【感想大会】11-20
11、匿名
この文章は読者が勝手に意味を見つけることを期待したものだ。甘えるな。書き手がやるべきことを読者に求めるな。「どう読んでもいい」とかいう態度では、何も書いていないようなものだ。
12、匿名
また実験小説だ。この作者は最近、以前にもましておかしくなった。わけのわからないものばかり書いている。こんなものを書いても誰も見向きもするわけがないというのに、誰も彼(彼女かもしれないが)を止める者が周りにいないのだ。きっと孤独なのだろう。友人も恋人もいないに違いない。誰とも話さずひきこもっているだけだろう。しかも、こうした実験小説には前例があり、何番煎じかもわからない。何に影響されたのか知らないが、こんな小説未満の作品未満を堂々と出してくるやつの性根が直ることは一生ないのだろう。
13、匿名
文章が単調で、おもしろくなかった。主語が何かわからないので、いちいち止まってしまって、すらすら読めない。不親切だなと思いました。
14、匿名
大感想大会だ、とのことですので、感想をします。最初は単純な感想を書くつもりでした。唐揚げの話なのだから、唐揚げの魅力について語ればいい。そう思って読み始めました。
しかし読み進めるうちに、奇妙な違和感が生まれてきます。
このテキストには、確かに唐揚げが登場します。けれども、唐揚げの描写がどうにも希薄なのです。
まず匂いがない。普通、唐揚げを扱う文章なら、油の香り、醤油やニンニクの匂い、揚がる瞬間の湯気、そうした嗅覚の情報が自然と立ち上がってくるはずです。
ところが、この文章ではそれがほとんど感じられない。
私は最初、これは意図的な省略だと思いました。つまり「香りの欠落」を通して、読者に想像させる技法なのではないか、と。
しかし読み返してみても、やはり唐揚げの存在がぼんやりしている。
そこで次に考えたのは、この作品における唐揚げは実体ではなく「概念」なのではないか、という仮説です。
唐揚げという言葉だけがあり、その物質的なリアリティはあえて描かれていない。
つまりこれは、唐揚げの不在を通じて、「唐揚げとは何か」を問い直す哲学的テキストなのではないか。
……と、ここまで考えてから、少し冷静になりました。
いや、待ってください。
唐揚げの哲学とは何でしょうか。
唐揚げは哲学するものではなく、食べるものです。
そうなると、この文章の問題はもっと単純かもしれません。
唐揚げの描写が弱い。
読んでいて、まったく腹が減らないのです。油の音も、衣のサクッとした感じも、湯気も、香りも立ち上がってこない。
唐揚げという題材を扱いながら、唐揚げの核心――あの香り――に到達していない。
私はここまで必死に解釈を試みましたが、結論として残ったのは、とても単純な感想です。
この文章には唐揚げの匂いがしません。
15、匿名
「煮えたぎる油」とあるが、その表現は熱すぎないか? これ焦げます。全体的に数値がないので、どんな味や食感なのか想像できない。揉んで粉をつけて揚げるなんざ、みんな知ってる。あと二度揚げしないの? 二度揚げは必要だと思います。
16、匿名キボンヌ
二度目の感想を書く。何度か読み直した。官能的と書いたが、そんなことはなかった。恥ずかしい。作者には責任をとってほしい。誤読をさせられる身にもなってほしい。
17、匿名
本当に唐揚げだというのか。「我慢しろ。触るな。動かすな」で俺が何を想像してしまったか、ここに書くことはできない。書けないということは、そういうことだ。昔の俺は、こんな読み方をする人間ではなかった。
18、匿名
鶏はすでに肉になっていた。これは暴力的表現だ。暴力の結果を冒頭にもってきている。続いて調理は暴力の連続そのものであり、暴力による整形を続け、加熱して存在の在り方までねじ曲げてしまう。つまり唐揚げという行為は、日常的な暴力を表す。作者は日常生活に潜む暴力構造をこそ批判したかったのではないか。暴力で読むのが正しい。
19、匿名
総合的に考えて、唐揚げであることは間違いないと思う。しかしそれはテキストの浅さを示すものではない。むしろ、より深みを増した。レシピでありながら、再現を可能にさせる数々の指定を避けている。二度と同じにならない。レシピ通りに作っても同じ唐揚げにはならない。そこに作者は希望を見出している。それは、末尾の、「ゆらぎの中で完成する」といった記述と重なるものがある。
20、匿名
創作の話をしていますね。完璧と妥協の間の話です。「完全を求める」とは、作品をどう作るか。「水分を排除した」とは、推敲による余剰の排除。「猶予はない」とは、締め切りですね。




