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魅魍魎島シリーズ

正月ノ日

作者: 文房 群



 ――問題です。



 Q.そこはどこですか?

 A.この世のどこかに存在する、幻の島。


 Q.そこには何がありますか?

 A.豊かな自然と、山の麓に唯一存在する人里。


 Q.そこには何人住んでいますか?

 A.百には満たない数十人。


 Q.そこにはどんな人が住んでいますか?

 A.友好的で心優しい、中二病な方々。



 Q.その島の名前は何といいますか?




       ×




 足元を這う肌寒さに、目が覚めた。


 もぞもぞとベッドの中で身動ぎ、僅かに体表に残る温もりへ身を委ね、再び眠りにつこうとしたが――既に外気の冷たさは全身に行き渡り、いくら体を丸めても暖かくなる様子が無い。

 仕方ない。二度寝するのは諦めよう。

 一つ一つの動作を確認するように手足を伸ばし、横たわったまま背伸びをする。

 骨盤に近い背骨がパキパキと軽やかに鳴った。背筋がしゅっ、と引き締まる感覚が気持ちいい。


 ベットの淵からそろそろと片足を出し、恐る恐る床につける。

 足の裏を襲った床の冷たさに『うへぇ』と変な声が出た。

 外界に出ようとしていた気持ちが一気に萎える。引きこもりたい。ベットから出たくない、一生。

 だが勇気を振り絞り、もう片方の足を床に下ろすと、最初に襲いかかってきた氷のようなあの冷たさは、感じなくなっていた。

 ……よし。これならいけそうだ。


 意を決し、ベットから立つ。

 ぞわぞわと外気が毛布という防御壁を失った体から体温をかすめ取っていくが、数秒もすれば気にならなくなった。


 部屋の真ん中で深呼吸をしながら、両手を上に、ぐっと背中を伸ばす。

 肺の中に入り込んだ空気が体の内側を冷やし、寝ぼけ頭に刺激を与える。

 ――はい、頭の中、すっきり覚醒。



「おはようございます」



 寒い寒い冬の日。

 一人暮らしの部屋に呟いた俺は、まず口をゆすぎに洗面所へ向かった。

 朝起きたら口の中が気持ち悪い、というタイプの人間である俺は幼少からの習慣で、起きたら最初にうがいをする。


 これをしないと一日が始まった気にならないのだ。

 というか口の中が生臭くて、気持ち悪い。


 コップに汲んだ水を口の中へ投入。

 ぐちゅぐちゅと口をゆすいで、べぇーっと洗面台にぶちまける。吐いた水の色が、赤い。

 歯茎からまた血が出たのだろう。幼い頃から変わらず、俺の体は脆いようだ。

 また水を口に含み、今度はガラガラとうがいをする。

 いつものことながら若干鉄の味がする口内に、気分が悪くなりながら俺は天井を仰ぎ見て――



 逆さまに天井に突き刺さっている人物と、目が合った。



「ぶげぼっ!?」



 水鉄砲並みに勢い良く水を吐き出した。

 これっぽっちも予想していなかった異常事態に、げほげほ咽せながら再度天井を仰ぐ。

 涙目でこちらを見下してくるその人物は、俺が在住するこの島に唯一存在する村の、村長さんだった。



「何してるんですか村長!? そんな所に突き刺さって……!」


「いやー五郎ちゃんスゴいイイコだな。こうなったのには色んな事情があるんだけどよ……とりあえず、おろしてくんね?」



 頭に血が上って、今にも爆発しそうなんだよ。


 半泣きな成人男性に言われて我に返った俺は、慌てて脚立を押し入れから引っ張り出してきて、村長を天井から引き抜く。


 天井から逆さまに生えていた村長はなぜか、ズボンを履いていなかった。 俺はタンスから使っていないズボンを引っ張り出して、村長に渡すことにした。



「……いつからあそこにいたんですか?」



 『煩悩』とプリントされた個性的なティーシャツに『殲滅』と書かれた独創的なボクサーパンツを装備している村長は、ズボンを履きながら答える。



「二時ぐらいからか?」


「二時って……七時間も前から天井に突き刺さってたんですか!?」



 よく死にませんでしたね、と俺がギョッとして村長を見ると、涼しい顔で村長は一言。



「そりゃあ、オレだからな」



 ……意味が分かりませんよ村長。


 よっこいしょ、とじじ臭いかけ声と共に立ち上がる村長。

 足元がしっかりしているところからして、長時間逆さになっていたダメージはないらしい。

 普通、脳出血か何かでで死んでいると思うのだが……新幹線に轢かれてピンピンしているような人物だ。

 体が鉄で出来ているのかもしれない。


 村長の体の丈夫さは、村人みんなのお墨付きだ。今さら気にかけることはない。

