第9話
絶望13日目・昼下がり 領土侵犯
その日、俺は「赤色エリア」と「青色エリア」の境界線付近にある雑居ビル群の屋上にいた。
眼下には片側三車線の国道が走っている。
かつては物流の大動脈だったその道も、今は廃棄車両の墓場と化していた。
俺がここに陣取っている理由は二つ。
一つは、ここが風通しが良く、ゾンビの「湧き」を監視しやすいこと。
もう一つは、先ほどのチャットで話題になっていた「ある集団」の動向を探るためだ。
「……来たな」
【鑑定眼】が、遠くから近づいてくる複数の生体反応を捉えた。
ゾンビではない。
規則的な隊列を組み、明確な意志を持って移動している。
大型のSUVを先頭に、軽トラック改造したワンボックスカー。
計3台の車列。
車体にはスプレーで『AEON』と殴り書きされ、鉄板や金網で装甲が施されている。
まるで映画『マッドマックス』の世界だ。
「あれが噂の『イオン・ギルド』か」
俺は屋上の縁から少し身を引いて、双眼鏡(ドロップ品ではなく、近所の眼鏡屋から拝借したもの)を覗き込んだ。
車から降りてきたのは10人ほどの武装集団だった。
全員が二の腕に「黄色い腕章」を巻いている。
装備はバラバラだが、バットや鉄パイプといった初期装備ではなく、消防斧、電動丸ノコ、そして数丁の猟銃が見えた。
彼らは国道の真ん中で、道を塞ぐように展開し、何かを待ち構えているようだった。
「検問か? それとも狩りか?」
答えはすぐに分かった。
彼らの視線の先、国道の反対側から一人のプレイヤーが歩いてきていたからだ。
小柄なシルエット。
身軽なパーカー姿。
警戒心なく(に見えるように)歩いているが、その足取りはバネのようにしなやかだ。
「……リナか」
俺は眉をひそめた。
数日前にデュエルをした、あのバトルジャンキーの少女だ。
彼女はイオン側の領域から、こちらの市街地へ抜けようとしているらしい。
イオンの男たちがリナを取り囲んだ。
「おいおい、嬢ちゃん。許可証は持ってるか?」
リーダー格らしき男――スキンヘッドにサングラスの巨漢――が、ニヤニヤしながら声をかけるのが見えた。
距離があるので声は聞こえないが、状況は読める。
リナが足を止め、何かを言い返す。
おそらく「通行に許可なんて要らないでしょ」とでも言ったのだろう。
男たちの顔色が変わった。
威圧的な態度。
武器を構える者もいる。
(……典型的なカツアゲだな)
俺は舌打ちした。
警察の言っていた通りだ。
「通行税」と称して、ソロプレイヤーから物資や装備を巻き上げているのだろう。
リナは強い。
対人戦のセンスは抜群だ。
だが相手は10人。
しかも銃持ちがいる。
正面からやり合えば、いくら彼女でも分が悪い。
助ける義理はない。
俺の信条は「君子危うきに近寄らず」だ。
ここで介入すれば、俺もイオン・ギルドの敵対リストに載る。
俺は双眼鏡を下ろし、背を向けようとした。
その時だ。
リナが動いた。
交渉決裂と見たのか、彼女はいきなりリーダー格の股間を蹴り上げ、包囲網の一角を突破しようと走り出したのだ。
鮮やかな先制攻撃。
だが相手も手慣れている。
「撃てッ!」
誰かの号令で散弾銃が火を吹いた。
ドンッ!
リナの足元の道路が弾け飛ぶ。
威嚇射撃ではない。
直撃コースだ。
リナは咄嗟に横っ飛びで回避したが、体勢を崩して転倒する。
そこへ男たちが網を持って殺到した。
「捕まえろ! 商品にするぞ!」
「女だ! 丁重に扱えよ!」
下卑た笑い声が風に乗って、俺の耳にも届いた。
俺の足が止まった。
商品。
奴隷。
その単語が俺のゲーマーとしての――いや、人間としてのラインを踏み越えた。
「……クソが」
俺は振り返った。
PKは推奨しない。
だがMPK(モンスタープレイヤーキル:モンスターを利用した殺害)や、正当防衛なら話は別だ。
何より、あいつらは俺の「フレンド」を壊そうとしている。
「影、行けるか?」
俺の問いに答えるように、足元の影が長く鋭く伸びた。
距離は50メートル。
高所からの奇襲。
条件は揃っている。
「レイドイベント発生だ。……途中参加させてもらうぞ」
乱入者
リナは焦っていた。
(やらかしたっ……!)
