第五十話 花火大会 ④ (誰と共に)
雪本は、時間を確認した。
「こっから三十分で多分、バンバン来るよね、人」
「うん。わたし、そろそろ清良さんとバトンタッチしたほうがいいかもしれない。高野さんも帰ってくるころだよね」
「いったん戻ろうか」
あえて何も言わない泉美と頷きあってから、
「榊も来る?」
榊の顔を覗き込む。伏せられた視線に合わせてかなりしゃがんだつもりだったが、目は合わない。榊は少しだけ迷ってから、小さく首を横に振った。
「うん。無理しなくて平気。来たかったらいつでも来ればいいし。俺もお前に話したいこととかあるからさ」
榊の返事を期待していなかったので、雪本はそのまま踵を返して、ぐるりと川辺を見渡す。高野の姿がぼんやりと見えた。声をかけるでもなくただ待っている。
「ああ、やっぱ高野が戻ってきてる。東井も行こう。飲み物あったまっちゃうよ」
返事を待たずに、東井の腕をとって、川の方へ歩いた。
榊に聞こえない程離れてからささやく。
「言いすぎだよ」
「うん……」
東井が消え入りそうな声で返事をした。
「でも、今日もう、浜上が来たら、良くも悪くもそれはもう、とっかえしつかなくなるじゃん。なんか流れ変えるなら、さっきしかないって思って」
「わかってるよ。榊だってわかってくれてるだろうし。後からいくらでも話していいと思うけど……」
「榊君、慎重な人だからさ。自分が何考えてるかとか、説明するのも控えちゃうだけだよ。だんまりしたくてしてるわけじゃないと思うんだよね」
泉美の言葉に、雪本もうなずいた。東井は肩を落とした。高野が見かねて、歩み寄ってきた。
「話しこみすぎだろ」
「ごめんなさい、そんなに待たせました?」
「いや、いいよ。大変だったな」
高野は泉美にホットの緑茶のペットボトルを渡した。ついでに東井にレモンのジュースを渡すと、東井が感嘆の声を上げる。
「つめた」
「保冷剤、一応入れておいた。泉美の方は分けて持ってきてるから冷めてないと思うけど」
「ありがとうございます」
雪本も缶コーヒーを受け取った。見たことのないラベルのその缶コーヒーは、冷えていたこともあってか、予想していたよりはるかに美味しかった。
雑木林に戻ると、一度も二度も気温が下がったように感じられた。ところどころに見知った顔が増えてきていた。
「よう、東井」
二人の男子生徒が声をかけてきた。同じ学年のバスケ部の面々だった。
「おお、おつかれ」
「何これ、こんな柄あるの?」
早速一人が東井の甚平の袖をつかんだ。
「可愛いー」
「うるさいな」
「いや、褒めてるよ。似合ってる似合ってる」
もう一人が東井の頭を乱暴に撫でまわす。東井は抵抗するそぶりこそ見せたが、一種の慣れた様子も見せた。
その間、高野と泉美がさりげなく会釈をして、集合場所の丘へと戻っていくと、東井の友人の一人が目で追う。
「あれ、今の子って、あの……えっと、眼鏡の、めっちゃ成績良い子」
「泉美さん?」
「そう、泉美さん。やっぱり?? あれ泉美さんだよな。……やばいよなー、女子ってこういう時すげえ変わるんだもん」
そう言って自分の髪などを物憂げに触る様子などは、いかにも東井の友人らしく、率直で、肩ひじを張らない楽しさがある。
「雪本君は、誰かと回ろうとかあるの?」
「ないよ。東井と回ろうかなって思ってたけど、一人でも平気だし、もし二人、東井と回りたかったら」
「俺たちもぶっちゃけ一人でいいんだよなあ」
一人がカランと、下駄を鳴らして伸びをした。
「一人でもいいし、東井がいてもいいし、雪本君がいてもいいし、女の子がいてもいいし。どう?」
「最後については別に一切あてないんだけどね」
「じゃあ、他になんもなかったら、四人で一緒に回っていい?」
「いやお前、体調どうするんだよ」
東井が雪本の袖を引いた。他の二人もすぐ反応した。
「そうだ。そうじゃん」
「人ごみとかやっぱりきつい?」
「一応、大丈夫そうかなって思って、今日は来てるんだけどね。もしかしたら途中で帰るかも」
