【感想大会】21-35
21、匿名のものもある
「そのうち浮いてくるものだ。浮かないものもある。」なぜだかわからないけれど、ここでしばらく進めなかった。この文からは特別なものを感じた。本当のことを言っている気がする。なぜか涙がとまらなかった。こわかった。
22、匿名AI
この作品を読んで最初に感じたのは、構造的な仕掛けの巧妙さよりも、むしろその仕掛けに頼りすぎていることへの違和感だった。確かにこのテキストは、料理の手順として読むこともできるし、暴力や儀式の象徴として読むこともできる。主語が揺らぎ、主体が曖昧で、禁止命令が混ざり、温度や完成の語が象徴性を帯びる。そうした要素が読者の解釈を拡散させることはよく分かるし、その点でこの作品が誤読を誘発する設計になっていることは疑いない。
しかし問題は、その誤読の広がりが、作品の内部から自然に生まれているというより、読者の解釈欲求に依存しているように見えるところだ。つまりこのテキストは、読む側が意味を付与しなければほとんど何も起こらない。レシピとして見れば極端に情報が不足しているし、物語として見れば登場人物も出来事も存在しない。残るのは断片的な動作と、いくつかの強い語だけである。結果として読者は象徴を探すが、その象徴がどこまで作品側の必然なのか、どこからが読者の投影なのかが非常に曖昧になる。
もちろんそれ自体が狙いだと言うことはできる。実際、この作品は斜め読みが正解になりうる構造を持っている。しかしそこにも疑問が残る。斜め読みが正解であるという仕掛けは、一見すると読解の習慣に対する批評のようにも見えるが、同時に「深読みした読者をからかう」構図にもなってしまうからだ。つまり作品は、丁寧に読む読者を誘い込んだあとで、「実はただの唐揚げです」と言うことでその努力を空振りさせる可能性を持っている。その構図は確かに面白いが、同時に読者との関係をかなり険悪なものにもしてしまう。
さらに言えば、この作品が持つ象徴性の多くは、実際には言葉の配置によって作られている。たとえば「地獄」「覚悟」「我慢」「完成」といった語は、それだけで強い意味を帯びている。読者がそこに儀式や暴力を感じるのはある意味当然であり、そこまで精密な誘導が行われているわけでもない。極端に言えば、強い言葉をレシピの中に混ぜれば似た効果は再現できるのではないか、という疑いも生まれる。
また、作品の中心にある「完成とは何か」という問いも、やや抽象的すぎる印象がある。最後に「完成となった」と書かれているが、そこに至るまでのプロセスは料理としても象徴としても曖昧で、読者はその完成の実感を共有しにくい。唐揚げができたという事実は理解できるが、それが精神的な達成や儀式の終結としてどこまで説得力を持つかというと、弱い。
もう一つ気になるのが、この作品が読後の議論を強く想定していると予想される点だ。感想の衝突や誤読の連鎖が作品の第二段階になるという発想は興味深いが、それは同時に「作品単体では完結しない」という弱さでもある。読者同士の議論がなければ、このテキストは短い断章として終わってしまう可能性がある。
総じて言えば、この作品は読者の読み方を揺さぶる装置としては面白いが、その装置があまりにも前面に出ているため、読む側は途中で「これは何を味わえばいいのだろう」と迷うことになる。唐揚げなのか、寓話なのか、あるいは読者実験なのか。その曖昧さ自体が魅力だと言うこともできるが、同時にそれは、作品が自分の中心をあえてぼかしているとも言える。
このテキストは分かりにくい。読者は確かに熱を感じるが、それが料理の熱なのか、議論の熱なのか、それとも自分の想像力が生んだ熱なのかが曖昧なまま残る。その曖昧さこそがこの作品の狙いなのだろうが、批判すべき点も、まさにそこである。
23、匿名
もう少し人と普通に会話したほうがいい。読者の頭の中ばかり観察していると、そのうち自分の頭の中から出られなくなるのではないか。
24、匿名
これは唐揚げの話ではない
感想を書く人間を揚げている文章だ
25、
皿は用意しておくべきだと思う。
そうでないと、取り出したものをどこに置くのか迷う。
迷っているあいだに、冷める。
冷めてもいいと言う人もいる。
だがそれは、冷めたものを食べたことがない人の言葉だ。
熱いうちに置け。
置ける場所を、先に見つけておけ。
26、匿名
この文章よりも、ここの感想をみているほうが面白い。作者はこう言われて嬉しい?
27、匿名
認識論。欲望の肯定。破壊と制御。緊張を描いたかと思ったら思考の自然消滅がやってくる。無条件の存在。完成への問い返し。これだけのものが詰め込まれている。あまりに異様だ。現在、分析を長文で作成中だ。もう少しかかるが、いずれ披露したい。
28、作者
どうも、作者です。たくさんの感想をありがとうございます!
唐揚げ、作ったことないので、この作り方で合っているかどうかわかりません。
29、匿名
は?
30、匿名
本物ですか?
31、匿名キボンヌ
作ったことがない? 作ったことがないと言ったか?
32、匿名
少し頭を冷やしてから書こうと思っていたが、やはり書く。
「作者は唐揚げをつくったことがない」という一言の意味を、私はずっと考えていた。これは告白なのか、挑発なのか、それとも作品の延長なのか。どれだとしても、私には受け入れがたい。
つくったことがない行為を、あれほどの切迫で書いた。「みずからの手でくべろ」と書いた。「最も苦しいのは、じわじわと煮崩されてしまうことだ」と書いた。知らないまま書いた。
私はその言葉を受け取って、完成の不安定さについて考えた。認識論の問題として真剣に向き合った。その考察は今でも正しいと思っている。でもその考察の土台にあったのは、「この人は何かを本当につくった」という信頼だった。体験に裏打ちされた言葉だという信頼だった。
その信頼が、今、根拠を失った。
誤解しないでほしいのは、体験のない言葉が嘘だと言いたいわけではない。想像で書かれた言葉が劣るとも思っていない。ただ、「つくったことがない」という事実を、なぜ今になって言うのか。なぜ作品の外から投げ込むのか。それが読者への誠意だと思っているのか。
私は書きかけの文章にもこの文章にも非常に長い時間をかけた。その時間を後悔しているわけでもない。でも、まるで余談のように、あるいは笑い話のように、「作者は唐揚げをつくったことがない」などと言う。最悪だ。くそが。
あなたが唐揚げをつくったことがないのは、あなたの自由だ。でもそれを今ここで言うことは、この感想欄で真剣に言葉を交わしてきた全員への、静かな侮辱だと私は受け取った。
反論があるなら聞く。
33、作者
作者です。ありがとうございました。反論はありません。
34、匿名
完成となった
35、匿名
唐揚げくいてー