 それより問題は……どうして天井に突き刺さっていたのか、だ。


 どうして天井に突き刺さっていたんですか、と『足元がスースーする』らしい村長に問いかける。

 脚の長い村長はすると、苦汁を舐めているような顔で言葉を濁す。



「あー……それが、なぁ……昨日の夜、大晦日だっただろ?」


「ああ、はい」



 俺は眠かったので、自宅でぐっすり眠っていましたが。



「だから伯爵のところで忘年会やったんだよ」


「ああ……俺は眠いからと断ったヤツですね」


「おう。そうしたら……酔っ払ったサラが『こういうイベントは全員参加が必須です!』とか言って、不参加だった山中を喚び出してよ……」


「……なんとなく、分かりました」



 ――つまりこういうことだろう。


 忘年会に参加した誰かが、まだ十歳の子どもであるサラちゃんに酒を飲まし、酔っ払ったサラちゃんは俺と同じく不参加だった山中さんを連れてきた。

 よく山奥に住んでいる山中さんを連れて来れたものだ。感心する。

 ――まあ、きっとサラちゃんの保護者である伯爵が、面白がって手を貸したんだろうと思うが。


 そして傍若無人で有名な山中さんが忘年会に現れた、ということは……。



「酒飲んで上機嫌になった山中が、年始めのカウントダウンに使って余ってた花火に目を付けて……大量のロケット花火をオレにくくりつけて、大砲で打ち上げられた」


「…………村長」


「なんとか空中で体に巻きついた花火から抜け出せたはいいが……ズボンを犠牲にした上、爆発に巻き込まれてよ」


「……それで、俺の家の天井に突き刺さっていたと」



 ――大砲に打ち上げられながら、体に括り付けられた大量花火から脱出し、爆発に巻き込まれながら墜落。

 なんと常識はずれな、村長天井突き刺さり事件の顛末だ。


 三十キロ以上離れた伯爵の城から俺の家まで、身一つで空を旅し、無傷だった村長に『流石村長! 体が丈夫ですね』と手を叩いたらいいのか。

 それとも、『そもそもサラちゃんにお酒を飲ませちゃダメでしょう。年齢的に』と叱った方がいいのか。

 天井に穴の開いた家の家主である俺は対応に困り、沈黙するしかなかった。



「ま、天井については後でオレが直しに行くから、気にすんな!」



 俺の困った顔を見た村長は『にしても夜空すげーキレーだった!』と豪快な笑顔を浮かべると、俺の肩を引き寄せる。



「それより五郎、今からオレのトコ来い!」


「はあ……って、今からですか?」


「今からだ!」



 突然村長は全く脈絡のない誘いを持ちかけてきた。

 俺まだ朝食とか食べてないんですけと……、とせめて着替えぐらいはさせてほしい俺はおずおずと主張したが、村長は聞く耳を持たず。



「……予定より一時間早く来ちまったんだ。この際一緒に迎えにいくぞ」


「迎え……? 何のことで……」



 どこか遠くを見つめ、しまったと言うように一瞬顔を歪めた村長は、戸惑う俺ににたり、と笑うや否や。

 ひょいっ、と。

 十センチぐらいしか変わりない身長の俺を軽々と脇に抱えて、一人暮らしの家を飛び出した。


 ――え? ちょっ、ま……。



「急がば回れってヤツだ! 飛ばすぞ!」


「えええ!? うわ、ちょっ、ええええええ」



 もがこうにも、腹に回された腕を解こうにも、村長の鉄骨のように硬い腕はびくともしない。

 そもそも走る振動で体が上下に揺さぶられ、同時に内臓も圧迫されて――



「――う、ぷ」



 そ、村長おおおおおおおおおお!

 何か……何か出るうううううううう……!




       ×




 裸足で村を駆けてく村長は、パジャマの俺を抱えてまず港へ向かった。

 なぜ港? と小脇に抱えられたまま脇腹に食い込む腕に内臓を圧迫される苦しさを、嘔吐感と共に味わっていると。



「あ、芙蓉(フヨウ)



 波止場に、見覚えのある姿を発見した。

 確か彼は、どう見ても年下の弟にしか見えない村長の――



「明けましておめ」


「よぉし確保おおおッ!」


「お孫さあああああああああんッ!?」



 手に紙袋を始めとした荷物をどっさり携えたお孫さんが、暴走トラックのごとく突進した村長のラリアットを腹に食らわされた。

 げふっ、なんていう血を吐くような息をお孫さんが零したのは、俺の気のせいなんかじゃない。



「よし、行くか!」



 そして脱力したお孫さんを肩に担ぎ、宣言した村長は再び走り出す。


 荷物はその手に握ったまま、ぴくりとも動かないお孫さん。

 まるでしかばねのようだ。


 身じろぎ一つしないそんなお孫さんのために、これから村長は病院に行くのだと、俺は信じたい。

 ……お孫さん、死んでないよな?



