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3-3

【俺もだよ。あんたの心に大分影響受けて俺ァこうなっちまったが、今の俺を、俺ァ結構気に入ってる】

「そうか。――今、お前はあいつを喰えそうか?」

【残念だが、大罪が格上なのは一生変わらねえ。あいつを喰らって俺が大罪にならねえ限りな。そう生まれちまったんだ、どれだけ魔物を喰っても、それは変わらねえ。あいつの持ってる識格は、特別なんだ。強欲の根本と言っていい。だから正直、難しい。だが、不可能じゃあねェ。存在を得た以上、俺たちは『個』だ。存在してる。だから、必ず倒せる。理屈の上ではな】


 難易度は別にして。


「まったく……。いちいち億劫になる言い方するよな。まあ、やる気は出た」


 今、梗の方から大罪の魔神種を捜して挑みに行くのは、無謀だ。しかし手段を捜し準備を整えてからなら、リスクを冒してでもやる価値のあることだった。


(そのためには、世界再生機構に所属するのが、やっぱり一番いい)


 梗と同じように世界再生機構から外れて、闇ギルドで仕事をする幻想狩人も何人か知ってはいるが、万全を期すのであれば、国家機関のバックアップはやはり大きい。


(俺が本当にしたいのは、駄々をこねることじゃない)


 息をついて――決めた。


(もう一度、やり直そう)


 登録もしたことだし、貴彦の言う通り、丁度いいだろう。

 深く息を吐いて、目を閉じる。今はまだ体を休めることが先だ。それから、行動を始める。


 そう梗が整理を付けるのを待っていたかのように、緊急事態を告げる警報が鳴り響いた。


『緊急警報。富士山跡地にある災厄の塔に、魔物が大量に集結し、東京方面に向かって進軍しているのが確認されました。大侵攻への警戒を行ってください。将官以上の将校は、至急、第一会議室へ集合して下さい。繰り返します――』

「――っ」


 淡々と、しかし微かに震える声で発されたアナウンスに、梗は横たえたばかりの体を跳ね起こした。


【おや】

「大侵攻……来る、のか」

【俺が思うにね、旦那。こいつァ俺たちを狙ったもんだ】

「俺たちをって」


 大侵攻が個人を狙って起きるなど、聞いたこともない。いや、そもそも大侵攻自体、何をきっかけにして起きるかなど、まだ解明されていないのだが。


【大罪の仕業だろうよ。あいつは俺たちを怖がってる。俺も同属だから分かるが、奪われるってなァ何より恐ろしい。俺たちはちょいと数に頼ってあいつを追い払ったろう? 今度はやり返してきたってことさァね】

「それは、つまり」

【お?】


 梗の声にあったのは、怖れでも怒りでもなく、希望だった。


「そいつが指揮執ってるなら、前の時と同じく、倒せば大侵攻自体が瓦解するだろう、ってことでいいんだよな?」

【保証はしないが、可能性は高ェ】

「よし、行くぞ」

【って、どこにだい】

「富士山だ」


 大侵攻が確定して、戦列に組み込まれるのを待つつもりはない。防戦に参加して疲労が溜まった後では、絶対に大罪には勝てない。犠牲をできる限り少なくするために、今すぐ動く必要があった。

 客室を出てロビーに行くと、そこには、極東支部に滞在中の幻想狩人たちが、不安そうな面持ちで大勢集まって来ていた。


「空郷さん!」

「アデリナ」


 目ざとく梗を見つけ駆け寄って来たアデリナに小さく応える。アデリナの呼んだ梗の名前に、近くの何人かが振り向いた。


「大侵攻……。やっぱり、来るんでしょうか」

「多分な」

「そうですよね……」


 魔物が集合して行ったことは、過去をどれだけ詳細に遡っても、大侵攻以外存在しない。一瞬、表情を硬くしたアデリナだったが、すぐにうなずいて。


「でも、きっと大丈夫です。皆で頑張れば、きっと!」

「あぁ。多分な」

(大丈夫にしてみせる。必ず)


