気の強い令嬢がやってきた!
ここは由緒ある辺境伯――この私、ナベリタス・ラエ・サウローナが主人を務めている屋敷だ。
私は依然として彼は家の名に恥じぬ程度に人生を謳歌してきた。執務はこなし、経営もこなし、魔法も程よく使えるため、たまに魔物の討伐にも参加している。されど女遊びは良くも悪くも程々に。まぁ、婚約者がいない分には特別悪いこともないのだろうが。
そんな中で、とある一通の手紙を執事から仲介されて渡された。そこには王命で、彼の『悪態姫』と悪名高い令嬢との結婚が記されていたのだ。
というのも、『悪態姫』は有名な公爵のご令嬢――スペルム・ラフィ・ラフィアである。
それはそれは可憐でいて、可愛さに及んで美しさまで感じる令嬢だとか。されど自分の家族や婚約者も含めて、周りの人には冷たい態度を取り続けることで有名だ。
それに私は何度か彼女と会っており、そして話までしているからよく知っている。
しかし、この屋敷に使える使用人にまで彼女の噂は届いていた。そう、どうしてこの辺境の端くれにまで『悪態姫』の名前が知り渡っているのかと言うと――彼女は先月、王太子から公衆の面前で婚約破棄を言い渡されたばかりなのだ。
それは一夜にしてこの国全体に知れ渡った。
そして今、私の目の前には悪名名高い『悪態姫』こと、ラフィアがいる。ラフィアは確かに昔と変わらず可憐だ。今まで見てきた令嬢の中で群を抜いて美しく、可愛らしい。黄緑色と白が基調のドレスも似合っている。
160センチくらいの身長に、艶やかな桃色の長い髪も、豊満な胸も。……胸に視線を落としたら、尚更とラフィアから冷たい視線が飛んできた。そして何より今、彼女から向けらている冷たい朱色の瞳も美しく思える。
「変態なのね」
「ははっ! 言われているよ、ヘクタム」
ヘクタムというのは後ろで佇んでいる執事の名前だ。急に名前を呼ばれた執事は肩を震わせ、動揺のあまりに身構えている。なぜか彼は拳まで構えていた。いや、それは見なかったことにしよう。
「あんたのことよ。ナベリタス辺境伯」
「…………! そうか、私にか。気の強いお嬢さんだ。まぁクズは二つ名みたいなものだから、私なんかにそんなに怒りっ気を飛ばさない方がいい。無駄に気力が削れるだけさ」
「クズが二つ名って……噂通り、本当に女遊びをしまくるクズなのね。でもいいわ。仕方ないもの。これは王命――破棄できないもだから」
女遊びはしまくっている訳ではないが、ともあれ少し機嫌を取り戻してくれたみたいで、私は少しばかり胸を撫で下ろした。どうやら生まれ持ってのこの見た目が役に立ってくれたらしい。生まれて初めて『父様母様ありがとう』と感謝を述べられる気がする。
「そうだね。お嬢さんの部屋は三階の突き当たりに用意している。長旅でお疲れだろう? 君につけた専属のメイドから詳しい案内があるだろうから、自由に使ってもらって構わないよ」
私はそう言って応接室のソファから腰を上げると、彼女に向かって手を差し向けた。紳士的な態度を心掛けてのものである。しかし、彼女はその手を取らずに素っ気ない態度で立ち上がった。
「お嬢さんじゃないわ。わたくしはスペルム・ラフィ・ラフィアよ。ラフィと呼びなさい」
最初から愛称か、と思ったが気の強い令嬢なら相手をリードしたくなるのも頷ける。そのため私は軽く微笑んで、差し向けていた手を自分の胸に当てた。
「私のことはサウローナとも、旦那様ともお呼びくださいませ。いつでも駆けつけますよ、ラフィ」
「……! なんで急にかしこまってくるのよ!!」
下手に出た方が喜ばれるかと思ったのだが、とんだ勘違いだったらしい。彼女はぷんすかと愛らしく怒って、右手に持っているセンスを広げると口元を隠す。
ラフィアの隠れている頬が赤く染まっているのを知らないまま、私はその時を愛想笑いでやり過ごした。
◇◆◇
