウオさんがパクリとあの蛙を丸呑みにするところを夢想した。
********
コックから借りた古いレシピ本をベッドに寝っ転がりながら捲る。
「唐揚げ……カレー……シチュー……刺身、は無理だな。」
「さっきから何をぶつぶつ言ってる。」
怪訝な顔で水瓶から顔を出すオオサンショウウオさん。やはり可愛い。何というか、気持ち悪いのにどこかかわいらしさを滲ませる。
「なるほど、キモ可愛い……、」
「何だ?」
「いえ、蛙の調理の仕方を調べてるんです。」
「……喰うつもりか。」
「私と同じものを食べるのでしょう?」
「蛙を食べるなぞ、気が知れんな。」
一応サンショウウオは蛙が大好物なはずなのに。
コックに話をきいてみれば、存外蛙の調理法は見つかった。かつて肉があまり手に入らなかったころ、蛙は重要な蛋白源だったらしい。いわく、十分に美味しくいただけるとのこと。グルメなオオサンショウウオさんでも、ちゃんと調理すればきっと食べてくれるだろう。
生理的に不愉快な蛙をからりと揚げるには、いつ攫えばいいだろうか。
「今日、昨日お話しした人の言葉を話す蛙と会いました。」
「ほう、それでどうだった。」
「図々しく不愉快でしたね。特に理由のない不快感に襲われました。」
「ふん、だろうな。あのような物体、視界に入れるだけで不快だ。」
吐き捨てるように言ったオオサンショウウオさん。親戚なのか知り合いなのか知らないが、随分と見知った仲のようだ。
不快な蛙。あの蛙はいったいどんなつもりでこの城にいるのだろうか。
見た目だけはいいわがまま姫だが、結局はわがまま姫だ。正直、あの姫と四六時中いたいと思う蛙の気が知れない。
「……オオサンショウウオさんはどうしてこの城にいるんですか?」
「……わたしが君の落としたティアラを拾ったからだろう。」
言外に答えるつもりはないとピシャリと言われた気分だ。わざとらしくすり替えられた答えはあからさま過ぎて追及する気にもなれない。
「そういえば、城の中をむやみに歩かない方が良いですよ。」
「それは昨日聞いた。」
「オオサンショウウオは食べるところが多いそうなので、コックさんに見つかったら捌かれちゃいますからね。」
「さばっ……、ふん、そんなへまなどしない。」
「どうだか。」
不機嫌そうに、ぱしゃんと尻尾で水面を打った。
両生類にしては表情豊かでわかりやすいうちの子は可愛いと再認識した夜。
奇しくも同じ夜、我慢の限界の来た姫様がベッドにもぐりこんだ蛙を壁に叩きつけていた。
呪いが解ける。
**********
この世は全く複雑怪奇。面妖な事柄で満ち溢れている。
蛙が王になったとな。
息を切らせたアンジェリーナに言われた時は、彼女が寝ぼけているのかと思ったのだが、それが事実だと知ったのは翌朝、大広間に集められたときだった。
城の者が集められた大広間。壇上にはトーテムポールこと、我が国の王、わがまま姫。そしてわがまま姫のすぐ隣には見覚えのない金髪金眼の若い男が堂々とたたずんでいた。蛙は、いない。
「アンちゃん、あの青年は誰?」
「蛙よ。」
「蛙。」
蛙、蛙、金髪金目の青年に蛙らしさはない。紛うことなき人間だ。唯一面影があると言えるのは金色の目だけ。ただそれももう不愉快さは帯びていない。
「皆様、このたびはお世話になりました。この国の隣、ルルヒ王国の王子フロッシュ・フェアディーンストと申します。」
醜い蛙の容貌とは似ても似つかぬ見目麗しい王子は恭しく頭を下げた。王族とは思えないその丁寧さに
いい意味でも悪い意味でも広間はざわついた。
フロッシュ・フェアディーンストと名乗った青年はつらつらと事の次第を語る。
ルルヒ王国の王子はつい先日、悪い魔法使いに蛙に変えられてしまったらしい。そして蛙になった王子は森で途方に暮れていたところ、うちの姫様が池の側で泣いているところを発見する。あまりにもかわいそうなので、話を聞くと金の毬を落としたとのこと。そこで王子は姫のために池にもぐり毬を取ってきてあげた。そして姫に頼んでこの城で過ごしているうちに、姫の優しさによって魔法が解け、昨晩もとの姿を取り戻したそうな。
軽くキャパシティオーバーする。魔法とはいったい何なのか。優しさなどというもので解けるものなのか。そもそも魔法使いってなんだ。そんなものいるのか。魔法自体噂に聞くものの実際にあるとは思っていなかったし、ひとかけらも信じていなかったが、蛙が人の言葉を話す世の中だ。人間が蛙にされていてもおかしくないのかもしれない。感覚がおかしくなる。
「大方は王子様の言う通りよ。ただ優しさで、っていうのは嘘ね。」
「まあ姫様全然優しくなかったしね。散々目の敵にしてたし。……じゃあなんで魔法が解けたの?」
「昨晩寝室に来た蛙を、とうとうブチ切れた姫様が壁に叩きつけたらしいの。」
「うへぇ、」
「それで魔法が解けたみたい。」
「解けちゃったの。」
壁に叩きつけられて解ける魔法とはなんぞや。ご都合主義もいいところだ。もしかしたらあの蛙の態度はわざと姫を怒らせるためだったのかもしれない。なんにせよ優しさとは対極にある解決方法だ。
魔法がどういうものなのか分からないが、解けたのならきっとそういうものなのだろう。
「私と姫は婚姻することになりました。しかし一つ問題があるのです。」