 アデリナの頭を撫で、梗はホールを横切り、外へと向かう。


「って、どこに行くんですか!?」

「外の空気を吸ってくるだけだ」

「……。嘘っぽいです。何か、隠してるでしょう!」

「……あのな」


 おそろしきは女の勘か。事実、隠しているだけに答えに困る。


「梗!」

「貴彦?」


 奥から貴彦が姿を見せると、自然、人が割れて梗までの道を作った。アデリナの追求から、丁度いい逃げ場ができてほっとして、梗はそちらを振り向く。

 しかし貴彦が浮かべていた表情は、アデリナ以上に冴えなかった。


「どうした?」

「上が、お前呼べって」

「……」

死神の行軍(デス・リパレード)帰還の話はもう皆知ってる。悪いが付き合え。今お前が参戦しないってなったら、士気がガタ落ちになる」

「……分かった」


 今の梗は登録したばかりの新兵でしかない。だから黙って抜け出してしまおうと思っていた。

 しかしここに残ると決めた以上、過去の英雄としての自分が必要だと言われれば、梗には逆らえない。


「大人しいな。何かあったか?」


 背中に大勢の目を受けつつ、会議室へと向かう途中で、そう聞かれた。


「色々考えて、やり直すことに決めた。納得はしてねェけど。してないから、二度とそんな判断下されずに済むようにしようと思う」

「そーか」


 応じた貴彦の声は、温かかった。


「お帰り」

「ああ」

「――さて。お前の決意を聞いてほっとした俺だが、上級将校の皆様方が何を考えているかは分からん。悲しきかな、下級士官の俺には庇ってやれん。武運を祈る」

「心配するな」


 貴彦に苦笑して見せて、会議室の扉を叩く。


「空郷です」

「入りたまえ」


 声は、即座に応じた。


「失礼します」


 貴彦を外に残し、梗一人で中へと入る。


 居並ぶ上級将校たちの顔触れは、ほとんど変わっていなかった。それでも、一人か二人は見覚えのない顔があって、月日を感じさせる。


「久し振りだな、空郷君」


 声をかけて来たのは、変わらずその席に座ったままの支部長だった。


「はい」


 部屋の空気は緊張で張り詰めている。いっそ四面楚歌と言っていい梗よりも、将校たちの方が緊張しているようだった。


「先日の魔神種撃退、見事だった」

「ありがとうございます」

「英雄の帰還としては、申し分ないデモンストレーションだ。同時に多くの者が君の帰還を知った。君の存在に、今、この危機を前に希望を見出している者も多い。理解してくれるな」

「はい」

「そうか」


 静かにうなずいた梗に、会議室内の空気がほっと緩んだ。


「君の四年前の行いと、その後の素行について、すべて不問とする。軍籍こそなかったが、君にはすでに尉官の位が与えられている。さきほど君の極東支部所属を承認した。小隊長として、部隊を率いて戦ってくれたまえ」

「本来ならば、君はすでに佐官であったのだぞ」

「しかし、四年の間に成長してくれていて何よりだ。この大侵攻を防いだ暁には、予定通り佐官として、そしてゆくゆくは将として、我が極東支部を支えてくれたまえ」

「尉官の地位は、ありがたく頂きます。大侵攻を防ぐために、尽力するつもりでもあります。ですが、隊を率いることはできません。俺に、富士山に向かう許可をいただきたい」

「何だと!?」

「大侵攻には必ず中核を成す魔物がいます。そいつは今回、富士山跡地にある災厄の塔にいる、リストナンバー〇二一八の魔神種です。そいつを倒せば、大侵攻は崩壊する」


 指揮を執る魔物がいることは、日本とドイツ、生き残った二回の大侵攻を経て、有力だという見方がされている。だが上級将校たちはすぐにはうなずかなかった。


「しかし、空郷君。それならば別の部隊を送ってはどうだ。君はこの東京を守る要として、防衛にあたるべきではないのかね」


 中将の略綬を付けた壮年の男が、言葉を選びつつ、そう言った。


「この大侵攻を指揮しているのは、〇二一八だと先程申し上げました。倒せる人員に心当たりがありますか。使いづらい俺に頼って残れとまで言っている、この極東支部の中に」

「何を……っ」

「無礼だぞ!」


 言葉を選ばずそのまま告げた梗に、将官たちはいきり立つ。


「ただの事実です。俺は、貴方がたを守るためだけに、ここにいる訳じゃない! 貴方たちの後ろに続く、今生きてる人間を守るために、再び、ここで戦うことを選びました! 俺の力はあいつに届く。あいつを倒さなければ、大侵攻は崩せない。

 俺がいた時とは幻想狩人の質が違うと言われればそうだろうと思います。けれど、大侵攻を乗り切ったとして、疲弊しきっているはずだ。その直後〇二一八の襲撃を受けて、耐えきれますか! 俺は無理です。万全の状態で挑んだって、難しい相手だ!」


 実際は、可能性を数字だけで表せば、負ける公算の方が高い。しかし、梗はあえてその事実を言わなかった。

 今、極東支部で最も力を持つ人間の希望として、梗にその台詞を言うことは許されない。


「しかし――」

「俺がここに来たのは、貴方たちから『許可を得た』事実が欲しいからです。俺がいることに期待する声があって、それが士気に繋がっているのなら黙って抜け出せない。耐えれば希望があることを、貴方たちの口から認めさせるためだ!」


 始めから、自分の意思を通す以外のつもりは、梗にはなかった。


「全員黙って首を縦に振れ。時間がない。動かない首は刎ね飛ばす!」


 暴力の行使の宣言に、将官のうちの何人かが立ち上がる。彼等も幻想狩人だ。しかし、プロスが本来の姿で現れると、将官たちの魔物のうち数体が委縮して、プロスと戦うのを嫌がった。

 人間がカテゴリー分けして付けた種族はバラバラであるが――


「……プロス」

【そう、旦那。あいつ等は俺と同属。テメーより強い俺と戦り合うのは嫌がるのさ。まして、俺は大罪をちっと喰ったからな】


 そっと梗にだけ聞こえるよう、プロスは耳打ちをする。


「皆、下がりたまえ」

「し、支部長……」


 片手を上げ、立ち上がった将校たちを静かに支部長は下がらせた。

 どちらかと言えば、恥を掻かずに済んでほっとしたのは将校たちの方で、渋々といった様相を取り繕いながら、椅子に座り直す。

 梗もあえて相手の面子を潰そうとは思っていない。


「本当に大侵攻は止まるのか?」

「最悪でも、数は減ります」


 プロスが大罪になりさえすれば、強欲属性の魔物は退けられる。


「分かった。行きたまえ。武運を祈る」

「ありがとうございます。そして、東京をお願いします」

「言われるまでもない。我々はそのための組織なのだ。常に」

「はい」


 梗は否定しなかった。支部長の目を見てはっきりとうなずく。それに少し支部長は目を瞠ってから。


「空郷君。我々は軍人だ。しかしどうやら、君は英雄でしかないようだ」

「そうなるつもりでいます。今度こそ」


 組織の中の軍人たりえないと言外に言われたことを、梗は認めた。それでも構わない、と思ったからだ。

 人々の希望を、背負えるように。

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