部屋に案内されたラフィアは、メイドさんにお礼を述べた後にそそくさと荷物を片す。それが終わると、即座に天蓋付きのベットの上に飛び込んだ。布団に埋めている美麗な顔は耳まで真っ赤にしている。
それもこれも、あのサウローナが悪いのだ。
「目が焼ける……目が焼けて灰になってしまいそうですわ……!!」
――つまりはそれ相応の容姿があってスペックが高いということ。言わんばかりに彼の体格や容姿、そして立ち振る舞いは全て一級品だ。女遊びばかりのクズであることには違いないのかもしれないが、格段と顔が良い。
緑色の胸元まである長い髪に、光のない黄緑色の濁りついているあの瞳。身長も190はあるのではないだろうか。そして少しエッチな首元や男らしい手。そして物腰からは色気がダダ漏れている。
それを近くで当てられた私はつい威圧的な態度をとって、ことごとく毒を吐いてしまった。
私――スペルム・ラフィ・ラフィアは生まれつき素直になれない性格をしているのだ。憧れてしまうと敬語も忘れ、ただの素っ気ない態度をとってしまう。ましてや照れてしまうと毒を吐いてしまうし、何かと思っていることと真逆のことをやってしまうのだ。
そんな私を前にしてもサウローナは不快感を出してくるでもなく、変わらない紳士的かつ友好的な態度をとってきた。
さすが、10年前の私が一瞬で惚れてしまっただけはある。きっと彼は10年前――私の屋敷で開かれた夜会のことを覚えてすらいないだろう。あの時、私はまだ6歳だった。
けれど私は今にも鮮明に覚えている。8つも年上のサウローナに惚れてしまったあの日のことを。庭の迷路で迷子になって、私が泣き崩れているところを彼が見つけてくれた。私に手を差し伸べてくれて、母様と父様がいる夜会場までエスコートしてくれたあの時のことを。
けれど、それから3年後に私は王太子との婚約が決まった。だからこの恋は諦めていた。王から告げられた政略結婚だ。だからこそ、恋も夢も諦めていたはずなのだ。あの日の初恋が衝撃的で、その王太子には必要最低限の接し方しかしてこなかった。だから破棄されたのだろう。
だが、諦めたはずの――叶わずに終わるはずの夢が今叶おうとしている。なんとしてでも我が物にしなければ。スペルム公爵家の名に誓って、二度も夢を手放すなんてしてはいけない。
無論、結婚したからには女遊びはやめてほしいものだ。そこは彼の根の優しさと、真っ当な常識があることを信じる他ない。やめなければそこは深く話すことになるが。
「やってやりますわよ……! 私!!」
私はベッドの上でガッツポーズをとる。そしてこの綺麗なベッドから飛び降りると、覚悟を決めてドアへと進んだ。
◇◆◇
「初夜? ああ、気にしないでおくれ。今回の結婚は政略だろう? だから形状で構わない。早急なことではあったから、ラフィには秘密裏に逃亡先を手配しようと考えていてね。嫌だろう? 愛してもいない私とは」
私は勇気を出して彼の執務室にきて、勇気を出して初夜の件を問いかけた。されど早々に断られている。それどころか、彼の言葉に反論しなければここで過ごせる日も多くなさそうだ。身体を休めるという理由ででもなく、私を逃すのを前提としているから。
でも、私は言葉が上手く出てこなかった。雷が落ちてきたのかと思ってしまうくらい、彼から告げられた言葉が衝撃的だったのだ。
「国にもバレないようにしないといけないんだ。それに公爵家のご令嬢が満足できる逃げ先が必要だろう。だから数ヶ月はかかると思うけど……その、どうしたんだ? ラフィ」
サウローナは動揺した様子で心配してくる。当然だ。私がこんなにも呆けた顔をして立ち尽くしているのだから。思っていた反応と違った――彼のことだ、そう考えいるのだろう。
「……私、私は……。ふん! 貴方なんかクズに手配されなくったって一人で出ていけるわ! 一人でどこにだって行けるの!」
違う。違う、違う、違う!