「昨日の今日、壁に叩きつけられたのに結婚決めた王子すごい。」
「きっと上の方々の思惑がいろいろあるのよ。」
すでに決定されたような姫と王子の婚約。皮肉一色であったがお似合いであるのだ。まあ丁度いいのだろう。
どうであれ、一使用人である私たちには些事である。姫が嫁ぐために国を出るならば、一緒についていくメイドが選ばれるのだろうが、私は生憎彼女のお気に入りでもなければ有能な使用人でもない。よって私には全く関係ないのだ。
姫の輿入れが決まれば仕事は山の様にあるだろう。さっさと広間から出て仕事に取り掛かってしまいたい。
「悪い魔法使いはきっと、私が元の姿に戻ったと知ったら再び私に魔法を掛けようとするでしょう。そして姫にも危険が及ぶ可能性がある。……皆様には魔法使いの捕縛を手伝ってもらいたいのです。」
ざわめきが大きくなる。当然だ。私たちは魔法使いの捕縛など本来の仕事でもなければ魔法使いの存在さえ絵空事だと思っていたのだ。
「そんなことできるわけないでしょ……っていうか魔法使いを追いかけたりなんかしたら私たちまで蛙にされちゃうかもしれないじゃない。」
「それね。勝手にやっててくれればいいのに。あの王子が蛙だろうと人間だろうと私たちには関係ないもんね。」
王子と姫が蛙にされようがされまいがどうでも良い。強いて言うなら魔法使いがいるかもしれないという場所に寄りつかないことだ。
他人事のようにアンジェリーナと囁きあいながらこのありがたいお話が終わるのを待っていた。
「魔法使いというと恐ろしく思うかもしれない。だが今その魔法使いもまた、魔法にかかり山椒魚の姿をしているんです。」
再びざわつく広間。しかし私はそれどころではなかった。
「サンショウ、ウオ……?」
「……ミーシャ、アンタ山椒魚飼ってるって言わなかった?」
「……か、飼ってる。オオサンショウウオさん。」
「……しかもあの蛙王子が城に来たのと同じ日じゃなかった?」
嫌な汗がダラダラと背中を流れる。心当たりがありすぎる。私のサンショウウオが客人の蛙を食べてしまうのではないかと危惧していたが、それどころでは無かった。諸悪の根源だった。
「普通のサンショウウオではありません。人の言葉を話し、体長も50センチほどで大きい。しかし結局はサンショウウオ、四足で鈍く動くことしかできません。」
「……アンタのサンショウウオ、喋ったりしない?」
「……あのね、アンちゃん。」
「うん。」
「しゃべる。」
「……そう。」
アンジェリーナはそれだけ言って、騒ぐことも誰に知らせようともしなかった。ジリジリと後ずさり、扉へと下がる。
「あの魔法使いを野放しにしておくことはできません!今後私のような被害者を出さないためにも、一刻も早く捕らえなくてはならないのです!」
「王子!その魔法使いはどこに?」
使用人通路扉をそっと後ろ手に開けて、私は走り出した。
「サンショウウオの姿をした魔法使いは、この国とルルヒ王国国境付近の森の中に!」
私が飼っていたのは、オオサンショウウオなどではなかったようで。
*********
「サンショウウオさん!オオサンショウウオさん!」
「んん……?まだ朝も早いだろう、どうした。」
誰もいない城の廊下を全力疾走し、自室に戻る。夜行性のオオサンショウウオさんは水瓶の底で沈んでいたが、たたき起こす。
「どうしたもこうしたもありません!貴方サンショウウオじゃなかったんですね!」
「っなぜそれを!」
「魔法使いだなんて知ってれば連れてこなかったのに!」
「……は?」
目を丸くするオオサンショウウオさんをリンゴを収穫するときの背負う籠に突っ込み、そのまま走り出す。荷物をまとめる時間などない。サバイバルでもきっと何とかやっていけると信じて、城の敷地から出て、オオサンショウウオさんを拾った森へと入って行った。
「……おい、止まらないか、」
とにかく城から離れたくて、とにかく足を動かす。幸い城から出たのは午前中。日が出ている間に、進めるだけは進んでおきたい。
「……い、おい、ミーシャ!」
「あああああだからうるさいですね!さっきから背中でごちゃごちゃと!今は逃げるのに集中しなくちゃいけないんですよ!」
「ひとまず落ち着け!君は何か勘違いしてる!それにここは森の中だ。隠れる場所はいくらでもある。急いで遠くへ離れるよりも身を隠しながら動いた方が良い。」
「煩いですね、唐揚げにしますよ!」
「土地勘のない君がむやみやたらに動き回るより、私の話をきいた方が良い。違うか?」
籠から顔を出したオオサンショウウオに諭される。
誰のせいでこんなことになっているのか、このサンショウウオは本当にわかっているのだろうか。しかしながら正論と言えないでもないうえ、私自身、状況を飲み込めているかと問われれば曖昧な点も多い。仕方がなく動かし続けていた足をようやっととめ、大きな木の陰に腰を下ろし、籠を湿った地面に置いた。
「やれやれ、今朝は一体なんだと言うんだ。」
「あれですね。オオサンショウウオがしゃべってると思うと可愛いのに、サンショウウオに化けた人間がその口調でしゃべってると思うと、神経逆なでされる気分になります。」
「……ミーシャ、何をどこまで知ってる。」
