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「あっ、あのっ」
うなずいた梗の隣で、アデリナはカウンターに手をつき、身を乗り出して話に割り込んだ。
「私にも、車を用意して頂くことはできないでしょうか」
「申し訳ありませんが、当方では、当ギルド内で一定の実績を上げた方のみを対象とした売買となっております」
「まして、お前は正規品だからな」
「正規品……?」
「政府管理下の、正式な幻想狩人。ガサ入れする口実を政府機関の人間には与えてやれないってことだよ。盗品がフツーに流れてるから、証拠品を掴まれたら終わりだ。摘発という名の搾取をされる」
「なっ、そ、そんなこと――っ」
顔を赤くして言いかけて、アデリナは言葉に詰まった。
しない、とは言えない。盗品の売買は、間違いなく違法だ。政府機関に身を置く者として、見逃すのは正しくない。
しかも、違法を承知で用意してもらうこともまた、罪である。同時に恩だ。
自身の罪を明らかにするまではともかく、車を用意してくれた恩を仇で返すのは――
後味が悪い、気がする。
まして、その後に待ち受けている刑罰が何かを、知っているだけにより罪悪感が増す。
「……最悪です」
肩を落として、アデリナは諦めた。
「俺が送ってやるから、大人しくしてろ」
「そっ、そこまで面倒をおかけするつもりはありません!」
ここまでは、梗とは道行が同じだっただけだ。だから同行した。この先、何の用もない梗を、極東支部にまで引っ張って行くことはできない。
「もちろん、世界再生機構に所属しに行く、というのなら歓迎ですが」
「それはない」
「どうしてですかっ」
「ここで騒ぐな。他の客にも店にも迷惑だ」
「空郷さんっ」
アデリナからは続いて抗議の声が上がるが、無視をする。
「あと、一泊頼む。二部屋で」
一階は受付、二階は事務所、三階から上は宿泊施設になっている。ギルドそのものが違法なのでやや割高だが、セキュリティと従業員には、なまじの正規営業ホテルよりも信用できる。
無法には無法なりのルールがあって、信用を失った時の報復は、無法だけに容赦がない。
何よりも――
(ここはちゃんと、金が回ってくる場所だから、な)
今の時代、魔物討伐ほど儲かる仕事はない。幻想狩人と民間の仲介所である闇ギルドの潤いっぷりが、全てを物語っている。
「二部屋ですね? では、現金前払いで――」
「一部屋しか空いてないよ」
「!」
ぺた、ぺた、と気だるげに、草履の気の抜けた音がする。間隔もバラバラの足運びで、二階へ続く階段から女性が一人、下りて来た。
「腐りかけの政府の犬を泊めてやれる部屋は、ウチにはないからね」
天然らしい、あちこちに跳ねたウェーブの髪を指に絡ませて遊びながら、女性は酷く眠たげに、そう言った。
年は二十五、六ほどだろう。身に着けているのは、男物の鳳凰柄の着流し一枚。着崩した着物の合わせから、深い胸の谷間が覗いている。下半身も上半身に負けず劣らずの乱れ方で、歩くたびに肉付きのいい太腿がちらちらと覗く。
右手にくゆらせる煙管を見て、梗は息をつく。
「今は和風がブームか」
「そう。なかなか良いだろ」
梗の感想はそこそこ気に入ったらしく、女性は唇を吊り上げ、嫣然と笑って見せた。
「アデリナ。彼女は関東闇ギルドの、そこそこ偉い人だ。名前は雪。それ以上は気にしない方がいい」
「あ……はい」
質問するべき内容を先に言われてしまって、アデリナはぎこちなくうなずいた。
「お嬢さん。政府の軍人さんが、こんな所に頼るもんじゃないよ。とっとと自分の巣にお帰り」
「巣に戻す途中だ。ここから先、正規ホテルがある町までは徒歩じゃ夜を越える。無理言うな」
にこやかに、しかしなかなかに辛辣なことを言う雪に、梗は溜め息をつきつつ、アデリナを擁護した。別に浦和に留まることが多い訳でもないのに、雪の滞在中にかち合うとは運が悪い。