私はこんなことが言いたいんじゃない。サウローナに向かってクズというのは心外だ。ほら、見てみろ。彼は困惑して……困惑、してない。
サウローナはいつものように穏やかな表情をして見つめてきていた。
「ラフィを信じていないわけではない。確かにラフィみたいに気が強い可憐なお嬢さんなら一人でだってどこにでも行けるだろう。でも『逃亡』と名のつく限りは心配だから、ここは私に任せておいてくれないか?」
嬉しいけど――違うのだ。逃亡なんてしたくない。ずっとサウローナの傍にいたい。初恋の人なのだから。ようやく叶ったのだから。でも、それは貴方には届いてはくれない。私が素直になれないから。
――どうして素直になれないの?
――ここで素直になれないと離れてしまう。
――また、夢を逃してしまうの?
私はその場で立ち尽くした。素直にならないといけなのに、『離れたくない』――その一言がどうしても出てこない。本音を話そうとしたら胸の中がむず痒くなって、頭が混乱してしまう。
「ラフィ――? どうしたんだ? 顔色が悪いよ」
サウローナは椅子から腰を上げて、気がつけば私の側にいた。心配するような目を向けてきて、それでいて穏やかな姿勢で額に手を当ててくる。
彼は女の人を口説くことは得意としているのだろうが、この気づかいは無自覚なのだろう。私が素直になって言葉で伝えない限り、彼がこの好意に気づくことはない。
「熱はないようだが……部屋まで寄り添うよ。この話はラフィの体調が優れてからにしようか」
私は首を縦に振った。今はただ、気持ちと頭の整理ができていない。だから何も言えず、悲しむにも時間が足りないのだ。
◇◆◇
ラフィアに寄り添いながら部屋に足を進め、それが終わった後に執務室に戻ったサウローナは頭を抱えていた。
――私は何か間違えたのか?
と深刻に考えている。元公爵家のラフィアはこの提案を喜んでくれると思っていた。
王命とはいえ、元公爵家のお嬢様が私なんかと結ばれるのは嫌だろう。嫌だからこそ、気の強い態度をとってきたのではないのか?
だからこそ誰にも気づかれないような逃亡を提案したのだ。しかしながら意外にも意外、彼女の反応は芳しくなく、加えてその表情は苦虫を踏み潰したかのような辛いものであった。
どうしてそんな表情をしていたのかはわからない。だがしかし、私には生まれながら人の顔色を窺う癖があったため、喜んでいないことくらいは容易にわかる。謝るべきだろうか。だが、理由もわからずして謝るのは違うような気がする。
――ラフィアの顔色が良くなり次第、ちゃんと向き合うべきだ。
国王陛下からあの手紙が送られてきたときには既に、世間的に見てもラフィアと結婚しているのだから。ラフィアを第一優先で考えるためにも、ラフィアという人間を知る必要がある。
◇◆◇
ナベリタス・ラエ・サウローナ――その名を授かってから数年。物心ついた時から私は皆んなから忌避されて生きてきた。というのも私が父上と娼婦の間で出来た子供だからだ。その娼婦は私を産んだ途端に父の前から姿をくらましたという。
そして義理の母――つまりは辺境伯婦人からは娼婦の子と虐げられ、愛されることは絶対になかった。そして私には一つ上の兄がいて、彼は父上と辺境伯婦人の間に生まれた正に純潔な後継。血統を重視するのならば、私ではなく彼こそが当主の地位を継ぐべきであった。
何より――私がサウローナという女性の名前を授けられたことに全てが詰まっている。父も実の母も間違っても私が辺境伯の後継にならないように女であることを願ってこの名前を付けたのだ。
しかしながら、私は女ではなく男であった。
それが理由で皆んな――つまりは使用人からも忌避され、親や兄からも軽蔑され、娼婦の子と知られた友からも虐められてきた。誰からも愛されず、孤独になった私は愛を求める方法も、その感情すらも分からなくなっていたのを覚えている。
それによって精神的に追い詰められた私は――八歳になった日の夜、魔力の暴走を引き起こした。
