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第四十七話 花火大会 ① (集合場所に到着)

 八月二十六日。


 雪本は朝から自宅に戻って、七日ぶりの掃除を済ませた。二十九日には沙苗が一時帰国するというのもあって、来客用の座布団を干したり、調理用具の手入れをしたりと、いつも以上に色々と手を付けたからか、終わったときには二時間ほど経過していた。


 その後、久方ぶりにカフェに顔を出すと、店主が大いに歓迎してくれた。ランチセットはやや大盛にしてもらえたし、コーヒーを飲み干した後はむしろ向こうから引き留めてくるような形でレモネードまで出してもらえたので、雪本は東井との待ち合わせ時間が近づくまで、堂々と長居することができた。


*****


 午後三時ごろ。

 雪本は、高校の裏の公園の入り口で、既に立っている東井を見つけた。東井は甚平を着ていて、どことなく落ち着きがなかった

「東井、お待たせ」

やや遠くから雪本が声をかけると、東井はホッとしたように駆け寄ってきた。

「よかった、他の連中が先に来たらどうしようかと思った」

「なんでよ、挨拶すればいいじゃん」

「陸上部の全員が俺知ってるわけじゃないし。この格好だと祭り行くのバレバレだし。なんか嫌だ」

公園に入ったあたりで、東井はふと、雪本の服装を見て眉間に皺を寄せた。

「なんで洋服なの」

「探したんだよ、一応。でもしっくり来るのがなくて。強制じゃないって泉美さんも言ってたし」

そう弁明しつつ、東井を見て、おや、と思った。 

「東井、いいね」

上から下までざっと眺めたせいで、半ば見下ろす形になってしまったのもあってか、東井はいつも以上に強く睨み返してきた。

「何が?」

「いや、それ——」

 東井は深い紺色の甚平を着ていた。

 ただの紺一色ではなく、白く細い線で描かれた水面の波紋が複雑に交錯しているうえで、数か所にごく小さく真っ赤なトンボが描かれている。

 一見すると複雑かつ華やかで、遠目にはむしろやややかましいほどのデザインだが、ことさら小柄で童顔の東井が、オーバーサイズ気味ながらしっかりと紐を結んで襟を正して着用すると、ちょうどバランスが取れていた。

「すごい好き。なんだ、こんな柄もあるんだ。俺が探したところだともっと地味だったり、似たり寄ったりなやつばっかりで」

「そう。男物ってそうみたいなんだよな。何か好きじゃなかったし、俺が着るとなんか、なに、サイズがしっくりこないのもあって安っぽくてさ。思い切って女物で探した」

「本当?気づかなかった。派手だけど可愛すぎるって感じでもないし、センスいいなあ」

「……あの、嬉しいけど、あんま言わなくていいよ、調子乗りそうだから」

 東井はそう言って気まずそうに視線を揺らしながらも、結局は随分落ち着いた仕草で歩いていた。いつもより強張って見えるのは、むしろ、ある程度の自信を確保しているからこその自戒の表れかもしれなかった。

 今日の東井が誇らしい一方、少し悔しくなった雪本は、先日に改札を通れなかった姿をわざと思い返してみた。思いのほか鮮明に思い出せてしまって、今度は頭から追いやるのが大変だった。


 二分半ほど歩くと、小高い丘になっている一角がある。

 高校の校庭の約三割に該当する広さがある丘で、腰かけられるベンチもたくさん置かれている。

 公園の管理事務所に一声かければ、長机やテントなども貸し出してくれるそうで、地域の集会などにも活用されるらしい。

 背の高い木が多く植わっているおかげで全体的に日陰となっていて、この真昼間でも細かに木漏れ日がさす程度だった。

 小さな階段を上っていくと、ベンチに腰かけていた泉美が立ち上がって手を振った。

「こんにちは、泉美さん」

「こんにちは。東井くん、その甚平綺麗だね」

 さすがの東井も、着飾った女子に正面から褒められると言葉に詰まる。

 雪本は東井の分まで泉美に言い返してやることにした。

「泉美さんこそ」

「ん?」

「綺麗だよ」

「でしょう」

泉美は逃げるように笑って、浴衣の袖をペンギンのようにひらひらさせた。

「綺麗だよね、この色」

敢えて子供らしい仕草を取っているにも関わらず、余韻が感じられてしまうほど、その浴衣は綺麗な色をしていた。

 やや翠の混じったような水色が、灰色がかって、涼しさと温かさを同時に感じさせる。

 数本の白いストライプがリズムを作るように細い体を縦断し、その線と線の間を、同じく白で描かれた蝶が飛んでいる。

 髪はきっちりとまとめられてうなじが見えた。髪の毛を全体的に巻いているのか、全体のシルエットがいつもより柔らかい。

 まとめた髪には銀色のかんざしがあって、風に時々煽られる。

「コンタクトなんだね」

 指摘すると、泉美は、『言われてしまった』と言わんばかりのばつの悪い笑みを浮かべた。

 今の泉美は常の眼鏡をかけていないので、細かい作りの目元がそのままにさらされている。

 雪本はそういう全てを指して綺麗と表現したのだが、泉美はあまり素直に受け取らなかった。

「なんだろう、今までおうちにあった浴衣もサイズ的には着られたんだけどね。おばあちゃんが買ってくれた奴で、上品で、好きなんだけど……柄がね、菖蒲の柄なのよ」

泉美の弁明めいた言葉に、東井は思い当たる節があるように頷いて、

「あるね、そういうの」

「わかる?」

「小学校に桜って名前の子がいたんだけど、その子もしばらく桜系の物ばっかきせられてたから。そういう感じでしょ」

「ああ、桜はもっとだろうね……」

 泉美は見たこともない東井の知り合いを、本心から気遣うような声音でつぶやいた。

 泉美あやめ。平仮名ではあるが、その下の名前はやはり植物の菖蒲から来ているらしい。

「せっかくだし、もう高校生なわけだし、思いっきり新調しようって思ったんだけど、色々考えすぎちゃって。こんな機会だし華やかな方がいいかな、とか、あんまり派手だと私の顔に合わないからな、とかね」

 確かに、よく見れば、描かれている蝶はやや大きく、どことなく派手で、色味も全体的に明るいと言えば明るい。

 泉美が上品に着ているから気が付かなかったが、有り体に言うとやや現代風でガーリーなデザインだと言って言えなくも無いかもしれなかった。つまりは、泉美の普段のキャラクターとはそぐわないのかもしれない。

 それでも、綺麗に決まっているのがまぎれもない事実なのだから、そこにあるのは勿論、本人の心持ちの問題で——いくらでも誇らしく立っていたらいいのにと、雪本は内心で思った。

 そんな思いを伝えるのは、雪本の役目ではないだろうとも思うので、悟られぬようにそっと黙った。


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