目の前の男たちを舐めていたわけではない。
ただ銃火器が出てくるとは予想外だった。
『散弾銃』。
ゲームなら近距離最強武器だ。
足を止められたら終わり。
囲まれたら終わり。
四方から伸びてくる手。
捕獲用の網。
ナックルダスターを構えるが、多勢に無勢だ。
「観念しろ、オラァ!」
男の一人がリナの腕を掴もうとする。
リナは歯を食いしばり、最後の抵抗を試みる――
シュッ。
空を裂く音がした直後、男の腕が不自然な方向に曲がった。
「ぎゃっ!?」
何かが刺さったわけではない。
男の手首に黒い「鞭」のようなものが巻き付き、強引に引き剥がしたのだ。
「ああん? なんだ!?」
周囲の男たちが足を止める。
次の瞬間、彼らの足元の影から無数の黒い棘が一斉に隆起した。
ドスッ、ドスッ、ドスッ!
「うわあああッ!?」
「足が! 足がぁッ!」
致命傷ではない。
だが太ももやふくらはぎを貫かれた男たちが、次々と悲鳴を上げて転倒する。
包囲網が一瞬で崩壊した。
「え……?」
リナが呆然と目を見開く。
その視線の先。
国道の真ん中に、音もなく着地する黒い影があった。
黒いパーカー。
顔を隠すバンダナ。
そしてその全身から、湯気のように立ち昇る禍々しい黒いオーラ(影)。
「誰だ、テメェ!」
リーダー格のスキンヘッドが、股間の激痛に耐えながら怒鳴る。
俺は答えなかった。
無言キャラを演じているわけではない。
声で特定されるのを防ぐためと、単に「不気味な強者」を演出したほうが相手がビビるからだ。
ハッタリはPvPの基本だ。
俺は右手で「来い」と手招きした。
挑発。
「殺せ! 蜂の巣にしろ!」
リーダーが叫ぶ。
猟銃を持った男が二人、俺に狙いを定める。
遅い。
銃口が向く前に、俺は影の中に沈むように身を低くし、疾走した。
【影移動】。
地面の影と一体化し、高速で滑るように移動するスキル。
バーン! バーン!
銃声が響くが、弾丸は俺がさっきまでいた場所のアスファルトを削るだけだ。
「消え……後ろかッ!?」
俺は銃持ちの背後に回り込み、影で作ったハンマーを振り下ろした。
殺しはしない。
後頭部への強打による気絶狙いだ。
ガツンッ!
鈍い音がして、男が白目を剥いて倒れる。
もう一人。
驚いて振り返った顔面に、影の拳を叩き込む。
鼻骨が砕ける感触。
男が鼻血を噴き出して吹っ飛ぶ。
残り7人。
だが一番の脅威である銃火器は無力化した。
「ひひぃッ……! なんだコイツ! 魔法使いか!?」
「化け物だ!」
男たちが怯んで後ずさる。
レベル差もあるだろうが、何より「得体の知れない攻撃」への恐怖が彼らを支配していた。
一般人は「物理現象」には慣れているが、「超常現象」には脆い。
「リナ、立てるか?」
俺は背中越しに小声で呼びかけた。
「! ……洋太さん?」
リナが驚いた声を出す。
バレたか。
まあいい。
「ずらかるぞ。長居すると増援が来る」
「りょ、了解っす!」
リナが弾かれたように立ち上がる。
「逃がすかよォォ!」
リーダーが懐から無線機を取り出し、何かを叫ぼうとする。
増援要請だ。
それは困る。
俺は足元の影をリーダーの元まで一直線に伸ばした。
影は彼の手首に絡みつき、無線機ごと地面に叩きつけた。
バキッ。
通信手段破壊。
「クソッ、なんだこの黒いのは! 取れねえ!」
「行くぞ!」
俺は煙幕を足元に叩きつけた。
プシュウウウッ!