間の抜けた顔をしたオオサンショウウオが大真面目な顔を作ってみせる。
これは人間これは人間、そう心の中で唱えるも眼前には絶妙に愛らしいオオサンショウウオがいる。愛憎入り混じって横っ面を張りたくなった。
「昨晩、姫の客人である蛙が、人間になりました。蛙は隣の国のルルヒ王国の王子だったそうです。」
「……やはり、フロッシュ・フェアディーンストだったか。」
「知り合いで。……フロッシュさんは先日悪い魔法使いにより蛙に変えられたそうです。それで森を彷徨っているときに姫に会い、城に来ました。」
掻い摘んだざっくりとした話だが、おそらく当事者たる彼にはそれで十分だろう。自身の記憶で十二分に補てんできる。いつかのように、眉間らしき部分にキュ、と皺を寄せて唸るように言う。
「なぜ、呪いが解けた。」
「私は魔法とか呪いとかよくわからないので、確かには言えません。」
「聞かせろ。」
「王子いわく、姫のやさしさだそうです。ただ蛙が王子に戻るところをたまたま目撃した友人いわく、優しさもクソもなく、我慢の限界になった姫様が蛙を壁に叩きつけたそうです。その途端、蛙が王子になった、とのことです。」
「叩っ……!それで元に戻るのか!?」
「わかりません。ただ戻ったのならそれが答えなのでしょう。」
信じられない、という風に目を見開く。
可愛い、いや可愛くないという場違いな感情のせめぎあいは鉄面皮の下にしまい込む。詐欺だ。両生類詐欺だ。
「……ひとまずわかった。だがなぜそれで私が追い掛け回されることになった?」
「それは貴方が王子を蛙に変えたからでしょう。それで二度と変えられまいと躍起になってるんです。」
「……はあ?」
心底わからない、怪訝さを何時間も鍋で煮詰めて凝縮したような顔で間抜けな声を上げた。少し驚く。彼のことだからせせら笑うとか、自分が王子を蛙に変えたことをわざとらしく鼻にかけるかと思ったのだが、彼はひたすら困惑しているように見えた。
「違うんですか?悪い魔法使いさん。」
「はあああ!?何で私が魔法使いなんだ!私だって被害者だぞ!それに私たちを両生類に変えたのは魔女だ!なにより私があいつに呪いをかけたなら何で魔法使いの私までこんな両生類になってると言うんだ!」
怒髪天を突く勢いで憤慨するオオサンショウウオ(仮)さんはびたんびたんと太い尻尾を地面に叩きつける。思ったより音が出て、慌ててその苛立たし気な尻尾を掴み地面に抑えつけると一瞬で静かになった。急所であったらしい。
しぼみこんだオオサンショウウオさんに問う。
「それじゃあ、蛙の王子に恨まれ、こうして追い掛け回されているあなたは、いったい何者なんですか?」
ぐ、と押し黙り、それから何度か大きな口を開閉させた。だがそれは声にならない。流石にオオサンショウウオに読唇術を使うのは無理があった。全く読み取れない。
「ダメだ。どうやら自分で自分の正体を言うことは、呪いの関係からできないらしい。」
「ご都合主義な呪いですね。」
「言い訳じゃない。だからこそフロッシュのやつも、呪いが解けるまで口が聞けたのに自分の正体を周りに言わなかったんだろうさ。」
「なるほど。」
オオサンショウウオ(仮)さんの話を要約すると。
フロッシュ・フェアディーンストさんとオオサンショウウオ(仮)さんは、同一の悪い魔女に呪いを掛けられ、それぞれ蛙とオオサンショウウオに変えられてしまったらしい。それから同じくこの国とルルヒ王国の国境付近をうろついているときに、姫と私に遭遇した。そして今、想定外の呪い解除魔法(物理)によってオオサンショウウオ(仮)さんより先に蛙の王子様の呪いが解けてしまった。なお、なぜだか詳しいことはわからないが、オオサンショウウオ(仮)さんは蛙の王子に心底恨まれているようである。
「呪いの解き方は蛙の王子様もオオサンショウウオさんも知らなかったんですか?」
「…………いや、」
「知ってるなら早く戻りましょうよ。」
酷く居心地悪そうに視線を彷徨わせ、意味もなく前足を足踏みさせる。やはり可愛い。
「知っているには知っている。だが具体的な方法がわからないのだ。」
「具体的?」
「…………真実の愛があれば元の姿に戻る、そうだ。」
「あい、」
魔法とは、いったいどのようなものなのだろうか。
真実の愛(笑)でも解ける。
殺意を乗せて壁に叩きつけても戻る。
どこのだれだか知らないが、魔女よ、少々適当過ぎはしないか。
「真実の愛とは何だ!?何なんだその漠然としたものは!?そもそも両生類における真実の愛とは何なのだ!?」
「魔法とは不思議なものですね。」
うがああっ、と吠えながららしくもなく乱心するオオサンショウウオさんの尻尾をがっと掴む。すぐに静かになった。急所なのであまり触っては可哀想というのはわかるのだが、いかんせん、掴むとシュンと縮こまるオオサンショウウオさんは他に類を見ないほど愛らしいため、自重する予定はない。
「それで、これからどうしますか?ここにいてはいずれ見つかります。」
「ああ、ルルヒ王国へ向かう。」
「ルルヒ王国?」
ルルヒ王国と言えば、件の蛙の王子の国ではないかと顔を顰める。
「そっちには私の部下がいる。」
「サンショウウオですか?」
「人間だ。……すくなくとも、王国まで辿り着き、事情を知っている者と出会えればフロッシュは私を不当に捕らえることはできない。」