 俺の不安を余所に、暴走機関車村長号は驀進する。




       ×




「到着!」



 などと吼えた村長によって乱暴に俺が落とされたのは、だだっ広い村長の家の庭だった。

 着地に失敗した俺は顎と腹を打ち『「うおんっ!?』と悲鳴を上げる。



 ……俺と同じ様に放り投げられたお孫さんは背中から着地し『あだっ』と唸った。

 後頭部を押さえて悶えているところからして、どうやらラリアットを食らった腹部は無事らしい。



「何で僕はラリアットを食らわされたんだよ……あ、五郎さん。明けましておめでとうございます」


「……おめでとう」



 間もなくして、体を起こし俺に会釈したお孫さんに、俺は今年初めて祝いの言葉を口にした。

 なんだろう。とてもありふれた普通の挨拶をしただけなのに、心が癒された気がする。

 彼がこの島の村人にはない、一般的常識というものを持っているからだろうか。

 何にせよ、常識はずれなことを仕出かす村人よりも、俺の中でお孫さんが好印象なことに変わりない。



「……お酒とか大丈夫かな?」



 村長と似ても似つかないお孫さんは、大型トラックをぶっ飛ばした事もある村長のラリアットを受けておきながらあっさりと立ち上がり、持ってきた荷物が無事かどうかを隣で確認し始めた。

 ……外見的に似ているところがないお孫さんだが、肉体がタフなところはちゃんと村長に似ているようだ。



(……というか俺、パジャマだったな)



 本当にすぐ、村長に浚われてきたからな。

 地面に足をつけた俺は足の裏に砂利の鋭さを感じながら、腰や腹の辺りに付着した砂を払う。

 ……洗濯しなければいけないほど、服は汚れていなかった。良かった。でも家に帰ったら洗おう。持っている唯一のパジャマなのだから。

 ああ、でも足の裏は洗わなければいけないだろうな。


 荷物を漁っていたお孫さんが『良かった……全部無事だった……』と胸を撫で下ろしたところで、立ち往生する俺はひとまず村長の帰りを待つ者同士、この場にほったらかしにされた彼と、会話をする事にする。

