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最初に感じたのは強い風。吹き付ける冷たい風が、上って来た高さを感じさせる。魔物と融合しているおかげでさほど身体は辛くないが、空気も相当薄そうだった。
【君がここに来るか、私が向こうに行くことになるか。どちらだろうと思っていた。できれば、向かいたかったものだ。だが、ここに来る君だからこそ、私を脅かす者にまでなった、とも言えるな】
演出過剰に梗たちに背を向け、外側に円を描くように残っている富士山の頂上の残骸を見下ろしつつ、上位魔神種〇二一八――大罪・強欲は独り言のように、囁く。
【私がなぜ、ここに現れたか分かるかね】
「お前を生み出した最大の強欲が『不死』だったからだろう」
『富士山』とは、かつて『不死山』と置き換えられることもあったという、神秘の山だ。
くつくつ、と大罪・強欲は小さく笑って。
【そのまま不死を求めた者は、そう多くはない。人は孤独を嫌う。残されることを嫌う。しかし、繋がるのだ。求めた先は、すべて私に繋がるのだよ。老いぬ体! 傷つかぬ体! 病気に罹らぬ頑健な身体! すべてを超越する体! すべてを手に入れられる体! 手に入れたものの中に家族が、友人が、恋人がいれば、寂しくもない! それが私だ!】
「そんなもの、存在しない。お前もただの幻想だ」
【しかし現実なのだよ、青年! 私は不死だ。そう生まれた!】
「それでも、お前が幻想であることに変わりはない」
【では現実に現れた幻想を、君は一体どうするというのだね】
「もちろん、支配する!」
【人間として大変正しい。――やってみたまえ! 無論、私は抵抗するがね!】
大理石の床を蹴り、端に立つ大罪・強欲へ向かって駆ける。大鎌に魔法陣を乗せ、発動させる。
「付属・暴喰呪!」
【散氷弾】
大罪・強欲が放ったのは、親指の爪程の大きさの無数の氷弾。足を止めなければ防御は難しいが、梗はあえて、止めなかった。
「炎陣壁舞!」
空気を巻き込む音を立てて、三メートルほどの高さの火柱が立ち上った。出現すると同時に火柱は円状に渦を巻いて、中心にいる梗とアデリナを残し、塔の屋上全てを舐めつくして消える。氷弾も綺麗に蒸発させた。
大罪・強欲の目が、うるさそうにアデリナへと向く。
だがその視界を遮るかのように、すぐ目の前に迫ってきた梗へと、再び目を戻さざるを得なくなる。
「はぁッ!」
その顔面の半ばほどを斬り落とす太刀筋で、梗は鎌を振るう。直接受けることは忌避して、大罪・強欲は魔力障壁を生み出し、防ぐ。
「魂喰呪!」
【っ】
盾になった魔力そのものを喰い切り、刃が盾を失った狐の顔面、鼻の辺りを薙いだ。
しかし刃が通り抜けた先から、傷は何事もなく塞がっていく。不死を唄う幻想は、あながち言葉だけではないようだ。
【こいつの識格も、あらかた喰った。後の差は根源ぐれーだな】
(どうやって喰えばいい。こいつは不死だろう? いつもみたいに殺して喰う訳にはいかないぞ。死なないんなら)
【不死は幻想だと、さっきあんたも言っただろう、旦那】
(そりゃ、俺が支配した後の話だッ!)
