第五十三話 花火大会 ⑦ (隙の取り合い)
ちょうど東井から連絡が来たので、雪本は二人に簡素な挨拶だけ残し、すぐにその場を離れた。
東井は人であふれかえる雑木林で、落ち着いた様子で立っていた。
「榊、なんか大丈夫そうだね」
開口一番、そう言った。
「わかる?」
「雪本、なんかしたの?」
「頑張れって言っただけ」
「まあ、実際そんなとこなんだろうけど」
東井は珍しく、わかりやすい隠し事にも、鷹揚に笑って見せた。
「東井はどうだったの?」
「あ、うん。普通に話してきた。いい子だったよ。普通に」
「いい感じ?」
「——笑わない?」
東井が尋ねてきた。眉間に皺を寄せつつ、ただ、ごまかしの利かないような鋭い視線を向けてくる。雪本が頷くと、東井は続けた。
「多分ね、好かれてるっていうか、向こうが多分、多分だけど、俺を『好きになろうとしてる』感じがあった」
「ああ、なるほど」
「バスケ部入るってのも、それの一環っていうか、なんか、どっちがどっちっていうんじゃなく、どっちもまぜこぜに、みたいな……わかる?」
「わかるわかる」
「で、バスケ部入りたいとは言われたけど、俺がどうこうって話は、直接は、出なくて」
「ふむ」
「今なんか言われてもって話ではあるんだけど」
東井はあっさりとそう言った。言ってから自分で、恥じ入ったくらいだった。
「ごめん、なんか、ほんと偉そうな言い方になったけど、カッコつけたいとかそういうんじゃないから」
「いや、わかるよ」
「そう……今は、多分、そういう意識は俺にはないんだけど。今後どうなるかはわからないじゃん」
「うん」
「部に入ってほしいのは事実じゃん」
「うん」
「部に入ったらそこからまたいろいろ変わるかもしれないじゃん」
「うん」
「ここで変に、シャットアウトすると、部に入らなくなって、貴重な部員は一人減るし」
「向こうも、せっかくバスケに興味持ってる分が、無駄になるよね」
「うん、だから―普通に話して、なんか困ったことあったら相談してって、入ってくれたら嬉しいよって、言ってみた。……で、祭り誘われるぎりぎりみたいな空気になって、誘われる前に、抜けてみた」
雪本が頷くと、東井も控えめに頷く。
「うん。そういうことを、ちょっと、してみた」
「やっぱこう、ずるしてるな、みたいな気持ちになる?」
「ならなくはない。でも別に、今向こうが傷ついたわけでもないし、お前以外にはぶっちゃけてないし、俺も無理しなくて楽だし、収穫もあったと思ってる」
「収穫?」
東井は頷いて、言い切った。
「俺多分ね、可愛いって言われると、何か微妙に駄目なんだな」
「……言われるのが嫌?」
「ああ、それ自体が嫌っていうより―なんか、それが理由で懐かれると、付き合うとかどうとかの対象にならないっていうか……」
東井はそう言って、着ている甚平を広げて見せた。
「これ、格好いいし綺麗だなって思って選んだんだけどさ、可愛いっちゃ可愛いじゃん。可愛いって言われるやつじゃん」
「そうだね、それは確かに」
「本当はさ、可愛いって絶対言われないような、格好いいだけのやつとか着て見たくて、試着とかもしたの。でも自分で見てて、どうしても似合わねーなって思って、結局これになったんだよ」
東井は大きく伸びて、深呼吸した。
「自分で選んで買ってんだから、『可愛く』なっても文句はない。でも可愛いを経由しないと、格好いいにもなれないってのは、ちょっと悔しい。普通にもっと身長欲しいし、落ち着き欲しいし、着れないものを着たいなって思う。―可愛い、って言うのをきっかけに好かれちゃうと、何だ、ズレてるじゃん。それはなんか嫌だなって。そんな感じ。それを自分で気づけて良かった。気づかないと、俺、逆に、可愛いって言われそうな服無理やり避けたりしたと思う。でも可愛いのが嫌ってわけじゃないし」
俺何言ってるかわかんないな、と言いながら、東井は落ち着いた風に笑った。
「もう、帰る?」
「帰る。雪本ももうぶっちゃけ用ないだろ」
「ぶっちゃけね。思ったより人多くてもう疲れてきたし。バスケ部の二人は大丈夫?」
「あいつらはいいよ。もともと適当に祭り気分味わえりゃいいだけだし、片っぽ家近所だし、疲れたからいったん帰ろうかとか言ってたから」