 当たり障りない、ありふれたことを。



「お孫さんって確か、遠いところに住んでいるのに、わざわざこの島まで来てるんですよね?」


「そうだね。毎年お正月と父の日と敬老感謝と誕生日にはここに来てるよ」


「結構来てるんですね……いっそのこと、この島に引っ越してくれば良いのに」


「寂しがり屋な友達と婚約者をおいては来れないよ」


「そうですか、残念だなぁ……婚約者?」



 ――婚約者なんていたんですか。


 意外な言葉を聞いた。

 言っては悪いが、彼はあまり女性とは縁のなさそうな雰囲気であるのに。

 驚き混じりに問い質せば、お孫さんはなんとでめないように、さらりと軽く答える。



「あれ。芙蓉あたりが言い触らしてると思ってたけど、知らなかった?」



 芙蓉、とは村長の本名である。

 この島の住民は誰もが彼のことを『村長』と呼ぶため、お孫さん以外に名前で呼ぶ者はいない。

 なので一瞬誰のことかと沈黙した俺だが、直ぐに村長のことだと思い出し、回答する。



「はい、全然……」


「そっか、知らないのか」



 あの人、お孫さんの話になると『昔からちまっとしてて可愛いかった』だのやれ趣味が合うだの三時間は語るが、そんな話はこれっぽっちも。


 だから知らないと正直に告げると『じゃあこの際に言っとくね』と、お孫さんは一言置いて、婚約者について語り出す。



「ずっと昔の約束を今も守り続ける、僕より二つ年上で、甘えん坊な人なんだ」


「年上で甘えん坊ですか……」


「見ている人が引くほど、ね。来年、僕はその人と結婚するんだ」



 ゴーグルで顔を隠し、無表情であるお孫さんは珍しく、柔らかな表情を浮かべる。

 何その婚約者羨ましい、と思わず羨みの言葉を言いかけた俺だが――彼の幸せそうな表情に、そんな醜い羨望は飲み込んだ。

 代わりに俺は、眼前の言葉に食いつく。



「来年ですか……となると、お孫さんは何歳になるんですか?」


「十八だね」


「じゅうは……早くないですか?」



 十八といったら、まだ籍を入れるのには親の同意が必要な歳のハズだ。

 お孫さんより二つ上の婚約者、ということは……相手も二十歳と、かなり若い。


 籍を入れるのは個人の自由だが……婚約者を養うだけの収入が、お孫さんにはあるのだろうか。 婚約者、という口振りからすると彼はかなり良い家柄の人間のようだが。


 ……あれ。ということは彼の祖父だという村長も、実は凄い経歴持ち? ――ぐるぐる考えながらお孫さんの発言を待っていると、そこへ。



「お孫さぁぁぁん! 五郎さぁぁぁん!」



 はつらつとした高音と共に、ブォウッ、と突風が吹き砂塵を巻き上げた。

 反射的に目を瞑り、風が止むのを待ち、静かになったところで静かに目を開けると、



「あけましておめでとうございます!」


「ほう、孫ではないか。今年は例年より早い到着ではないかね」



 箒に跨がった少女――サラちゃんと、真っ黒い日傘を差す男性――ヴァンピー伯爵が、いつの間にかそこにいた。

 相変わらず、音もなく現れる二人だ。


 自称魔女のサラちゃんは常時離さず持っている箒から降りると、ぱたぱたと幼稚な足音を立てながらお孫さんに近づく。



「メイちゃん、ヴァンピー伯爵、明けましておめでとうございます」


「お孫さん、今日のお土産は何ですか?」



 いつもの魔法少女チックなど衣装ではなく、寒色をベースにした着物に身を包んだメイちゃん。

 見慣れない姿に俺は新鮮さを感じているが、お孫さんは慣れたように『可愛いね、メイちゃん。凄く似合ってる』と微笑を浮かべる。

 そのあまりに自然な言葉遣いに、心の中でツッコんだ。


 お孫さん、お前タラシか。



「はい、お土産。ちょうどこの前、良いヤツが出て来てさ。メイちゃんのためにとっておいてたんだ」



 柔和な笑顔を浮かべるお孫さんは、会う度必ずお土産を催促してくるサラちゃんに、慣れた手つきで持ってきた荷物の中から可愛らしい桃色の紙袋を渡す。

 早速受け取った紙袋を覗き込んだメイちゃんは、中身を確認するや目をキラキラと輝かせる。



「うわぁ……これ純魔力濃度の水晶じゃないですか! こんな高価なの貰っていいんですか!?」


「サラちゃんのために用意したんだ。是非貰ってくれないかな?」



 ありがとうございます! と頬を赤らめ、大事そうに紙袋を抱え込むメイちゃん。


 普段、やたらと自分が魔女であることを主張してくる変わった子だが、こういった無邪気な表情を見ると――普通の女の子なんだな、と認識する。



「どうだ? 愛らしいだろう、我が輩の妻は。貴殿には髪の毛一本もやらぬぞ」



 同時にこのロリコンの変態性も再認識した。


 四十過ぎたおっさんが満悦げな表情で同居人であるサラちゃんを自慢してくるが、俺は適当な言葉を並べて逃げることにする。



「大丈夫ですよ。サラちゃんに手を出したりしませんって」


「……それは我が輩の妻が魅力的ではないということか? 五郎、貴殿は何を言うか! 我が輩の妻が手を出すほど魅力的ではないなどと!」



 ――めんどくせええええええええ!


 何かを勘違いした伯爵は顔に影を落とし、ゆっくりと俺に詰め寄って来た。

 自慢したいのか牽制したいのか――恐らく前者であろうこの引きこもりオヤジは、視線だけで俺を射殺さんとばかりに睨みつけてくる。


 ああめんどくさい!

 凄くめんどくさいぞこのロリコン!


 漆黒の外套に包まれた青白い手が、俺に伸ばされる。

 赤いマニキュアで彩られた鋭い爪が生える、人としての温もりを全く感じないそれは、僅かに冷気を帯びながら徐々に息を飲んだ俺の首へと、じわじわと――



「ヴァンピー伯爵。五郎さんは『メイちゃんは伯爵の伴侶であることは誰もが知っていることだから、二人の間に横入りするような者はいない』――ということを言ったんです」



 心臓をわし捕まれたかのような恐怖を感じたその時、俺にお孫さんによる助け舟が出された。

 このことで『む、そうなのか?』と俺から意識を逸らした伯爵に、お孫さんは悠々と続ける。



「はい。だから誰もメイちゃんを貶してなんかいませんよ。僕はメイちゃんのこと、ぴょこぴょこしてて可愛い女の子だと思っています」



 ――決まった!

 お孫さんのタラシ&イケメンターン!


 やましい気持ちなど一切ない、百パーセント正直な好意による褒め言葉を与えられたサラちゃんは『か、かかかわいいだなんてお孫さん……』と照れて、紙袋で自分の顔を隠している。

 お孫さんは微笑を浮かべたまま、微動だにしていない。

 さもそれが当然である、とでもいうように。

 当たり前とでもいうように、優美に!

 ――どこの英国紳士だ!


 そして肝心なサラちゃんの自称夫こと伯爵はというと――肩を震わし、愉悦に表情を歪めていた。

 四十代とは思えない妖艶さを滲ませた、笑顔で。



「……そうか。そうか、そうかそんなそうかそうであるか! 我が輩の妻は可憐であるか! それほど可憐であるか! ふふっ、ふふふふふふ! 当然であろう? 何せ我が輩が選んだ至高にして至上の愛妻なのだからな! ふふふ、ははははははははははははははははっ!」



 高笑いする伯爵。

 通常彼は昼夜逆転した生活リズムを送っているらしいが、今回のようにサラちゃんが外出するとなると、苦手と言い張る昼でも意気揚々と活動する。

 曰わく、サラちゃんが心配だとかで。

 ……単純と言えば単純なお金持ちだが……果てしなくめんどくさいアラフォーだと、俺は思う。



 そして度々キレかける伯爵を簡単に言いくるめ、静められるお孫さんも相当凄いと、俺は密かに尊敬している。

 毎度キレた伯爵から理不尽な怒りをぶつけられる俺としては、保身と島の平和のためにもお孫さんには是非この村に引っ越してきてほしいのだが……しかし。



「毎回思いますけど、よく伯爵を落ち着かせられますよね」



 村長でも実力行使による説得なのに、とつい最近『ポニーテールかツインテール、どちらが正義か』で島を二つに割った抗争を思い出す俺は、未だ夢に出る伯爵の怒りに戦慄を覚えながら問うと、お孫さんは呆れ混じな声音で息を吐く。