「いいよいいよ。そしたらそん時はそん時だから。ゆるっと行こう。そうだ、東井、部活の事でちょっと話あるんだけど」
「ああ……じゃあ、雪本、俺一瞬、あっち行くわ」
「うん。行ってらっしゃい」
東井とバスケ部の二人は、もう少し先の方まで歩いて行った。
雪本がひとりで丘を登ると、間鍋と清良と高野と泉美が、参加者の確認を行いつつ屯していた。
「どうだった、榊は」
間鍋が開口一番尋ねた。
「いや、浴衣はばっちりですね。ただ、ちょっと疲れちゃってるみたいです。褒められたりとか見られたりとか、慣れてないから」
「ああ、なるほど。……はやしすぎないほうがいいか」
「ですね」
物分りよく頷く間鍋と清良の横で、高野は腕を組んだまま、
「そもそもはやされるためのイベントみたいなもんだけど」
と呟いた。清良は意地悪く笑う。
「高野もねえ、めちゃめちゃ似合ってるのにねえ、かすんだねえ完全に」
「競ってない」
高野は、ライトグレーと紺の浴衣を着ていた。どちらが地でどちらが縞かわからないくらいはっきりと太く入ったストライプが印象的で、かなりカジュアルな印象だった。
「榊って、もともと和顔だし。高野さんどっちか言うと掘り深いから」
「そりゃあどうも」
「でもその分、派手なのが着こなせるのって羨ましいです」
泉美の言葉に、清良が笑う。
「自分だってすっごい素敵に決まってるのに」
「そう言って貰えたら嬉しいですけど……」
「華やかだけど、落ち着いてていいと思うよ。もともと顔が涼しくて綺麗だし」
まっすぐ目を見て褒められるとさすがにバツが悪かったのか、泉美は清良の浴衣を軽くつまんだ
「かわいい」
「ありがと。私、顔がきついから、暗い色着ると怖くなるんだよね。本当は渋いの着たいんだけど、似合わないならしょうがないし」
清良の浴衣は、淡いピンク色をベースに、白い桜が細かく描かれていて、ところどころ引き締めるように、赤く細いラインが斜めに横切っていた。淡く、ともすれば甘いとも取られそうなそのデザインを、大きなつり目と厚い唇の持ち主である清良が着ると、奥行きのあるバランスを作り出している。
「どっちかって言うと地味なのが似合う人の方が好きだなあ。ごめんね高野」
「知らねーよ」
高野と清良のやり取りに、間鍋はケラケラ笑った。笑って、ついでに眼鏡を外した。
泉美がえっ、と声を上げる。眼鏡をはずした間鍋が恐ろしいほどの童顔だったからだ。幅のある二重の丸い目に、カールした睫毛がしっかりと上を向いていて、頬にはえくぼがある。どれだけ可愛がられてもお釣りがくるような、キッズモデルがそのままの顔立ちと雰囲気で成長したかのような派手で甘ったるい容姿だった。やや下がり気味の目尻を、さらに下げるようにして、間鍋は悪戯っぽく笑った。
「俺ね、中学までコンタクト」
「わぁー」
「そんだけ」
「やだあ、お熱い」
雪本と泉美が一斉に冷やかすやら盛り上げるやらで騒いでいるうち、間鍋は眼鏡をつけなおした。よほど度が強いのか、目が一回り小さくなって、フレームのおかげで更に目元の華が抑えられる。飾り気のない甚平が、むしろ彼にはとびっきりの一張羅なのだと知れてしまうと、清々しいほど惚気だった。間鍋と清良の間に挟まりたくない高野の気持ちも分からなくはなかった。
「東井君、なにこれ、かっこいい」
丘の下から、石崎の声がした。見下ろすと、東井の裾を石崎ががっちりと掴んでいる。大声のせいでその場にチラチラと集まり始めていた祭りに向かう面々が全員視線を向けていた。
「ああ、うん、ありがとう」
「いいな、こういうのあったんだ。——あっ、雪本くん、久しぶり」
また大声を上げたので、今度は全員、雪本の方を見上げた。石崎が手を振るのに応えると、他数名も久しぶりとか元気とか声をかけながらバラバラに手を振ってきたのでそれにも応じる。石崎はその間にも、丘を駆け上がってきていた。
「石崎一人、きました!」
「はいはい」
泉美が微笑んで手帳に名前を書き記す。
清良が笑って声をかけた。
「おさげ綺麗ね、自分でやったの?」
「はい。初めてやったけど、思ったよりうまくできた」