まさか本当に不死があるなどとは梗は思っていなかった。幻想であることを思えば甘い考えだったのかもしれないが。
とりあえず効果の見えない鎌を振り抜き、一度大罪・強欲から身を離す。
直後、距離を取った梗へと向けて、大罪・強欲から追撃の魔術が放たれる。
「氷硬界刃」
魔法陣から落ちてきた一粒の氷の結晶を握り、大罪・強欲はそれを床に叩きつけた。結晶の落下地点を中心に、鋭い刃と化した氷が円状に猛スピードで広がって行く。
「くっ!」
とっさに鎌を刃を下にして床に突き刺し氷の勢いを削いでから、後ろに飛び退く。しかし梗よりも氷の方が早かった。一瞬で鎌を飲み込み氷漬けにすると、梗へとその蔦を伸ばす。
内側で弾けて鎌が消えるのと、梗の足が氷に捕まったのとは同時だった。足裏から這い上がってきた氷に瞬く間に脹脛までを覆われ、その場に縫い止められる。
鋭利な氷の刃に切り裂かれ、白い半透明だった氷が梗の血で赤く染まった。
「空郷さん!」
「馬鹿、下がれ!」
背後でアデリナが魔法陣を描く気配を感じて怒鳴りつける。アデリナは自分自身の回避よりも、梗を助けることを優先してしまった。
だが、大罪・強欲は敵を一度に片付ける爽快さよりも、リスクを減らす方を選んでいた。手の平をぐ、と強く握り締める。
「業火!」
レベルを上げ、威力を増した一点集中型の炎をアデリナが放つ。同時に、周囲を覆った氷が貼り付いた物を巻き添えに砕け散った。
「ぐぅッ!」
砕けた氷に皮膚と肉をもっていかれる。アデリナの炎が氷を多少溶かした分、まともにくらうよりは浅かったが、無視しきれるほど軽くもない。
「空郷さん!」
「問題ない、来るな!」
固まっていたらいいように狙われるだけだ。
内側にいるアカネがプロスの拘束を緩め、梗の治療を優先して開始した。すぐに血は止まったが、さすがに完全な再生までは時間がかかるし、悠長に待っているつもりは向こうにはないだろう。
鎌を作り出しつつ、痛みは堪えて足を踏み出す。再度構築された魔法陣から撃ち出された散氷弾は飛びのいて避け、舌打ちをする。
(いまさら何だが、本当に不死なら手ェ出ないぞ!)
【いいや、違うね。あいつの言葉と行動とを思い出しなよ。そしてあいつは、俺と同じだ】
(手段があるなら答えを言え、答えを! 馬鹿かお前はッ!)
大罪・強欲の伸ばした指先から蔦状に勢い良く氷が伸びる。身をかわしつつ、心の内でプロスを怒鳴りつけた。鎌で砕いた氷の欠片が頬を切り裂く。
こんな時にプロスの趣味に付き合っている暇はない。再度踏み込み、新たな魔法陣を構築していた手を、魔力喰いの呪を乗せたまま、魔法陣ごと切り裂く。
その梗の目の前を、一瞬何かの影が走り抜けた。梗の目を持ってしても影としか捕えられなかったそれは、アデリナだ。彼女が通り過ぎた後には、大罪・強欲の胸が、大きく五本の爪痕で切り裂かれていた。
からん、と小さな音を立てて、金で縁どられたサファイアの首飾りが床に落ちた。反射のしぐさで、大罪・強欲が拾おうと手を伸ばす。しかしその手が届く前に、首飾りは壊れた宝石を残して金飾りが消えた。もう装身具としての用は成さない。
【貴――ッ! 様、らッ!】
周囲に魔法陣を一瞬で展開し、強風を叩きつけ、梗とアデリナを吹き飛ばす。
逆らえずに後退させられたものの、それ以外の異常はない。何の属性付加もないことが、大罪・強欲の焦りを表していた。
「――?」
梗と同じように、アデリナも大罪・強欲の行動に怪訝そうな顔をする。
(何で拾おうとなんか。つか、宝石だけ本物?)
