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面接当日、由衣は就活用スーツに身を包み、就活用鞄と靴を装備する。長い黒髪を低い位置で一つにまとめると、綺麗な黒髪がより一層栄えてみえる。
由衣は家を出てヒールの音を響かせながら最寄り駅までの道を歩いていく。電車に乗って乗換駅につくと、いつもの路線に向かおうとするが、電話で路線指定されたことを思い出し、その路線へと方向を変える。利用者が少ないその路線では、楽々と座る事が出来た。
しばらくは電車に揺られながら携帯を見ていた由衣だったが、眠気には勝てなかった。端に座って居たので、横に寄りかかって眠りにつく。
由衣が眠ってしばらく経つと、電車は徐々に上へとあがっていく。坂を登っている、とかではなく、地面を離れて空中へ、斜めに移動し始めた。やがて電車は雲の中へと入っていき、その姿は地上からはすぐに見えなくなった。
すっかり眠っていた由衣が目を覚ますと、電車はどこにでもあるような、なんの変哲もない駅に止まっていた。
人通りもまばらな駅を、夢から完全に目覚めていないぼーっとした目で見ると、見覚えのある文字が看板に書いてあった。
由衣はその文字が表しているものが夢の館の最寄り駅だということを思い出し、大きく瞬きをすると、夢から完全に戻ってくる。眠気はきれいさっぱり消え去っていた。
「どうしよう! もうこんな時間!」
由衣は素早く立ち上がり、ヒールで懸命に走る。行き慣れていない場所なので、焦りはどんどんと膨らんでいった。面接まであと十分。由衣は改札に向かって走る。
求人欄には駅徒歩一分以内と書かれていたが、初めて降り立つ土地で、如何に駅から近いといえども、そんなにすんなり事が運ぶはずがない、由衣はそう思っていた。
改札にカードをかざして素早く通り抜けると、携帯で地図を開いて場所を確認する。が、これといって目立つ建物や店のないこの駅では、地図を観ても理解しづらい目印ばかりで場所が分からない。
「最近はこんな駅に降りなかったからなぁ」
由衣は顔を携帯に向けたまま落胆した。
どこの駅に降り立っても、似たり寄ったりの有名店が勢揃いしていて、すぐに地図の向きが確定できる。だが、この駅はそんな文明の進化からひっそりと外されたように、昔ながらの木造の一軒家が連なっている。
どうしたものかと思案しながら、ふと顔を上げると、駅の出口の真正面に他とは雰囲気の異なる建物が、左右の建物との間隔を広くあけて建っていた。古きよき日本家屋が並んでいる中、その建物はまるで異国から迷い込んでしまったかのようにポツンと存在した。
オレンジと赤のレンガ作りの家は、茶色い屋根に煙突がついていて、御伽話に出てきそうな雰囲気をまとっている。その屋根に、大きな看板がくくりつけてある。斜めに傾いたその看板は奇跡的に落ちずに保っているように見えた。
「あぁ……あった、夢の館」
由衣は脱力しきった阿呆な顔で呟いた。
時間にまだ余裕がある事を確認すると、身なりを正して夢の館に向かって歩く。つい先程の落胆していた自分を思い出し、不満を顔に浮かべながらずかずかと歩く。
夢の館にはチャイムは見あたらず、ガラスがはめ込まれたお洒落なドアを開けると、扉の上についていた鈴が涼しげな音を鳴らす。
「すみませーん」
由衣は控え目に声を出しながら、店内を見渡す。大きな本棚に囲まれて、小さなテーブルと背もたれ付きの黒い椅子が真ん中にポツンと置かれている。テーブルには湯気のでている、淹れたてと思えるマグカップが二つ置いてあった。
由衣はそのマグカップを見てお客さんが居るのかと思い、再び見回すが、人の姿は見られない。それどころか、面接の約束をしていた店主は一体どこに消えたんだ、と頭の中を疑問ばかりがぐるぐると回り続ける。
由衣はマグカップを見る。
「まだ温かいし、飲みかけだし、まるで私が来たから隠れたみたい」
さっぱり訳が分からない! と言いたげに由衣は溜め息をつく。全てがどうでもよくなってきた由衣が唯一興味を示したのは、これでもかというくらいぎっしりと並べられた本棚であった。
よく見ると、その本棚の後ろの壁との間から人の足が出ていた。どうやら椅子に座って足を組んでいるらしい。由衣はそれに気付くとゆっくりと近づいていき、そっと声をかける。
「あのー、すみません」
そう言いながら覗くと由衣は驚いて止まる。相手の人間も、読んでいた本から目を離し、由衣を見て驚いているようだった。確かに見たことのある顔だ、お互いがそう思っていた。
「先生……こんなとこで何してるんです?」
「いや、私は……。渡辺こそ何してるんだ?」
由衣が先生、と呼んだのは卒業前にとてもお世話になっていた、就職担当の田中先生だった。
先生は本を閉じてタイトルをさり気なく手で覆って隠した。由衣はその事に気付く様子はない。
「私は、就職活動に……」
「就職だって?ここに?」
「はい。今日面接なんです」
「あー……そうなのか。何でこうなるんだろうなぁ」
「先生?」
小さく呟くように言って渋い顔をした先生に、由衣は首を傾げて声をかけた。
先生が何かを言おうとした瞬間に、先生の後ろから近づいてくる人がいた。確かに壁しかないように見えたその場所の奥には部屋はない。まるで床や壁を通り抜けてきたようであった。
「せんせ、どうです?参考になりそうですか」
由衣と同じくらいの背丈の、男性にしては小柄な人であった。少しうねった短めの黒髪が、幼さを増している。はっきりとした顔立ちにくりっとした愛らしい目、美男子と言っても過言ではない。幼さの残る透き通る声であった。
先生は振り返ってその男を見やると、本を差し出す。
「ええ、昨日より大分知識が増えたように思います」
「そう、それは良かった」
男はそう言いながら本を受け取る。優しい笑顔で話しているところをみると、先生とはずいぶん親しい仲であり、信頼しているのだと窺える。
男は本を近場の棚の下の段に入れ、立ち上がって先生の方を向く。彼が見ているのは先生の先にいる由衣だ。由衣は緊張で固まった顔を崩してぎこちない笑顔をつくるが、男はそれを見ても真顔のままであった。先程の柔らかい雰囲気とは違って厳しい目つきで見ていた。
「君は、どちら様? スーツだから……面接予定の人かな」
「あ、はい! 渡辺由衣です」
由衣は小さくお辞儀した。
先生はゆっくりと椅子から立ち上がると、男の方を振り向く。男は由衣から視線を外す。
「砂咲さん、私はそろそろ失礼します。面接されるみたいですし」
「え? 別に居てくれても構いませんが……。」
「いやいや、そうはいかないですよ」
先生はいつもの豪快な笑いではなく、小さく息を出して笑った。この店主に気を使っているようだった。その小さな笑いが収まると、先生は由衣に目をやった。
「客が居ては面接に集中できないでしょうから、やっぱり私は退散しましょう」
先生がにこやかに言い放つと、砂咲は不満そうな顔をしながらも頷いた。了承したことを確認すると、先生は扉に向かって二、三歩歩き、立ち止まって振り返る。
「砂咲さん、私の車まで見送ってもらえますか」
「あぁ、もちろんですとも。君、ちょっと待ってて」
「はい」
由衣が短く返事をすると、2人は外へ歩いていった。




