第10話
絶望13日目・深夜 禁断の攻略本
PCのモニターが放つ蒼白い光だけが、暗い部屋を照らしている。
俺、橋場洋太は、マウスを握る手にじっとりと汗が滲むのを感じていた。
リナが命がけで奪取したUSBメモリ。
そこに入っていたデータは、俺の想像していた「悪事」のレベルを遥かに超えていた。
単なる略奪や奴隷労働ではない。
これはもっとシステマチックで、吐き気を催すほど「合理的」なゲーム攻略の記録だった。
俺は震える指で、『実験記録.xlsx』というファイルを開いた。
【件名:効率的経験値取得に関する検証報告(通称:養殖プロジェクト)】
冒頭のタイトルだけで、俺の背筋に冷たいものが走る。
「養殖」。
MMORPGなどのゲームではよく聞く単語だ。
特定のモンスターを意図的に湧かせたり、あるいは仲間を囮にして、効率よく経験値を稼ぐ行為。
だが、この現実世界で、何を養殖するというのか。
俺は画面をスクロールした。
『仮説:ゾンビは捕食により進化する。ならば、意図的に餌を与え、高レベル個体を作成してから討伐することで、取得経験値を最大化できるのではないか?』
『実験1:捕獲した生存者A(Lv.2)を拘束し、Lv.1ゾンビの檻に投入。』
『結果:ゾンビは生存者Aを捕食。直後にLv.3へと進化。ドロップアイテムの質も向上。』
『実験5:生存者EFG(計3名)を、Lv.5ゾンビに連続して捕食させる。』
『結果:ゾンビはLv.12『変異種』へと進化。これを幹部メンバー(Lv.15)が討伐。取得経験値は通常の雑魚狩りの約20倍を記録。極めて高効率。』
カチリ、とマウスをクリックする音が、銃声のように部屋に響く。
「……マジかよ」
言葉が漏れる。
こいつらは、ゾンビを育てていた。
人間という「餌」を与えて。
イオン・ギルドが生存者を「商品」と呼んでいた理由が分かった。
労働力としての商品ではない。
彼らはゾンビを肥え太らせるための「飼料」であり、幹部たちがレベルアップするための「踏み台」だったのだ。
俺は次のファイル、『収穫リスト』を開いた。
そこには数百人分の氏名、年齢、性別、そして備考欄が並んでいた。
『佐藤 〇〇(24):健康状態良。養殖用(Aランク)』
『田中 △△(58):持病あり。労働用へ回す』
『鈴木 ××(19):異能(植物操作)持ち。繁殖・管理要員として確保』
リストの横には、『処理済み』という赤いスタンプが押された名前が数十件。
これだけの人間が、既にゾンビの餌になり、そしてギルド幹部の経験値へと変換されたということだ。
「……イカれてやがる」
俺はゲーマーだ。効率プレイは好きだ。
だが、これは違う。
これはゲームの仕様を悪用した、虐殺の工業化だ。
彼らは「強いゾンビ」を作り出すことで、自分たちだけが急速にレベルアップするシステムを構築した。
外のプレイヤーが地道に雑魚を狩っている間に、彼らは安全な施設内で、出荷された家畜を処理するように高経験値モンスターを狩り続けている。
イオンのリーダーがランキング2位にいた理由。
門番G-Kの組織票とは違う、圧倒的な「個の暴力」による順位。
その裏には、積み上げられた屍の山があった。
「……こんなもん、放置してたらマズイぞ」
倫理的な義憤だけではない。
戦略的な危機感が俺を襲う。
このまま彼らがレベルを上げ続ければ、いずれ周辺地域のパワーバランスは崩壊する。
Lv.50、Lv.100となった彼らが外に出てきた時、俺たちソロプレイヤーになす術はない。
俺は決断した。
この情報を、然るべき場所に流す。
俺はデータをコピーし、さらにスクリーンショットを撮影した。
送信先は二つ。
一つは警察のアカウント。
もう一つは日本サーバーの『総合掲示板』だ。
警察には生データを。
掲示板には個人情報をマスキングした上で、『イオン・ギルドの真実』というタイトルで暴露記事を投稿する。
「炎上させてやるよ。社会的に」
俺はエンターキーを叩いた。
送信完了。
数秒後、掲示板のスレッド数が爆発的に伸び始めたのが見えた。
警察のアカウントからも即座に、『受領確認。至急確認する』という、自動返信ではないメッセージが届いた。
これでイオン周辺には、誰も近づかなくなるだろう。
あるいは正義感に燃えた(あるいは恐怖した)他勢力が連合を組んで、潰しにかかるかもしれない。
俺ができるのは、ここまでだ。
火種は撒いた。あとは野となれ山となれ。
俺はPCをシャットダウンし、重い体を引きずってベッドに向かった。
頭の中は情報の奔流で熱くなっていたが、身体は休息を求めていた。
明日はまた別の意味で、忙しくなりそうだ。
絶望14日目・深夜 世界を揺るがす通知音
その時、俺は泥のような眠りの中にいた。
だが、その安眠は唐突に破られた。
ビーッ! ビーッ! ビーッ!