思わず梗は自分が手に持った鎌を握る感覚を確かめる。戦いの最中、取り落としたこともある。武器も魔物の存在と同じモノなので、体から離した瞬間に光と化して消える。しかしすぐに作り出すことはできる。
魔物の姿形、能力は多岐に渡る。体の部位すら再生させる者もいれば、できない者もいる。何をどこまで再生可能なものとするかも、生まれた時からある程度定義されているのだろう。プロスの骨は、削り取られても時間が経つと再生する。
(光りモノが好きで、生まれた時に持ってなきゃ、手に入れて身に着けてても別に不思議じゃないが……)
生まれた時に求めたものが不死であっても、欲しい物は移り変わって行くものだ。人間がそうであるように。プロスがそれを証明したので、間違いない。
そういえば、とふと思った。
大罪・強欲は、何を欲して積極的に人を殺していたのだろう、と。
(プロスが欲したのは、より広い識格だ)
考える力。己の持たない知識。プロスは出会った魔物に対し、必ず真っ先にそれを喰らう。
(あいつが一番欲してるのは)
不死、だ。
不死への望みが作った魔物。
梗に向けて初めて刃を向けた時、大罪・強欲は叫んだ。
『私を完全にする』と。
(――だから、まだ完全な不死では、ない?)
【イエス。持ってねぇからこそ、あいつは欲しくて欲しくてたまらねェ。だがいくら人間を襲っても魔物を喰らっても、不死なんざ手に入るはずがねェ。人の幻想から一番不死に近く生まれたはずのテメーが持ってないモノを持ってる魔物なんざ、そもそもいる訳ねえからな!】
少しでも完全に近付こうと、できる限りで不死に近付こうとした。しかしどれだけ近くなっても不死ではなく、満たされないから、渇望は止まらない。
【なぜ積極的に人を襲ったか! 人の知る不死が欲しかったからだ。人の幻想の中の不死が欲しかったからだ! なぜならそれは幻想であって、俺たちにとっちゃ現実だ! 旦那、あいつがどうやって不死に近付こうとしたか、分かるだろう!】
梗の目が、砕けた宝石の上をなぞる。
それは大罪・強欲にとって、失うことを嫌がる重要な物だった。プロスに自分自身を喰われた時と同じ怖れと怒り。
自分を失う恐怖だ。
「自分の魂を、他の何かに残しておく、か?」
「!」
梗の呟きを耳にして、はっとしてアデリナは目を瞠る。初邂逅のとき――アデリナは動けずにいたが、梗と大罪・強欲の戦いはずっと見ていた。
「そうです。確かにあいつは自分の体よりも、装身具を庇いました!」
首を傾け、首飾りを庇い、梗の鎌に肉を斬らせた。
【魂の匂いがしないっていうのは、そういうことだったのね。バラバラで、しかも物に覆われてるから匂いが薄かったんだわ】
「それなら――」
トンッ、とアデリナの足が床を蹴る。風を切った残像だけ残して、大罪・強欲の背後に立つ。遅れてぱきんっ、と小さな音がして、イヤーカフスにヒビが入った。
「壊せばいいんですね!」
【私が壊れる前に、壊してくれよう、娘!】
ウォンッ!
天へと手を伸ばし、大罪・強欲は魔法陣を構築する。巨大だ。
「!」
描かれた魔法陣にアデリナの目が逃げ場を捜し、身構えた。しかしそれが適わないことは、先日に思い知っている。
どこにいても当たる類の、逃れられない代物を使ってくるだろうと予想はできる。だがアデリナには逃れる術がない。見て対応することを許してもらえるレベルでもない。
「アデリナ、構うな!」
「っ、はい!」
しかし今日は、一人ではないのだ。アデリナは迷わなかった。防御を捨てて魔法陣の構築に掛かり、無防備になった大罪・強欲へと疾駆する。
大罪・強欲が魔法陣を描ききるまで何秒となかった。しかしアデリナにはそれでも十分な時間だ。左右の上腕に着けられたアメジストの腕輪を破壊する。そこで、魔法陣が完成した。
【物理灰塵!】
「物理鏡壁!」
大罪・強欲の生み出した魔法陣のほとんど同位置、僅かに下に展開させた魔法陣で、術の出だしで防御する。降り注ぐはずだったあらゆるものを風化させる風は空へと弾き上げられ、雲を散らしただけに終わった。
【っ】
「悪いな、それ、俺も使える」
効果も防ぎ方も、魔法陣を見ればそれで分かる。自分にあまりにも近くなりすぎているプロスの識格に、大罪・強欲の目に、明確な恐怖が過った。




