第五十四話 花火大会 ⑧ (花火の後)
午後九時ごろ、帰宅した。
「あら、お帰り……ええーっ、なにそれ」
真菜が出迎えるや否や、目を輝かせた。
川上もリビングの扉の向こうからこちらを眺め、目を瞠った。
「ただいま。―はい、お土産」
「やだー、ねえ見て、良ちゃん」
「見えてるよ」
「なによ、何のつもりよ雪ちゃん」
真菜は受け取った三輪のひまわりの花束を小脇に抱えて仁王立ちした。
「夏祭りで間違いでもあった?」
「違います。結局花火見れなかったから。せめて夏っぽいものをって」
「なるほどねえ、どこに飾ろっかねえ、良ちゃん」
川上は真菜からひまわりを受け取りながら、なんとも言えない、ひまわりに対して合わせる顔が無いというような微妙な表情をした。購入した瞬間傍らにいた東井の表情とよく似ていた。
「ああ、雪ちゃん、そうだそうだ、良ちゃん、九月一日までお仕事ないから」
「えっ?」
「インテリアショップの方で、何度かシフトを変わった同僚が、気を回してくれた。―実は昨日、倒れたんだよ」
「倒れた―?川上さんが?」
「ああ。旅行帰りだったのもあって、バタバタして、立ち眩み程度だけど。それで早く帰れたって言うのもあるんだ」
「今日は大丈夫でしたか?」
「もちろん。昨日ゆっくり寝たら、治った。だから断ろうかとも思ったけど」
川上は、柔らかい手つきでひまわりの花びらを愛でながら笑った。
「お前も、もうそろそろ二学期で、忙しくなるだろ。時間がもらえるなら、もらっておこうと思って」
「映画も見れてないしね。さて、どこに置こうかこの子たち」
ダイニングテーブルにいったん置いたひまわりを前に、真菜が手を打った。
「そうだよ良ちゃん、あのグラス使えばいいんだよ」
「…………ああ」
川上は、非常に億劫そうに、気が重そうに頷いた。真菜は目をらんらんと輝かせながら、音を立てて戸棚を開く。
「あのね、雪ちゃん、良ちゃんからもお土産があって」
「お土産?」
「うん、すっごい気の早いお土産」
真菜は見たことのない仰々しい箱を取り出して、慎重に中身を出した。マグカップとそれほど変わらない背丈の、切子模様の入った透明なグラスだった。とても薄く、飲み口がそれこそ花のように、外側に向けて反っている。二つずつのセットが、二つ。つまり、四つ入っていた。
「お酒のグラスですか?」
雪本が一つ手に取って尋ねると、川上はそっと取り上げ、水を入れ始めた。
「少なくとも、後三年はしまっておかないといけないだろうけど。三つセットで買えなかったから、まあ、多くて困りはしないだろうと思って、四つ買っておいた」
その中に、ひまわりを移す。
「結果、よかったね。雪ちゃんもセンスいいよ。短くカットしてもらってきてくれて」
「大きいと、置けないって思っただけだけど」
雪本は何となく、それ以上言葉が出てこなかった。ひまわりを三本、家に持ってきて、川上は四つ、グラスを買って、うち一つが、三本の居場所になった。不思議なパズルが、ダイニングテーブルの真ん中で、やけに明るく咲いていた。
「ありがとうございます。こんなの買ってきて、川上さんこそ、何か間違いでもあったんですか?」
ついそんなことを言っても、川上は鷹揚に笑って見せた。
「楽しかったよねえ、良ちゃん。私たちは本当に、花火見ちゃったもん」
「ええ、そうなの」
「動画撮ったよ、見る?」
返事をしようとした雪本の、ズボンのポケットに入れていたスマートホンが鳴った。
「あ、珍しい、電話だ」
真菜が、いつもとのメロディの違いに反応する中、雪本は発信元を確認した。思った通りの相手だった。
「ごめん、ちょっとこれだけ、出てきていい?多分大事な電話」
「いいよ。もちろん」
雪本はリビングから出ると、扉を閉め、玄関に座って、電話に出た
「もしもし、雪本直哉です」
電話口で、軽く笑う音がした。
『どうも、榊知理です。お邪魔して申し訳ありません』
「いえいえ、許して差し上げます」
『邪魔ではあるのかよ』
「嘘。どっちか言うと待ってたくらい。……今、帰り?」