石崎はそう言って、見事な三つ編みの房を掴んで徒に振った。
もともとコシのあるボリュームに富んだ黒髪を、右肩から体の前の方に垂らして、ゆったりと一本の三つ編みに編み込んでいた。いつも垂らしている前髪はねじって上にあげてしまって、綺麗な額があらわになっているので、不思議な品格が出ていた。
「よう、雪本君」
「よう。——お、マッチつけてる」
「やめてってば」
濃紺の帯につけられた石崎のお気に入りのヘアピンを指さす。金色のピンに、赤いリンゴのガラス細工が付いていて色合いが丁度そっくりなので、雪本はそれをマッチと呼ぶことにしていた。
「雪本君がマッチっていうからみんなマッチマッチ言ってくるんだよ」
石崎は半ば本気で怒っている。
「嘘、言ったの去年でしょ」
「二年と三年がみんなマッチっていうから一年生まで真似してくるの」
「でも、似合ってるよ。かっけえ」
「ほんと?やったね」
いで立ちとしては、全体的に、赤で極めていた。赤と白の太い縞柄が、比率としては半々くらいで競い合いながら全身を縦断し、その縞柄をさらに圧倒するように、艶めかしい深紅の椿がレトロ風のタッチで描かれている。その椿がまた、いちいち大ぶりに描かれているので、もともとの背丈の無さがやや強調されてしまっているが、それすら吹き飛ばしてしまいそうな強烈な赤の力を堂々と振り回し、それでいて清潔感を損なわない。もともと赤が好きだというのは知っていたが、本人も赤に好かれているようだった。
「ねえねえ、榊くんは?もう来てる?」
石崎の問いに、泉美はとうとう、けたけたと笑った。
「石崎ちゃん、多分もう見てるよ」
「え?いなかったよ?」
「川、通ってきたでしょ」
石崎はつい先程の高野たちと同じく、川辺の方を振り返った。
「えっあれ?」
「そう、あれ」
石崎は例に漏れず、声を潜めて、目を輝かせた
「すごい、全然気づかなかった……」
「ね、すごいね」
「浜上ちゃん、多分喜ぶんじゃないかな。あ、そうだそうだ、浜上ちゃんね、そろそろ来るって」
「ああ、よかった……」
泉美は心底安堵したように息をついた。
「万が一にも来られなかったらどうしようかと」
「ね、本当。─あ、待って、高野さん」
丘を降りようとしていた高野を、石崎が慌てて引き止めた。走った拍子に下駄がカラコロ音を立てた。
「あのね、花火が打ち上がり始めるの、七時くらいらしいから、だからえっと、六時半くらいに神社の入口とかで大丈夫?」
高野が一瞬で顔色を変えた。泉美は初めから知っていたように、顔を背けて笑いを堪えていた。他の面々はただ呆然とする他なかった。
「あれっ?えっと、見るんだよね?花火」
石崎が不安そうに聞き返すと、高野はやっと、どうにか頷いた。眺めている側にしても冷や汗の出るような恐ろしい光景だった。
「だよね、よかった」
「六時半でいい。大丈夫」
「うん。わかった。アラームつけようかな」
「いや、いいよ。こっちから連絡する」
「あ、本当?助かる、じゃあちゃんと音おっきくしとくね」
石崎はそう言ってスマートホンを操作しながら、小走りで丘を降りていった。
彼女が見えなくなってすぐ、間鍋が高野を捕まえ
「何、高野お前……何?」
「何ってなんだよ、離せよ」
「え、便乗?」
雪本が高野の肩を叩くと、だいぶ熱くなっていた。
「いや、だから」
「違うよね、花火見るだけだもんね、高野さん」
雪本は反論を許さないペースでまくし立てた。
「榊をみんなではやすのがメインのイベントだけど花火も上がるからついでに石崎誘っただけだもんね?」
「え、何、付き合ってるの?」
清良がまだ驚愕を引き摺っているような表情で尋ねると、高野はちぎれんばかりに首を横に振った。
「違う、違う違う」
「そっかぁー、じゃあ状況的には榊とそう変わんないなあ。ねえ?泉美副部長」
「そうですねぇ、間鍋部長」
「いい加減にしろよ」
高野が本気で腕を振る。間鍋も思いのほかしがみついてはいるが、そのうち腕がすり抜けてしまいそうだった。
「高野さん」
逃げられる前にと、雪本が声をかけると、高野は半ば睨むようにして視線を合わせた。
