ナリヒラ・アキ=マジック・クライム
――――業平亜輝が腕を斬られる数分前。
「オペラツィオンの名の元に命じる――――」
空睇掛軸が片手に呪符を二枚ずつ持ち、円を描く様に呪文を紡ぐ。
「四方肆神展開。緊急事態により、肆神形成をスキップ。及び最終四方フェルカー・モルトを即座展開」
大きく円を描くと、胸元で腕を交差させた。
「三、二、一、…………」
直後、胸元の呪符が燃焼し始め、消え去ると同時に青、白、朱、玄の魔法陣が掛軸の背後に表れる。それぞれの色ごとに光り輝く魔法陣はゆっくりと回り、主人の命令を待つ。
「滅せよ。可憐なる愚者よ」
掛軸が水平に手を払つ。それが合図で背後の魔法陣がギアが回転する様な音と共に高速回転し、色ごとのエネルギー弾が発射された。球体のエネルギー弾はサッカーボール程の大きさで速さは二〇〇キロは越えているだろうか。その四色のエネルギー弾が真っ向からブラックキラーだけに限らず、螺奈や周囲の公共物等さえも巻き込む。
味方である螺奈さえも背筋が凍りつき、体温が一気に低下したのを感じる事が出来た。
「さすがは、気高き陰陽師。やることが大胆だ」
これを好機と見て、螺奈がすかさず唾ぜり合いから転移して離脱。エネルギー弾の行き交う隙間に転移するが、ブラックキラーも転移していた。しかも、次々と飛び交う中、長居は許されない。再び高速転移をし、エネルギー弾の隙間でブラックキラーと衝突。ブラックキラーもさっきの余裕の表情が消え、明確な敵意が見てとれた。このままでは埒が明かないと思いながらも、相手のミスを虎視眈々と狙う、という眼をしている。
相手の転移先を予想して転移し、衝突や回避を繰り返すが、高速転移を続ける螺奈には疑問があった。
何故、避けるんだ?
ナイフを無条件で絶たせたにも関わらず、エネルギー弾は切り裂かない。エネルギー弾の正体は圧縮された水や炎などの四つのエネルギー、どれか一発でも当たれば人溜まりもない。
そもそも、切断系の魔術なんて螺奈には論外だ。空間転移専門の知識しかない。だが、亜輝ならなんとか、……いやダメだ。こいつは今確実に倒すべきだ。螺奈は必死にかぶりを振った。
「何考えているのですか?」
それは螺奈ですら確信した。一瞬の油断が勝敗を分けた事に。
「……しまッ、……!?」
自分の犯したミスに愕然としながらも歯を食い縛り、裏拳気味に背後に迫る光の剣を防ぐのだが、またしても太刀先や太刀筋関係なくナイフがぱっくりと折れた。
何故だ? 何故今のタイミングで斬れたんだ!?
あまりの目の前の事実に感電した螺奈の運動器官に感覚器官すら反射的に作用しない。
走馬灯のように脳裏に浮かんだあの人の姿。今更思うが、三年前まで好きだった人の事をようやく吹っ切れたらしい。今は、燕尾服の少年に変わっていた。
悲鳴にすらならない叫びが螺奈の口から吐き出される。迫り来る神々しく光狂う聖剣はとうとう、螺奈へと到着する。
だが、ブゥンッ!! と太刀風が空を唸らせただけで光の剣は螺奈を切り裂く事なく、逆に光の剣が水が斬られた様に数多に分裂した。
「えっ……!?」
情報処理が追い付かずに息を漏らすだけだが、瞼を閉じて眼を潤せて開いた時には淡紅色のドレスが存在していなかった。
我に返った瞬間には、猛烈な痛みを感じて地に這いつくばっていた。背後に転移してからの手刀。何故、斬らなかった? いや、斬れなかった?