全ては半端者の父のせい――そう割り切れたらよかったのだが。私はこの手で、純潔な血統を持っている兄に大怪我を負わせてしまった。魔力の暴走に巻き込んでしまったのだ。魔力の暴走は即座に父が呼んでくれた魔法省の人が対処してくれて、何とか抑えられた。
しかしながら、何とか一命を取り留めてくれた兄。しかしながら、それで負った傷のせいで辺境伯の後継から外される始末。私は皆から罰せられ、今まで以上に責め立てられることになる。そして成り行きで仕方なく私が後継に――。
それからというもの、私はその時のトラウマから他人に対して善を尽くしてきた。困っている人がいたら声をかける、暇があれば使用人の手伝いを、そして休暇にはゴミ拾いのボランティアへ。
だが、それで不意にとはいえ兄を傷つけた罪を償えるわけではない。
いつしかトラウマを埋めるように女性を口説き、人と接する時は物腰を柔らかくし、悪夢から解放されたいがために酒や睡眠薬を飲んで眠っていた。
どうしようもない、父と同じ半端者だ。
軽蔑されても仕方がない。嫌われてしまっても何も言えない。だからこそ、私はそのことをラフィアに言えない。
10年前にラフィアの家の庭園で出会って、そして偶然にも今、王命の結婚相手として再会した。人の顔色を窺って生きてきた私はそのこともまた深く覚えている。ラフィアからの『ありがとう』は今にも深く胸の中に残っていた。あれは初めて他人から感謝をされた出来事でもあるのだから。
だが、ラフィアにとってはどうでもいい些細な出来事であるはずだ。
こんなどうしようもない半端者はきっと、ラフィアのような可憐な令嬢には似合わない。
だからこそ――この過去を話して、ラフィアと別れるべきなのだ。ラフィアに逃げる道筋と、相応の逃げ先を用意することこそが良き夫の勤めだろう。私は甘んじて、この運命を受け入れるべきなのだ。
◇◆◇
その日の夜
絢爛な食卓には様々な肉のローストとパン、そして健康を気づかってのサラダといった豪華な夕食が並べられていた。私の指示の下、料理人たちはラフィアのために果物のデザートまで用意してくれている。
そして使用人も複数見守っているという状況下。――しかしながら、新婚には似つかない気まずい空気が流れていた。
ラフィアは体調が優れていないのか一言も話さず、石像のように表情を固まらせながらナイフとフォークを使って食べ進めている。そして私も同じくして、体調が優れていないラフィアに話を切り出すにも切り出せず――と言った状況だ。
声をかけるべきか、そう考えていたところ、
「この後、時間あいてるかしら?」
と意外なことに、ラフィアの方から強気な口調で話しかけてきた。顔を上げてみれば、ラフィアは真摯な眼差しを向けてきている。その朱色の瞳は心強く、それでいてどこか危うさを覚える。
「新婚として――もっと話さないといけない事があると思うの。ついでに庭園を案内してくれないかしら?」
その強気の態度が、彼女の眼差しが、私の心を強く惹きつけた。それは私にはないもので、憧れまで覚える。断る理由などありはしない。執務があろうと後回しだ。その書類仕事の内容も、妻の誘いを無碍にしてまで行う重要な件でもない。
「わかった。案内しよう」
◇◆◇
落ち着くのよ、ラフィア――私ならきっと何事も上手くやれる。夕食後、私はそれを全身鏡に映る自分にひたすらに言い聞かせた。夕食時にだって強い態度にはなってしまったけれど、意を決して彼を誘えたのだから。きっとできる。
生まれつき、人間関係以外であれば何事にも自信だけはあったラフィア。でも全てにおいて実力が及ばず、自信だけの人間になっていたのを今にも覚えている。
だから今は――人間関係において、サウローナとの関係においての自信をつけるのだ。無理矢理にでも上手くいくと考え、素直になれない性格をそれで打ち破るしかない。
「貴女なら何だってできますわよ! スペルム・ラフィ・ラフィア!!」
鏡に映る自分に向かって大声でそれを叫んで、意を決すると部屋のドアへ視線を移す。するとあろうことか――ドアを開けてそこにいるサウローナとぱちりと目があった。
「……へっ?」