枕元のスマホから、聞いたこともない不快なアラーム音が鳴り響いた。
緊急地震速報の音に似ているが、もっと金属的で神経を逆撫でするような音だ。
「……なんだ!?」
俺は飛び起きた。
時計を見る。午前3時。
窓の外を見ると、空が異様な色に染まっていた。
赤い。
街灯の明かりではない。
空に浮かぶ月が、まるで血を含んだように、どす黒い赤色に発光しているのだ。
俺はスマホを掴んだ。
画面には真っ赤な背景に、白い明朝体で警告文が表示されていた。
【緊急ワールドクエスト発生】
【イベント名:『第一回・厄災の夜』】
クエスト? イベント?
俺の眠気が吹き飛ぶ。
【詳細:
月の満ち欠けが、死者たちの本能を活性化させました。
これより6時間、以下のルールが適用されます。】
・全エリアのゾンビの攻撃力・移動速度が1.5倍に上昇
・ゾンビの索敵範囲(感知能力)が最大化
・生存者が室内にいても、遮蔽物を破壊して侵入を試みる
・ボーナス:イベント期間中、全取得経験値2倍
【生存者の皆様。夜明けまで生き残ってください。健闘を祈ります】
「……ふざけんなよ」
俺は呻いた。
『室内にいても侵入を試みる』。
それはつまり、これまでの「家に鍵をかけて静かにしていれば安全」という定石が崩れることを意味する。
ドォォォォン……!
遠くで爆発音が聞こえた。
続いて、無数のガラスが割れる音。
そして、地響きのような唸り声。
ウオオオオオオオオ……!
街中のゾンビが一斉に咆哮したのだ。
その声量は、これまでの比ではない。
俺は窓から外を覗いた。
赤い月明かりの下、通りを埋め尽くすほどの黒い影が蠢いている。
彼らは一様に顔を上げ、鼻をひくつかせ、そして一斉に走り出した。
獲物のいる建物へ向かって。
「来るぞ……!」
俺は部屋の真ん中に立ち、ナイフを構えた。
203号室。
ここには俺がいる。
奴らには、この部屋にある新鮮な肉の匂いが分かっているのだ。
バンッ!
アパートの入り口のドアが破壊された音が響く。
ドタドタと階段を駆け上がってくる足音。
一つじゃない。十、いや二十か。
「セーフティエリア起動!」
俺は迷わずポイントを消費し、部屋の防御機能をオンにした。
緑色の光の粒子が部屋を満たす。
これで物理的な侵入は防げるはずだ。
ガンッ! ガンッ! ガガガガッ!
玄関のドアが激しく叩かれる。
爪で引っ掻く音、体当たりする音。
ドアノブがガチャガチャと狂ったように回る。
だがドアは開かない。
システムによる絶対防御。
「……ハハ、ざまぁみろ」
俺は強がって笑ってみせた。
だが心臓は早鐘を打っていた。
この音、この圧力。
もしポイントが尽きたら?
もしバリアを破るような「特異個体」が現れたら?
その時、スマホのチャット通知が嵐のように鳴り始めた。
[JP-All] 「助けて! 家に入ってきた!」
[JP-All] 「窓ガラス割られた! 2階なのに!」
[JP-All] 「数が多すぎる! 弾が足りない!」
[JP-All] 「誰か! 〇〇町! 助けてくれぇぇぇ!」
阿鼻叫喚。
この夜、日本中の「安全神話」が崩壊した。
準備を怠っていた者、ポイントを惜しんでセーフティエリアを買わなかった者から順に、赤い月の生贄になっていく。
絶望14日目・早朝 死屍累々の朝
永遠に続くかと思われた6時間が過ぎた。
空の赤みが引き、通常の朝日が差し込む頃には、外の騒音は嘘のように引いていた。
【イベント終了】
【お疲れ様でした。生存者数を確認中……】
俺はセーフティエリアを解除し、恐る恐る玄関のドアを開けた。
ドアの外側は無数の爪痕でボロボロに削れていた。
廊下には入りきれずに圧死したゾンビの死骸が数体転がっている。
俺はそれらを跨いで外に出た。
アパートの前は地獄絵図だった。
近所の家屋のいくつかは扉が破られ、中から血の跡が外へと続いている。
逆にゾンビの死体の山ができている家もある。撃退に成功した猛者だろう。
「……生き残ったか」
俺は深く息を吐いた。
経験値2倍期間だったが、外に出るリスクが高すぎて狩りどころではなかった。
今回は「防衛戦」が正解だったようだ。
スマホを見ると、リナからメッセージが入っていた。
『リナ:生きてる? 私の隠れ家、壁ぶち抜かれたんだけどw 逃げ回って死ぬかと思った』
『YOTA:無事なら何よりだ。こっちもドアがスクラップ寸前だ』
どうやら彼女もしぶとく生き延びたらしい。