必死に思考を集中させるが、意識が霞み、身体に力が入らない。
「水無月ッ! しっかりしろ。立て!!」
掛軸の声が聞こえる。金属音が聞こえる。耳障りな轟音が聞こえる。身体を射ぬく様な重い音が聞こえた。
「あなた達には、死なれては困ります……」
そこで螺奈は意識を失った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『――――オレの力が必要か? 相棒』
視界が霞む中、心的外傷に塩を刷り込む様に機械音の悪魔の囁きが聞こえる。
それは亜輝が最も嫌う奴にして、最も頼れる奴。
「コキュートス、契約しろッ!」
脳内に轟く奴の声はどことなく楽しげだ。
『OK。右腕だな。代償は何だ?』
死神よりも達の悪い契約だ。
「俺の曲神業だ」
『正気か?』
「……その変わり、右腕に機械化能力とお前の能力を使わせろ」
『はっ、オレをコネに使おうってか。ますます傲慢なガキだな』
奴は機嫌を損ねる事なく、契約に応じた。
『成立だな。扉を開けろ』
亜輝はチェーンから鍵を契り、錠のネックレスへと差し込んだ。
「扉よ開け。我は七大罪を統べる者なり――――」
そして、鍵を回した。
カチャリッ。爽快な音と共に開く錠。それと同時に生み出される黒い右腕。背後に感じる莫大な魔力。視界と意識が覚醒していく。
やがて、目の前に不可解な文字が浮かび上がるが、すぐに日本語へと移り変わる。ホロディスプレイだ。内容は規則正しく生命危機等の約款だった。それを読まずに片っ端から削除ボタンを押して無視していく。
振り返ると、背後にはホロディスプレイと同じく情報立体化した悪魔が佇んでいた。
「あ、貴方は一体……」
呆然と口を開けていたブラックキラーが恐る恐る声を発する。
無意識にオープンフィンガーグローブを外していた。そして、左手を上げて甲を見せた。
「俺か……? 俺は、三年前悪魔と契約し、悪魔を体内に潜めた災厄」
亜輝は落ちたハットを拾い上げ、被る。
「ライセンス名、Demeter214。MSL第一〇位・ナリヒラ・アキ=マジック・クライムだッ!!」
最強を名乗れる称号を持つ中の最弱。その称号が刻まれていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
絶対的に切り裂く事の出来ない金属、絶対超合金。その金属が再生した右腕につかわれているらしい。無意識に脳内に情報が受信し、知識として吸収される。
人工知能である悪魔、コキュートスは神に寄って作られた。神が人工知能? と亜輝自身も呆れていたのだが、神も進歩をしたいらしい。だが、全知全能である神が失敗してしまった。いや、全知全能であるが故の失敗だった。人工知能が完璧すぎたのだ。七大罪全てが合わさった人工知能コキュートスは、まず欲する事を求め、七つの神々の力を奪った。やがて、コキュートスは天界から見放された。というのが、コキュートスの経緯らしい。
「……二一四事件で悪魔の襲撃を止めたのは貴方だたのね」
「そろそろ決着をつけようぜ。ブラックキラー」
ハットの鍔を抑え、やや前に傾ける。
そこである事に気がついた。視界の右下にあるカウントダウンの表示。三〇分を切ったところだ。コキュートスから情報が送信されていない。
「コキュートス。これは?」
『世界崩壊へのカウントダウン。あの堕天使ルシファーが匙鞍島中心に気味悪い魔法陣を描いてる』
達悪くコキュートスは楽しげに笑う。
「さすがは微力で島を消し飛ばす程の堕天使だ」
『しかも、魔法陣は太平洋や日本本土おも巻き込み、日本列島を塵にさせる気だ』
「何ッ! 日本列島を塵に……。けど、魔法陣なんて……、どこにあるんだ?」
『恐らく、龍脈を陣としているらしいな』
そこで堕天使の咆哮が轟いた。 今はまだ堕天使の人格に完全に目覚めていない不完全覚醒中だからまだいいところだ。千夜の人格がなくなれば問答無用に暴れまくる。だが、日本列島が壊滅する程の超大型魔術が発動すれば、全人類の存亡が危うい。
「状況はこの上なく最悪か……。なあ、ブラックキラー。話は聞いただろ? 堕天使を止めるのに協力してくれないか?」
「あらあら、それは残念ですけど、私は自ら掌握するために堕天使を覚醒させ様とした。それを曲げる訳にはいかないわ」