なるほど、道理でわざわざ蛙の王子がルルヒ王国ではなく、この国の人間にオオサンショウウオさんの捜索をしようとしたのかわかった。オオサンショウウオさんは本当は捕まえていいような人間ではないのだろう。おそらく、オオサンショウウオの姿をしているうちに魔女の汚名を着せ、始末してしまおうという算段なのではないだろうか。
どうもちぐはぐな話だ。なぜちぐはぐになっているかと言えば、オオサンショウウオさんにかけられた、自身の正体を話せない、というものに起因するのだろうが、如何せん、どこまでがセーフのラインなのかわからない。彼は明確に自分が誰だか言っていないが、少なくともルルヒ王国の人間でなおかつ誰かの上に立っている人間だとわかった。やはり魔法というものはわからない。
「簡単に言うとまあひとまずこの国の脱出、亡命ですね。」
「ああ、道はわかる。とにかく少しずつ進んでいくぞ。」
方針がまとまったところで、オオサンショウウオさんを再び籠に入れ、歩き出す。
言いふらしていたつもりはないが、きっともう私があるサンショウウオを飼っていたことはバレているだろう。本を借りた履歴、コックから聞いた話、隠滅も口止めもしてこなかった。
このまま森を抜けるのが早いか、国の人間が私たちを見つけるのが早いか。
**********
「……ミーシャ。」
「何ですか?」
「衝撃的すぎて忘れていたが、君が私をどこかへ叩きつけて呪いを解き、人間に戻った方が手っ取り早いんじゃないか?」
「何ふざけたこと言ってるんですか?」
「至極正論だと思うが?」
森の中を歩き続けていると、背中の両生類が随分とふざけた提案を寄こした。本当にこのオオサンショウウオは何もわかってない。
「壁に叩きつける真実の愛(物理)のおかげで魔法が解けたのかはっきりしないんですよ?もしかしたら壁に叩きつける以外に何か魔法を解くような要因があったのかもしませんし。適当にやれば貴方が死んでしまうかもしれません。」
「しかし、」
「大体貴方の体長と体重がいくらあると思ってるんですか?壁か何かに届くまでに重力で落ちますよ。」
「何を言ってる怪力娘。」
しれっとした声に、背中をふり籠をシェイクする。悲鳴が聞こえるが、教育的指導だ。全ては私の可愛いペットのため。
「ともあれ、不確かでリスキーな方法を取るわけにはいきません。」
「……ミーシャ、何故見ず知らずのサンショウウオのためにそこまでする?叩きつけて元に戻れば君はお役御免。叩きつけてそのまま私が死ねば、何食わぬ顔で国に戻ることもできる、可愛げのないサンショウウオも始末できるだろう。」
このオオサンショウオと過ごしてまだ数週間もたたないが、彼は意外とナイーブで卑屈だ。普段は高慢傲慢俺様の似非紳士なのだが、唐突に卑屈スイッチが入る。いまだそのスイッチのタイミングが、私には掴めない。
「だからなにふざけたこと言ってるんです。私が可愛いペットを捨て置く甲斐性なしとお思いですか?」
「ペット……、一応人間なのだが。」
面倒なことをぐちゃぐちゃ言い出しそうな雰囲気に、歩くスピードを上げた。
何も言わず、ただ私の甘さに付け込んでおけば都合がいいだろうに、なぜこのオオサンショウオはこんなにも、
「貴方は人間です。赤の他人です。しかし今は私の可愛いオオサンショウウオです。……貴方が人間であれば、私は貴方を逃がそうとも守ろうともしません。偏にそれは貴方がオオサンショウウオさんだからです。」
「…………、」
「どれだけ面倒で、傲慢で、腹立たしいことを言ったとしても、私は貴方を見捨てたりはしません。人間だと思うと正直苛立つところもあります。騙されたと思うこともあります。でも貴方はサンショウウオです。ただのしゃべる、可愛いサンショウウオです。」
「オオサンショウウオは、可愛くはないだろう。」
「ええ、ええ、別に私は両生類が好きなわけでもサンショウウオが好きなわけでもありません。でも困ってる私を助けてくれて、喋って、少し可愛げがあって似非紳士なオオサンショウウオさんに見事にほだされてしまったんです。可愛くて可愛くて、ペット溺愛の域なんです。」
私は一体両生類相手に何を言っているのだろうか、どこか他人事のような部分でそう呆れるが、もうどうにもならないほどに、私はこのヌメヌメと湿ったペットを気に入ってしまっているのだ。
「愛玩動物は愛玩動物らしく、飼い主に甘えておけばいいんですよ。」
卑屈なのは勝手だ、だがそれを背中で垂れ流されてはかなわない。
可愛い可愛いペットに自殺念慮させるような、甲斐性のない飼い主のつもりはない。
「……ミーシャ、」
「何ですかオオサンショウウオさん。」
「…………ありがとう。」
プライドの高い、誰かに謝ったり、礼を言ったりしそうにない傲慢なオオサンショウウオさんからの小さな言葉。
猫を飼っていた友人がいた。
友人曰く、猫と彼女の関係はペットと飼い主ではないそうな。
猫様とその下僕、それが一番正しいのだと。
「無事に亡命しましょうね。」
その気持ちが少し、少しだけれどわかった気がした。
*********
「あと、どれくらいかわかりますか?」
「数時間もかからない。森を抜ければすぐに城の裏手の演習場に出る。」