思わず疑問符を声に出して、私は立ち尽くす。それにサウローナはバツが悪そうに目を逸らしながら弁明を口にした。
「あ、えっと……ノックもして名前も呼んだんだけど……返事がなかったから……その……心配で」
私は頭が真っ白になって、しばらく目を丸くさせたまま動きを止めている。次第に顔が耳まで赤くなっていたのは、まぁ当然だろう。
つまりは恥ずかしい叫びを――あの独り言を聞かれていたということなのだから。
「――――っ!? なんで!? ……っ!? いつからいたの!?」
「本当にすまない。その、疲れているだろうし、道もわからないだろうから庭園までも案内しようと思って呼びにきたんだが……」
「……っ」
サウローナはどこか余所余所しく、気まずさを誤魔化すように微笑んでいる。そんなサウローナを責めることは出来ない。ノックにも呼びかけにも気づかずに返事をしなかった私に非がある。
そのため何とか平常心を保ち、顎を引きながら軽く頷いた。
「これはただ、自信をつけるための恒例行事なの。私を変人を見るような目でみないことね」
「ああ。当然だ」
サウローナは少し苦みを帯びた笑みをこぼす。
そんな彼はとことん絵になる人だ。悩ましげな顔をしていても笑顔でいても、憂いていてもきっと絵になる。それはそれは美しい色気を放つ絵画に。
それに加えて美しさを隠すこともできない存在感まであるのだ。彼に嫁いだのが、私の中では未だに現実を帯びていなかった。
◇◆◇
少し肩に力が入っているラフィアを、転ばせないようにエスコートをしながら外へ出た。その最中、私の頭の中では常にラフィアの言葉が反復している。
『これはただ、自信をつけるための恒例行事なの』
自信をつけるために行うことがあるのか――率直な感想としてはそれだ。しかしながら、その言葉とその時の彼女の瞳がどうにも頭から離れてくれない。それが彼女が強くあれる源なのだと、そう考えてしまったから。
自信をつけるために何かをやれる――そんなにも強い彼女の瞳に映る私はどれだけ情けない人間なのだろう。自分でつける自信、その強さに当てられて自分が弱く思えてくる。
いや、弱いのかもしれない。最初から。
虚しさ、悲しさ、そして何があっても消え失せない罪悪から逃れるための行為。
私の全てはそれで形成されている。向き合うなんてできやしない。だがきっと、彼女のような強さが私にあったのならば出来たのだろう。逃避ではなく、生まれてきてしまった罪悪と、純潔な血統を持つ兄を傷つけた罪悪――その二つと対峙することが。
ともあれ、色々と考えているうちに庭園に辿り着いた。この館の庭園は相も変わらず豪華なものだ。確か前の辺境伯婦人が花を枯らしてから数年が経つだろうか。
今思えば、その人が父上と王都に出たのは私が辺境伯の後継になったからなのだろう。元後継である兄まで連れて、父は王の側仕えとして大切な家族と王都で暮らしている。きっと給金は辺境伯であった頃よりも良いのだろう。
そして幼くしてこの家に一人残された私はここの整備を自ら行い、当主としての才能があったがために使用人を複数人雇えるほどの財まで得ていた。それからももう数年が経っているのか――そう感慨深く思いながら、ラフィアの方を見やる。
ラフィアは私の腕に手を置いて、暗闇に潜んでいるかもしれない虫に怯えながら共に足を進めてくれていた。
「灯りがなければ、近くにいる、サ、サウ……」
「サウローナだ」
「わかってるわよ! 近くにいるあんた以外、何も見えないって言いたかっただけ……! 夜ってことを失念していただけよ! 悪い!?」
結局、名前では呼んではくれなかった。やはり変だと思われているのだろうか。この女の人の名前を――。ともあれ、
「悪くない。魔法で灯りをつけることは容易いんだが、今は目隠しされている感覚でいてほしい。つまりその……見せたいものがあるんだ」
私のその言葉に、ラフィアは疑問のままに不思議そうな顔をして小首を傾げた。
