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大学四年の冬、約一年にもなる就職活動への努力を実らせ、多くの学生達が内定をもらい希望と不安で胸をいっぱいにする。
東京都のとある大学も例外ではなく、不況だと言われる中、大半の学生は春から社会人生活を迎えようとしていた。大半の学生、の中に入っていない者には進学する者も居るが、残念ながら就職希望していたが内定が決まってない者もいる。その中の1人である彼女は就職活動担当の先生を何度も訪ねていた。
「先生」
広い大学内の一階、端の教室のドアを開けて、中に居る六十代の白髪混ざりの先生に声をかける。教室の端で背を向けるようにして椅子に座っていた先生が振り返るのを見ると、彼女は長い黒髪のポニーテールを垂らしお辞儀をする。
「四年の渡辺由衣です。また話を聞いてもらいたいのですが」
由衣が悲しそうな顔をしていると、先生は肩を震わして笑い出した。
「また渡辺か! アッハッハッハッ! お前がそんなにおしとやかに話すなんて似合わないぞ」
「先生がおしとやかな女の子の方が内定とれるって言ったから頑張ったのに」
由衣はニヤニヤしながら先生に近づいていく。
「おい、渡辺。遊んでる場合じゃないんだぞ? 分かってるのか? もうすぐに卒業式だろ。お前一体どうするんだよ」
「んー、私働くの好きじゃないから、もう就職諦めて素敵な奥さんになろうかなって」
「相手が居ないんだろ? 無理するな」
先生は椅子の背もたれに寄っかかり、大笑いした。深呼吸をして真面目な顔で由衣を見る。
「まぁ、あれだ。それを本当に叶えたいなら何も言わないが、少しでも働きたいと思うのであれば求人誌でもなんでもいい。卒業してからも探す姿勢が大切だ」
「はーい。……先生、何度もお世話になりました。もし就職できたら先生には必ず一報入れますから!」
由衣はそう言って笑顔を作ると、くるっと一回転してお辞儀をし、教室から出て行った。
廊下をパタパタと走る音が聞こえ、やがて友達と合流したのか、話し声が響いてくる。
「何しに就職相談室に来たんだ、あいつは」
先生はそう言うと嬉しそうに笑った。
それから由衣は内定確定組である友達と別れ、リクルートスーツに着替える。彼女は卒業式が間近に迫った今日も、就職活動に勤しむのである。
いくつもの企業にエントリーしたが、卒業式前日、虚しくも由衣の元には不採用通知ばかりが集まっていた。由衣は自室で機械的に記された通知書を見て大きなため息をついた。
そのままベットへ倒れ込むと、分厚い布団にくるまって眠ってしまう。
少し肌寒い三月、由衣は袴を履いて大学へ向かう。卒業式会場に入る前に進路担当の先生を見つけて由衣は嬉しそうに駆け寄った。
「先生!」
生徒達に囲まれていた先生は首を伸ばす仕草をして由衣を見ると、小さく通してとジェスチャーをしてごめんね、と一声かけて由衣の元へ行く。
「おう! 渡辺!」
「先生、今日の私は綺麗でしょ」
由衣は自慢気に袴姿を見せびらかす。
「あー、そうだなぁ。周り見てみろ、みんな綺麗だぞ」
いつものように大笑いする先生を由衣は不服そうに睨み、その後にくすっと笑う。
「先生」
「ん? なんだ?」
「私不採用のお知らせしか来なかった! でも、就職諦めないから」
「お、おお。その心は大事だが、こんなめでたい日に気分落ちること言うなよ」
「私からのめでたいお知らせだったの! もういいよ。またね、田中先生」
「ん、頑張れよ、渡辺はやれば出来る! たくさん夢を見ろ、きっと叶う時が来る」
由衣は小さく頭を下げて、一人会場へと入っていく。卒業する事は喜ばしかったが、内定の決まっている友人達と楽しくおしゃべりする気分ではなかった。だから由衣は敢えて友達のことは探さずに式を終えた。
