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夢の館の扉を出て、少し歩いた所にある駐車場に着くと、田中先生はなんの変哲もない白い車の鍵を開ける。車に向いたまま、後ろにいる砂咲に声をかけた。
「あの子を採用するおつもりなのですか?」
砂咲きは特に深く考える様子もなく、空を見上げていた。
「最近は問題ばかりで、実に多忙なのです。客が絶えない。」
田中先生は振り返って砂咲を見た。砂咲は困ったような笑顔を先生に向けた。
「この仕事を真正面からしっかりと受け止めてくれる人であれば、私は不合格にする理由は持ち合わせていません。そんな人はきっと
希少でしょうから、逃すわけにはいきませんからね。彼女がどちらかは分かりませんが」
「そうですか……。彼女は私の教え子だったのですが、とても頑張り屋さんだと思います。でも、私は」
先生がそこまで言うと、砂咲は深く息をつき、先生に近寄る。どこか寂しいような、悲しいような、憤っているような、複雑な表情をしていた。
「先生。先生は大事なお客様で、人として好いています。でも、店のことは私が決めることです。やっと来た就職希望なのです」
先生はバツの悪いような顔をした。
「居心地が悪いのは承知です。ですがどうか、賛成なさって下さい」
砂咲きは後ろへ下がり、小さくお辞儀をして、顔を下げたまま言った。
「それでは、また来てくださるのをお待ちしております」
砂咲きは顔を上げ、先生を駐車場に残して夢の館へ戻っていく。先生はその後ろ姿をしばらく見ていたが、ため息をついてドアを開けて車に乗り込んだ。
「仕方がない。これが運命かねぇ。どう転ぼうと、私は訪ねない訳にはいかないというのに」
ひとりでハンドルを握りながら呟き、間もなく車を発進させた。
夢の館の中に、ドアに着いている小さな鈴の音が響き渡る。端にちょこんと立っていた由衣は扉に顔を向ける。砂咲の顔を見て安堵しているようであった。
「ごめんね、お待たせして。どうぞ、そこの椅子にかけて」
砂咲は由衣を本棚に囲まれたテーブルの席へ誘導した。砂咲は奥の椅子に座って背もたれに寄りかかり、足を組んだ。
「失礼します」
そう言って由衣は椅子に座って鞄を横に置く。砂咲は至って真面目な顔で由衣を見ていた。
「んーとね、えー……」
砂咲は顎に手をあてながら由衣を見ていた。由衣はその視線に緊張していたが、彼は由衣を見定めているわけではなく、話し始めの言葉を必死に手繰り寄せていた。
「あ!そういえば、せんせと知り合いなんだね」
無邪気な笑顔で言った。先生ではなくせんせと呼んでるところに由衣は頼りない幼さを感じていた。沢山の難しそうな本に囲まれて過ごしている割には、彼自身から聡明そうな気配は全く感じられなかった。近所の高校生、というイメージがぴったり当てはまるようであった。
由衣は先生の話題で少し緊張が解れたのか、自然な笑顔で砂咲に言った。
「はい! 学生時代すごくお世話になりました。茶目っ気のある親しみやすい先生でしたよ」
「そっか。せんせはここの常連さんなんだ。この館を立てて一番最初のお客さんでね」
砂咲は自分の前に置いていたコップを手にとって中身を飲む。それをテーブルに置いてから、何かに気付いたように目を開いた。
「あぁ、ごめんね。飲み物出してなかったね」
由衣の前にあるコップをとって立ち上がり、砂咲は先程先生と話していた壁の方へ歩いていく。
「アイスティーかホットティーどっちがいい?」
振り返って本棚の後ろから顔を出す。由衣はありがとうございます、とお礼を言ってから暫く考えた後、アイスを選んだ。
どう見ても行き止まりだった場所にコップを持って行く姿は不思議であったが、いつの間にかそこに居た砂咲を思い出すと、どうやら一部屋奥にあるらしい、という結論にたどり着いた。
「お待たせ、はい、どうぞ」
砂咲は由衣の前にコップを置いた。由衣は立っている砂咲を見上げてお礼を言った。
「それにしても、先生が占いの館の常連だなんて驚きました。あんなオジサンが占いだなんて、いくら茶目っ気のある先生でも似合いません」
由衣は視線を落としてくすくすと笑った。砂咲はその様子を、腰を下ろしながら怪訝そうに見ていた。
「占い?」
一口飲み物を飲み、砂咲は由衣の目をしっかりと捉えて言った。由衣はきょとんとして瞬きをした。
「えっと……。よく分からなかったんですが、要するにここは夢占いとかそんな感じの占いの館では、ないんですか?」
「占いの館では、ないねぇ」
砂咲は苦笑した。
「では、ここは一体、なんのお仕事をするところなのですか?」
由衣は阿呆な顔をして訊ねた。砂咲はその問いに更に困ったような顔をした。手を組んで両手の親指をくるくると回す。
「なんというか、説明が難しくてね」
砂咲は小さく笑った。