「僕の旦那もヴァンピー伯爵と同じタイプだから、さ。説得には慣れてるんだよ」


「そう、なんですか……」



 お孫さんの旦那さんも伯爵と同じ、自分の伴侶をベタ褒めする嫉妬深い人物なのだそうだ。

 タラシスキルを発動する時以外、基本無表情である彼の語調から察するに――お孫さんも旦那さんによって相当な苦労をしてきたらしい。


 なるほど、と俺は心底彼が説得に長ける理由を納得した。

 慣れ、か。道理でメイちゃんが止められないほど伯爵が荒んでいても、あっという間に理性的に出来るわけだ。


 しかしいくら慣れてるとはいえ、タンスの引き出しを開けるように平然とケンカの中に割って入れるとは……お孫さんも村長同様、肝が相当据わっていることがよくわか――――



「「「…………うん?」」」



 ――と。

 ここまで思考したところで、俺は疑念の声を上げた。

 ……今、何か聞き逃してはいけないことを聞き逃してしまった気がする。


 全く同じタイミングで疑問符を浮かべたメイちゃんと伯爵に目を向けると、犯罪臭がするこの夫婦はこちらの顔色を窺うような視線を向けてきた。

 探るような二人分の瞳に浮かぶ懐疑を読み取った俺は、互いに同じ違和感を抱いていたことを瞬時に悟る。


 そしてまばたきする隙もなく伯爵から送られてきた『訊け』という目配せに、即座に拒否の言葉を返したい俺。

 だが――伯爵の目が鋭いのを視認したので、本音を生唾と共に飲み込んで『分かりました』と無言で頷いた。

 逆らったら、殺される。

 圧権者に一般市民は、逆らえない。

 サラちゃんのためなら一国を滅ぼしかねない伯爵を、俺は敵に回したくない。



「……あのー、お孫さん……」


「何?」


「『旦那』……って、誰ですか?」


「ああ、さっき話してた僕の婚約者のことだよ」



 水洗トイレのレバーを押すように、さらりと発言するお孫さん。

 その軽い調子で紡がれた言葉は、俺達にかなりの衝撃を与えた。



 『婚約者がいたのか……』と別の意味でも驚いているらしいロリコンと魔法少女。


 でも……旦那って。



(……お孫さん、性別雄だよな?)



 ロリコンと魔法少女とは違い、婚約者については先程聞かされていたため、心理的ダメージが比較的軽い俺は事実を確認するため、勇気を振り絞って引き吊る唇を動かす。



「……お孫さんの婚約者が、旦那さん」


「そうだよ」


「……で、その旦那さんの性別は……」


「性別は……って、男に決まってるじゃないか」



 何を当たり前のことを、と呟くお孫さん。

 この時、俺は自分の中で『お孫さん=常識人』というこの島唯一の一般常識が崩れ落ちる音を、聞いた。


 ――ちなみにそれは、俺だけではなかったようで。



「…………ここは『流石、村長のお孫さん』と言うべきなんでしょうか……」


「まさか男色の気があったとは……村長の孫も、『こちら側』の人種であったか……」



 ショックを隠しきれない夫婦の茫然とした呟きを、漠然と聞き流す。

 そんな俺も、内心ではさめざめとこの世の不条理を嘆いていた。

 まさか……お孫さんが、同性愛者――いわゆるホモだったなんて……!



「今帰ったぜお前――ら、は何で落胆してるんだ?」


「さぁ……」



 ようやく帰ってきた村長ががっくりと落ち込んでいる俺達を見て、お孫さんと一緒に首を傾げる。

 きっと彼らには分からないだろう……これまで『真摯で穏やか、そして男前のイケメン』という理想の男性だったお孫さんのイメージを、『しかしホモ』と残念な意味で覆されるこの失望感は……!