「演習場?」
「知らないのか。ルルヒ王国は軍事国家だ。」
夜行性のオオサンショウウオさんのおかげで夜通し歩くことができる。私のメイドにはとても必要とされないスタミナスキルも相まって、ルルヒ王国目前に余力はまだ残されていた。
私の国とルルヒ王国の間には明確な国境がない。ただ一つ、この森を挟んでいるらしい。森を挟み互いの国の王城なのだが、今まで特に問題が起こったことはなかった。というものの、私の国は弱小国、一方のルルヒ王国は強大な軍事国家。私の国はわざわざ負ける喧嘩を吹っ掛けることはなく、ルルヒ王国は羽虫に構う理由がない。ゆえにお互い不干渉となり平穏は保たれていた。
「……じゃあ私たちを追うために私の国の兵とかが来たら不味くないですか?」
「非常にまずいな。国境を侵しに来る上にたどり着く先が王城の裏手だ。侵攻の意思があるともとれる。」
「あらら、」
「私たちをそこまで不当な理由で追ってくる方が悪い。」
ふん、と偉そうに鼻を鳴らすオオサンショウウオさん。
なんとなくだが、彼は王城関係者のように思える。地理に詳しければ、国家間の情報にも詳しい。いや私が単に知らなすぎるのかもしれないが、城にいる間に、蛙の王子、フロッシュから恨みを買ったのかもしれない。そして、魔女の呪いに巻き込まれた、と言うのが私の見立てだった。
もっとも、それも彼の部下という人に会えればすぐにわかるだろう。
「ところで、真実の愛(笑)で呪いが解けるんですよね?」
「……ああ、」
「じゃあルルヒ王国に戻ってどうするんですか?愛のあてがおありで?」
「いや、そっちは期待していない。とりあえず部下を使ってこんなふざけた呪いをかけた魔女を引っ張り出してシバキ倒す。呪いをかけた本人だ。解き方も知っているだろう。」
「あ、アグレッシブですね。」
魔法だのなんだの言っている割には、やたらと物理的な手段が使われている気がする。魔法解く方法は壁に投げつける。魔法使いを捕まえ吐かせる方法も物理的責め苦。妙なところで夢も希望もない。
「このままいけばおそらく明け方には演習場に着くだろう。体力は持ちそうか?」
「体力は問題ないです。問題があるとすれば追っ手がどこまで来ているか、です。」
真っ暗な森の中。吹き抜ける風は足音も話し声もかき消してしまう。
何も持たずに城から飛び出した私たちはあたりを照らすものを持っていない。今オオサンショウウオさんを背負う私は夜行性の彼の指示に従って進んでいる。明かりを持っていないために、自分たちの位置を知られることはないが、行動もスピードも制限されてしまう。
「……オオサンショウウオさんは蛙の王子と知り合いなんですよね。」
「ああ、不本意ながらな。」
「なら蛙の王子もオオサンショウウオさんがルルヒ王国に向かうことは予想できます。」
「……ああ、大方ルルヒ王国国境付近、森の中のルルヒ王国の直前に兵を置くだろう。」
ザクザク草地を踏みながら進む。今のところ、前方にも後方にも、明かりは見えない。
だが、待ち伏せされてしまえばもう私たちに打つ手はない。
「じゃあ待ち伏せされてたらどうしますか?」
「……距離による。無理してでも突破して王国に入った方が良いかは私が指示する。」
「善処はします。が、私に戦闘能力はありませんよ?」
サバイバル生活を送ってきたが、人間や兵士と戦えるかと言えば別だ。狼とは戦えるし、熊にも勝てるが、人と戦うことはまずほとんどないのだ。少なくとも、私は人を殺したことがない。戦ったことがあると言ってもそれは仲間同士で模擬戦闘だけで、本気で殺し合いを演じたことはない。
「戦わなくていい。ただ危なくなったら、私を投げつけろ。」
「……だからできるわけないでしょう。」
「やれ。いつまでもこの森の中を逃げ回っているわけにはいかない。いずれは国境を超える必要があり、亡命が遅れれば遅れるほど、王国の警備は厳しくなる。」
「それはそれ、これはこれ。理屈ではわかりますが、貴方を投げれるかと言えば別の話です。」
「それしかない。」
「いえ、たとえ戻ったとしてもそれでどうするんですか。事情を知らない人から見たらあなたは悪い魔法使いなんですよ。」
「勝算があるから言ってる。」
話は平行線。
だがこれ以上何を言っても無駄だろう。
私はオオサンショウウオさんを投げつけることはきっとできない。そしてオオサンショウウオさんは元の姿に戻れる可能性があるのなら試したい。
こればかりはどうしようもない。現実的に考えれば、真実の愛とやらを見つけるか、魔女を捕まえてしばくか。二つに一つ。だが時間が私たちにはない。
ため息を最後に、会話がなくなる。最低限、オオサンショウウオさんの指示する声だけを聞いていた。
真っ暗な森の中。見えるものはない。
**********
大分、冷え込んできた。空のグラデーションに変化が出る。それは間もなく夜明けが来ることを知らせていた。
夜が明ければ捜索はおそらく本格的なものとなり、捜索動員人数も増員されるだろう。このままどこかへ逃げるならともかく、ルルヒ王国を目指し、そのことが蛙の王子に知られている以上何とか夜明けが来るまでに森を抜けてしまいたかった。微かに疲労感を感じさせる足を叱咤し、早める。