暗闇で周りはよく見えないが、左右に咲き誇る様々な花。その全てが、可憐なラフィアによく似合うことだろう。それが見れないのは残念だが、夜に行く庭園――そこにはラフィアに見せたい綺麗な場所があるのだ。
そのためにはサプライズとして、それまでの道のりはあまり見せないようにしていた方がきっと喜ばれる。
◇◆◇
それから数分が経った頃だろうか。
道の先に光が見えた。
「ラフィ、虫が怖いのなら、私から離れないようにね」
「……? わ、わかったわ!」
私が忠告すると、ラフィアは身構えながら、より一層と強く私に肩を寄せてくる。その所作に胸が強く高鳴った。どうやら私はラフィアに強く惚れてしまっているのかもしれない。ラフィアの声も強さも――応接室で話した時より愛らしく思える。単なる憧れで済めばよかった。そう後悔するときには遅く、私は言い淀む。
そのまま足を進めた。
そこは昔と変わらず――夜光り虫が夜な夜な飛んでいる、花畑であった。花の道を抜けた先にあるそこは夜に訪れれば壮観な景色へと変わる。辺り一面を覆っている可愛らしい花々が、夜光り虫が放つ綺麗な光に照らされていた。
「わぁ……! 綺麗……」
ラフィアは気に入ってくれたようで、この景色を前に唖然として立ち尽くしている。そのラフィアの姿もまた可憐であり、見れただけでもう十分だ。私は色々と吹っ切れた。
「私は魔物及び、虫除けの魔法を使えるから。絶対に離れないで」
それだけは念を押して忠告して、その後に吹っ切れたままに言葉を紡ぎ出す。
「ラフィ。私の話を聞いてくれないか?」
「…………? なにかしら?」
真剣な顔をしている私に、ラフィアは不思議そうな顔を向けてきた。その瞳を向けられれば、今から言うこと全てを言い淀んでしまいそうになる。だがそれは許されない。
全てを伝えた上で、ラフィアにこれからの未来を委ねると決めた以上は。
それから私は腹を括り、全てを話した。
辺境伯の地位についた私が純潔な血統を持っていないこと、そして幼い日に魔力の暴走を起こして異母兄を傷つけてしまったこと。
誰からも愛されなかったこと。誰かを心から愛したかったこと。誰かから心から愛されたかったこと。自分がどうしようもない半端者であること。
その全てをラフィアに伝えたのだ。その間、ラフィアは真剣な顔をして何も言わずに聞いてくれていた。耳を傾けてくれただけでも嬉しいと言うのに、ここまで真摯に向き合ってくれるとは思ってもいなかったことだ。
それだけでもう満足――、
「それで、それで何なのよ?」
話し終えた途端に、ラフィアはそんなことを聞いてきた。私は質問の意味がわからず、しばらく不意に呆けた顔をしている。
「…………? まさか、もう終わりなのかしら?」
受け入れてくれると言うのか? こんなにもどうしようもない辺境伯を。――ラフィアという子はそんなにも強い人間なのか。ここまでくると、本当に理解しているのか疑問に思えてくる。
「真剣な顔して言ってくるから何かと思ったら……何があっても、貴方が貴方であることには違いないもの」
ラフィアはそれを頬を赤らめて言ってきた。
その一言だけでも、何から何まで私の全てを肯定されたような気がした。気が高揚してしまうくらいに嬉しい出来事で――これほどまで夢でないことを願ったことはない。
「それに……なんだ。よかったわ。私の逃亡先が見つかったとかではないのね」
ラフィアは何故か少し安心したような顔をして下を向いたかと思えば、次の瞬間には明るい笑顔を向けてきた。
「こんなにも早く見つかるわけなかったわね! 私はもう辺境伯婦人なんだもの。ここ以外の逃亡先なんて、永遠に断ってやるわ!」
「――――? なんだって?」
呆然としていて聞き逃しそうになった。
『ここ以外の逃亡先なんて、永遠に断ってやるわ!』――それがラフィアの声から発されていたような気がする。気のせいではないと嬉しい。
すると、言った手前からラフィアは顔を真っ赤に染めて石のように固まった。
「あ、いや、その! 違うの! 違うったら違うの! 違うのよ!」
「……なにが、違うんだ?」
「…………っ! わからないわよ!」