 ――というか村長、かなり遅かったんですけど何してたんですか。



「……まあ、いいか。伯爵夫妻も来たならちょうど良い。とりあえずお前ら、餅食うぞ!」



 疑問の眼差しを向ける俺をスルーし、今もまた身勝手なことを口走る村長。

 その手には湯気が濛々と立つ鍋。


 ……まさか、餅を食うためだけに俺を拉致し、お孫さんを捕獲したのだろうか。


 餅を食う、そのためだけに。



「今年は呼び出される前に棺桶を開けてやったぞ」


「毎年島の住人全員でお餅をつつくのか恒例ですもんね」


「来ない人のところには、小火器抱えた芙蓉がわざわざ迎えに行くんだよね……」



 ――……マジか。

 呆れやら諦めの表情で口々に唱える三名に、去年引っ越してきたばかりで日が浅い俺は絶句する。

 ――本当に、餅を食うためにだけに俺は連れ出されたのか。


 ……いや。今さら村長の暴君ぶりに意を唱えるつもりはないが――せめて着替えぐらいはさせてほしかった。

 靴ぐらいは履いて出たかった、とため息を吐いた俺に、村長は豪快に笑いながら湯気の立つ紙皿を渡す。



「なんでそんなに辛気臭い顔してるか知らねーが、せっかくのめでたい日だ。餅食おうぜ!」


「どんだけ餅が食べたいんですか……」



 というかこんな気鬱にさせているのは、主に村長が原因なんですけど。

 新年早々から傍若無人ぶり全開な村長に再び出かけた嘆息を飲み込んで、渡された紙皿の礼を述べる。


 ――で、これが村長がさっきからやたらと勧めてくる餅か。


 どれだけ他人に食べさせたいんだか。

 尾を引くお孫さんの衝撃的事実を頭の隅にやりながら、どんなものかと手の中の紙皿に目を落とした俺、は――



「――――――――っ」



 ひっ――と。

 息を、詰まらせた。

 規則正しく吐き出されていた白い息が、喉の奥に引っかかる。


 ああ、嗚呼、アア、あ。

 この目に映るのは、目の前にあるのは、手の中にあるのは、存在しているのは、熱を放っているのは、紅白に彩れた使い捨ての紙皿に乗せられているのは、確かに、餅だ。

 餅、なんだ。

 餅なのは、それはいいんだ。


 どうでもよく、普通の、当たり前で、常識的な、ことなんだ。


 問題は――その形。

 餅の、形、なんだ。



「! 五郎さん!」



 俺の異変に気付いたお孫さんが、慌てて俺の手から皿を奪おうとするが、もう遅い。

 すべては、もう、遅かった。


 全身から血の気が引いて、がくがくと体が震えだす。

 腋の下から嫌な汗がぐっしょりと滲んで、咽頭から酸っぱい味がこみ上げる。

 まばたきを忘れたように見開かれた双眸は既にもう、俺の意思で閉じることは叶わず、冬の冷気よりも体が冷たくなっていく。

 しかしただ一つ――頭蓋骨の中は、燃えている。

 この脳だケは熱く、あつく、アツく、アツク、熱を放チ、視界をマっ白に白く無二ソめ上ゲて――



「――ぁ」



 焦燥感に溢れた誰かの呼びかけを最後に、俺は意識を失った。

 ――それはバツンっ、と、テレビの電源を切るように。




       ×




 次に俺が目覚めたのは、まだ真上まで昇っていなかった太陽が、西へ傾き始めた頃だった。



「ゴローちゃ~ん? 早く起きないとぉ~……ゴローちゃんをもぐもぐしちゃうわよ?」


「おはようございますサキュウさん明けましておめでとうございます」



 ぞわっ、と肌を這い上がる妖美な囁きに、脳内で警鐘が鳴り響いた俺はカンマ二秒で起き上がる。

 つまらないわね、と胸元の大きく開いた着物を身に纏い、俺の傍らにしゃがみ込んでいた女性は、ゆるゆると腰を上げた。


 雰囲気的にも苦手な彼女が離れたことに、まず一安心した俺は――地面に倒れていたせいだろうか?

 ギシギシと体中が軋むように痛むのを感じながら、ゆっくり立ち上がる。

 手を握ったり、足首を回したりして自分の体調を確認してみた……問題ないようだ。



「ゴローちゃん、明けましておめでとう」



 抜群のプロポーションを持つ彼女――サキュウさんは艶やかな唇を歪め、目覚めたてで若干意識が朦朧としている俺に言う。



「それと、新年早々気絶おめでとう」


「……俺、どれぐらい気絶してました?」


「そうねぇ……お昼に私が来てから、三時間は確実に」



 艶容な女性、サキュウさんは僅かな目配せでも男を惑わす妖しさを持つ瞳を、ある方向に向ける。



「本当ならアナタが寝ている間に精気とか色々吸い取りたかったけど……そうも言ってられない状況だったから、仕方ないわよね」



 仕方ない、というような諦めにも似た笑みを浮かべるサキュウさん。

 憂う彼女の表情にでさえ艶美さを感じ、ぞわりとした悪寒を本能的に覚えながら、恐る恐る彼女の視線の先に視線を転じた俺は――



「楽しいお祭り騒ぎだったもの(ハート)」



 ――地面に突き刺さっている半裸の男性と、その周りで上半身をさらけ出した島の男達による、壮絶な戦いを目撃した。



「な……んで、こうなってるんですかあああ!?」



 愕然と、爆発やら机やらワケの分からない光が飛び交う戦場を視界に映す俺に、優美に『うふふふふ』などと微笑むサキュウさんは、流れ弾である酒瓶を軽く避けながら。



「簡単に状況を説明するなら……村長が『雪の代わりに餅を投げよう! 題して餅合戦!』なんて提案をして、次第に餅以外の物が加わった……ってところかしらね」


「やっぱり村長のせいですか! やっぱり!」



 そんな予感はしてましたけど、やっぱり村長が言い出しっぺか!