「オオサンショウウオさん、」
「ああ、もう間もない。すぐに植生が変わってくる。草地から赤土に変わればあと君の足なら数十分もないだろう。」
「……植物の数が減るってことですか。」
「種類もな。人の丈もものよりも3メートル以上の背の高い樹が中心になる。……つまり紛れる人の姿は捉えやすくなるだろう。」
籠の中のオオサンショウウオさんはヒタヒタと落ち着きがない。
既に追っ手が先回りしていて待ち伏せしていれば、一巻の終わり。姿を隠すことはできない。闇に紛れることもできないのだ。逃げ切るのは難しい。
「草地でなくなれば歩きやすく、走りやすくなります。」
「走っていくつもりか。」
「まあ。オオサンショウウオさんはせいぜい酔わないように籠にしがみ付いててください。」
「……うむ、」
草が減り、湿気も少なくなってきた土を蹴る。すでに目は慣れている上に森の終わりがなんとなく感じられる。オオサンショウウオさんのナビはもういらない。
鬱蒼としたところよりも物音は立てずに済む。つまり遠くからは発見されにくい。それが吉と出るか、凶と出るか、私にはわからない。だが至近距離で見つかっても、追っ手の発見に遅れても、その時はその時。この世はすべからく、なるようにしかならない。
地面が赤土に変わり、背の高い樹々が姿を見せた、ちょうどそのころ。
空が、白み始めた。
焦りを抱えたまま、もっともっとと、足を動かした。
*********
「なあおい、これ大丈夫なのか?」
「知らねぇよ……死ぬときゃしぬ。ここに居る連中、一蓮托生だ。」
「縁起でもねえこと言うんじゃねぇ!ていうかこっちにはルルヒ王国の王子が居んだから問題ねぇだろ!」
見慣れない植生の森の中。王子のわけのわからない指示の元、おれたちは国境である森にいた。
まさにルルヒ王国の目と鼻の先。敵対しているわけではないが、強大な軍事国家の側に他国の兵を配置させるなど、正気の沙汰ではない。
全ての原因は、自称ルルヒ王国王子、フロッシュ・フェアディーンストだった。
突然城の中に現れる他国の権力者など、とんでもない外交問題に発展するはずだと言うのに、何故か王も姫も悠長にしている。トーテムポールと名高い王はともかく、姫はああだこうだ文句を言うなりヒステリーを起こすなりするのが通常運転なのに、随分と大人しくしている。もっとも、あの王子の顔にヤラレたなら納得というものだが。
「にしても、『自分は魔女に蛙にされてた』とか。気でも狂っちまってるって思うのが普通じゃねぇのか?」
「本当にな。何しれっと受け入れてんだか、うちのお偉方は。」
「魔法云々言われてもとても信じられねえな。何より何でおれたちはサンショウウオなんて探してんだ。」
そもそもそれがおかしいのだ。百歩譲って、王子が魔女に蛙に変えられてたとしよう。だったら何で魔女はサンショウウオになってんだ。サンショウウオが魔女なのか、魔女がサンショウウオになってるのか。前者であればサンショウウオに出し抜かれた蛙王子は何なのだ。後者であれば何で魔女は行動のとりにくいサンショウウオの姿を取っているのか。
ここには矛盾しかない。ゆえに茶番にしか思えない。
そんな茶番劇のためにおれたちはこうして軍事国家の目と鼻の先で命を晒しているのだから、放棄したくもなる。
足の速い連中で構成された小隊だが、一日走りづめでようやく何とか夜明け前につくことができたのだ。既に空は白み始めている。
「魔女だかなんだか知らねえけど、さっさと掴まってくんねえかな。」
「ばあか、それを捕まえるのがおれらの仕事だろうが。」
「両生類捕まえる仕事か……天下の王国兵がこの様たあ情けねえ。」
「大体よお、サンショウウオってぇ小せぇもんだろ?常識的に考えたら見逃しちまうだろ。」
サンショウウオと言えば掌に乗るくらい小さいものだ。王子は大きくて黒いとか言っていたが、それも怪しいものだ。いや、蛙の王子本人も怪しい。本当に王子なのか。王子ならなぜルルヒ王国の軍人を使わない。そっちの方が多くの人が使えるし、情けない話だが優秀な人間も多いだろう。
ぼう、としているとき、森の奥に人影が見えた。
国境の森。夜も明けきらぬ早朝。一人の女。
完全なる不審人物だ。
「おい女止まれ!!」
「女?」
怒鳴ればぴたりと動きが止まる。息を飲む音が聞こえた。少なくとも、怪しい人物であることは確定している。なにか咎められる心当たりがあるのだろう。
「魔女はサンショウウオの姿してるんじゃなかったのか?」
「……私は、魔女じゃありません。」
「何者だ!」
ザッザ、と赤土を踏みながら、砂埃で薄汚れた女が姿を現した。
「私は王城に勤める下っ端メイドです。」
しっかと前を向いた女ははっきりとそういった。よく見れば、彼女が身に纏っているのはメイド服。ところどころ擦り切れているが、見る限り、あのわがまま姫付きのメイドだ。まだ、若い。
「メイドが、なぜこんなところに居る。」
「皆さんと同じです。ルルヒ王国の王子を蛙に変えた悪い魔女を、サンショウウオを探してるんです。」
その言葉におかしなところはない。魔女の捜索は兵士、文官、メイド、コック問わず駆り出されている。
「まあこの森にひとりでいるってことはそういうことなんだろうけど、」
「君、足早すぎない?」