「梗、あんた、世界再生機構は嫌いじゃなかったかい?」
「嫌いなのは上の方の連中だけだ。下で働いてる奴等は、懸命だよ」
「……はん。悪いけど、あたしは恩恵を当然の顔して受け取ってる奴も大嫌いでね。貸す部屋は一部屋だ。譲らないよ」
「仕方ないな。なら、一部屋でいい。頼む」
「あっ、は、はいっ。ただいま!」
上司の姿に少し緊張した手つきで、受付嬢が手続きを終え。
「三〇二号室をお使い下さい」
「分かった。行くぞ、アデリナ」
「えっ!?」
てっきり、置いて行かれるものだと思っていたアデリナは、声をかけられて驚いた。
「連れ込みは別に可だ」
「……やれやれ」
肩を竦め、雪は不快そうな顔をしたが、それよりも呆れが勝ったらしく、後ろ頭を掻きながら、上の階に戻って行った。
「梗、泊まってくなら、せっかくだし一杯、付き合いな」
「悪いが、カトリックなんだ」
「怒る人間のいる冗談言うんじゃないよ」
それでも、雪の笑いは取れたらしい。声からも少し、険が消えた。
「……」
「どうした?」
エレベータの前まで来て、しかし付いてこなかったアデリナを振り返り、再度、促す声をかける。
「ひ、ひ、一部屋、って……」
「それがどうした?」
「ど、どうしたって……」
「心配しなくても、お前に手を出すなら、来る道のどこかで押し倒して放置して来てる」
「な――ッ!!」
「俺は多分雪が泊めてくれるから、心配しないで一人で使え」
「え? は、はい……?」
一人で使え――と言われて、安堵にうなずきかけて、アデリナは首を傾げた。何かが引っかかる。
「え? あ、あの。今、雪……さんが、泊めてって、言いました?」
「ああ」
「お部屋に?」
「機嫌が悪けりゃ、廊下かもな」
(酒に誘ってきた以上、それはないだろうが)
「こ――恋人、なんですか?」
「いや。ただの――」
正直な関係を口走りかけて、アデリナの表情を見て、先の言葉を飲み込んで。
「友人だ」
「そ、そうですか。じゃあ、客室、的な?」
アデリナの怯えを、わざわざ肯定してやることはない。梗はアデリナの言葉を否定しなかった。
「そんなところだ。二階の仮眠室ぐらいは借りられるだろ」
「そ、そうですか」
ほっとした様子で、アデリナは胸をなでおろした。
多感な年ごろの少女は面倒臭い、と思う。
安心したらしく、ようやくアデリナは表情を緩め、梗の隣に並んだ。
「あの、すみません。私のせいで色々ご迷惑を」
「別にいい。悪いと思うなら、泊める金を使った分が無駄にならないよう、長生きしてくれ」
「……はい」
自身の生き方を、ついさきほど怒られたことを思い出して、複雑な表情になりつつ、アデリナはうなずく。
「ありがとう、ございます」
「ああ」
自分の身を守れ――などと、戦術以外の理由で本気で叱られたのは、ずいぶん、久し振りだった。
「空郷さんは、少し、兄に似ています」
「そうか」
「はい」
「奇遇だな。お前も少し、妹に似てる」
「……そうですか」
今妹さんは、などとアデリナは聞かなかった。
似ている、と言った梗の声に、自分と同じ響きを聞き取ったからだ。
三階に着きエレベータを降りると、そこはアデリナの知る正規ホテルと、なんら変わらない雰囲気だった。使い古された絨毯が、少し色褪せ毛足を倒していることも含めて。
物資が全体的に不足している今、古い備品でも取り替えることなく使い続けるのは、一部の権力者たち以外にとっては、常識だ。色褪せ、毛足が倒れたぐらいで絨毯を替えるようなホテルは、国々の首都に一つあるかないかだろう。
「少し、思ったんですけど」
部屋の中に入ると、やはり気持ちの上でほっとするのか、アデリナは力を抜いてから、今まで強張っていた体を意識した。
梗に視線で座っていいかと尋ね、許可を得てからソファに座る。足下の絨毯に、誰かの食べこぼしが染みになって残っていた。つい、足を揃えてずらしてしまう。