『そう』
「浜上さんは?」
『告白してきてくれたけど、お断りした』
疲れているのか、ややかすれ気味の声ではあったが、榊の口調は穏やかだった。
「そっか。でも別に、榊の方から、何か対応変えるってことではないんでしょ」
『今のところ、このままのつもりではある。東井からも連絡が来てたから、さっき返事をしてたところだけど、そこでも、下校が一緒になれないかもしれない事については話しておいた』
「東井、寂しいんじゃない?」
『言われたけど。でも、納得はしてくれた』
榊はそして、しばらく沈黙してから切り出した。
『ありがとう』
「……こちらこそ」
榊につられて強張りそうな自分に気づいて、雪本は、瞼を閉じてみることにした。
「ちゃんと話してくれて、ありがとう」
一日炎天下に晒された目はぴったりと暗闇に吸い付いて、自然と力が抜けた。その分、自分の声が変に近くて、ややばつが悪い。
『まあ、でも、あそこまで話す気はなかったよ』
「そう?俺は全然、まだまだ聞けるつもりだったけど……いいよ、今ここで続きしても」
『ここで?』
「うん。話したいことあるんなら、なんでも」
電話の向こうが、いや増して静かになった。
つい先ほどまで聞こえていた、ゆったりとした下駄の音も、榊のかすかな息遣いも聞こえなくなった。
『話したいことは』
「うん」
『あるにはある。キリがないし、きっと話切れないし、話して全部が解決するわけでも何でもないと思う。話して何かが終わるわけでもなくて』
「うん。いいよ」
『本当にキリがないし、お互い、良い気持ちにだってならない。そういうことでも、大丈夫なら』
「そういう事を、むしろ話したいよ。榊が嫌じゃ無ければだけど」
『ありがとう』
するとそこで、肩をそっと叩かれた。川上だった。
川上は、通話を邪魔するつもりはないようだったが、少し怒ったような表情で、雪本の頭に痛くない手刀を食らわせると、玄関のカギを締めた。
「あっ、ごめんなさい」
思わず声を立てると、川上は首を横に振りながら静かにリビングに戻っていく。
「ごめん、今ちょっと、カギ閉め忘れてて」
『いや、いいよ』
榊はすっかり力が抜けてしまったように、小さく笑った。
『今日はやめておく。もう長話になってるし』
「いいよ、全然。大丈夫」
『大丈夫って』
「何かあるなら言って、言い切れなくてもいいし、あとで続き話してくれるとかでもいいし」
榊は小さく息を呑んで、そのまま、数秒だけ黙ると、そのまま笑いにして吐き出してしまった。
『いいよ』
「榊……」
『今度にする。今話すと多分、何言ってるか自分でわからなくなりそうで怖い。聞く方も大変になると思うし。ただ、出来るだけ近いうちに話すよ』
「そっか」
『丸一日面倒かけて、申し訳ない』
「俺はなんだかんだ、楽しかったから平気だよ。いってよかった。浴衣着なくて、本当、良かったけどね。苦労して選んで着て、いざ着いたら榊にぼろ負けとか、いたたまれねーもん」
『そういえば、あのカーディガン』
「わかる?最近買った」
川上が買ってくれた、淡いブルーのロングカーディガンを、今日は、着ていた。サマーニットであるのも手伝ってか、長袖でも熱くはなかった。
『やっぱり、そうだよな。あれはいい色なんじゃないかな』
「ありがとう、今日初めてだよ、褒められたの。みーんな和服に夢中」
『だろうなと思って』
「ああ、そういう」
『実際、似合ってたんじゃないかと思うけど』
「お気遣いどうも」
『あと、新学期始まったら、文化祭すぐだからな。クイズ担当だろ、忘れるなよ』
「ああ―ああ、そうだ、クイズ考えないと。ありがとう」
『こちらこそ』
「うん。おやすみ」
『お邪魔しました』
電話を切ると、すぐ近くに真菜が立っていた。
「いたの」
「いたよ。まあまあ楽しそうにしちゃって」
「ごめん、待たせて。花火見る」
不機嫌そうな真菜に両腕を差し出すと、不機嫌そうな顔を作ったままで引き上げて、雪本が立ち上がると同時に耐え切れず笑顔をこぼした。




