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秘密  作者: 遠野そら
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秘密〈後編〉

この日、叔母の花屋は誕生祭の前日ということもあり、大忙しだった。


もっとも、通常の三倍以上多く仕入れた花々はそれでも午前中には完売してしまった。


品物がなくなったので、午後には店を早々に閉め、私は二階の部屋でぼんやりと時を過ごしている。


イリグはあれから三度、花屋や私の部屋に来て、罵詈雑言を捲し立てたが、私が首を縦に振らないのをみて、やがて結婚式は挙げなくてもいいから、別れるのだけは止めてくれと悲嘆にくれた様子で言い募った。


それにも私は同意しなかった。


叔母も結婚式には出席するはずだったろうに、私が一言だけ、イリグとは別れたことを伝えると、何も言わず、そればかりか、店にイリグが現れると、私を庇ってくれさえした。


窓の外からは、明日の祭りに備えて通りのそこここに花が飾られ、家々の軒下にも色とりどりの花が揺れていた。


子どもや女たちは頭に花冠をのせて、女神を言祝いでいる。


なんだか、こうして部屋でひっそりとしている私とは別世界のことのように感じた。


そういえば、神官長に縫い上がった花嫁衣装を見せる約束をしていたと聞いたが、部屋にはそれらしいものが見当たらないのが不思議だった。


別の場所で作っていたのだろうか、それとも作ること自体を誰かにお願いしていたのだろうか。


もう一度、棚や引き出しの中を確かめるが、やはり見つけられない。


ふと、寝台の下を除くと、小さな袋があった。


見覚えがなく、首を傾げながら、中を確認すると、服や下着といった衣類や紙に包んだ硬く焼いたパンとチーズ、そして、私が持っている全財産ではないかと思われるようなお金が入っていた。