 サキュウさんの大雑把な説明とこれまでに島で培った経験から大方の現状を理解した俺は、真横の地面を抉った弾に『うぉんっ』と体を縮こませながら、この混沌とした状況をなんとかできる人物の姿を捜す。



「サキュウさん、お孫さんは一体どこに……」


「『旦那が待ってる』って、合戦が始まる三十分前に帰ったわよ」


「お孫さあああああああああんっ!」



 ――希望、潰えた。

 がっくりと肩を落とす俺の耳に『にしてもあの子に婚約者がいて、しかもホモだったなんてね……』と意外そうに零すサキュウさんの呟きが入る。

 ……サキュウさんもお孫さんに婚約者(旦那)がいたことを知らなかったのか。いや、それは今は良いとして。



 村長や伯爵の合戦……もとい戦争は、一言で表すのなら『凄惨』だ。

 彼らが争った後は竜巻が通ったかのように、家が壊れ地面は抉れ木々は薙ぎ倒されているのが当たり前。

 二、三度彼らのせいで家が無くなった経験を持つ俺は、これ以上危害が周囲に及んでほしくない。俺の家がまた吹っ飛ぶようなことは、あってほしくない。

 なので俺は必死で脳細胞をフル稼働させ、この場を収められる方法――人物を次々と上げていく。



「マミさん!」


「さっきまで伯爵の陣営にいだけど、『包帯が無くなりそう』だからって島の外に買いに行ったわよ」


「フラン博士!」


「伯爵の陣営で『お注射の時間だあああああっ!』って暴れてるわよ」


「シュインちゃん!」


「『博士のお手伝いをする、です』って巨木振り回してるわよ」


「ゾビーさん!」


「今『冬は俺の時代ィィィェエエエッハアァァァァァッ!』って防腐剤と一緒に突っ込んで、村長に爆破されたわよ」


「何で頼りになる人達みんな伯爵陣営で参戦してるんですか!」


「ちなみに村正は『餅を食し終えたら参戦するでござる』って言って、あそこで餅焼いてるわ」


「とめてくださいよ村正さああああんっ!」



 戦場の片隅で一人、とっくりを傾けながら餅を焼いている青年に指をさすサキュウさん。

 人斬りと名乗りながらいつも手ぶらな彼は、流れ弾を素手で弾きながら黙々と餅にかぶりついている。


 なんか、そのマイペースっぷりに今、無性にイラッ、とした。

 しかし、こうも住人が合戦に参加(しかも伯爵陣営)にいるとなると、他に手の空いていて彼らを止められる者はいるだろうか。

 だんだん過激になっていく戦火を眺める俺は、同時に増えていく周囲への被害に焦りを感じながら黙考し――



「――そうだ」



 思考の末に、一筋の光を見いだした。



「ダイさん! ダイさんならこの状況をどうにかできる!」



 ダイさん――三十代の無職なオヤジだが、村長が釣り上げた鯨をアッパーで殴り飛ばせるほど、格闘技が得意なニート。


 ――彼ならきっと、なんとかしてくれる!

 そんな淡い希望を抱いた俺はすぐに彼を呼んでこようと、踵を反し、



「ダイドなら、あそこで突き刺さってるのがそうよ」


「ダイさあああああああああああああんっ!」



 ――希望は儚く、崩れ去った。


 戦場の真ん中に堂々と腰まで上半身が埋まった――というか、突き刺さった人間。

 まさかあれがダイさん(最後の希望)だったなんて……!


 膝をつく俺に、サキュウさんは『あのままだといずれバズーカか何かで下半身ぶっ飛ぶわよね……まあ、内臓ぶちまけても死なないヤツだし、放っておきましょ』と嘯く。


 いやいや、あのままだと頭に血が上って死――――……ダイさんなら村長と同じぐらい体が丈夫だから、大丈夫か。



 だが、最早この争いは誰にも止めることはできないのか。


 切実にお孫さんに帰ってきてほしい俺は、きっと来てくれないだろうこの場を静められる力を持つ最後の住人の名を、口頭する。



「……山中さん」



 俺と同じ日にこの島にやってきて、俺が眠っている時間に必ず現れて、俺自身は一度も会ったことがない。

 俺と同じ苗字の、彼。


 人伝いにしか聞いたことがない彼の存在を口にすると、サキュウさんは困ったような、迷っているような、可哀想なものを見るような複雑な顔をして、形の良い唇を開く。




「……山中さんは、来ないわ」


「……ですよね」



 彼が活動するのは夜。

 昼に姿を現すことは、ない。


 はぁ、と俺はため息を零す。


 あの調子だと、数十分後には俺の家が無くなることは確実だろう。

 ああ、また家を建て直さないといけないのか。

 そして家ができるまで、またテント暮らしをすることになるのか……この時期のテント暮らしは夜すごく冷え込むんだろうな――と、この先に起こり得る未来を予想して憂鬱な気分になり、ますます気が沈む俺は俯く。



「……というか、山中さんは『出て来れない』のよ。アナタが起きてると」



 ぼそぼそと静寂の中、サキュウさんが何か呟いた気がしたが、俺には何も聞こえなかった。

 それほどサキュウさんの声は吐息に近く、小さいものだった。


 …………。

 ………………。

 ……………………うん?



 というか、静寂?



「久々に死ぬかと思ったな……ま、あの程度じゃ全然死なねぇけどな」



 あれ、どうして急に静かに?

 怪訝思った俺が顔を上げると、そこには鍛えられた上半身を惜しみなくさらし、映画でしか見たことがない銃器で武装した村長が一人、立っていた。

 辺りを見回すが、伯爵もメイちゃんもフランさんも、地面に突き刺さっていたダイさんすらいない。


 忽然と、突然消えたように。


 影すら、失せた。


 あれれ、と目をまたたかせて村長を見やると、彼は自らのポケットに手を突っ込みながら。



「アイツらと戦ってたらいつ渡せるかわからねぇからな。飛ばした」


「飛ばした、って……え?」


「それより五郎ちゃん、ほらよ」



 ――明けましておめでとう、だ。



 傲岸な笑みでぽち袋を差し出す村長。

 当惑しながら、おずおずとお札が入っているらしい袋を受け取る。


 ……飛ばした、という村長の発言に、ぽち袋。

 …………どういうことだ?