そしてチャット掲示板には、昨夜の被害報告と共に、新たな「変化」についての書き込みが溢れていた。
[ID:Intel_Man] 昨夜のイベント、ただの襲撃じゃなかったぞ。マップ見てみろ。地形が変わってる。
[ID:Explorer_K] マジだ。代々木公園の真ん中に、なんか見たことない「塔」が生えてる。あと地下鉄の入り口が紫色に光ってるんだが……。
[ID:Gamer_Soul] これ、どう見ても「ダンジョン」実装です。本当にありがとうございました。
ダンジョン。
俺は急いでマップアプリを開いた。
確かにマップの数箇所に、新しいアイコン――ドクロマークのついた扉――が出現している。
【ダンジョン:地下墓地(推奨Lv.20~)】
【ダンジョン:翠緑の塔(推奨Lv.30~)】
「……イベントでプレイヤーをふるい落とした後に、新しいコンテンツの解放かよ」
運営の手際の良さに舌を巻く。
「弱者は死ね。強者は挑め」。
メッセージは明確だ。
そして、このダンジョン出現は、俺が昨夜ばら撒いた「イオン・ギルドの悪事」とも絡み合い、新たな火種を生もうとしていた。
イオン・ギルドの崩壊と新たな脅威
数日後。
俺がばら撒いた情報は、予想以上の効果を発揮していた。
掲示板での炎上は凄まじく、イオン・ギルドは「人食い集団」「養殖業者」として、全プレイヤーの敵と認定された。
さらに警察も動いた。
彼らは直接的な武力制圧はできないものの、周辺に「危険区域」の看板を立て、ドローンによる監視を強化し、脱走者を保護する姿勢を見せたのだ。
これにより、イオンへの新規加入者は激減。
内部でも動揺が走ったらしい。
リナ情報によると、下っ端メンバーが数人、物資を持って逃亡したそうだ。
だが腐っても巨大組織。
彼らは開き直った。
「我々は選ばれたエリートである」と公言し、拠点を完全に要塞化。
周辺のプレイヤーを無差別に襲撃し、養殖の餌にするという暴挙に出始めたのだ。
そんな中、俺の元に、あの門番G-Kから連絡が入った。
『G-K:よう、橋場。生きてるか?』
『YOTA:なんとか。そっちは?』
『G-K:昨夜の襲撃で住民が数人やられたが、組織としては健在だ。……それより相談がある』
G-Kの声は真剣だった。
『今度、警察主導で「大規模な作戦」が計画されている』
『YOTA:作戦? イオンへの突入か?』
『G-K:いや違う。……ダンジョン攻略だ』
意外な言葉だった。
てっきりイオンを潰す話かと思ったが。
『警察の見立てでは、出現したダンジョンの中に、この事態を打開する「キーアイテム」あるいは「システム制御装置」があるんじゃないかと踏んでるらしい』
「……楽観的だな」
『俺もそう思う。だが放置すれば、ダンジョンから強力なモンスターが溢れ出してくる可能性もある。だから先手を打って制圧したいそうだ』
『YOTA:で、俺に何をして欲しいんだ?』
『G-K:お前、ソロでも相当強いだろ? ランキング見てるぞ。警察は「精鋭部隊」を募ってる。報酬は弾むそうだ。警察の備蓄庫から好きな弾薬や装備を支給する、とのことだ』
警察公認のレイドパーティ。
本来なら断る案件だ。
だが「ダンジョンの最奥」には興味がある。
それにイオン・ギルドも間違いなくダンジョンを狙ってくるはずだ。
彼らの養殖システムをさらに強化するための「何か」を求めて。
ダンジョン内でイオンと鉢合わせになれば、法の目の届かない場所での潰し合いになる。
それは俺にとって、彼らを合法的に(?)叩き潰すチャンスでもある。
『YOTA:……考えておく。詳細を送ってくれ』
『G-K:助かる。期待してるぜ』
通話を切り、俺は天井を仰いだ。
世界は加速している。
サバイバルからダンジョン攻略へ。
個人の戦いから組織戦へ。
俺の『影』が足元で期待するように蠢いた。
レベル25。
ソロとしては十分強い。
だがダンジョンという未知の領域に挑むには、まだ何かが足りない気がした。
「……そろそろ新しい『手札』が必要か」
俺はインベントリを開き、ずっと温存していたあるアイテムを取り出した。
赤色エリアの『バーニング・デッド』からドロップした、赤く輝く魔石。
そしてリナから貰ったUSBメモリの解析データにあった、「スキル合成」の理論。
俺は影に属性を付与する実験を始めることにした。
次のステージへ進むために。
クソゲーの攻略は、まだまだ中盤戦だ。