「後で待ち合わせして、花火だけ一緒に見るつもり?そういう予定なんだよね?」
「……そうだけど」
「そっか。まあそうだよね、最初から二人でまわってると、またなんか言われるかもしれないし。ただ、二人きりじゃなくて、他の人と一緒でもいいから、最初から一緒に回ってた方がいいと思うよ」
高野が不可解そうに眉をひそめた。
「いやだって、ほら、石崎、すっごい方向音痴じゃん。絶対迷うよ。迷ったら絶対騒ぐよ。高野さん見なかった?とか、絶対言うよ。皆に聞いて回るよ、絶対」
「ああ、それは実際」
泉美が真面目な顔を拵えようとして、途中で挫折しまた笑った。高野はそんな泉美を叱り飛ばす余裕もないほど、雪本の指摘に焦り始めていた。
「私たち、一緒に行こうか?」
清良が声をかけた。
「泉美ちゃんでもいいだろうけど、下手すると、じゃあ泉美ちゃんも一緒にーとか言い出しそうだよね」
「ですね」
「じゃあ、俺たちが一緒に行って、俺たちの都合でどっか行くくらいのノリの方がいいな。な、高野」
間鍋が高野の腕を離し、高野の強ばった肩を揉んでやると、高野はようやく頷いて、スマートホンを耳に当て、雪本に視線を合わせた。
「……ありがとう……」
「いえいえ、どうも」
コールが始まると、高野は耳からスマートホンを遠ざけた。しばらくすると石崎が応答する。高野からさえ数歩分離れていても聞こえるほどの声量だった。高野は動じず、端末を耳から話したままで会話を始めた。手馴れた仕草だ、と感じると、雪本は変に嬉しくなった。
「雪本」
丘の下から呼びかけられた。東井だった。丘を降りると、東井は何故か一人でそこにいた。
「どうしたの、二人どこいった?」
「ああ、陸上部とバスケ部の一年女子が、向こうの入口で固まってんだってさ。それを解消しに」
「お前は行かないの?」
東井は答えずに、雪本の手を引いて、しばらく歩いた。人の話し声が遠くなったところでようやく立ち止まる。
「ごめん、あの、しつこいって分かってるんだけど……榊が気になって」
東井は、川辺の方角を見た。
「大丈夫かな。俺ができることは多分、ないんだろうけどさでも、なんか本当、思った以上に、みんな榊の話知ってて」
「嫌なこと言ってる奴もいた?」
東井は、硬い表情のまま頷いた。
「もちろん、全員じゃないけど」
「うん」
「どうなるんだろ。本当に大丈夫かな。でもまじで、俺に出来ることとかなんとないし、俺が変に熱くなったから、榊を無駄に疲れさしたところもあるし」
「仕方がないよ、東井」
雪本は、自分の声が変に落ち着いているのに、少し嫌気がさした。
「東井は、榊の話を聞きたかっただけなんだよな」
「……『思ったこと言ってみる』って大事だと思うから。俺も榊にそういう風に、色々聞いてもらって、楽だったこととかあったから」
「俺の病気のこととか?」
東井は一瞬だけ迷って、すぐ頷いた。
「だから……だから、俺相手には、それができないって思わせてるのも申し訳なくて……」
深いため息に飲み込まれる東井の声に、雪本は答えた。
「違うよ、東井。お前は何にも悪くない」
雪本は腹を括ることにした。知らず知らず、声が力む。
「東井、ごめん。俺、榊んちの病院行ったこと、一度もないの」
「え?」
「俺、病気じゃないの。石崎のことがあって、色々どうにも出来なくなって、だから休みたかった。東井がこういうの嫌いだってわかってるから、どうしても言えなくて」
東井は、暫くじっと雪本の目を見て、その後なにか記憶を辿るように、視線を動かし、深く息をついた。
「やっぱ、そうか」
「バレてた?」
「かなって思ってた」
「ごめんね。多分、榊も、こういうことがあるんだよ。俺は今言えちゃったけどさ、それでも結構怖かったし、榊は俺よりうんと賢い分、もっともっと、ずーっと怖いし、言えないんだと思う」
雪本は笑った。肺が軋んだような気がした。
「東井がどうこうっていうことよりも、榊の中にある言葉を、東井に聞かせるのが申し訳ないって、榊自身が思っちゃってるだけなんだよ」