亜輝の依頼を蔑む様に拒否し、殺人師の呆れ返った顔でコキュートスを一瞥した。
「どうやら、腐っても復讐者の様だな」
「ようやく、分かって頂けましたか? 私は、貴方方には負けない。MSLがランク付けされる時点で決定的な実力差がある。例え、貴方が悪魔の力があるからと言って負けるはずはない」
半仮面の隻眼を煌めかせ、迷いのない口調で言い切った。そして亜輝とコキュートスの様子を伺う様に続ける。
「いいじゃない。彼女は晴れて人間の人格から解放されて堕天使の人格へと戻る」
亜輝はその言葉に奥歯を噛み締めた。
どうなのだろうか。千夜はそう思っているのだろうか。だったら、亜輝にはそれを止める権利はない。
「……けど、お前は、堕天使を掌握する」
「そう。そうすれば、彼女は幸福になる。私の復讐ために好きな様に暴れ、好きな様に破壊する」
ダイナミックに両手を広げる。それはブラックキラー自身の幸福であり、千夜の幸福とは程遠い。だが、人間の人格でいる事が幸福じゃなかったら。
「そうッ! 彼女はハッピーエンドになる!」
その言葉を聞いた瞬間、亜輝の頭のどこかの線がぷつりと切れたのを実感出来た。やはり、駄目だ。救いようのない悪党だな。ブラックキラー。
「ハッピーエンドだって……?」
亜輝は項垂れた。そして、一歩、また一歩と白銀色の彼女へと歩み寄り、拳を固めた。
「中途半端な悪党がッ、偉そうに物事を都合の良いハッピーエンドで終わらせてんじゃねぇよッ!!」
固めた拳を保ちながら、ブラックキラーの懐への飛び込み、力を振るう。
波矯流心眼術・沛雨の乱。
炯眼・漣討想。
アッパーを意識した一撃。まともに食らったブラックキラーが吹き飛び、技を放った亜輝ですら吹き飛んだ。
「どうやら、本気の様ですね」
バウンドを繰り返した末、ボロボロになったドレスの土を払い、ブラックキラーは口に含んだ血を吐いた。
――――血?
今の技は内部に衝撃を与える程ではない。いくら、不意討ちの鍛えた拳だからと言って内出血を及ぼさない。
『驚いたろ。あれが、曲神業と機械を複合した機械化能力だ。右腕だけじゃなく、相棒の身体全体に効果を及ぼす、内部への衝撃貫通を形とした能力』
コキュートスは自慢気な口調でホロディスプレイを出現させて説明し始めた。振動を操作し、燃料で標的内部へとダメージを加える。
「さすがは人工知能の悪魔だ。さあ、行くか」
『その前に堕天使からの餞別だ』
消去されたホロディスプレイが再び目の前に表れた。それを待っていたかの様に背後から光が煌めく。背後を確認しなくても分かった。ホロディスプレイからすれば、背中には六枚の純白の羽が具現されている。
『昔、堕天使ルシファーから奪った能力だ』
「……あの形の知り合いかよ」
再び約款を読まずにホロディスプレイを削除した後、覚醒間近の堕天使に指差した。
送られてきた情報に寄れば、能力名は“天使の時雨”。羽としての効果は勿論、殺傷能力は申し分ない。
意味分からん。コキュートスも説明不足だ。まあいい。今は殺傷能力云々じゃない。
「……いい流れじゃねぇか。さあ、行こうぜ」
再び足を進めると、ブラックキラーが光の剣を出現させ、迫り来る。
絶対超合金。絶対に斬れない金属。右腕を奪った剣なら簡単に防げる。
オリハルコンの右腕で光の剣を受け止める。高らかな金属音が響く中、亜輝の口が綻んだ。
ただ、胸の内から湧き出る複雑な想いに終止符を打っただけだった。千夜が何だろうと、助けてから考えればいい。彼女は嬉しいと言っていた。だから、迷う事なない。
「光の剣だけがMSL第九位の力だと思ってる?」
「……ッ!?」
突如としてブラックキラーが視界から消えた。
空間転移だ。頭の中だけで即座に認識し、悪魔と契約した右目で予測演算をしてこの状況からの転移予測地を割り出す。この動作を一秒にも満たない時間で割り出している。
転移予測地を割り出し、前方へと転がる様に飛び込んだ。背後では太刀風だけが空を切り裂き、振り向くとブラックキラーが降り下ろした剣の光が無数に分裂しており、テーブルに溢した少量の水を連想させていた。やがて、光は再生して元へと戻る。
さっき亜輝は中距離から腕を斬られた。その失敗を繰り返す事なく、射程範囲から抜け出そうと後ずさるが、空間転移相手に距離は無力。転移で間合いを詰められて一瞬で目の前に現れた。
――――剣はどこだ。いや、右腕は!?