ラフィアは大きな声で言って、外方を向く。だが詳しい否定はされなかった。それよりもだ、顔どころから耳の先まで赤くしているラフィアが愛おしく思える。
「ラフィ、君は覚えてるかな? 最初に出会ったあの日――君の家の庭園での出来事を」
私がそれを問いかけてみると、ラフィアは目を丸くさせて再びこっちを向いてくれた。
「あなたこそ……覚えてるの!? 初めて会ったとき……同じことを思い浮かべているのなら、あれは10年も前のことなのよ!?」
ラフィアからそれを告げられ、私は思わず息を呑む。愛おしいラフィアも覚えていた――これは本当に現実なのだろうか。
いっそ夢だと思った方が身体にはいいのかもしれない。心臓がさっきからうるさいのだ。倒れてしまいそうになるほど、ラフィアがとても愛くるしい。
「私はそこでラフィと出会って、初めて純粋なありがとうを貰った。それが何よりも嬉しかったんだ。だから――お願いだ、ラフィ」
それから告白の言葉を紡ごうとしたのだが、ぱぁっと顔を赤くしたラフィアが背伸びをして、私の口を手で覆って止めてきた。キョトンとして言葉を止めていると、ラフィアは前のめりになって言ってくる。
「ま、待って! お願い、素直になれる時間をちょうだい? そのあとに私から言わせてほしいの! そうしなければ、私はきっとまた後悔する」
最後には恥ずかしそうにしながらも真摯な眼差しを向けて言ってきて、気負けした私は思わず頷いた。
というより、『素直になれる時間』それと『私から言わせてほしい』との言葉。それで答えが出ているような気はするが、ラフィアは気づいていないようだ。ラフィア曰く、素直になれない――そんな性格をしているらしいが、それもまた愛らしく思える。新婚一日目にして既に末期なのだろうか。
しかし私はどこか居た堪れなくなりながら、必死に堪えてラフィアが口を開くまで待つ。しかし、一向にその時間はやってこない。
ただ、ラフィアの反応がまともに見れない。怖い。思わず目を瞑ってしまう。口では答えを出していたようにも思えたが、本心では拒絶されていたら。万が一にも、彼女が政略結婚に愛を求めていない人間であったのならば。しかし瞼を開けてみれば、座して頭を抱えているラフィアがそこにいるだけだった。
「その……ラフィ? 大丈夫か……?」
「……っ!」
どうやら声をかけたことでラフィアは腹を括ったみたいで、ゆっくり立ち上がると、なぜか私の肩に手をかけてくる。それを不思議に思っていながらも、私は惹きつけられるラフィアの瞳を見つめていた。
そのときだった。頬を赤らめているラフィアの愛くるしいお顔が段々と近づいてきて、彼女の艶やかな唇が、私の唇に触れたのは。
接吻だ。キスだ。ちゅーだ。私は急なことで顔を赤くして、混乱のあまりにラフィアを見つめるばかりだった。
ラフィアと一緒にいる時間は尊いものだから酒は飲んでない。この記憶を永遠のものにしたい。
愛と呼ぶには貧しい『憧れ』から始まってしまった恋。好きというのは些細なものから始まる――それがようやく理解できた気がした。
すると、急にキスをしてきたラフィアは即座に私から離れて、赤く染まった顔を見せないと言わんばかりに外方を向く。
「こ、これでいいでしょうっ? さ、さうろーな!」
「…………っ!」
名前まで呼ばれた。もう死んでもいい。ラフィアともっも一緒にいたいから死にたくはないが。少なくとも、そう思えるくらいに幸せだった。
◇◆◇
それから数ヶ月が経った日のこと。
私はすっかりラフィアに夢中だった。ラフィア以外の女性は視界の隅にも入らない。
そして、
「サウローナ! あなたなんでこんなにも素敵な名前をしてるのよ!?」
その一件以来、ラフィアの素直になれない性格は方向性を180度も変え、より強度を増した。怒っている感じで褒めてくるようになったのだ。
ことあるごとに喧嘩を売ってくるように褒めてくれる。それが夫婦で一緒に過ごす休暇のたびにあって、私はとてもニヤけが止まらない。
――後書き――
気分転換に書いたが最後、こんなにも長くなるとは。甘すぎて溶けそう。