その時、にわかに騒がしくなった。振り返ると、入口に屯していたという陸上部とバスケ部の連中が到着したところだった。その中に交じっていた東井の友人二名が、いそいそと早足で出てきて、東井の肩を雪本ごと掴んで、丘の近くの事務所裏まで連れ込んだ。
「えっ、何、何」
「もう、ぱっと言うと、東井と話したいって言う女の子がいてね」
東井は、嬉しくも嫌そうでも無い顔で沈黙した。
「いや、うちのバスケ部の山城ちゃんっているでしょ、山城ちゃんと同じクラスの友達がね、東井と使う路線同じなんだって」
「珍しいね」
雪本はつい率直な感想を口に出した。東井の使う路線は、本当に、東井以外使っている人間を見た事がなかった。
「元々バスケ部に入ろうかって検討してて、それで今日、いい機会だしってことで来てみたんだって」
「入部は……嬉しいし、俺でよければ話も聞くけど」
「いや、だからさ。使う駅被ってると、練習帰りぶっちゃけ心強いじゃん。でも、気が合わなかったら逆に地獄でしょ。それで気使って、山城ちゃんが、東井のことも一応話してみたんだってさ。いい先輩だよーって。集合写真とかも見せたりして」
「そしたら、な」
友人二人は、顔を見合わせて、ニヤリと笑った。
「話したいって。さっき来る道でも、東井さんって今日来てますかーって、言ってたよ」
「そんな失礼な感じの子でもないし、東井が嫌な気分になることはないんじゃないかなって思うんだけど、どうかな?」
東井は眉間にやや皺を寄せていた。
「嫌ってことは無いし、俺も、同じ路線の人ってだけで話はしてみたいけどさ」
友人のうち、一人が、半ば諦めているように苦笑した。
「東井、こういう浮かれたのあんま好きじゃないか。無理しなくてもいいよ」
「いや、違うんだよ」
東井はやたらに真っ直ぐな目で雪本に向き直った。
「もう既に浮かれちゃってるんだけど、良くないよな。だって……」
「行きなってば、もう」
雪本は、問答無用で東井を丘の方へと押しやり始めた。
「気持ちが浮いたんだったらもう、行ってきなって」
「いや、なんか、その子にも申し訳ないし」
「浮かれてたっていいじゃん、その女の子の状態わかってあげられるのは、多分、東井なんだしさ」
「いや、実際そうだと思うよ」
東井の友人が、気楽な調子でそう言った。
「話聞くだけ聞いてあげたら?ふつうに、心細い部分もあるんだと思うよ」
東井は、暫く考えて頷いた。
「じゃあ、話だけ一旦聞く」
「お祭りも回ったら?」
「それはまた考える。そんな話にならないかもだし。……で、雪本、ちょっといい?」
雪本が東井に近づくと、声を潜めて言った。
「これは俺の自己満足って言うか、やっぱ、気持ちが切り替わりきらないから頼むんだけど」
「うん、榊のこと?」
「うん。人も一気に増えたし、なんか、変な陰口とか、あったら嫌だし……いや、そういうの止めろってのも変かもだけど、でも、様子だけでも」
「大丈夫だよ」
雪本は東井の目を真っ直ぐに見すえて頷いた。
「俺も俺で、考えてはいたから。安心して行ってきて」
「ごめん」
「いいよ。なんも間違ってない。東井が気に病むこと、なんにもない」
東井は、それでもまだ半分以上心を残しているように、一年生の男女の群れの中に入っていく直前まで、川辺の方をチラチラと見ていた。
雪本は、東井の視界から外れて直ぐに、事務所の裏手の林を、さらに深く分けいるようにして進んだ。建物の影になっているので、誰にも目撃されることは無い。ずっと進むと、木々の並びにぶつかって、その隙間から眩いばかりの日光がこぼれ出していた。水が流れる音がかすかに聞こえている。正式な入口ではないが、川辺へと繋がる道だった。
雪本はスマートホンを取り出してカメラを起動させ、改めて首元を確認した。真菜が入念に施したメイクは崩れ知らずで、傷跡は全く見えなかった。そのまま木と木の間に体を滑らせ、ようやく日の傾げ始めた川辺へと、再び降り立つ。
見渡すと、榊は先程と同じベンチに座って、片手で頭を抱えて俯いていた。
「榊」
雪本はほとんど全速力で駆け寄った。