上半身を凝視しているが、右腕は下。それに気づくまでやや遅れ、咄嗟の判断からの行動が致命的だった。だが、身体が反射的に作動し、背中に生えた六枚の羽の二つが光の剣を弾いた。両者は怪訝な表情を浮かべながらもすぐさま後退。
イメージするだけで動く羽に亜輝は感心した。
「空間転移に洗脳に光の剣か。そんな上級魔術、どこで発動させ、操作してるんだよ」
「やはり、貴方は一筋縄ではいかないですね」
思わず吹き出る汗を強引に拭うと、ブラックキラーの曲神業の解析に諮る。
魔術というのは労働と同じく、リスクを払いリターン得る事だ。リスクは触媒と魔力。リターンは魔術の効果。だが、ブラックキラーにはリターンしか感じれない。魔力はともかく、触媒はどこにあるのか。
「コキュートス、あいつの能力に――――」
突如、言葉を遮ったのは高らかな咆哮。そして、赤に染まった空が耀きをなくした。急激に温度が下がり、周囲は薄暗くなる。
「――――なっ……なんだ?」
ブラックキラーに視線を向けたが、彼女も予想外といった態度を示している。
空を見上げると、異様に分厚い雷雲が空一面、いや匙鞍島全体を覆っていた。今にも泣き出しそうな雲は鋭い光と共に轟く爆音が鼓膜を揺らす。
『ルシファーの能力の“旋風前線”だ。覚醒間近らしいな』
つまり、天候操作らしい。だが、今みたくバカバカ雷を撃たれては堪らない。空には円盤状の雲が匙鞍島の端から端まで続いている。その向こうから飛んでくる夕陽がどこか優雅に思わせた。
まずは、ブラックキラーの能力の解析からだ。
身を低くして駆けり出すと、我に返ったブラックキラーが光の剣を持ち直し、構えた。
愚直にも両手持ちである光の剣を大振りし、亜輝を襲う。亜輝はその勢いのまま二枚の羽で光の剣を防ぎ、地面を蹴ってブラックキラーの頭上で横回転しながら、構えを取る。
波矯流心眼術・沛雨の乱。
両拳を握り締め、息を吐く。
「炯眼・漣討想!!」
無防備の背後に回り込んだ亜輝は、輝線の様に輝く瞳で狙いを定め、拳打を放った。
「ハアァァァァァァァァッ!!」
右腕から針が風船に刺さった瞬間の様なプスッという音が聞こえ、脳内にある知識が燃料が消費されて能力発動の証拠だと伝えている。
拳打が終わり、横蹴りを食らわすと、ブラックキラーの身体は易々と周囲のブロック屏にへと吹き飛び、原型をなくさせた。
「……何故、避けなかったんだ?」
空間転移が軽々しく使えるのに、あの拳打の嵐の中転移しないのは、おかしい。まるで電波をジャミングされた様な感じだ。
……ん?
亜輝の中で何かが引っ掛かった。
――――ジャミング? 妨害……か。
何かの書物で見た事がある。魔導書には程遠いが参考資料的な――――
「あっ、……そういう意味か」
「あら、ようやく気づかれましたか」
ブラックキラーが諦観した様子で立ち上がったが、その双眸には敵意がしっかりと媚りついている。
「そう。私の曲神業は太陽光を触媒として太陽光で術式を構築して発動させるのよ」
つまり、外に出ていればどんな状況でも魔術を使える。今みたいなイレギュラーな天候にならない限り、月光りでさえ発動出来る。
なら、話は早い。太陽光が少ない今、空間転移までするに難しいらしい。
亜輝は強く、蹴り出し、ブラックキラーは再び光の剣を構築。
恐らく、あの光の剣は原子分離という術式で指定した原子を分離させるらしい。遠距離から切断出来る術式からして上級魔術だと認識出来た。
拳と光の剣が交差する。拳はブラックキラーの淡白な頬を掠め、剣は亜輝の脇腹を掠めた。
鋭い痛みに無意識に羽を羽ばたかせ空へと離脱。ブラックキラーの周囲が見渡せる高度まで上がると、知識通りに羽を使った攻撃を使用した。
「“千枚の葉”」
自分のイメージよりも数倍激化した羽の刃達が次々と六枚の羽から放出され、地面へと突き刺さる。白い矢を連想させる羽はブラックキラーへも襲い掛かるが、彼女は懐からネックレスを取り出し、何やら呟いた後、唐突に姿を消した。そして、視界の端まで転移してまた羽の当たらない所に転移し、少しずつ近づいて来るのだ。
――――まさか!? 光が足りない分、術式の構築だけ賄って、触媒は持参したのか。
ブラックキラーがとうとう目の前に迫った。
瞬間的に構えを取り、技を放つ。
波矯流心眼術・沛雨の乱。
「炯眼・漣討想ッ!!」
ブラックキラーが咄嗟に光の剣で防御に回るが、武道を精進する人間には圧倒的な隙があった。
――――遅いッ!
