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「空郷さんって、もしかして、世界再生機構に所属してました?」
幻想狩人になるのには、何も、特別な資格が必要な訳ではない。教育を受けてなる道が一番安全で確実だが、中には、魔物に襲われた窮地でなる者もいる。
闇ギルドのメンバーは、こちらが多い。支部までの路銀を稼ごうとギルドに出入りしているうちに、定着してしまうのだ。
その後支部に辿り着いても、規則の厳しさに辟易して脱走してしまう者もいる。もちろん、そのまま正規に所属する者が大多数だが。
「昔な。けど、士官学生のうちに辞めたよ」
「どうしてですか? 理由が分かりません。空郷さんは逃げ出すような人ではないと思います。実際、こうして魔物討伐を続けている。それも、難度の高い相手まで」
「組織とそりが合わなかったんだよ」
「そりって……何ですか、それ。子供じゃあるまいし。あり得ません」
梗の答えを、はぐらかしたものだと解釈し、アデリナはむっとして眉を吊り上げた。
「そりゃあ、理不尽を感じる時はあります。でもそれは、組織なんだから仕方ないじゃないですか。それでも、助かる人がいるんです! 闇ギルドで個人で動くより、ずっと効率的に、人々を守れます!」
「……効率的、か」
「そうです! 私の家族は、町の多くの人と一緒に、魔物に殺されました。けど、誰かが通報して、即座に幻想狩人が動いてくれたから、半数の人間は助かりました! その迅速な対応は、組織だからできることです!」
「……そうだな」
アデリナの言うことは、間違っていない、と梗も思う。
同時に、納得もした。
(こいつは、助けられた側なんだな)
『効率』のために奪われた梗とは逆に、その『効率』で助けられたのだ。だから、全体的に世界再生機構のやり方を受け入れている。
理不尽にも、耐えられる。
「だから――」
「だから、やりたい奴だけやってりゃいい。別に止めないさ。お前の言う通り、それは『正しい』ことだ。けど、俺は御免だ。正しさのために死ぬのも、仲間を殺して生き延びるのも、もう御免だ! 平気な奴だけ英雄にでも何でもなってりゃいいッ!!」
「……え?」
「っ……」
きょと、と目を瞬いたアデリナに、一瞬で梗も冷静に返った。
(っ、馬鹿か、俺は)
後悔する。ただ懸命に守ろうとしているだけの少女に、何を言った――と。
「どういう、意味ですか?」
「何でもない。忘れろ、悪かった」
「仲間を殺して――って」
「忘れろッ!」
「っ」
強い口調で怒鳴られ、びくりと身を竦め、アデリナは戸惑った瞳で梗を見上げる。
「分かってる。正しかったんだ。あれは、正しい判断だった」
「空郷、さん……?」
「世界再生機構が間違ってる訳じゃねェ。ただ……俺は、駄目だ。二度と、やりたくない」
ふ、と息を吐き出し、アデリナを安心させるように、意識して顔に微笑を作った。
「ゆっくり休め。明日には極東支部に送り届けてやるから」
「あっ。待、待って下さいっ!」
言って、部屋を出ようとした梗の服の裾を掴み、アデリナは慌てて引き止めた。
「?」
「わ、私は、一緒でも大丈夫ですっ」
「は?」
「空郷さんを、信用します。だから、一緒にちゃんとベッドで休みましょう!」
「……一緒に、って……」
梗の視線が、一つだけ置いてあるベッドに向かう。さして上等なものではない、シングルベッド。ダブルやセミダブルならまだしも、逃げ場は一切ない。
「……止めとけ」
「だっ、大丈夫です。私、寝相の良さには自信がありますっ」
「俺はないから止めとけ。あと、そんなに簡単に信用するな」
庇護欲をそそる幼げで可憐な顔立ちに、申し分のないボディライン。梗は特に巨乳好きという訳ではないが、男の手の平に余るほどのバストを前に、何も思わないかというと、そんなことはない。