王国兵の中でも走りに自信のある兵を集めた小隊がここに着いたのは数十分前。一日中走り続けて、だ。
なのになぜ普通の少女に見えるこのメイドは夜も明けないうちにここに居る。
「……お城で働く前は流浪の民族でしたので。足に覚えはあります。」
「流浪、な。」
「……まあいい。とりあえず、その籠の中身を見せてみろ。」
メイド服に合わない、大きな籠。確か庭師が高枝を切るのに使ったり、果物の収穫に使うもの。そう詳しくはないが、少なくとも姫付きのメイドが持つに相応しいものではないことはわかる。
ぐい、と籠を引き、中を覗きこむ。
「やあ、ごきげんよう。」
しゃべるオオサンショウウオが、いた。
**********
空が白み、地面が赤土になったころ、高い樹々の葉の間から、そびえたつ城の尖塔の頭が見えた。
だがちょうどそのころ、先回りしていた王国兵に姿を見られた。
「おい女止まれ!」
「……どうしますか?」
背中にいるオオサンショウウオさんに顔を動かさずに問うた。
「……逃げ切るのは無理だろう。ここには三人だが、まわりに何人かいる。」
「では突っ切ります。異論はありませんね。」
「君に任せよう。」
促されるまま、前に進み声を掛けた兵の前で止まる。誤魔化すことなどできない。私が怪しいのは百も承知だし、この大きなサンショウウオを隠し通すことはまず無理だ。淡々と正直に答えていく。三人の兵を見るが、見知った顔はない。
作戦なんてそんな上等なものはない。
私はただ、隙を突きオオサンショウウオさんをもって森から抜けるだけだ。
隙はきっと一度だけ。それを逃せばしがないメイドたる私は屈強な兵士から逃れる術はない。
「やあ、ごきげんよう。」
「……は、」
愕然とし言葉を失った兵たち。その隙を逃さず、オオサンショウウオさんを抱き上げ大きな籠を一人に押し付け、道を塞いでいた一人を蹴り倒した。
そのまま振り返ることなく駆けだす。後ろから怒声が聞こえる。
ほとんど無心になって足を動かす。掌から伝わるひやりとしたオオサンショウウオさんの身体の冷たさだけが確かに感じられた。
「っは、っは……!」
「追え!サンショウウオだ!デカいサンショウウオを持ったメイドが逃げている!捕まえろ!!」
背後の声は、もはや三つだけではない。だが目の前に広がる木々は確実に減っていた。
もうすぐ、森を抜ける。
演習場、そうオオサンショウウオさんから聞いていた。だから私はてっきり広場のようなところに出ると思っていたのだ。だが木々の間から見えたのは広場ではなかった。
「っ壁……!?」
「……すまない、どうやら森の中にいるうちに方角がずれていたようだ。」
忌々し気に呟くオオサンショウウオさん。
追っ手はもう数メートル後ろまで迫っていた。
「じゃあこれどうするんですか!?森から抜けて、右ですか!?左ですか!?あれを乗り越えるのは無理ですよ!」
「……っ右だ!そっちから回った方がおそらく出入り口に近い!」
「止まれッ!!」
背後に伸ばされた手が、背中を掠めヒュ、と息を飲む。
仮に森を抜けられたとしても、もうその出入り口にたどり着くことはできない。
ぐ、とオオサンショウウオさんを抱えなおす。
「オオサンショウウオさん!」
「……ミーシャ?」
「とりあえず、王城まで行ければ魔法を解くことのできる可能性があるんですね!?」
「たぶんな。少なくとも、害されることはまずないはずだ。」
「いざとなれば叩きつけろと言っていましたが、私にはできません。」
「……ああ、」
「オオサンショウウオさんは王城に行って、魔法を解いてください。」
壁まで、もう50メートルもない。
「なにを、」
「壁の内側に投げ込みます!ちゃんと着地してくださいね!」
「ミーシャ……!」
「頑張ってください!」
「……君のことはすぐに迎えに行く!」
壁の数メートル手前、追っ手を数センチ後ろに付けて、私はオオサンショウウオさんを大きく振りかぶった。
体長50センチメートルを超える両生類、オオサンショウウオが空を飛んだ。
それと同時に、追っ手の兵士に首を掴まれ、地面に引き倒される。
倒れ行く視界の端で。
オオサンショウウオさんが壁に激突するのを見た。
「ああああああっオオサンショウウオさんっ!!」
「……何してるんだお前は、」
「腕力が、腕力が足りなかった!!!」
憐れ空飛ぶ両生類は、木製の壁を超えることはできなかった。鈍い音をたてて壁に叩きつけられる。
背中にのしかかる兵士でさえ呆れたように声を上げた。あっという間に十数人ほどの兵士たちに取り囲まれる。
絶望に暮れているとき、ボフン!と間の抜けた音と共に煙が上がった。
「ふん、やればできるじゃないか。怪力娘。」
煙の中からオオサンショウウオさんの声。だが白い煙に浮かぶシルエットは、決してオオサンショウウオではなかった。
「ま、魔女かっ!!」
兵士たちがざ、と武器を構える。
「はっ、弱小国の無礼者どもが。」
煙が晴れた壁の前には両生類の姿はなく、気品あふれる黒髪金目の麗人が立っていた。
「お、オオサンショウウオさん……!?」
唖然とする私たちをよそに、オオサンショウウオさん(仮)は口元に指を寄せる。
ピイイイ、と甲高い指笛があたりに響き渡る。その直後、バタバタとどこからかたくさんの足音が近づいてきた。