卒業式から一ヶ月が経とうとしても、由衣の就職先は決まらずにいた。だんだんと親の目も厳しくなっていく。由衣は携帯電話でインターネットに繋ぎ、求人サイトに頻繁に目を通していた。ところが、アルバイトばかりだったり、正社員募集のものは条件が気に入らなかったりしていた。
由衣がベージュと木製家具を中心にした自室でゆったりとしていると、携帯のメール受信を知らせる光が点滅した。すぐに開いていたインターネットの画面を閉じてメールを開封する。メールは大学時代の友人からだった。どうやら新入社員として頑張っているらしい。
「仕事は決まった? どう? ニッコリマーク……なんてよく私に送れるよね」
由衣は携帯を天井に向けて上げると、ため息をつく。そのまま床に転がり、うーだのあーだのと言ってごろごろと転がっていく。
「やばいなぁ、決めないと……」
急に勢いよく起きあがると手を叩いて天井の方を見て拝む。
「神様神様、どんな職業でもいいから私を正社員にして下さい」
頭を下げて手を楽にする。ゆっくりと後ろに倒れて再びごろごろと転がり出す。ふと、由衣の目に見覚えのない雑誌のような物が飛び込んだ。
由衣は起き上がってその雑誌のような物の方に近づいていく。無造作に床に置かれたそれを手に取ると表紙をみて首を傾げる。
「求人情報誌、新卒求人を逃したあなた、まだ間に合います?」
雑誌のような物の表紙に書いてある言葉を読んだ。由衣はそれを持ち帰った記憶はないようで、不思議そうな顔をしながらペラペラとめくってみる。突然、強い風が吹いて止まると、雑誌のページがめくれ、どこまで読んだのか全く分からなくなってしまう。
求人情報誌を開いたままの状態で床に置き、その前に座り込む。首を傾げて「お母さんが持ってきたのかな」と呟くと再び求人情報誌に目をやる。頁をめくろうとして手を伸ばすと、端にすごく小さな求人を見つける。他のものは同じ大きさで統一されているのに、その枠だけは他の半分にも満たない大きさだった。
「なんだろうこれ、あんまり見て欲しくない求人?」
由衣は求人情報誌を手で持ち上げて顔に近づける。
「住み込み正社員、夏期冬期休暇あり、賞与年二回、保険完備、給与四十万!? 新卒で? えーと、勤務地……東京か。遠くないな。有限会社ゆめの館、なんだろ、なんの会社か書いてないけど……」
好条件にうなり声をあげ、眉を寄せて求人欄をじっと見る。決意をしたように「よしっ!」と小さく呟くと、近くにあった携帯を持つ。求人情報誌と携帯を交互に見て、ゆめの館の電話番号を押す。間違っていないか確認して由衣は携帯を耳に当てた。
番号のプッシュ音が鳴り、コール音が鳴る。しばらく待っても誰も電話に出ず、留守番電話に繋がってしまう。「こちら、ゆめの館でございます。只今、電話に出ることができません。ピッという音の後に、お名前と、ご用件をお話し下さい。なお、折り返しのお電話をさせていただてもよろしい方は、お電話番号もお願い致します。ピッ」というメッセージが再生された。若い女性の綺麗な声だった。由衣は携帯を強く握って緊張した面持ちで話す。
「私、××大学の渡辺由衣と申します。求人情報誌を見てお電話しました。まだ募集していますでしょうか? またお電話させていただきます。失礼します」
由衣は留守電を残して電話を切る。
「電話番号残してくれなんて、不思議な音声……接客業かな?」
鼻で大きく息を吐くと、メール画面を開いて先程届いた友人からのメールを表示する。返信ボタンを押して全文を削除し、新しく文章を作成した。【お久しぶりです。社会人生活は大変そうだね!私はまた面接に行きます。結果がでたら私から連絡するから待ってて下さい】と作成すると送信ボタンを押す。