「なるほどね」
「俺も疲れた。飯、どっか行こ」
心底疲れたように眉を下げる東井に、雪本は笑った。
「信じてくれないかもだけど、俺の東井の第一印象、格好いい、だったからね」
「信じねーよ」
「だろうなあ」
雪本も出口の方に歩き始めながら、泉美にメッセージを送った。
『俺と東井、やっぱり帰ります。ごめんなさい』
『了解です、謝らなくても大丈夫』
そこで会話を終わらせようとして、しかしなんとなく、打ち込んだ。
『泉美さんは回りたい人と回れそう?』
『嫌味?』
すぐにそう返ってきて、足を止める。確かに不用意な質問だった。しかし泉美は、すぐに続けた。
『嘘です。もともと人と回るの好きじゃないから、一人じゃないと困るんだ。内緒ね』
人差し指を口に当てているイラストのスタンプが続いた。雪本も似たようなポーズのものを探したが、なかったので、絵文字で対応した。
「あの、雪本さん」
「——雪本、呼ばれてる」
東井が袖を引いた。立ち止まると、たった今公園に入ってきたばかりらしい、陸上部の一年生の男子生徒が、一人で立っていた。和装ではなく、シンプルなパーカーとカーゴパンツという組み合わせだった。この生徒に関しては、名前を覚えていた。
「藤君」
「お久しぶりです」
藤は礼儀正しくお辞儀をしたが、よく見ると少しだけ息が弾んでいた。
「どうした?花火見るの?」
「……すみません、いきなり。聞きたいことがあって。変な質問なんですけど」
言葉を選ぶように視線を泳がせながら、少し重たい前髪を軽く指でどける。親戚にヨーロッパ系の血筋が入っているとかで、その髪の色はかなり明るい茶色だった。
「榊さんは、浜上と付き合うんですか」
隣でただ様子を見守っている東井が、小さくのけぞった。
雪本も雪本で、思わず言葉を失った。
藤は控えめで大人しく、目立たない生徒で、恵まれた体格と華のある顔立ちとのギャップが内面にあって、むしろ好感を持たれやすくなるというような、そういう男子生徒だった。現に今も、聞くだけ聞いて、申し訳なさそうに目をさまよわせている。
「ごめんなさい、本当、深い意味はないんですけど―」
「……違うん、じゃないかな」
「違う?」
「付き合わないと思う」
思わず正直に答えると、藤はむしろ、表情をこわばらせた。
「えっと……あの、ありがとうございます」
そう言いながら、彼はまだ立ち去らなかった。友人は多いはずなのに誰一人伴っていない。雪本と東井と同じで、花火を見に来たわけではないのだろう。決死の覚悟でそこにいるのが見て取れた。
「もう一つ、いいですかこれももっと変な質問かもしれないけど……」
「うん、何?」
本人も、不躾であると十分理解していて、それでも葛藤の末聞いてきている。だからこそ雪本はつい、まともに聞いてしまった。
「泉美さんって、好き、だったりしますか」
泉美が主語なのか、他の人間が主語なのか。どうとでも取れる言い回しを、わざととっていた。どうとでも取れることをわかった上で、全ての意味で尋ねられてるのだろうと思った。
雪本は不意に、すとんと、力が抜けた。そうか、と思った。藤とはこれまで、深い付き合いはないけれど、それでも記憶の端々に思い当たる節はあった。
今にもいなくなりたそうに俯く藤に、雪本は、自分でもわかるほど意地の悪い笑みを浮かべた。
「今日の泉美さん、まだ見てないでしょ」
「え?」
「見ておいで。損は絶対しないから。それで素直に、感想を言ったらいいよ。……そういうことじゃないの?」
藤はそこで、やっと落ち着いて息をしたように見えた。東井と雪本それぞれに丁寧に頭を下げて、東井がざっくりと指さした、泉美のいる方角へ、小走りで向かった。
「……東井」
「なに」
東井はまだ緊張が解けないのか、いつもより二回りも小さく固まっているように見えた。
「今日ちょっと、遠出になっていい?美味しいピザ屋さん知ってるから、何ならおごるから、そこ行こう。俺今そこにすっごい行きたい。疲れたよもう」
「ああ、そりゃもう」
雪本は深くため息をついた。
「花火大会、甘く見てたなあ……」