「お客さんが来てくれれば一番話が早いんだけどね。簡単に説明するならば……。あ、そうだ」
砂咲は傍らに置いてあったこぢんまりとした本棚から一冊本を取り出す。渋みのある深い茶色に金で文字が記してあった。それを由衣に差し出し、読むよう促す。あまりの分厚さに受け取った瞬間、体が沈んだ。
「あ、読むのは最初の三ページだけでいいからね」
「はぁ」
唐突さに気の抜けた返事をし、由衣は表紙に手をかけて読み始める。
ーー夢の館概要
原因不明の眠りにつき、何ヶ月も目覚めないという現象が、各地区、各生体にて報告されています。
これに対策すべく、夢の館を設立する事をここに決定する。
このままではすべての生き物が起きなくなる可能性が有る為、早急に解決に向け、尽力する事。
ここでの受付役として夢の神を配置。責任を持ってこの事態の収拾にあたることとする。方法は問わず、だが、最低限の限度を保って収めることとする。
この調子で、上から下までびっしりと文字で埋められている本を、三ページ読むのは骨が折れる作業だった。なにより、字が小さいことが一番の苦痛であった。由衣はそれでも言われたとおりに三ページ、時間をかけて読んでいく。
本を閉じて砂咲に返却する。由衣は至って真面目な顔で砂咲を見ていた。
「自作小説か何かでしょうか?」
「いいや、この店の説明です」
「ちょっと、意味がよく分からないんですが……。普通に皆さん寝て起きてますし。あ、ここは病院ですか?」
由衣はどんどんと早口になり、焦りを隠すように喋るのを止めなかった。
砂咲はそんな由衣を見かねて、テーブルに身を乗り出し、向かい側にいる由衣に顔を近づける。美少年の顔が迫ってきた由衣はピタッと動きを止める。
「な、なんですかっ……!」
「落ち着いて。話を聞いてくれないなら面接は出来ないから」
砂咲は椅子から立ち上がる。由衣は不採用になってしまったのかと焦って立ち上がった。
それを見て由衣の考えが読めたのか、柔らかい物腰で砂咲が微笑む。
「安心して。この先の話をするなら外せない人が居てね。場所を変えて説明しようと思っただけだよ」
砂咲はそのまま由衣の横を通り過ぎて、本棚と壁の隙間の通路に吸い込まれていく。由衣が後を追うと、砂咲は道の一番奥、壁の手前で立ち止まっていた。由衣に手招きをした。由衣は奥まで歩き、砂咲の斜め後ろまで来て立ち止まる。
「あの、外せない人って……」
由衣は様子を窺いながら言葉を出したが、その先に続く言葉が思いつかず、黙ってしまう。
砂咲は特に気にする様子もなく、壁の前にしゃがみ込むと、小さい正方形に切られた床板を外した。下には何かのスイッチらしきものが見え、砂咲はそのスイッチに手を伸ばしながら由衣を振り返る。
「これは他言無用だからね」
妙に真剣な面持ちで言い、そのスイッチを押す。
行き止まりだった壁が静けさを保ちながら回転した。こちら側に現れた壁には、茶色のドアがはめ込まれていた。壁に半円状の床がついていて、それはまるで玄関のようになっていた。砂咲はそれに乗り、由衣にも来るように促す。若干の不安を感じながら恐る恐るその半円に乗る。
「そこの手すりにつかまって」
砂咲はささやくように優しく言った。
ドアがはめ込まれている壁を見ると、丁度腰のあたりに棒が飛び出しており、つかまれるようになっていた。由衣は無言で手すりをつかむ。力が入っている手を見ると、緊張しているようだった。
砂咲も自分の近くにある手すりをつかむと、壁にはめ込まれたドアのノブを下へ下げる。途端に、先程と同じように壁が回転し、中側へと入っていった。
回転した先にあったのは、キッチンやらダイニングやら、暖色系の明かりに照らされた暖かみのある部屋だった。店員以外立ち入り禁止の事務所なのでは、と思っていた由衣は拍子抜けした。
「あの、ここは、所謂自宅、というやつですかね?」
由衣は部屋をぼうっと見ながら訊いた。
砂咲は靴を脱ぎ、回転する床から降りて、部屋の中央あたりへ歩いていく。振り返って由衣の顔を視界にとらえると、にっこりと笑う。
「ようこそ、俺の家……いや、俺達の家へ」
「やはりそうですか。えーと、お邪魔します」
床から降りようとする由衣を砂咲が慌てて制止する。
「待って待って!」
ビクッと体を動かして止まる由衣。驚いた顔のまま砂咲を見る。
「ここ、一応国内だから。靴は脱いでね」
砂咲の顔を見ていた由衣はゆっくり視線を下に落とす。砂咲が靴を脱いでいたことにようやく気づき、自分の足元を見て焦って靴を脱ぐ。
「すいません、ついうっかり……」
砂咲に近づいて頭を下げて誤る。砂咲はハハッと爽やかに笑い声をあげた。
「いいや、突然連れてこられて困惑したんだろう? 気にしなくていいよ」
由衣は少し気持ちに余裕ができ、辺りを見回した。広くて立派な家だと窺える。この部屋はリビングらしく、可愛らしい