「き、貴様!何をした!!サンショウウオはどこだ!」
「黙れ、無礼者。それとさっさとミーシャを離さないか。」
かみ合わない、いや嚙合わせる気のない一方的な会話。苛立ったように、オオサンショウウオさん(仮)は私の上に乗って拘束していた兵士を蹴り飛ばし、ぞんざいに私を抱き起した。状況が飲み込めずただただ瞠目する。
足音と共に現れる黒い制服の兵士たち。その胸にはルルヒ王国の紋章があった。
「何者だ!ここをどこの領地と、お、王!なぜここに!今までどこに居らっしゃったのですか!?」
「王!?」
突如として現れた軍事国家ルルヒ王国の王国兵士たち、そして王子という言葉に追っ手の兵士たちは顔を青くさせた。
今自分たちは最悪の事態に陥っているのだと、察する。
そんな兵士たちにオオサンショウウオさん(仮)は朗々と告げた。
「私はルルヒ王国第12代国王ザラマンダー・フェアディーンスト。愚弟が随分と引っ掻き回したとみる。迷惑をかけたな。」
ひとかけらも申し訳なさそうな色を見せず、オオサンショウウオさん改め、ザラマンダーはにやりと笑った。
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オオサンショウウオさんとの逃亡劇から一カ月が過ぎた。私はなぜかルルヒ王国の王城にいた。
「なぜ君はメイドのままでいる。」
「それは私がしがないメイドだからじゃないですかねぇ。」
もうわがまま姫付きのメイドではない。今は傲慢高慢王付きのメイドである。
あの日私が城に連れ帰ったオオサンショウウオさんは、強大な軍事国家ルルヒ王国の現王様であらせられた。
そんな王をペットにしてあまつさえ蛙を頭に乗せたとあれば極刑一択だが、彼自身は気にした風もなかった。
ことの次第はこうだ。
魔女によって両生類に変えられた王と、王弟はそのまま国境付近の森に捨てられた。そしてそれぞれわがまま姫、姫のメイドと出会い、紆余曲折を経て同じ王城に連れ帰られる。
一足先に人間に戻れた蛙の王子こと、王弟フロッシュ。以前から王である兄ザラマンダーに不満があり、これ幸いとばかりに山椒魚にされて身動きの取れない兄を殺してしまおうとした。
結局は敵国の手先であった魔女の両生類魔法と壮大な兄弟喧嘩の末の事件であったのだ。
ちなみに領地に侵入した追っ手の兵たちだが、事情も事情、どちらかとばルルヒ王国が面倒事を持ち込んだのが原因であったため、特に御咎めなしとなり、今では国交を始める準備をしているらしい。
「この私が妃にしてやると言うのに何が不満なんだ。」
「不満とかそれ以前の問題だと気が付かない、そういうところですかねぇ。」
何をトチ狂ったのかわからないが、ザラマンダーさんが求婚してくる。
喜びとか、恐れ多いとか、そういう感情は当然なく、もはや面倒だな、という感想しか抱かない。
「興味ないんで。」
「む、あれだけ派手な愛の逃避行を繰り広げておいてか。」
「愛の逃避行とか身に覚えがないんで。しいて言うなら逃避行を繰り広げたのは貴方ではなく私の可愛い可愛いオオサンショウウオさんです。」
「いい加減オオサンショウウオが私だと受け入れたらどうだミーシャ。」
呆れたようにため息を吐くふてぶてしい国王。
ため息を吐きたいのは私の方だ。私の可愛いペットを返せ。
「……そういえば、魔女の言ってた魔法を解く真実の愛(笑)は何だったんですか?まさか真実の愛(物理)じゃないでしょう?」
「ああ、壁に叩きつけて魔法が解けたのは魔女の想定外だったらしい。本来はそんな魔法じゃなかったそうだ。」
当然だろう。魔法にかけられた被害者を壁に叩きつけようなどと、誰も思いはしない。
「指定されていた解除方法は若い娘からの接吻だったそうだ。」
「それじゃ魔法が解けるわけないですね。」
「いや、君なら解いてくれたかもしれないだろう?」
「いえ、流石に両生類とキスはハードル高いです。」
可愛い。可愛いがキスができるかと言えば全く違う問題だ。オオサンショウウオのあの大きな口は普通に怖い。肉食なだけあってなかなか迫力がある。
「ほう、では人間の今なら何の問題もないな。」
「っはは、王様とはもっとハードルが高いです。」
ぐいと腰を引かれ反応もできず、王の座っていたソファに尻餅をつく。そのまま手足が絡みついて来てゾワリと鳥肌がでた。彼がオオサンショウウオのときもここまで接触したことはない。最後彼を投げるときまでは。
「あまり生意気を言っていると、カワイイペットでも噛みつくぞ。」
「……御冗談を。」
近づく顔をぐ、と両手でガードする。怪力娘と称された力は伊達ではない。
「人間に戻ってから一度も名前も呼ばない。もう少し距離を縮めようとは思わないか。」
「思いませんねぇ……!」
「素直じゃない所も悪くない、が。優しく口で言ってやってるうちに大人しく私のものになった方が身のためだぞ?」
弧を描く大きな口、笑う金の目が私の可愛いペットの面影があるところがずるいと思う。
情が割と移りやすく状況に順応しやすい私が、この山椒魚の王様に陥落される日は、案外遠くないのかもしれない。
ご閲覧ありがとうございました!
ルルヒ……両生類
フロッシュ……蛙
ザラマンダー……山椒魚