白い煙が視界を奪う。
混乱する怒号の中、俺とリナは煙に紛れて路地裏へと駆け込んだ。
戦利品と忠告
十分ほど走り続け、追っ手が来ていないことを確認してから、俺たちは廃ビルの地下駐車場に入り込んだ。
ここなら視線も遮れる。
「はぁ、はぁ……死ぬかと思った……」
リナが膝に手をつき、荒い息を吐く。
パーカーは泥だらけだが、大きな怪我はないようだ。
「無茶しすぎだ。相手は組織だぞ」
俺は冷たく言い放つ。
リナが顔を上げ、バツが悪そうに舌を出した。
「いやー、だって、いきなり通行料とか言ってくるし。ムカついたんで、つい」
「その『つい』で死にかけたんだぞ。……銃が見えなかったのか?」
「見えたけど、私のAGIなら避けられるかなーって」
無鉄砲にも程がある。
だが、その度胸だけは評価できる。
「助けてくれて、ありがとっす。洋太さん、やっぱり強いんすね。あの黒いウネウネしたやつ、新スキル?」
「ああ。『影操作』だ。……見られたからには言っておくが、他言無用だぞ」
「分かってるって。命の恩人の秘密を売るほど、落ちぶれてないっすよ」
リナはニカっと笑った。
そして、ふと思い出したようにポケットを探り始めた。
「そうだ。これ、お礼っす」
彼女が差し出したのは、銀色に光る小さなUSBメモリのようなものだった。
「何だ、これ?」
「さっきの連中の車から、くすねたっす。逃げる直前に」
くすねた?
あの乱戦の中で?
俺は呆れると同時に、彼女の盗賊としての才能に戦慄した。
「中身は?」
「分かんないけど、リーダーっぽい奴が大事そうに胸ポケットに入れてたから。『エリアマップ』か『名簿』か、あるいはもっとヤバいデータか」
情報端末か。
もしイオン・ギルドの内部情報なら、金以上の価値がある。
「……半分、やるよ」
「え?」
「俺一人じゃ解析できないし、情報はお互い共有したほうがいい。中身が分かったら教える」
「太っ腹っすねー。じゃあ解析、頼むっす」
リナはあっさりと俺にメモリを預けた。
信頼されているのか、面倒なだけなのか。
「それと忠告だ」
俺は真面目な顔で彼女を見た。
「しばらくイオン周辺には近づくな。あいつら、俺たちの顔を覚えたはずだ。特にリナ、お前は顔を晒してたから、指名手配されるぞ」
「うげっ、マジか……」
「髪型変えるなり、マスクするなりして変装しろ。ソロで生きるなら、顔は安売りするな」
「はーい、師匠」
「師匠はやめろ」
俺たちはそこで別れた。
リナは「拠点を変える」と言って、反対方向の地下鉄跡地へ消えていった。
組織の闇、個の光
アパートへの帰路。
俺は手の中にあるメモリを握りしめていた。
イオン・ギルド。
チャットでは「強制勧誘」や「略奪」が噂されていたが、実際はもっと酷いかもしれない。
「商品」「奴隷」。
あいつらは生存者を人間として見ていない。
ただの労働力か、あるいは……。
(……嫌な予感がするな)
俺の『ゲーマー的勘』が警鐘を鳴らしていた。
ゾンビが進化し、プレイヤーも進化する中で、人間社会の「悪意」もまた進化している。
秩序が崩壊した世界で、暴力装置を持った集団が何をするか。
歴史を見れば明らかだ。
俺はスマホを取り出し、警察のアカウント(警視庁・〇〇署窓口)にメッセージを送った。
『イオン・ギルドと接触。
彼らは銃火器を所持し、組織的な略奪を行っている。
また、生存者を「商品」と呼んで拘束しているのを確認した。
極めて危険度が高い。巡回ルートから外すことを推奨する。』
送信。
数秒後、既読がついた。
返信はない。
だが情報は伝わったはずだ。
俺はアパートの階段を登りながら、今日のレベルアップを確認した。
Lv.24 → Lv.25
スキルポイント+5
【影操作】スキルレベルアップ(Lv.3)
新派生技:【影縫い】習得
順調だ。
人間相手の実戦経験も積めた。
銃への対処法も見えた。
だが俺の心は晴れなかった。
今日見た光景――同じ人間が人間に銃を向け、笑いながら狩る姿――が脳裏に焼き付いていたからだ。
「ゾンビより、タチが悪いな……人間は」
俺は独りごちた。
クソゲーだ。
運営がいるなら、バグ報告を送ってやりたい気分だ。
『人間性のバランス調整が狂っています』と。
部屋に入り、鍵をかける。
絶対安全なセーフティエリア。
だがその外側には、終わりなき悪意と暴力が広がっている。
俺はパソコン(オフラインだが起動はする)を立ち上げ、リナから預かったUSBメモリを差し込んだ。
中身が何であれ、知る必要がある。
この世界で生き残るための最大の武器は「情報」なのだから。
画面にフォルダが表示される。
ファイル名は『収穫リスト』。
そして、『実験記録』。
俺は息を呑んだ。
どうやら俺たちは、パンドラの箱の蓋に手を掛けてしまったらしい。