「正月って言や、ガキにはお年玉だろ?」


「ガキって……俺もう二十四なんですけど」



 というか村長とあまり変わらない年だと思うんですけど。

 三つぐらいしか変わりませんよね、と見上げると村長は『ばぁか』と、お年玉を握る俺の頭をがしがしと乱雑に撫でる。



「たかだか二十四年しか生きてねぇんだろ。黙ってじじいに甘えてやがれ」



 ――だから大して年変わらないって。



 内心で主張するが、声には出さない。

 黙って口を閉ざして、なされるがまま髪をぐしゃぐしゃにされる。

 岩のような堅く、大きな手で撫でられるのは――同年代という恥ずかしさはあっても、なぜかまったく嫌ではなかったから。



 経験という年季の入った村長の手は――確かに彼自身が日頃じじぃと豪語するだけあって、祖父のような温かさがあったから。


 俺は黙って、犬のように撫でられていた。



「よーしよしよーし」



 わしゃわしゃと、飼い犬を撫でるように俺の頭を乱す村長。

 その様子をしばらく傍らで見守っていたサキュウさんは、ところでと村長に訊ねる。



「飛ばした、って言ってたけど、殺る気スイッチの入った伯爵達をどこに飛ばしだのかしら?」


「キョンの家。あいつ来てなかったろ?」



 笑顔で言い放った村長の言葉に、サキュウさんの表情が呆れたものへ変わる。



「あの人の小さい家に、数十人近い人数が入るわけ無いでしょ」


「まあ、壊れてるだろうな。真上に飛ばしたからな」


「……そうらしいわね」



 やれやれ、と首を振ったサキュウさんは俺の首を引っ付かんで、引き寄せる。

 軽く首が締まり『うぐぇと変な声がでた俺がなにするんですか、と彼女を睨み付ければ。



「避難するわよ」


「避難……って、どこへ?」


「アイツらの力が及ばない場所」


「アイツら、って……あ」



 言われて、耳を澄ますまでもなく聞こえてくる怒号、破壊音、轟音、地響き。

 音源を探れば遠目に、太極拳の衣装を着た男性を筆頭に、見慣れた住民の怒りに歪んだ顔が確認できた。



 ――めちゃくちゃ怒ってる……!



 自然と顔が引きつり、心臓が縮こまる俺。

 確かにこれはこの場から逃げないと、巻き込まれて最悪死にかねないことを本能的に理解した俺に、艶のある声音が囁く。



「村長は全員迎え撃つ気でいるらしいし……ね? だからゴローちゃん、私と一緒に逃げない?」



 サキュウさんに言われて見れば、肩を回し、両手に名称の分からない銃器を、背中に大量の小火器を背負い込んだ村長が残忍な笑顔を浮かべて、こちらに向かって猛進してくる住民の前方に立ちふさがっている。

 仁王立ちした彼の後ろ姿が語っていた。


 何人でもかかってこい、と。


 好戦的な体勢でいる村長を止める言葉が思い浮かばない俺は、泣きそうになりながらある覚悟を決めた。

 自宅が跡形もなく崩壊する、覚悟を。



 戦争を止めることを諦めた俺は、苦手でありながらも、嫌いではないサキュウさんに言う。



「……一緒に紅白観ましょうか、サキュウさん」


「こたつにみかんに××××ね。分かったわ、たっぷり搾り取ってあげる(ハート)」


「最後のは絶対しませんから……ああ、その前に」



 残念そうに唇を突き出すサキュウさんについて行き、安全な場所で正月を過ごすことを決めた俺は、彼女に腕を引かれながら臨戦態勢の村長に、声を張り上げた。



「村長、今年もよろしくお願いします!」



 顔だけこちらを振り返り、一瞬目を丸くした村長は――次の瞬間、ニヤリと口角を歪めて。


「こちらこそよろしくな――山中五郎!」



 凛とした張りのある声は、冷たい大気に響き渡った。

 堂々たる傲岸な響きは、自分勝手な村長に相応しく――ふっと、笑えてしまう。


 さっさと非参戦組は立ち去りましょ、とサキュウさんに引っ張られるようにその場を離れる俺は、この背中に、村長へ向けられた罵詈雑言、文句に悪態、爆発音に破裂音を聞きながら、



「……サキュウさん。俺……この島に、来て良かったと思います」


「……そうね。私もよ」



 この島に引っ越してきてからズレてはいるが――幸福を噛み締めるということを知った俺は、自称精気を吸い尽くす悪魔という、頭の痛い設定の女性と共に、心からの笑みを交わす。



 住民全員が様々な設定を持つ、中二病な島――――魅魍魎(ミモウリョウ)島は、今日も平和に荒れている。




       ×




 では、最後の問題です。



 ――――その島に『人間』は、何人いますか?





<了>

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