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織田喜六郎殿事御生害其壱
清洲城の守護代は織田達勝の後、織田友京でした。
領主である坂井大膳は小守護代です。
坂井甚介、河尻左馬丞、織田三位の三家老が討ち死にして、大膳一人で全てを取り仕切るのは無理なので、友京に頼ろうと考えました。
「お力をお貸しくださって、友京殿と光京殿のお二人が守護代におなりください」
大膳が懇願しました。
「大膳の考える通りにしよう」
光京は決して裏切る事はないという起請文(今で言う誓約書)七枚を書いて、大膳に送りました。
こうして、大膳の思い描く通りに事は進みました。
ですが、光京は元猿の父親である等京の弟です。この行動には裏があったのでした。
「前々世の話を細々と入れるな!」
どうしても西遊記が忘れられない地の文に左京は切れました。
天文二十四年四月十九日、守山城の城主であった光京は清洲城の南櫓に移りました。
表向きはこれだけの事なのですが、光京は左京と内通していたのでした。
悪知恵の働く元猿だと思う地の文です。