「寝相、悪いんですか?」
「そうだな」
「何か、意外です」
「そうか」
ささやかな弱点を見つけた感じで、楽しげに瞳をきらきらさせるアデリナに、もう呆れて何も言えない。
自然、相槌が投げやりなものになるが、アデリナはそれにも気付いてくれなかった。
「大丈夫です。少しぐらい空郷さんが寝像悪くても、気にしませんから」
「……そうか」
馬鹿なのか天然なのか人が良いのか、それとも捻って実は誘ってるのかどれだろうと、梗は虚ろに宙を眺めながら考えた。
(……本当に寝やがった……)
慣れない移動と戦闘と移動で疲れたらしく、アデリナは梗に挨拶をして、そうそうにベッドに入ってしまった。
本人が自信たっぷりに言っていた通り、ベッドの端に横向きで大人しく眠っている。寝返りを打っても、半分を超えることもなかった。
見事だ。梗の体がシングルベッド半分で足りるかどうかの『そもそも』の部分はとにかく。
(いや、いいけどな。襲わないけどな、別に)
可能性がもう一つあった。本当に人を見る目がある、だ。
「ん……っ……」
気を遣って明かりを落とす必要もなく、まだこうこうと明るく照らされた室内で、アデリナは熟睡して、あえかな寝息を零す。
(……出て行こう)
何もする気はない。疲れて寝入った少女相手に何かするほど、鬼畜外道ではない。しかし、無駄に理性の我慢大会を強いられるのは御免だった。
「……な、さい」
「っ」
立ち上がった瞬間に、ぽつりと零れたアデリナの声に、ぎくりとする。しかし、その後に続く言葉はない。
(寝言。寝言か。そりゃそうだ)
ふぅ、となんとはなしに冷や汗をかいて、息をつく。――と。
「……ごめん、なさい」
「――……」
謝罪、だった。
苦しげに呟かれたアデリナの謝罪に、梗の表情が曇る。アデリナの年齢で、うなされるほどの罪悪感を抱え込むことが、あまりに可哀想だと思って。
(そりゃ、軍属して戦場に立ってりゃ、謝罪したい奴なんて山ほど出てくるだろ)
自分を庇って命を落とした戦友にか、それとも救えなかった命へか。
しかし、アデリナの謝罪は、梗が考えたうちのどちらでもなかった。
「ごめん、なさい。父さん、母さん」
(……家族に、か)
「――兄さん……」
それは、生き残ったことへの謝罪なのか。
(馬鹿)
そっと足音を殺して近付くと、繊細で長いまつ毛に彩られ、固く閉じられた瞼が震え、つ、とアデリナの目尻から涙が伝う。
(大切な家族が、生き残って喜ばない奴なんかいねえよ)
息絶える直前の、明音の表情を思い出す。
自分を抱き上げた梗の姿を見て、瀕死の重傷で、明音は笑ったのだ。『良かった』と、心の底から、嬉しそうに。
「……ごめん、なさ……」
泣いて謝るアデリナの気持ちは、痛いほど、よく分かった。
(残される側だって、痛いよな)
そう、と、寝汗で額に張り付いた前髪を梳き、耳元に囁いた。明音を呼ぶ時と、同じように意識して。
「アデリナ」
「……」
ぴくん、とアデリナの指先が、僅かに震える。
それから、ふにゃ、と固く引き結ばれていた唇を緩め。
「兄さん……」
幸せそうに、呟いた。
(ゆっくり休め)
戦うことを選んだアデリナだからこそ、夢の中でぐらい、幸せに、家族と共に。
静かに明かりを落とし、梗は部屋を後にした。約束とも言えない一方的なものだったが、雪と飲む酒は梗も嫌いではなかった。
(そういや、アルコールは二十歳からだったか。一応)
合法的に飲むには、あと一歳足りない。もっとも、誰も見咎めたりはしないし、国も個人の飲酒を犯罪にしている余裕などなく、形ばかりとなっている。
梗が向かったのは、二階ではなく、二つ上の五階だ。そちらは特別な客のための客室が揃う階であり、雪がいる間は、彼女一人だけのプライベートルームになる。
迷わず最奥の部屋へと向かって、扉の前で声をかける。
「雪、いいか」