覚えのないその荷物に茫然としながらも、はたと思い当った。


どこにもない花嫁衣装に、この明らかなる旅支度。


私はそもそもイリグと結婚するつもりなどなかったのではないか。


そうして、今夜、どこか遠くへ行くつもりだったのではないか―。


そうだとしたら、羊狩りに遭う前の私の方がよほど悪女だ。


イリグも気の毒に。


自嘲気味に笑い、窓の外に目を向けると、遠く、神殿が薄闇の中で白く浮き上がって見えた。


神官長は言っていなかったか。


今日、私は、花嫁衣装を見せに行くと―。







日がすっかり暮れた、神殿の参道には温かな明かりが道々に灯っていて、ほの白い神殿は所々闇から浮かび上がったように明るかった。


明かりと一緒に至る所に花々が飾られている。


神殿内に入ると一層、むせ返るような花の芳香が漂っていた。


誕生祭の前日とあって、日が暮れた後だというのに、まだ多くの人が参拝に訪れている。



私は女神像が祀られている本殿には向かわず、神殿内をうろうろしていた。


手にしたいくつかの萎れた花が所在なく揺れる。



ふと前を通った神官服を着た青年に神官長の居場所を尋ねると、忙しいにも関わらず、丁寧に教えてくれた。


三階にある彼の自室に一度戻ったという。


私はお礼を言って、回廊の突き当りにある階段へ向かった。


つるりと白く冷たい手すりにつかまりながら、一段が随分低い階段を上っていく。


この辺りでも芳しい花の香りがする。



三階に辿り着き、薄暗い廊下を進む。


奥の右側に重厚感のある木の扉があった。


きっとここが、神官長の部屋だろう。


少しだけ躊躇して、控えめにノックする。


…返事はない。


もう少しだけ強めに扉を叩いたが、これにも反応がなかった。


思い切って、真鍮のドアノブを回すと、難なく開いた。


薄暗い室内を伺うようにして、思い切って私は部屋に入った。



一歩足を踏み入れると、花とはまた違った美しい香りを感じた。


…白檀だ。


彼の部屋で間違いないことを知る。



名前を呼ぼうとして、幼馴染みである彼の名前を知らないことに気が付いた。


神官長と呼びかけるのはあまりにも間が抜けている。


明かりのない室内は暗かった。


彼はいないのだろう。


窓から月の光が僅かに漏れている。


窓の横には執務用だろうか、大きな机とどっしりとした椅子。


机には何冊もの本が積み上がっている。


机の向かいには簡素なテーブルと椅子が二脚。


実に殺風景な、生活感のない部屋だった。


いけないと思いつつ、窓際まで足を進めるのを止められなかった。


窓の外からは街並みが夜の帳に沈んでいるのが見える。


ふと、机の上に目をやると、本の影にガラスの瓶が置いてある。


ご丁寧にコルクで栓までしているその中には、琥珀色の丸い飴玉のようなものが、一つ入っていた。



「今日は、中庭で待ち合わせしていたんじゃなかった?」


森閑とした闇の中で、突然声が響いた。


驚いて、持っていた花を取り落とした。


振り返るとそこには、この部屋の主がいた。


手にしたランプの光が、彼の銀色の髪の毛に反射して、彼自体が淡く発光しているかのように見える。


私は悪いことをしようとして見つかった子どものように、項垂れた。


「ごめんなさい」


彼は気にした風でもなく、微笑んだ。


「…秘密は見つかった?」


私は無言で首を横に振った。


「花嫁衣装を見せに来てくれたの?」


「…見つからないの」


自分の声が部屋の暗闇に吸い込まれていくようだった。


床に散らばった花をそっと拾う。



イリグを愛してなんかなく、結婚式も挙げるつもりもなく、


どこか遠くへ逃げるつもりだった。



これが私の秘密だったんだろうか。


神官長なら知っている気がしたが、何故か聞くのが躊躇われた。


一つ息をつくと、手にした花に目をやる。


握りしめていたせいで、すっかり萎れてしまっていた。


神官長が静かに歩み寄ってきて、机の上にランプを置くと、私の手から花を取った。


白く長い指で、丁寧に花冠を編むと、私の頭にのせた。


「初めは、イリグの言う通りだったよ」


唐突に話し始めた、彼に私はきょとんとした。


「僕の意志なんて関係なく、こんなところに閉じ込められて。一生を女神に捧げなければいけない」


彼は私に笑いかけたが、それはいつもの美しい笑みではなかった。


「トナミには言ったけど、僕、建築士になりたかったんだ。いつか、色々な場所のたくさんの建物を見に行きたかった」


それに、と言うと彼はトナミの髪の毛を一掬いとった。


「結婚だってできない。勿論、こうして人と触れ合うことも許されない」


彼の澄んだ空色の瞳は、部屋の暗がりの中では寒く荒れた海のような灰色に見えた。


私は僅かに彼から後ずさる。


「だから、僕から自由を奪った街の人たちにちょっとした復讐をするつもりだったんだ」


イリグの言葉を思い出した。


俺だったら、自分を選んだ街の人を恨むよ―。


彼は正しかったのだ。


「最初の羊は、僕に悩みを相談してくれた鍛冶屋の女将さんだった。旦那さんが過去、人を殺めてしまったことを偶然知ってしまって、夜も眠れないと青い顔で言うから、僕がその秘密を盗ったんだ」


狩猟者は、目の前にいる男。


ああ、それにエルマは何と言っていたっけ。


盗られた秘密はまるで、蜂蜜をかためたような琥珀色の―。


「もてあますような秘密、知らなきゃ良かったようなことってあるだろう?そういうのを盗っていくんだ。当の本人たちも今頃はぐっすり眠れているだろう。街の人たちの秘密を握っている。そのことに優越を感じて、僕は愉快だった。それから三、四人の羊を狩って、瞬く間に街に噂が蔓延すると、すぐに飽きてしまったけど」


でもね、と呟いて、男は私の頬に触れた。


「それだけじゃなかった。

なんで、こんなにここが厭わしいのか。僕を女神の贄にした街の人が憎らしいのか。

君が手に入らないからだ。そんな君は、僕の気も知らず、結婚すると言う。

まだ、記憶は戻らないんだろう?

教えてあげよう。

君は、僕の知らない男と結婚すると言った後に、僕にこう言ったんだよ。

秘密を抱えたまま生きるのが辛いと」


男は私の頬に手を触れたまま、右手で机の上にあった瓶を取り上げた。


その瓶の中の蜂蜜色の飴玉のようなものは―。


「君の秘密を知りたかった」


窓際に追い詰められた私はごく至近距離の、彼を見上げるしかなかった。


嫌な汗が背中を伝わり、頭が真っ白になった私は、触れられた彼の指先から私の波打つ心臓の音が聞こえやしないだろうかなどということを、場違いに思っていた。


彼は、瓶のコルクを抜くと、中の球体を取り出した。


「…やめて」


咄嗟に口をついた私の言葉は、酷く掠れていて、弱々しかった。


彼は困ったように私を見たが、私の言葉に少しも躊躇することなく、まるで飴玉のように琥珀色の塊を彼の口の中に放り込んだ。


彼の口元から、からんと秘密が転がる音がする。


彼はうっとりと瞳を瞑り、私を抱き寄せた。


彼からはやはり花よりも芳しい白檀の匂いがした。


そうして、暫くすると、恍惚としたような彼の吐息が私の耳を擽る。


耳打ちするように、私が隠していた秘密を暴いた。


彼は私に美しく微笑んだ。


「さあ、君に返そう。君の秘密を…」


彼の月のように白い顔が迫ってきたかと思うと、次の瞬間、濡れた感触を唇に感じ、そして口内に丸い固形物が侵入してきた。


舌先で転がすとからんと音がして、


やがて私は意識を失った。


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