光の剣すら弾き、アッパー気味彼女の顎へと拳を貫く。急所へと致命的なダメージを食らい、意識が揺らいだブラックキラーはそのまま上へと吹き飛び、さらに上空に投げ出された。
「終わりだ。“残光の漆黒”」
ようやく、堕天使破滅降臨未遂事件に終止符が打たれる。満身創痍の身体が風で痛む。だが、ここまで清々しいのは初めてだった。
波矯流心眼術・終いの乱―――
亜輝は落下してくるブラックキラーに向けて構えを取った。それは単純でサッカーボールを蹴る仕草だ。
「……ハハッ、完敗だ。“嘘つき”」
技を繰り出す間際、彼女は笑っていた。
「――――炯眼・天籟蒼風ッ!!」
ブラックキラーの腹部へと繰り出された技はクリティカルヒットし、ブラックキラーの口から血と息が漏れた。
ブラックキラーはそのまま落下して轟音と砂埃を立てて地面へと衝突。
亜輝も力尽きる様に地上へと着地。
すぐさまブラックキラーの方へと歩みを進めて腰に下げていたホルスターを確認する。
しかし、ブラックキラーはまだ微かに息をしており、吐血と一緒に息を吐いていた。
「まだ、生きてたか……」
その言葉に静かに反応し、目線を虚空から亜輝へと映した。
それと共に亜輝はホルスターからシグGRSを取り出し、ブラックキラーの眉間へと狙いを定める。
「奇、術師……、が拳銃…だ、とォ?」
「……違う。俺は殺し屋だ」
そのままブラックキラーは何も言わなかった。
亜輝は激しいジレンマに迫られ、眼を瞑る。
そして、引き金を引いた。
微かな硝煙の匂いと銃声。
「悪いな。殺せなかった」
銃弾は眉間ではなく右耳よりやや外側だった。
大型術式発動まで、あと五分。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
亜輝は堕天使ルシファーの目の前を飛んでいた。脇腹に痛みを感じながらも、五分と迫ったピンチを見逃さない。
今もまた、カーテンの様に堕天使の周りに下がっている髪が亜輝へと攻撃を仕掛けてきていた。堕天使は全身光で覆われているが、少しずつ黒津んできた。
「コキュートスッ! どうやって覚醒を止めるんだ? 弱点は?」
『どんなにでかくなっても完全覚醒しない限りは急所は変わらない。不完全覚醒状態はまだ人間だしな』
その言葉を聞き、すぐさま攻撃してくる髪と髪の間を縫って堕天使の胸の当たりへと向かう。だが、防御が高く、迫り来る髪の量に防戦一方。活路を見出だせない。
「なあ、千夜。お前、向日葵畑が好きだったよな。今度見に行かないか?」
反応は皆無。
髪は数十本にまで増え、亜輝の羽では防ぎ切れない量になっていた。
「だから、……いい加減、眼ぇ、覚ませよ……、人の気も知らないでよッ!」
無意識の内に、亜輝の眼から雫が落ちていた。
意味が分からず、思考が止まるが、攻撃の手は緩めなかった。
「じれってぇな……、雑魚がっ!!」
六枚の羽を動かして、光る髪を切り裂く。グロテスクな音と共に切断された髪が光を失い、落ちていく。
即座に巨大な顎へと逃げ、巨大な一撃をかます。
今回は違う。三年前は己の力不足のあまり、あの人を失った。あの事件に関わった者は少なからず何か重大なモノを失った。だが、今は違う。もう何も失わせない。
「――――波矯流心眼術・終いの乱!」
嗚呼。俺、好きだから泣いてんだ。
「――――炯眼・天籟蒼風ッ!!」
ようやく、この事件が終結する。
市街地や沿岸の方では赤い信号弾が放たれている。制圧が終了した証拠だ。
加速化していく蹴りが急所へと近づいて行く。そして、その事件の終結は呆気なかった。
刹那、鮮やかな瞬きが匙鞍島全体へと広がり、空が晴れ渡った。空が朱色だ。
――――俺達は、この空の下で生きてくのか。
気がついた時には、地面に仰向けになり、空を見上げていた。横にはすやすやと眠る、想い人。
その考えに匙鞍島特有の風が返事した。
嗚呼。俺は、『幸福な結末』に出来たのか。